アプリマーケで扱うべき質問とは?
アプリマーケ
最近、自分の事業を考える上でも、
他の事業戦略をお手伝いする上でも、
アプリのマーケティング戦略を調べる機会が増えてきた。
調べてみると、面白いことが結構わかる。
例えば、以下のサイトでは、こんなことが書かれていた。
https://magazine.fluct.jp/2017/08/10/4690
「あまりにも機能を盛り込みすぎてしまい、アプリ本来の目的が見えづらくなってしまった。」
他にも、こんなことが書かれていたサイトもある。
https://growthhackjournal.com/80-20-onboarding/
「平均71%ものアプリがたった1日後には離脱してしまう
30日後には90%を失います。
90日以内には96%ものユーザーを失ってしまいます。
上位10アプリのリテンションカーブを見てみると、1日後のリテンション率が平均的なアプリの2倍になっていることがわかります。」
アプリ業界の現状
こうしてみると、アプリ業界の現状がかなり見えてくる。
まず、一つは、アプリの数はすでにユーザーが飽き飽きするほどに飽和していると言うことだ。
毎日のように新しいアプリがリリースされては消えていく。
もはや、飽和するアプリに対して、ユーザーは必要ないところに1秒だって時間を使いたいとは思っていない。
そして、もう一つは、「だからこそ、特化したニーズを支えるアプリに需要がある」のだ。
もはや、アプリで「なんでもできる」ものは必要ない。
人と繋がりたければFacebookを使うし、
呟きたければTwitterを使う。
いろんな機能が使えても、それらに勝てなければ無用の長物となる。
逆に言えば、FacebookやTwitterに負けない要素に強いニーズがあれば、十分勝っていける。
その典型的な例は、Instagramだ。
インスタグラムは、昔のポラロイドカメラのように撮影した写真をすぐに共有できる機能に特化したサービスとなった。
だからこそ、彼らのKPIは「他のどんなアプリよりも、写真共有のスピードが速くなること」だった。
その領域で尖ったからこそ、今のように「インスタ映え」という言葉が流行るほど大ブームした。
考えるべき質問
このアプリでは、ユーザーに何を一番感じて欲しいのか?
それは、どのようなKPIで測定するのか?
そして、それは本当にユーザーが求めているものなのか?
これを突き詰めて考えていくことに、アプリのマーケ戦略のキモがあると感じた。
多言語話者との出会い
多言語話せる人。その数なんと・・・
桃太郎を250言語で翻訳したら面白いんじゃないか?
そんな話を知り合いの方にたくさんしていたら、色々な方から多言語話者を何人かご紹介していただいた。
本日お会いした方は、その中でも一番話せる言語数が多かった。
その数なんと、、27言語!
5,6言語が話せるだけでも、すごい人だと思っていたが、27言語は桁違いだ。
そんな方とのお話は、桁違いに面白かった。
50歳で50言語話者!
まず、何より、世の中には27言語も話せる人がいるというのが衝撃。
ただ、彼がいうには、毎年10月に世界多言語大会というのが開かれており、
そこで出会った人の中には、50歳で50言語話せる人もいたらしい。
世界、広すぎるぜ。。
ただ、特に部族などの言語は英語やフランス語よりもずっと簡単で、単語数も500くらいしかないところもあるらしい。
というのも、彼らには「真理」とか「哲学」といった概念的な言葉はほとんどなく、生きるために必要な実利的な言葉だけで成り立っているので、単語数も500ほどで充分なのだという。
だとしても、10言語越えるのは凄すぎるけど。。
聖書の翻訳数
言語を通した文化を伝える上で、桃太郎を250言語で翻訳したい、という話をしたところ、
まずは聖書から入ってみるといいと助言を受けた。
みなさん、聖書って、どれくらい販売されているかご存知でしょうか?
なんと世界中での発行部数、50億冊以上!
100万部以上売れたら「すごい!」ってなる時代に、桁数が7も違うというのは、異常だ。。
さすが、聖書。
翻訳数も著しく、3000言語以上で翻訳されているらしい。
世界中の全言語が7000ほどで、100万人以上が使っている言語が250言語ほどなのだが、3000言語ということはかなりニッチな言語まで翻訳されているということになる。
聖書は、わざわざ本屋で買わなくても、ネットで無料で手に入れることができる。
また、聖書の映画も1600言語以上で翻訳されているので、読むのが嫌いな人はそちらの方から入るのもオススメだ。
僕がお会いした方は中国人だが、日本語を学んだきっかけは「ドラゴンクエスト」だった。
当時は、今みたいにすぐに翻訳もされなかったので、日本語を必死に学んでゲームをしたらしい。
そこから25言語まで覚えて、それを仕事にもしているので、まさに言語を覚えるのも「好奇心」が高じることが強い原動力だろう。
どんな船に乗せるのか?
乗せる船は何か?
何の船に載せるか?という話。
今日、あるビジネスマンと話している時の話。
「僕、ファッションイベントで人々を感動させたいんですよね。」
「なるほどね。」
「どういう人をパートナーにすればいいんですかね?」
「それは、どういう船を作るかによると思うよ。」
「どういう船に載せるか?ですか?」
「うん。」
ビジネスを立ち上げる時に、パートナーはおそらく必要になってくるかと思うし、どんなパートナーかは事業を成功させる上でかなり重要になる。
そのためにも、乗せる船を間違えてはいけない。
船とは、ビジョンだ。
例えば、乗せる船が「企業の一イベントとしてのファッションイベントを作りたい」なのか、
「東京ガールズコレクションを越えるようなファッションイベントを作りたい」なのかによって、
きっと乗り込んで来る人も変わるだろう。
一生砂糖水を売るか?
アップルの社長を探していたスティーブ・ジョブズが、当時ペプシコーラの社長を務めていたジョン・スカリー氏にこういった。
「残りの一生を砂糖水を売って過ごしたいですか、それとも世界を変えるチャンスを手にしたいですか」
ジョブズは彼が乗っている船の未来と、自分と一緒に乗れる船の未来を見せた上で、どちらに乗りたいか聞いたのだ。
あなただったら、どちらに乗りたくなるだろうか?
スカリーのどちらに乗り込んだかは言うまでもない。
何の船に乗せるのか?で、巻き込まれる人は変わる。
海賊王の仲間として相応しいか?
漫画ワンピースにおいて、ルフィは最初から「海賊王」を目指していた。
そして、仲間も、海賊王になるための仲間を集めていた。
彼はゾロを仲間に入れる時にこういった。
「いいねぇ。世界一の剣豪!
海賊王の仲間なら、それくらいなってもらわないと俺が困る。」
ルフィは直感で仲間を選んでいそうだが、ちゃんと漫画を読むと、何人かの仲間入りは断っている。
彼の直感的な判断は常に「こいつは海賊王の仲間として相応しいか?」なのだ。
だから、船に乗せる人も、それに相応しい人しか選んでいないのだ。
あなたは、どんな世界を実現したいのか?
そのために、どんな仲間を船に乗せるべきなのか?
サービスの成長ストーリー
今成功してる企業ストーリー
新規事業開発のために、様々な事業の歴史を調べている。
10年単位でサービスの成長を見てみると、意外な発見があって面白い。
例えば、Facebookだ。
この企業の成長ストーリーは本当にすごい。
2004年に、ザッカーバーグと数人の学生が、スタンフォード大学生のプロフィールページ専用として生みだしてから、
2010年には全世界で5億ユーザーを超えている。
もともとは、今みたいに自分のニュースを投稿するような機能はなかったというのだから驚きだ。
今やFacebookは世界中の人の交流の拠点になって、Facebook側もあらゆるコミュニティのプラットフォームを作ろうと活動している。
インスタグラムは、2010年6月にリリースされてから、3ヶ月で100万ユーザーを突破して、そこから怒涛の勢いで現在まで来ている。
「インスタ映え」という言葉が流行ったのも、もはや数年前だ。
LINEだってリリースされたのは2011年の6月だから、まだ10年も経っていない。
それでも僕が大学生になった2014年にはすでにコミュニケーションの媒体はLINEだったし、
今ではビジネス上のコミュニケーションのやりとりでさえLINEがなければ困るようになった。
衰退するサービス
一方で、当時輝いていたのに衰退していった事業もある。
同じコミュニケーションプラットフォームでいうと、例えば、mixiだ。
2004年2月にサービスをリリースしてから、2010年ほどまでは当時の若者の間でmixiを知らない人などいないといっても過言ではないほど流行した。
一転、2013年には業績赤字に落ち込み、今やmixiサービスを使っているという人は周りに1人も聞かない。
mixiも今はモンスターストライクで事業をかなり戻してはいるが、パズドラでさえ数年前のような熱気はなくなり、ニコニコ動画も落ち目になっている。
モンストだっていつまで持つか分からない。
あらゆるサービスが上がり下がりし、明日には何のサービスが残っているか分からない。
もしかしたら、Facebookでさえ、5年後にはもうなくなっているのかもしれない。
サービスを作るべき時のキーとなるものは何なのか?
前提として、僕は、成功するかどうかよりも、「何を世界に伝えたいか?」で作るべきだと思っている。
その時のキーというものは、執念。ただこれだけであろう。
極めるなどない
新・北斎展
北斎は20歳で浮世絵界にデビューしてから、90歳で没するまで絵の道を極め続けてきた。
彼の作品で特に有名な赤富士や、波の絵といった「富嶽三十六景」は、彼が70歳を過ぎてから作られたものだ。
その生涯を常に絵描きに捧げ続けた葛飾北斎は、中国画的な力強い表現や、アメコミのような洋風表現も積極的に取り入れていた。
当時、他の流派や海外の芸術表現がご法度だった時代に、そういうところも含めて積極的に学びにいっていたのだ。
北斎はその生涯にわたって、漫画、春画、西洋画、水墨画と幅広く取り入れていく。
北斎は、有名な『北斎漫画』を含む多彩な絵手本を書いたりと、庶民的な作品を多く残すことでも知られる。
そんな彼が、90年の集大成、晩年の作品が「弘法大師修法図」である。
この実物を今日の展示会で見たときは、正直言って震えが止まらなかった。
これまでのどの絵とも違う、北斎の集大成を感じる作品。
そこに宿るものを「これはこうだからすごいよね。」とは言えず、ただただ震えることしか出来ない。
極める などない
僕が好きなインクワイアリーという有名人や偉人のの名言を載せているサイトでも、葛飾北斎をこう綴っている。
晩年、自分のことを『画狂老人卍』と名乗った北斎は、その枠にとらわれない唯一無二の生き方を貫くことで、この世の歴史に『生きざま』を刻みました。その生きざまはもしかしたら、北斎が残した一つの『芸術』なのかもしれません。
彼自身の「生き様」が彼の芸術であり、この作品にはその生き様を前面に表現している。
それは、一朝一夕で語れるものではない。まさに「言葉にできない」素晴らしさだった。
嘉永2年(1849)4月18日朝、北斎は90歳で生涯を終える。
その時に、彼が言い残した言葉は、
「あと10年、いや5年命が保てば真正の画工になれたのに」
であった。
群を抜いた絵描きであった北斎の言葉は、「この世に『極めた』などというものはない」ということを教えてくれる。
極めた、と言っているということは、まだ極めていない、ということを露呈しているだけなのかもしれない。
さて、これは絵の世界だけの話だろうか。
いや、それはあらゆるものに通ずるのだ。
どんな言葉を使うかで、世界の見え方が変わる科学的根拠
世界の捉え方と言語
WIRED でこんな記事を見つけた。
使う言語が「世界の見え方」を決めている:研究結果|WIRED.jp
バイリンガルの行動と周りの世界の捉え方は、その瞬間に話している言語に依存する。そして彼らは、使用する言語を変えると、同時に行動や物事の捉え方も変化させるというのだ。
研究では、ふたりの人物がまったく同じ出来事を目撃しても、その捉え方は各々が使う言語によって異なるということも明らかになった。
言語と文化は互いに密接に関係していることが科学的に証明された。
我々の世界の捉え方は、話す言語に大きく影響を受けるのだ。
能力と言語
別の例を紹介しよう。
サイエンティストであるレラ・ボロディスキーが、TEDにおいて、「言語はいかに我々の考えを形作るのか?」というテーマでプレゼンしている。
オーストラリアの アボリジニの話から始めましょう。これはクウク・サアヨッレ族の人々です。・・・
クウク・サアヨッレ語の 面白いところは 「左」や「右」という言い方はせず、あらゆることを東西南北の方角で言い表すことです。・・・
「あら 南西の脚にアリがいるわよ」 みたいな言い方をするんです。あるいは「コップを少し 北北東にずらして」とか 挨拶にしても クウク・サアヨッレ語では 「どちらの方に行くの?」と言いそれに対する答えは 「ちょっと北北東の方へ あなたは?」という具合です。
こうした言語文化は、彼らの方角に対するセンスを引き上げている。
実際、彼らは、いつどこに立っていようと、北がどっちかすぐに分かるのだ。
能力と言語にも密接な繋がりがある。
会社の文化と言葉
僕が「すごい会議」という会社でやっていたことは、まさに会社内で扱われる言語を変えることを通して、会社の文化を変えることだった。
例えば、普段から「お客様に断られちゃいました」という言葉を使っている会社と、
「お客様に魅力的に伝えきれませんでした。」という言葉を使っている会社では、組織の文化が全く変わってくる。
組織の文化と成果には大きな関係がある。
もし、今の成果に満足いってないのなら、最初に変えるべきは能力ではない。言葉である。
そして、世界を理解する時には、言語を知ることから始めるべきだ。
冬でも一切コートは着ない?!
コートを着ない冬
僕は、冬でもスーツの上にコートは着ない。
今年の冬も、持ち合わせている1回も着なかった。
だから、周りの人からめっちゃ寒そうに見られる。
「なんでコート着ないんですか?」
とよく聞かれる。
「寒くないんですか?」と聞かれることもよくある。
ここで断っておくが、答えは当然、寒い。
コート着てても寒い日もあるのだから、寒くないわけがない。
そして、寒いからこそ、コートを着ないのだ。
寒いを味わう
日本の冬というのは、他の国にはない特別なものだと思っている。
日本には四季があって、季節ごとに温度も風も、葉の色も変わる。
日本はめちゃくちゃ暑い日もある一方で、冬の寒さがあるというのが特別なのだ。
それは日本の風情だと思うし、日本で暮らしている以上、そうした風情を全力で味わいたいと思っている。
寒さを感じるのも、そのひとつだ。
冬は、寒い。
とりわけ、1月の終わり頃は特に寒い。
そうした日本ならではの冬の味わいを、コートを着ていては味わいづらくなってしまう。
「なんでコートを着ないんですか?」
の答えは、これだ。
「せっかくの風の冷たさを感じないからです。」
寒い季節には暖かくするっていうのは、普通の考え方。
寒い季節には、最大限寒さを味わうこと。
それを楽しむために、コートは邪魔なのだ。
季節を敏感に感じとる
昔の人たちは、ちょっとした季節の感じ方の違いを敏感に感じ取り、そこに名前をつけていた。
そこには、暑い、寒い以上の複雑な区別があって、それを区別できることに、彼らなりの豊かさがあった。
ちょっとした体感覚の違いに名前をつける発想はものすごく豊かだし、世界をより深く味わっている感じがする。
僕はこれからもコートを着ないだろう。
それはもちろん、より深く日本を味わうために。