紙の雑誌が紙の雑誌を特集することについて

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pen 12/1号。

「もうすぐ絶滅するという、紙の雜誌について。」

特集のタイトルが秀逸で、即買いした。

各方面で活躍する方々が影響を受けた雜誌の紹介をはじめ、雜誌全体の歴史を1660年のイギリスから遡った解説や、「再起動せよと雜誌はいう」の作者である仲俣さんが解説するZINEや書店の話など、私のようなビギナー雜誌愛好家にはちょうどいいボリュームの話がぎっしり詰まっている。

ひと通り読んで、私はちょっとした違和感を感じた。

この特集はもちろん、雜誌がどれほど素晴らしいのかということを読者に伝えたく編集されたに違いない。しかし、自らが語るように、雜誌が売れなくなっているこの時代に紙の雜誌で雜誌を特集し、雜誌の良さを語るという微妙な矛盾に対して、なんだか切ない感情を覚えた。かっこつけた言い方だが、雜誌が悲鳴を上げているような気がする。

 

この内容を雜誌に当てはめた時、私はとても共感できる。広く浅い情報発信はネットやテレビなどに任せ、雜誌はとことんターゲットやテーマを狭めて深いマニアックな情報を発信する存在であるべきである。それはド素人の私が言うまでもなく、今までプロの雜誌編集者達が普通にやってきたことだ。

「浅く広くがウェブやテレビ、狭く深くが雜誌。」そのような分担が自然と成立しているにも関わらず、それでも雜誌が売れなくなってきている。これは、多くの人々が「良質な情報」を必要としなくなってきたからではないか。いや、常にウェブの海に漂っているせいで、どれが良い情報なのかということでさえよく分からなくなってきているのか。どちらにせよ、マジョリティがマニアックな情報を能動的に求めなくなってきているということは、また別の問題であるが。

ともかく、どうして雜誌が悲鳴を上げていると感じるか。それは、このような状況下にいる自分たちを嘆き悲しみ、誰かに助けを求めているかのような無言の悲鳴がこの特集の中から聞こえてくるからである。というのも、この特集内で「だから雑誌を買おう」ということは一言も書かれていないからだ。

 

また、「もうすぐ絶滅するという、〜」というタイトルについて。このタイトルをすこし眺めていると、逆説的に「って言われてるけど、雜誌はまだまだすごいんだぞ」ということを示唆しているのだろうという解釈に至る。

しかしこの特集内では、期待していた雜誌の未来についての記述が一切無い。時間軸が過去から現在で止まっており、その系譜上の話に終始しているのである。これは編集者が意図的にそうしたのかどうかは分からない。しかし、この内容から私は「もうすぐ絶滅するという」雜誌が、自分たちの立場を憂い自虐しているように聞こえて仕方がないのだ。

紙の雑誌で紙の雑誌を特集するということは、そのようなメタ認知も含んでいるのではないだろうか。この業界で生きていきたいと思っている自分にとって、この特集はかなり刺激的であり、今後の紙の雜誌というものを自分事としてしっかり考えていかなければいけないと改めて感じた。