業界紙はかつて、業界固有のニュースを提供し、市場の動向や政府の政策、貿易の動向などを詳細に報じることで経済復興を後押しする重要な役割を担っていた。しかし、時代の変化と共にその立場は大きく揺らいでいる。
前回の投稿で、業界紙を有力な市場情報の入手源としたが、業界紙には特有の問題があり、それを念頭に置いておく必要がある。
多くの業界紙は戦後の復興期に創刊された。特定の業界向けに市場の状況や政府の政策、貿易の動向を報道することが主な目的であり、これを通じて経済復興を後押しする役割を果たしてきた。しかし、現代ではそのような情報は調査会社や政府、業界団体のホームページから容易に入手可能となり、従来の業界紙による情報提供の重要性は薄れてきている。
業界紙の運営は、人数に限りがある小規模メディアが多い中で、記者自身が運営にも関わりつつ、新しい考えを取り入れる時間もなく過ごしている。この結果、昔ながらの体質を引きずり、時代に取り残されつつある。市場の動向を深堀りするのが業界紙の務めであるものの、やり方が古く、現代の情報の流れに適応できていないという声も多く聞かれる。
業界紙を取り巻く経済環境も厳しさを増している。バブル期の終わりから不景気が続き、企業の合併や買収が相次ぎ、購読企業や広告主の数が減少している。広告効果の低下とともに、広告単価も下がり、これが特に中小企業である業界紙を直撃している。デジタル化への対応も遅れ、読者離れを加速させている。
現代では、インターネットの普及により情報の媒体が多様化し、業界紙の存在意義は一層低下している。しかし、業界紙が持つ深い専門知識とその歴史的背景は、今後も一定の価値を持つ可能性がある。業界紙が新しい時代に適応するためには、デジタルへのシフトと、記事の偏りを避けるための厳密な編集方針の確立が求められる。この過渡期において、業界紙の再定義が必要であると考えられる。
なぜ、記事の偏りが出るのか。バブル崩壊以前の業界紙は、「業界の代弁者」といった位置づけがあった。メーカーにとっては、政府や卸業、小売業へ、中小企業は政府や大手企業へ、もの申す場でもあった。業界は、そのために業界紙を利用してきた歴史がある。その業界紙の存在をみんなで応援するために広告出稿がなされていた。つまり、業界紙への広告は、元々「本来の意味の広告」ではなかったのだ。しかし、現代では様々な場を通じてモノを申せる。業界紙の存在意義は低下した。そのうえ、前述の通り、広告の効果が薄れてきたために、業界紙への広告出稿は大きく減るようになった。この状況は、業界紙を追い詰めつつある。ある、大手企業の同期は「今後、業界紙への広告出稿を、角を立てずに減らしていくことが、広報担当者の腕の見せ所」とすら言っていた。今後、業界紙への広告が大きく増えることはなさそうだ。
経営がギリギリになれば、人数的な余裕はさらになくなり、記者たちも余裕をもって取材と執筆をすることができず、深い報道が減る。深い報道をしようとすれば、ただでさえブラック気味の労働状況を、より厳しくしなければならなくなる。まとまった休みを取れなくなった記者も多く、夏休みもろくにとれない人も珍しくない。その上、休日出勤や残業時の割り増し分が支払われないという企業も増えているという。中長期的な対応を模索する体力がなくなり、短期的に成果を上げる施策に集中するようになってきた。そのため、広告主を持ち上げるような提灯記事を書くように求めることが増えたそうだ。嘘は書かないが、良いことだけを書くことが増えたらしい。そのことを嘆く記者は多い。
記事の偏りには、こういった背景がある。情報源としては貴重だが、こういった事情を念頭に置きながら、読む必要はあろう。