今日は母の定期検査の日。
肺に影が見えるということで数年前から定期的に検査を受けている。
幸いにも昨年よりその影が大きくなっているというような変化は見られず経過観察となったが、診断結果を伝える医師から、
「これが80代の方でしたらもう何も言いません。でも、今はまだ60代でいらっしゃる。
通常であればあと10年、20年はご存命なはず。それが、この影を放置した結果、それを縮めることになってはいけないので。」と言われた。
そのことが思いのほか衝撃的で心にぐっさりと刺さってしまった。
私が両親と一緒に居られる時間があと10~20年ほどしかないという現実を、急に突きつけられたと感じたのだ。
常識的に考えてその通りだし、医師の言い方に問題があったとも思わない。
ただ、サラリと言われた事実が目を背けたくなるくらい当たり前に、少しずつ、それでも確実に、着実に近づいてきているのだということを再認識したかたちだ。
私には両親以外に家族はいない。
結婚もしていないし、恋人もいない。
きっとこれから先、パートナーを持つことはないと思う。
両親以外と生きていくことを半ば諦めている。
両親には申し訳ないが、私は一人で生きていく自信が全くない。
だから、両親に見送られたいと思っている親不孝ものである。
誰もが死ぬときはひとりだ。せーの、で同時に死ぬことは日本ではできない。
前回も書いたが、生きていることは見送ることなのだ。
考えたくもないが両親を見送るとき、私は正気で居られるだろうか。
祖父母が亡くなったときの喪失感を思うと、その時の自分が正気で居られる気がしない。
いつ訪れるかも分からない不吉な未来を想像して打ちのめされている。
私はいつからこんなに弱っちくなったのだろう。
強くあらねば。
どうしようもないこと。受け入れなければならないこと。
分かっている。分かってはいるんだけど、受け入れたくないのだ。