生命の灯がまさに消えようとしている啄木。
評伝小説の快作
詩人・歌人として天才の名をほしいままにするも、
★「若山君、僕はどうしても死にたくない。
評伝小説の快作
詩人・歌人として天才の名をほしいままにするも、
★「若山君、僕はどうしても死にたくない。
先日、岩手在住の知人から下記の2点の啄木に関する記事の載った新聞の写真が届きましたので紹介させていただきます。
★★★
(略)森義真さんは10年4ヶ月務められた石川啄木記念館の館
森館長ご在任のうちにと(略)国際啄木学会盛岡支部会が新潟支部の塩浦彰先生から寄贈いただいた「
森さんの石川啄木記念館の館長退任のニュースと併せて、
また、「盛岡タイムス」も3月いっぱいで廃刊になりますが、3月16日に、盛岡支部から石川啄木記念館に「一禎短冊」
★★私の啄木余話(1)★★
この話は今から30年ほど前になる古い昔の話しが始まりです。
俳優の小野寺武彦氏がテレビ朝日の人気番組「徹子の部屋」で
″@石川啄木の短歌
「やや長きキスを交して別れ来し/深夜の街の/遠き火事かな」
あの歌は自分の祖父である小野愁蛾が東京朝日新聞の歌壇に読者として投稿した歌を当時の選者であった啄木が、後に自分の歌として歌集に載せた″
という主旨の話しをされたことがあり、この番組を見ていた啄木研究者のM氏がテレビ朝日に「該当の歌の初出は、朝日歌壇が始まる前に「東京朝日新聞」(明治43年5月23日号)に載っていますので、
なお、この話しには更にオマケがあって小野氏のテレビ発言から10年近く経ってから、ネット歌人として知られた枡野浩一氏が函館市で啄木についての講演をされた時、(小野氏の発言を引いて)「啄木は朝日新聞の選者をしてた時に読者が投稿した歌を自分の作品として歌集に収めている」と「徹子の部屋」で聞いたことを話したそうで、その講演を聞いたK氏から私に、この話しは本当ですかと電話があった。私はM氏から直に聞く方が良いと伝えた。
その数年後に枡野氏がBSテレビ朝日で啄木特集を放送した番組にゲスト出演したが、同じ番踏みにゲスト出演したI氏はM氏と同じ啄木を研究する会に所属する学者なので司会者の別所哲也が○○会の会長と紹介した途端に枡野氏が「うわー○○会ですかぁ〜怖い」と笑った。
これは函館での講演で自分が話したことは間違いであることをM氏が枡野氏に直接手紙で抗議していたからのリアクションであることは、この番組を見てた私にはすぐにわかったが、I氏は枡野氏のリアクションには応じずに研究者として見た啄木の姿を大変わかりやすく話された。
なお、私はこの番組を見ていて枡野氏の軽々とした啄木談義に辟易したことを今も記憶している。
ついでに枡野氏の啄木に関する本はネットに発表して少し話題になったことで朝日出版から発行された『石川くん』という漫画入りの啄木短歌の一部分を現代語に訳したものだが、この本の表紙に使った啄木の顔写真に黒マジックでイタズラ書きをして刊行されたので、 私は不快な気分になり、其ことを出版社に電話で伝えたことがある。
その後に文庫本として再販された時は初版の表紙にイタズラ書きをしてたことで読者の方々に不快な思いをさせたことを詫びるという文言が載ったことで私の他にも多数の苦言があったものと思った。
もちろん表紙は変えられていたが、枡野氏の現代語訳本は私には不要だと今も思っている。
★【お詫びと訂正】
昨日、私が投稿した上記の稿をご覧になった文中に登場するM氏より、北村総一朗氏と其の祖父の氏名は間違いであり、ほかにも細かな記憶違いのあることをご指摘頂きました。これに感謝しつつ、お名前を誤記した北村総一朗氏と関係者に深くお詫びいたしまして、上記のように訂正させていただきました。ご寛恕ください。(2024年2月29日・佐藤勝)
本日、新刊の啄木関係図書案内チラシを送っていただきましたので紹介します!
啄木との接点は全く無い人物ですが同時に同じ場所に住んでをり
方や富豪のお坊っちゃま、方や妻子を函館の友人に託して小説家を目指し
上京した貧しき啄木青年。
この2人を比較して当時の日本経済を俯瞰するようなのですが小生は未読であるため
コメント無しの紹介です。興味のある方は下の写真から出版社へ問い合わせてください