思考を整理します

過去からこれから触れ合う事象をラベリング。

西郷隆盛という男とは

2年ぶりのブログです。


こんにちは、今回は西郷隆盛について書いていきます。


絶賛大河ドラマ西郷どんが放送中ですが、観てません…。


ただ自分の天邪鬼で王道というものを避けてきた訳ですが、日本史で人気のある幕末のしかもその最重要人物である西郷隆盛が一体何をしたのか。そもそもどんな人物だったのかも一度知っておこうと思いこの1ヶ月ほど本屋さんでいくつか本を仕入れてきました。


1番は磯田道史『素顔の西郷隆盛』、これが詳しくほんとうに西郷の素顔に迫れたんじゃないかと思いました。


もしくは内村鑑三の『代表的日本人』や、ちくま新書の『明治史講義』の西郷の記述です。


まずは何をしたか。

薩摩藩最下級武士から藩主島津斉彬公の側近に抜擢され、いわば外交官として数多の藩の実力者と折衝対応。


・斉彬死後の久光時代には薩摩藩の軍事トップとして大久保と連携して政局の中心であった京都でリーダーシップを発揮。

特に蛤御門の変での薩摩軍の指揮の辣腕ぶりと、第一次長州征伐でのほぼ丸腰単身での長州との直交渉により戦わずして勝利。この活躍により天下に薩摩に西郷ありと知られるに至った。


鳥羽伏見の戦いで官軍勝利を導き、江戸での無血開城、更に各方面での戊辰戦争勝利を官軍軍事トップとして果たし、見事旧体制である徳川幕府を倒し、新時代明治を作った。


廃藩置県、徴兵制制定に寄与。


ざっと、そのほか様々な活躍があります。



さて、どんな人物だったんでしょうか。

ざっと挙げてみます。


・幼少時代は、のろまだと周りに言われた。


・正義感が強く、一度決めたことは取り下げない。


・西郷家が最下級武士であり、成長するにつれ彼が出会う人々や、経験により人間平等という概念を持つ。


・忠義に熱い。

しかし彼の正義と照らした中での忠義だと考えられる。斉彬の死後、2人目の上司になる久光とは最後まで確執が続いた。


・情にもろい。目の前にいる人の感情がすぐ移る。西郷のカリスマ性というのはこの情のもろさによるところにあるし、月照和尚との心中未遂や、西南戦争もこの情によるところが大いにある。


・情にもろい中でも幕末後半では、計画のためには打算的に冷徹なことも行った。


・子供の時に刀傷を負い、剣術が早い段階で不可能になり、その時から学問に励んでいた。そのため決して脳筋という訳ではなく、論語などの四書と、のちに指揮する戦さの強さから孫子なども読んでたいと考えられる。


・維新後は、周りの政府高官は豪華な洋館や、妾を囲った中でも最後は質素な生活を送った。酒も飲まず、金に無頓着。


・西郷のポリシーなのか、人の家を訪ねる際は、家の人が気づいてもらえるまでずっと軒先で突っ立って待っていたらしい。不審者。


・感情的に怒ったり、叱ったりはしなかったらしい。人と会うときは礼儀正しく正座で対面したらしい。





西郷の人物像が何となく掴めるのではないでしょうか。


磯田先生は周りのやつからすれば、めんどくさい人だったようですね。

それでも情に厚いところが憎めず、愛されるキャラクターだったんでしょう。


個人的には西郷は愛のある正義漢だったと思います。


正義とは人によっても、時代によっても異なります。

彼の正義は根底に人は平等であるという考えと、弱者を守るというところから来ています。

これは現代に通ずる普遍的な道徳観を西郷は持っていた。

だから共感するし憧れるんだなと思いました。


誰だって、心も美しく、強い男に憧れますが、等の西郷はやはり人間で、精神的にも窮地に陥ったこともあるようです。


それでも今日まで維新最大の英雄として、伝わっているわけです。



西郷の人間性はどこからきたのか、掘り下げると薩摩藩の教育が非常に興味深い。


今日はこのあたりまで。