ライターだって、ちゃんと言いたい。

ライターさすがの見たモノ、聞いたモノ、感じたコトを紹介していきます。

5年ぶりの時計職人

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インタビュー記事の勉強をしたくて、
 
POPEYE3月号「仕事とは?」を読みはじめた。
 
この本を読みながら、昨夏におよそ5年ぶりに再会した、
 
23歳の時計職人を思い出す。
 
彼と出会ったのは、「学展」という美術展のアルバイトだった。
 
当時から、「時計職人を目指している」と話していたけれど、
 
きっちりと夢を叶えていた。
 
時計職人になりたくて、腕時計メーカーの集まるスイスに留学したこと、
 
時計って何なのか、をご飯を食べながら、語りまくってくれた。
 
「時計ばっかりで、ぼくの話、つまらないですよね?」
 
と何度も何度も訊かれたけれど、
 
むしろ、心がワクワクして、
 
遠慮せずにもっと話してくれないかな、とさえ思っていた。
 
実はそれまで時計に対して愛着がなかった私だったけど、
 
時計職人の話を聞いた帰り道は、
 
このアイテムは、人を夢中にさせる魅力があるのだ、
 
と自分の時計をまじまじと眺めてしまったっけ。
 
好きなことを仕事にするべきだ、とか、
 
自分の仕事を好きになろう、とか
 
そういうのではなくて、
 
好きで好きでたまらないことを、ただやっているだけっていう人を眺めて、エネルギーをもらった感じ。
 
明日も、きっと時計職人は、
 
真剣な顔で時計を修理しているんだろうなあ、と想像したら、
 
自分も、もっと遠くに行きたくなった。

近すぎると、見えないこともある

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 ※山中湖の花の都公園でのイルミネーション@2016年1月2日

 

「ライフスタイル系が似合うと思うよ」

 

私ってどう見えますか、と質問した編集さんに言われたコトバ。

なんだかしっくり、という その回答を持って、地元山梨に帰ってきた。

 

ライフスタイルか……と考えながら、

高速バスの中で、むかしインタビューに同行させてもらった、

アーティスト・赤川純一さんのインタビューを思い出す。

 

その記事は、こちら

fuze.jp

 

「どんな作品をつくりたいの?」という質問に、

「ジェットコースターみたいなもの。考える前に、感じるような作品をつくりたい」

というようなことを、おっしゃっていた。

 

”自分と同じくらいの歳の人が、

やってみたい、という想いだけで単身でドイツに行き、

本当に自分のしたいことを実現している”

 

という事実に、そういう人がいま目の前にいることに、

ただただ圧倒されたインタビューだった。

頭をがーんと打たれた想い。

 

そして、このインタビューのなかで、

もう一つ強烈に覚えているのは、

音楽と映像を使って、

「地元を盛り上げるような活動をしている」ということ。

 

 

正直なところ、「地元愛」というものが人より薄い、と自覚している私は、「地元を盛り上げよう」という気持ちが羨ましくもあった。

 

また別の日。

 

高知県出身の友人2人と飲んでいて、

「高知を盛り上げることがしたい」という話で2人が盛り上がる。

 

その話を聞きながら、「おや、ここにも?」と、わたし。

 

「なぜ、地元を盛り上げることに気持ちが傾くんだろう?」

 

それは、振り返ると、

幼いころから、私のなかにあった疑問かもしれない。

 

父は、地元山梨の観光課で働く公務員だった。

富士山の写真を撮る、父の姿を毎日のように眺めてきた。

 

わたしには、わからなかった。

富士山の偉大さも、自然のありがたさも。

なぜ、父がうれしそうに、写真を撮るのかも。

 

だけど、今回、

東京から地元に帰るバスの中で、富士山をみたとき、

車から降りて見上げた空一面に、たくさんの星が見えたとき、

誰かに この魅力を知ってほしいな、と思った。

 

「この気持ちかな?」と、うれしくなる。

 

都会みたいに、きらびやかなものはないかもしれないけれど、

ここには、こんなに人の心を落ち着かせてくれるものがたくさんあるのだ。

 

どんな形でかかわれるのか、

予定も、つながりも全くないけれど、

私を育ててくれた地元に、貢献できる日がくればいい。

こんにちは、2016年。 

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あっという間に、2016年。

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

年越しはパソコンの前で、仕事をしながら過ごしました。

本当は、家族が紅白を見ているなかに混ざりたかったけど。

 

ちょっとだけ仕事しようかな、

と書きはじめたら午前0時になっていた、というアドレナリン効果です。

オン・オフを切り替えられる大人になりたい。

 

さて、今更ながら、2015年の振り返りをしてみます。

 

毎日、締め切りが迫ってくる

 

”休んでないよ自慢”ではないですが、

1月から6ヶ月くらい休みがありませんでした。

 

毎日のように納品日という、

人生ではじめての経験をした日々です。

 

フリーランスって(このフリーランスって…という語り方もあんまり好きじゃないのですが、それは置いておいて)、どんな仕事でも基本は引き受けちゃうんですよね。

 

私の周りの方々を見ても、

「次の仕事がこなくなるのが怖い」と、

びっくりするようなスケジュールの方がたくさんいます。

 

私も例に漏れず、「断る」という意識が全くありませんでした。

 

そうすると、自分で書くのが追いつかなくなります。

なので、5〜10名程度のライターさんにお手伝いしてもらうことに。

 

主にライターさんとやっていた仕事は、

BtoB案件のホワイトペーパーや記事など。

 

マーケティングの「マ」の字もわからなかった私が、

営業の方と一緒に会社をまわるなかで、

少しづつ、マーケティングに興味を持つようになっていきます。

 

5月にマーケティングの書籍を書くことになり、

がっつりと、何冊かマーケティング関連の書籍を読み込みました。

 

付箋をつけすぎて、それを見たクライアントさんが、

おそらく引いていたはず(笑)。

 

マーケティングの書籍を読みながら、

同時に、クライアントさんの営業についていきました。

 

そういうことを何ヶ月も続けるなかで、

マーケティング用語を覚えていくように。

 

知識をインプットしながら、

営業活動に同行してアウトプットするイメージです。

 

マーケティングを教えてくださったクライアントさんのつながりで、

企業ブランディングの記事もお任せいただくことに。

 

マーケティングとブランディング、という2つのジャンルを行っていく中で、

誰が読むのか、という「ペルソナ」を意識するようになったのも、この頃。

 

売り手目線じゃなくて、顧客目線で、と繰り返し教えられた日々です。

 

「ペルソナ」と言葉に出すと簡単ですが、

これを意識して書くことが、実に難しい。

それは、今でも記事を書くときに実感しています。

 

マーケティング関連のお仕事をしながら、

敬語の本を2冊ほど書きました。

 

うち1冊はシリーズもので、学習するための絵本です。

おまかせいただいた先生も、

はじめてのジャンルだったので、

私も緊張したことを覚えています。

 

絵本を執筆してみて、

まさに”ペルソナ”が大人であるか、子供であるのか、

で書き方が全く違うことを実感。

 

「大人だったら、当然こういうことがわかるよね?」

ということも、子供はまだわからない。

 

「どこまで説明してあげればいいんだろう?」

そう思ったときに、

「ペルソナは何歳なの?」という視点が役立ちます。

 

もう一つ、書いていて強烈に覚えていることは、

現代の子ども像は、私の想像する世界と違う、

ということ。

 

私の子どものころは、

給食を食べるときに「いただきます」という挨拶が基本でした。

 

けれど、編集さん曰く、いまの子どもたちは違う。

 

「親がお金を払っている給食に、いただきます、という挨拶をさせない」

という考えもあるそうです。

 

自分の子ども時代の想像で書いていた私は、

ジェネレーションギャップに戸惑いながら、執筆を終わらせます。

 

自分のいまを正しく認める

そして、書籍もひと段落し、2015年後半へ。

 

後半は、より強く自分の現在地を意識するように。

 

いまの自分をありのままに認めること、

私はそれが怖くてたまりませんでした。

 

弱い自分を見せたくない、

できない自分を見せたくない、と

”なんでもできるふり”を続けていたのだと思います。

 

けれど当然、私にもできないことが山ほどあって、

背伸びばかりしていた。

 

ある日、ご無沙汰していた編集さんから電話がかかってきました。

そして、「さすがさん、がんばっていますか?」と訊かれたんです。

 

けれど、私はそれに「YES」と言えなかった。

確かに、ぐちゃぐちゃになるぐらい働いている、週末だって仕事してる。

 

だけど、だけど……、私がしたかったことって何だっけ?

 

ライターになりたかったのは、誰かに伝えたかったから。

そのために、私は伝えるようなスキル、ちゃんと勉強した?

 

電話を切ったあと、そのことをずっと考えていました。

 

結局、私は「自分は何ができないか」を、

しっかりと認めることしかできなかったんです。

 

その日、家を出るときに、

「プライドは、このマンションの土の下に埋めてやろう。

いつか、このマンションを引っ越すときに、自信のある私が掘り返してやろう」

と決心しました。

 

全部、イチからやり直そう。

「それでライターなの?」って言われちゃうかもしれないけど、

そんなのほんとは悔しいけど、

ライターとしての基礎を全部やり直そうと思いました。

だって、私は誰かの想いを、まだまだいろんな人に伝えたいし。

 

つま先で立ってるような自分を辞めたい。

それに気づけた今が、Re:スタートするにはちょうどいい。

 

それから、

ブックライターのセミナーに申し込んだり、

インタビューに同行させてほしい、と頼み込んだり。

「インタビューの雰囲気を掴む」ためのテープ起こしも、いっぱいできました。

 

食べていかなきゃ、そんな想いが強かったフリーランス1年目。

 

2年目からは、書いていきたい、より強く、そう思えますように。

 

本年も、ライターさすがを、よろしくお願いします!

 

自覚しないまま、ライターに

はじめて知り合った人に「フリーライターです」と言うと、

ほとんどの人に「すごいですね!」と言われます。

それも、マスコミではない人。

 

「すごい」の指すものが、

フリーランス」であることに対してなのか、

「ライター」であることに対してなのか、

私はいまいち、よくわかりません。

 

思い返してみると、私もまだマスコミの世界に足を踏み入れる前まで、

”そういう世界全体”がなんだか異次元=すごい、と思っていた。

手を伸ばせば、実は、とっても近い世界なのに。

 

そのときの自分を、久しぶりに振り返って、

私がはじめて、その異次元だと思っていたところに、

手を伸ばした経緯を書いてみよう、と思い立ったのです。

 

それが「ライター」と言われる職業である、ということにも、

当時は気がついていませんでした。

  

「何になればいいのか?」と空っぽになる

当時の私は、大学3年生です。

はっきり申し上げて、途方にくれていました。

 

途方にくれるまでの私の夢は「児童福祉司」。

大学も、その職業になれるところを選んで入っています。

 

今でも、思い出すのは、

「夢は変わるのが普通なんだから、

つぶしが効かない学部を、選ばない方がいいんじゃない?」

という家族からの一言。それは、まさに的中したので。

 

大学2年生までは、

児童福祉司になるんだ!」と、意気揚々と勉強しまくっていたけれど、

ある心理学の授業を受けて、こう思いました。

 

「私が児童福祉司になりたいのは、自分が誰かに必要とされたいからだ。

子どもたちのためじゃない。

児童福祉司は、大変な状況にいる子どもを支える仕事。

こんな気持ちの、私がなっちゃいけない。」

 

どんな授業を受けて、その想いに至ったのかは忘れてしまったのだけれど、

ガツーン、とそう思った感情だけは覚えています。

 

それからは、

「いったい何になればいいのだ?」という気持ちのなかで

ふわふわと生きていました。

 

 
マスコミ講座との出会い

そして、就職活動がはじまってしまうのです。

 

ちょうどそのとき、友達に誘われてマスコミ就職講座に入ることに。

入った目的は、履歴書の添削と、写真撮影がセットになっているから。

当時、マスコミにはまったく興味がありません。

とりあえずOLになろう、とだけは思っていた。

 

でも、大学の図書館に毎日通うほど、本だけは好き。

特技は何もないけど、

何が好きかと訊かれたら、読書と答えていた。

 

マスコミ講座では、毎回、

「講座の感想」というアンケート用紙が配られていました。

 

あるとき、そのアンケート用紙に、

「編集アシスタントをやってみたい人は、その旨を記入してください」

という、いつもはなかった募集が、いきなり表れました。

 

私は、その募集の文字に、なぜか目が釘付けになってしまって、

椅子の上で身動きできなくなった。

頭のなかでは「これだ!!!」と、直感。

 

それから、その講座の先生のもとで、

毎日のように、

資料を集めたり、企画の相談を電話でされたり。

 

どれだけ、先生のもとで、編集アシスタントになりたい人がいたのか、

私にはわからなかったけれど、

いつも考えていたのは、

「この先生の記憶に、誰より残るやつでいよう」ということです。

 

だから、デート中だろうが、夜中だろうが、

何かを頼まれて、「NO」と言った記憶がありません。

 

知らない人に伝われ、と思った

いつのまにか、わたしのなかで憧れだけが膨らんでいき、

あるとき、先生に「一緒に本をつくりませんか?」と持ちかけられました。

それは、こんな自分でも、

なんとか内定をもらった、大学4年生の秋のこと。

 

右も左もわからないけれど、

わたしのなかで「とにかく、やってみよう」と迷いがなかった。

それが、はじめてライターとして関わった実用書です。

 

書いている最中は、自分がライターであることもわからなかった。

正直なところ、これって編集アシスタントの延長線上なのだろう、と思っていた。

 

とにかく渡された10冊ほどの参考文献と、自分で調べてきたコピーの山、

構成案を見ながら、家で缶詰になって書きました。

 

途中で、何度も「辛いよ〜、辛いよ〜」と思ったのだけれど、

そういうときに頭のなかで唱えていたのは、

「この本を顔も知らない人が読んでくれる」という想い。

そう思うと、自然とやる気がでて、自分でも不思議だった。

 

本が発売されたとき、家の近くの本屋さんに見に行きました。

「自分の書いた文章が、本当に売っている……!!」

と、その本を近くに行って眺めたり、遠くから眺めたり。

(完全に不審者……)

 

こうして、私のお仕事としてのライターデビューは、

自覚しないうちに、いつのまにか、終わっていたのです。

 

たった一言の感想

今でも忘れられないことがあります。

 

当時はmixiというSNSが流行っていて、

そこに、その実用書専門のコミュニティがあったんです。

 

「感想をどうぞ」といったトピックスに、

顔も知らない人が「面白かった」と一言書いてくれました。

 

知り合いから、良かったね、おめでとう、と言われることも、

もちろん有難かったけど、

なぜか、知らない人の、そのたった一言を見て、

パソコンの前で号泣しました。

それは辛かった執筆期間が報われた、という涙ではなく、

 伝わったんだ、という気持ちからです。

 

そのことを忘れられないから、

今でもライターを続けているのだと思います。

 

とにかく手を伸ばしてみる

学生時代、角田光代さんの小説で『くまちゃん』という小説を読みました。

 

それは、短編小説になっていて、

前後のお話しが繋がっている、というスタイル。

 

内容は恋愛小説で、一話ごとに主人公が変わっていく。

 

主人公は「この人はすごい」と憧れた相手に振られていく。

かと思えば、その「すごい」と前話の主人公に思われた人(振った人)が、

今度は同じように「すごい」と思った相手に振られるのです。それが、延々と続く。

主人公たちは、すごい人に憧れ続ける。

 

このブログを書いていて、ふっと思い出しました。

 

もしも、ライターをやってみたいな、

という人がこのブログを読んでいたとしたら、

とにかくやってみればいい。

 

だって、その『くまちゃん』の小説のように、

自分が「すごい」と思った世界の人にも、まだ「すごい」と思う人がいて、

延々とループしていく。

そのなかに入るか、入らないかは、とっても大きいことのような気がするから。

 

私も、自分では違和感のある「すごい」という言葉を投げ掛けられながら、

「すごい」と思う人たちの背中を追いかける日々なのです。

 

 

フリーライターらしい宣材写真を撮ってきた(2)

前回に引き続き、宣材写真を撮影した、お話しです。

 

12月の某日、原宿でカメラマンのsaru君と待ち合わせ。

 

合流して、「さて、どこで撮るの?」と思ったら、

「緑のある場所に行きましょう!」と言われて、神社に行くことに。

 

前回書いたとおりに、カメラと本、服装は考えてきたけれど、

肝心のポーズが決まっていない。

 

流石 「どんなポーズをすればいいんでしょうか・・・???」

 

saru君「じゃあ、とりあえず目線を外して撮ってみましょう!」

 

そうか! 確かに目線を外すと、それっぽい! と、なんだか納得。

 

 

「目線くださ〜い」「じゃあ、今度は目線外してくださ〜い」「笑ってくださ〜い」

と言われながら、何枚かパシャパシャと撮る。

 

 

少しは美容雑誌の編集をしていたので、撮影の現場に同行していたけれど、

照れないで撮られる、というのは、なんと難しいことなのだ・・・と実感する。

 

だって、「なんだ!?」「何の撮影!??」という目をした通行人が、

隣を通り過ぎていくわけなので・・・。

 

肝心のポーズは、以下をランダムに組み合わせることに。

 

◆直立で立つ

 

◆足をクロスさせる

 

◆腕を組む

 

◆本を胸に抱える

 

◆カメラ目線

 

◆斜め左を見る感じで、目線を外す

 

 

 

saru君「他のところでも、撮ってみましょうか!」

と言われて、移動することに。

 

お次は、アースミュージックエコロジーの撮影や、いきものがかりのPVで使われた場所で、撮影していきます。

 

※ここです

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引用:ラブソングはとまらないよ / いきものがかりの部屋

 

saru君は、ファッション関係の撮影をしているそう。

だから、写真もそれっぽくなって、うれしい。

 

「宣材写真を出す」というのは、イメージしてもらいたい自分を、相手のなかに貼り付けるイメージ。なので、少しでもお洒落に撮られたいな〜と思っていた。

 

撮ってみたわかったことは、以下のポイント。

 

◆季節感をガッツリ出さない(一年をとおして使うのが難しい)

 

◆ポーズは、有名な宣材写真の真似をしまくる

 

◆カメラマンさんと仲良くすると、リラックスできて、いい感じの表情に

 

◆自分の希望するイメージ(原宿系? モード系? ほんわか系?)が撮れるカメラマンさんを探す

 

◆目線を外すと、緊張しづらいし、それっぽい写真になる

 

そして、あれやこれやと、試行錯誤してできあがったのが、こちら。 

 

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おおっ! なんだか・・・ライターっぽい!!

本持っているし、遠く見つめているし(未来を見ているイメージでね!)。

 

いつかは撮らねば・・・と思っていた宣材写真を、

こうして、ようやく撮ることができました。

 

これまでは「宣材写真」と聞けば、スタジオで撮るものだとばかり思っていた。

 

だけど、わたしの年齢から言っても、「スタジオでバリバリスーツ」は違うような。

 

こうして、外の風景も一緒に撮ってもらったことで、

フレッシュさを出すことができたのかな、と思っています。

 

2015年は、セルフ・ブランディングをがんばろう、がんばろう、と意気込んだまま終わってしまいそうだったけど、少しづつでも頑張っていこうと気合が入った撮影でした。

 

ブランディングをいくらしたところで、中身が伴っていないと、がっかりなので、

 

素敵だ、と感じるライターの文章を模写したり、

 

インタビューの仕方を勉強しつづけようと思います。

 

なにはともあれ、協力してくれたsaru君(@yuukisaruta )に感謝。

 

フリーライターらしい宣材写真を撮ってきた(1)

 

 

ウェブ上でライターをしていると、記事の掲載が決まったとき、

 

「プロフィール写真をください」と言われることが、よくありますよね。

 

そんなとき、自分の写真をあまり持っていない私は、数分悩むんです。

 

「どんな写真にしよう?」って。

 

 

ついつい写真を撮るときにピースしてしまうし、

 

顔のよく見える、Facebookのプロフィール写真は2年前の写真だし……。

 

なにより「ライターっぽい写真」を持っていない。

 

 

う〜ん、と悩んでいたときに、

 

「プロフィール写真を撮ります」という

 

フォトグラファーのsaru君(@yuukisaruta )の募集を発見しました。

 

最近、また再開したTwitter(@riok_a)で、

 

「写真を撮ってください!」とお願いしたところOKをもらったのです。

 

 

 

けれども、撮影の現場に同行したことはあっても、

 

自分自身が撮影されたことはない。

 

 

撮影に行く前、こんなことに悩んでいました。

 

 

◆服装は?

 

◆小道具は必要なの?

 

◆どんなポーズで撮るの?

 

 

まずは、服装について。

 

ライターであれば、

 

「どのようなジャンルを書いていきたいのか?」で、

 

服装を決めることができます。

 

私は、実用書やビジネス書のブックライターになりたい。

 

同時に、今はWEBのディレクションも楽しいと思っている。

 

そこで、

 

「スーツでは堅すぎる、でもしっかり見えるように」と考えました。

 

目指すイメージは、

 

「快活さ」「アクティブ」「マナーが良さそう」「〆切を守ってくれそう」。

 

カジュアルすぎないボトムスと、お姉さんブランドのトップスに決定。

 

 

次に、小道具。

 

先述したとおり、ブックライターで食べていきたい気持ちがあるので、

 

本を持っていくことに。

 

持っているのか、いないのか、がわからなければ意味がないので、

 

持っている中でも、特に目立ちそうな(そして上品そうな)、

 

ティファニーブルーが表紙の本を持っていきました。

 

 

その他に持っていったのは、カメラです。

 

撮影込みの記名記事で、プロフィール写真に使いたいなあと思ったので。

 

 

続いて、ポーズ。

 

これは、名の知れたライターさんたちのプロフィール写真を探すために、

 

ネットを徘徊しました……。

 

そして、わかったのが、以下のパターンが多いこと。

 

・まっすぐに立っている(比較的若め、少しカメラを引いて撮る)

 

・自分の得意ジャンルに関係する、小道具を持っている

 

・腕を組んでいる(男性の場合)

 

・インタビューで話している風(男性に多い)

 

・少し身体を傾けて、上半身のアップ(女性に多い)

 

・パソコンorノートに向かって、作業している風(女性に多い)

 

 

……と、私がざっと見たなかでは、このような感じ。

 

「本やカメラは持って行くからなあ」と、

 

ポーズについては、当日話し合いながら決めることに。

 

 そして、12月の某日、原宿で撮影してもらいました。

 

(つづく)

「文章力をあげたい!」と思ったときの近道って? 『文章力の基本の基本』ワークショップ@新宿ブックファースト

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大事な場面で自分をよく見せようとして、言葉を飾ってしまう。そして、「思っていることが伝えられなかった」と後悔することが私にはあります。ときには、どうせ伝わらないからと尻込みしてしまうことも。

 

だからこそ、「うまく伝えられたらいいのにな」と思うことも少なくはありません。

 

フリーランスのライターとして独立して1年が経ち、最近は初心に返ることを心がけています。そこで、文章力を見直すために、12月8日に新宿ブックファーストで開催された『文章力の基本の基本』(著 阿部 紘久 日本実業出版社)のイベントへ。定員40名で、ほとんどの席は埋まっていました。

 

問題を解いていき「良い文章とは何か?」を考えるワークショップ形式。筆者である、阿部先生が司会です。

 

問題は全部で34問。構成は、このような感じ。

 

「第1章 文の基本形を作る」

「第2章 簡潔に書く」

「第3章 分かりやすく書く」

「第4章 的確に書く」

「第5章 共感を得る」

「第6章 話し言葉の影響を避ける」

 

どれも文章を書くときに当たり前なこと。なのに「できていますか?」と訊かれたらドキッとしてしまう。

 

 

「伝える文章」にするためのポイントをメモ。

 

読み手になって感じたり、考えたりする想像力を持つ

主題を早く登場させることで、読み手は「何の話だろう?」と迷わなくなる

修飾語は直前に置く

文章の並びの基本は、時系列

「本当に」などの強調する言葉を多用すると、説得力がなくなる

五感を使って事実を追体験できるような文章にする

(目に浮かぶように、聞こえるように、味わえるように、触れられるように)

事実を淡々と語れば、情景が想像しやすい

 

・・・・など他にも伝わる文章のポイントが、ぎゅっと詰まったワークショップでした。

 

最後は、質疑応答の時間。

 

「文章力をあげる効果的なトレーニングはありますか?」という質問に「考えたことや感じたことがあったら、立ち止まって、その言葉を書いてみることです。自分自身の内側にあることを的確に伝えるのは大変なこと。内側に溜まったら、その都度、書いていけばいい。反芻すれば、だんだん書けるようになるんです。」と阿部先生。

 

自分の考えていることが、どんな人にも100%賛成されるとは限らない。だけど伝えることを諦めなければ、わかってもらう方法が身に着いていく。

 

上手な文章を書くための近道は「伝えたい」と思った気持ちに正直であることなのかも。そんなふうに感じて、前向きな気持ちになりました。

 

最後のスライドの言葉が、印象に残っています。

 

文章を書く作業は、

「相手になりきってみる」

「自分自身に戻る」の繰り返しです

 

 

言葉の並びや選び取り方で、伝わり方がガラリと変わる。

文章の奥深さを楽しんだ夜でした。

 

文章力の基本の基本

文章力の基本の基本