色鮮やかな君が描く明日の絵

まだちょっとつたないんだけど

おめでとう



誇るべき元担様、お誕生日おめでとう。
私のジャニヲタ人生はあなたから始まったし、圧倒的に担当だった歴が長かった。
初めてのコンサートはテゴマスだったし、野外ライブってこんなに感動するんだと思った時もステージにはあなたがいた。
あなたに出会ったおかげでたくさんの人に出会った。
今でもテゴマスの歌声を深夜に聴いて泣きかけたりします。

入所して10ヶ月でデビューしたあなたは人知れず努力して、経験しなくていいような辛いこともたくさん経験して、平坦な道のりじゃなかった。でも、2人が抜けたNEWSで最年少なのにグループを引っ張るエースとして常に笑顔で。秩父宮で見せたくなかった涙が最後の最後で溢れてしまったあなた。すぐ後ろを向いて涙を拭いて、また綺麗な歌声を聴かせてくれた。あなたが私の青春の全てだった。これからは遠くからひっそりと見守っています。どうかずっと笑顔でいてください。


手越祐也くん、28歳おめでとう。

2015.11.11

大阪マラソン



今更だけどこの話題に触れたくて書き始めてみた。きっかけは久しぶりにはてなブログを漁っていた時見つけた大阪マラソン関連の記事の数々。朝の電車で読んでいたが軽率に泣いた。3人の頑張りと、4人の応援。たかが42.195キロだが、ドラマがありすぎた。


マラソンが決まった時、私自身自担じゃなかったのもあって「まじか!頑張って!大阪マラソンヲタクで溢れるね!」くらいにしか思ってなかった。こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど「仕事決まってよかったね!」とさえ思っていた。42.195キロに対して無知すぎたのだ。

3人が練習してる期間に、自担はドラマの撮影。きっと他のメンバーたちより遠いところからの応援だったと思う。(小瀧くんもだけど)そして、重岡くんと桐山くんの中継出演が決まっていた。妥当だと思った。ツインの2人は東京にて出稼ぎ期間。それぞれが、それぞれの場所から応援することになるんだと感じた。

そんな中迎えた大阪マラソン当日。別に狙ったわけじゃないのに珍しくバイトを入れてなかった私は母親と一緒に祖母の家まで来ていた。そこでTwitterを見て知った。

大阪マラソン今日なんだ、と。

それくらい無知だった。これが流星くんだったらバイトも意図的に入れないで遠い関東からTwitterに張り付いて実況班のツイートを漁りまくってると思う。ほんとに偏ったヲタクで申し訳ない。

知らなかったのには、"自担が大阪にいないから"と言うのもあった。今日も撮影かな〜なんて考えていた。結局メンバーが走るんだから今日はTwitterから目離せないななんて思いながら、祖母の家の犬と戯れたりして日曜日を過ごしていた。そんな時に飛び込んできた新しい情報。

ツインの2人がメンカラのメガホン持って応援に来てる

?!?!
泣きそうだった。この地点でマラソンがスタートしてたかは覚えてないけど、とにかくこの情報で泣きそうになった。たまたまオフになったのか、元々こっち(大阪)に来ることが決まっていたのかはわからないけど、とにかく大阪マラソンが行われてる地にジャニーズWEST7人が集合しているのは事実だった。マラソン自体がかなり過酷なものとなってることもTwitter上で把握した。濱田くんがそんなに遅くなってるなんて想定外だったし、神山くんは元々ドクターストップかかるくらいだし完走できるのか、ハラハラしていた。そして淳太くんがゴールした時。淳太くんはもちろん4時間を切るものだと思ってた。タイムを見て唖然とした。そこで気付いた。42.195キロの過酷さに。(遅い)

その後、残りの2人のゴールも1時間以内だと勝手に予想していたのでなかなかゴールの情報が流れてこなくてほんとに不安になった。ああマラソンってこんなに過酷なんだな、運動神経抜群な彼らがこんなに苦戦するんだから。安易に考えてた自分が恥ずかしくなった。

いつのまにかあんまり興味なかった大阪マラソンTwitter上で夢中になっていた。神山くんも濱田くんも無事にゴールできてよかった。流星くんも応援に行けてよかった。あんなにボロボロになりながら完走することに意味はあったのか、そう言われると正直簡単には頷けない。けど、あの日、彼らのメンバー愛が随所で確かに感じられた。私みたいな緩い大学生が応援できること自体誇りだ。彼らが、なんと言われようと、邪道なアイドルだろうと、何を求められてもそれに必死に食らいつく彼らのファンで幸せだ。あんなにドラマがあった大阪マラソン。当初の目的を忘れがちだが、彼らには罰ゲームが待っている。「あんなに頑張ったのに罰ゲームなんて、」と思う人だってたくさんいると思うし、実際私もそう思った。ただ、今はまだ駆け出しの7人にとってこの経験もこれからの武器になっていくことを願って。

中間淳太くん、神山智洋くん、濱田崇裕くん、大阪マラソンおつかれさまでした。

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余談。
今回のこのマラソンの開催地、大阪で本当によかった。彼らのホームなんだから東京マラソンじゃなくて大阪マラソンに参加するのは当たり前なんだけど。それでも私自身、流星くんが応援に来てるって知った時、大阪だから行くこと自体諦めきれた。これが東京だったら、行きたくても行けない悔しさに頭を抱えていただろうなって。流星くんの担当になってから私は"地方組"となった。まさか関東に住んでて"地方組"になるとは思ってなかった私はまだ地方組初心者。これからもこういうもどかしい感情と戦うことになるのかな(戯言)



関西DDと化していた私が 藤井流星 に嵌った理由



だいぶ前に担降り記事を書いて以来、バイトやら課題やらで意外に暇がない大学生は、往復4時間の通学時間にジャニヲタブログを漁るはてなブログの読み手専門になっていた。書きたい記事はたくさんあったのに全部書けなかったので、今こそ書くときだ!と意気込んで書いてみる。

テーマ

人生最後の担当さん(?) 藤井流星 に私が嵌ったきっかけ


前回の記事で誰も得しない私の担降りの経緯をメモ程度に書き記したが、その中で端折った関西DDになった私が藤井流星を担当に選んだ経緯。こちらも誰も得しない話だと思うが、自分が藤井担を辞めるとき、すなわちヲタ卒をするときに読み返すメモとして書き記したい次第である。

某動画サイトで見つけた藤井流星くん。Jr.時代の映像を最初に見て、7人いる中で1番気になった流星くんの画像をたくさん検索した。この地点では自分の金髪運の強さを確信した程度で、降りようとまでは思っていなかった。そんな中で私はなんで藤井流星に嵌ったのか。

流星くんを見つけた瞬間から私は「藤井流星くんっていうWESTの人がすっごいかっこいいの!!」と母親に力説していた。正直金ちゃんヘアの流星くんはかっこいいと思っていなかったので、某動画サイトでJr.時代やデビュー当時の映像を見て、黒髪や茶髪の流星くんを追い続けていた。見てるうちに他のメンバーに目がいきだしたし、まいジャニを見てるうちに永瀬廉くんにも嵌りだしていた。

ちょうどこの頃に、ジャニーズWESTファーストアルバム"go WESTよーいドン!"が発売しており、発売から少し遅れてこれに手を出した。この時にはもうリリイベの応募は終了していたのでこれに行ったわけではない。だけど、DVDを見ているとやはり目で追うのは流星くんで、バンザイ夢マンサイのPVに至ってはかっこいいとかの次元超えてる……!!と見るたびに心臓発作をでも起こしてるんじゃないかってくらい胸がドキドキした。受け付けなかった金髪を受け入れられるようになると、どんな流星くんも可愛く見えるジャニヲタ的"盲目"な状態に陥り、正直上手とはいえない流星くんの喋りも、ギャグも、もはや全く喋らなくても"可愛い"の一言で片付けられるようになった。

問題は
"どのタイミングで金髪を受け入れられるようになったか"

これに関してはアルバムの中でレコーディング中の流星くんが小瀧くんと神山くん(だったと思うけど違ったらごめんなさい)の似顔絵(?)を落書きしていたところだと自分では思っている。もはや、ビジュアルの問題ではないところで藤井流星に嵌った。もう金髪でも何でも藤井流星っていう人間が好きだわ!むり!大好き!桃太郎で鬼役をやってすぐ倒される流星くんとか可愛いの塊だよね?!的な考えが脳内を占めるようになった。

この頃はまだ、正確には藤井担ではなく手越くんが絶対的トップで流星くんはあくまで応援。お気に入りなだけ。現場も受験が終わるまでは行かない。テレビで見てるだけで十分です。目の保養。

だが、このあと戻れないほど藤井流星という人間に嵌るのは必然だったと思う。現にそうなった自分がここにいる。

そんなこんなで藤井流星に落ち着いたわけだがここまでの経緯をまとめるとこんな感じ。

  1. 手越くんに劇的に冷めていた頃、デビュー前の7人の動画を発見。藤井流星という存在を知る。
  2. 気になるとすぐに画像の検索から入る為、とりあえず検索。その当時ド金髪の流星くんをかっこいいとは思わなかったものの気になって仕方がない。
  3. とりあえずまた動画を漁りだす。デビュー前の流星くんに沸き続ける。
  4. そのうちに他のメンバーやなにきんちゃんの魅力に気づき、短期間だが関西DDとなる。
  5. 「go WESTよーいドン!」を買い、見ているうちに結局流星くんにしか目がいってない自分に気づく。
  6. 小瀧くんと神山くんの下手くそな似顔絵を描く流星くんで一気に戻れないところに嵌る
  7. なにも見ても"かわいい"と"かっこいい"で片付けられるようになる

正直、アルバムを買ってなければ多分私は小瀧担になっていたと思う。どう考えても手越くんと共通点が多いのは小瀧くんだな、という単純な思考だが。ただ、元担さんとは少し違うタイプを担当さんとしたことで手越くんが見せてくれた景色とはまた一味違う景色を見させてもらっている。担降りしたことはもちろん、担降りするまでゆっくりじっくり悩んだことは後悔していない。ヲタ卒する時に、藤井担でよかった、流星くんを好きになってよかった、と思える自信がある。

今日も藤井流星くんが大好きで大好きでたまらないです。

私が担降りするまでの経緯を長々話してる自己満メモ



正直明確な担降り日があるわけでもない私の担降り事情。よく見る担降り決意表明ブログや担降りに至るまでの経緯について語るブログの真似っこ程度に思っていただけるとありがたい。(そして自分が藤井担を辞める時に見返すメモ用としたいだけのものでもある)


まず初めにややこしくならないように最初に言うと、私の元担は天性のアイドルこと(?)手越祐也だ。周りには手越から藤井への担降りにかなり不思議な感覚らしく、何度も「その流れは意外!」と言われた。言われ慣れた。

担降りには色々なタイプがある。不動の自担がいながらもずっと応援してきたJr.(または若手)に突然スッと降りるタイプ。同G他G関係なくファンサをもらった瞬間に自担より存在が大きくなる俗に言う"ファンサ降り"タイプ。不動と信じて疑ってなかった自担より好きな存在ができて降りる降りないの狭間、たくさん悩んで悩み抜いた末に降りるタイプ。

簡潔に言うと私は最後に示したタイプに当てはまる。ご存知の通り、元担GであるNEWSの10年はジャニーズの中でも1、2を争う泥沼だった。メンバーの不祥事による連帯責任やツートップの脱退。私自身が経験したものはツートップの脱退であり、なによりこれが衝撃だった。なぜこうなったのか、これからどうなるのか、考えるほど絶望しかなかったあの時の自分を見かけたらきっと今の私は物陰に隠れると思う。それでもNEWSは這い上がった。2012年、"NEWS"のリフターに乗って秩父宮に君臨した4人の王子様を本当に大好きだと思った。だからこそ、担降りという一大行事を前にたくさん悩んだのだ。

藤井流星という奇跡のオトコ(言い過ぎ)に出会うきっかけは本当に些細なこと。よくいるドラマ出などでもない、出会いの場は某動画サイト。当時、テゴマスが4th liveを終え、夏は現場がないとNEWS担が落胆していた中、私は誠に私情なのだか高校生活最大の失恋をした。(リアル)その上、大学受験生。勉強ばかりで失恋の傷を癒す間もなく夏休みを迎えた。正直この時の私は相当病んでいた。ご飯が喉を通らず体重を3キロ落とすという漫画みたいな病み方をしていた。そして精神安定剤として手越くんを欲した私。だが、ここに落とし穴があった。

【この頃の手越くんのビジュ最悪問題】

もともと冷め方が尋常じゃなかったので(まず金髪が嫌い。そして青春魂で確実なファンサをもらいこれ以上はないと感じていた。)"これを見ても精神は安定しない。"と病んでる身ながら悟った私が某動画サイトをサーフィンしてたどり着いた動画が関西の7人組。の、デビュー前の映像。少年倶楽部in大阪の宣伝に来る後のジャニーズWESTの映像だった。正直なことを言うと、青春の全てをNEWSという王子様集団に捧げた私は関西Jr.を"ごくせんの人と重岡くん"としか認識していなかった。なのでその映像で初めて藤井流星という人間を見た。(名前は知っていた)

簡単に言うと、自己紹介の段階で"あ、この人かっこいい"となり、天然エピソードを暴露されてる時のふにゃあっとした笑顔に落ちた。簡単にスパッと落ちた。これが奈落だった。


この後画像を大量に保存するのだがここであることに気づく。

【この頃の流星くんど金髪問題】

仕方ないのだけど。なんならこんな喜ばしい金髪ないんだけど。(手越くんとは違って黒髪に戻る可能性が高い)とにかく私は"ああまたか…"と思った。なぜか金髪を引きつけるらしい。渋谷のセンター街でしつこく金髪の男に追いかけられたのも私の金髪運の強さか。(余談)


最大の悩みは本当にここだった。金髪の流星くんを見ても、あの動画のような感覚にはならなかった。そして気づく。

小瀧望やべえかっけえ。

それだけじゃない。神山くんにも桐山くんにも中間くんにも沸いていた。(重岡くん濱田くんごめん)そのうちなにキンちゃんにも手を出した。これはもうDDだと確信していた。このあと流星くんに落ち着いた経緯については端折る。そしていよいよ手越くんへの興味が薄れ出していた。

そんな状況から藤井担に至るまでの悩みは挙げだしたらキリがない。

  • 相方との関係
  • それ以外の友達との関係
  • 本当に降りていいのか
  • NEWSに対する後ろめたさ
受験生なのに。受験生なのに、だ。一般人からしたらくだらない悩みに夏を使い切った。そして結論がでた。

NEWSという絶対的トップを設置した上でゆる〜く藤井流星を応援する。

これだ!これが1番平和だ!これからもNEWSを応援できて藤井流星に会う方法はこれだ!(まあこの考えのせいで明確な降り日がないのだが)

昔から熱しやすく冷めやすい私は、受験期に初めての現場に行くことによって勉強をおろそかにすることを恐れて"受験が終わるまでWESTの現場にはいかない"と決断する。(この決断はのちに後悔する)

これも悩んだ原因の一つだ。現場に行ったこともない、ファンの雰囲気もよくわからない、C&Rなんてほぼ知らない、こんな状態で降りて私に向いてない場所だったらやばい。なんかもうやばい。(ボキャ貧)担戻りなんてカッコ悪いことは絶対にしたくなかった。いわば、"逃げ"なのかもしれない。私自身はこの頃にはもう藤井担だったんだと思う。会ったこともない流星くんに沸いて、テレビに出演するなら全部録画して、何回も何回も見返して、当たり前のようにシングルを買って。それでも認めず、手越担を名乗り続けた。この頃の私が流星くんに傾いていたことを知る友人はほんとに少ない。ひっそり、こっそり。あくまで応援。手越くんに興味さえなくなっていた自分は見て見ぬふり。この頃のNEWSは本当に音沙汰なしだった。周りも担降りラッシュだった。それでも隠し続けた私がついに壊れる時がくる。

【11月、突如Twitterを復活させる】

もともと受験生なのでTwitterをやめていた私が、何を思ったのかログアウトしていたNEWSのアカウントにログインして担降りを匂わせるツイートをした。NEWS→WESTに降りる人が多かった中、まだ流星くんに降りた人は周りにいなかったのが主な理由だと思う。悟った。私より先に流星くんに降りることを公言する人が現れたら私が降りにくくなる、と。そう思ったら行動は素早かった。すぐにアカウントを作って何人かをお迎えして、こっそりその垢で活動した。かっこいいんだから仕方ない。沸く場所ができてからはもう後戻りできないほどになっていた。

ここまででわかる通り私の担降りはとにかくややこしい。流星くんにハマり、沸き続けてた間にも手越くんかわいい!かっこいい!となったりしていた。ただ、流星くんを見つけた時にはもう降りていたのだ、と思う。

その後受験を乗り越えた私の初めての流星くんは3月の少年収だった。受験が終わった次の日には材料を買い揃えてすぐにうちわを作っていたのでこんなに素早い現場デビューに至ったのだ。席は2階の上手側前列。この時流星くんにはドラマの仕事が決まっていて、トレードマークとなっていた金髪から暗めの茶髪になっていた。これが最終的な決め手となった。もう完全に降りていた。なんともぬるい担降りだ。

こうして最初に流星くんを見つけた2014年8月から2015年3月にかけて私の降りる降りないの悩みは完結した。ただ、ぬるっとしすぎてちゃんと言ってなかったので今ここで言わせていただきたい。


手越祐也くんから藤井流星くんに担降りしました。」