五感と一想

食べる、読む、寝る、考える。

常々、移民(すること)の自由が完全に認められることが究極の民主化なのだと個人的に考えている。

具体的な条件は
①既にそこに居住している人は後から移民してくる人を拒めない。
②代わりに、移民する人は移民する先に既にあるルールに従う。
③ルールは移民してきた人も含めてそこに住む人達の合意で決定する。

ただし現実的には
リアルな地上世界では居住できる土地面積が有限であるためそもそも①が満たされない。
たとえば中国に住み中国籍を持つ人の全員が日本に移住を希望しても日本にはそれを可能にするだけの国土面積がない。
日本人全員が中国に移住するなら単純に面積的には可能であろうが住みたい場所に住むことはできないだろう。

故にバーチャルにそれを実現しようとするのかもしれない。
その具体例がMastodonであるように感じている。

japanese.engadget.com

もみじさんの手術 退院2日目

手で口の傷を弄らないようにカラーをつけていますが、至って元気です。

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もみじさんの手術は、右上顎の歯茎を切開して腐った歯槽骨を削り、だめになってしまった歯を抜去して歯茎を縫い合わせるというものでした。

私なら痛み止めを絶え間無く飲んでも術後3日は寝込みそうな大掛かりな手術です。

今夜は、池袋で開催中の#ネコリパブリック の#ネコ市ネコ座 で買ってきた「猫飯」の中から、宗太鰹の煮たやつを細かく解して手のひらに乗せて出してやったところ、フガフガ言いながら1/4パックほどをアッという間に食べてしまいました。

#もふもふ #ねこ部 #保護猫

もみじさんの入院

もみじさん、手術と一泊入院を無事に乗り越えてお家に帰ってきました。

歯周病が進行していたので歳をとって麻酔が難しくなる前に、悪くなっている歯を抜去して歯槽骨を削り、無事な歯の歯石除去してもらいました。

右上の奥歯から犬歯までがなくなりました。

病院ではじっとうずくまってごはんも食べなかったと先生に心配されながらの帰宅となりました。

しかし、マンションのエントランスに入った途端に「お家だ!」とわかったらしくキャリーの中で立ち上がり、玄関を入ってキャリーを開けると雄叫びをあげて走り出し、家中を走り回ってトイレに駆け込み、爪を研ぎ、台所でゴハンゴハン!と足踏みして騒ぎ、柔らかいゴハンを食べ、水を飲み、もう一度トイレにいき、そしてようやく落ち着きました。

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飼い主は風邪で限界なので、そろそろ寝ます。

もみじさんもお休み。

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ゼロの焦点

 昭和30年代の東京に翻案した『ロング・グッドバイ』を観た時に、「戦争で人生が狂ってしまった事が動機になる、戦災で生きてきた証が消えてしまった事がトリックになる、そういうミステリを書く人はもういないのだろうな」というようなことを考えていた。

 私が小学生のころに読んだ国産ミステリには松本清張をはじめ、そういう作品が多くあった。

 空襲にあったようだ、敗戦からの復興に匹敵する苦難の道のりだと表現された日本大震災を背景とした、フィクションはこれから先、書かれるだろうか。

 1995年の阪神淡路大震災を背景にした小説は二つ読んだ事がある。一つは貴志祐介の『isola』。これはホラー。あと一つは何だったかな。BL小説だったような…。

 いま、トリックや殺人の動機に震災を使うのはもしかして不謹慎だったりするのだろうか?

 

『十三番目の人格 ISOLA 』貴志祐介(角川ホラー文庫)

https://www.amazon.co.jp/dp/B00AIITE6K/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

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BSで『ゼロの焦点』(広末涼子 主演)を観たので。
エンディングの「愛だけを残せ」(中島みゆき)は蛇足だったな。

ネットマンガ広告がエグい件について

エグくない作品でもエグい広告にするだけでCTRが桁違いに上がるんですよ。ABテストでそれははっきりしています。

エロマンガの次はエグマンガが受けているんです。

『親なるもの 断崖』を近代史ものだと知っていて読んだ人がどれだけいるのでしょう?広告をクリックした人は虐待されている女の姿に仄暗い期待を持っていたんじゃないですか?

クスリやアプリや法律で抵抗できない女を家畜のように扱い犯すマンガを「ファンタジー()」などと称してばら撒かれるよりまだ随分マシだと私は思っています。

でも大手出版社のエグマンガより、ボーンデジタルのエロマンガの方が仕入れ料率が圧倒的に低い状態が変わらないかぎりエグいエロマンガはばら撒かれ続けるんですけど。

 

https://togetter.com/li/1074472

 

陽射しが暖かくなってきたので


年が明けて、日暮までが急に長くなった気がする。

冬至の前あたりには、午後の二時半をすぎると空気が冷えて外で何かをしようという気が起こらなかったけれど、それから一ヶ月も経っていない今、三時半ごろにベランダへ出て「まだ明るいなあ」という気持ちになっている。

28年前の1月7日明け方。
高校生だった私は冬休み中の学校にいた。
徹夜の流星観測を終えて機材を片付け、少し眠ろうとしたけれど部屋も体も冷え切って眠れず、
少しでも暖かそうな場所を探して校内をうろうろとし、人がいない場所はどこも寒いので結局教室に戻りシュラフを拡げてもぐりこんだ。
東の窓から差し込んだ朝日が少しずつ床に拡がり、眩しさにゴソゴソと移動しながらも結局眠さにまけて動くのをあきらめた時、背中に陽が射すのを感じた。

あったけー。

周りで寝ていた天文部の他のメンバーも次々に眠りに入っていくのが気配で分かった。
この時期の日の出の時刻は7時少し前。
今から寝ると起きる時間がおかしくなるなー、と思いながら私も眠りに入りそうになったちょうどその時に

「てんのうへいか、ほうぎょー!!」

隣の教室でNHKラジオを聴きながらトランプをしていた誰かが大声で叫びながら廊下を走って行ったのを、あの日の自分の事として覚えている。

自己責任論の結果責任

自己責任論には常々ウンザリする思いでいたが、まあそれでも時と場合と人によるよな、と。

ちょっと今朝は考えがまとまる瞬間があったので書いておく。

 

自己責任って、起こりうる危険の可能性を各自判断して行動しなさいね、って事だ。

しかし判断するためには情報が必要なわけで、誰もその情報を持っていない時に、調べて集めて皆に伝えようして危険な目に遭った人を「自己責任」で切り捨てたなら、何を頼りに判断する事になるのだ。

大雨洪水警報が出ている時に川や田圃の様子を見に行って流された人を愚かと嘲笑う人もいるけれど、堤防が崩れていないか、崖崩れが無いか点検して廻っている消防署員に危険だから止めなさいとは言わない。
やらないで民家に被害が出たら、むしろ国や自治体の手抜かりと訴える。

自己責任論は「個人に直接関わらない事は国や自治体に任せて、自分は邪魔にならないようにしていれば良いようにしてもらえる(はず」という考えから出てくる。

それは、思考停止だ。

危険だ、という情報を誰が伝えてくれているのか。
なぜそれが伝えられているのか。

危なそうだから近寄らない、
知らない場所の事だから関係ない。

そんな思考停止をしていても、相手には関係ないかもしれない。