壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

大いなる錯乱  アミダヴ・ゴーシュ

大いなる錯乱  気候変動と〈思考しえぬもの〉 アミダヴ・ゴーシュ

三原芳秋・井沼香保里 訳 以文社 図書館本

インド生まれの作家アミダヴ・ゴーシュの小説はこれまでに三冊読んでいる。SFめいた『カルカッタ染色体』、大河小説ともいえる『ガラスの宮殿』、イスラムとヒンズーの紛争を背景にした『シャドウ・ライン』。どれも印象的なものだった。ゴーシュの小説は他にも何冊かあるが、それ以降邦訳されていないなと残念に思っていた。もしかしたら、タゴールの次にインド人としてノーベル文学賞を受ける人じゃないかと密かに思っているのだが・・・

図書館のリストを漁っているうちに見つけたのが、本書『大いなる錯乱』(2022年)と『飢えた潮』(2023年)。講演を元にした本書、ノンフィクション『大いなる錯乱』は三部構成で、「物語」「歴史」「政治」、巻末に訳者によるインタビューがある。

気候変動という複雑な問題を、インドそしてアジアの視点からとらえ直した議論が展開されていて、文学と社会学など幅広い分野の議論には付いていくのは大変だったが、久しぶりに頭を使った。また、巨大なサイクロンに襲われるインドの事情などを知った。ゴーシュの小説『飢えた潮』はガンジス河口のマングローブを舞台にしているという。ぜひ読みたい。アヘン戦争を題材にした『アイビス三部作』は未翻訳だ。

 

以下、印象的な点をメモしておいた。もうすぐ、図書館に返さなければならない。

 

気候変動というとらえどころのない危機に関する文学(文芸)作品は少ないという。気候変動の話題を扱ったものはSFのジャンルに押しやられている。文学的想像力においては、気候変動があたかも地球外生命体や惑星間旅行と同類のものとみなされている…と舌鋒が鋭い。

気候変動をもたらしたものとして、資本主義の他に帝国主義があげられるという。温暖化の脅威にさらされている人びとの大多数がアジアに住んでいて、気候危機を回避するための戦略は、アジアの中で機能しない限り、グローバルな戦略になりえない。

西欧が先んじて進めた温室効果ガスの蓄積に加えて、脱植民地化後のアジアの急激な経済成長ももちろん気候変動の要因にはなっている。植民地支配がアジアの経済成長を遅らせ、結果として二酸化炭素濃度の上昇を遅らせたのは皮肉な結果だ。

人間の想像力が捕らえそこなうような規模のあまりに大きな気候変動は、人間中心の考え方ではとらえきれない。近代化の恩恵を享受できないまま終わるのはおかしいというアジアの(またグローバルサウスの)貧しい人々の権利の主張は正当ではあるが、そうした議論によって、アジアの人々は〈大いなる錯乱〉にはまり込み、自己破滅に向うことになる。

歴史的経緯は様々でも、人間が引き起こした気候変動は人類という生物種が存続していることの意図せざる帰結であり、気候変動に伴う諸事象は人間の歴史全体の抽出物だ。  等等

半沢直樹シリーズ 全5巻  池井戸潤

半沢直樹シリーズ 全5巻  池井戸潤  Audible

 オレたちバブル入行組

 オレたち花のバブル組

 ロスジェネの逆襲

 銀翼のイカロス

 アルルカンと道化師

読書出来ない日が続いたが、Audibleの2回目のお試し期間でシリーズ5巻を聴き切った。面白いという評判を聞いてはいたが、ドラマは見ていなかった。今さら本を読むのも、ドラマを見るのも周回遅れの感がある。しかし散歩や家事をしながら聞けるオーディオブックは気楽に楽しめる。こういう痛快エンターテインメント小説は耳からでも理解しやすい。朗読も上手なのだろう、声色が多少わざとらしいが、聴き慣れてくると人物の判別がつきやすい。そしてなにより面白い。

しかし、耳から聴いた話はすぐ忘れてしまう。人物名も漢字をみないと記憶できない。だから、これ以上ここに書くことはないが、合計50時間ほど、眠りながら聴いた(っていうか聴いていない)時間を含めると100時間以上楽しめたことは確かだ。睡眠導入に何より役に立った。

もうすぐAudibleのお試し期間が終了するが、痛快エンタメ小説の中毒になりそうなので、更新はしないでおこう。

生命とは何か   ポール・ナース

生命とは何か   ポール・ナース

竹内薫訳  ダイヤモンド社  図書館本

生命とは何か 物理的にみた生細胞 シュレーディンガー 

岡小天・鎮目恭夫 訳  岩波文庫  電子書籍

ポール・ナースの『生命とは何か』を読むにあたって、まずは、シュレーディンガーの『生命とは何か』を再読した。再読とはいえ、50年以上前の学生時代に読んだ岩波新書はもう書棚にはない。内容も〈負のエントロピー〉以外は、ほぼ覚えていないので、電子書籍を購入。「シュレーディンガー波動方程式で生命を説明できる」なんてことは一言も言っていないw。熱力学の第二方程式に従って無秩序や混沌に向かう宇宙の中で、生物たちが何世代にもわたって、どのように生命という秩序を保ってきたのかという命題において、遺伝を支えている物質は何なのか?という思索が非常に詳細になされていた。

DNA二重らせん発見(1953年)以前の1944年の出版なので、仮想的な遺伝子の物質的実体は明らかになっておらず、染色体を構成している成分の1つであるタンパク質が遺伝子の候補にあげられてはいたが、遺伝という高度に秩序だったものを現在の物理学で説明できないかもしれないと悩んでいた節があり、その議論には隔靴掻痒の感があった。当時、デオキシリボ核酸(DNA)は単純な繰り返し構造を持つと信じられていたため、遺伝情報を内包できない、ただの構造物であると考える意見も多かった。

1953年にワトソンとクリックがDNA二重らせんと塩基対合の中に、遺伝情報と情報の複製に合理的解決を示した時、シュレーディンガーはどんな反応をしたのかが気になる。長年の疑問が解けて、

スッキリしたかな?

 

ポール・ナースは細胞周期のメカニズム解明でノーベル賞を受賞した細胞生物学者だ。異色の経歴は本書の中でも紹介されていた。

ポール・ナースの『生命とは何か』は、読みやすくて明快な本だった。生物学の重要な五つの考え方を説明し、そこから生命を定義する「統一原理」を導き出すという。

五つの重要な考え方は、1.細胞、2.遺伝子、3.自然淘汰による進化、4.化学としての生命、5.情報としての生命、である。どの項目も、生物学の歴史から説き起こす簡潔な説明と、自分自身の研究や生い立ちのエピソードが挟み込まれていて、読みやすかった。特に「5.情報としての生命」の章は読み応えがあった。生物学は必ずしも分子レベルの領域に還元する必要はなく、情報を中心に据えた生命観を念頭に置くことによって、異なる分野の科学者たちが情報という観点から交流することが重要、科学の進歩の恩恵を享受する一方、知識は諸刃の剣であるともいえる、など現代社会への思索も分かりやすい。

最後に「生命とは何か」=「進化する能力を有するもの」と定義されている。超自然的な創造主を引き合いに出さずに、生物をつくり出せるメカニズムが進化だという。

生命を定義する原理は三つ。

  • 進化を支えるものは、生殖、遺伝システムとその変動。
  • 細胞のような、外界との境界を持ち、かつ外界(環境)とコミュニケーションをとる物質的存在。
  • 生き物は化学的、物理的、情報的な機械であり、自ら代謝、成長、再生する機能を持つ。

以上の三つの原理が合わさって初めて生命が定義される。この三つすべてに従って機能する存在は、生きているとみなすことができる。生命の定義として、シンプルで分かりやすい。

とてもスッキリした!

もう一つ、最後の印象的な一節を引用しておく。

地球上のすべての生命は生存競争を生きぬいた偉大な同志だ。人間だけがその深い絆を理解し、その意味に思いを馳せることができる唯一の生命体だ。だから地球の生命に対して、特別な責任を負っている。

うるさいこの音の全部  高瀬隼子

うるさいこの音の全部  高瀬隼子

文藝春秋  図書館本

『おいしいご飯が食べられますように』で芥川賞を受賞した著者の、実体験を模したような小説『うるさいこの音の全部』。

大手のゲームセンターの社員として働く長井朝陽は、ひそかに書き続けていた小説で新人賞デビューした。ペンネームは早見有日。規定上、職場には報告はしたが、いつの間にか大々的に身バレして、周囲が騒がしくなる。いつもはゲーセンで働く朝陽は、有日としてテレビに出たことで、会社の社内報のコラムを頼まれる。コラムを朝陽として書くのか、有日として書くのか、大きな戸惑いを感じ、すぐには断り切れない。「人に嫌われたくないけど、人に嫌われるようなことを書くのは平気だから不思議だ」と朝陽は思う。

有日の書く小説の主人公の「わたし」は、嫌われそうなキャラだ。朝陽の日常の描写に、早見有日の執筆中の小説が作中作として交互に挟み込まれているのだが、日常と作中作がだんだんと接近していくようで、会社員の朝陽と作家の有日と、作中作の「わたし」の区別がつきにくくなってくる。朝陽自身も一瞬分からなくなるし、読んでいる読者も混乱してしまう。

 

明日、ここは静か』は芥川賞を受賞した後の早見有日。雑誌の取材やインタビューで、自分の事を話さなければならない場面で、つい嘘をついてしまう。体のいい嘘を並べ立てているうちに、出身地の地元でも、事実でないような話が広がってくる。雑誌記者に「嘘っぽい」と言われ、担当編集者にも本音を言って欲しいといわれるが、「わたしは言いたいんじゃなくて書きたいんです」という言葉を早見は飲み込んだ。

 

早見=朝陽と思い込む周囲の人々と同じく、朝陽=高瀬隼子と勘違いする読者もいる。日常を描写する小説の場合、著者の姿が小説に紛れ込こんでいると読者が思うのはやむをえない。作家を売り込むことで作品が売れるという事もあるのだろうが、作家のプライベートを知りたいと思う読者ばかりではない。芥川賞直木賞の作家は顔出しさせられて気の毒な気がする。作品と作家とは別物だと思うけど・・・。 

香子(四) 帚木蓬生

香子(四) 帚木蓬生

PHP研究所  図書館本

『香子(三)』に続き、560頁の(四)にまた一週間以上かかった。

香子(紫式部)の物語は、中宮彰子の第一子・第二子(一条天皇の第二皇子・第三皇子)を出産して間もなく一条天皇崩御し、彰子が皇太后となるまでの五年間が簡単に書かれている。三十六歳となった香子自身に大きな変化はないが、父為時が越後の国守となって、弟惟規が越後で客死している。

源氏物語』は、「下若菜」から「総角」まで。厄年三十七歳の紫の上の具合が悪くなり、六条院に取り残された女三の宮は柏木との若君(のちの薫)を懐妊し、出産後に出家、柏木もなくなる。四十代後半となった光源氏は老年期と捉えられていて、物語の中心は息子の夕霧に移っている。紫の上が亡くなり、光源氏も出家を決意したところで「幻」の帖が終わる。さらに物語の中心は世代交代し、光源氏の息子である薫と、孫である匂宮の「宇治十帖」が始まった。

「柏木」「横笛」の帖は、苦しみと悲しみに満ちた物語となっている。不義の子として生まれた若君が育っていく可愛ささえ、痛ましいような気持になる。「憂し」という気分だ。

「幻」で出家を決意した源氏のその後は、「あえて書かなかった」と香子が語っているが、読者である女房達は登場人物に入れ込んで、出家した源氏のその後を巡って、二次創作のような物語を語り始めた所が、とても面白かった。

源氏物語』の後半は登場人物の心情の表現が細かく、心の中を丁寧に描いているので、ストーリー展開が遅い。さらに、本名ではなく職名や呼び名しか書かれていないので、どこの誰だか混乱することが多い。「竹河」に出てくる玉鬘の子孫にあたる大君と中の君(長女と次女)と、宇治に住む八の宮の大君と中の君の区別がつかなくて、混乱してしまった。宇治十帖の前の「竹河」の出来があまりよくないと香子に言わせている。

自分の出生ゆえに内省的な薫と良いとこのお坊ちゃんである匂宮の、浮舟を廻る三角関係を描き切る『香子(五)』は、あと数日で発売されるらしい。図書館で借りられるのはもっと先だが、楽しみに待とう。

おいしいご飯が食べられますように 高瀬隼子

おいしいご飯が食べられますように 高瀬隼子

講談社     Audible

二回目のお試し期間で聴いたオーディオブックです。ありふれて見えた人間関係が実にスリリングでした。小さな営業所の会社員たちの食事事情は「サラメシ」風ですが、お仕事小説ともグルメ小説とも恋愛小説とも一味違う、人間関係を深堀した小説です。

仕事が出来ないけれど、か弱くてかわいくて、周囲の人間の保護者意識を掻き立てる芦川が第一の人物です。芦川の視点は小説の中に一つも出てこないのですが、自分が対応できないタスクを避けるように体調不良で早退したのに、次の日にお礼と称して手の込んだお菓子を焼いて皆に配るというような女性です。その芦川と付き合っているのが二谷で、仕事ができてクールに見えるけれど、美味しい食べ物に複雑な嫌悪感を持っているので、芦川の手料理に密かに閉口しています。後輩の社員の押尾は体育会系女子ですが、早退した芦川の仕事の穴埋めを残業してやらざるを得ず、芦川に反感を持ちますが、二谷には好意を持っているので、二谷にある提案を持ち込みます。

小さな営業所内の長時間労働、配慮義務、同調圧力を背景にして、三人の屈折した関係が面白く描かれています。この三人に、共感と反感の両方を同時に持ちながら、複雑な思いで読みました(聴きました)。ほんとうは字で読みたかったけれど、芥川賞受賞作は値段が高いままです。

進化のからくり  千葉聡

進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語  千葉聡

講談社BLUE BACKS   Audibleと紙の本

『歌うカタツムリ』の著者による、進化学を巡るエッセイ。Audibleの聴き放題で見つけて、積んであった紙の本と並行して読みました(耳学問だけでは理解しにくい所があります)。

各章の導入部分の掴みも面白いのですが、もっと面白いのが進化生物学者たちの生態です。フィールド調査に向かう研究者達のエネルギーと、進化の謎を解きたいという彼らのあくなき好奇心に元気と笑いを貰いました。

取り上げられているトピックは以下の通り。ダーウィンフィンチ、生物の左右非対称性、左巻きのカタツムリ、カワニナの種分化、琵琶湖のカワニナの適応放散、著者が古生物学から進化学へ進化した話、ハワイ島の蜘蛛、小笠原のカタツムリ、過酷なフィールド調査、ホソウミニナの陸上進出、ホソウミニナを駆り立てるモノ、カタツムリの右巻き左巻きと種分化、ガラパゴスの陸貝。

どれも面白いトピックですが、特に興味深かったのが、カワニナの種分化と琵琶湖のカワニナの適応放散で、十数年の長きにわたった努力が日の目を見た話です。もう一つはホソウミニナの陸上進出の話で、干潟の中で海側と陸側で形態の異なるホソウミニナが種分化ではなく、実は寄生虫(二生吸虫)による生態と行動の変化だったという驚きの話です。話の展開が面白くて楽しく読ませてもらいました。

カワニナの研究者の三浦博士は物腰柔らかな礼儀正しい紳士とあり(第4章)、ホソウミニナの研究者のミウラ君は眼光鋭いコワモテな学生とありますが(第10章)、これって、たぶん同一人物ですよね。進化生物学者もまた進化しているという事でしょうか。

進化学自身もまた、進化し続けているという話は『歌うカタツムリ』に詳しく書かれていて、さらに『ダーウィンの呪い--人類が魅入られた進化学の「迷宮」』が去年出版されています。『歌うカタツムリ』で指摘されていた、海洋島のカタツムリが生物農薬として持ち込まれた捕食者が原因でほぼ絶滅したという話は、『招かれた天敵--生物多様性が生んだ夢と罠』に詳しい様です。読みたい本の中に入れておきます。