あなたは 私の 神さま
6月12日の夜、祖母が亡くなった。
92歳だった。
「おばあちゃん、おはよう。今日は天気がいいよ。」
「いってきます。」
「おやすみなさい。今日もありがとう。」
祖母にわたしの声がきこえているかどうかはわからない。
けれどわたしは、葬儀から帰った日からほぼ毎日、
気が向いたときに祖母の写真に手を合わせ、話しかけている。
それも、"手を合わせなくては"という義務感からではなくて、なんとなくそうしたいからやっているのだ。
宗教的なものにまったく興味がなかった今までの自分からは想像できないことだった。
石井ゆかりさんの本「選んだ理由。」(ミシマ社)の中で、僧侶兼イラストレーターの方が、
「日本人の体には宗教が染みついている。だからあえて自分は〇〇教と名乗ったりしない」
といったことを言っていて、読後はただなるほどなと思っただけだった。
でも今回、祖母を供養することを通して、その真の意味がわかった気がする。
写真の前で手を合わせて、祖母を想い話しかけることが、自然とわたしを支えているのだ。
そうすることで不思議と元気が出てくるのだ。
「まるでおばあちゃんはわたしの神様みたいだな」
そう感じるとともにふとこういうことが頭に浮かんだ。
"たいせつな何かを想うこと=宗教"
なのだということ。
その何かとは、亡くなった大事な人でも、動物でも、草木でもなんでもよいのだと思う。
たいせつな何かを想うことが、自分に自然とちからをくれる。
そのちからで自分の周りのものをいつくしむ。
自分がいつくしんだ何かが、また誰かをたいせつにする…。
そんな愛おしい輪を生みだすことが宗教そのものなのではないかと思ったのだ。
わたしは家族を亡くしたけれど、自分だけのかけがえのない神様がいることに気づけた。
悲しいけれど、幸せであることに気づいた。
これを読んでいるあなたにも、あなただけの神様がいたらいいなと思う。
はじめるからハジマル
「ブログやりなよ!」
こう言ってもらえたのは今日で2回目だ。
1回目は中学の友人に。2回目は成人してからできた友達に。
ふたりとも、「〇〇ちゃん(私)けっこういいこと言うからやってみなよ」というニュアンスの言葉で背中を押してくれた。
そんな風に褒めてもらって、文章を書くことを薦めてもらって、最初は謙遜した。
「そんな面白いこと書いたりできないよ〜〜」
と両手を激しく振って否定した。
ただ同時に、顔がにやけるのを感じた。
正直うれしかった。
内心、文章を書いて誰かに読んでもらうということに憧れがあったのだ。
やりたいと憧れていること、文章を書くこと。
私にもできるかもしれない。
根拠のない自信と挑戦したいという気持ちが膨らんだ。
でも最初にブログを薦められたときは、なかなか書き出せなかった。
「誰かに読んでもらう価値があるものを、自分が書けると思ってるのか」
「わたしが書いたものを誰かに読んでもらおうなんておこがましいんじゃないか?」
「やっぱり思ってることをさらけ出すのは恥ずかしいかも…」
「やってみたい。できるかもしれない。でも、一年後に自分の書いたものを読んだら、ただ恥ずかしくて死にたくなるだけなんじゃないか?他人には鼻で笑われて終わりなんじゃないか?」
元々のマイナス思考が、冒険心と恐怖心の葛藤に拍車をかけた。
上記のような自己問答を今日まで一年ほど続けていたのだ。思春期かよと自分にツッコミたくなる。そこはかとなく厨二臭さも感じる。
書いていてツラくなってきた。
そんな私がなぜ今ブログを書こうと思ったかというと、一つは二人の友人に薦めてもらったこと、もう一つは、
"はじめなければ なにもはじまらない"
とふと思ったことからだった。
強調するまでもなく当たり前のことかもしれない。
(強調してる自分を客観視すると恥ずかしくもある。
なに当たり前のこと強調しちゃってんの自分…。
一番言いたいことだからとはいえ…。
自分で自分にツッコんでないと精神を保てない。
ほんとにブログなんて書けんのか自分。
しんどくなってきた…。
…こんなこと言ってると永遠に書き終わらないので先に進めます。笑)
でも、なにか挑戦しようかと思いついては、ああでもないこうでもないとやらない理由を引き出して結局やらない、ということをみんな結構やってるんじゃないかと思う。
わたしはかなりやっている。
なにかを初めてやる場合、必ず失敗する。恥をかく。
恥をかきたくないから、新しいことになるべく首を突っ込まないようにする…。
それでは何も変わらない。
私は今の自分の状況を変えたい。より良くしたい。「何かいいことないかな」とただ指を咥えて待っているような自分に、己の不満の奴隷に、自分はなりたくない。
新しいこと、やりたいことに挑戦して、新しい自分、なりたい自分になりたい…。
"はじめる=恥をかく"
ことなのではないかとも思うのだ。
なにかを始めようかと迷っている人の、これからいろんなことに挑戦したいと思う私自身の、勇気に繋がることを願って。
私はブログの投稿ボタンを押して、進んで恥をかきに行こうと思う。
「これだけ恥ずかしいことにコイツが(この日の私が)挑戦したんだから、自分にもできるだろう」
これを読んだ人と未来の私に、そう思ってもらえたら幸いである。