船が沈んだら、泳げばいい
何かを捨てた時、捨てなければならない時、
やるべきことは捨てた選択肢を振り返ることではない。
次に取るべきベストの選択を考え、その選択をベストオブベストにすることだ。
僕は何かを決断する時、常にこの哲学に従っている。
高校の時、色々な事情が重なり、家事を勉学と両立しなければいけない局面に立った。
中高一貫校に通っていた僕は、中高一貫校の学生のスタンダード宜しく、部活をそこそこに楽しみ、翌年来るべき大学受験戦争に向けて助走を始めたところ、そんな最中であった。
帰宅後に家事全般をし、いわゆる進学校の授業についていくために夜中に予習復習をし(予備校に通わずしてついていくのは割と時間がかかった)、寝るのは4時頃。1時間超の自転車+電車通学のため7時には家を出る。そんな生活を続けていた。
高校では普段通りに生活しようと心がけていたが、どこかでネジが緩み始めたことに気付いた。
そこで僕の取った選択は、休学であった。
このままの生活を続けていても、明るい未来は見えなかったし、卒業が遅れたところで一浪と同じ、だと。
だが、自分の取ったその選択に対して僕は自信が持てなかった。
生まれ持っての負けず嫌いのため、同級生の下級生になる、というイメージがどうしても湧かなかった。
休学とは言え、自分がドロップアウトした、という気持ちは回復できず、自分の選択を後悔し、暫くの間落ち込んだ。
「どうにかして同級生と同時期に卒業する手段はないか」
と思っている時、読書好きの僕が本屋で偶然目にしたのが、高卒認定試験の参考書であった。
「大検かあー。」と、その時は軽く流していた(無礼を承知で言うと、中学受験をした私に大検など違う世界の話だと思っていた)が、どこか引っかかり帰宅後に公式サイトにアクセスした。
何気なくスクロールしていると、
受験資格には
受験しようとする試験の日が属する年度の終わり(平成28年度試験については、平成29年3月31日)までに満16歳以上になる人が受験できます。
平成17年度から、全日制高等学校等に在籍されている方も受験が可能となりました。
との記載が。
これだ。と思った。これが自分の取るべきベストなんだ、と。
願書の締め切りは確か5月半ばだったと記憶しているが、この時、4月も下旬に差し掛かったところ。
サイトを確認した翌日、僕は休学中の高校に出向き、高卒認定試験を受験することを伝え、必要書類を準備し、その場で退学の意向を示した。
そこから8月の試験まで3か月。
通学と比べ、家事の合間に出来る試験勉強は遥かに容易だった。
(この頃、苦手だった「家で集中して作業すること」を克服した気がする)
16の夏、8月の試験で無事合格した頃、ちょうど諸々の出来事も落ち着きを見せ始め、時を同じくして僕はまた悩み始めた。
「どうせ普通じゃない選択をしたのなら、今出来た猶予の時間で、もっと違うこともやってみたい」
と。
高慢チキだが、正直なところ勉強は出来たし、受験勉強をがむしゃらにやらなくても、大学なら入れる自信はあった。
だからこそ、もっと上も見てみたい、という気持ちが早った。
これもまた、思いついた日にひたすらリサーチをし、次の日、両親に相談した。
「日本の大学には戻ってくるから、学費の負担も時差も少なくて、学生ビザでバイトもできるオーストラリアに行きたい。」と。
その翌月、僕はオーストラリアにいた。
そして、オーストラリアにてバイトと勉学に励んだ後、約束通り、同級生の大学進学と同じタイミングに日本の大学に戻ってきた。
振り返ると、ドロップアウトした人間として精神的にどん底にいた自分を引き上げたのは結局自分だったと思う。
勿論、家族や友人、周りの人々の支えを無しにしては出来ないことであったが、最後に選択をするのは他でもない自分自身だと思っている。
休学、退学、留学、と何か三拍子でも叩けそうな意思決定をなるべく早く出来たことは大きかった。
そして、どん底にいる時ほど、這い上がる力は恐ろしく強い。
この体験から、僕はいつも冒頭に述べた哲学を大切にして生きている。
前回、某新聞社に書かれたように、起業も最初の選択肢ではなかった。
だが、今では起業も自分にとってはベストな選択だったと思うし、これからベストオブベストにしていきたいと思っている。
そして、これは自身の経営哲学でもある。
すぐに意思決定し、それをベストオブべストまで持っていく。
とりあえず、やる。
この部分は社員にも共有しているし、
今後も会社のフィロソフィーとして持ち続けたいと思っている。
何にでも他の手段はある。そして、その手段が実は最適になることもあると思う。というより、その手段を最適にしていかなければならない。
船が沈んだら、泳いでいけばいい。船では行けない島にたどり着けるかもしれないから。
そこで怖いと感じるのは普通だと思う。
だけど、コロンブスの言葉を借りれば
You can never crossed the ocean until you have the courage to lose sight of the shore.
(陸を見失う勇気を持たない限り、海は渡れない)
のである。
まともにブログを書く初回だというのに、結局ほとんどスタートアップに触れずに終わってしまった…。
だが、就職面接で子供時代の話を聞かれるのと同じように、自分の中の哲学というのは、この時代から、なかなか変化のないものだと思う。
起業したい学生さんがいたら、是非自分が起業という選択肢を取った時、どう泳いでいくのか、一度想像してみてほしい。
綺麗にまとめるなら、何かを捨てて恐ろしく強い力でのし上がろうとする人の犇めき合うスタートアップ界で、凌ぎを削るべく、目標を持ち努力を弛まずベストオブべストな選択をしていきたいな、ってことで。
また今度。
スタートアップに関すること、何なら高卒認定に関することでも、お気軽に連絡ください。
高卒認定についてはまた別記事書こうと思ってます。
twitterもあります。@vaan_van822
恐ろしくしょうもないことしか呟いてないので、時間の使い方が上手い人はフォローしてくださいね。
正直なコミュニケーションの大切さ
特に前回から進展ないので、普通にブログとして書いていこうと思います。
書きためてたんですけど、なんか、文がフレッシュじゃなくて、自分の今感じてることと少し乖離しそうなので、リアルタイムに書いていくことにしました。
実は今、姉の結婚式のために南イタリアに 。
成田から、
アルベロベッロ、ポリニャーノアマーレ、ロコロトンド、マテーラ、アマルフィと経由して今はポジターノにいるんですが、
移動する度に見るものも聞くものも触れるものも匂いすら違っていて、毎回五感を刺激されて思考力が洗練されていくので、旅は本当に良いもんです。
さて、イタリアでは、ドライバーが日本語NG英語NGのためにイタリア語で奮闘しているわけですが、
日本人とイタリア人(というか欧米人)の話し方の違いって、相手に対する正直さに出るなあー、と感じます。
日本人は、割と分かったふりをする人が多い。
他言語を話しているときは顕著だけど、日本語を話してるときでも、2,3度聞こえないと分かったふりで愛想笑い、なんてこと、あるんじゃないでしょうか。
それって、すごくフェアじゃない。
向こうは伝わったと思ってるだろうし、言ったことを前提として話が進むわけですよね。
こっちはこっちで、聞いてないわけだから、言われていないことを前提にしてるわけで。
こういうところからミスコミュニケーションが生まれて、どっちの前提も双方にとっては間違ってないから言った言わないの水掛け論が生まれるわけです。
何だか今まで失礼なことをしてきたなあー、と少しばかり反省。
イタリア人は私の拙いイタリア語もなるべく頑張って聞こうとするし、何度も何度も聞き返してくる。
正直、めちゃくちゃ面倒くさいんですけど、コミュニケーションってこうあるべきなんだろうな、と何だか深く考えました。
私も人と話すときに、忙しいと流してしまうことはあるので、一つ一つのコミュニケーションを大切に、丁寧に砕いていかないといけないな、と。
今の仕事はやっぱり、エンジニアとか自分とはある意味言葉の違う人たちと働くようなものなので、「分からない」を放って置かずに、面倒くさいと感じられるくらいに言語を咀嚼してミスコミュニケーションを減らしていこう、と思ってます。
と、まあ
突然始まったブログですが、
スタートアップっぽいこともそうでないことも、思ったこととか備忘録的にまとめて書いていくブログにしようと思ってます。
PS
昔、イタリア語のスピーキング試験の時に色々吹っ飛んで何聞かれてもなぜか
curva a destra!(右にまがります!)
curva a sinistra!(左にまがります!)
と連呼していたのを思い出しながら死にたい気持ちでこのブログを書いてます。
それでは今日はこのあたりで。
マスコミの知人と話したら難聴で退職したことになった件
はじめに
本記事は2016年3月24日に某新聞社の電子版に掲載された「投資銀行・コンサル・商社 あこがれ企業1年目の現実」と題する記事中にある自身の記載に対する訂正と謝罪である。長文駄文であること、また、新聞社批判や記者批判が主目的ではないとは言え、記事の性質上、批判的文脈があるため、不快感を与えてしまうかも知れない点、前以ってご承知おき頂きたい。
該当の記事
問題の文は以下である。
現在起業している都内有名私大卒の男性(24)は、
掲載に至った経緯
何に対して不快に思っているか
個人を特定されないよう、再三の依頼をしたにも関わらず、私を知る人間はこの記載で私に関する記事であることを容易に特定できる。
母数の少なさから、新卒の投資銀行員、かつ所在地、そして年齢、退職。ここだけでも多くの人が察しがつくと思うが、更に起業、とくるともう二人といないだろう。
別に、見知らぬ人達が私を特定し、面白おかしくブラックストーリーを酒の肴にするのは個人的にどうでもいいことだと思っている。
だが、問題は、私を知る人々が、嘘の記載を見て、私の前職に対する想いを、私の意図と全く異なった解釈をしてしまうことにあり、その点に関して新聞社、記者に対しては遺憾に思い、お世話になった前職に対しては罪悪感を感じている。
正しいエピソードと相違点
該当記事の体裁に合わせて私のエピソードを正確に書くと、以下である。
該当箇所に関する修正削除依頼と顛末
「投資銀行・コンサル・商社・出版 企業1年目の現実」
とでも題して、
「知人のエピソードを恰も悲劇の激務退職エピソードとして読者が面白がる記事に改竄するよう命じられた。」と追記してはいかがだろうか。
「ペンは剣よりも強し」
新聞社である以上、匿名とはいえ、自らの持つペンが他者を傷つけてしまうことがある、と理解して報道という場に身をおいてほしい。
言いたいこと
終わりに
P.S
最後の