本館をはてなブログに移行
はてなブログのアカウントを取ってからはや6年近く経つ。ブログの更新もすっかり途絶えているのだが、最近またいろいろ書いてみたいと思うようになり、とりあえずはてなダイアリーの「米中毒本館」の記事をはてなブログに移行することにした。
移行の説明ページがこれ。
ここに書かれている手順に従うと、はてなダイアリーからはてなブログに簡単に記事を移せる。コメントやブックマークも移されるし、はてなダイアリーのトップページや個別の記事のURLからはてなブログのトップ/個別ページへのリンクも張られる。
記事のフォーマットについては、はてな記法で書かれているものとして移行してくれるのだが、以下の2点がうまくいかなかった。
- はてな記法にHTMLのタグを混ぜて書いているとうまく表示されない
- 段落の間に空行を入れていないと、段落と段落を離して表示してくれない
特に1.は困る。具体的には、私は記事を引用する時に
><blockquote cite="http://example.com" title="ページタイトル">
<p>
... 引用テキスト ...
</p>
</blockquote><
という形式を使っていたのだが(なぜこれを使うようになったのかは忘れた)、これだと移行後の記事では記事全体がここで切れてしまう。
HTMLタグの取り扱いについては上記ページの注意書きに書いてある。
HTMLタグの扱いの違いに注意してください。はてなブログでは、はてなダイアリーと違ってHTMLタグがすべて利用できるため、<と>で囲まれた任意の文字列をHTMLタグとして解釈します
はてなダイアリーからのインポート(ブログの移行) - はてなブログ ヘルプ
どうやらこの点は、以下のエントリに書かれている問い合わせが契機になってはてな内で議論され、注意書きができたものらしい。
いずれにしてもこのままではダメである。幸い本館には60エントリしか書いていなかったので、上記2点をすべて手で編集して正しく表示されるようにした。やれやれ。
米中毒別館の方も移行してはてなブログで一括管理したいのだが、サブアカウントを移行する方法がわからない(ないのかもしれない)し、別館の方は800エントリ以上あって、上記を手で直す気にはとてもなれない。したがってそちらははてなダイアリーのままでいくことになりそうである。
色覚異常(5) 検査
だいぶ前のことになってしまったが、3月に色覚の詳細な検査を受けてきた。
私の色覚異常がわかったのは小学1年の健康診断の時だった(→ 色覚異常(3) 発覚)のだが、それ以来石原式検査表以外での詳しい検査を受けたことがなかった。特に必要に迫られているわけではないものの、どの程度の異常なのかもう少し詳しく知っておきたいとかねがね思っていた。動機はほとんど好奇心である。強いて言えば、自分の孫(娘たちの子供)に出るかもしれない影響を知っておきたいというのもある。
検査を受けたのは、色覚の問題を考えるボランティアグループ「ぱすてる」の検査・相談機関のページに載っていた、大阪府守口市の卯月眼科。色覚の詳細検査を受けるには事前予約が必要。
予約していた時間に行くと、まず普通の眼科診断(眼球に光を当てて診る、光を目で追うテスト、問診など)を簡単に受けたあと、色覚の検査へ。
現在一般に行われている検査の内容が滋賀医大眼科学講座の臨床的色覚検査方法のページで解説されている。これらの検査をほとんど全部受けた。
- 石原式検査表
おなじみ、小さな丸がたくさんある中に見える数字を答える。いつもの通り、ちゃんとわかったのは最初のページだけだった。 - 標準色覚検査表(SPP)
こっちだったと思う。東京医大表(TMC表)の方もやったかもしれない。やはり数字を当てるのだが、こちらは色のついた丸が格子状に並んでいる。あまり考えずに感覚で答えた。わからないものが多い。 - 色を近い順に並べる(多分、パネルD-15テスト)
上面に色が描かれた16個の駒を色の近い順に並べる。最初の1個が指定され、それに近いと思うものから置いていく。
迷いながら並べていくと、どこにも入れられないものが出てきてやり直す。それでも多分間違っている。こんな微妙なものに「正しい順番」があるようには見えないのだが、正常な人はほとんど一発で正しい順番に並べるらしい。 - 半円同士の色を合わせる(多分、アノマロスコープ)
視力検査で使うようなスコープをのぞき込む。上下の半分が塗り分けられた円があり、一方の色を変えていって、もう一方と同じ色になったと思ったところでストップ。単純なだけに、どのくらいずれた色に設定してしまったのかは全然わからない。 - ランタンテスト
運転免許の更新の時に受ける信号のテストと同じように、縦に出てくる2つの信号の色を次々に答える。正常な人にとっては「なんでこんなテストやるの?」というくらい簡単なテストらしい。これに四苦八苦。違う色が出ていることは一応わかるのだが、途中からどれを緑、どれを黄、どれを赤と呼ぶべきなのかわからなくなってしまい、かなりメチャクチャな答になったように思う。印象としては、免許の更新の時のテストより難しい。
いずれのテストも正解がどうであったのか教えてもらえないので、どれくらい合っていたのかはわからない。しかしどれも答に全く自信が持てない状態。はずしまくっていたことは間違いない。そのはずし方の傾向をみて、どのタイプの色覚異常かが決められる。
で、私に下された判定は「2型2色覚」。
それは一体どんな異常なのか? 色覚異常の分類については、以下のページに解説がある。
- 色覚異常 - Wikipedia
- 色覚異常の分類 (滋賀医大眼科学講座)
これらによると、
- 眼の中の色を識別するところは錐体(すいたい)細胞と呼ばれ、L錐体、M錐体、S錐体の3種類がある。それぞれ、長波長(赤/黄付近)、中波長(緑/黄緑付近)、短波長(青付近)の光の識別を担当。
- これら3つの錐体がそれぞれ働いているかどうかにより、2の3乗 = 8通りの状態がある。3つとも働いているのが正常、他の7通りはいずれも色覚異常。
- その他に、3つのうち1つが異常な錐体で置き換わっている場合がある。これらが3通り。
- 合計すると、全部で10通りの色覚異常がある。
で、私の場合はM錐体が働いておらず、L・Sだけを使って色を認識しているという判定。2つだけ使っているので2色覚、欠損しているのが真中のM錐体なので2型。
検査結果は自分で思っているより悪く出るとは聞いていたが、3つのうち1つが全く働いていないという結果には驚いた。そこから受けるイメージは、自分の日常生活での実感とは大きく違う。しかし上記ページにも書かれている通り、M錐体の機能はL錐体でかなり補われるらしい。その結果として日常生活でほとんど支障のない状態になっているのだと思う。
言われてみれば、なんとなく自分は緑系統の感覚が弱いというか、緑色のインパクトが他の色に比べて弱いような気がする。しかし他の人の色覚を体験して比べることができるわけではないから、本当のところはよくわからない。
自分の色覚異常の程度がわかったからといって色が見分けやすくなるわけではないので、これからの生活への影響は特にない。しかし長年知りたかったことがわかったので満足だった。
廊下を曲がれる棒の長さに関する問題
高校の時に目にした数学の問題で、ずっと印象に残っているものがあった。多分「大学への数学」かその別冊に載っていたのだと思う。自分で解いたことはなかったし、答も全く覚えていなかったのだが、最近ふと思い立って、ちょっとカンニングしながらも解を導くことができた。日本語のサイトで解法を書いてあるページを見かけない(答を書いてあるページはあるが)ので、ここに書いておく。
問: 幅の廊下から幅の廊下へ直角に曲がる曲がり角がある。この曲がり角を水平に持って曲がれる棒の長さの最大値を求めよ。
図のような曲がり角を通っていくことのできる棒の長さは最大どれだけかという問題である。
【解答】
曲がり角をギリギリで曲がろうとすると、下図のように棒の両端A, Bを壁につけ、途中を曲がり角Cに当てた状態で動かすことになる。動かしている間中ずっと棒は廊下におさまっていないといけないから、このような状態で棒の長さを可変と考え、棒を傾けていったときのABの長さの最小値を求めればよい。
角OBAをとすると、棒ABの長さはの関数で表せる。、であるから
求める長さは、の範囲でのの最小値ということになる。
の範囲ではとは常に正で、がに近づくときはに、はに近づく。がに近づくときはに、はに近づく。したがってがに近いときは負になるからは減少し、がに近いときは正になるからは増加する。途中となるをとすると、そこでは最小となり、求める長さはである(このあたりは増減表を書いてみるとわかる)。
よってのとき、, であることとを使って
したがって
- ,
これらとの定義式から、求める長さは
結構きれいな式になるものである。のとき(45度)、となる。, の片方が他方に比べ極端に大きいときは、曲がり角でほとんど回転できないため、大きい方に近い値(広い方の廊下の幅に近い長さ)になる。
How to Grow a Woman from the Ground (Chris Thile)
How to Grow a Woman From the Ground
- アーティスト: Chris Thile
- 出版社/メーカー: Sugarhill
- 発売日: 2006/09/12
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (3件) を見る
ところが、最近The Grasscastというポッドキャストでのインタビューを聴いて彼のコメントを頭に入れてから聴いてみると、これはスゴいアルバムである。うまいだけではなくバンドとしてのノリが尋常ではない。なぜ自分の評価がこんなに変わるのかよくわからないのだが、そのアルバムや曲の話をよそで聞いて「気持ちの入口」ができた後だと印象が大きく変わってくるということは時々ある。
スタジオライブ仕立てのアルバム(マイク2本を立てて一発録音)であることもいささか影響しているかもしれない。買ったころは主にスピーカーで聴いていたので、各自に1本ずつマイクを使ってミキシングした録音に比べてインパクトが弱いように思っていたのだが、ヘッドフォンで聴いてみるとチームワークがビシバシ伝わってきて臨場感満点である。
1曲目のインスト"Watch 'At Breakdown"は最初に聴いた時からインパクトがあった。上記インタビューによると、クリスはベラ・フレックの"Whitewater"("Drive"収録)が最強の「アルバム1曲目」だと思っているらしく、"Watch 'At Breakdown"はそれへのトリビュートだという。
それと"Brakeman's Blues"。ブルース進行のブルーグラスの曲はいくつも聴いているのだが、なぜこうも高揚できるのだろう。最初聴いた時は「おお、クリスも『レイホー』やるのか」と思っただけだったのに。
少年向け冒険小説を洋書で読む
昨年から英語の小説を少しずつ読んでいる。自分の英語力に合わせてそれほど難しくないものを、と探していくと、少年向け冒険小説に行き当たる。複数巻にわたるシリーズものがざくざく出てきて、紹介文を読んでいるだけでも楽しい。日本にはそういう小説があまりないからよけいにはまる。
そういう「シリーズものの少年向け冒険小説」について、Webや口コミで知って実際に読んだりいつか読もうと思っているものをここらでまとめてみる。原書と日本語版それぞれの第1巻のAmazon画像を貼っておく。
まずはちょっとでも原書を読んだことがあるものから。
- Darren Shanシリーズ(Darren Shan, 全12巻)
主人公Darren Shanが親友Steveと「Cirque Du Freak(奇人サーカス)」を観に行ったことから人生が狂い始める。彼はhalf vampire(半吸血鬼)になってしまい、家族とも離れ離れに。波乱万丈の旅が始まる。
ハリー・ポッターに比べれば知っている人は少ないが、日本ではマンガにもなっている人気シリーズ。3巻ごとに話が一段落するが、最終第12巻までつながっている。現在第8巻まで読んだ。緩急はあるものの退屈させない展開で、どんどん先を読みたくなる。吸血鬼ものだが、子供向けだけあってそれほど気持ち悪い描写は出てこない。英語はかなりやさしい。複雑な構文や難しい単語を使わないようにしているのがわかる。といってもあくまでネイティブの子供にとっての話で、私の知らない単語はたくさん出てくるが。
原書を読んだあとで日本語版を読むと、子供っぽい言葉で書かれているのでギャップを感じる。興味がある人は原書にトライするといいと思う。
著者の名前もDarren Shan。現在新シリーズ"Demonata"が順次刊行されている。こちらは全10巻らしい。
→ Darren Shan - Author of the Darren Shan Saga and The Demonata
→ ダレン・シャン
- Magic Tree Houseシリーズ(Mary Pope Osborne, 全28巻)
JackとAnnieの冒険。英語の小説の入門として読むのにちょうどいいかもしれない。私はまだ読んでいないのだが、妻がファンで、原書の方でもう20巻以上読んだらしい。英語はDarren Shanシリーズよりさらにやさしい。どの巻も数十ページしかなく、どんどん読み進めるはず。話は各巻一応完結しているが4巻ごとに一段落。ずっとつながっているわけではないので、全巻読まないといけないというプレッシャーはない。
シリーズ続編としてMerlin Missionsシリーズというのがあり、これを入れると全37巻になる。またMagic Tree House全28巻のうち15巻にはResearch Guidesという解説書が出ている。
→ Magic Tree House
- Harry Potterシリーズ(J. K. Rowling, 全7巻)
言わずと知れた、である。魔法使いHarry Potterの冒険。大人気のこのシリーズも最新7巻の"Harry Potter and the Deathly Hallows "で完結するらしい。
英語はかなり難しい。ネイティブの友人に聞いたら、子供向けといってもレベルの高い英語を使っていて、日本でいう小学校高学年以上が対象という感じだった。だいぶ前に、第1巻を日本語で読んだあと同巻の原書にチャレンジしたが挫折。いつか再挑戦したい。
作者のJ.K.Rowlingはイギリス人で、洋書はオリジナルUK版(イギリス英語)とUS版(アメリカ英語に「翻訳」したもの)の2つが出ている。第1巻はタイトルまで違う(UK版: "Harry Potter and the Philosopher’s Stone"、US版: "”Harry Potter and the Sorcerer’s Stone")。我々はUK版の方を読んだ方がいいと思う。日本人はアメリカ英語に慣れているからUS版の方がわかりやすいという話も聞くが、どうせなら作者の書いた原文を。
→ J.K.Rowling Official Site (日本語もあり)
- Keys to the Kingdomシリーズ(Girth Nix, 全7巻)
ぜんそく持ちのArthur Penhaligonは、学校の授業でクロスカントリーを走っている最中に倒れてしまう。そこにMister MondayとSneezerが現れ、時計の長針のようなもの(鍵)を渡す。
イギリス人の友人が第1巻をプレゼントしてくれたので、少しずつ読んでいる。全7巻のタイトルには順に曜日の名前がついている。英語の難易度はDarren ShanとHarry Potterの間ぐらいか。どうやら日本語版は出ていないらしい。
同じ作者のThe Seventh Towerシリーズも有名。
ここから先は評判を聞いているだけで全く読んでいない。
- His Dark Materialsシリーズ(Philip Pullman, 全3巻)
これもイギリス人の友人に勧められたのだが、まだ買っていない。英語はかなり難しいらしい。
第1巻のタイトルはUK版が"Northern Lights"、US版が"The Golden Compass"と異なっている。その理由は"FAQ for His Dark Materials: The Golden Compass"のページなどに書かれている。どうやら違うのはタイトルだけで、文章をアメリカ英語に変えているとかいうわけではないようである。
第1巻が映画化されるらしい("The Golden Compass")。アメリカでは今年12月に公開予定。
- Belgariadシリーズ(David Eddings, 全5巻)
「ベルガリアード物語」。いろんなところで人気が高い。Wikipediaを引用しておく。
主人公の少年・ガリオン(ベルガリオン)は、とある農園で『ポルおばさん』に普通の少年として育てられていた。時折おとずれる吟遊詩人『ミスター・ウルフ』は彼にさまざまな物語を語る。が、ある日突然、ガリオンは夜な夜な農園を離れ、長い旅路につくこととなる。
Wikipedia - ベルガリアード物語
その道中でミスター・ウルフが魔術師ベルガラスであり、ポルおばさんが彼の娘ポルガラであることを知ることになる。ふたりは数千年の長きにわたって予言の成就のために、その魔術と智恵で世界を邪神トラクの脅威から守り続けてきたこと、旅の目的は、現在は王のいない国・リヴァにあったアルダーの珠(The Orb of Aldur)(クトラグ・ヤスカ、Cthrag Yaska)を取り戻すことであったことを知る。
鍛冶屋のダーニク、商人にして軽業師のシルクといった仲間たちとともに旅をすすめるうちに、彼は己の秘めた力に気づき、出生の謎を解き明かしていくことになる。そして、彼は神々が長らく待ち続けた光の子であることも、トラクと戦うという宿命も知る。「どうして僕なの?」という問いかけもむなしく旅は続き、ガリオンは光と闇の対決へ向かうこととなる……。
続編のMalloreonシリーズも全5巻。
→ Jack's David & Leigh Eddings Site
- Rowan of Rinシリーズ(Emily Rodda, 全5巻)
作者はオーストラリア人。第1巻はオーストラリア最優秀児童図書賞を受賞。
リンの村を流れる川が、かれてしまった。このままでは家畜のバクシャーもみんなも、生きてはいけない。水をとりもどすために、竜が住むといわれる山の頂きめざして、腕じまんの者たちが旅立った。たよりになるのは、魔法をかけられた地図だけ。クモの扉、底なし沼、そして恐ろしい竜との対決…。謎めいた6行の詞を解きあかさなければ、みんなの命が危ない。
Amazon「ローワンと魔法の地図」: 内容(「BOOK」データベースより)
→ The Emily Rodda Website
→ リンの谷のローワン
- Deltora Questシリーズ(Emily Rodda, 全8巻)
Rowan of Rinシリーズと同じ作者の大人気シリーズ。日本ではアニメやゲームにもなっている。
ここはデルトラ王国。王家に伝わる七つの宝石の魔力が、国を守っている。その宝石が影の大王に奪われた! 国を救うため、少年リーフが一枚の地図を頼りに冒険の旅に出る…。愛と友情と闘いのファンタジー。
Amazon「デルトラ・クエスト〈1〉沈黙の森」: 内容(「MARC」データベースより)
- Neschanシリーズ(ネシャン・サーガ)(Ralf Isau, 全3巻)
非常に評判が高く、おもしろそうなのだが、原書はドイツ語なので私は読めない。気が向いたら日本語の方で読んでみるか。日本語では全9巻に分割したコンパクト版も出ている。
ネシャン北域の森で、少年は謎めいた杖を発見する。青い光を発する杖に五感はとぎすまされ、記憶や感情を伝える力まで強まるようだ・・・。夢と現実、2つの世界で展開される壮大なファンタジー。
Amazon「ネシャン・サーガ (1)」: 出版社/著者からの内容紹介
→ Ralf Isau - Schriftsteller und Phantast (ドイツ語)
→ ネシャン・サーガ
色覚異常(4) カラーユニバーサルデザイン
はてなで、カラーユニバーサルデザイン対応PCモニターのプレゼントキャンペーンが開催されている。自分のはてなダイアリーで「ナナオのカラーユニバーサルデザイン対応ワイドモニターが欲しい!」と書くと応募したことになる(これで応募完了)。
このモニター、色弱者でもわかるようなデザインをPCで作成するため、色弱者の見え方をシミュレートする表示モードに切り替えられるようになっているらしい。関連記事として以下が紹介されている。
きれいに色分けされた地図や建物の案内図、LEDの色が変わって状態を示すAV機器や携帯電話、アイコンや文字の色に機能を持たせたソフトウェアなど、日常生活で目にするさまざまなものに、色を使ったデザイン表現が使われています。それを見た人に分かりやすいようにと色を使って表現されているはずなのですが、実はそうしたデザインでかえって不便を感じている人も多いのです。
ITmedia News: 「カラーユニバーサルデザイン」って知ってますか?
この記事の中にピーマンの写真が2つあり、「(正常者と色弱者では)ピーマンの色の見え方もこんなに違う」と書かれているが、私にはほとんど区別がつかない。よーく見ると真ん中奥のピーマンだけはなんとか微妙に違う色に見えるが、他は全部同じに見える。長女に聞いてみたら全部違う色だと言っていた。
同じ色に見えるものを「こんなに違う」と言われてしまうと、自分は普通と違うのだということを改めて認識せざるを得ない。逆にいうと、これらの写真は色弱者の見え方をうまくシミュレートしているのかもしれない。ただ厳しいことを言えば、「こんなに違う」とだけ書くのは色弱者を読者として想定していない「カラーユニバーサルでない」書き方だとは感じる。どう違うのかテキストで補ってくれるとよかった。
人間の目の網膜には明暗を感じる「杆体」と色を感じる「錐体」という2種類の視細胞があり、さらに錐体には赤に反応するもの、緑に反応するもの、青に反応するものの3種類があります。これら錐体の有無や感度の違い・ずれなどによって色の感じ方に違いが出ます(詳しく知りたいかたはこちら)。
同上
もっとも多いのは錐体が3つ揃っているC型色覚(一般型)で、日本人男性の約95%、女性の約99%以上がこの型です。次に多いのが緑に反応する錐体が無いか感度がずれているD型色覚(D型強度/D型弱度)で、日本人男性の約3.5%を占めます。その次に多いのは赤に反応する錐体が無いか感度がずれているP型色覚(P型強度/P型弱度)で、日本人男性の約1.5%を占めています。ここでは一般型以外、D型・P型などの型を持つ人を色弱者と呼びます。
「色覚異常(1) カーナビ」で書いたように私は赤緑色弱で、上記の分類でいうとD型だと思う。大学の時に受けた検査ではD1と書かれてあった。
C型(普通の人)、D型、P型の見え方をシミュレートした動画がYouTubeにアップロードされている(▲印をクリックすると再生できる)。
- 色覚シミュレーション C型(一般型)
- 色覚シミュレーション D型
- 色覚シミュレーション P型
C型とD型を同時に再生してみると、これは一応違いがわかった。赤と緑に大きく変えてあるところがある。といっても、同じように見える部分で実は違っているところがあるのだろう。普通の人にどう見えるのかを知る方法がないのは残念である。
探テク 失くしたモノをゼッタイ見つける方法 (小林シンヤ)
- 小林 シンヤ
- 日本実業出版社
- 1365円
livedoor BOOKS
書評/ライフスタイル
ものをよくなくす。外で紛失することはそれほどないが、部屋や机の上を片づけるのが苦手なので、家の中ではものが見当たらなくなることがよくある。どうしても必要なものだと時間と手間をかけて探すことになり、いらいらするし悲しい気分にもなる。リモコン探知機(参照1, 2)は真剣にほしいと思っている。
以前友人が「ものが見つからないときは占いに頼るのもいい」と言っていた。すぐに意味がわからなかったのだが、「なくしたものは意外なところにあることがあるが、探している時は先入観にしばられていてなかなかそこに到達できない。占いからくる情報は先入観からの脱却を助けてくれる」という。なるほどそういうことはあるかもしれない。率はよくなさそうだが。
最近は、ものが見つからないとき、どうしてもすぐに必要なものでなければ探さないようにしている。家の中ならそのうち出てくるだろうし、時間と手間がもったいないからである。見つからないとすっきりしないので探したくなるが、冷静に必要性・緊急性のみで判断するように心がけている。普段から片づけることの方を心がけるのがいいのはわかっているが、それができる性分なら苦労はしない。
「探テク」は、ものをなくしたときの考え方、アプローチ、そして具体的な探し方を詳しく教えてくれる本。「本が好き!」というプロジェクト(書評をブログに書くという条件で本をタダで送ってくれる)の会員になったので、第1弾としてこの本を送ってもらった。以下のような章構成。
- ものを失くすとはどういうことだろう
- ざっと探してみよう
- 家を探してみよう
- 自動車・自転車・バイクを探してみよう
- 外を探してみよう
- 他の場所を探してみよう
- ここまでのまとめ
- 失くさないために
- 失くしたものを探すことであなたが得る多くのこと
1.はなるほどと思う内容だったが、かなり理屈っぽいのでここでちょっとイヤになる人はいるかも。
ものの探し方は大きく2段階に分かれる。なくす前の状況の記憶やなくしたものの性質を元に最もありそうな場所を探すクイックサーチ(2.)と、それで見つからない場合にとにかくしらみつぶしに探すディープサーチ(3.〜6.)である。まずクイックサーチをしてからディープサーチに移るというのは探索の手間対効果の点で大事なことである。
この本は探す手順を写真入りで解説しているのだが、ディープサーチの解説は特に丁寧で、ここまで徹底的に探さないといけないのかと思うとうんざりするくらいである。ディープサーチを行う時にどこを探すかのリファレンスとして使える。それでもまだ探すべき場所は残るのだとは思うが。
8.にある「なくさないための心がけ」ももっともな内容である。
- 所定位置を決める
- 部屋をキレイにする
- 何でも放り込めるスペースを設ける
- あまりものは持たないようにしよう
- 持ち運ぶものを決めよう
- 人にものを貸したら覚えていよう
- 人のもの探しを手伝おう
しかしどうも守れそうにない。実行できそうなのは3番目ぐらいで、あとはズボラな人間にはハードルが高い。
こんな構成でサッと読んでしまえる本なので、まずは一読して探す時の考え方を身につけておき、実際になくしてしまったときにまた参照するとよさそうである。大事なものをなくして動転している時に、この本を見て探索手順を忠実に実行するだけの余裕があるかどうかはわからないが。
「〜やけど」vs.「〜やが」
「〜やが」という言い方、私も気になっていた。
いわゆる関西弁の特徴の一つとして、断定の「だ」が「や」になるというものがある。「そうだ」→「そうや」、「なぜだ」→「なんでや」といった具合である。これで関西風の表記になりそうや。
絵文録ことのは: 関西人250人に聞きました。「やが」という関西弁はほとんど使われてないんやけど。
しかし、どうにも違和感があったのが、たとえば雑誌に載っているダウンタウン松本の連載記事の中で、もちろんいつもの松本の言葉に近いのだが、←今ここで使ったような「だが」を「やが」と書いていることがあったりする。それ以外にも、雑誌やスポーツ紙などで使われるメディア関西弁では「だが」が「やが」と書かれていることが非常に多い。
そして、関西弁風のブログなどでも「やが」という言葉が使われていることがある。
ところが、自分は「やが」という言葉を使ったことがないのである。「近いんやけど」とは言っても「近いんやが」とは絶対に言わない。そのため、「やが」というのは関西弁もどきの書き言葉ではないかと考えた。
私は大阪弁(のうちの摂津方言に属するはず)をしゃべる。ブログなどの文章は標準語(共通語)で書いているつもりだが、友人へのメールでは大阪弁になることもある。しかしいずれの場合にも「〜やが」は使わない。標準語(共通語)で書く時は「〜だが」、大阪弁でしゃべる/書く時は「〜やけど」である。
関西人のブログやメールでたまに「〜やが」を見かけるので、少し気になっていた。この言い方は以下のようにして発生したのではないかと思っている。
- そもそも「〜が」というのは「〜けど」よりも硬い言い方で、普通は書き言葉でしか使わない
- たとえば東京系の言葉をしゃべる人(自分が「標準語」をしゃべっていると言ったりする人)は、話し言葉は「〜だけど」のみ、書き言葉では硬い文章で「〜だが」、くだけた文章で「〜だけど」と使い分ける(「〜だが」を話し言葉で使う人は映画やドラマの中でしか見たことがない。ちなみに、「〜ですが」「〜ですけど」も同じ関係にあるが、「〜ですが」は話し言葉でも使う。「です」自体が敬語で少し硬い表現であるせいか)
- 関西人は話し言葉では「〜やけど」、書き言葉では通常は標準語(共通語)を使うので「〜だが」となる
- しかし関西人がくだけた書き言葉で関西の言葉を使いたいことがある。この際「〜やけど」だと方言「や」に加えて「けど」で書き言葉としてはくだけすぎになると(無意識に)思った人が、関西系の「や」に硬い「が」をつけて「〜やが」という言い方が生まれた
表にすると以下のようになる。
話し言葉 | くだけた書き言葉 | 硬い書き言葉 | |
---|---|---|---|
東京系 | 〜だけど | 〜だけど | 〜だが |
関西系 | 〜やけど | 〜やけど (→〜やが) |
〜だが |
つまり方言で文章を書こうとして、微妙なところで生まれた表現だと思うのである。それにしても、無理に書き言葉にしようとしているのでやはり変だと思う。
上記「ことのは」では人力検索はてなでアンケートをされている。その結果の1つとして以下のようなことになっていた。
少ないが「やが」しか使わん、「やけど」は使わん、という人たちが多かったのが摂津・船場・丹波の3地域。つまり、大阪北部から兵庫県南東部・東部にかけて「やが」を使う地域が固まっている。
同上(地域性は関係あるかもしれない)
これは意外だった。私は摂津地域で生まれ育ったが、「〜やが」を使う人に会った記憶がない。関西方言で書かれた文章自体をあまり見かけないのでサンプル数は多くないが、摂津地域でも「〜やが」はほとんど使わないように思う。
ちなみに、上記アンケートのコメント欄に出てくる「歩いてんけど」という言い方は私もよく使うが、これが摂津方言だとは知らなかった。関西では一般的に使われているのかと思ってたんやが(ううっ、試しに使ってみるとやっぱり気持ち悪い)。
否定疑問文への答え方は難しい
否定疑問文に対する答えは、以下のようにするのが本来の姿である。
himazu blog: 否定疑問文への答え方
A: You don't have a Blu-ray player, right?
B: No, I don't. (持っていない場合)
B: Yes, I do. (持っている場合)
しかし、英語のネーティブスピーカーでない人には、持っていない場合にYes, I don't.と答える人が少なくない。日本人に有りがちな間違いだが、インドや香港の人にもしばしば見られる。相手がネーティブスピーカーでない場合は注意しないと相手の意図を取り違えることになる。
そして、自分が答えるときにはcorrectあるいはrightを使うことにしておくと確実である。上記の質問に対して持っていない場合は「Correct. I don't have one.」持っている場合は「I do have.」と答えるのである。持っている場合Incorrect.と言ってもいいが、あまり言わないような気がする。
そうそう。日本人にとって、英語の否定疑問文への答え方というのは意味が逆になるのでとてもややこしい。わかっていても間違えそうになることがしばしば。時々"No"と言いながら顔は思いっきりうなずいていたりすることがある。「はい」「いいえ」のとり違いは大きな問題になることもあるので、神経を遣う。
特に答がYes(日本語では「いいえ」)である場合に心理的抵抗が大きい。"You don't have a Blu-ray player, right?"と聞かれて「持ってるよ」と思いながら"Yes"と答えるのは、「持ってないなあ」と思いながら"No"と答えるよりストレスを強く感じる。そのため、私は否定疑問文に対して"No"と答えることはあるが、逆の場合には"Yes"と言わずに、上記の例と同じような感じで"I have one."というような答え方をしているような気がする。
これは多分、持っていない場合には相手の言っていることはとりあえず正しいので「持っていない」という事実に気持ちのフォーカスを切り替えて"No"と言えるのに対し、持っている場合には「そんなことないよ、持ってるよ」と相手の言うことを正したいという欲求が強いために"Yes"という単語を使いづらいということだと思う。
そのことと関係があるかどうかはわからないが、フランス語にはこのような場合向けの単語があるらしい。英語のYes/Noはフランス語では普通Oui/Nonだが、否定疑問文に対するYes(日本語では「いいえ」)に対応するSiという単語が別に存在する。そんなややこしい使い分けをよくできるなと思ってしまうが、それがネイティブというものである。フランスの人はごく当たり前に使い分けているはず。
さらにややこしいことに、否定疑問文に対する答え方は同じ言語内でも必ずしも一定ではないように思える。日本語の場合、Blu-ray player(BDプレーヤー)の例でいうと、
A: BDプレーヤー持ってないの?
B: はい。
だとBは持っていないと言っていることが明白だが、
A: BDプレーヤー持ってるんじゃないの?
B: はい。
だと、持っていると言っているのか持っていないと言っているのか微妙である。Aの質問の抑揚が「持ってる」「ない」のどちらを強調していたかに依存するかもしれない。したがってこの場合にはBは「持ってます」「持ってません」というふうに、「はい」「いいえ」を使わずに答えるのが普通だろう。
A: そんなことされたら誰でも怒るんじゃない?
B: はい。
この場合、形式的には「〜じゃない?」は否定疑問文だが、「はい」は普通「そうですね、怒りますね」という意味になるような気がする。
どういう文章だったか忘れたのだが、こういうことがネイティブとの英語の会話でもあった。「今のはYes/Noが反対になってたよね。なぜ?」と聞くと、「うーん、それは文脈によるな」とのことだった。やはり、あいまいな場合にはYes/Noを使わずに"I don't have a Blu-ray player.のようにオウム返しで答えておいた方が安全である。
そういうことを気にしだすと、日本語と英語がミックスされる場合も気になってくる。例えば会議などで「○○しないんですか?」という質問に「イエスです」と言う人がいる。この場合はほぼ間違いなく「はい」の意味で使っているとは思うが。また、アンケートなどで
問: 休みの日はあまり外出しない
・Yes ・No
これでは、よく外出する場合にYesなのかNoなのかわからない。典型的な悪い質問である。回答の選択肢が「Yes・No」でなく「はい・いいえ」であっても、アンケートで否定形での質問はしてはいけないものである。
このYes・No問題、日本語方式と英語方式(はたまたフランス語方式)のどちらが言語仕様として自然というか妥当だと考えられるのだろう。私は日本語の常識に染まっているので公平に判断できないが、学者同士でディベートをやったらおもしろそうな気がする。