RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『深い河』遠藤周作 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向う人々。自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。人と人との触れ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。純文学書下ろし長篇待望の文庫化、毎日芸術賞受賞作。

 


第二次世界大戦争を経て、それまで隆盛していた日本の文学は大きく変化しました。空襲によって与えられた凄惨な経験と、戦禍によって与えられた精神への強烈な苦痛は、文学という形を通して新たな思想や哲学となり、第一次戦後派という思潮を生み出しました。その後、復興に伴い流れ込んできた西欧の文化や芸術に感化され、戦争を生き抜いた人間が新たに構築した思想や哲学を打ち出す西欧型の長編小説を量産した第二次戦後派が生まれます。このように西欧化していく文芸思潮から、戦前文学の主流となっていた私小説への回帰を目指そうとする文芸思潮が現れました。これが「第三の新人」と呼ばれる作家たちです。安岡章太郎吉行淳之介庄野潤三らが代表として挙げられ、今回の遠藤周作(1923-1996)もその一人です。


遠藤周作は、カトリックとして生涯を苦悩しながら生きた作家です。銀行員の父親の転勤によって幼少期を満洲で過ごしましたが、両親の離別によって母と日本へ帰国します。伯母(母の姉)の家に身を寄せましたが、カトリックであった彼女の勧めによって教義を学び、洗礼を受けて入信します。灘中学への進学までは順調に進みましたが、その頃から読書や映画に耽溺して勉学が疎かになっていきました。高校受験は苦難の連続で、浪人生活を経てイエズス会の運営する上智大学予科へと進学しましたが、肌に合わずに退学してその後も受験を繰り返して失敗します。精神への負担が起因したのか、その頃から肺を病み始め、その闘病は死ぬまで続きます。受験の失敗が続いて母親に経済的負担をこれ以上与えられないとして、帰国していた父親に頭を下げて同居を願いました。この進言は旧制高校か大学の医学部予科へ入学することを条件に許可されましたが、受験は全て失敗に終わります。そして自分の力量と関心の強さに合わせた慶應義塾大学文学部予科へ、父親に学部を伏せたまま受験を報告して補欠合格しました。しかし真相が明るみになると父親は激怒して、遠藤を勘当してしまいます。生活する場を無くした彼は、友人の利光松男(後に日本航空の民営化に携わる)を頼って宿を借り、縋るようにカトリック学生寮へと入ります。そして、その寮の舎監である吉満義彦の紹介によって出会った堀辰雄の影響で、熱心に勉学と読書に励み、心を入れ替えたように文学者への基盤を構築していきます。


その頃、激化していた第二次世界大戦争の戦局は悪化の一途を辿りましたが、遠藤は肋膜炎の罹患などを理由に兵役に就くことなく終戦を迎えました。戦後は大学に戻ってカトリック作家を中心にフランス文学へと傾倒していましたが、その勉学に励む姿勢を見た父親が、遠藤との関係を緩和させて再び家に招きました。環境の安定と熱心な勤勉によって生まれた初めての評論は神西清の目に留まり、文芸評論を中心に執筆を進めていきます。そして、寄稿していた『三田文学』にて正式に同人作家として歩み始めました。その後、更なるフランス文学の研究として、国内初のフランス留学生として欧州へと渡ります。渡仏中には肺の病が悪化して病院を渡り歩くことになりましたが、それでもルポルタージュを中心に筆を進めて、エッセイや小説などを執筆していました。国内に戻ると作家として本格的に活動を開始し、1955年に『白い人』で芥川賞を受賞します。肺の病が度々悪化して生死を彷徨う経験をしながらも、『海と毒薬』(1957年)、『わたしが・棄てた・女』(1964年)、『沈黙』(1966年)、『イエスの生涯』(1973年)、『侍』(1980年)など、多くの作品を生み出していきました。


遠藤はフランス留学で経験した「日本人でありながらキリスト教徒であるというある種の矛盾」を、生涯にわたって抱えながら生きていました。幼い頃に受けた洗礼は、日本という国の環境で育ち、日本の信仰(主に仏教)の風習を体感して育てられた彼の心に、絶対的なイエスの信仰やローマ教皇の権限に賛同できないながらも賛同しなければならないという苦悩の枷を与えます。背信的な感情は微塵もなくとも、カトリックの唱える、神の存在や信仰の在り方に疑問を抱き続けます。そして、彼が長年この悩みに時間を費やして導き出した持論と、生涯晩年に迫る「死」の存在を意識した「神と転生」という主題を、一つに集成して生み出した作品が本作『深い河』です。


磯辺、木口、美津子、沼田、大津、それぞれの登場人物たちは人生で与えられた苦悩を抱いて、母なる大河「ガンジス川」に導かれます。「愛とは何か」という問いに答えを求めるように、自身の人生を振り返り、過去の出来事に苦しみながら、それでも「愛」を求めて日本からインドへと辿り着きました。遠藤が自身の思考と結びつけたのは、グレアム・グリーンの作品から影響を受けた「人間の哀しさ」でした。

人間の哀しさが滲む小説を書きたい。それでなければ祈りは出てこない。

グリーンの『燃えつきた人間』を読み始める。いかにも壮年、五十代の小説という作品だ。五十代は迷いの多い年齢という意味でだ。ここにはグリーンの人生の、信仰の迷いが叩きこまれている。私の今度の小説だって同じだ。違うのは七十歳近くになっても私の人生や信仰の迷いは、古い垢のようにとれない。その垢で私は小説を書いているようなものだ。

遠藤周作『深い河 創作日記』


第一の登場人物「磯辺」は、信仰を持たない戦後の典型的な日本人男性として描かれており、宗教を持たずに仕事に精を出し、それが家庭への還元であると考える人間でした。しかし、妻の死によって与えられた空虚さはどこから来るのか、生活だけを追っていた自分は人生を失っていたのではないか、といった自問に捉われます。妻が最後に残した「転生」の強い意志に、今まで妻を顧みなかった懺悔の思いを重ね合わせて、できる限りの行動を起こして「妻の転生」の可能性を追ってインドへとやってきます。この「妻の死」から生死を見つめ直し、生活の挫折と人生の再発見に気付き、自身の生を考え始めます。


木口という人物は、第二次世界大戦争時に同時的に発生していた英国領インド及びビルマが独立を目指した戦争において、日本軍が介入して英国軍や米国軍と激しい衝突を繰り広げた「ビルマの戦い」での生還兵でした。襲いくる連合軍から身を守り、届かない配給を頼りに身を隠し、味方が目の前で飢えながら倒れていく姿を見てきた木口は、塚田という同僚と地獄絵図のなかを彷徨い歩きました。ここに示される「死と救済」や「恐怖と咎」は、当時の復員兵が精神に強い傷として負ったものが描かれ、戦後の日本を生きる困難さが垣間見えます。そこには、肉体と精神の「死」の問題が大きく映り、木口は同胞たちの魂を救済すべく、母なる河を求めてインドへとやってきます。


童話作家の沼田は、遠藤が幼少期を過ごした満洲での背景を背負っています。原住民との出会いと別離、愛犬との出会いと別離が、彼の心の奥底に「後悔的な記憶」として残されます。そして肺を患う点も遠藤と重なり、生死を懸けた手術を行います。身代わりのように亡くなった九官鳥に、神の如き力を感じ、その恩返しをするために母なる河へと向かい、救ってくれた九官鳥(に見立てた別の九官鳥)を救済します。ここには、動物をイエスの象徴として描こうとする遠藤の意図が含まれており、「生死と魂」が沼田と動物の会話を通して神性を表しています。

神は人間の口を通して語りかけると言うが、時として神は鳥や犬や人間がペットとして愛する生きものの口を通しても語りかけるのではないだろうか。

遠藤周作『深い河 創作日記』


それぞれの『魂の問題』を苦悩として抱きながらインドへのツアーに参加して物語は進みます。母なる河へと向かう彼らは、「人間は死後に希望を得られるのか」という「心の救済」を求めています。それは「愛」とも言い換えることができ、特定の信仰のない日本人にとっての救いという問題が本作で主軸となって描かれ、カトリック作家としての遠藤が、主題として苦悩のうえでの一つの答えを示しました。

遠藤は、イギリスの哲学者ジョン・ヒックの宗教多元論に影響を受けています。これは、文化の相違や宗教の相違によって構築された社会的価値観を尊重して、良心に応じて様々な宗教を選択することができるという権利や自由、そして安全を与えられるべきであるという考えです。排他主義的な宗教における「神の在り方の矛盾」に悩まされる人々は、この考えに賛同して支持し、遠藤もまた自身の抱える「神に望む在り方」に理解を示す考えとして作品を通して同調しています。晩年となった彼は、死に向かう焦燥によって魂や転生といったことへ意識が強く向かい、「一日一日、自分の人生が終りに近づきつつあることを感じない日はない」と日記にあるように、差し迫る「死」についての恐怖を抱いていたことで、「神の救いによる死」を望んでいたことが窺えます。


生も死も、善も悪も、すべてを包み込んで流れていく偉大なガンジス川は、インドで雄大に流れています。ヒンドゥー教徒のみではなく、どのような信仰を持っているものでも拒絶することなく、それぞれの人生を清濁合わせ飲むように魂を流してくれる存在です。ヒンドゥー教における河の女神ガンガーの名を持ち、ガンジス川はその化身として人々の魂を浄化すると考えられています。その水には聖なる力があるとされ、河での沐浴によって現世の罪を洗い流して、女神による浄化を受けると考えられています。また、この沐浴によって冥界で苦しむ先祖の霊魂を幸福にし、先祖の魂を浄化させて輪廻転生を促すとも言われています。本作後半の舞台となるヴァーラーナスィは、ヒンドゥー教ジャイナ教、仏教の聖地で、インドの文化的中心地でもあります。ここは、瀕死の状態でガンジス川を目指す人々が望む「救済的な死」を手助けする土地でもあり、死の儀式が頻繁に行われる「死者の都」として知られています。インドの人々はガンジス川に流されることを魂の望みとして抱いています。それは彼らが「ヴァルナ」と呼ばれるカースト規制の考え方を持ち、善行による魂の浄化によって来世を幸福なものとすると信じ、飢餓や病苦に苦しめられても最期にガンジス川に流されれば魂は報われるという強い意識を持っているからであると言えます。このような価値観と目の前に繰り広げられる沐浴と死の儀式に、インドを訪れた登場人物たちは、人生の意義と魂の救済を目の当たりにするように衝撃を受けます。


主題の中心となる大津と美津子は、「人間愛」についての探究が描かれています。「誰かのため」ではなく、「愛のため」に生きている大津の言動を、「自分のために」生きる美津子には理解ができません。ピエロと表現される大津とガストンという介護ボランティアは、場面こそ違いますが同質の存在として描かれています。無力でありながらも懸命に他者の苦悩を受け止めようと「愛」を持って接します。

わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を獻げられた神の子に対する信仰によるものです。

新約聖書』ガラテヤの信徒への手紙 第二章第十九-二十節

大津とガストンの行動はイエスに倣っていると言えます。愚かで醜く、愚鈍と思われながらも、人々の苦しみや悲しみを包み込むように受け止めて、少しでも助力しようとする「無償の愛」が、イエスの在り方と重なって彼らの言動から感じられます。

 

ここで遠藤周作は「担架に乗せられた時、大津は羊のような苦痛の声をあげた」と書いている。私たちはもう「羊」がキリストを表すことを知っている。美津子が何の気なしに拾い読みした「イザヤ書」のすぐ先に、次のように書かれているのだ。

「彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。」
(「イザヤ書」第五三章五-八節、一九五五年改訳による)

旧約聖書において、イエス・キリストの出現を予め告げているとされるこの個所が『深い河』の大津の生き方(あるいは死に方)の基調低音をなしている、と言って良いだろう。そして「無力なイエス」という主題は遠藤周作の到達した地点であった。

井桁貞義『ドストエフスキイ 言葉の生命』


フョードル・ドストエフスキーの『白痴』におけるムイシュキン公爵を、大津の言動と重ね合わせて読み解く井桁貞義はこのように述べています。ラゴージンの精神が乱れ、奇異な言動を繰り返す生命の最期を見守る場面では、ムイシュキンは何ひとつ彼のためにできることがありませんでした。ただ涙を流して寄り添い、無力な同伴者として傍に佇むのみでした。

奇跡を起こす神的存在のイエスではなく、無力でありながら包み込むような存在のイエスこそ、復活(転生)の意味があり、同伴者としての心的支柱という信仰の根源的な存在足り得るものだと遠藤は考えます。大津、或いはムイシュキンの言動からは白痴的な印象を確かに受けますが、そこには絶対的で無力な同伴者としての人間愛が存在しており、それはイエスの言動とも繋がっているものと考えられ、彼らの言動はただの神の真似事ではなく「真の信仰における深い愛」が込められているということが理解できます。

 

だが我々は知っている。このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されていることを。そしてやがて触れねばならぬ「復活」の意味もこの「何もできぬこと」「無力であること」をぬきにしては考えられぬことを。そしてキリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まるのであるということを。

エスはその愛を言葉だけでなく、その死によって弟子たちに見せた。「愛」を自分の十字架での臨終の祈りで証明した。

遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子


エスを体現する大津がカトリックに拒絶され、辿り着いたのがヒンドゥーの女神ガンガーでした。無力ながらも愛を持って、ガンジス川まで辿り着くことができない人々を「魂を救済」するために寄り添って連れて行きます。その存在は、多くの人々に理解されませんが、助けられた人々は神を見たように感じるのだと思います。大津は不憫な最期を遂げますが、その姿を見て心に影響を受けた美津子は、やはり「無力なイエス」を彼に見たと考えられます。妻を失った磯辺同様に、亡くしたものは心に生きています。これこそが「復活」であり「転生」であるという解釈も可能だと言えます。神性を受け継ぐように魂を胸に抱き、思い返すたびに転生を感じる、このような考えも一つの信仰であると感じました。


遠藤周作の晩年に発表された本作『深い河』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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『終わりよければすべてよし』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

前伯爵の主治医の遺児ヘレンは現伯爵バートラムに恋をしている。フランス王の難病を治して夫を選ぶ権利を手にし、憧れのバートラムと結婚するが、彼は彼女を嫌って逃亡、他の娘を口説く始末。そこでヘレンがとった行動は──。善と悪とがより合わされた人物たちが、心に刺さる言葉を繰りだす問題劇。


この作品は1601年から1606年の間とされており、一般的にシェイクスピア作品のなかで「問題劇」と呼ばれる『トロイラスとクレシダ』及び『尺には尺を』などと共に括られています。三作どれもが、暗く苦い笑いと不愉快な人間関係を軸に描かれており、これはシェイクスピアの喜劇時代に執筆された『十二夜』や『お気に召すまま』のような幸福感が表現されている喜劇とは明確な違いが見られます。本作『終わりよければすべてよし』は喜劇でありながら、そのシニカルな心的リアリズムが強調されていることで、当時を含めてあまり上演されることはありませんでした。特に作品前面に出される現実的な性的関係性や、家父長制における身分違いの一方的な恋の成就は、観客が理解して受け入れることが困難であったと考えられます。


国王さえも認める有能な医師の娘ヘレン(ヘレナ)は、父を亡くしたのちにルシヨン伯爵夫人に抱えられ、養われています。この伯爵夫人の息子であるバートラム伯爵はフランス国王の元へと仕えに行きますが、ヘレンは彼に一途な恋愛の感情を抱いています。美しい容姿と闊達な性格で魅力に溢れていたヘレンですが、身分の低い生まれであることから貴族のバートラムは彼女に対して冷淡であり、恋の成就は非常に困難な状況にありました。しかし、国王が病気であるとの知らせが届くと、彼女はフランスへと向かって国王に謁見を願い、命懸けで王の信頼を得て、亡き父親から受け継いだ秘術を用いることで病気を治療します。その貢献の対価として、ヘレンは国王配下の男性を自由に選び結婚することを望みました。名指したのは当然、バートラムです。しかし彼はその婚姻を激しく嫌悪し、急ぎフィレンツェ公の軍へと参加して、実質的に結婚から逃亡しました。そしてヘレンは伯爵夫人の元へと返されると、バートラムからの手紙を受け取ります。彼の指から代々受け継がれる指輪を手にし、彼の子をヘレンが妊娠しなければ、真実の配偶者とはならないという不可能とも言える条件を突きつけられます。伯爵夫人は取り乱し、ヘレンは「巡礼の旅」へと向かうためにルシヨンを出発しました。

フィレンツェでは、バートラムが公爵軍の将軍を任されており、自信も生気も取り戻している様子でした。ヘレンは巡礼の旅の途中に訪れた街で、バートラムが美しい処女の娘ダイアナを熱心に口説いていることを知ります。このダイアナとその母に近付いたヘレンは一計を案じます。ダイアナがバートラムの誘惑に応えて承諾する代わりに、彼の指輪を真実の愛の担保として欲します。そして灯りを落としたダイアナの床でヘレンが待ち受け、バートラムはダイアナと思い込んだまま二人は愛し合います。その後、ヘレンが亡くなったという虚偽の知らせがバートラムへと届き、戦争も終わりに近づいていたために彼はフランスへと帰国します。ルシヨンに到着すると、国王をはじめとして誰もがヘレンの死を悲しんでいました。バートラムは悲しみを越えるための新たな婚姻を持ちかけられ、前向きな思いで同意します。しかしその時、国王はバートラムの指に嵌められたヘレンの指輪に気付き、なぜ嵌めているのかと彼に対して激しく詰問します。それは、国王が治療の例として渡した、他に二つとない贈り物の指輪でした。バートラムは釈明に行き詰まり、言葉が出なくなっているところへ、ダイアナとその母が現れ、全ての話を暴露し、死んだはずのヘレンが登場します。罪を認めて贖罪を求めるバートラムに対して、ヘレンは全てを許して改めて婚姻の契りを結び、喜劇的な終幕を見せます。


本作は、初期ルネサンス文学の代表的な作品であるジョバンニ・ボッカッチョ『デカメロン』の第三日目第九夜から創作されたものです。シェイクスピアは、元となる閨房における人物のすり替わりや、フィレンツェでの戦争などの重要な要素は維持しながらも、ラフュー卿、伯爵夫人、パローレスなどの登場人物を追加して、より豊かな物語を書き上げました。


本作でまず目を惹く点が、老若二つの世代間に明確な対比が見られることです。劇中の年配者たちは死を恐れて悩まされています。伯爵夫人は夫を失い、自分自身も老いています。医師であったヘレンの父親も亡くなっています。ラフューは病弱であり、ダイアナの母親も夫を亡くしています。そして劇が幕を開けると、国王は死の淵に立たされています。対して、闊達なヘレン、若々しい魅力的なダイアナ、生気溢れるバートラムといった若い世代は結婚適齢期を迎えている活力旺盛な時期にあります。子を手放す親たちに迫る死の影が、本作において非常に現実的な要素となっていると言えます。親世代たちは死に悩まされていながらも、知恵と洞察力が優れており、パローレスの打算を見抜き、身分の低いヘレンの真の価値を見出し、バートラムの奔放を非難します。若年世代は、このような知恵や洞察力を持たないことによって、ヘレンの異性を評価する力の無さ、バートラムの冷淡で傲慢な思い上がりなどが露呈して、フランスの時代を担う若者たちの頼り無さを示しています。


また、シェイクスピア作品には屡々見られる「卑猥さ」が、本作では特殊な扱いを受けています。多くの作品においては、恋愛の清潔さを強調するために取り入れられることや、悪党の卑劣さを強調するために使用されることが多く見られますが、『終わりよければすべてよし』では、この「卑猥さ」こそが中心の軸となって描かれています。閨房でのすり替わりは勿論のこと、その計画を赤裸々に話すヘレンの台詞や、バートラムとパローレスの蔑視的な卑猥な表現は、作品の流れの中心の話題となって幾たびも述べられています。主題が恋愛や婚姻にありながら、視点は不快的リアリズムに焦点が当てられており、観客(読者)は醜い現実を突き付けられているように感じさせられます。付随して、男女の関係を流れの中心においていながら「清廉なロマンス」はどこにも見えてきません。中心人物である二人、ヘレンの断固的な一方通行の恋、バートラムの女性蔑視の快楽主義的な性交は、特にこの点が顕著であると言えます。唯一、救いとも言える「月の女神」の名を与えられたダイアナの純潔だけが、一服の清涼剤として輝いています。


さらには、ヘレンは愛すことには熱心ですが「愛し合う」ことには執着していません。どのようにして「バートラムを手にするか」といった行動原理さえも感じさせるほどに相手の感情は無視したまま、国王の権利とバートラムの不可能問題を活用した「栄誉」を手にすることに執着します。ここには家父長制社会で虐げられた「身分の低い女性」の欲望を描いているようにも感じられます。伯爵夫人に愛された環境とはいえ、身分の低さから与えられる貴族からの蔑視、それを受けて芽生える栄誉の欲が、ヘレンが起こす行動の原動力となっているようにも思えます。バートラムの美しさに惹かれたことに違いはないと思われますが、それ以上に、貴族へ嫁いで自らも貴族となるという目的が先行しており、だからこその一貫した行動が、観る者は恋愛感情からは理解できなくとも、ヘレン自身には理に適った一計であると頷けます。裏付けるように、ヘレンは「巡礼の旅」に出ます。キリスト教聖地巡礼を思わせる行動には、俗世からの離脱、即ち家父長制社会被害者からの離脱者となることを暗に示しているようにも取れ、彼女の行動は常に一貫していることを改めて感じさせられます。


終幕にてバートラムは、全てを明かされ国王及びヘレンの言葉に従うことになり(突き詰めれば自身の言葉を遂行しただけとも)、最終的にはヘレンと婚姻の契りを交わして大団円の空気に包まれます。しかしながら、ここまで不快的リアリズムを示してきた以上、その後の(幕後の)二人の関係は歪なものとなることは目に見えています。契りを破らないとしても、円満な家庭を築くという未来はなかなか思い描くことができません。題名『終わりよければすべてよし』というものさえ、諷刺的な気色を覚えさせます。婚姻の喜劇であれば「愛の勝利」である筈でありながら、どこかしら「権力の勝利」のような印象を受けます。このような煙に巻いたような終幕は、国王さえも「終わりがこうもめでたければ、すべてよしらしい」という曖昧な言葉を残しています。そして、このような歪な幸福感の中で実際に「幸福を感じている」人物はヘレンただ一人です。誰にとっての「すべてよし」なのか、という問いを投げるならば、それはヘレンであると言わざるを得ません。

 

人生は、善と悪とをより合わせた糸で編んだ網なのだ。我々の美徳も過ちによって鞭打たれなければ、傲慢の罪を犯すだろうし、我々の罪は美徳によって抱きとめられなければ、絶望するだろう。


シニカルな物語に仕上げられてはいますが、不快的リアリズムを認めるならば、ヘレンの渇望した「栄誉の愛」は一概に悪徳な意味合いは持ちません。原動力となる根源には、人間としての清らかさが虐げられた結果によるものであり、望む幸福に必要なものが栄誉であっただけであり、「真の悪意」からなる奸計ではなかったと言えます。だからこそ、ヘレンにとって「すべてよし」であれば、幕は降り、喜劇と成立するのだと解釈できます。晴々しい幸福感に満ちた喜劇とは一線を画す『終わりよければすべてよし』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『ヴェローナの二紳士』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

本作『ヴェローナの二紳士』は、シェイクスピアが執筆した最初の喜劇と言われています。劇中には、女性の男装や情欲の森など、彼が後の作品に活かす発想が随所に現れています。舞台となるイタリア北部にあるヴェローナは『ロミオとジュリエット』でも知られています。


ヴェローナの紳士であるヴァレンタインとプローテュースは、互いに固い友情を交わし、何事も隠し事のない強い絆で結ばれていました。しかし恋愛についての考え方は正反対で、ヴァレンタインはそのようなものに関心を持つことができず、見識を広めたいという思いからミラノ公爵のもとへと旅立ちます。反してプローテュースは恋人ジュリアのもとを離れる気が起きず、ヴェローナに残ることを決めて遊学を見送りました。しかし、社会を学ばせて立派な紳士とさせるため、プローテュースの父親が計らって強引にミラノ公爵家へと彼を送ります。公爵家に着くと、ヴァレンタインは人が変わったように公爵令嬢シルヴィアに激しく恋をしていました。それを見たプローテュースは憤る感情を抱く間もなく、彼自身もジュリアという恋人がありながら、シルヴィアへ一目惚れをしてしまいます。ヴァレンタインとシルヴィアは駆け落ちの計画を立てており、その助力をプローテュースに依頼します。友情と恋心に挟まれたプローテュースは、友情を切り捨てることを決意しました。駆け落ちを公爵へと密告し、ヴァレンタインをミラノから追放させ、嘆くシルヴィアを慰める役を買い、自分を売り込むために近寄ります。その頃、寂しさで恋焦がれていたジュリアはヴェローナに止まることができず、男装して姿を変え、プローテュースに会うためにミラノへと向かいます。そこには、詩に乗せてシルヴィアへ思いの丈を伝えているプローテュースがいました。男装に気付かない彼はジュリアを小姓として雇い、シルヴィアへの遣いを言い渡します。また、追放されたヴァレンタインは森で山賊と出会って意気投合し、山賊の頭領となって森に住まいます。一方、シルヴィアは公爵に当てがわれた貴族との婚姻から避けるために森へ逃げ込みました。しかし、その後を追いかけてきたプローテュースに捕まり、シルヴィアは襲われますが、そこへヴァレンタインが現れました。

 

オルフェウスの竪琴は
詩人の神経を弦にしたものだ、
その黄金の調べは鉄を溶かし、石をやわらげ、
虎の心をなごませ、巨鯨リヴァイアサンをして
底知れぬ海より出でて砂の上に踊らせたという。

第三幕第二場

このプローテュース(Proteus)の詩に乗せた「リヴァイアサン」という言葉からは、海神プロテウス(Prōteus)を想起させられます。ギリシャ神話において「海の老人」と呼ばれ、ポセイドン以前の大海の統治者であり、預言者であったプロテウスは、その預言の能力を用いることを厭悪していました。この預言を聞くために多くの勇ましい英雄たちは駆けつけますが、プロテウスは獅子や大蛇、樹木や氷河など、様々なものに姿を変えることができる能力を有していたため、捕まえること自体が困難な存在でした。外見を様々に変化させるプロテウスを、内心を次々に変化させるプローテュースと呼応させて、シェイクスピアは一つの個性を築き上げています。


恋愛は「女性上位」という価値観を、シェイクスピアはその作品群へ一貫して描写しています。そして、女性は嫉妬をせず、忍耐強く愛を守るという行為を徹底しています。本作のジュリアもこのような行為を貫くことに苦悩します。小姓の変装をして更に外面から心を覆うという立場は独白によって本心を吐き漏らしますが、プローテュースの前ではひたすらに耐え忍び、直截的に嫉妬の感情を見せることはありません。このような強く逞しい女性の愛は、移り気で身勝手な男性の愛とは大きく異なることを対比的に捉え、より神聖で美しい態度であるということを劇中で訴えています。プローテュースが移り気を起こしているのではないかというジュリアの抱く恐怖の感情は、男性のそのような非道な行動が当時の社会的に許容されていたという事実が根底にあります。本作は、この社会環境を生きる女性の観客が実際に言い寄ってくる男性や付き合っている男性に移り気の可能性があることを示唆し、当時の全ての女性が脅かされていた「欺瞞的な恋人に騙される」という悲劇を未然に防ぐことができるようにと訴えているように感じられます。


暴走したプローテュースが森でシルヴィアを捕まえて強姦しようとする場面は、色欲の情念の恐ろしさが急激に迫る場面です。公爵家では紳士であろうと努めていた彼を変えたものは「森」そのものであると言えます。幾つかのシェイクスピア作品で用いられている手法と違わず、森は恋愛感情を高め、欲情を剥き出しにする効果があり、プローテュースもまた、シルヴィアに触れたことで一線を越えようとするほど気持ちが高まったのだと考えられます。それを山賊に身を落としたヴァレンタインが見事に救いますが、森を棲家とする山賊となっていたがために、ヴァレンタインは正気を保ち、紳士らしく卑劣な行為を制することができたのだと言えます。


ヴァレンタインに制されてプローテュースは我に返り、恋愛の面でも友情の面でも、自分が非道な行為を働いたと恥じてヴァレンタインに心から謝罪します。そこでヴァレンタインは驚異的な寛大さを見せてプローテュースの思いを受け入れます。そして友情の証に、救ったばかりのシルヴィアを譲ろうと言い放ちました。襲われかけていたシルヴィアを思うと突拍子も無い進言です。しかし当時は、いかにロマンスに溢れていたとしても「男女の愛」は社会的に軽視されていました。男性上位である社会においては、男性同士の友情の方が高貴であり、階級社会に有用なものと考えられていました。その中でも「贈与」は、平等な関係にある男性特有の信頼行為であり、最も深い友情の表現でした。そして、ヴァレンタインにとって最も愛するシルヴィアを与えるという行為は、何よりも大切な友人であると証拠付ける意味合いを持っています。しかしながら、「女性上位」の恋愛観を持つシェイクスピアが本心からその台詞を言わせたとは考えられません。強姦未遂という卑劣な行為を目の当たりにした直後、一つの謝罪で全てを許し、未遂被害者を実行犯に与えるという急展開は、観客は当然ながら、シェイクスピア自身も正当ではないと考えていたと思われます。つまり、シェイクスピアは「男性上位の社会」による身勝手な考え方自体を批判しており、女性がこのように虐げられているのだと、本作をもって提示しているのではないかと考えられます。


題名には「紳士」(The Two Gentlemen of Verona)と入れられていますが、ヴァレンタインもプローテュースも、かなり未熟な若者です。口先ばかりがくるくると回り、本心では身勝手極まりないことばかりを独白します。ヴァレンタインも終盤こそ紳士らしさを見せ始めますが、冒頭では恋愛などくだらないと言い放っておきながらシルヴィアに惚れ込んでしまいます。またプローテュースもジュリアと離れることを惜しんで公爵のもとへ出向くことを先延ばしにしていましたが、シルヴィアを見た途端にジュリアの姿は消え失せてしまいます。本作は、若者の愚かな点を全面に打ち出した劇だと言えます。終幕に公爵を登場させて、半ば強引に喜劇へと仕立て上げていることも注目すべき点です。当時、喜劇は比較的堅苦しくない若者も多く観覧する場で演じられました。そこにシェイクスピアの狙いがあったと考えられます。若者の、特に恋愛の絡んだ愚かさを喜劇という受け入れやすい形に乗せて、若者自身たちへ届け、実際に若さゆえの愚かな行為をしないようにと啓蒙していたように思えます。

 

彼があの人のなかに見いだしている美点で、私のなかに見いだせないものがどこにあるの、愚かな恋が盲目の神様でさえなければ?


ジュリアの言葉の通り、若者はより一層に恋をすると盲目になります。欲情が先走り、手段を選ばずに愚かな行為へと突き進みます。男性上位という社会に置かれた若き男性たちは、徐々に自身の置かれた優遇された立場に気付き、欺瞞と傲慢に溺れていきます。次代を担うべき若者に、真に大切なものを見つけて、愚かな過ちを負って欲しくないというシェイクスピアの優しさを本作で感じました。作品としても登場人物が非常に少なく、読みやすい作品となっている本作『ヴェローナの二紳士』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『タイタス・アンドロニカス』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

ローマの帝位継承権を争う前皇帝の息子兄弟。そこにゴート人との戦いに勝利したタイタス・アンドロニカスが凱旋帰国し、市民の圧倒的支持により皇帝に推薦されるが……。男たちの野望に、愛情・復讐心・親子愛が入り乱れたとき、残虐のかぎりが尽くされる……。シェイクスピアの作品では異色の惨劇。

 

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、劇作家として活躍する初期の1588年から1593年の間にこの劇を書いたと考えられています。『タイタス・アンドロニカス』は、彼の作品のなかで最も暴力的で血生臭い作品の一つであり、名誉の力と暴力の破壊的な性質を題材として描かれています。


執筆当時のエリザベス朝時代では、ラテン文学と称されるオウィディウスセネカなどによる古典的な悲劇が非常に人気がありました。復讐、惨殺、残虐行為、幽霊、そして大言壮語な弁舌など、明確な特徴を持った作風は「流血悲劇」(血の悲劇とも)と呼ばれ、現在の劇作家へも影響を与え続けています。当時の作家も当然ながらに影響を受け、多くの凄惨な悲劇を生み出しました。シェイクスピアも同様に影響を受け、この作風で人気を高めていたトマス・キッドの戯曲『スペインの悲劇』は、『ハムレット』の原作として用いられています。これに留まらず、クリストファー・マーロウ『マルタ島ユダヤ人』、フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーの合作『処女の悲劇』など、多くの作品が演じられました。始めから終わりまで、これでもか、という惨劇が続くという凄まじい内容の数々ですが、このような残酷悲劇を受け入れて楽しむという雰囲気が、当時の英国にはあったと言えます。

 

流血悲劇には形式から考へて、單に無數の死が有りさへすればよく、感傷などといふものは場違ひであり、言はば現代の探偵小説の場合に、讀者が毒や彈丸や短劔の犠牲者に憐みを感じたら失敗であるのと同じことだ。流血悲劇の觀客は唯、新しい形の死と復讐の新奇な手段を求めてゐるのである。

M・V・ドーレン「タイタス・アンドロニカス」批評集


シェイクスピアが描いた惨劇『タイタス・アンドロニカス』も、エリザベス朝時代の舞台で最も人気のある演劇の一つとなりました。本作は極めて凄惨で残虐な内容のため、本当にシェイクスピアが執筆したのかと疑われたほどです。描く時代は、恐らく五賢帝が治めたのちに訪れた三世紀の危機や東西ローマの分裂などで衰退を見せていた頃のローマ帝国と思われます。


ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利を齎してローマに凱旋します。民衆は喝采をもってタイタスを迎え、空位ローマ皇帝に即位するように要望しますがタイタスは相応しくないとして断り、代わりに先帝の長男サターナイナスを指名しました。捕虜としてゴート族女王タモラとその息子たちを捕えて連れてきたタイタスは、ローマ帝国の慣例に従って、戦いの犠牲となった彼の息子たちの弔いのため、タモラの必死の嘆願にも関わらず彼女の長男を儀式的に恨みを晴らす生贄に捧げました。一方で、新皇帝サターナイナスは、捕虜である女王タモラに惚れてしまい、即座に皇后に迎えました。タモラは、息子の恨みを晴らすため、情夫エアロンや生き残った息子たちと共謀し、皇后という立場を最大限に活かして、タイタス一家を次々と罠にかけ、その名誉と幸福と生命を次々に奪っていきます。悲嘆に暮れて平常心を失ったタイタスは、それでもタモラ一味への復讐を誓い、凄惨を突き返すように謀をめぐらして対抗します。互いの憎悪は復讐の連鎖となって、絶望的な地獄絵図を描き出します。


タイタスの娘であるラヴィニアが凌辱される場面は、オウィディウスの『変身物語』におけるプロクネーとピロメーラーの描写が踏襲されており、無惨で強烈な印象を与えます。彼女はタモラの策中によって行われる狩りの最中に、森の中でタモラの息子二人によって残酷に強姦され、両の手首を切り落とされ、言葉を発することができないように舌を切り取られました。この場面より、彼女は常にステージ上で無言の象徴的な恐ろしい存在となり、父親タイタスがより多弁となって苦しみの表現を助長させ、血塗られた復讐の共犯者となります。あらゆる伝達手段を奪われ、最も重要な貞操を奪われた彼女は、シェイクスピア作品の中で最も無力な被害者の一人に見えますが、彼女が肉体的に欠損することによって、本作の物語と主題の重要性は高まり、舞台上での無言の演技は観客の注意を強く引き付けます。


また、タイタスによる終盤の復讐では、弟のアトレウスによって虐殺され、自分の子供で作られた人肉のパイを知らぬ間に食べさせられた、セネカによる『テュエステス』が踏襲されています。タモラに息子二人の血と骨を用いたパイを食べさせるという憎悪の極みの描写は、タイタスの心情が狂気的なほどに攪拌されたことが伝わってきます。そして、タイタスが登りつめた民衆の英雄としての人生的絶頂から、全ての幸福を剥ぎ取られて奈落へと転落していくさまは、名誉の失墜と憎悪の激しい暴力が両極的に描かれており、観客(読者)へ激しい恐怖を与えます。

また、義があれば殺しも正当化されるという考えのもとで行動するタイタスは、気付かぬうちに自己矛盾に陥っています。タイタスは自分に逆らう息子を自ら一太刀で死に沈めますが、サターナイナスに処刑されると泣いてもがき苦しむという行動を見せます。誰がどのような経緯で死ぬかということで、人の命の価値が変わるという矛盾の引き金は、やはり名誉と愛が関わっており、結果的には伝統を重んじる名誉の尊重が彼に悲劇を与えたという見方もできます。


本作を蹂躙するエアロンの狂気的な残忍性は、タモラの冷酷で打算的な毒婦性と絡み合い、凄惨な描写を数多く生み出すことになっています。登場人物すべてに憎悪を生み出させる彼らの存在は、絶対的な自己尊重をもとに構築しています。しかし、互いの名誉が一人の赤子によって道を違えたために、双方に破滅の隙を与え、タイタスの復讐に呑み込まれていきました。復讐合戦によって地獄絵図と化した最終幕では、唯一とも言える民衆の強い指示を得ていたタイタスの子ルーシアスが光を僅かに見せてくれます。直情的な戦士であった彼は、目の前に広がる凄惨を前にして、それでも皇位を立て直そうと試みます。彼に芽生えた責任と誇りは、残酷な悲劇の末に生まれた僅かな希望として描かれています。

 

私はタイタスにリアの前身を觀た。そしてこれを譯してゐるうちに、エアロンのうちにイアーゴーとオセローを、ルーシアスのうちにコリオレイナスとマルコムを、サターナイナスとタモラのうちにマクベスとその夫人を、詰り後期悲劇の片鱗を幾つか垣間見る想ひがした。

福田恒存『タイタス・アンドロニカス』解題


シェイクスピアが後期に執筆する偉大な悲劇の核となる登場人物の性質が、既にこの段階で芽を出していました。本作は、流行に流されただけでなく、彼独自の天才性の芽生えを随所に滲ませた作品であると言えます。確かに残酷な描写の多い作品ですので読者を選ぶかもしれませんが、興味を持たれた方はせひ、読んでみてください。

では。

 

『幽霊たち』ポール・オースター 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

私立探偵ブルーは奇妙な依頼を受けた。変装した男ホワイトから、ブラックを見張るように、と。真向いの部屋から、ブルーは見張り続ける。だが、ブラックの日常に何の変化もない。彼は、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。ブルーは空想の世界に彷徨う。ブラックの正体やホワイトの目的を推理して。次第に、不安と焦燥と疑惑に駆られるブルー……。'80年代アメリカ文学の代表的作品!


十九世紀末から二十世紀にかけて隆盛を極めたモダニズム文学は、それまでのリアリズム(写実主義)を否定するように作家の思想や意思を表現していきました。それまで文学として求められていた「あるべき流れ」を否定し、複数の対立意識を双方に存在させ、事物の曖昧性や不確定性を肯定しようとする文学運動で、ジェイムズ・ジョイスフランツ・カフカヴァージニア・ウルフアンドレ・ジイドなどが代表作家として挙げられます。この前衛的な文学運動は世界中に広がりましたが、第二次世界大戦争を迎えると更なる変化が見られました。世界は進歩と発展に向けて突き進んでいたという人間の理想が戦争という破壊と荒廃によって打ち砕かれ、人間や社会の持つ不条理や虚偽性が意識の上に昇ってきます。これによって生まれた新たな思想は文学の「外枠そのもの」を破壊するようになり、矛盾や不条理をさまざまな手法で描こうとするポストモダン文学が現れました。作家のサミュエル・ベケットホルヘ・ルイス・ボルヘスルイージピランデッロなどが挙げられます。また、フランスの哲学者ジャック・デリダによる脱構築の理論は、ポストモダン文学の論理批評に強い影響を与え、実存主義における存在理論をその文芸性の主軸に見出しました。そしてアメリカの作家ポール・オースター(1947-)も、このポストモダン文学における代表的な一人です。


オースターは、本作『幽霊たち』で自伝を比喩と暗喩をもって拡張させた探偵小説として描いています。フィクションのなかに自伝的要素を抽象的な観念として取り込み、彼の抱える焦燥、恐怖、悲観、疑念を物語として構築させていきました。舞台は新旧の建物が混在する緑の多い自然の変化を感じることができるニューヨークのブルックリン・ハイツで、1947年2月3日より物語は始まります。この日はオースターの誕生日で、自伝的要素を込めていることを示唆しています。登場人物には、ブルー、ブラック、ホワイト、ブラウンなど色の名が与えられ、彼らの存在が抽象化されていくとともに、色とりどりであるブルックリン・ハイツの景色が色を失っていく効果をも与えています。

探偵のブルーが、ある人物を監視して欲しいという依頼をホワイトから受けます。対象はブラックという男性で、彼の部屋を目の前から覗くことができる部屋を用意されて、週に一度の報告を求められました。ブルーの使用する部屋は快適で、ブラックの住む建物の向かい側にあり、監視が非常に容易であるように感じました。しかし、ブラックは一向に目立った行動を起こすことはなく、一日の殆どは窓に面した机に向かって紙に何かしらを書き付けることを続けているのみでした。単調なブラックの行動と、単調な自身に求められる仕事にブルーはやがて嫌気が差してきます。状況を打開しようと探偵としての変装に長けていたブルーは、大胆にもその力を発揮してブラックへと直接的に接触しようと行動を起こします。変装のうえでのブラックとの会話は実に自然に行われ、ブラックさえも待ち受けていたように感じられます。このような互いの思考は徐々に近付き、境界線が曖昧となるような同調的一体感に二人は包まれ、互いの意図さえ分かり合う状況に陥ります。そして、不可解な拘束感と疑心暗鬼を生じたブルーは、ブラックと決着をつけるために強引な手口で乗り込んでいきます。


ブルーとブラックは、陣取った部屋のように互いを鏡のように写し合っています。行動描写でも台詞においても、繰り返しのような同様の現象を起こし、合わせ鏡のように反射し合って言動を重ね合わせています。互いの反映が、事象の実存性を失わせ、互いの虚偽性となってブルーの感情を否定的に刺激して心的負荷を与え続けていきます。その感情は鏡に映った鏡のなかのように無限に繰り返されているように襲い掛かり、彼の心情から冷静さを失わせ、意識は鏡のなかに閉じ込められたような閉塞感を抱きます。この閉塞感を助長させているのが互いの部屋です。監視するため、監視されるため、彼らは部屋に閉じ籠ります。やがて、向かい合う二つの箱には鏡像のような実存性の無い二人の人間が収まっているように感じられ、思弁的な文章が二人の存在をより抽象化させ、実在化しない存在「幽霊」のように感じられるようになっていきます。


ブラックの部屋での行動は執筆であることが理解できます。そして、ブルーの強引な行動から、その執筆内容はブルーのことであることがわかります。また、本作が冒頭の日付から自伝的なものであることが窺われ、ブラックはオースター自身であると仮定できます。そして、鏡像のような描写と思弁表現によって同調したブルーもまた、ブラックと同様の存在であるとも繋げられます。ブラックを監視するブルーは執筆者を眺めるもの「読者」であるとも言え、オースター自身の視線とも捉えられます。本作はオースターが、執筆者と読者の両側から苦悶する彼自身の心象を描いているという結論が見えてきます。オースターは「執筆」における実存の懐疑と襲いくる恐怖を感じており、心の内部をブルーとブラックの二人によって分割して物語として書き上げました。


また「幽霊たち」という言葉には、過去に栄華を極めた偉大な作家や、誰もが知る有名な主人公たちを暗喩して、小説というものが抱える虚偽性や執筆による存在の不確定性を表現しています。創作された物語は実存することはなく、また、実存する人間を描いたものでさえ、言葉というもので綴られている以上、そこには「ありのままの存在を映すことは不可能的である」という意図が込められています。また、執筆者としての蟠りと恐怖は、四壁の部屋の存在によって助長されます。ブルーとブラックは、閉じ込められ、閉じ籠り、互いに孤独となり、あらゆる実存から遮断されているような閉塞感を与えられます。そのなかでも顕著な描写は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』をブラックが読んでいるという場面で認められます。如何に生きるべきかという趣旨のもと、人間の本質や社会の在り方、倫理の持ち方などを考慮のうえ、ごく単純な自然を愛する生活へと向かおうという内容です。しかし、この理論は「孤独的な思考」が求められ、ブルーは恐怖と嫌悪を感じます。


また、ブルーとブラックを対比的に切り分けた場合、視点が変わって新たな見え方になります。ブラックは作者であるオースター、ブルーは主役にして読者として分解すると、立場が明確に変化します。読者に注目されたい、されなければ自認できなくなるという恐怖は、執筆という負荷、言葉の不確定性から生まれます。そして読むこと、書くことはそれぞれ孤独ななかで行われ、互いに閉塞感を持つようになります。時代は現代であり、舞台は1947年に始まって、1986年に発行されています。いつ終わるともわからない大著を書き続けたブラックは、実に39年ものあいだ孤独と戦い続けてきました。そして執筆者ブラックには読者ブルーが必要だったという結論に至り、ブラックは物語の終わりを予期していました。自伝の終わりは「死」であり、ブラックは死を受け入れるために女性との関係を断っています。また、読者であるブルーもまた、未来のミセス・ブルーとの別離もあり、ますます与えられた孤独のなかに閉じ込められます。ブラックとブルーの互いの孤独、作家と読者の双方の孤独によって完成する完全なる調和は、主観と客観の境界が曖昧になり、互いの実態の無さ、つまり幽霊たちによる思索の調和が共鳴へと変化して一つの作品を共同的に作り上げようとします。

脳味噌とはらわた、人間の内部。我々はいつも、作品をよりよく理解するにはその作家の内部に入り込まねばならない、とか何とか言っている。だがいざその内部なるものを目のあたりにしてみると、べつに大したものは何もない──少なくとも他人と較べて特に変わったところなんか何もないんだ。


偉大な検屍官ゴールドの脳の実体的な無意味さを、実存という側面から批判する姿勢からも、オースターが「個の存在の所在」を見出す困難さを伝えようとしていることが理解できます。本作では、執筆者と読者の同調と互いの孤独を、スペキュレイティブに描き出し、「本書の読者」をその思索へと引き摺り込もうとする熱量を強く感じさせます。また、当時における「現代」に溢れていた主観的物語の虚偽性と言葉の不確定性を思弁によって解体し、ジャック・デリダの唱える「脱構築」(再構築でも破壊でもない)を体現した作品であるとも言えます。その果てに浮かぶ自己実存を掴むことができないという存在的苦悩は、オースター自身の苦悩とも繋がり、読者への吐露と共鳴の望みを感じ取ることができます。


ニューヨーク三部作と呼ばれる作品群の二作目に該当する本作『幽霊たち』は、前後二作品と物語に繋がりがあるわけではありませんので、単独で楽しむことができます。アメリカン・ポストモダンの旗手ポール・オースターの傑作。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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『いさましいちびのトースター』トーマス・M・ディッシュ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

だんなさまは、いったいどうしたんだろう?森の小さな夏別荘では、主人に置き去りにされた電気器具たちが不安な日々を送っておりました。ある時ついにちびのトースターが宜言します。「みんなでだんなさまを探しに行こう!」かくしてトースターのもとに電気毛布、掃除機、卓上スタンド、ラジオなどが集結し、波乱に満ちた冒険の旅に出たのですが……けなげでかわいい電気器具たちの活躍を描く、心温まるSFメルヘン!


第二次世界大戦争後、あまり戦禍を被らなかったアメリカでは特需景気が巻き起こり、資本主義的に世界を牽引するようになります。娯楽や歓楽が賑わう一方で、音楽や文学などの文化的発展も著しく成長しました。そのなかでも、娯楽作品として認識されていた「サイエンス・フィクション」という文学区分は、戦争という経験によって大きく進化します。化学と戦争の関連性、空想でしか有り得なかった荒廃的な世界、ファシズムの持つ恐怖など、現実体験によって刺激された想像力が「新たなサイエンス・フィクション」を構築して文学的な作品を多く生み出していきました。異世界的に描かれ続けていた舞台には、主義や思想、哲学や諷刺が織り込まれていきます。戦後から1960年頃までこの成長は続き、サイエンス・フィクションによる社会諷刺が力強い運動となって広まっていきました。しかし、このような破滅や滅亡を題材とした作品群はエスカレートを始め、暗く過激な作風は読み手を辟易させていきます。この倦怠的な風潮を脱却させたのが、「ニュー・ウェーブSF」の筆頭ジェイムズ・グレアム・バラードです。過激性のインフラ合戦になっていたサイエンス・フィクションを見つめ直し、外的な要因ではなく人間の内面に焦点を当てた新しい視点によって描かれる作品は、読者を強く惹きつけただけでなく、作品自体の文芸性をより高みへと導きました。今までの外宇宙から内宇宙(インナースペース)へと視点を移して描き出す作風は、他の文学性を備えた心理描写によって、含まれる文芸性はより幅広いものに進化しました。この「ニュー・ウェーブSF」を代表する一人がトーマス・マイケル・ディッシュです。


1970年代はアメリカにおいて家電製品が目紛しい進化を見せていました。Mr.Coffeeのコーヒーメーカーを皮切りに、ホットドッグ専用トースター、同じ型のクッキーを簡単に並べることができるパーティピストル、卓上に置くことができる小さな冷蔵庫や、コーヒーやソーセージを同時に作るトースターなど、ユニークな製品が数多く生み出されます。このような家電製品を販売する小売業も隆盛を極め、次から次へと販売しては新たな製品が店頭に並びました。しかし、1980年代に入ってから、小型でリーズナブルな日本車がアメリカで受け入れられ始めると、それに伴って日本の小型家電製品も同じように普及していきます。小売店の店頭には日本から輸入された家電製品が並び、アメリカメーカーの品物は影を潜めていきます。このような経済の流れは、アメリカの鉄工業やガラス工業といった車部品を請け負っていた会社、家電製品を任されていた工場などに大きな被害を与えました。そしてこの貿易摩擦によって、ジャパン・バッシングといった反日キャンペーンが行われ、通商に関わる規制が取られていきました。


このような不遇を受けたアメリカのユニークな家電製品は、現代ではレトロ趣味として受け入れられ、デザインや発想を維持したまま、安全な設計によって多くの人々に楽しまれながら愛されています。そして、これらの家電製品が主となる冒険活劇を描いたのが前述のディッシュであり、本作『いさましいちびのトースター』がその作品です。別荘に置き去られた時代遅れの家電製品たちは、主人の不在を慮り、自分たちだけで主人の住まいへと向かおうという、寓話的な活劇が繰り広げられます。


擬人化された家電製品たちは、驚くほどに動き回ります。主人を思う一心で力を合わせて、各々の電源コードを翻しながら森を颯爽と突き進みます。車の予備バッテリーを活用して、キャスターを付けた椅子に乗っかって、雨に降られながら傷つきながらも、懸命にひた走ります。危険なことは人間に見つかることで、その瞬間に身体は固まってしまいます。それを避けるために、見つからないように、ハイウェイを避けて向かっていきました。トースター、掃除機、ラジオ、電気毛布、スタンドライト、彼らは各々に自己を持っており、誇りもしっかりと秘めています。しかし彼らは大きな問題に直面します。川を渡る必要がありました。彼らは立ち止まり、近くに置かれたボートを見つけて意見が分かれました。勝手に用いて良いものか、泥棒と同じ行為なのではないか。意見が割れている間にボートの持ち主がやってきて、彼らの身体は硬直します。そして、彼らはその持ち主に連れ去られてしまいました。そこから寓話らしく、『ブレーメンの音楽隊』を彷彿とさせる展開によって危機を脱して冒険の終わりが見えてきます。


児童文学とも言えそうなこの物語には、当時のアメリカで問題視されていた「資本主義における産業労働者の窮状」を表現しています。日本の家電製品によって目紛しく市場が掻き乱されたことで、アメリカメーカーなどの産業側は大きな被害を被りました。そして、そのもとで労働に励んでいた人々は職を失われて危機的な状況に陥りました。この環境に負けまいとする意思を束ねた「労働者間の結束」を、実に明快で軽快に擬人化された家電製品たちは見せつけてくれます。さらにディッシュは、辿り着く結末で見事な新天地を彼らに与え、窮状脱出の自発的な行為を称賛しています。


このディッシュによる人道主義的な描写は、作中の随所でも感じ取ることができます。ボートを使用するか否かの場面でラジオから流れる「各自の能力に応じて働き、各自の必要に応じてとる」というカール・マルクスの言葉は、自然と心に響きます。また、電気製品たちによる冒険活劇は当然ながら人間たちには知られず、主人も気付かないままに終幕を迎え、彼らは新天地で「主人のために働く幸福」を手に入れることができます。主人への従順さと自己の幸福を誤解しないように、自身が見極めて行動することが必要だと訴えているようにも感じられます。

 

それにしても、なんとたくさんの品物がこのゴミ捨て場にほうりこまれていることか!しかも、ベビー・カーとおなじように(また、それをいうなら、電気器具の一行とおなじように)まだ充分役に立つのにです。ヘアドライヤーや四段ギアの自転車、湯わかし器やゼンマイじかけのおもちゃ、どれもこれも、ほんのちょっと修理してもらえば、まだ何年もはたらくことができたでしょう。それがぜんぶゴミ捨て場にほうりこまれているのです!


本作はサイエンス・フィクションとして世に知られていますが、ディッシュは寓話を意識して執筆しています。このことは『いさましいちびの仕立屋』から捩った題名や、『ブレーメンの音楽隊』のオマージュなどからも、裏付けされています。しかしながら、込められたメッセージには社会を生きる大人にも響くものであり、彼もそのような対象を意識して描いています。組織への帰属意識が持つ危険性と、自己の幸福を見失わないようにという訴えは、現代の我々にも通用すると思われます。読みやすくも考えさせられる本作『いさましいちびのトースター』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。


1944年の英国、すでに推理小説作家として文壇に揺るがない立ち位置を築いていたアガサ・クリスティー(1890-1976)は、長年のあいだ構想を続けていた作品の執筆に取り掛かりました。この作品は謎解き小説とは一味違った雰囲気の「ロマンス小説」なるもので、ミステリーを期待する先入観を持った読者には望ましい印象を与えない可能性がありました。そのため、本作『春にして君を離れ』を含む六作のロマンス小説はメアリー・ウェストマコットというペンネームで出版されました。事件を解決するような謎解きなどはありませんが、筆致は間違いなくアガサ・クリスティーであると感じさせる見事な作品です。


語り手であるジョーン・スカダモアは、郊外で代々弁護士事務所を営む夫を持つ、世間的地位としては申し分のない裕福さと幸福を併せ持っていました。本作は、バグダッドに住む娘夫婦を訪問したのち、ロンドンへと戻る道中での一人語りで進められます。悪天候により交通機関が停止してしまい、乗り継ぎ駅のレストハウスで立ち往生してしまうところから物語は始まります。東西南北を見渡しても一面沙漠しか見えず、その真ん中に駅とレストハウスが存在するような場所で、持ち合わせていた幾つかの本は読んでしまい、手紙を書くための紙とインクも無くなり、話し相手になるような人間もいない、ただベッドと椅子があるだけといった環境で時間だけが存分に与えられた状態でした。そこで彼女は思考を逡巡させて、自分の心や幸福に対する自問自答を始めます。直前に出会った落ちぶれた旧友の言葉に引っ掛かりを覚え、そこからジョーンは他者と自分を比較していきます。


彼女は自分の行動と結果に満足しています。愛する夫の人生を狂わせかねない危険な判断の制止、愛する子供たちの教育や人付き合いへの配慮、いずれも世間的地位を築き、それを守り、人生の成功者へと向かう矛先へ熱意を持って取り組んできました。夫は地方の名士たる弁護士事務所の経営、子供たちも幸福な結婚を掴むことができました。そして彼女を取り巻く周囲の人々の落差、法を犯して前科者となった夫を持つ不憫な夫人レスリー、怠惰な男性趣味の為に堕落した女学院時代のマドンナ的存在ブランチなど、比較すればするほど自分の幸福を噛み締めることができます。このような幸福を自らの努力で手にしたという自信が満足となり、改めて自身の行動を賞賛して快い気分に浸っていました。


しかし、回想を繰り返すことで、夫との会話、子供たちとの会話、周囲の発言の数々から、不愉快な連想を呼び起こします。自分の求める幸福のため、家族は夢や幸福を諦めたのではないか。そのような仮定が何度振り払っても思い返されていきました。夫の農業をしたいという夢を弁護士事務所経営と比較して断固反対したという事実、娘の交友関係に介入して関わる友人を選択させたという事実、落ちぶれた旧友から憐憫の眼差しを注がれた事実、周囲の人々には献身的に接しながらも自分には好意をあまり見せない夫の行動など、実際に感じた不愉快な感情が疑問となって次々とジョーンに襲い掛かります。彼女は、幸福であるに違いない自分が不愉快な疑問を抱くのは、沙漠という広大さと暑さを持った恐ろしいものが与える精神的な不愉快であると理解しようと試みます。しかしながら、逡巡の末に辿り着いた夫とレスリーとの愛情の結び付きを想像すると、これは自己本位に行動してきた自分自身の咎であり、他者の幸福を奪い続けてきたのだと自覚するに至ります。そして、夫や子供たちだけでなく、友人や知人、または使用人に対しても自己本位の行動を繰り返してきたことを理解して愕然とし、自責の念に苛まれます。そしてジョーンは回心するため神に祈り、夫や子供たちに罪を償おうと決意をして心を晴れやかにします。神の思召しのように「ちょうどいいタイミングで」到着した汽車に乗り、夫ロドニーの元へと希望を持って向かいます。彼女は、自分の人生についての自分が招いた不愉快な真実を理解したのでした。

ここから終幕、エピローグへと続きますが、人間の醜さと虚しさが映し出される哀しい最後へと展開していきます。人間の心が一日にして再構築され、生まれ変わることが如何に困難かを物語る哀しい結末です。


ジョーンはロドニーを真剣に愛しています。子供たちも愛しています。しかし彼女の思考基盤には、利己的な幸福判断基準が存在しています。善か悪か、賢明か愚鈍か、明か暗か、それらを自分の幸福を優先的な価値基準として、あらゆる分岐を判断していきます。それは打算的なものであっても、ジョーン自身にとっては真剣に相手の幸福を願っての判断であり、決して悪意のもとには働いていません。しかしながら、根本では全ての判断がジョーンの幸福に連なっているものであり、極端に言えば、ジョーンの幸福こそが相手の幸福であると迷い無く考えているうえでの判断であるため、相手は利己的な判断を押し付けられていると感じられます。この利己的な思考を沙漠の真ん中で逡巡により気付かされた彼女は、ロドニーへの愛の深さから強烈な罪悪感を覚えて、悶えながらも受け止めて回心するように神へ祈ります。そして、帰宅して心より謝罪して心を入れ替えようと決意したのでした。


そのような回心ののちではありましたが、帰りの汽車で乗り合わせた貴婦人との会話のなかで、ジョーンは自分が片田舎の弁護士夫人に過ぎないという事実を突きつけられます。満ち足りたと感じていた幸福に不満を覚え、最上の幸福を与えられていたという感情は薄らいでしまいます。また、ジョーンは社会(世界)を自分の利己的な価値観で眺める習慣を変えることはできておらず、ナチスとの戦争を危惧されている最中でも、彼女は戦争が起こるわけがないという自分の価値観から外れた事実を受け止めようとせずに拒絶します。そして、その価値観をさらに強めたのが到着した故郷の空気でした。


1944年の英国の文芸誌「タイムズ・リテラリー・サプリメント」の書評では、「アガサ・クリスティーは、多くの技術的な困難を抱えながら、回想的に語られるこの小説を実に読みやすくすることに成功した。彼女はジョーンを浅薄で粗野な性格にはしていない」と述べられています。自覚の無い利己的な判断の押し付けの善悪を見極めることは困難です。だからこそ、ロドニーや子供たちは、ジョーンに気付かせようと試みず、諦めて耐えることを選んだのだと考えられます。彼女は「少し近視である」という描写は、皮肉めいた比喩として的確に性格を表現していると言えます。


題名にも用いられているウィリアム・シェイクスピアソネットは、本作において重要な要素として存在しています。ロドニーとの会話のなかで引用されている「ソネット116」からは、彼の秘めた心情を汲み取ることができます。

実ある心の婚姻に、許すまじ、邪魔だては。
世は移り、人は変われど、まことの恋は
摘まれて朽つる花のごとく
はかなきものにあらざれば。
そはさながら天の一角に
嵐を下に見て、巌としてゆるがざる、
かの不動の星、荒波に揉まるる小舟の
変わりなき道しるべ、
いと高く輝きて、限りなきものを内に秘む。
まことの恋、そは時の道化にあらず
よし、あえかな唇、ばらのかんばせは、
時の利鎌の一振りにうつろうとも
恋はかりそめならずして
世のきわみまで恋うるなり。
変わらぬ恋は世になしと証しさるれば
わがすべての詩はむなしく
およそ人のすべての愛もまたむなし。

そしてロドニーは、「本当にすばらしいのは、彼も我々同様、悩み多き人の子だってことだろう」という言葉で繋ぎました。レスリーへの想いからソネットの混同(18を思い起こす際に116を連想した)があったことから、ここで引用される「実のある心の婚姻」とはロドニーとレスリーが対象であると受け取ることができます。レスリーの墓碑の上に落ちたロドリーの赤いシャクナゲは、レスリーをしのぶ思いを連想させ、涙や悲しみが表現されているように見えます。ロドリーの心にあるレスリーへの強い想いがソネットの混同を生んだと考えられます。


この物語では、ジョーンが自己本位な心に気付き、それを認めようとする自省的な感情と、愛情から行動を起こしているという自己正当化による煩悶が入り混じりながら、それでも家族を愛するために回心しようという善行的な進み方をします。しかし、本当に大切なものは「勇気」でした。レスリーの勇気を讃えたロドニー、非難したジョーン、ここに根本の相違があったのだと終盤に向けて提示されていきます。ロドニーの寛大な心は幸福に結びつくのか、そこにも何らかの勇気は必要ではないのか、愛する勇気は双方に必要がないのか、読後も考え続けさせられる作品となっています。

謎解きの事件は起こりませんが、最後まで感情を揺さぶられ続ける興味深い作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

アンナは兄のオブロンスキイの浮気の跡始末に、ペテルブルグからモスクワへと旅立った。そして駅頭でのウロンスキイとの運命的な出会い。彼はアンナの美しさに魅かれ、これまでの放埒で散漫だった力が、ある幸福な目的の一点に向けられるのを感じる。


十九世紀ロシアを代表する二人の偉大な作家、フョードル・ドストエフスキーレフ・トルストイ。内なる感情の劇的な興奮やその明暗に渡る高揚を、奥の奥まで突き詰めたドストエフスキーに対し、トルストイは当時の社会そのものを詳細に描きながら思考の流れや意識の動きを初めて読者に提示しました。トルストイは、大作『戦争と平和』の後に生み出した本作『アンナ・カレーニナ』で、主要な登場人物の心の声を通して、置かれた立場から揺れ動く思考を情景描写の流れに合わせて見事に描き出しています。その思考は意識を通して行動に繋がり、心理的な描写を映し出すリアリズムとして完成されています。冒頭に打ち出される「幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という言葉から生み出された原則は、1870年代当時のロシアを背景に、上流社会から下層社会まで幅広く描きだして証明されていきます。それぞれの登場人物が置かれた立場から、必要な礼儀、抑えられない衝動、譲ることのできない誇り、守るべき世間体、貫きたい愛などに苦悩し、感情と行動が絡み合う物語は、人間の持つ魂の闘争とも言える様相を呈しています。


本作の主軸となる二人の登場人物、アンナ・カレーニナとレーヴィン(コンスタンチン・ドミートリィチ)は、物語も交互に進行して対比的に描かれています。愛のために家族を捨て、自分と他人の人生を台無しにする世俗的な女性と、家族に愛と真実を求める理想主義的な地主という二人から、社会とは、立場とは、家庭とは、愛とは、といった問題に焦点を当てて様々な要素から切り込んで描いています。これによって作品には、善悪の混沌が渦巻いた道徳的統一性の欠如が現れ、主観と世間という観察眼の相違から、各個人の主眼が社会の断片を映し出させています。また、心の中で繰り広げられる思考の流れが魂の底にまで辿り着き、非常に深い位置での心理的な変化あるいは発達が見えてきます。登場人物たちはそれぞれ象徴的な立ち位置(アンナは破滅的なファム・ファタル、レーヴィンは堅固な意思を持つ地主、ウロンスキイは好色の貴公子)にあるものの、各自の意思や思考によって独自の性格が現れ、一辺倒の社会の典型とは成り得ない個性を持たされています。その効果は彼ら自身にも及び、彼らの思考や意識が魂を形成し(あるいは掘り起こし)ており、その結果がより一層にリアリズムを構築しているところに、トルストイの恐るべき筆致と物語構成力を感じることができます。心理学的見地にまで辿り着いている心象描写は、彼らの自己欺瞞や傲慢といった、人間だからこそ持ち得る醜さが如実に現れ、彼らの衝突から生まれる熱量が物語をより深いものへと昇華しています。特に、場面や対する人々によって移り変わる彼らの態度の変化は、ドレスのように着飾るような見栄や驕りとして表面に現れ、それを受けた側の見透かした接し方に、当時の社交のなかで行われた醜さが描かれ、社会性を浮き出しています。


アンナは良人への裏切りに対して、自分を責めるような思考は持っていません。好きな人を愛すること、そして自分らしくいようとすることに固執し、その行為さえも満たされることがありません。トルストイはアンナを非常に魅力的に描いています。容姿や仕草を、誰もが惚れ込むような形容で、そして登場人物たちは実際に褒め上げています。しかしながら、その自己本位な思考回路は、心理描写を通して読者に疑問と不快感を与えます。トルストイ自身、夫人として求める貞淑さをアンナの行動によって反面的に表現していますが、反対に男性が欲情を抑えられないほどの魅力を持ち合わせていることも同時に表現しています。この矛盾は、彼が抱いていた両面の男性としての感情から出ているもので、良人カレーニンと情夫ウロンスキイがそれぞれ抱く感情として見えてきます。一概に区別できない人間的な感情がリアリズム的であるとも言えます。


アンナを軸にして破壊的な愛、そして積極的な愛の物語を語っていますが、これは当時の家父長制社会における女性にはあまり見られない行動でした。彼女の根源にある「誇り」は魂に根付いているもので、男性に従うべきであるという世間的考え自体は頭で理解していますが、魂では従順になれずに相手を屈服させようと行動します。その意思の強さによる言動が情熱的で燃え上がる欲情を演出し、ウロンスキイを真剣な恋へと導きました。しかしながら、欲情同士が結び付き、苦労も好まない二人は互いに心がすれ違っていきます。諍いが多くなると堅固な魂は憎悪の方へと傾き、アンナはウロンスキイを激しく求めながら激しく憎みます。家族を裏切り、世間から見放され、頼る知人も消え、身を委ねた社交界からは爪弾きにされたアンナは、そのいずれにも屈服したくないという傲慢な誇りを守るため、彼女は自己解放としての死を選びます。そしてこの結末は、アンナとウロンスキイの初めての出会いのときに警備員の礫死体を目撃するという形で提示されていました。


なぜカレーニンは離婚しなかったのか、アンナは離婚を願わなかったのか、という問題がありますが、これには当時のロシアの法律が関係しています。弁護士がカレーニンに説明していますが、離婚が成立するための理由が三種類に限られていました。一つ、配偶者の一方の長期不在。二つ、出産を妨げる身体的障害。三つ、証明された不倫。不倫の証明は、配偶者の一方が三人の証人の前で不倫の事実を文書などを用いて証明しなければなりません。この場合、有罪判決を受けた人間は配偶者の存命中は結婚する権利を失います。カレーニンの場合は、この三つ目の方法のみが可能でした。しかし、このときの彼は聖性に魂が包まれ、妻の名誉と将来の幸福を危険にさらさないようにするため、三人の証人へ彼自身が姦通をしたと偽りの証明を行おうとまで考えてアンナへ離婚を提案しました。しかし、アンナの堅固な魂はこれを「屈服」と受け取り、恵みの提案を放棄してウロンスキイとイタリアへと逃げていきます。これによってカレーニンの不興を買い、離婚の成立は果たせませんでした。


アンナにとってウロンスキイへの欲情は、敷かれた道を歩むような今までの人生から新たに芽生えた「自己の情熱」のようなものでした。何不自由なく、家族、親族、世間、社交界に受け入れられていた生活を放擲してでも手にしたい「本物の自我」でした。これは、抑圧された女性の立場から爆発した悲劇的な情熱であったとも考えられます。社会に対してアンナが大々的に不倫関係を公表していたことは、トルストイによる当時の父権制社会に対する批判的な態度の描写としても受け取ることができます。


もう一方の軸であるレーヴィンは、無信仰でありながらも堅実で生真面目な人間です。1861年農奴解放令後に、農業はどのように発展すべきかと、地主の立場で考えます。歳下の女性キチイに対する純粋な思いや、彼女に手を出そうとするウロンスキイへの嫌悪、彼女の義兄オブロンスキイとの親交など、いずれの行動にも沈思黙考するレーヴィンには、真剣に物事を考えて自己を省みる神経質な精神を感じ取ることができます。彼の心の声の描写は、悲観的で自分を苦しめるような結論へ導くことが多く、その苦しみが感情を昂らせて接する人との口論を繰り返すということもあり、周囲は彼の持つ真剣な心よりも当たり散らす変わり者という見方をしてしまいます。しかし、彼の本質的な自己犠牲と正義に溢れる魂に触れるキチイは、彼を後押しするように、支えるように、自分の意思を奥ゆかしく伝えていき、やがて結ばれます。


レーヴィンは自身を愚かしい存在であると理解し、無信仰であることにごく自然な認識を持っていました。しかし、キチイと結ばれるとき、結ばれたいと願うとき、そこに聖性の欠片を見出します。神という存在を認めないながらも、信仰心が芽生えるという奇妙な感覚に襲われながら、厳粛な結婚式を挙げることになります。式の最中、神父に対してはその信仰心が動きませんでしたが、キチイと視線を交わすたびに何かが脳裡を過ぎっていました。その後、無信仰である自分がキチイと結ばれて暮らすことは認められることなのであろうか、という疑問が浮かびます。そしてキチイは身籠り、出産を迎えるとレーヴィンは只管に救いを願います。「──主よ、あわれみたまえ!ゆるしたまえ、助けたまえ!──」無信仰である彼が熱心に乞う祈りは、彼の全存在を包むものに対してであるに違いなく、故に神への信仰が成ったのだとも言えます。


無信仰のなかの信仰は、崇拝する対象を定めないままに生まれた真の信仰心から生まれたものです。レーヴィンの無信仰な心に「信仰心」を与えたものは「愛」です。キチイへの愛、キチイからの愛、キチイと築く家族の愛、これらの愛が信仰を持たせました。一方のアンナは「恋」を追い求めていました。灰色に染まった景色の結婚生活に鮮やかな欲情を見せたウロンスキイとの出会いが、能動的に自分の人生を謳歌するための恋を与えます。ウロンスキイへの恋、ウロンスキイからの恋、全てを投げ捨ててでも結びつけたい恋、これらの恋が全ての信仰を排除して、神を冒涜した行為に及びます。この対比で明確な違いを挙げるならば、それは「主体が己か、相手か」ということが言えます。レーヴィンが本来持ち得ていた自己犠牲と正義の心が相手(キチイ)を幸福にしたいと真に願い、自らの欲望を抑えつけて大切にしようと努力します。対して、アンナに芽生えた欲情は社会や世間から見た幸福は望まず、己(アンナ)の恋が望むもの(ウロンスキイの心の全て)を強く願います。レーヴィンとアンナは、守りたいという意思と手に入れたいという欲望の対比を「信仰」という題材によって、結末さえも対比的に描かれています。

 

もしこの信仰をもたず、自分の欲得のためではなく、神のために生きなければならぬということを知らなかったら、おれはいったいどんな人間になっていたか、またどんな生活を送ってきたか。掠奪を働いたり、うそをついたり、人殺しをやったかもしれぬ。現在おれの生活の大きな喜びとなっているものなど、一つもおれにとっては存在しなかったかもしれぬ。


この小説は「ロシア報知」(Русскій Вѣстникъ Russkiy Vestnik)誌に掲載されたましたが、最終章は政治的な理由で掲載されませんでした。自費でもって義勇兵として戦争に参加し、セルビアへと向かったウロンスキイに対して、登場人物たちの会話のなかで批判的な意見が交わされていたことが問題でした。この自費で出征する義勇兵は、尊敬されるべき行為であると国が誘導したいという意図があったためですが、平和主義なトルストイはこのような意見に賛同はできませんでした。また、実際に義勇兵たちは「死に場所を求めるようなもの」として認識されていましたが、ウロンスキイは情婦の死による悲しみから逃れるという動機であったため、批判的な意見が出るのも当然であり、当時の社交界では出世も発展も見えないような人々はそのように出征していたという事実もあったからこそ、トルストイはこのような思想のない気紛れとも言える行動を批判したのだと考えられます。

 

アンナ・カレーニナ』は芸術作品としての完成度が高く、現代のヨーロッパ文学においてこれに匹敵するものはない。

フョードル・ドストエフスキー


アンナの激しい性格と行動に目を奪われがちですが、レーヴィンの深い思考と意識の変化、そして信仰への目覚めは読む者に力強い光を当ててくれます。傑作と呼ばれる本作『アンナ・カレーニナ』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『不思議の国のアリス/鏡の国のアリス』ルイス・キャロル 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこの二作品です。

 

 

 

ある昼下がりのこと、チョッキを着た白ウサギを追いかけて大きな穴にとびこむとそこには……。アリスがたどる奇妙で不思議な冒険の物語は、作者キャロルが幼い三姉妹と出かけたピクニックで、次女のアリス・リデルにせがまれて即興的に作ったお話でした。1865年にイギリスで刊行されて以来、世界中で親しまれている傑作ファンタジー金子國義のカラー挿画でお届けするオリジナル版。


ルイス・キャロル(1832-1898)は、軍事や聖職者を多く輩出する家系に生まれ、彼自身も聖公会(Anglican Church)に所属して、幼い頃より裕福な環境で育ちます。熱心な信者でアングロ・カトリック英国国教会を肯定する高教会派)に傾倒し、その運動の基盤となったクライスト・チャーチ(オックスフォード大学)へ通いました。持って生まれた数学者としての才能を存分に活かし、優秀な成績を修め、そのまま数学の大学教員の資格を取得して講義を行いました。また、後にクライスト・チャーチ図書館の副司書を務めるなど、元来関心を持っていた文学にも関わっていたことが認められます。二十六年という実に長い期間をこの場で過ごしました。多くの面で大学に貢献していたキャロルは、大学長を兼ねた学部長ヘンリー・リデル夫人に重宝され、家族ぐるみの交流を毎日のように行います。しかし、彼の数学者としての表情の裏には、想像力豊かな芸術家としての才能が潜んでいました。彼は写真家としての才能も持ち得ており、主に少女を被写体とした作品を数多く撮影し、写真館を開くに至ります。この被写体にはリデル夫人の三人の娘も対象であり、そのなかの一人アリス・リデルに熱意を注いで取り組んでいました。

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アリス・リデル


三人の娘との交流はリデル夫人が不在の場面も多く、撮影も頻繁に行われていました。写真撮影だけでなく、共に草花を愛で、ボートを楽しみ、話に花を咲かせました。このような時にアリスはよく、キャロルへ「創作話」を求めました。即興で物語を求めるという高度な依頼に、キャロルは持ち前の創造力と論理的思考と文才を持って、多彩な物語を繰り述べて楽しみを与えていました。彼は数学者として活躍する傍ら、創作の才能も開花させ、詩や短篇小説を書いては雑誌へ寄稿していました。多くの作品が諷刺を効かせたものでしたが、非常にユーモアに富み、読書にも多く受け入れられていました。このような時期に、例の如くアリスへ創作話を繰り広げていると、彼女はこの話を書き留めて一冊の本にして贈って欲しいと願いました。それを受けたキャロルは、表紙のデザインや装丁、文章や挿絵もすべて直筆で描いた『地下のアリスの冒険』という作品を作り上げました。この頃、深い親交にあった聖職者であり作家であるジョージ・マクドナルドにこの旨を話し、草稿を持って行くとマクドナルドの家族は多いに楽しみ、「ぜひ出版するべきだ」という話になりました。そして未完成な状態であった作品をマクミラン出版社へと持ち込むと流れるように話は進み、加筆と改題を経て『不思議の国のアリス』が誕生しました。


キャロルは幼い頃に重篤な発熱に苦しみ、後遺症で片耳が聞こえなくなりました。さらに十七歳のときに彼は重度の百日咳を患い、これが後年、慢性的に肺を弱めた原因であったと考えられています。また、幼少期より彼には吃音癖が現れ、彼自身はそれを「ためらい」と呼んでいました。そして、彼の生涯を通して晩年まで吃音は残ります。コンプレックスとして捉えていた彼は、自分の名字(本名ドジソン)を発音の難しさに言及して、 『不思議の国のアリス』のドードーとして自分自身を諷刺したと言われています。しかし、三人の娘たちをはじめとして、子供に向けた言葉には吃音は出なかったと話しています。意識は吃音癖に囚われず、存分に空想し、創造することによって、童話作家として流暢な言葉が綴られ、色鮮やかな物語が構築されていきました。そして、キャロルの洗練された論理、社会風刺、純粋な幻想性の組み合わせにより、本作は子供と大人の両方にとって古典的な文学として読み継がれています。


不思議の国のアリス』において、アリスは自分が遭遇する状況には何らかの意味があるとして考えますが、不思議の国で起こる事柄は理解しようとする試みを何度も挫折させられます。アリスは作中で多くの不条理な身体的変化を経験します。身体が大きすぎる、小さすぎる、といった憤慨は、思春期に起こる変化の象徴として現れています。絶え間のない身体あるいは精神の変動は、思春期の成長に伴う不快感として描かれ、自身の力では抑えられない強制的な大人への変化に当惑しているようにも感じられます。また、動物たちの党員集会の発言や、マッドハッターの謎掛け、女王に巻き込まれるクロッケーなども同様に困難で不条理でした。不思議の国でアリスが提示される謎や問題には、明確な目的や解答はありません。このような描写で、キャロルは問題が身近で解決可能であるように見えたとしても、人生や社会がどのように期待を裏切り、解釈に抵抗を見せるかということを、童話的に読者へ訴え掛けています。また、『鏡の国のアリス』では、アリスに「クイーンになる」という明確な目的を持たせ、双子のダムとディー、ハンプティ・ダンプティ、白の騎士などとの会話において、ただ受動的になるだけでなく、自身の意思を固持して主張するという姿を見せています。不条理に負けず目的を果たそうとする一貫した自己主張の姿勢は、これから世を渡る少女たちへのエールとも受け止めることができます。

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狂ったお茶会『不思議の国のアリス』より


キャロルが少女を被写体として写真撮影を行っていたことで、彼の見方を二分する動きがありました。一つは、少女を被写体とした写真ばかりが残存していたこと、そのポーズは裸体が多かったこと、吃音癖が子供の前では出なかったことなどにより、キャロルを「小児性愛者」として見る見方です。もう一方は彼が信仰深く、且つ、ロマン主義に強く傾倒していたことから、少女たちを純粋無垢な存在として見ていたという見方です。そして、これには明確な判断材料があります。当時の大学教員は教会の聖職者という扱いであり、子供と親しいことよりも、大人の女性と親しいことが大きな問題とされていました。キャロルの死後、遺族らが故人の評判に配慮して、成人女性とのあらゆる交際の記録を長年にわたり隠匿したことで、彼は少女にしか興味を持たなかったという誤解が生まれました。当時の遺族が社会的不名誉と恐れたものは、裸体の少女ではなく、露出度の高い年長の女性であったため、該当する写真がすべて破棄されたために、少女の写真だけが批評の対象として残されたという顛末でした。


しかし実際に、キャロルは幼少期の純粋な幸福に対する強い郷愁の念により、接する大人たちの前では強い不快感を感じていました。少女たちと共に過ごす時間は、キャロル自身が彼女たちに理解されていると感じ、大人になってから感じた純真の喪失を一時的に忘れることができました。このような束の間の幸福感情がキャロルの創造を安楽にし、『地下のアリスの冒険』を生み出し、そこに彼の抱く憂鬱と喪失感を吹き込みました。そして、夢から覚めるという結末で喪失を表現し、遠回しに彼女たちへ世の中の不条理に対する心構えを与えています。このようなことから、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は少女たちへの応援歌とも言えます。

 

「じゃあ、ひとつきくがね。きみはいくつだっていったっけ?」
アリスはちょっと計算して、「七歳と六ヶ月よ」
「ちがう!」ハンプティ・ダンプティは鼻高々、「そんなことは一言もいってない!」
「きみは何歳かって、きかれたのかと思ったわ」アリスは弁解する。
「それだったら、そういういいかたをしたさ」とハンプティ・ダンプティ
また議論になるのはいやなので、アリスはわざとだまっていた。
「七歳と六ヶ月ねえ!」ハンプティ・ダンプティはくり返して、考えこむふうだ。「どうもやりきれない年頃だなあ。ぼくに相談にきてくれれば、〈七つでやめときなさい〉って忠告してあげたのに。でももう手遅れだ」

鏡の国のアリス


信仰に厳格で、論理的思考に長けており、政治や神学においては頑なに保守的であったキャロルの人生は、ごく若い頃から綿密に計画されていました。作家として大成するという不確定な要素さえも、「いずれ成せる」と自覚的に意識していた彼は、一貫した自己主張によって実現させるに至ります。しかし、彼は富と名声を獲得したにもかかわらず、生涯を形成した何十年も生活を変えず、晩年までクライスト・チャーチで教鞭を振るい続け、亡くなるまでそこに住み続けました。キャロルの数学と論理の鋭い理解力は、持ち前の言語的ユーモアと機知に富んだ言葉遊びにインスピレーションを与えました。そして、少女たちの心に対する彼独特の理解によって、未来を担う幼き人々へ向けて想像力豊かな作品を残しました。書籍情報社版の『不思議の国のアリス』では、『地下のアリスの冒険』のレプリカを手にすることができます。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『生まれいずる悩み』有島武郎 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

「私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにはおかないと私は思っている」──妻を失った作者が残された愛児にむかって切々と胸中を吐露した名篇『小さき者へ』。ほかに、画家を志す才能ある青年が困窮する家族を見捨てられずに煩悶する姿を共感をこめて描く『生まれいずる悩み』を収めた。

 

有島武郎(1878-1923)は、東京で大蔵官僚として成功を収めた元薩摩郷士である父のもとに生まれました。幼い頃より恵まれた環境で育ち、隅々まで教育を与えられてきましたが、常にどこか心が晴れないような心持ちで日々を過ごしていました。札幌農学校へと進学しましたが、内村鑑三に影響を受けてキリスト教の洗礼を受けると、渡米してハバフォード大学の大学院へ、さらにハーバード大学へと進んでキリスト教とともに西欧の哲学や文学に触れていきます。そこからヨーロッパへと留学して帰国しますが、その頃にはキリスト教区内で受けた人種差別によって信仰心そのものが薄らいでしまいました。帰国後は語学教師として勤めますが、弟の有島生馬の紹介で志賀直哉武者小路実篤と出会い、「白樺派」に参加して文芸作品を生み出し、作家としての道を歩み始めていきます。1909年、文壇に名前が広まり始めたころ、陸軍少将の神尾光臣の娘である安子と結婚しました。若き十九歳の妻を持った有島は三十一歳でした。年子の三人の子に恵まれましたが、安子は肺結核により僅か数年の結婚生活を過ごすと闘病生活へと入ります。そして二十七歳にして安子は病死しました。この苦しみを受けて生み出された作品『小さき者へ』は、本書に併録されています。この若き妻の死が、結果的に文学熱を強めることになりました。『カインの末裔』、『迷路』などが立て続けに発表されました。そして、本作『生まれいずる悩み』も同時期の一つです。


白樺派」は、満たされた環境が全てであるとは捉えず、世を苦しみながら渡る人々に目を向け、鋭く観察し、自身の描く人道主義に則って理想を掲げる文芸思潮持っていました。多くの作品は「人間の肯定」、「自己の肯定」、「個の尊重」が根付き、世の不条理に対して憤りを覚え、それを乗り越えようとする讃歌的な思想を含んでいます。そこには苦悩や憂鬱が多く描かれますが、これらの「個」を肯定的に捉えることで、このような苦悩や憂鬱が普遍的なものであると認め、それを抱えて理想へと目指すという意図があり、志賀直哉武者小路実篤は体現してみせました。弟である画家の生馬がすでに参加していたこともあり、有島自身、そして弟の里見弴も後に参加しました。生馬が残した有島に対する目線は、「健全な精神なり、肉体なりをもった兄」という言葉からも窺えるように、穏和で柔軟な接し方の人柄であったことが理解できます。年齢的にも志賀や実篤よりも上であったことから、よく慕われ、精神的に頼りにされる処遇であったようにも考えられます。しかし彼の作品からは、当然ながら暖かい眼差しと強い理想は感じられますが、明朗で快活な要素はあまり見出せません。心の奥底に潜む、「荒々しい何か」を随所に感じ取ることができます。


本作は、有島と画家の木田金次郎による実際の交流を元にして執筆された小説です。木田は、札幌より西に位置する海岸沿いの漁師町である岩内(いわない)を拠点とした画家です。木田の作品は、自然の持つ力強い生命力を鮮やかな色彩で描き、さまざまな角度から立体的に筆を走らせて圧倒する存在感を表現しています。しかし、貧困に悩む実家の漁暮らしを背負っていたため、思うままに筆を走らせることができず、思い悩むことが多くありました。この悩みを共有し、激励を送り続けた有島は、木田からの経験談から創意を得て物語として仕上げました。とは言え、作中には多くの木田の体験談が描き出されており、漁場の問題や自然の脅威など、迫力のある描写が綴られています。そして、家庭を守ろうとする愛と絵を描きたいという芸術欲に挟まれて、苦悩を続けて涙する画家の姿が胸を打ちます。


終わらない苦悩の根源は「情熱」にあると言えます。内から迸る芸術熱を理性で抑えようとするものの、噴出する勢いを発散するために愛する山を描きます。そこには家庭の者に迷惑を掛けて、実るともしれない画家の道を歩もうとする自分の意思は正しいことなのかと苦悩する心が伴っています。それでも、描きたい、描かなければならないという思いが画家を覆い、二つの生活双方に抱く愛を往復するように心が動きます。荒れ狂う海上での転覆事故では、家族への愛と自然の強大さが極限まで描かれ、その後の画家の生死にまで苦悩が襲いました。双方の両極端に揺れ動く心の動きは画家の持つ情熱の強さにあり、この作用が生死の極端へと悩みを深めることになったと言えます。


これには、有島自身の持つ精神の二極性が表現されています。彼自身、温厚な表面からは想像もできないほどの激しい観念と愛が潜んでいました。悩みは、その悩みを生むことができる観念を持っていることが必要です。同じ事柄でも、その点に関する気付きがなければ悩みに至りません。この気付きを与えるものが観念であり、有島は非常に敏感な観念を持っていました。人間を自然と対比して、人間全て同一の存在であると考え、おしなべて全ての人間を愛すべきであり、外見は如何であれ心は全て同一であるという考えです。そして彼の持つ強い感受性は、接する人の心を汲み取り、苦悩を汲み取り、苦痛を受け止めようとします。一方、その感受性は雄大な自然にも向けられます。隆起する山の生命、荒れ狂う海の生命、或いは風や雲など、超大な存在を自然に認めます。人間の奥底に潜む苦悩から、遥か海の果てまでを受け止めようとする感受性は、当然の如く彼の精神を両極端に揺らします。そして、それでも自分の成したいことを「自我」として持ち、情熱で精神に押し上げようと試みます。

 

人心とは、同じで、ただ一つのものなのだ。人心は、限りなく、凡てに拡がり、凡てに充満して居る。君も我も、この人心を分ち持って居る。伝統と肉の衣を脱し去ったならば、そうしたならば、その時、我等は皆一にして、同じである。

日記「ファニーに捧ぐ」


しかし、有島には揺れ動き続ける精神に振り回されていたことで、真に成したい「自我」を捉えることができませんでした。「自我」を見出さなければならないという自己的強迫観念は、彼に出口の無い苦悩を与え続けます。そのような焦燥感を常に持ち、他者を強く受け入れてしまう感受性は、一見して優柔不断な様子を帯びさせ、掴みどころの無い存在感を見る者に与えます。そのように自身でも心に不調和を感じるような状況で、ひたすらに欲するものが「愛」でした。


婦人公論』の記者である波多野秋子と出会ったのは1923年です。とても美しいことが当時の文壇で話題となり、芥川龍之介などの多くの作家が出会うことを望んだほどに広まっていました。有島と秋子は激しく恋愛感情を高め合って、深い関係を築きます。しかし、関係が世に明らかとなり、秋子の配偶者から金銭などを要求される事態に陥ります。そして二人で失踪した後に、軽井沢の別荘にて心中しました。秋子の強い感情を有島は受け止め、鋭敏な感受性と敏感な観念によって、唯一見出して欲し続けた「愛」によって死を受け入れることになりました。


有島を苦しめ続けた「荒々しい何か」は、観念の目を通した「愛」であると言えます。その愛は、自然にも人間にも向けられ、感受した生命力は彼の情熱を生み出します。キリスト教によって築かれた人道主義の礎が、「白樺派」の理想主義文学へと導き、最愛の死をもって敏感な観念を養われ、「自我」を求めた末の「愛」によって死を選びました。流されるように周囲の影響を受けながら、それでも自我を、愛を、究極的に求めようとしていたその情熱は、どの作品にも込められており、読む者に憂鬱以上の荒々しい重さを感じさせます。

 

余は余自らよく知るが如く人の中最も弱し。余は嘗て人より「汝強し」と云われたる事なし。神は余が弱きを選び給いぬ。.....余は余が弱きに依りて傲らん。人皆我よりも強し。しかも余の如く愛し得るもの幾人ぞや。


有島は、諸国外遊前の日記にこのように書いています。彼は誰よりも弱さを自覚していました。それでも全く消えない根強い情熱は彼の生涯を燃やし続け、苦悩を抱えながらも生を見据え、芸術を讃え、愛を求め続けました。彼の心中と、本作の画家の行動が対比的に相違している点を、有島が描いた理想と現実という受け止め方をすると、受ける感情は感慨深いものがあります。

 

もう自然はもとの自然だった。いつのまにか元どおりな崩壊したようなさびしい表情に満たされて涯もなく君の周囲に広がっていた。君はそれを感ずると、ひたと底のない寂寥の念に襲われだした。男らしい君の胸をぎゅっと引きしめるようにして、熱い涙がとめどなく流れ始めた。君はただひとり真夜中の暗やみの中にすすり上げながら、まっ白に積んだ雪の上にうずくまってしまった、立ち続ける力さえ失ってしまって。


迫力のある船上の描写や、精神の揺れ動きと自然の呼応は、終生の有島の持つ苦悩を予見して描き切っているようにも思えます。本作『生まれいずる悩み』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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