失業中のK君へ

もうどこかに採用されたか?
もし採用されても、春休みのキャンプにあんたは絶対行かなあかんよ。 中学の息子はもちろんのこと、上の娘も楽しみにしてるからな。 そうそう、肝心のうちの犬も、こないだそのこと言うたら“はよ行きたいワン”と吠えよった。

ところで I 君のステレオの売却の件で嬉しいニュースがある。 修理した例のアンプを逸品館が12万円の査定を出したので、それでええと思っておとといの土曜日に車に載せて持って行ったら、店員が「汚れてるから1万円引きの11万円」と言いよったので、売り言葉に買い言葉(買い言葉に売り言葉かな?)、「ほんだらええわ!」ゆうて再度家に持って帰ってきた。 あとで、わざわざ日本橋まで一往復したのに、1万円くらいのことやったら売っといたらよかったとチョット後悔したが、夜、気を取り直して、デジカメで写真3枚撮ってヤフーのオークションに出品したら、なんときのうの昼、20万円で落札された。 大儲けや! あんたのおかげで余計な道のりを30キロもの重たいアンプを運ばされてイヤっちゅうほどシンドイ目をさせられたが、今はその苦労も報われた思いや。(ほんま重たかったからなー。150メートルくらいは迂回したかな?)

それと、こないだ言うてたマランツ真空管のプリアンプも25万円で落札された。 ハイファイ堂で13万円の査定やったから、これも大儲けや。(但し、二日前に落札者から「左チャンネルからノイズが出て止まらん」との苦情の電話が掛かってきた。 真空管の差込をクリーニングして直らんかったらまた連絡するとのこと。 いまだ返事もないので、今はこのまま引き取ってくれることを祈るばかり。 中古品に付き、ノークレーム・ノーリターンやからな。) それにしても、日本橋の買取り価格2台で24万円の査定が、オークションで45万円になるとは、思ってもみなかった。

日本橋まで何度も往復したり、重たいアンプを長いこと担いだり、梱包にも気を使ったりと、久方ぶりに汗水垂らして動いた甲斐もあった。 少々苦労したけど、これも天国の I 君への餞別の足しになればと思ってのことやった。 せやけど、やっぱり、気休めにしかならん。 考えれば考えるほど、あまりに悲しい。 いまさら、遅きに失したということや。

日本人のメンタリティ − その一典型

http://corea-k.net/date/000.wmv


(以下、知人からのメールを転載。)
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皆様

私は朝鮮第一初級学校に二人の子どもを通わせている
保護者の金と申します。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが
先日4日に名前を言うのも忌まわしいようなレイシスト(人種差別)団体が

京都朝鮮第一初級学校のすぐ前で騒乱を起こしました。

今まで生きてきてこんな腹立たしく悔しい思いをしたことがありません。

学校の前で子どもたちに聞こえるように
“スパイの子どもたち!”“朝鮮学校を日本からたたきだせ!”などと
人として信じられない暴言を拡声器の爆音をもって騒ぎ立てました。

子どもたちはおびえて、中には涙を流すこどもたちもいたそうです。

私が悔しい、腹立たしいと思ったのは、何もその団体に感じたことではありません。
朝鮮語のことわざに“糞を避けるのは怖いからで無く汚いからだ”という言葉があります。

私が本当に許せないのはこのような事態が許されている“この社会の規律と良識”に感じています。

当日警察も子どもたちがおびえてるにもかかわらず“自分たちは間に入っている立場”とし
制御しようともしない。スピーカを校門のまん前で校舎に向けて騒いでるにもかかわらず
禁止させない。

これが言論の自由ですか?法や警察はこどもを守ってくれないというのがむなしくてたまりませんでした。

自由使用の公園なのにも関わらず“不法占拠”とののしり、地域の方々も使っているゴールポスト
動かしたり、利用する子どもの安全のために設置されたスピーカーの線を切り、朝礼台と一緒に
校門前に投げつける暴挙。
器物破損ではないのですか?強制執行は一般市民に権限があるのですか?

子どもたちがおびえ、泣いているのに脅迫罪ではないのですか?
そこにいる個人や団体を誹謗中傷し侮辱罪ではないのですか?

日本は多くの先進国が批准している人種差別撤廃条約に加盟してないから許されるのですか?

そこに駆けつけた私たちは声がかれるまで警察に訴えたのに取り合ってくれませんでした。

私は学校に駆けつける前に、某大学で人権教育に招かれ、“人権とこどもの学ぶ権利”を物知り顔で語っていました。
このときほど“人権と子どもの学ぶ権利”が虚しく聞こえたときはありません。

私はこの問題が一部のレイシスト集団の問題ではなく、それを許容する日本社会の“良識”を問いたいです。
たしかにこのような集団は日本人の一部かもしれません。
“日本人は悪い人ばかりではありません。信じてください”とおっしゃりたい方もいるでしょう。
そういう意味では日本の方々も被害者かもしれませんが、今回の問題の本質ではありません。

明確にこのような事態が起こったことは、これが許されたことになると思います。

いまこそ“日本社会の良識”に問うべきだと思っています。


いままで本当に悔しい思いをいっぱいしてきましたが、もうたくさんです。
今後このような事態が起こったとき、また私たち朝鮮人は門扉の前で歯を食いしばり、血の涙をのみながら
我慢に我慢を続けないといけないのでしょうか?

正直に今回子どもたちに“守ってやれなくて申し訳ない”との考えが頭を離れず
夜も悔しくて眠れませんでした。

無くなった祖父母や一世たちが空の上からこの事態を見ているならば、どんな思いをしてるでしょうか?
自分たちの曾孫までもこんな仕打ちをされているのかと嘆き苦しんでいるでしょう。

長々と書きたて、最後まで読んでいただきありがとうございます。
もうこのような事態が起こらぬよう、皆さん、どうかこの社会を、良識とあるべき姿を、考えてください。

「外国人の人権」 ( 浦部 法穂 )

参政権社会権、入国の自由は外国人に保障されない、あるいは、その他の人権についても、日本国民とは異なった制約が認められる余地がある、などの議論は、すべて一般論である。

ところで、外国人とは、いうまでもなく、日本国籍をもたない人のことである。 しかし、日本国籍はもたないけれども生活の実態は日本国民一般と変らないという外国人もいる。 永年にわたり日本で生活し、あるいは日本で生まれ育ち、日本に生活の本拠を置く外国人(いわゆる「定住外国人」)である。 一時的に日本に在留するにすぎない外国人については、上述の一般論をそのままあてはめても、不都合はないといいうるかもしれない。 たとえば、観光旅行で日本を訪れている外国人に、たまたま選挙があるからどうぞ投票して下さいといってみても、無意味である。 あるいは、そういう人たちの社会権の保障は基本的に本国政府の責任とすることも、いってみれば当然のことである。 しかし、日本に生活の本拠を置き日本で生活をしている外国人について、日本国籍をもたないというだけの理由で、人権の保障について日本国民と異なった取り扱いをすることに、はたしてどれだけの合理性が認められるであろうか。 生活の基盤は日本にしかないという外国人に、あなたの社会権はお国の政府に保障してもらいなさい、ということは、なんの慰めにもならない無意味なお題目である。 現に生活をしているここで保障されなければ、意味がないのである。 あるいは、また、こういう外国人にとって、日本への入国の自由とは、ほかならぬわが家へ帰る自由である。 それでも、外国人である以上入国の自由はない、ということになるのであろうか。

そして、もう一つ、参政権について。 日本に生活の本拠を置き日本で生活をしている外国人は、日本国民とまったく同じように、日本の政治のあり方に関心をもっているであろうし、また、もつことが当然である。 日本国憲法における「国民主権」の原理は、こういう外国人の参政権を否定するものとして理解しなければならないというものではあるまい。 少なくとも民主主義の観念と結びついた「国民主権」の原理の根底にあるのは、一国の政治のあり方はそれに関心をもたざるをえないすべての人の意思に基づいて決定されるべきだとする考え方である、ということができよう。 そうだとすれば、日本国民とまったく同じように、日本の政治のあり方に関心をもたざるをえない外国人に参政権を保障するとしても、「国民主権」の原理に当然のように反するということにはならないはずである。 むしろ、そのような外国人にも参政権を保障してはじめて、本当の民主主義政治が成り立つというべきであろう。

要するに、人権の問題を考える際に重要なのは、その人の国籍ではなく、生活の実態である、ということである。 とくに生活の本拠が日本にしかない外国人については、日本国民とまったく同等の人権保障が及ぶとしなければ、それらの人々の人権は、実際問題として、無に等しいものとなる。 人権は、人間らしい生活のための基本的権利であるから、これらの人たちの人権は、生活の場であるこの日本においてこそ、保障されなければならないのである。 いわゆる「定住外国人」については、日本国民とまったく同じように人権保障が及ぶと考えるべきであり、そのほかの外国人についても、外国人だからという一括りで考えるのではなく、それぞれの生活実態に応じて、実質的に人権が保障されるように解釈すべきである。


日本評論社 「全訂 憲法学教室」 浦部法穂著 p.58-p.60 / 第1章 基本的人権総論 第2節 人権の享有主体 1 外国人の人権 (4)日本に生活の本拠を置くいわゆる「定住外国人」については、日本国民とまったく同じように人権が保障されると考えるべきである。 ]

夏の旅

きのう、熊野古道を歩いた。 松本峠を目指すこと約30分、汗でぐしょぐしょになって登り着いた展望台から眺める七里御浜の景観は、素晴らしかった。 昼食後、熊野市紀和町小川口でウォータージェットに途中乗船して瀞峡を遊覧した。 子供の頃に親に連れられて来て以来二度目の瀞八丁に、昔ほどの迫力を感じなかったのは自分が年をとったせいだろう。 下船後、丸山千枚田を見て帰路についた。 途中、熊野市駅前通りのスポーツ店に寄って子供が野球帽を買った。 168号線沿い十津川に架かる谷瀬の吊橋には、予定を変更して前日に渡っていた。 42号線から309号線に入り、169号線を奈良に向かって北上した。 紀伊半島往復、行き6時間半、帰り3時間半、全行程約480キロ、長い長い夏の山道のドライブを楽しんだ。

夫唱不随

おととい、久しぶりにヨメはんと東京へ行った。 恵比寿ガーデンプレイスでビールを飲み比べた。 ドイツ産のビールが一番美味かったということで、めずらしく夫婦の意見が一致した。 オイスターバーで真牡蠣と岩牡蠣を1個ずつ食べた。 店のマスター曰く、「日本産が栄養があって一番美味い」とのこと。 だが、しかし、やはり生臭かった。 列島周辺の海流にプランクトンが大量に発生するので栄養豊富ということらしいが、その栄養に美味しさより生臭さを感じるのは俺が素人だからか。 少々栄養不良であっても、アメリカ産やカナダ産の生牡蠣は臭みが無くてあっさりして、一ダースくらいはペロッと食えるのだが。 昼飯にビルの最上階で東京タワーを眺めながら中華料理を食べた。 目的地の東京ドームに行くのに時間に余裕があったので、東大に立ち寄った。 安田講堂前の緑地が管理不行き届きでみすぼらしかった。 雑草対策をした上で花壇を設けるなどすれば、もう少し格好がつくのに。 天下の東大がこれでは恥ずかしいと思った。 試合が終わっての帰途、丸の内線を目指して辿り着いた地下鉄後楽園駅の一番線にやって来た電車に飛び乗った。 飛び乗ってから前の客に、電車が東京駅へ行くのか聞いたら、「知らない」と首を横に振った。 これはてっきり乗り間違えたと思って急いで駅へ飛び降りた途端、笛が鳴って扉が閉まった。 動き出した電車の方を振り返ると、車窓の中でヨメはんが、一緒に動きながらこちらを向いて微笑んだ。