30 years + coffee

引っ越しした

2022年11月3日(木:祝)晴れ

朝から娘が「ドーナツが食べたい!」と騒ぐので、休みの夫が相変わらず娘の要望に応えてあげて(命令に従って)先ほど二人でミスタードーナッツへ行ってしまった。

息子はゲーム時間が終わってしまい宿題をせねばならない時間になった途端に、「ちょっとばあちゃんちに行ってくる!YouTube見るんじゃないよ!ばあちゃん達とお話ししたいなーと思って!」という全く完璧ではない言い訳を残して我が家から200Mほど先にあるおばあちゃんちに行ってしまった。

母子分離不安がひどい時は同じ部屋で過ごさねばならない程だったのに、今は一人でばあちゃんちに行けるようになったので、(まぁ今回は許すか!)とここ最近何度許したかわからないけど、一人時間を持てて私もありがたいと思っている。

2年前の9月に我が家は引っ越しをした。車で10分ほどの場所に移動しただけだけど、今住んでいるところは、隣が義理のお兄さん家族の家で、そのまた隣が義理のお兄さん家族の家で、その数軒先に夫の実家がある。そう、ここは夫側の親族が沢山いる場所だ。本家とか分家とかよくわからん遠い親戚も沢山いる田舎である。私たちはお義父さんの田んぼをもらってそこに家を建てた。私は嫁という立場から、移住?に対して引っ越すまでずっと憂鬱な気分だった。きっと世界中のどのお嫁さんも私と同じ気持ちになると思う。でもいざ引っ越してみると、私の重い気分を伴う想像は見事に外れた。義理の兄弟も、義理の両親も、程よくお互いに距離を保ち、必要な時は相談し合う。地域行事の内容や、ゴミ当番などのやり方、近所の人付き合いの仕方、親戚たちとの付き合い方、ここは気にしなくて良いけど、ここだけはやっておいた方が良いこと等、色々と教えてくれる。子供会のことも小学校のことも、義理のお姉さんが沢山教えてくれるのでありがたい。というわけで、結果的に引っ越しは大正解だった。

我が家の庭に面したじいちゃんの田んぼ


田んぼに囲まれた田舎の景色は日々心を癒してくれるし、家の外を流れる時間も以前のアパートに比べて少しゆっくりになったような気もする。ど田舎では暮らせない自信があるが、程よい田舎暮らしが今は楽しい。

息子の登校拒否と母子分離不安:2

前回の記事の続きです↓

risa10485.hatenadiary.com

 

学校の先生方って、ほとんどの先生が口を揃えていうんです。「とにかく息子さんを学校に連れてきてください。学校に来ることに意味があるんです!学校に来てくれさえすればこっちでなんとかします。他の生徒と触れ合うことで気持ちも紛れるでしょう」そして、何も知らない周りの知人たちがこう言います。「学校は無理矢理でも行かせたほうがいいよ。休み癖がつくよ。その内不登校になっても怖いし」って。今の私から言わせれば、みんな無責任なことをよくもそんな簡単に言えるよなぁって思います。嫌がる子供を無理矢理学校に行かせることが本当にその子のためになるなんて、私はこれっぽっちも思わないんです。

息子は、学校に頑張って通っていた時、大好きな旅行も嫌がり、朝は布団から出られなくなり、何に対しても興味関心がなくなり、母親から全く離れられなくなりました。でも、学校を休むようになってからは、笑顔が戻ってきて、好きなことにも積極的に取り組めるようになり、母親からもずいぶんと離れられるようになりました。

社会全体の価値観が、それに適応できない少数の人間たちをひどく傷つける。今回のことを通してそう強く思いました。「みんなそういってるよ」「普通はこうだよ」という価値観の押し付け方、マジでくそ・・・くそです、はい。(すみません。でもくそです)

息子はその後、1年生が終わるまで適応指導教室という、教育委員会が運営している教室に週に2回、午前中、私と通いました。その教室に通った日は小学校に出席したことになります。教室に通う子供達の数はその地域の教室にもよるのですが、息子が通った教室は生徒が息子含めて3人だけ。しかも残りの2人の生徒さんは中学生のお姉ちゃんたちだったので、息子はお姉ちゃん達からも可愛がってもらえ、毎回行くのをとても楽しみにしていました。

親の私も、息子も、教室の先生に話を聞いてもらえたり、温かく接してもらえて、親子ともに心を休める期間になったと感じています。

適応指導教室は、あくまでも学校に行けるようになるまで心を休める場所というようなスタンスなので、新しい学年に代わる4月は通えません。先生もクラスも新しくなるから、まずは学校にいってみようということで、息子も2年生の4月からは小学校に戻ることにしました。その代わり条件が去年とはいくつか変わっています。

1つ目は、交流級(普通クラス)ではなく、少人数でクラスが構成されている支援級に通うということ。支援級は親が望めば誰でも通えるという訳ではなく、障害を証明する医師の診断書が必要になります。息子も昨年の6月に私の希望で発達検査を受けて、「自閉スペクトラム」と「注意欠陥多動症」の診断を受けました。

2つ目は、週2日の午前中のみの通学をすること。今でも学校は私が付き添わないと通えないので、親子ともに気持ちや時間に余裕のある状態が長期で通える条件だと思い、学校に相談させていただき、適応指導教室と同じ通学頻度で通っています。

3つ目は、小学校の始業時間からスタートではなく、娘を幼稚園に通常の時間帯に送った後に小学校に通うということ。小学校は8:15から朝の会が始まり、1時間目は8:40から始まりますが、幼稚園は8:30から登園できるので、娘を送り届けてから少し遅刻をする形で8:45ごろに教室に入るようにしてもらいました。

他にも細かいことを挙げると幾つも去年と変更点があるのですが、支援級の担任の先生が柔軟に対応してくださるため、親子ともに疲弊することもなく、長期で前向きに通学できるようになりました。

去年、私は先生に言われるがまま自分も動き、嫌がる息子を無理矢理動かしてきました。短距離走のように短い距離を一瞬で駆け抜けるならそれでも良かったのかもしれません。でも学校生活は少なくとも9年間は続きます。びっくりするくらいのロングランです。だからこそ、先生や学校側の言いなりでは続かないんです。我が家の状況や、子供の特性、家族の都合など、あらゆることが関わってくるんだから、それも含めてお互いにとって良いところを探していかなくてはいけないと思っています。

我が家も去年から何度も学校側、先生方、スクールカウンセラーの先生と相談してこういう形になりました。先生方はただでさえ、とっても忙しい身ですよね。だから私は自分達だけ先生方に負担や迷惑をかけてはいけないと思って先生の言われるがままに動いてきたのもあります。でもやっぱりそれは違っていたと思います。本来なら先生方と家庭ときちんと連携と取ってやっていかなきゃ、大人のやりとりで一番負担がかかるのは子供達なんですよね。息子にも私たち大人に挟まれて辛い思いをさせた場面が幾つもありました。

私は周りから自分がどう見られているのかばかり気にしていて、息子の気持ちはどうなのかということに最初は気遣ってやれませんでした。「先生が特別に対応してくださっているんだから、あなたも頑張りなさい!」こんな気持ちで息子に声がけしていたように思います。

でも、大切なのは、子供達ですよね。子供が不登校になった時、自分がどんな母親だと周りから言われようが気にせずに「子供を一番に守る。そして、我が子を信じる。」ことが本当に大切です。不登校の子ども達は、自分達が学校に行けないことを決して平気だと思っていません。口には出さないだけで、学校に行けない自分を責めていると思います。(自分のせいで家族に迷惑をかけている)って絶対に思ってます。我が子も小さいからここまで言葉に出せなくても、私に何度か「お母さんごめんね」って言ってきたことがあります。自分が学校に行けないことに追いめを感じているのに、それを家族がわかってあげられないのは本人が表現できないほどに辛いことだと思います。学校にも居場所がなくて、家の中にも、家族の中にも自分の居場所がなくなってします。だから中学生くらいになると、部屋からも出てこなくなる。(どうせ家族もわかってくれない)こんな状況になりかねない。だからこそ、家族だけは、せめてお母さんだけは、子供の味方でいなければいけない。そう思います。

でもね、お母さんもめちゃくちゃ辛い。どうしたら良いかわからない。他のお母さん達からの同情の目や言葉にも傷つくし、同じ苦しみを知っていてそれに共感してくれるお母さんも周りにはいない。ただでさえ自分で自分を責めてしまうのに、そんな母親にかける周りからの厳しい言葉もたくさんあると思います。私も周りから沢山言われました。園長先生や小学校の先生方からも沢山注意されました。「親がしっかりしていないと子供は外に出ていかないよ」という言葉も言われました。(一人帰りの車の中でわんわん泣いて帰りました)不登校の子供を持つお母さんの中には、一番理解してほしい夫にも共感してもらえず、祖父母からも学校に行かせるように責められるお母さんも沢山いるとスクールカウンセラー適応指導教室の先生方も言われていました。子供が不登校になると、こうやって母親も世間や家族から孤立して行くんです。だから、親子で共倒れしちゃう。だからこそ私は、「辛いのあなただけじゃないよ」「あなたの仲間は沢山いるから自分を追い込まないで」「あなたが悪いんじゃない」「気持ちを打ち明けてほしい」って思います。不登校の子ども達が集う場所ももっと増えてほしいし、その親御さん達が痛みを共有できる場所も増えてほしい。

私はありがたいことに家族が今は一致団結しているからとても家族に恵まれているなと思います。夫も、祖父母も義理の兄弟達も温かく見守ってくれているから本当にありがたい。平日の学校の時間に息子が外で遊んでいても、地域の人も笑顔で挨拶してくれるし、小学校に行っている登校班の子供達も、息子が「おかえりー!」って外に飛び出ると羨ましいとかずるいとかいうこともなく「ただいまー!」って一緒に遊んでくれます。周りから理解を得られるようになるには、時間や、親の勇気が必要だったりしますが、挫けて心が折れても、諦めずにコツコツ伝えていけば、必ず理解してもらえると思えるようにもなってきました。

最後に長くなりましたが、自分がここまでくるのも本当に大変で辛かったから、これを読んでくれている誰かに「大丈夫だよ」っていうのが少しでも届く文が書けれたら良いなと思います。またいろいろ書いていきますね^^

息子の登校拒否と母子分離不安

我が家の長男スーさんは、現在小学校の2年生です。そして、自宅学習をメインにしていて学校には他の小学生のように通えていません。そういうのも、これからはここに書き残していこうかなーと思っています^^同じ状況の親子さんたちの心が少しでも軽くなればいいなという想いからです♪

 

スーさんは、幼稚園の時は元気に幼稚園に通っていました。小学校に入るのも楽しみにしていたので、小学校生活も当たり前のように問題なく過ごせると思っていたし、同時に下の娘のピーちゃんも幼稚園入園だったので、私はやっと自分のひとり時間ができるぞー!思いっきり働けるぞー!とワクワクしていました。

が、小学校の入学式が終わって、教室から出てきた息子の顔がひきつっていて、「帰る。」「もう帰る」ばかり言うんです。これからチューリップのさいた花壇の前で写真を撮りまくるぜ!というときにだったのですが、息子はカメラの方も見れないくらいに俯いていたので、仕方なくそのまま帰宅しました。

そして、そこから息子の「学校に行きたくない」が始まりました。理由を聞いても「わからないけど行きたくない」って言うんです。初めての登校日は玄関で大泣きして拒否したのですが、玄関まで迎えにきてくれた登校班の子供達に泣いているのをみられるのが嫌なのか頑張って涙を拭いて歩いて行きました。

その日のお昼には担任の先生から電話をいただいて「お弁当を食べたら喉が痒いといっているんですが、アレルギーの薬を飲ませてもいいですか?」とのことでした。息子は食物アレルギーがあり、除去しなければいけない品目が多いせいで給食は提供できないとのことで、幼稚園の時から弁当を持たせています。なので、私が作ったお弁当を食べているのに喉が痒くなるはずもなく疑問が残ったのですが、とりあえずその場ではお薬を飲ませてもらいました。(仮に誤食がなかったとしても、体には負担がかからない薬だったので念の為飲ませてもらいました)でもこれは今思えば、「学校から早く出たい。家に帰りたい」の気持ちがアレルギーと同じ症状として現れたんだろうと思います。それが、続けて3回起ったからです。

その後も色んなことがありました。学校から逃亡したり、おばあちゃんちに家出をしにいったり(笑)柱につかまったまま離れなかったり、これはほんの一部に過ぎませんが、夫は仕事でいないので、対応するのはほとんど全てが自分で、本当に辛かったのを覚えています。入学から一週間ほどで、担任から「お母さんも一緒に登校してください」と言われ、幼稚園にお願いして早めに娘を預け、毎日息子と登校しました。そして、息子は私からひと時も離れられなくなり、母子分離不安になりました。家にいても私がトイレに行くのでさえ不安になり、トイレのドアの前でおしゃべりしながら待っていました。学校生活の方は、私は授業中は子供が約40人もいるギュウギュウの教室の一番後ろに、子供用の椅子を借りて身を小さくして座って過ごしました。幼稚園の行事の関係で、休みの娘を膝に乗せたまま退屈で仕方ない娘をなだめたり絵本を読んで参加した日もありました。私の身体も心ももう疲れてくたくたになっていて、ぎっくり腰になったり、背中の痛みで布団の上で寝返りもできなくなって数日学校を休んだ日もありました。それでも親子で毎日頑張っていた時、二学期が始まってすぐに娘が体調不良で入院。排便や排尿のたびに大量の出血がありすぐに国立病院に入院になりました。息子は私から離れられないので娘には付き添えず、夫に仕事を休んでもらって娘に付き添ってもらいました。娘は検査のために一晩かけて大量の下剤水を飲まされ、全身麻酔をかけて大腸検査をしました。カメラでも、血液検査でも結果はわからなかったのですが、ビタミンKの数値が少し低いと言われ点滴をすることで出血が止まりました。この時、お医者さんに言われたのは、「発展途上の子供たちは、食事の関係でビタミンKが不足することはあるんだけど、今のこの日本ではビタミンKの不足は遺伝子疾患以外ほぼ考えられない」とのことでした。娘はよく食べる子だし、幼稚園の給食も毎日お代わりしていると先生が笑いながら報告してくれていたほどだし、うちの家系にはそういった遺伝子疾患を持っている人がいないので、娘の場合、原因が全くわからないとの結果になりました。

この時点で私には確信があったんですが、4月から数ヶ月、我が家は何においても息子中心の生活だったんです。娘は口には出さないものの、本人さえもはっきりと気づいてなかったんだと思うんですが、おそらくすごく寂しかったんだと思います。お母さんもお父さんもお兄ちゃんのことばかりで、自分はお兄ちゃんに全て合わせて動かされるし、我慢させられる。そういう寂しさやストレスが、娘の体を通して私たち親に教えてくれたんだろうなと思いました。娘のことも気にかけていたつもりだったんですが、全くカバーできていなかったんですね。

それがきっかけで、私自身も自分がもう限界に来ていたのもわかったし、娘だけでなく息子ももう限界をとうに超えてしまっていることに気づき、学校に行くのをやめる選択を選びました。

長くなったので、この記事はこの辺で!

この一年間の振り返り、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです^^

お久しぶりです♪

みなさん、お久しぶりです。

2年以上、このブログを書いていないままでしたね。

私は今めちゃくちゃ元気です^^

このブログをきっかけにお友達になった「ねぇやん」とは、

プライベートのSNSで今もやり取りをさせてもらっていて、

このブログで仲良くさせていただいていた

二人のお友達のブログも密かにちょくちょく読ませていただいていて、

みんなが元気なことに勝手に安心していました^^

 

私は、10代の時から付き合っていた「鬱」さんと、

今は良い感じに付き合えていて、毎日がめちゃくちゃ

楽しいです^^

「鬱」さんは、幼少期からの自分の心に残ったままの傷であり、

それを見ないように生きてきたことが原因であって、

その傷と何年もかけて向き合ってあげることで、

鬱さんは、「自分をもっと見て!気づいて!」と主張しなくなりました。

 

今までは、他人を第一優先に大切に生きてきましたが、

今の私は、何よりも「私を第一優先」に生きています。

自分の「感情」を大切にして生きています。

自分の感情を無視して他人や社会の価値観を優先して生きていると

必ず、「嫌」な「辛い」ことが起きちゃうなーって

最近また再確認できる出来事があったので(笑)

ますます、「自分を大切に、自分の感情を第一優先に」

生きていこうと思いました♪

 

さて、子供たちもすっかり大きくなり、

なんと、先日3人目が生まれ・・・っていうのは嘘で(笑)

二人の子供で十分でございます(笑)

 

上の息子ちゃん(すーさん)は小学校2年生に、

下の娘ちゃん(ぴーちゃん)は5歳(幼稚園の年中さん)です!

 

すーさんは相変わらず根っこが優しい男の子ですが、

最近は私の小言がうるさいようで

「お母さん、うるさい、ばか」って言われます(笑)

 

ぴーちゃんは気が強い女の子で、夫はぴーちゃんのシモベのようになっていますが、

可愛いんだろうなあ・・いつも嬉しそうに「シモベ」をやっています。

 

さて、久しぶりに文章が書きたくなったので書いてみました。

ブログはオワコンなんて言われてもう長いですが、

私はそうは思いません。

文章を書くのが好きな人

文章を読むのが好きな人

こういう人たちはきっとどんな時代になっても

変わらずい続けると思うからです。

 

最近、三浦しをんさんの

神去なあなあ日常」と「神去なあなあ夜話」を読み返したり、

普段から本は読んでいるけど、文字って本当に好き。

だからブログも好き。(全然上手く繋がってない気がする笑)

 

というわけで、久しぶりの、リサちゃんブログでした。

ちゃんちゃん。

 

夫さんもインフルエンザかかっちまった

 

 

昨夜、夫さん、

「熱が37.4ある。。。」って。

 

普段、風邪をひいても絶対に36.9とかで終わる夫さんが37度台って、、、もしかして、、、

というわけで今朝1番で病院に行ってもらいました。

そしたらLINEで

「インフルエンザAでましたー」

って😰

まじかー。

やっぱりかー。

今日は夜勤の日だったんだけど、職場に連絡して当然休みになりました。

5日間は仕事行けれないらしい。

 

でもね、、、実はね、、、

私は夫さんが大好きだから

今日から5日間、家に夫さんがいるっていうのが、、、

嬉しい〜😂💕✨

 

彼はいまとても苦しんでます。

頭が割れそうに痛いと、息もゼイゼイしてるし、

インフルエンザになったの自体、いつぶりだろって言ってました。

私と出会って8年だけど、出会ってからは一度もなったことなかったから、ずいぶん前なのだろーな。

私も最後になったの中学生のときや。

 

娘と私はまだ無事です。

でも、私は先週かぜで2日寝込んでたので

その時の残りの咳がまだ結構しんどい。

お腹が筋肉痛になってるくらい

咳まみれです。

(咳にまみれてんの嫌だな笑)

 

12月末から、我が家では風邪菌がゆるーくグルグルグルグル家族の中を回っていて途切れません。

どうしたことだ。

どうしたらいいのか。

誰か、、、

教えてーん。

 

ねえやんにレシピ教えてもらって作ったケーキ。

夫さん調子崩しちゃったから

減らない。

私、食べ過ぎてどんどん太ってってますん。

f:id:risa10485:20200217215930j:image

f:id:risa10485:20200217215917j:image

スーさん、インフルエンザなっちゃった

f:id:risa10485:20200216082923j:image

おはようございます!

今朝の朝食は、昨夜の残りの豆乳シチューです。

 

シチューはあんまり好きじゃないのだけれど、、、お菓子作りに使って余った豆乳と、鍋の残りの白菜があったのでシチューにしました。

野菜を煮込んで、コンソメと塩胡椒とで味付け。

火を止めて少し冷めたら豆乳を入れて(分離防止)、また弱火をつけて、水と溶いたドロドロの米粉を入れてトロミをつけました。

 

シチュー用のお肉買うの忘れてて、そぼろご飯にしようと思っていた鶏肉のミンチを入れました〜。

私は、鶏肉を頻繁に使う家で育ったから、シチューもカレーも鍋も鶏肉のが好きで、誕生日と言えば唐揚げを食べたい人間なのだけれど、夫さんは豚肉、牛肉をよく食べる家(お義母さんは鶏肉が苦手)で育ったので、シチューもカレーも鍋も豚肉を入れほしいっぽい。

そして誕生日には、ハンバーグを食べたがります。ははは( ̄∇ ̄)

 

って、なんでもない日曜日だけど、

昨日から息子のスーさんがインフルエンザで倒れています。

インフルエンザの予防接種をしたことのない子供達ですが、今までインフルエンザにかかったことがなかったから、今回も人ごとのように思っていたけど、幼稚園ですごい数の園児がバタバタとインフルエンザに倒れていき、息子も見事にその波に乗ってしまったようです😅

 

娘ちゃんと私たち親にはうつらないと良いのだけれど〜😂

 

1週間は外に出られないので、ぼちぼち過ごしまーす😄

エブリデイライフ

久しぶりに音楽の話をしたいと思った。

 

大好きなバンドの一つ、コールドプレイについて、今日は書いてみる。

 

去年の11月にリリースされてからほぼ毎日聴いているアルバム

【everydaylife】

 

f:id:risa10485:20200209102700j:plain

coldplay-everydaylife

 

詳しい説明は

こちらのページなどをご覧いただいて(笑)

mikiki.tokyo.jp

 

 

私が感じることを書きます。

 

コールドプレイのこのアルバムは、今までのアルバムと全然違う新たな雰囲気だなと最初に思った。

でも、聴けば聴くほどに、やっぱりコールドプレイのアルバムだ、と思う。

 

今回のアルバムは、いまのこの荒れ果てた世界に対する強いメッセージが含まれている。

 

だから、このアルバムに入っている曲は、どの曲も胸に響く。

 

特に私の胸に響いた曲は

アラベスク

という曲。

 

この曲を聞くたびに、昔読んだ【弟の戦争】という児童書を思い出す。

 

弟の戦争

 

少年兵が家族や仲間を助けるために

機関銃を背負って戦場に向かう姿のイメージが必ず出てくる。

そして、私自身、

「絶対負けない。わたしは進んでいくんだ」

っていう気持ちになる。

その気持ちはポジティブというよりも、

どちらかといえばネガティブな方かもしれない。

でも、落ち込んで寝込んでいるよりかはポジティブに寄っていると思う。

 

このアラベスクという曲、調べてみると、実際にそういった曲だったことがわかった。

 

Arabesque」は、アフロビートの開祖にして黒人活動家でもあったナイジェリアのレジェンド・フェラ・クティの長男フェミ・クティと、その息子マデがホーンアレンジ/演奏を担当し、オーソドックスなポップソングの形式を外れるように荒々しいサックスのフレーズがループする、珍しく攻撃的な雰囲気の楽曲になっている。

とはいえ、歌詞では〈I could be you, you could be me(=僕は君でもあり、君は僕でもある)〉〈We share the same blood(=僕たちは同じ血を分けている)〉など、平穏な日々が失われる瞬間は誰にでも起こりうることや、立場の違いを越えた相互理解の大切さを描写。

ベルギー出身でフランスでも人気の高いストロマエもゲストボーカルとして参加し、直前のクリス・マーティンが歌う英語詞とほぼ同じ意味合いを表現した歌詞をフランス語で歌っている。

クライマックスは終盤の「Music is The Weapon Of The Future」というフェラ・クティの引用。

このフレーズが延々繰り返される中でホーンが盛り上がる様子は、まるで戦いの狼煙が上がるようでもある。

こちらのページから引用

 

歌詞はこちらから

zheyzhey.blogspot.com

 

 


Coldplay - Arabesque (Official Lyric Video)

 

このアルバムをリリースしたコールドプレイは、環境に配慮してコンサートツアーを中止っていう発表をした。

www.bbc.com

 

そしてその代わりに、ヨルダンからyoutubeでコンサートを生配信した。

そのコンサートも本当に良かった。

ヨルダンの街の朝日がとても綺麗だった。

ヨルダンの風景もきれいだった。


Coldplay: Everyday Life Live in Jordan - Sunrise Performance

一部だけど、ここに貼っとく。

YouTubecoldplayのページにたくさん出てまーす。