人生、1番大切なのはお金ではない!?
こんにちは、れのむです。
「人生、1番大切なのはお金ではない」「お金では決して買えないものがある」
こういった言い回し、ときどき見かけますよね。一理あると思います。
これを踏まえて。2019年3月現在、私は人生における目標を、
「30代の間に年収1,000万円達成」
と設定します。
なんだこいつ、矛盾してるな。そう感じられたでしょうか。
ここで仮想的に、2人の人物について考えていただきたい。
- Aさん:30代前半男性、年収200万円
- Bさん:30代前半男性、年収2,000万円
年齢や性別の同じ、年収のみが10倍違う2人から、冒頭の言葉を聞いたとします。その際、私はどのような感情を抱くでしょうか。
A「人生、1番大切なのはお金ではない」
私「(なるほど、この人は何かお金以外のものに価値を見い出してがんばっているのかな。)」
B「人生、1番大切なのはお金ではない」
私「(!?)」
私「(そうか、これだけ稼いでいてもそう思うのなら、確かに人生お金だけじゃないのかも)」
ええ、おそらく、こう思うでしょう。
ずいぶん印象が違うと思いませんか。2人は同じセリフを言っているのに。
Aさんに言われたときの私の感想は「すごいな」だけです。要するにAさんの主張は私にとっては完全なる「他人事」となり、「単に稼げてないだけじゃん」という思いも生まれます。
一方、Bさんは実際にかなりの額を稼いでいます。「お金で買えないものはない」と言ったとしても不思議はなさそう。なのに「お金は1番ではない」のだと言う。これなら信じるほかはありません。自分とははるかに次元の違う世界ではありますが、「人生はお金がすべてではないのだ」という具合に納得し、Bさんの主張が「自分事」になります。
繰り返しますが、「同じセリフを状況の異なる人が言った」だけです。なのに、これだけ説得力が違う。
「お金を稼ぐ」というのは、ひとつの能力です。AさんとBさんはこの点において、成果で比べて10倍の差がある。その2人が「お金を稼ぐ」ことに関係する主張をすれば、説得力が違うのは当たり前です。
私は、Bさんのような人間を目指したいのです。
今回の例で言えば、「人生、1番大切なのはお金ではない」という意見には、一理あると思います。しかし、いま私は学生であり、お金を稼ぐ能力には乏しい。だから、今回の例で私が持つ主張は、理論上「お金は1番大切だ」であるはずなのです。
私はこの4月から、D1すなわち博士後期課程1年生になります。3年後の博士号取得を目指しますが、私はアカデミックの道には進まないつもりでいます。なぜなら、私には研究は向いていないような気がするから。(私が博士課程進学を決めたのにはまた別の理由があります。なので研究が向いていないと言っても博士号取得は目指します)
でも、先ほどの例と同じですが、「自分には研究は向いていない」と説得力を持って言い切れる人とはどんな人か?それは、「研究で成果を上げ、一人前に修めた人」であるはずです。私はまだ、自分の研究に対する向き不向きを語れるレベルには到達していない。
4月となり、2019年度に突入します。これをひとつの節目として、博士課程生活頑張っていきます。当面の人生の目標は、「30代の間に年収1,000万円達成」。
「先延ばし癖」は悪か?
こんにちは。れのむ(Reno-mu)です。
今回は、「先延ばし癖」について考えてみたいと思います。私は、テスト勉強や課題レポート、プレゼン資料、 申請書に至るまで、締め切りギリギリにならないと本腰を入れて始められないという悪しき癖を持っています。
「悪しき」と書いていますが、ここでは一度頭をリセットして、先延ばし癖は本当に悪いのか、またどのように対処するべきかについて、自分なりに考えてみます。
先延ばし癖とは
①時間があるのに、②やらなければいけないことを先送りにする癖。
「~したいけど時間がない(=①)」「~しなきゃなあ(=②)」などと日常的につぶやいているならば、この癖に当てはまる。
この記事では、「先延ばし癖」は悪か?について考える。
結論:先延ばし癖は悪ではない。が、私は直したい。
私が導き出した結論。先延ばし癖は悪ではなく、直さなくても問題ない。ただし、私はいくつかの理由のため、直したい。
この結論に至った経緯を、先延ばし癖のメリット・デメリットを見ながら追っていこうと思う。
メリット
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締め切り直前の作業量は膨大だが、結果的に短い時間で終わる
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ギリギリの作業に慣れると、急なタスクへの対応力がつく
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締め切りを守り続けてさえいれば、周囲からの評価は案外高い(かもしれない)
意外に良い面があるのが厄介。癖が直っていなくても、生活に致命的な問題は起こらない。
デメリット
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締め切りに追われて作ったアウトプットは所詮たいしたものではない
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常にクラッシュのリスクにさらされている
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締め切りのないタスクが常に後回しになる人生を歩むことになる
3番目は特に、デメリットとして非常に大きなものである。しかし、実害が生じるのが未来であるということが難しい。つまり、目の前のものを見続けている限り、このデメリットは意識しづらい。
私が先延ばし癖を直したい理由
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直れば絶対今よりパフォーマンス上がるはず
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締め切りのないタスクに取り組んで、この先の人生を豊かにしたい
締め切り直前の自分が、普段よりも高いパフォーマンスを発揮できていることは自分でもわかっている。このパフォーマンスの高さ、締め切りに駆け込むためだけに使うのは確実に損をしている。
それに、デメリットでも書いたが、締め切りのないタスク、主に人生を長い目で見たときに習得したい能力や思想に関する勉強や活動が、軒並み後回しになっている。先延ばしモードになっているときは、このような重要度の高い活動でさえも面倒くさく感じる。これはどう見ても残念。
対処法を考える前に
直すには、具体的な対処法が必要である。具体的な対処を考えるために、そもそもなぜ先延ばしにしてしまうかを考えなければならない。
なぜ、先延ばしにしてしまうのか
- 基本的に、先延ばしにするタスクは「面倒くさい」
- 何だかんだいつも期限内に終わっていて、一定の評価を受けている
私にとってはこの2点に尽きる。私は面倒くさがり屋である。やるのにエネルギーを要するタスクは面倒くさいから、可能な限り先延ばしにしたい。代わりに、エネルギーをほとんど使わず楽しめるネットサーフィンをしよう。
そうして、私はタスクを後回しにしがちである。
だが、締め切り直前になったタスクでも、私はほとんど締め切りクラッシュをしたことがない。そして(運の悪いことに)、案外まあまあの評価を受けてしまうのだ。そのため、自らを省みることがあまりない。
これを繰り返すうちに、先延ばしが癖になってしまった。
書いているうちに、やっぱりこのままでもいいかなとも思えてくるが…
忘れてはならない前提:対処は必要である
上でも書いたが、このままでは今後の人生に悪影響を及ぼすため、直すことは必要だ。私は人間の心理学のようなものには明るくないが、「癖を直す」には「その人に合った方法」が必要だと思う。だから、自分の性格に合わせた対処法を考える。
具体的な対処法
先延ばし癖を直すと良い人生が待っているということは、頭では分かっている。しかし、そのためには大きなエネルギーが必要だ。だから面倒くさい。
ここで私というものを見つめ直す。飽きっぽい私でも、「エネルギーが必要なのに、長く続いていること」がいくつかある。
それらには共通点がある。
- 毎回毎回、違うストーリーが展開される
- 適度に難しく、頭を使う
- うまくいくと心地よい
エネルギーを投下しつつ続けるためには、少なくともこの条件は満たさなければならないということかもしれない。
個人的鍵:自然科学になぞらえる
ここに至って、私は、「癖を直す」という人間臭い課題の対策に、「化学反応」という自然科学的な発想を組み合わせることにした。
今回の例では、癖を直すという反応の活性化エネルギーを下げる「触媒」が対処法にあたる。一般に、反応に有効な触媒を探すには、求める性質を持ちそうな触媒を片っ端から試す。それと同じように、効果的な方法が見つかるまで、思いつく限りの対処法を試し続けよう、というのが私の答えだ。
これだけ語っておいて、「うまくいくまで試す」が答えかと、期待外れだったかもしれないが、ただ試すのとは少し違う。
試した方法がうまくいかなかったとき、人は意外と「ならばどんな方法でも無理なのだ」という結論付けをしがちだ。
しかし、触媒探索の研究では、場合によっては何万種類というオーダーで試すと聞く。また、うまくいかなかったときも、「この方法はうまくいかない」ということが「新たにわかる」。
この発想でいれば、癖を直す方法を考え、何度となく試し、失敗していくことで、自分の性格について「効果のない方法」がわかっていく。これは私にとって興味深い。
しかも、うまくいかなかったとき、私には非はない。なぜなら自然の摂理であるから。ただ次の方法を試せばよいだけである。
試してみる
実はこの記事を書いている今も、まだ期限に余裕のあるタスクをいくつか先延ばしにしている。今回せっかく考えたので、この癖を直すためにいろいろ試していきたい。誰かの参考になるかもしれないので、備忘録の意味も込めて思いついたことを書いておく。
- 先延ばしを直したら将来プラスになるというイメージをもっと具体的に考えてみる
- 締め切りギリギリに作った作品(文書、スライドなど)が低クオリティーであることを確かめ、省みる
これ自体を先延ばしにしないように、試していきたい。