ゴールデンウイークは4/30の夜から東京。
有楽町でちゃちゃっと飲み食い。
子供たちの下宿へ。
5/1は雨の中、国立博物館で「法然と極楽浄土」を楽しんだ後、東京藝術大学の「大吉原展」。
法然もとても良かったのですが、それを振り切って吉原展は良かった。
淡々粛々と吉原の文化を語る。
流石、東京藝術大学。
日本の芸術の最高学府。
毎度、語彙なくごめんなさい。
ただ、興醒めしたのは、鑑賞の場で私の携帯電話が鳴ったこと。
申し訳ありませんでした。
自分の迂闊さが情けなくそして後から折り返したその中身もガッカリで気持ち挫けた。
電話の向こうはガッカリとバッサリ切る私のドス黒さを想像もし得ない真っ白な善意。
真っ白の善意はキツい。
自分のドス黒さを深く思い知らされるから。
善意の辞書に悪意は無い。
悪意どころか、グレイゾーン、曖昧模糊もなく、この私のドス黒さは詳らかに語れば青天の霹靂だろう。
「泣ける」映画と触れ回られると反感を覚えて見る気が失せる。
絆とか感動とかつけられたラベルに、あんたらの感覚で押し付けんなよと、あんたらの世界であんたらだけで気持ちよく語っとけやと思ってしまうこのドス黒い自分、善意の真っ白さに覆い尽くされそうになる度、自らを深く認知する、そして酷く打ち据えられる。
静かな鑑賞の場で、めったに掛かってこない…恐らく今年になって数回しか鳴ってない…携帯電話が高らかに鳴った時、ある種の高揚感に包まれていた気持ちが吹き飛び一気に現実に引き戻された。
明らかに文化や芸術に逃避している私への警告のような気もして、すっかり気持ちが萎んでしまった。
母のお世話になっているデイサービスからイベントで使うコメント作成依頼。それだけの電話。
多くの方が読んでないこのブログだけど、恐らく目にした方から、私の感情への賛同は得られないと思う。
何で心を抉るのか
何で曖昧なものの輪郭を明らかにしたいのか
心に訴えるものをわざわざ工作しようとするのか
美術館を後にした私は明らかに萎み、足取りは重かった。
折り合いをつけてなるべく丸く収めるべく努力をしているのに、逃避して無防備な時に現実に力付くで引き戻されるのはキツかった…
今日はこれくらいにしておいたほうが良いね。
なにはともあれ、あと少しで終わってしまう吉原展、まだの方は是非ご覧になってください。
世間では評価が分かれると聞いているけど、見てから言えと言いたい。