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【蓮ノ空舞台巡礼】加賀友禅こらぼ・吉祥瑠璃文に見た「愛と解像度の凄み」

2024年4月。蓮ノ空の「加賀友禅こらぼ」を追って金沢の地で出会った衣装デザインに単なる新規イラスト以上の大きな衝撃と感動を得たので旅の記録と共にここに記します。

特に今回の加賀友禅衣装はイラスト画像やグッズ等の解像度で見るだけでは味わい切れない、現地の大型スタンディや加賀友禅会館でのデザイン原画を拝むことで初めて堪能し切れるものではないかと思わされました。

一人でも多くの方が実際に金沢と加賀友禅会館を訪れてこの体験を共有できますよう。

www.lovelive-anime.jp


※こちらはnote側に書いたものと同一内容です
note.com

「言うてコラボって絵柄増えるだけでしょ」

ところで蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん、今回の加賀友禅に限らず「コラボ」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

グッズの絵柄が1つ増えるのでアクスタや缶バッチを買いに行く。

結局のところ言ってしまえばコラボテーマに沿った可愛いイラストが1人1枚増える、各キャラに似合った特徴がありながら統一性もあって並べると映えて嬉しい、またグッズに使う出費が増える、大行列で即完売させるぐらいなら受注生産して、そんな繰り返される定番イベントの一つという程度の認識ではないでしょうか?

私自身、当初今回の加賀友禅こらぼも率直に言えばそれぐらいの認識でした。蓮ノ空歌留多カードとして先行して実装された時もその絵柄と添えられた俳句やで金沢の伝統と蓮ノ空を結びつける素敵なデザインだなとは思ったものの、特にそれ以上の思い入れはなかった記憶があります。

蓮ノ空歌留多シリーズはまず新年の俳句の方に意識が行った方も多いのでは

今振り返ればウカツにも程があります。この歌留多シリーズの特訓前イラストが全て金沢に実在する場所を描いたものであったことの意味が、後に現地訪問をしてありありと立ち上がってきたのです。

また私は蓮ノ空に出会う以前より金沢は好きな土地で何度か訪れておりその歴史や文化にも思い入れがある方だと思うのですが、とは言え当方着物を着る機会が女性以上に少ない男性なこともあり、加賀友禅に興味があったかと言われればNoと言わざるを得ません。今回蓮ノ空をきっかけに触れられる方の多くも似たようなものではないでしょうか。

一路金沢へ、そして花帆から受ける最初の衝撃

とは言え、加賀友禅こらぼは久しぶりのスタンプラリー。前回が灼熱35℃の異常気象な盛夏のど真ん中で正直のんびり散策どころではなかったこともあり(金沢城公園を西日の当たる鼠多門側から上がって行こうとしたら死を感じて一度撤退したほどw)季節のよい春の開催は素直にありがたく、また年初にコラボ延期にもなった能登半島地震以後、お世話になった金沢の地、ひいては能登に少しでもお金を落とせる機会を探してもいたので渡りに船と訪問を決めたのです。

加えてSNSでもすでに「デザイナーさんのコンセプト説明がすごい(特に綴理)」という話が流れており、自分の中でも期待は十分に高まっていました。

小松以遠開通後初。終点じゃないのでうっかり乗り過ごさないように


さてご存じの通り、金沢を巡礼する蓮の(中略)みなさんは金沢駅に降り立ったらまず蓮の民にとって乳と蜜が流れる約束の地、金沢フォーラスは蓮ノ空タイアップショップ改め金沢ゲーマーズに真っ先に訪れるのが通例となっております。駅から近いですしね。そういえば一周年おめでとうございます。時の経つのが早く感じられる蓮ノ空の象徴の一つでもありますね!


金沢ゲーマーズの充実した蓮ノ空アイテム先行販売ラインナップに圧倒されつつ、ここに比べれば本来錚々たる秋葉・お台場・原宿もカスや(関東在住民調べ)などと両手を合わせながら買い物に勤しむ他、今回の加賀友禅こらぼスタンプラリーの起点もまたこの場所。自分もまずはスタンプラリー台紙を受け取り、花帆ちゃんのスタンディを拝みに来たわけです。

で。正面入り口に設置されたこの振り袖姿の花帆が目に入った時、あれ?と違和感を覚えて、そして気づいたんですよ。

「ぜ──」「ぜ?」「ぜ・ん・ぜ・ん、ちがーーーーう!!!」

着物であるが故に等身大に近いことには意味がある

もちろんいい意味で、です。

今回の衣装に限らず、ディテールが多い衣装はゲーム中のカードイラストやコラボの告知画像、アクスタ程度のサイズでは味わい切れない部分があるのは変わりません。

しかしこれはそもそもが着物、それもご存じの通り本物の加賀友禅のデザイナーさん達が実際に線を引いて作り上げた代物です。後にデザインコメントなどを読むと小さなイラストや3頭身アイコンでも映えるよう考えていただいていることが分かりますが、それでも本質は着物として等身大に仕立てられたときに映えるデザインなわけです。

例えばこの花帆ちゃん。
イラストで見るとパッと全身が一気に目に入ってしまい何となく「花柄かわいいよ……フラワー……」ぐらいで終わってしまうのですが、等身大で見るとこのポージングも相まって真っ先に袖口の大きな花の意匠が目に入ります。それも着物と聞いて何となくイメージする和風の梅柄や牡丹などではない硬質の多弁が目を引き、後にこれは花帆の象徴であるラナンキュラスとわかります。

袖口から入った次はオタクのサガとして花帆の魅力的なお顔に目を向けると、当然大きく鮮やかな髪飾りに目が行きます。イエスフラワー。が、その視線の途中で引っかかった何かに目を戻すと、古典柄の市松模様のポーチの中に花帆のウサギに加えて愛する梢センパイの蓄音機アイコンが。このサイズでなければ絶対に気づきませんし、ちょっと事前チェックしてこられた方なら「小物がポーチなのは花帆と慈だけど、ひょっとして見せてないだけで梢もお揃いのを持っている……?」などと早速想像が膨らみます。

そしてその流れで目を落とすと帯飾りにこれまた可愛いウサギと月の帯留めが見つかり「あらあら梢にも月から素敵なお嫁さんが来てくれるのね」と乙宗母もニッコリ感嘆(乙宗梢調べ)する仕掛けの視線誘導が成立しているわけです。

細部に神宿る、のみならず全身を一目では把握できないことで視線誘導効果が発生する

これだけでも十分はるばる金沢まで来た甲斐があったなー、とこの時点で十分満足してたのです。

またもウカツにも程がある!(続きます)

加賀友禅会館:デザイン画とコンセプト解説から感じた「愛」

さてさて、こんな等身大スタンディが一堂に会していて噂のコンセプト説明も読めるぞと、楽しみではありつつ軽い気持ちでやって参りました加賀友禅会館

前回訪問時もせーはすの加賀友禅染め回以後だったものの、その頃はアズールレーンさんのノボリしか無く寂しい思いをしましたが今回は表にも堂々我らが蓮ノ空のポスターが。

前回はここで「綴理……髪型変わったね……」などのボケを実行
一堂に会した等身大スタンディと印刷版解説。これぐらいかなと思ってたら……

6人全員の衣装を横並びで楽しみ、SDキャラ入りの印刷版の解説を呼んで、さて印刷版より中身が濃いとSNSで噂になっていた手書き版資料(コピー)をまずは端の瑠璃乃から読んでみますかね、と開いたら──

すごい……これ、瑠璃乃に送られた「愛」じゃん……!

振袖衣装「吉祥瑠璃文」に見る「大切に愛されてきた大沢瑠璃乃」

あの時の衝撃を一言で表すと、陳腐ながらも「感動」でした。等身大スタンディの情報量だけでは得られなかったデザイン画の精緻な書き込み、コンセプトシートに書かれたその一つ一つの描き込みへの想い。

これまた陳腐な表現ながら、そこに感じたのは「ご両親から瑠璃乃に贈られた愛情と願い」のようなものであり、ルリ様のオタクである自分としてはオタク的誇張抜きに胸に熱くこみ上げてくるものがありました。

菊田宏幸氏制作 瑠璃乃衣装「吉祥瑠璃文」
  • 小柄な瑠璃乃の身体に映える願いを込めた大輪の花々
  • 釣り好きを示す流水や泳ぐ魚などを織り込んだ、いわば「瑠璃乃好み」
  • 両袖にめぐちゃんを表す藤島の「藤」
  • 扇で瑠璃乃の勢いを示しつつ、これだけ華やかに吉祥文様を詰め込んでも派手にはしない美しさ

思えば大沢瑠璃乃は能登の生まれ。子供の頃の慈とのエピソードや服の話、カリフォルニア留学に蓮ノ空編入を考えてもそこそこ良いトコのお嬢さまでしょう。

にもかかわらず、ぶっちゃけお嬢さまらしからぬ方向に元気よく育ち、釣りやキャンプなどソロ活も大好きな瑠璃乃。でもそんな彼女の「今」をきっとご両親は「あるがまま」に受け入れ、祝福し、スクールアイドルカラーの桜色を基調に「瑠璃乃好み」として織り込み、まだまだ小柄な彼女がなお一層花咲いて欲しいと大輪の花を添えてこの一着を注文されたのではないか。振袖に祝福と願いをもって込められた親心──そんな背景がありありと浮かんでくるようです。

この言葉とデザイン画、そして結実したスタンディが融合して生まれる極上の「キャラクター表現」

さやかの「氷解く」は是非背中も見たかった……!

瑠璃乃衣装に次いで痺れたのはさやかの「氷解く(こおりとく)」です。

両手を傘の下に揃えたポーズなので少しわかりづらいのですが、デザイン画をみればわかる通りさやか衣装の基調となっているのは表も裏も全身を大きく流れる流水紋

柿本結一氏制作 さやか衣装「氷解く」

元々自分はよしながふみ「大奥」の影響もあって身頃に大きく流水紋という意匠が大変好きなのですが、こうして小さな模様にせず大きく一筋に描くことでさやかの全身を貫く大きなうねり、一本の大河=水色のきらめきを通じて大きく変化した彼女の運命のような印象を受けます。

そこで解説を読んでみればなんとこの流水紋は

  • さやかのスケートの軌跡=駆け抜けてきた距離であり
  • 綴理との出会いによる雪解けの表現であり
  • そこを流れる「ボクの赤」で縁取られた花は一輪咲きのバラ=夕霧綴理

デザイナーさん、村野さやか理解が深すぎる……!

流水紋の清涼にして大きなうねり、歩んできた氷上の軌跡、そして綴理と出会って解けた氷にきらめく水色のいわばトリプルミーニング。これは身頃を大きく見えるポーズや是非背面も拝みたかった一着ですわ!

綴理のバラに加えてさやかの生まれを金沢を示す梅の花(前田家家紋も梅だったりする)

こずめぐ一考:和の慈と洋の梢

この調子で6人紹介していると誌面が尽きてしまう(意訳:締切が近い)のですが、梢と慈のコントラストについてはどうしても触れざるを得ません。

志々目哲也氏制作 梢衣装「秘めた想い。」/清水恵子氏制作 慈衣装「ボロニアの咲く頃」


慈に描かれた花はボロニア。他の5人と同じよう春にまた花咲いて欲しいという願いを込めた意匠にも唸りましたが、驚いたのはデザイナーさんの想いです。

  • 何となく昭和な感じの慈さん
  • 可愛くなり過ぎずにしたい
  • ボロニアの花ことばのように芳しい香りでみんなを和ませて欲しい

一見カワイイを押し出してもおかしくない慈を前に、人と人の間を取り持つ慈の本質と「和」が似合うテイストを見抜いてたこの方、何者ですか!!

一方でそれこそ和装が似合い、いかにも日本美人な仕立てになってもおかしくない乙宗梢の方はパリスグリーン(毒のアレですw)を思わせる鮮やかな緑にアールヌーヴォー調の百合とツタ模様。兼六園級の乙宗邸を思わせる西洋的なデザインで攻めてきているのです。

立てば芍薬の梢に、その音楽的背景や実家の素養を加えた欧風のデザインを。
可愛いとハッピー至上主義な慈に、優しい薄紫の和の雰囲気を。

こずめぐ理解が深すぎる……!(定期)


噂の綴理は現地以前と印象は変わらないけど……

今回の加賀友禅こらぼ、蓮ノ空歌留多を見た時に一番インパクトがあったのがこの綴理です。

まず目を引く赤と黒で左右半身ずつ色が違う「片身替わり」。西洋的な思考だとかなりモダンなデザインに見えますが、これ調べてみるとなんと安土桃山辺りから武士に流行った意匠なのだとか。流石綴理、かぶいてやがる!

山田武志氏制作 綴理衣装「星ノ空 銀ノ糸」

また蜘蛛の巣の意匠が吉祥ということはたまたま知っていました。蜘蛛の巣が表す「待ち人来る」の意味合いに重ねられた星々は綴理がよく口にする「きらめき」、つまりこれは「待ち人来りて星をつかむ」さやかとの出会いかな……などと想いを巡らせていたものです。

どっこい三島の「美しい星」という超骨太のコンセプトが込められてました。

しかし逆に言えば意匠があまりに大胆かつ見事だったため、現地でそれほど印象が変わらなかったのも確かです。

というより、これこそ是非「本物」の加賀友禅仕立てで見たかった……!

と思っていたら、なんとデザイナーさんご本人が

自腹で作るんで運営の人、実際に作る許可出して

山田武志 takeshi yamada | 友禅会館並びに県内各地で始まりました 「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」のイ�... | Instagram


蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ運営さま、お願いします!



加賀友禅という「現物」を見て

実際、慈スタンディのあった金沢中央観光案内所には今回の衣装とは直接関係はないのですが加賀友禅の見事な暖簾が飾られていました。

高田克也氏 作「四季草花瑞兆」@金沢中央観光案内所
展示されていた本物の加賀友禅は現代のキャラクターイラストデザインとまったく違和感がない


この鮮やかさ。繊細なグラデーション。

そして加賀友禅会館で展示を見てお話を聞かせていただきましたが、やはり京友禅などとは違い最初から最後まで一人で作成されるがゆえの加賀友禅の作家性はこのようなコラボで意匠を込めるのに実に向いているのだなと改めて感じさせられたのです。

最初にデザインを発注された際はまだ蓮のストーリー展開も序盤だった頃といいます。しかし、元より依頼者の希望とそれを表現する自らの理想の形を追い求めるのが「作家性」というもの。加賀友禅の制作者として培われた深掘り能力を本来フィクションである蓮の子たちに全力で発揮いただいた、そこに限りない感謝を捧げると共に、

なるほど、これは加賀友禅のような「場」でなければ成し得ぬコラボだ……!

と深く深く納得したのです。完璧な「わからせ」の発生です。

また現物といえば実際、加賀友禅会館でもう一つコラボされていたアズールレーンさんは本物の加賀友禅を合わせて仕立てられていました。お金があるコンテンツ凄いな!

先のデザイナーさんのコメントで「振り袖なんで実際制作して着るとなるとこのくらい柄が無いと寂しい」ともあったように、また私が冒頭金沢フォーラスで花帆ちゃんの等身大スタンディを一目見た時の衝撃にもあったように、

やはり着物、振袖というのは等身大で、そして現物をみて初めて伝わるものがある。

アズレンさんの現物を見てもやはりそう感じる面がかなり強くありました。

蓮ノ空でももし仕立てられた一枚があれば、金沢、石川という県境を超えて全国各地のイベントなどで展示する、あるいはキャストの方に実際に着ていただいて生きた文化としての加賀友禅を蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさんにお披露目することもできたのではないでしょうか。

是非是非、今後の展開として検討していただきたいところです。


最後に:聖地巡礼・金沢の地が選ばれた理由

舞台巡礼先として、金沢は本当に素敵な街です。

バーチャルリアリティの"Virtual"英語本来の意味は仮想ではなく「実質」。

蓮ノ空は実質現実(バーチャル・リアル)のスクールアイドルたちを描き出すことで、金沢の街を聖地巡礼先というよりは現地訪問先にしていると常々考えていましたが、今回の加賀友禅こらぼ巡りで本物の加賀友禅作家さんが蓮ノ空の彼女たちに想いを込めた様を目の当たりにして、改めてそのことを実感したように思います。

彼女たちはこの場所で、確かに「生きている」。

蓮ノ空のキャッチフレーズにもあるように、金沢は「雅やかな伝統が残る古都」

それは何となく背景として存在しているというより、蓮ノ空女学院というスクールアイドルの伝統を持つ学校を描く上での必須要件だったのかなという感覚があります。

それは例えば、金沢のお茶屋文化とスクールアイドル活動後援の類似性などもよく挙げられます。地元の人、と語られていた北陸経済界の「旦那衆」なくして徳光海岸に花火が打ち上ったりはしないでしょうw

また学問の都としての伝統、石川四高を擁していた金沢。

note.com


旧制高等学校の寮歌と蓮ノ空3ユニットの繋がりを考察された方もいらっしゃいましたし、また実際四高の生徒たちは「やんちゃ」でも知られていたらしく、その気風はどこか50年前に芸学部でアイドル活動を認めていた蓮ノ空女学院に通じるものがあるようにも思います。1970年代当時、最初のアイドル興隆期とは言えまだまだ「いかがわしい、教育によくないもの」とされていた時代に、ですよ!

そして今回取り上げられた加賀友禅、次いで第104期でスポットライトが当たった加賀繍。いずれもシナリオの都合で取ってつけられたものというより、そのようなアイドル衣装文化にも通じる美と作家性の伝統があればこそ、金沢の地は蓮ノ空の舞台として選ばれた、そこに蓮ノ空女学院という学校を置いて彼女たちを「生きて呼吸させる」場所として使わせていただくことができたのではないかと思うのです。

「咲く花は 百生にその色変わらねど 染める心に同じもの無く(連維)」

蓮ノ空と金沢の幸福な関係が、これからも益々発展してゆきますように。

加賀友禅こらぼが示したガチの愛と解像度を紹介することで、その一助となれますように。イエス、フラワー!(締めの挨拶)

蓮ノ空活動記録第15話感想:梢の「運命の人」の本当の意味

蓮ノ空活動記録第15話は、ラブライブ!決勝敗退後のお話でした。

どの子にもそれぞれの感情があって全員に心を揺さぶられたけど。
蓮ノ空の今日までの根底にあったのは乙宗梢の始めた物語、そう分からされる話でした。

(この記事はふせったーに記載したものを改筆したものです)
https://twitter.com/rennstars/status/1744285761657332011


目次:

包み隠されてきた絶望、本気にしてこなかった切望

「勝たなければ、優勝しなければ、私には何もない」

自分たちもあの場の花帆と同じく、梢のその熱望も覚悟も、そしてその上で彼女がずっと「何も得られないまま何かを犠牲にし続けてきただけ」──そう梢自身が思ってきたということを、本当の意味では分かってなかったんじゃないかと思うのです。

過去のスクールアイドルたちが得てきた「なにか」が詰まった一冊のノート

「何もない、本当に欲しかったものは手に入らない」

なぜ梢は綴理に憧れ、でも隣には立てないと思ってきたのか。
なぜ梢は慈には自分に無いものがあると散々言い立て、一方で自分は何度言われても可愛くないなどと固執してきたのか。

──ああ、それは本当にそう思ってきたからだったのです。

単なる謙遜でも仲間への称賛でもない。彼女たちとは違い、自分には勝つための努力しか何もないのだと。なのに勝つことができない、その絶望の中に彼女は生きてきたということです。


しかも去年を振り返れば、梢は沙知を止められず、慈を見捨てたまま、綴理をも騙し、何もかもをその手から零れ落とし他人を傷つけてまでスクールアイドルクラブの存続と勝利を求め、敗北以上の大きなものを失ったのが梢です。ただ何も無いだけじゃない、誰かをずっと犠牲にすらし続けてきた。それでも、彼女は勝てなかった。

梢は沙知も慈も本当に切り捨てたわけではないでしょう。しかし彼女自身が後から振り返る時、「自分は活動存続や大会勝利のために二人とも引き留め切らなかったのでは」という自責がずっと付きまとってたのだと思うのです。責めるのは自分、だから誰にも赦してもらえない、その辛さの中で彼女はあの冬の時代を過ごしてきたのではないでしょうか。


もちろん、梢とて新たに始まった103期の日々には様々な喜びを見い出してきたはずですが、それでも長いスパンでは彼女がずっとそう悔やみ続けてきたことを今回改めて知らされたのです。それが、何よりの衝撃でした。

結局のところ「梢センパイはなんでもできる」その実力値を認めないほど己に無知ではなくとも、彼女にとってその程度の「できる」は「勝つ」まで何の意味も無いものでした。

また我々読者も、例えばラブライブ作品のメインキャラだから「目標はラブライブ優勝!」なんて言うのはどこか当たり前と捉えて、これまでの物語の端々に梢の本気度が描かれてはいても、その深さと、その深さのために彼女が払ってきた犠牲、犯してきた罪の重さを、花帆と同じく我々も考えてこなかった──そう突きつけられた気がしました。

ここで改めて振り返ると、今まで「梢のちょっと面白いところ」とされていた全てが刃のように自分の心に突き刺さります。

早口オタクのような花帆語りは「自分には花帆しか誇れるものが無い」。
筋トレ好きは「持たない者でもやっただけ得られる成果」。
機械さんが苦手という面すら、黙っていればその立ち振舞いから「梢さま」と呼ばれてしまう彼女が「やっと見つけた、アイドルらしい自分らしさ」として無意識のうちにお得意の努力で克服しきらないようにしていたのかもしれません。


「運命の人」の本当の意味

あの時梢が持っていた一輪のガーベラの花言葉は「運命の人」。そんな情報がSNSを駆け巡りました。

しかし考えてみれば、花帆が梢にとって運命の人だなんてことは物語の中でもスリーズブーケの歌の中でも散々謳われてきたことです。ただそれだけなら、今更ストーリーの中で改めてモチーフとして持ち込まれる意味は薄いように思います。

今回、彼女はひとりで運命の花にすがって泣き、そして自分には何もないと告白した時にその花を手落としてしまいます。

その時に気づいたのです。今日までの梢にとって、花帆はむしろ「所詮、運命の人」に過ぎなかったのかもしれない、と。

梢が憧れた綴理の才覚や慈の可愛さ同様、花帆への感情も「何もない自分には無いものを持っている憧れ」が強かったのではないか。明るく、前向きで、ただひたすらにライブが好きで、その好きを見せることにためらいが無く、そして人を頼れて、物事を強く動かす力を持っている花帆。

自分に無いもの。あるいは梢自身が以前語ったように「以前の自分を見ているよう」すなわち「今は失ってしまったもの」を持っている、花帆。彼女との出会いはまさに「運命」だった──

でも、同じことの繰り返しです。梢はそんな運命の人がいても勝てなかった。
運命の人もまた自分の手から零れ落ちてしまう何かの一つだった。

この花が運命の人なのが重要なのではなく、それを落として、拾ったことが一番の寓意

あの時梢の手から滑り落ち、その傍らで涙に暮れた一輪ガーベラは、むしろそんな「ただ偶然出会った運命の人」の象徴、「ただ憧れただけで勝てずに手から零れ落ちた運命の人」の象徴だったように思うのです。

花帆にとってずっと梢は憧れでした。でも実は梢にとっても、花帆は憧れでした。
憧れは理解からは一番遠い感情──そんな言葉もあります。


しかし。

梢にとって花帆は、本当にずっと「ただ憧れた運命の人」に過ぎなかったのでしょうか?

もちろん違います。

半分はそうだったかもしれません。でも半分は絶対に違う。

思い出してください。そもそも梢は運命の人を座して待ってたわけではないのです。梢自身が第15話の中でも語っていたように、花帆が運命の人であると選んで自らの意志でつかみ取りに行っている

蓮ノ空の物語は、まぎれもなく乙宗梢の手によって始まったのです。

ただ花帆が動かしてくれた事態に乗るのではなく、花帆から学び、時に花帆に助けを求めることだって十分にやってきてる。今日だって、最初に梢は言うんです。

「よかったら、あなたも一緒に来てくれない?」

私たちが最後に知るその深い悔しさと絶望を隠しながら、部長としてメンバーに言葉を掛けに行く。その困難を前に、梢はちゃんと花帆の助けを求めてるんです。ただ辛い自分だけのためじゃない、それがメンバーのためにもなると理解しているのです。


何より、梢は確かに花帆という名の花を「今この場所で」咲かせたその人なのです。


だからこそ、花帆の仕事はその落としてしまった花を拾って、その手に戻してあげることだけだったのでしょう。

カワウソから逃げたあの日のように、今日もまた紅茶のカップによって花帆と梢は「偶然出会い」ます。

でもあの日、その偶然を運命に、自ら手繰り寄せる運命に変えたのは他ならぬ梢自身だったのです。そして今、その梢と共に確かに歩んできた花帆もまた、運命が拾い上げるのを待ちませんでした。

その花は自らの意志で梢の手の中に、隣に戻る

日野下花帆という花咲いた自分自身を、自ら梢の手の中に戻す。それこそが花帆の宣言だったと思うのです。

だって、花帆はもうここに戻る前に分かってたんです。
自分の悔しさは、後悔は、この人を優勝に連れていけなかったことだったのだと。

だって、花帆は知ったんです。
あの、夢のおとぎ話のような場所を。梢が心に描き続けてきた風景を。

梢の記憶と花帆の記憶は同じまばゆい光=「夢見ても、まだ見られていない世界」として描かれている

梢の夢を、ようやく、自分のものとして信じることができたんです。


今、花帆は夢を信じて苦しみながら歩いてきた梢を知りました。
その梢を信じるからこそ、花帆も歩いてゆける。

今、梢は自分の夢を信じて歩いて行ける花帆を知りました。
その花帆を信じて、梢もまた歩き出せる。


ああ、だからこそDream Believersの歌詞は一般的な「I believe dream(私は夢を信じる)」ではないのだと思うのです。
あの曲が歌うのは「Dream Believers, I believe(夢を信じる人を、私は信じる)」
そして「Dream Believers, You believe(あなたが信じる、夢を信じる人)」
蓮ノ空は、スリーズブーケは、その相互性で成り立つ関係なのです。

相手を花咲かせ自らも花咲く、憧れじゃない対等のパートナーになれた瞬間。
それが第15話の今日だったのでしょう。
梢からの「花帆」というその呼び掛けは何よりの信頼の証。
少しだけ驚いて、息を呑んで、そして力強く「はい」と彼女が答えた時。
隣を預け、背中を託せる、梢にとっての綴理や慈と同等以上の存在に花帆はなれたのだと思うのです。


だから、今なら堂々と言えます。「花咲けたね、花帆」。
だってあなたは今、立てば芍薬の花の隣に確かに立てているのだから。





追伸:それでも間違えたくないこと

この先はふせったーには書かなかったことです。

梢の絶望は、言わば美しい物語です
あの立ち振る舞いの中に隠してきた自己評価の低さ。周りの人間を傷つけてきながらも勝てなかったという絶望。そこから梢という人を再評価するのもまた読者としては感情を揺さぶられる楽しい行為です。

しかし、ここであえて触れておこうと思います。

乙宗梢だって、ただの17歳の高校2年生なんです。

幼い頃からの夢だったラブライブ優勝にあと一歩のところまで手を掛けて、敗れた。あと一歩、あと少しで叶うところだった。

その直後に、自分の全てが否定されたような感情に囚われるのは当然のこと

だから、あの時梢が言った言葉の全てを私たちはそのまま信じてはいけないのだと思ってます。彼女自身が瑠璃乃に語ったように、彼女もまた

「あと一歩の敗北の悔しさという眩しさに、少しだけ自分が見えなくなっている」

だけではないかとも思うのです。

実際、本当に梢は「勝たなければ、自分には何もない」と思い続けているのか?

そんな人が「今ここで、あなたたちと勝たなければ意味がない」なんて言いますか? 才能で選んだわけではない少女と優勝の夢を見たいなどと言いますか?

第12話でいみじくも梢がさやかに語ったように。
梢もまた、もうとっくに「持っているもの」を見つけてるんです。

ただ勝利だけじゃない。「今、ここで、仲間たちと、勝つ」こと。そんな「余分」を既に梢は持っているんです。乙宗梢は、仲間たちと共に夢を目指すという自分自身の道をすでに見つけて「輝いてる」んです。

だからこそ乙宗梢のスクールアイドルのきらめきは日野下花帆という運命を引き寄せたんです。一度ならず、今日この日という二度までも

そしてそれに気づけないほど、乙宗梢という人の目は曇っていない。
花帆という存在を得て、彼女は「今」をしっかりと見えるようになっています。

自己評価が低いのは確かでしょう。
勝利する日まで夢が叶わない、という呪いも本物でしょう。

でも、梢が今この期に及んでも勝利以外に何も見つけていない、自分は何も持っていないと「思っている」かのように受け取ってしまうのはいささか行き過ぎだと思うのです。


蓮ノ空の見晴らし台で、凛々しく「全員で願いを叶えましょう」と宣言した乙宗梢を。
花帆を頼りにして、今度こそ二人で夢に向かってゆける梢を。
夢を信じる物語を、今年も応援していきたいと思うのです。


異次元フェスから来たお前は今すぐ「Fes×LIVE@撫子祭同時視聴会」に参加し蓮ノ空楽曲の「文脈の強さ」を知れ

よく来たな。我々は蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん(公称)だ。

我々は毎月蓮ライブの過剰供給に過呼吸心停止して搬送され続けているが、今回アイマスラブライブ合同異次元フェスで「On your markロングトーンワッザ!?」「Dream Believers国歌斉唱」「ふーん、蓮の空ツヨイじゃん」「運命の人重点」「野中ここなの腰が良い 特に腰」などの悲鳴を聞いてうごく屍者として土中から這い出しお前たちを蓮ノ空の山中へと連れ去りに来た。

……だがこのパターンももはや3度目で公式のヌカリ無さに蓮の(中略)みなさんとしても公式を勧める以外の仕事がない。

オタクの千言に勝る公式の供給の中、中でも特に今晩YouTubeで配信される

「活動記録第7-8話+Fes×LIVE@撫子祭同時視聴会」

が二夜連続で語ってきた蓮ノ空の楽曲と物語の結びつきの真骨頂なので是非紹介させてほしい。ここが最後にして必殺の沼である


目次:




楽曲から来たお前たちになぜ「今」Fesライブ配信を推すのか

昨日まで2日連続で蓮ノ空の「ストーリー」そして「日常配信」が楽曲の文脈にいかに繋がるかを語ってきた。


そして今ここにようやく蓮ノ空三本柱の最後の一つ、キャラクター月次ライブ「Fes×LIVE」をお前たちに推す。

それは公式がお前たちニュービーの熱い声に応えて同時視聴会三夜目をライブ付きで実施すると決めたからで都合よく乗っかり……いや待て待て待て! それは確かにそうなのだが公式の考えも我々蓮(略)の考えもほぼ同じと思われる。

本来楽曲との結びつきなら真っ先に勧めてもおかしくはないキャラライブ。
だが、Fesライブは最後に来なくてはならないのだ

それは蓮ノ空において、ストーリーと日常配信が積み上げた物語の月次総決算こそが「Fes×LIVE」だからである。

この2つを知らずしてFesライブのことを聞いてもニュービーのお前たちはグラスフェッドバターモンエナなどを優雅に傾けながら

「ふーん、よくある3D MV流すだけじゃねーのウンババ」

などとジャングルの従順なエスイーの如き台詞でこれを受け止めていたに違いない。

だが、蓮ノ空のFesライブはそもそもの造りが音ゲーなどの3D MVとは大きく違う。

最大の特徴は「リアルライブと同じく完全に一回性、常に一度きりの舞台」ということだ。

  • キャストのリアルタイムモーキャプと生歌による毎回異なる個性と臨場感
  • 舞台は謎の派手なライブステージ等ではなく学校の音楽堂や金沢市内の屋外設営など物語設定ありきの構成
  • 照明点灯から壇上の入り・ハケ、MCなど一切の省略、シーンカットが無いフルセットライブ

そして何より

  • ライブの日までの物語を色濃く反映した「セトリ」
  • 必ず行われる物語文脈に沿った完全新曲披露(外部でのCD告知等一切無し)

これを毎月末行っているのが蓮ノ空のFes×LIVEである。

形態としてはむしろVtuberの音楽ライブが近い。そして新曲やライブ自体に向けたアーティストやコンテンツの日々の物語、文脈が繋がっているという意味では演者がバーチャルかリアルアーティストや声優かを問わず、まさに「現実のライブ」のそれと全く同じである。

最大の違いはその楽曲やセトリに結び付いた、創作による強力な物語そのものをお前たちがその日までに摂取していることだ。

こちらの物語性はどちらかと言えばアイドルやバンドなどのアニメ作品のライブ回に近い。しかし一方でアニメ作品とは違い、編集されたシーンを眺めるのではなくフル尺のライブを頭から終わりまでリアルに体験できるわけだ。

アニメでもいわゆる「ライブ回ノーカット演出」をやることがあるが、あれが毎月来るのが蓮ノ空とも言えよう。


余談だが毎月コレをやり新曲が出るので蓮の子たちは活動8ヶ月で既に各ユニット曲を13曲ずつ、全体曲8曲の20曲超を持っている(後発のみらくらは少々少ない)。驚いただろうか。大丈夫だ我々もかなりのペースで溺れている。

蓮のキャスト陣がリリースより1年超前から仕込みに入っていたのは配信演技のためだけではなく、この膨大な数の楽曲ロケットスタートに向けた振り入れもあったことは想像に難くない。


さらに余談だが、この毎月にFesライブのたびに全員に新規ユニット衣装または全体衣装が増える。なんなら髪型も毎回アレンジされたりする。当然ながら3Dモデルで。

3D MVゲーやVtuber界隈が「家賃を払っていない味™がする……!」と失禁して椅子から転げ落ちるのはこの辺りである。蓮の(略)みなさんも何故こんなことが可能なのかは分かっていない……ブッダ……



お前たちはストーリー、配信、そしてライブが繋がる瞬間を知る

ここで強力に聞いてくるのが、蓮ノ空が全てをリアルタイム連動で展開しているという事実である。

今月公開され、お前が「花帆さんの腕は梢だけの安全バー……」「夕霧綴理ツキマカセして……」などと感情になった物語、その物語を踏まえた日々の配信でお前が腕組み彼氏面で首を縦に2万回頷いた健気さ、その全てが今、そこで起こったこととして月の終わりにライブステージの形で結実する。

例えば蓮ノ空の配信はキャストのリアル体調不良で配信が中止になることが当然ながらある。そしてその月のライブMCでそれをキャラ本人の欠席として扱い「心配かけてごめんね」などとリアルタイムに織り込んできたりもする。おおなんという実在性であろうか! カホチャンおかえりフラワー!(蓮の民の歓喜の叫びその2)

更には蓮ノ空がストーリーも日常配信も、そしてライブも同一の3Dモデルで展開していることで、没入感、彼女たちの実在性はいや増すばかりである。

もはやお前たちの中で彼女たちは単なるアバターではない。

蓮ノ空のメンバーたちは、あの姿で日々を過ごし、配信で我々と触れ合い、そしてハレの日の舞台に立つ存在としてそこにいる。

今回のFesライブ同時視聴会が前段の「活動記録(ストーリー)」とセットなのもこれで頷けよう。

特に今回の第7-8話はサムネで予告されているように梢・綴理ら先輩たちの物語。蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん™の間では蓮の沼の如き感情湿度、もとい丁寧に過去の傷や人間関係を拾っていく大名作回として知られている。

元よりアニメ等でもライブ回はその多くが神回である。蓮ノ空でも屈指の物語性を誇る6月度Fes×LIVEは言わずもがな、現時点において蓮ノ空で神回ではなかった月次ライブは今のところ存在しない。安心してその身を委ねるがよい。

ある月などライブが2部制となり、幕間に休憩時間が挟まったかと思ったら唐突にストーリーが更新されその物語で顔面の水分を放出させられてから後半ライブに突入するという離れ業までやってのけたほどだ。

今宵、つづこず(訳者註:綴理と梢のフラワーな関係性)の高湿度物語からそのままライブに雪崩れ込んで共に味わおう。

ライブ会場から現実に還ってきた時、お前たちはもはや鼻の穴まで蓮の沼に浸かったどこに出しても恥ずかしい(原文ママ)立派な蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさんの一員である。ようこそ蓮ノ空へ!!

応援上映という最後の隠し玉にお前は完全に膝をつく

ここにもう一つ、バーチャルとしては場外乱闘的ではあるが欠かせない要素に応援上映がある。

蓮ノ空では7月以降、毎月のFes×LIVEを各地映画館でリアルタイム上映、光るオタク棒に声出しOKの上映会を実施している。

蓮のFesライブが元々持っている高い実在性にリアルのライブ会場感が加わることで蓮の(略)みなさんの中でもリアルライブ好きは毎回椅子から転げ落ちて失禁している。これは事実である!

そもそもこのFes×LIVE、実は観客の声援は音として入っていない

あくまで画面上でペンライトの海が表現されるだけで、音は音楽と彼女たちの歌声、舞台としてのSEのみである。声援は我々の頭の中でリアルにこだましていて十二分に楽しめるのだが、応援会場の場ではこれが最高の臨場感をもって伝わって来る

それは例えば単に楽曲中に声援を送るだけではなく、乙宗梢が真顔で「蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん」と呼び掛けてきた時に「はーーーい」と返事してしまう、あの感情がお前たちにも味わえるということである。

お前たちの中にも知っている者がいるかもしれないが、やっていることはVtuberなどの投影型ライブに近い。あの盛り上がり、あの楽しさに通じるところがある。

だが蓮ノ空の場合、実際にやってみるとそれだけに留まらない、自分が蓮ノ空の世界に入り込んだ感覚が恐ろしく高い。

これは恐らく蓮ノ空が描いているのが仮想空間ではなく現実と地続きの金沢、そして実在性溢れるスクールアイドルであることが効いているのだろう。VRで現実の知っている場所を体験した時に近い。もしお前がアイマスPであれば、何年か前にあったデレマスVRで実在のアンフィシアターに立った時のうめき声を思い出してもらってもいい。


この物語世界への没入感を生かして、さらなる演出が展開されたこともある。

ある月、キャラの一人が決意を秘めて物語と完全連動したソロ歌唱を披露し、そこに送られた観客の声援で自信を取り戻す展開があった。この時、配信では日頃と同じく声援のSEは無い。

その時、声援を応援上映で送り届けた我々は確かに物語の一部と化したのである

この物語に入り込む稀有な体験もまた、蓮ノ空が繰り出してきた恐るべき表現手法の一つだったのだ……!




さて、次回12月度Fes×LIVEは12月28日といささか参加が大変な日取りではあるが、チケットの一般先着は12/22(金)10:00でまだ間に合う。今日の同時視聴回で「DEEPNESS……」になったお前は是非検討してみて欲しい!

www.lovelive-anime.jp




お前たちはライブ感という言葉の真の意味を知る

ところで繰り返すが我々は蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん(公称)である。

今宵、お前たちはその名前がライブ感あふれる現場で決まった瞬間を目撃するだろう。


そして機会があれば、一般公募の名前の中からコレを最終候補に残した戦犯偉大なセンスの持ち主、夕霧綴理キャストの佐々木琴子・通称こっちゃんに心の底から感謝を捧げて欲しい。いやマジで。

我々はこの名前のおかげで異次元フェスでもお前たちと繋がることができた。

これもまぎれもない事実である!!



それでは今月末のFes×LIVEで会おう!

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