双極性とお友達。

双極性障害Ⅱ型と付き合う、日々の暮らし。

贅沢は、敵なのだろうか。

あと、2か月もすればまた一つ年を取る。

よくわからない、焦りがある。

 

病気になったことで、悲観した私は

いつまでも親に頼ることもできないし、正直どうにでもなれと

20年来の地元の男性と結婚した。

結婚した当初は、お金がらみでガミガミ言ったけど

それ以降は、逆だった。

罵声の連続だった。

それに、僧籍を私は持ってるけど、実家?のせいで大の宗教嫌いだった。

 

結婚するほんのちょっと前に病名が確定し、

きちんとした投薬が始まったことで病状も変わり、

自分が捨てたキャリアや元旦那からの集中砲火もあって、

休職期間に結婚したこともあったので、期限付きで復職した。
彼は山口、私は東京

はじめはうまくいってたけど、やはり破たん。

離婚した。

 

そして、今の彼と出会い、付き合うようになった。

 

私の夢は、お寺に入り、阿弥陀様の下で生きていくことだった。

だけど、坊守もそう簡単なものでもない現実は知っているし、

何より、一生ものの病気だから、子供が産めない。

お寺に後継ぎが産めない嫁はいらないのが現実。

 

今付き合ってる彼は、歳も少し離れていて、

結婚願望もない。もう少し付け加えるなら、

ちょっと感情が欠落してるとこがある。

初めはそれでもよかったし、結婚なんてこりごりだと思っていたから、

ちょうどよかった。

 

ただ最近、またラッシュが来つつある。

友人たちの結婚や出産。

私にはもう、縁のないことばかり。

でも、それをうらやんでしまうからつらくなる。

 

年齢的に言えば、結婚はともかく妊娠はもうギリギリだろうし、
結婚だって今の彼とはできない。そんな話しようものなら終わるだろう。

今の彼をあきらめてなんてことをすれば、

確実に僧籍は死んでしまうし、やっぱりつらいとも思う。

 

籍なんていれなくたっていい、内縁でもいい。

でも、写真くらいは若いうちに残したい…

これが今の私の、ささやかなのぞみなのかもしれない。。

 

知るべきだった。

私の彼とは、つい先日3年目を迎えた。

彼の苦労を知らず、迷惑ばかりかけて

彼にしてみれば、さいきんやっと普通に話ができるようになった。

これからじゃないの?と、言わせるほど

私は自分のことをコントロールできず困らせていた。

 

そして、水曜日。

後学のためもあるけど、彼がどんな仕事をして頑張ってきたのかを

見て、聞いた。
ざっくり言えば、同業他社なんだけど、

私はほぼ事務員扱いなのでまったく話が分からないわけではないが

未開の地。

そして、後悔というか、自責の念というか…

 

彼の家庭の事情も増えてしまったり、

会社員でもあるけど個人事業主でもある彼の忙しさを

わかってなかった。

もっと早くに知る機会はあったのに、

彼がうまくやっているようならばと

深く聞くこともなかった。

 

無理を、させていた。

ある程度はあるだろうけど、想像以上だった。

 

苦労もしながら生きてきた彼。

人脈も広い。でもそれは彼の人徳もあるだろうけど努力でもある。

 

時間がない中で、私のことをここまで引っ張り上げてくれたのは彼以外の誰でもない。
電車にも乗れるようになった。
どこに行くにも、彼がいなければ出かけられなかった。

警察が来た時も、ずっと部屋の片隅で私のそばにいた。

私が悪いのはわかってる、でもケンカが絶えなかった

いま、私おができることは何だろうかと思えば、

彼に近づかないことかもしれない。

別れるつもりはないけれど、

そっとしておくことかもしれない。

もやもやは取れないけど、

致し方なし。

 

・・・どうなって、行くのかなぁ

はじめて、吐き出した家族の形

いま、両親と同居していることは既に書いているが。

そのなかで、確か土曜日、生まれて初めて反論した。母親に。

いろんなことや物事が、限界だったんだと思う。

感謝はしている、当たり前だ。

でも、それでももう、限界だった。

 

母が、人を尊敬するような心を持っていたと初めて知った。

そんな母は別に勉強しろと言った覚えもないと言った。

私は、小さいころから母のご機嫌をうかがうような生活に疲れていた。

父親がまだ会社員だったころ、

帰ってきた音がすると門扉の戸を閉めるために外へ出て、

出てきた父と目くばせをし、その日の母の状況を伝え合ってた時期もあった。

 

私は母に、我が家の絶対君主と告げた。

本人は否定したけど、どう考えても私の目には自分の納得できないことは

納得いかせるようにする気質があるように見えてる。

 

あまり、うまくは伝わらなかったとは思う。

完全に頭に血が上り切っていたし、

過去に言われたこと、家庭内がギスギスしていた事実は言ったけど。

親だから言うのだと、切り捨てられた。

 

浅はかな行動だったのは確かだけど、

私はもう、どうでもよくなってベランダへ向かった。

母に羽交い絞めされ、その時の一言目が母の本心だっただろう。

うちは賃貸物件に住んでる。

だから、もし私が何か起こせばとんでもないことになることだって私にも自覚はある。

でも、そんなことはどうでもよくて、すっ飛ばした。

一言目は、お金だった。

次はなんでそうやって脅すのかと言われた。

脅すつもりなんてその時は毛頭ない。

本気だ。

 

私さえいなければ、我が家は平穏だろう。

私が生まれて、先回りがあったとしても

先回りさせるような環境があったことに間違いはないと思う。

高校生の時は家に寄りついてないからよくわからないけど、

受験期に、病院に行っていたが、

受験が終わったから行く必要はないと通院を打ち切られた時がある。

状況を父親が母親に伝えていなかった節もあるようなのでそこは夫婦の問題だけど

高校生でバイトしてるわけでもなく、親からおこずかいをもらってるわけでもない。

病院へ行くお金はない。

心配した担任が出そうか?と何度か言ってくれたが断った。

 

彼氏と続いていることも、話の流れで話した。

とやかく言われる理由もない、

私より何倍も働いて、

頑張ってる彼の背中を、私はただ見ているしかできないけど

何か役に立てることがあればと、いつも思ってる。

現実は、頼ってばっかりで、甘えてばかりで、

良い彼女なんかじゃない。

それでも、親が来たとしても様子見ねと言ってくれ

縁は切らなかった。毒親が背後にいるのに。

土曜日、だいたい外出するのは彼に会うため。

彼自身、かなり疲れてると思う。ゆっくりしたいはずだ。

でも、私は基本的に土曜日しか動けないから、会ってくれてる。

少しでも支えになれたらいんだけど、そうもいかない…

 

いびつな形の家庭なんだろうと思う。

反抗気もなかったし、反抗できる環境じゃなかった。

いつもは耐えるのに、何故かスイッチ入れちゃった。

これから先、どうなるのかな。。。

 

暖かい心と冷たい手。

急遽、とあるイベントの参加が決まり

その代わり?何かしらの記事を書くことになりました。

若者向けのイベントで、何処まで話していいのかわからないけど、まあ、そういうことなんです

記事を書くために、過去のモノをみて、

まだ詳細が来てないのでなんとも言えませんが、

様子掴むために、

過去のモノを持ってる人➡︎彼氏

の状況により、

今日は重い中持って来てもらい借りしました。

 

問題は、そこでの出来事。

もともといわゆる公共交通機関が苦手

しかも眠いし、実はいつになく疲れた体に鞭打って、家でのストレスより、彼に会うことに望みをかけてお出かけ

 

しかし、苦手な公共交通機関を使った事が引き金になり、

帰りの電車で冷や汗や震えや呼吸も荒くなり、急行だったけど、10分15分の乗車だけど、

しんどくなってとりあえず戻って来たけど

彼はその前に私が眠いことを見てたから、

てっきり眠かったと思い、私も変に意地をはってしまい…とりあえず帰るにしても、もう閉鎖されている空間に入る気もないし

渋谷から家まで時間がかかるけど、例えヒールのある靴を脱いでも、歩いて帰りたかった。

で、私が眠いと思ってたんだね?と、確認後に解散を提案。

まあ、結果的にはご飯食べることになり、

まあ、沈静化。

毎度思うけど、確かに喧嘩したり、私が拗ねたりなんだりあるけど。彼のカバー力はすごいなと思う。

確かに10歳離れてはいる

人としての完成度はもちろんできている。

私は、病気や家族環境が複雑気味な方もあり、

ストレスはそこにあったりするし

割と個人的な話をしてる方は多いと思う

でも、彼は割と無口。ま、男の人だからということもありそうだけど。

一年位つきあってるけど、あまり個人的なことは聞いたことないけど、

時折話してくれたりすると、少しだけ信頼してくれてるのかな?なんて調子にのるわけです。

 

何もかもなんてことは、例え結婚したとしても言い切れない。

 

帰りのバスで、手を触った時

彼の手は冷たかった。

よく、優しい人は手が冷たいなんて考えかたもあるけどまさにそんな気がした。

 

きょうは、ヒカリエで開催中のジョージ・ハリスンの生誕75周年の記念展示と

川崎市?のミュージアムでの、みうらじゅんの展示を観覧をば。

 

両極端だけど、なかなか面白うございましたw

 

 

 

 

 

どうでもいいと思うしかなかった。

結婚して、約10か月後に復職をした(確か)

当初はまだ何とかなってたけど、2年のブランクは大きく、

疲労困憊の日も多くなり、元旦那との連絡は疎遠がちになっていった。

3.11の時は、すでに音信不通だったっと思う。

復職当初は、どうなるかわからないこともあって

半年間はマンスリーマンションに住んでいた。

結婚してからも免許書の書き換えもしてなかったし

住民票も、休職する直前の住所のままにしておいたので

関係がおかしくなっても、

マンスリーマンションから引っ越した先も住所は教えてないし

これまた結婚前の住所のままで過ごしていたので、興信所を雇わない限り

分からなかったはず。住所も、転送届を出していたので

引っ越してるかなど把握していたかわからない。分厚い封書が何回か届いた。

とりあえず、捨てるわけにもいかないので保存。

メールもすべて保存。プリントアウトしたらかなりの量があった…

弁護士さんを紹介してもらい、資料をもって法テラスの無料相談へ。

1回の相談ですべての手配が出来たので手紙と離婚届をご実家に郵送。

次の日に提出された。3月5日。解放。3月5日 役所へ行き、住所変更をした。

 

それから7年、1Rの部屋で頑張り始めた。

家電が必要となった。初めて、自分で買ったものがゾロゾロ

最初の一人暮らしは、おさがりだったし

実家に戻るときに処分したので愛着はない。

うちの親は甘々なので、今まで通りだったら買ってもらっていただろう。

でも今回は違った。二度と戻ることがないようにと

母が手つかずのまま置いておいてくれた傷病手当から自分で買った物だった。

手つかずだということは、療養中の医療費も結婚してからも出し続けてくれていた。

ゆうに、旦那の年収を超える金額になっていた。

それがあったから、マンスリーマンションにも半年いられたということだ。

今回の同居で、1Rのために買った家電が変わった。

大きいものは冷蔵庫。炊飯器。知らぬうちに買い換えられていた。

今度は、1リットルくらいのお湯をわかすでんきケトルとカシツキ

昨日の夜、処分することを告げられ、結構ダメージ受けた。

思い出もあるもの、たとえ壊れても愛着のあるもの。

→ゴミ

確かにもう、使うことはないかもしれないけど

踏ん切りはなかなかつかなかった。

でも、父親の機嫌は悪くなるし、仕方ないと諦め

自分で粗大ごみの回収の手配をした。

もう、どうでもいいと思うしかない話①だ。

 

ついでだから忘備録。

 

ぶっちゃけると、旦那の正規の収入より、私の傷病手当金の方が高かった。

福祉関係の職場で、準公務員扱いの仕事をしていた元旦那は

傷病手当金の制度は知っていたと思うけど、

私が受給していることを言ってはいないので、

実は…なんていうこともなかった。

まあ、指摘されてもいざというときには仕方なく出すだろうし、

母親管理なのでわからないといえば、のらりくらりでかわせただろう。

 

結婚して、お金がらみでびっくりすことはあった。

 

国民年金を払っていなかった(学生の間は猶予されても後は払わないといけないし)

奨学金をもらっていた。しかも、利子つきの方。

 

①に関しては、義実家に行った帰りに渡された国民年金の納入通知書

②口座から発見した、奨学金の引き落とし

 

こんな事情があるのなら、結婚式も婚約指輪もいらなかった。

そんなのにお金をかけるなら、とっとと返したい。

フリーター期間もあった元旦那なので、年金はおそらく2年分は最低でもあるし、奨学金も結構残っていた。

 

うちの常識と相手の常識の差はおいといても

渡すお義母さんもお義母さんだよな…と思いつつも

払うしかない。年金は後々に響くので速攻で支払。

奨学金は月々の支払いとボーナス時に増額して返済(まだ全然残ってたけど)

手配するのは私の仕事だった。。

 ※我が家は兄ともども学生の間の国民年金は払ってくれていたし、私は奨学金ももらってない。

 

そして、準公務員とはいえ、私の傷病手当より少ないことを考えれば、

火の車なのは当然。ご飯は実家で母と一緒に作り、並べていた。

たまに、義実家からおすそわけもあったが、むかつくこともあったけど。

食費は当家からほとんど出ていた。(もちろん奴は知らないけど)

家賃、光熱費、ケータイ代、おこずかい、更に貯蓄命令と奨学金返済

主婦も当然仕事なのだからと、お互い5000円がおこずかいとなっていたが、

元旦那は外に出てるから、5000円を渡さないわけにはいかない。

でも、私までその金額を取ると家計が回らない。

髪を切りに行くことさえできず、しばらくは伸ばしっぱなし。

見かねた母と、母が行く美容院で髪は切っていた。

もちろん母のお財布からお金は出てる。

どうしても欲しかったDVDはコツコツためて、なんとか買った。

 (毎週火曜日に実家からのおつかいがあり、お駄賃100円w)

 

まあ、お金に苦労はあっても何とかやりくりしてたし、

結果、援助もしてもらってて(義実家からは、お米はいただいていた)

回ってたけど。

 

うちは、ちゃんとした?結納はしてない。

結婚式の費用、指輪類は向こうもち

うちは、いわゆる白物家電一式と、たんすが2つ。

 

どっちが多く払ったかはわからないけど、顔合わせ時に婚約指輪をもらった。

 

一つ、トラウマのは結婚指輪がティファニーだったこと。

私は婚約指輪の兼ね合いもあるし、婚約指輪と同じお店が良かった。

でも、奴は頑として譲らずティファニーの結婚指輪になった。

 

その後、、私はティファニー大好きで

シルバーの金属アレルギーももちながらも

コツコツためて買っていたアクセサリーをほとんど処分した。

完全に、トラウマ。

ネックレスに、指輪に、ピアスなど

ほとんど処分。叔母からの頂き物や母から譲り受けたもの、

それくらいしか残してない。

箱は大量にあるのに。

好きは好きだけど、もう、買う気はしない…

 

 

 

 

 

辿れない記憶。

人の記憶は、どれだけあるのだろうか。

私の脳内分量的には

4歳(縫うほどのケガしたから)

5歳 なし

6歳 ピアノのグループレッスンの発表会

7歳 家完成、引越し

8歳 なし

9歳 合唱部に入る(小6までなので12歳まで)

10歳 親戚間のギスギスがより明白になったような…

11歳 ギスギス進行中

12歳 ギスギス進行中

13歳 吹奏楽部入部フルート買ってもらった。

14歳 ソロコンクールで銅賞・アンサンブルコンクールで金賞受賞

15歳 夏の定期演奏会で引退→その後の模試で一念発起

16歳 高校受験見事に失敗、私立高校へ入学→宗門校とは知らず。

17歳 15歳夏以降から4時間睡眠&猛勉強開始と継続

18歳 夏から情緒不安定→秋:保健室登校

19歳 上京&大学入学→秋ごろからバイト開始

20歳 記憶なし

21歳 OD

22歳 就職活動

23歳 今の会社に入社

24歳 24歳と11か月で結婚

25歳 別居&復職

26歳 別居

27歳 おそらくこのあたりで離婚

28歳 なし

29歳 なし

30歳 なし

31歳 なし

32歳 向源参加

33歳 向源参加。彼氏登場?

34歳 (まだ33だけど)親と同居

 

周りの記憶を肉付けすればもっとあるけど

私の記憶はこれだけ。

 

ペライ人生だな…

まあ、宗門校に入らなかったら

今の彼氏は当然接点はなかったし、

いろんな意味で悩むことはなかったけど。

 

僧籍を取ったのは2007年、会社の一大事が報道された時だった。

でも、得度習礼真っ最中だったのでそんなことは耳に入ることはない。

あとは、習礼の開始日が卒業発表の日で、

本来自分で見に行かないといけないのだが、親が粘って電話で聞きだした。

まあ、ODだったり、なんやらで決していい成績ではなかったし

私の通った大学は、教授が変われば他に同じようなことを学べることができない感じだったので、私のいたゼミの選抜試験も結構な人数がいた。

ま、いろいろと顔を合わす機会は多かったので、

ある意味コネ要素もあったかも?しれない。

卒業論文はメディアコンテンツのあり方を書いたはず。

これに関しては、最高ランク「優」をいただいた。

今ほど、オンデマンド事業が発達していなくてスマホももちろん発達してないし、特に動画におけるコンテンツ事業のあり方は様々だった。

基本的に、教授には期待されてなかったような気もするので

教授のコメントも褒められた感じで書いてあったので驚いた記憶はある。

 

誤診や合わない薬でコテンパンに脳がやられ

復職したときは本当に苦労した。

薬を抜いたときは離脱症状がひどく、寝たきり。

なんで結婚なんて。。。ってよく言われるけど

いつまでも親のすねは齧れない、仕事に戻れないという思いがあったから。

結果、もどったけどww

 

時に医学の進歩はいいこともあるけど悪くもある。

発表される論文によっては打ちひしがれる思いもする。

これから先、どうなるんだろうなー。

今はいろんな方法で、記録が残せるから・・・楽?

 

結局見つからない。

家も会社も探しまくったけど、、

出でこなかった指輪。

土曜日の夕方に落ち合うことになり、

正直、どんな顔して会おうかと悩んだ。

しかも、本来の予定も目前にして私理由で叶わなかった。

 

自宅を15:30頃出て渋谷へ。

来るバレンタイン義理義理チョコを買うために。

最初は渋谷西武に行ったけど、品揃えの悪いこと…

結局その場で調べて東急東横店へ。

 

特集してる冊子もあり、そこでブランドに目星をつけていたところに

ネタにはなるか?でもこれしかない!と思い

彼用のチョコレート(もちろん本命)GET

あとは金額と調整して義理チョコも買って本来の目的は完了。

 

途中で彼が表参道にいることで、渋谷まで来てくれた。

電車が苦手で、本来は上野で集合だったので30分も乗るのかぁと

結構テンションは下がっていたけど、来てくれたおかげでクリア。

上野に行ったのは、美術展を見に行くからだったけど

まさか、渋谷で歩き回るとは想定してなくて

靴のチョイスを間違うという何とも言えないことに。

上野公園の中も結構歩いてたどり着く手前にベンチを見つけ

限界があったので、先に入っててあとから行くからというと

気を使わせてしまい、一緒に休憩。

んで、結果的には目の前に建物はあるのに行かなかった。

その時に、次にいつ会えるかわからないしと思って

彼には早いけど渡した。

そして、紙袋を受け取った。

中にあったのは、彼らしいチョイスのピンキーリング

「見つかるまでのつなぎ」

話題には上ってたけど、なくしたのは私だし

遠慮はしてたけど…

私は顔面蒼白状態だったけど、彼は怒らなかった。

そして、つなぎとは言いつつ

わざわざ一人で、お店に行ってくれたことを思うと

泣きそうになった。

そこで、なぜ彼が表参道にいたこともわかった。

 

普段は、デニムにセーターで通勤してるから、

ある意味、ピンキーリングの方がつけやすかったのかもしれない。

でも、なくした私を責めるでもなく、

さらっと渡され、もちろん最初はつけてもらいました^^;

 

けがの功名というか、なんというか…

彼は彼なり優しさで、

私が気にしているところを少しでも埋めようとしてくれたのかもしれない。

我儘も多いのは反省しつつ、

でもやっぱり人だから、いらっとくることもある。

約一年半の付き合いの中で、ケンカの回数はかなりあると思う。

でも、会うときはそれを一切持ち込まない彼。

お互いに?ちょっと変わった性格かもしれない。

凸凹感はたぶん、半端ない。

いつ、振られても全然おかしくはないし

私からはないだろうけど、切られたら終わり。

覚悟はしてるけど、その覚悟を持ちながら付き合うのもしんどい。。。

でも、こうして不意に現れる優しさに甘えたい自分がいる。

ずるいんだなって、自分でも思う。