つれづれ帳

もそもそとしたあれこれ

今日は無題

好きなジャンルなはずなのにいまいち乗り切れなかった『となりの妖怪さん』が終わるのだけど、ここにきて家父長イデオロギーを含む素朴な保守的なものにスピリチュアルが乗っているから、という風に納得したのでした。

百合ちゃんと父親の決着と、比較で出してしまうけど『作りたい女と食べたい女』の春日さんと家族の距離を見ると、百合ちゃんの方がより現実的であり同時にしみじみとした閉塞感と家父長イデオロギーの受容に彩られているかがよく分かるというか。あるいはあの世界でも日中戦争があった=侵略戦争があったという描写があるけど、それがノスタルジーとしてしか機能していないように見えるとか。

スピリチュアルのほうはジャンル的に相性がいいし、うん。

でも、そういうスピリチュアルで保守的なイデオロギーを読んで安心する層には優しい作品だし、それが悪いわけではもちろんないし、ただ私に全く合わなかった理由がようやく分かったという正しい意味での日記です。

「TOVE/トーベ」が哲学的だった話

女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない

 冒頭、トーベが家から飛び出しアトリエを構えたとき思い浮かんだのは、ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』のこの有名な一文だった。トーベが心から湧き上がるものを作品に昇華する際に必要だったのもまた、この二つのものだった。

 トーベは自由を求める。トーベは芸術家と自分を定義する。トーベは偉大なる父親との関係を「つまらない芸術を作る父」「出来の悪い娘」と語る。トーベには自分一人の部屋が必要だったが、それは彼女が人生を歩むスタートに過ぎない。

 とても小さな、そして深く思索的な映画だった。

 根底にはフェミニズムがあるがそれは主軸ではないかな。当時は犯罪とされた同性愛、そして自身がバイセクシャルと自覚して「モンスター」と自称するヴィヴィカと、アニスに「秘密の部屋を探し当てた」と打ち明け「自由を試したんだね」と返されて嬉しそうにはにかむトーベとでは、もともとの葛藤が違う。フィンランドでの抑圧を自覚し自分を自由にするパリに逃れ「パリを愛している」と心から告げるヴィヴィカと、彼女を愛していることで一度は自由を得るトーベ。トーベを縛る抑圧は同性愛への蔑視ではなく、ヴィヴィカへの愛そのものなのだから。彼女と寝たことで自らの同性愛的な傾向を自覚し、彼女を求めて劇場に行き、そして部屋で彼女を待つときの姿、すり減るろうそく、トーベの後ろ、ガラス越しに映るヴィヴィカのまなざし。他人にまなざされるとき、人は他者に支配される…というのはサルトル『存在と無』の有名なテーゼだが、まさにヴィヴィカへの愛に支配され翻弄されるトーベの姿は他人のまなざしにより定義された人間そのものにも思える。

 この作品においてサルトルはどうも飾りではなく脚本の軸の一つであるように感じられる。ヴィヴィカが演出をしていたのはサルトルの舞台だ。「婚姻は便利よ」と淡々と言い放つヴィヴィカだが一方でサルトルの母国であるフランスはパリに憧れる。パリにおいて、サルトルジェンダー思想の祖であるボーボワールと長く恋人として暮らしていた。

 あるいは自由。哲学者でもあるアトスに「君は自由を試したんだね」と問われたことが嬉しくて仕方が無いトーベ。彼女は家を出て自分一人の部屋を手に入れてから、自分、そして自由についての長い旅に出ることになる。同性愛者としてのありのままの在り方をトーベに教えたのがヴィヴィカなら、自由についての思索の方法を教えたのがアトスということになるだろうか。なんたって彼はスナフキンのモデルだ。だからこの作品における自由は、サルトルの言葉を借りると

人間は自由の刑に処せられている

よりも

君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ

の方がしっくりくる。トーベは選び、傷つき、傷つけ、焼けになり、感情に流され、そして創作する。彼女は自由で「ある」のではなく自由に「なる」。その過程の映画だ。

 

トーベは三つのものにとらわれている。「自由」「芸術」そして「承認欲求」。最初の自由は沢山の分岐を選び体当たりをしながら、他の二つが満たされたとき初めて訪れる青い鳥だ。芸術。彼女は父親のような権威主義の絵を嫌うが画家としてはなかなか評価されない。私的な物語としてムーミンを創作しながら、風刺画家や児童作家の仕事は「職業」であって「活動」ではないと見なしている節がある。「私は画家として失敗したの」と言いながら、世界中の子供に自分の世界をシェアしていく彼女。彼女の才能は画家ではなくその「職業」である児童作家や風刺画家の方だと見抜き賞賛したのはやはりヴィヴィカとアトスだ。しかし愛する人と愛してくれる人の承認だけではトーベの中は満たされない。彼女の承認欲求が満たされるのは、父親の死後に、彼が自分の新聞での連載を良い仕事だと認めて大事に保存していたと知ったときである。

 ヴィヴィカの奔放さと向き合い、父親と向き合ったとき、窓から心地よい風が吹く。最後一心不乱に描いている「あらたなる出発」は顔がない。自分を縛るものと向き合ったとき、彼女は自由になる。

 おそらくサルトルらの理解が深いほど、思索が深まる映画なのだろうな。

「好き」の話の続き

 前回のすぎやまこういちの話と繋がるのだけど、敬意や憧れ、崇拝が混ざり合った「好き」という感情は、なにかあってもなかなか消えるものではない。

 吉村由美の『麒麟館グラフティ』というマンガは、DVと女性の自立、支え合いという横軸のもと、「好き」という感情の複雑さを描いている傑作と思う。

 主人公は二人、夫から長い間モラルハラスメントという形でDVを受け続けた菊子と、菊子の夫である秀次の本性を知らずに長く恋をしていて、菊子をたまたま匿ったことから彼女と親友となる妙。そこに菊子に恋をする北大生美棹が絡むことになる。

 秀次は読んでいて腹が立つを通り越して嫌悪感を憶えるほどのモラハラ夫で、最後には実の母すら「菊子さんには悪いことをした」と謝るほどだ。彼は人を支配し見下し利用するのが当たり前で、外面だけは良いタイプだ。妙は、その外面に惚れた。

 そして途中、美棹が妙になぜあんな男にいまだ惚れているのか、と尋ねたとき彼女は逆に聞き返すのだ。じゃあ、あなたは菊子が実は悪い人だったとして、すぐに嫌いになれる? と。

 好きになるというのは半端な感情じゃない、シンプルに白黒が付くものでもない。幻滅してもなおチャンスを与えたり、両面を抱え込もうとしたり、あるいは人格を切り捨てて表象として遠くで見守るように愛することもある。本当にしょうもない駄目な人だよね、と擁護するのを辞めても、なお好きだという気持ちは否定しない人もいる(私はこの場合が多いと思う)。もっと多いのは見て見ぬ振りをしたりそこは不問にして特別扱いすることだろうけど、これは個人的に欺瞞でしかない気がする。そうやって蓋をして、なにかが良くなったことはあまりなので。

 だから、すぎやまこういちが亡くなったとき、多くのドラクエファンが大好きなすぎやんと追悼するのみなのは、「好き」である限り仕方ない。だって相手がどんな人間であろうが親しい感情を持って好きなのだ、それが人生を彩れば彩るほど「裏切られた」と白黒をひっくり返すことは難しい。だからこそ他人による評伝によって記録するのが大事になる。記憶と記録のどちらも蔑ろにしてはいけない。ましてや芸能人やアーティストとは個人との付き合いでなく才能や表象との付き合いなので、いっそう割り切れなくなるだろうなと思う。

 

 ASKAツイッターを辞める予定と聞いたあるチャゲアスファンの人が「ほっとした」とツイートしてるのを見たり、いつしか陰謀論に染まったらしい平沢進をファンが「でも平沢だし」と開き直るように擁護したり(外から見てそれは危険だと思うよ私は…)、ファンとして「好き」という感情は、個人を好きという感情と違うからこそややこしい。

 表象を消費する”わたし”にとって、好きはすべての免罪符になるし、人として見て受け止めて擁護もしないが受容してなお「好き」という、というのは摩擦が生まれてあまり心地よくもない。だから出来れば表象には清廉潔白であってほしい、そのためには表象を「きれい」に保つよう情報を取捨選択したくもなる。

 そんな心の動きの中、いかに割り切らずに、なお「好き」を自分で肯定するのか。「推す」は無責任な心の動き、と論評したのはユリイカの「女オタクの現在」だが、無責任な「推す」から一歩踏み出すのが、擁護をしないで「好き」という動きなのかもしれない。

 

 

 …というのを、岡田育さんのこのツイートを読んで考えたりした。

 

 (付け足すなら、私はいまここまでウツにも木根さんにも甘くなれないというか、三人共にこれくらい厳しいことを思う程度にファン歴を重ねたので、岡田さんウツに甘いよなあ大好きなんだろうなあとも思った)(ツイートだとHの橋本麻里さんが昔一言「Childhood's endから好きなんだ」とだけ呟いた強さが好きです)(どちらも「推す」の無責任さから一歩でた好きの力を感じた)

 

 

 ところで上で触れた『麒麟館グラフティ』は、人は過ちを犯すしなかなか学習しないし何度も繰り返すし盲目にもなる、が、でも人は成長して先に行ける、という優しい結末が待っているので、DVの厳しさを知る意味でも、好きの複雑さも見えるので、古いマンガだけどよろしければ。

https://www.amazon.co.jp/%E9%BA%92%E9%BA%9F%E9%A4%A8%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%90%89%E6%9D%91%E6%98%8E%E7%BE%8E-ebook/dp/B009SHWVXU/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=

 

追悼の話

 わが家は親が率先してファミコンを手に入れてくるガジェッド好きで、一方子供のころの私は「あれがしたい」「これがほしい」という欲求が希薄だったから、ファミコンはあってもソフトは父が適当に見繕ったものや近所からのお下がりが多かった気がする。クリア出来たのはeasyモードにしたけっきょく南極大冒険グーニーズのみ、スーパーマリオブラザーズは1-4から先に行けたことがない。

 そんなゲームが好きなんだか嫌いなんだか分からない私が初めて自分の意志で「ほしい」と手に入れたのが中古やにあったドラゴンクエスト3なわけで、ドラクエには思い入れがあるのである。エニックスが出した最小の情報しか載っていない攻略本片手に冒険をして、エンディングの曲を聴きながら放心して、ドラクエ4の発売を心待ちにして。

 私や私のすぐ下のいとこがドラクエを楽しんでいたからか、母方の祖母が今で言うドラゴンクエストファミリーコンサートにも連れてってくれた。NHKホールで、NHK交響楽団が、すぎやまこういち指揮でクリアしたゲームの曲を素晴らしい技量と名器で演奏する。贅沢な時間が終わった後、「ここだけの特別なおまけですよ」とすぎやま先生は発売直前の4から王宮のロンドを演奏してくれた。

 

 ドラゴンクエスト3が出てから四半世紀が過ぎて、あのときドラクエ3をプレイしていた小学生もみんな立派な中年になった、私も大人になったかわからないまま中年になった。相変わらずゲームが好きか嫌いかわからないままPSやPS2でゲームをプレイし(PS2はやはりゲームなど全くやらないガジェッド大好きな父がよくわからないまま予約して突然家にやってきた)、ドラクエ7で石版片手に世界を巡り、8で見事3D酔いし、9はハードがないからパスをして、10はのんびり触る程度で(説明すると長いが序盤の袋クエストで躓いている)、11は二つのルートで世界の行く末を見届けた。最初のエンディングのほうが個人的には好きです。取り返しがつかなくても人は前に進めるし、きっと希望はあると思えて。

 だから、12の完成を前にしてすぎやまこういち氏の死去が報じられたとき、まずびっくりして、次にさみしさがじわりと湧いてきて、やがて複雑な気持ちになった。

 

 いまの日本における政治状況を右か左に分けるのはもはや意味がなく、保守か革新かという問いも意味がない。なのでひとつひとつについてどう偏っているかを把握しておくしかないわけだけど、その偏り方でいえばすぎやまこういち氏は間違いなく極端な民族右派であるし同時に排斥主義であるし、LGBTQなどのマイノリティについても差別的だった。それは氏の育成過程から導き出されたもののようだ。このブログではこのような発言が紹介されていた。

「自然と身についたものです。祖父、祖母が知り合ったのはキリスト教会で、その根底には民主主義があったと思います。祖父は日露戦争反対論者で、明治時代に幸徳秋水も参加していた新聞『萬朝報』のメンバーでした。

今の日本では民主主義者が右翼と呼ばれてしまうだけで、自分としては民主主義者として大切なことを発言しているだけです。」

 祖父、そして父親の生き方がどのように影響しているかはこのブログからはうっすらとしか見当たらないが、氏にとって”日本人”という幻想を守ることと、明治政府の打ち出した男女の婚姻によるイエ制度の維持が民主主義だったことは想像に難くない。

 

 ドラゴンクエスト11にはシルビアという最高なキャラがいる。クィアで、強い明るさを持ち、ゲイかアセクシャルの可能性があり、イエ制度から自由に羽ばたき勇者とともに戦う。物語にはロールモデルの可視化という役割があって、自分が所属するアイデンティティが格好良く描かれたら人は励まされるし、悪く描かれすぎるとレッテルになる。だからポリティカルコレクトネスという指針が近年注目されるわけだけどこの話は割愛。ドラゴンクエストもまたロールモデルという役割に意識的だし、10も多民族共生の話なのだし、7で語られるのは歴史の役割についてだ。ドラゴンクエストは世界観、システム、ビジュアル、と保守的な王道のようで、ゲームは太い思想に支えられている。

 そしてドラゴンクエストをプレイしていたファンには10の多文化共生に勇気づけられる民族マイノリティの方も、シルビアに喝采を上げたLGBTQの人もいるはずだ。国民的ゲームの国民は日本に住んでいるすべての住民、を指すはずのものだから。

 

 今回の訃報のさい、ツイッターでは多くのドラクエファンが素直に嘆き悲しみ、少なくないアカウントが「思想は別として」哀悼の意を表し、いくつかのアカウントは場違いと言われても氏の晩年がレイシズムに彩られたことを指摘していた。

 少なくとも、なんの葛藤もなくゲームをプレイし、死の際指摘された思想面について「場違いだ」と目を瞑り、ただ心から悲しみ敬意だけを払える、これがマジョリティの特権であることは間違いない。

 同じゲームをプレイしながら「この素晴らしい音楽を作る人は自分を排斥する側でもある」と頭によぎる人や、晩年のレイシズム活動でドラゴンクエストというゲームそのものから遠ざかった人がいることに目が向いたり、思想面で厳しい判断をする人もまた少なからずいることは、おそらくすぎやまこういち先生とドラゴンクエストというゲームにとっても残念なことだけど、切り捨ててもいけない。悼むということは死んだら仏だとすべてなかったことにすることでないはずだ。人を仏にするのではなく、人を人間として扱い記憶することで、その人は文化のなかで生き続ける。

 特にネットが主なプラットフォームのオタクになると、好きなものは全肯定以外は全てノイズで敵となりがちだし、私にもそういうものはある。でも私の好きなものにしても死去したとき触れなければいけないことがあるし、恐らく負の面も触れられるし、私はとても不機嫌になる。でも、それは本人が自ら身につけたタトゥみたいなものでどうしても剥がれない。だとしたら、それも含めてその人だったのだと(どれほどかの時間が掛かっても)受け入れ考え続けるしかないのだろうと思う。

 

 私は自身が奇形児として生まれたのだから時代によっては排斥される側であって、またマイノリティの友達がいるのもあり、排斥の思想には与したくないし、そこはどうしても無視できない。

 一方で間違いないのはドラゴンクエストすぎやまこういちの音楽がなければ成立しない物語だった。氏はグループサウンズ時代に、ドラゴンクエストで、競馬のファンファーレで、素晴らしい仕事をしたし、先生がいなくなったドラゴンクエストが全く想像出来ない。

 これからドラクエ10やドラクエ12をプレイするたびにこの両面を考えていくのだろうし、ドラゴンクエスト好きとして、先生がいなくなったことはとても寂しいです。

 

つれづれといきなりに

ある友人がいる。雑誌編集記者として経験を積んで、いまは企業の広報誌を作っているプロだ。

彼女と、あるアーティストのBBSの大規模オフ会で知り合ったのはもう20年(!)も前になるのだけど、その間に疎遠になったりまた偶然にばったり会ったりして、つまり縁があるとしか言い様がない。

 

先日、感染も落ち着き始めて互いにワクチンを打って5週間経ったから、ということで、ライブ前に散歩をした。人と会うのは本当ににしばらくぶりで、話し方も忘れていたがどうにか人間の形は保っていた。マスク越しでも声の温度に触れるのは新鮮で、世界とまた繋がった気持ちになる。曇りの日に歩く港の見える丘公園は鬱蒼としていて、見える海もガラスのように透けた黒さがある。私はオフコースが好きなもので、歩くだけで「港が見下ろせる 小高い公園」と自然に歌が流れる。互いに近況報告をしあい、彼女は相変わらず会社と家で奮闘していて、私はこの夏に、ネットで、二十年ぶりに署名で記事を書かせて貰ったことをそっと報告した。

すると彼女はにやりと笑って言ったのだ。

「ねえ、楽しかったでしょ。書きなよ」

彼女はnoteを勧めてきたが、個人的にcakesには不信感しかないので、こうして登録だけしておいて私すら存在を忘れていたはてなにまたなにかを書こうと思った。と、そういう理由で、だれも読んでないことを良いことに適当になにかを書いていく。

 

彼女は正しい、私はこの夏、とても楽しかったのだ。

もう一週間も前の話だけど

スマップのあれすごかったですよね。なにがすごいって公開でいやなものだけ全面に押し出したものだからあっという間にスマップのすべてが消費対象になっちゃって、あっという間に消費されてコンテンツとして過去に押し流されたところが。消費コンテンツにするとエネルギーとしては瞬間のみしか存在されない(出来ない)から、結局すべて「今のまま」というエネルギーに相殺されてしまうんだな。とタイトルに書いた瞬間に気付いた私ですどうも。ちなみにスマップはコンテンツとして消費されたけど、ジャニーズ全体はあの会見によって一般との大きな乖離を示せたので、この後は内向きな全体国家風に静かな落日を辿っていくんだろうし、ファンの方もそれでいいんじゃないでしょうか。

 

この、SNSなんだけど誰にも見られてない感じ楽だな。誰にも見られてないついでに、12年前の企画の小説って掘り出せたら再録しちゃってもいいかな(銀河ヒッチハイクガイドの最初のあれ風のアリバイ作り)。