私の母は陰謀論者です
「ワクチンと称する殺人注射を止めさせよう。YouTube見て下さい。」
私の母はどうやら陰謀論にハマったらしい。
元々スピリチュアル系にハマりがちな性格だったので、何ヶ月か前に「トランプが…」と言い出したときはあまり気にしていなかったのだけど、ついに夫にLINEを送るまでになり「え、お前の母さん大丈夫?」と言われてしまったのでさすがになにかせねばなと思うようになった。
かなり不安な面持ちで実家に帰ったのだけど、結果まぁ大丈夫かな〜と思えたので、そのときの様子を書こうと思う。
ネット記事でよく書かれているような「陰謀論にハマり家族と決裂、友人は皆離れ…あの頃の面影はどこへ…」というような状況では全然なかった。
一番心配していたのは母の交友関係。
ここが崩れていないかが一番の懸念だった。孤独は人を狂わせるから。
でも、母も人前で陰謀論を話すと気まずくなることはちゃんとわかっていたのでそこは全然問題なかった。
そもそも「ワクチンの恐ろしさをみんなにわかってほしい」と思っているわけではないみたい。
私も殺人ワクチンのLINEが来たときはびっくりしたけれど、母の意図としては「こういう情報もあるから、それを知ったうえで打つかどうか判断してね」という意味だったらしい。いやわかるか。
あと、普通にSFとして面白かったのでこのあと陰謀論のあれこれを興味深く聞いてたんだけど、途中で「あんたすごい熱心に聞いてるけど私が勝手に信じて言ってるだけだからね!?」って心配されてウケた。
なんか、思えば昔は大川隆法にもハマっていたし、段々な〜んだ母通常運転じゃんガハハって思うようになってきたんだよね。
一番まぁいいかって思えたのは、「ママは陰謀論を知って今後どう生活するの?」って聞いたときの答え。
「なにも変わらないよ。低層の一労働者にできることなんてなにもないからね。でも、今まで労働者らしく慎ましく節約して生きていたけど、それがアホらしくなった。これからはこんなにケチケチ節約して生きていくのはやめて欲しいものをどんどん買っていこうと思う。だからだいぶ生きるのが楽になったかな。」
そういえば自転車新調してたな。
あの自転車10年近く乗ってたしな。いいじゃん。
ワクチンを打っていない、という点に関してはいろいろ言われることもあるかもしれないけど、とはいえ母はコロナの怖さはわかっていて(コロナ感染による死亡率<ワクチンの死亡率だと思っている)人混みには全く出向いていないみたいだし、まぁいいかなと思った。
これからも健やかに生きてくれ、母よ。
あと私ってやっぱなんだかんだ母のこと愛しているな。
お母さんとわたし
母親に言われて、悪い意味で忘れられない言葉がいくつかある。
「あなたが小さい頃は、私とあなたは両想いだった」
「今は私の片思い」
「あなたが幼稚園くらいの頃が一番可愛かった」
要は、私にとって社会=家族だった頃、私にお母さんしかいなかった頃の関係に戻りたくてしょうがないということなんだろう。
昔から過保護で過干渉な親だった。
教育熱心な親によくあるスパルタ的な厳しさではなく、主に交友関係を制限される厳しさだった。
幼い頃はそれこそ狭い社会で生きていたのでそれほど気にはならなかったけれど、大学に入って一気に交友の幅、行動の幅が広がってから母に依存されていることに気がついた。
友だちと遊びに行くと嫌な顔をされる。
外食が続くと無視される。
外泊、オールはもってのほか。
相手が彼氏だと機嫌の悪さ×2。
みんなが楽しそうに遊んでいる中ひとりで帰ることも多く、わりと辛かった。
でも、大学の頃はまだ母に「わかってほしい」という気持ちがあった。
「私のママに対する愛は全然変わってないよ。
昔と変わらず大好きだよ。
ただ、成長するに従って家族以外のコミュニティが増えただけ。
家族に割く時間は減ったけど、愛情は変わらないままだよ」
と泣きながら訴えたことが何度もある。
何度も何度もケンカしてその度にわかってほしくて訴えて、でも何回言ってもわかってはくれなかった。
そうしたらだんだんわかってもらおうとするのに疲れてきてしまって、社会人になる頃には完全に諦めていた。
私、家族に信用されてないんだな。
こうやって物理的に繋ぎ止めておかなきゃ安心できないくらいの絆なんだな。
そう思うようになった。
だからお金貯めてさっさと家を出て今に至る。
親から離れた生活はまじでサイコーだ。
好きなときに好きなことを好きなだけできる。
お金はたまらないし家事もめんどくさかったけど、この自由と比べたらそんなのどうでもいい。
と、かなり一人暮らしを謳歌していた。
でも、人間慣れてしまうんだよね、自由に。
今度は月に1度くらいの頻度で実家に帰らなきゃいけないのが苦痛になってきた。
「早く帰ってこいなんで帰ってこないんだどういうつもりなんだ」と責め立てられ、帰ったら帰ったで「なんでもっと早く来なかったこれからはもっと頻繁に帰ってこい」と詰められ、相変わらず親の呪縛は続いていくようだ。
あと何十年この生活が続くんだろう。
あと何十年親に気を遣って生きていくんだろう。
あと何十年生きるんだろう…。
とまで考えて、ハッなんて最低な考えを…!
と自己嫌悪に陥る。
毎日顔合わせなきゃならないあの生活に比べたら100万倍マシなのにね。
もっと遠くに住みたいな。
頻繁に帰れないところ。
東京とか、大阪とか。
理想は海外だけど。
親孝行しない子どもでごめんね。
でも、私の人生だから。
私は、私を幸せにしたいから。
子どもを欲しいと思わない
学生の頃、子どもが欲しくて欲しくてたまらなかった。
絶対に子どもほしいしというか当たり前に子ども作るし幸せな家庭築くぞ〜と息巻いていた。
現在。
社会人2年目25歳。
子ども欲しさ、皆無。
全っ然子ども欲しくない。
今の彼氏と結婚してこのまま2人仲良く裕福に暮らしていきたい。
なんでこんな180度考えが変わったんだろうって考えてみたんだけど、なんであの頃あんなに子どもが欲しかったかって、愛が欲しかったからだったって思い出した。
子どもは私にとって唯一無二の存在だし、私も子どもにとって唯一無二の存在になる。
私は子どもを心から愛すし、子どもは私なしでは生きていけない。
そこには絶対的な関係がある。
そこらへんの薄情な男みたいに心変わりされることも、裏切られることもない。
だから子どもが欲しかった。
絶対的な愛を保証されたかった。
でも、今の彼氏と付き合って、恥ずかしいけれど初めて「あぁ、愛されてるなぁ」と感じることができるようになった。
愛されるってこういうことだったのね、と。
すると、私の愛する彼氏から愛されるという状況になったおかげで、あんなに強かった子どもほしい欲がスーッと消えていってしまった。
え?子ども?いらなくない?
今の彼氏との生活が幸せすぎるからこの生活がずーっと続けばいいと思ってるし。
てか子育てってめちゃくちゃ大変じゃない?それでお互い余裕なくたってギスギスするの嫌だし。
それに子ども産まなかったらけっこう裕福に暮らせない?
精神的にも経済的にも余裕のある生活できるって最高じゃん。
てな感じで。
前ちらっと「子ども欲しくないな〜子なしでこのまま暮らしたいな〜」って言ったら即却下されましたね。
彼氏の子ども欲しさわりと強固だわ。
育ててくれた親への感謝として、孫の顔を見せたいらしい。
健全な親子関係すぎてなんも言えねぇ。
まぁ私自身考えがくるくるくるくる変わるのであまり強くは主張してないんだけどさ。
あと数年したらまた子ども欲しくなるかもしれないし。
というかまだ結婚もしていないし。
でもなんか今いかに子どもが欲しくないかを説明したくなって書きました。
やっぱり私は親が無理
私の親は、少し過干渉で少し束縛が強い。
毒親なんてものでは全然なく、まぁ世間一般に言う「堅いご家庭」というやつだ。
だから、親を嫌う、疎むことに罪悪感がある。
親に感謝できない自分は最低だと思うときもある。
でも、やっぱり私は親が無理。
先日、親に「彼氏と同棲するから」と報告をした。
私の親のことだから反対されるかもしれない…という不安は杞憂に終わることはなく、予想どおり「同棲するなら今すぐ籍を入れろ」との返答だった。
親からさまざまな言葉をかけられた。
「手塩にかけて大事に大事に育てた娘なんだ」
「安心してお前を彼に預けられない」
そういった言葉に吐き気がした。
心の底から気持ち悪いと思った。
まず、私は親から行動を制限・禁止されたり指示される筋合いはないと思っている。
だって私はもう自立した大人なんだから。
大学の頃までは「養われている身分なんだから従え」と言われたらもうなにも反論できなかった。
一番自由な時間が多い大学生。
いっぱい遊びたかった。
でも、親の支配に納得なんて全然できなくても従うしかなかった。
養ってもらっていたから。
でも、今はもう違う。
毎日ヒィヒィ言いながら自分でお金を稼ぎ、一人暮らしをして自分で生計を立てている。
もう、親に指示される筋合いも、それに従う筋合いも、なにもないでしょう。
次に「手塩にかけて大事に大事に育てた娘なんだ」という言葉。
その言葉に含まれる「子どもは自分たちのもの」「自分たちの育て方が良かったからこんな立派な人間になった」という驕りに虫酸が走った。
よくもそんなに恩着せがましい言葉を吐けるな。
私は大事に育てられたつもりはないし、なんなら育ててくれと頼んだ覚えも、さらに言えば産んでくれと頼んだ覚えもない。(さすがに反抗期の中二すぎるな)
あなたたちの言う「育てる」は、子どもを干渉・制限によって支配下に置き自分自身を満たす行為であり、ただの自己愛強すぎマンだからな。
親の制限のせいでどれだけしんどい気持ちになったかわからないっていうのにそれを「大事に育てた」なんて口が裂けても言わないでほしい。
そして「安心してお前を彼に預けられない」という言葉。
私はひとりの自立した人間であり、現在親に預かってもらっているとも将来彼に預かってもらいたいとも思っておりません。
私は大人であり、誰かに保護される対象ではありません。
私が、自分の人生を必死に生きてやっとつかんだ幸せを親に潰されるなんて絶対嫌だからな。
全ては私が私の責任のもと選択するのであり、親に介入される余地はどこにもない。
彼氏に話したら「それちゃんと説明してわかってもらいなよ」だって。
理解してもらえるなら説明してるよ。
もう何十年も戦ってきたからさすがにわかる、お互い理解しあうのは無理だってこと。
親は自分の考えは絶対に正しいと思うし私も自分の考えは絶対に正しいと思う。
だから諦めた。
唯一の解決方法は離れること。
遠くに行きたい。
すぐ会いに行けない、遠くへ。
ただの日記
毎日毎日、スーっと過ぎていく。
その日その日でたしかに嬉しいことや悲しいことがあったはずなのだけれど、総じて見るとスーっと過ぎている。
起きて、仕事して、寝る ×5
昼まで寝たり、彼氏と遊んだりする ×2
これを1セットとして、それがあと×何回続くんだろう。
あと何回繰り返されるんだろう。
生きる意味ってなんなのか。
そんな、あーモラトリアム真っ盛りの学生のとき考えたことあったよなんて言われそうな問いをこの期に及んでまだ考えている。
生きる意味なんてないのが正解だってわかってはいるけど、でも受け入れられない自分がいる。
ただ生きる。ただただ生きる。
それが人生なんだろう。
でも、ただ生きるにしては苦行が多過ぎないか、人生よ。
人生って、私にとってはゴールのない水泳なんだよ。
だだっ広い海原をひたすら泳いでいるイメージ。
なんで泳ぎ続けてるのか、どこに向かっているのか、あとどれくらい泳ぎ続けれるいいのか、全くわからない。
でも泳ぐのをやめたら死ぬ。
多分、考えたら負けなんだろうな。
考えたら人生に飲み込まれる。
1週間先、遠くても1〜2年先くらいまでしか見ない。
あと何十年もあると思うと気が遠くなるから。
その場その場で生きて、その場しのぎの楽しみをで脳を充満させるのが良いんだろう。
今日は昼まで寝て、ご飯食べてゲームやって夕方まで昼寝して、ご飯食べてゲームやって今に至る。
これこそ本当になんの意味もない1日だったわけだけど、そこに苦しいことはひとつもなかった。
幸福とは不幸でないことならば、今日はとても幸福な1日だった。
明日からまた仕事が始まる。
まったく、諦めの悪い奴だ。
生まれて初めて「死にたい」と思ったとき、私はツイッターを始めた。
最近、プロフィール画面に利用開始年月が表示される仕様になった。
どうやら私は2015年5月からこのアカウントを利用しているらしい。
あのときは生きることが辛くて辛くて、吐き出すように言葉を連ねていた。
一番初めの投稿は、たしか「考える葦じゃなくて普通の葦になりたかった」みたいなやつだったと思う。
そして現在。
引き続き辛い。
今も「ダンゴムシになりたい」だとか「カバになりたい」だとか、ひたすら人間以外の何かになりたいと願っている。
ツイッターを始めてなんと3年の月日が流れている。
もう3年も死にたいと思いながら生きているのか。
そこでふと考える。
いつ、見切りをつけるべきなのか。
どのタイミングで諦めるべきなのか。
死にたいと思った大学休学時から、様々な環境の変化があった。
就職が無事決まり、晴れて社会人生活スタート、最高の彼氏ができた。
至極順風満帆のように見える。
でも、死にたい。
この鬱々とした気持ちは変わらない。
こんなに状況が変わったのに死にたいって、じゃあもうどうすりゃいいんだ。
「止まない雨はない」
そうだね、その通りだね、たしかに雨はいつか降り止む。
私だって、四六時中死にたいって思っていたわけじゃない。
生きようと思っていた時期だってある。
例えば就職がしたてで全てが新鮮だった頃だとか、彼氏との生活が楽しくて仕方ないときだとか。
でも、そんなちょっとした晴れ間なんて長くは続かなくて、またすぐに雲に覆われてはいつもの雨に逆戻り。
多分私は環境を変えれば良くなるとかそういう問題ではなくて、私という個体が精神的に弱くて社会に順応することが難しい仕様になっているんだと思う。
ただ、こんなに死にたい死にたいと思っていても、他の死にたい勢の人たちと違わず、やはり実行にはなかなか移せない。
この期に及んでどこか、なにかに期待してしまっている。
だから、なんとかして生きようと思えるようにならないかと日々模索しているけども、答えは見つからない。
八方ふさがり。完全に手詰まり。
だから、どこかで見切りをつけないといけないんだと思う。
どこかで諦めなきゃならない。
私はやっぱり無理でした。人間として生きるのに向いていませんでした。
このままずるずる生き続けてもしんどさばかりが積み上がり精神的苦痛が増すだけなので覚悟を決めて死にます。さようなら。
みたいに。
そう考えながらも、今日もその見切りとやらをつけることができずヒィヒィ言いながら生きている。
コミュ障にダブルデートは無理だ
今日明日と、彼氏と彼氏の友達カップルと4人で旅行の予定だった。
今、私はひとりホームで帰りの電車を待っている。
事の始まりは2ヶ月前。
「今度4人で釣り旅行行くことになったから空けといてね」
なんの前触れもなく通達された。
私は、自分の親友に会わせたいと思ってくれたことへの嬉しさと彼氏の大事な親友の前でしっかりと振舞わなければならないというプレッシャーとでなんともいえない気持ちに襲われていた。
私はかなりのコミュ障だと思っていて、親しくない人と当たり障りのない話を楽しく行う能力が欠如している。
しかも今回はかなりハードルが高く
①かなり素を出して自然体で接している彼氏とかなり気を遣い慎重に言葉を選びながら適切な話題を選ばねばならない見知らぬ人たちが同居するため自分の振る舞い方が定まらない
コミュ障というか、自意識過剰というか、 - れんちゃんのブログ
↑詳しくはこの記事を読んでほしい
②一泊二日という長時間にわたりかつ寝食を共にするイベントのため想定される疲労がキャパシティを優に超える
③彼氏とその親友の趣味である釣りを私は2回しか体験したことがなく勝手や楽しみ方がよくわからない
とコミュ障殺しの条件がこれでもかというくらい完璧にそろっていた。
たしかにダブルデートって憧れるよな、コミュ強勝ち組の代名詞じゃん。
それをこなすことができればかなりの自信に繋がるだろうな。
でも絶っっっっっっっ対無理。
絶対うまくやれない。
絶対終始無言で空気をぶち壊すか張り切りすぎて空回りした発言を連発して空気をぶち壊す。実績もある。
絶っっっっっっっ対行きたくない。
でも、私は誘いを断ることができなかった。
それはもしかしたらわりとうまく立ち回れて楽しく過ごせちゃったりするんじゃないだろうかといううっすらとした希望がなぜか生まれてしまったからであり(憧れがすごかったので)、彼氏が「おまえがコミュ障なのは知っている。緊張しても空回りしても大丈夫ちゃんと橋渡しするしそういうのも全部見越してるから。大丈夫だよ絶対」と何度も言ってくれたからでもある。
甘かった。非常に甘い考えだった。
当日。途中のSAでまず顔合わせをした。
「初めまして〜よろしくお願いします」
と言葉を交わしたほんの1分足らずで感じた。
無理。
無理無理無理。
友達カップルが放つ圧倒的な陽のオーラ。
今まで私以外の3人で仲を深めてきたことがわかる親密な空気。内輪の雰囲気。
「じゃあ俺ら先に行ってるわ〜」と友達カップルが出発した瞬間、
泣いた。えげつないほど泣いた。
「◯◯(彼氏)くん本当にごめんなさい、やっぱり私無理だ。こんなことして許してくれなんて言わない。愛想つかされてもしょうがないと思う。それでも私は無理だ。本当にごめんなさい」
と口早に謝罪して全速力で逃げた。
そう、脱走を図ったのである。
ここは高速道路上のサービスエリア。
冷静に考えて逃げ場などない。
でも私は逃げた。全速力で走った。
「は?待てよ!!」と彼氏も全速力で追いかけてくる。
こんなにガチで鬼ごっこをしたのは久しぶりだった。そして、すぐに捕まった。
「は?まだ挨拶しただけじゃんその数分でなにがわかるんだよ大丈夫だよ絶対大丈夫だから」
となぐさめられ、絶対に帰りたいという思いは変わらないがここで逃げても帰る術がないと諦めしぶしぶ目的地まで同席することにした私。
絶対大丈夫なわけないし事実全然大丈夫じゃなかった。
釣りが始まってからも私は無の心で竿を投げては引くを繰り返し、他3人のキャッキャした会話に全く入ることができず、気を遣って話しかけてくれた彼女さんにも「あ、ハイ…」「そうなんですか…グヘ…」というなんもと味気なく気持ち悪い返しをしてしまい、気づけば1人かなり遠のいたところに位置してしまっていた。
しばらくしたら彼氏が「ごめん、おまえがここまでだとは思わなかった。ほんとごめん。全然楽しくないよな。帰る?おれうまいこと言っとくから。駅まで送るよ」
こうして私のダブルデート大作戦は開始1時間で終了した。
彼氏には本当に申し訳ないことをしたと思う。顔にヘドロを塗りたくった。
旅館の手配などあらゆる準備をしてくれた友達カップルには一生顔向けできない。
私は大人になってから付き合った人が今の人の前に2人いて、どちらも一度ずつ友達に会わせてもらったことがあった。
そのどちらもたった数時間話しただけにも関わらず評価が最悪で、「あの発言はやばいでしょ」「え、あの子大丈夫?」「他にもっといい女の子いっぱいいるでしょ」などと彼氏及びその友人ともに酷評の嵐だった。
マジでキツかった。
だから今回はできるだけ発言せず話しかけられたら相づちをうつという姿勢に徹していたのだが、結果あまり楽しくなさそうというオーラをバンバンに放ってしまい相手方にかなり気を遣わせてしまった。最悪だ。
彼氏はほんとうにできた人間だと思う。
無理に連れ出したことを心から詫びてくれたし(断らなかった私が悪いのに)、「人には得意不得意があるから。おまえがこういうの苦手っていうのがわかっただけで嫌になったり愛想つかしたりなんてするわけない」と言ってくれた。
自分の恋人を友達に会わせるってわりと覚悟いることだと思うし、それをあんなに嫌がられて離脱までされたらふつう気分良くないと思う。呆れるでしょ絶対。
そういう気持ちに全くならずにむしろ優しくなぐさめてくれる彼氏はほんとうにいい人だと思う。
こういう人と一緒にいられたら心の底から幸せだと思う。
でも、だめだ。
彼氏の良さを感じれば感じるほど、自分のコンプレックスが刺激されて苦しくなってしまう。
私は不釣り合いだ。重荷でしかない。
もっと、社交的で愛想が良い陽に当たった女の人と一緒になったほうが幸せになれると思う。
もう、どうすればいいんですか。
どうすればいいっていうんですか。
3連休、スタートです。