おめでとう
大阪マラソン
関西DDと化していた私が 藤井流星 に嵌った理由
人生最後の担当さん(?) 藤井流星 に私が嵌ったきっかけ
- 手越くんに劇的に冷めていた頃、デビュー前の7人の動画を発見。藤井流星という存在を知る。
- 気になるとすぐに画像の検索から入る為、とりあえず検索。その当時ド金髪の流星くんをかっこいいとは思わなかったものの気になって仕方がない。
- とりあえずまた動画を漁りだす。デビュー前の流星くんに沸き続ける。
- そのうちに他のメンバーやなにきんちゃんの魅力に気づき、短期間だが関西DDとなる。
- 「go WESTよーいドン!」を買い、見ているうちに結局流星くんにしか目がいってない自分に気づく。
- 小瀧くんと神山くんの下手くそな似顔絵を描く流星くんで一気に戻れないところに嵌る
- なにも見ても"かわいい"と"かっこいい"で片付けられるようになる
私が担降りするまでの経緯を長々話してる自己満メモ
藤井流星という奇跡のオトコ(言い過ぎ)に出会うきっかけは本当に些細なこと。よくいるドラマ出などでもない、出会いの場は某動画サイト。当時、テゴマスが4th liveを終え、夏は現場がないとNEWS担が落胆していた中、私は誠に私情なのだか高校生活最大の失恋をした。(リアル)その上、大学受験生。勉強ばかりで失恋の傷を癒す間もなく夏休みを迎えた。正直この時の私は相当病んでいた。ご飯が喉を通らず体重を3キロ落とすという漫画みたいな病み方をしていた。そして精神安定剤として手越くんを欲した私。だが、ここに落とし穴があった。
【この頃の手越くんのビジュ最悪問題】
もともと冷め方が尋常じゃなかったので(まず金髪が嫌い。そして青春魂で確実なファンサをもらいこれ以上はないと感じていた。)"これを見ても精神は安定しない。"と病んでる身ながら悟った私が某動画サイトをサーフィンしてたどり着いた動画が関西の7人組。の、デビュー前の映像。少年倶楽部in大阪の宣伝に来る後のジャニーズWESTの映像だった。正直なことを言うと、青春の全てをNEWSという王子様集団に捧げた私は関西Jr.を"ごくせんの人と重岡くん"としか認識していなかった。なのでその映像で初めて藤井流星という人間を見た。(名前は知っていた)
簡単に言うと、自己紹介の段階で"あ、この人かっこいい"となり、天然エピソードを暴露されてる時のふにゃあっとした笑顔に落ちた。簡単にスパッと落ちた。これが奈落だった。
この後画像を大量に保存するのだがここであることに気づく。
【この頃の流星くんど金髪問題】
仕方ないのだけど。なんならこんな喜ばしい金髪ないんだけど。(手越くんとは違って黒髪に戻る可能性が高い)とにかく私は"ああまたか…"と思った。なぜか金髪を引きつけるらしい。渋谷のセンター街でしつこく金髪の男に追いかけられたのも私の金髪運の強さか。(余談)
最大の悩みは本当にここだった。金髪の流星くんを見ても、あの動画のような感覚にはならなかった。そして気づく。
小瀧望やべえかっけえ。
それだけじゃない。神山くんにも桐山くんにも中間くんにも沸いていた。(重岡くん濱田くんごめん)そのうちなにキンちゃんにも手を出した。これはもうDDだと確信していた。このあと流星くんに落ち着いた経緯については端折る。そしていよいよ手越くんへの興味が薄れ出していた。
そんな状況から藤井担に至るまでの悩みは挙げだしたらキリがない。
- 相方との関係
- それ以外の友達との関係
- 本当に降りていいのか
- NEWSに対する後ろめたさ
NEWSという絶対的トップを設置した上でゆる〜く藤井流星を応援する。
これだ!これが1番平和だ!これからもNEWSを応援できて藤井流星に会う方法はこれだ!(まあこの考えのせいで明確な降り日がないのだが)
昔から熱しやすく冷めやすい私は、受験期に初めての現場に行くことによって勉強をおろそかにすることを恐れて"受験が終わるまでWESTの現場にはいかない"と決断する。(この決断はのちに後悔する)
これも悩んだ原因の一つだ。現場に行ったこともない、ファンの雰囲気もよくわからない、C&Rなんてほぼ知らない、こんな状態で降りて私に向いてない場所だったらやばい。なんかもうやばい。(ボキャ貧)担戻りなんてカッコ悪いことは絶対にしたくなかった。いわば、"逃げ"なのかもしれない。私自身はこの頃にはもう藤井担だったんだと思う。会ったこともない流星くんに沸いて、テレビに出演するなら全部録画して、何回も何回も見返して、当たり前のようにシングルを買って。それでも認めず、手越担を名乗り続けた。この頃の私が流星くんに傾いていたことを知る友人はほんとに少ない。ひっそり、こっそり。あくまで応援。手越くんに興味さえなくなっていた自分は見て見ぬふり。この頃のNEWSは本当に音沙汰なしだった。周りも担降りラッシュだった。それでも隠し続けた私がついに壊れる時がくる。
【11月、突如Twitterを復活させる】
もともと受験生なのでTwitterをやめていた私が、何を思ったのかログアウトしていたNEWSのアカウントにログインして担降りを匂わせるツイートをした。NEWS→WESTに降りる人が多かった中、まだ流星くんに降りた人は周りにいなかったのが主な理由だと思う。悟った。私より先に流星くんに降りることを公言する人が現れたら私が降りにくくなる、と。そう思ったら行動は素早かった。すぐにアカウントを作って何人かをお迎えして、こっそりその垢で活動した。かっこいいんだから仕方ない。沸く場所ができてからはもう後戻りできないほどになっていた。
ここまででわかる通り私の担降りはとにかくややこしい。流星くんにハマり、沸き続けてた間にも手越くんかわいい!かっこいい!となったりしていた。ただ、流星くんを見つけた時にはもう降りていたのだ、と思う。
その後受験を乗り越えた私の初めての流星くんは3月の少年収だった。受験が終わった次の日には材料を買い揃えてすぐにうちわを作っていたのでこんなに素早い現場デビューに至ったのだ。席は2階の上手側前列。この時流星くんにはドラマの仕事が決まっていて、トレードマークとなっていた金髪から暗めの茶髪になっていた。これが最終的な決め手となった。もう完全に降りていた。なんともぬるい担降りだ。
こうして最初に流星くんを見つけた2014年8月から2015年3月にかけて私の降りる降りないの悩みは完結した。ただ、ぬるっとしすぎてちゃんと言ってなかったので今ここで言わせていただきたい。