令和が始まるその前に

みなさん新年度いかがお過ごしですかー?
我が家はこの度4月から保育園!
新生活ドキドキDANEー☆のはずでしたが。

 

入院してました。私。
ちょっと前に、「風邪で喉が痛い」ってツイートしたと思うんだけど。

 

 

 

結局あれから、大変な事になりました。

最初、授乳中なので病院行ったところでろくな薬もらえないし、そもそも喉腫れたくらいで病院行くのもなぁ、、(滅多に病気しないので病院行き慣れてない)と渋ってたんだけど、熱も出て喉が痛すぎて息がしづらいレベルになってしまい、もうこれダメだ、授乳は置いといて治すの先だわ!ってなって、近所の内科に行ったんですよ。旦那さんに「薬貰ってすぐ帰ってくるから、その間悪いけど仕事遅刻して子供見てて~」つって。

 

そしたら即紹介状、その足で大きい病院行ったら即入院、からの緊急手術で気管切開となりました。。首に穴開けてチューブを入れて、そこから呼吸するやつです、、

 

病名は急性喉頭蓋炎、救急搬送されたり亡くなる人もいる怖い病気でした。実際、進行が早かったみたいで、主治医の先生に「あのタイミングで気管切開しといて良かったよ、もう少し遅かったら窒息してたよ」って言われた。あぁ、私あの時もう少し病院行くの渋ってたら死んでたんだな

 

近所の内科の先生も直接診断してくれた訳じゃなくて、「見える所は腫れてないけど、見えない所が腫れてる時が怖い、息がしづらいってのが気になるからちゃんと大きい耳鼻科でファイバースコープで見てもらった方がいい、数年前に同じ症状でそのまま帰って亡くなった人いるから」って言われて、そう言われても私自身「いやいやそんなおおごと!?」ってまだ思ってたけど、あの時紹介状書いてもらわなかったら本当に危なかった。町医者の直感さすがね。

 

子供は、協議の結果仙台の実家に預けました。旦那に会社休んでもらうか、親にこっち来てもらうか、、今まで一度も私と離れた事ないのに、遠い仙台で何かあったらもし何かあった時、旦那なら責任取れるけど私の親には責任取らせられないよ。じじばばは今まで軽く遊んでもらってただけで、預けるとなるとお風呂も寝かし付けもあるし夜泣きする日もある、私以外にやってもらった事ないのに大丈夫なの

 

悩んだけど、なんか親張り切ってるし、まあ私と弟2人育ててる経験者だし、もう腹くくって任せるしかないかなと。

結果メチャクチャおりこうさんにしてたみたいで、じじばばさらに大好きになって帰って来ました笑。

 

そしてこの気管切開がまあ辛いのなんの。。気管切開自体は色んなケースで適用になるので珍しくない手術みたいだけど(看護師さんはカジュアルに「きせつ」と略してた)、これをやったからって呼吸が楽になる訳ではないのが

常に酸素のホースが繋がってるので基本ベッドから動けない、トイレ行く時は酸素ボンベ抱えて行く、喉に異物が入ってるので咳と痰がすごくて常に苦しい、ゴックンすると異物感で苦しい、寝返りするたびむせて苦しい、そして痰は数時間毎にチューブから吸引してもらわないといけないんだけどこれがまた悶絶級に苦しい!そして喋れないので筆談、紙とペンとナースコールが手元にないと痰が詰まりそうで不安!!

とにかくずっと苦しかった。

 

息が出来ないのって、死に直結するじゃん。ちょうど入院中にカミコベの松原さんが亡くなったニュースが入ってきて、ブログ見てみたけど息が苦しい所は共通するから見てて本当に辛い、私の手術前の酸素レベルが94で先生が慌ててたのに(普通は100)、60なんてどれだけ苦しいんだろう、って。

 

結局入院はまるっと2週間。新元号の発表は病室のTVで看護師さん達と一緒に見てた。「令和」と口に出して言えるのはもっとずっと後。

炎症が治まったくらいの1週間で気切は外れて、その後は喋れるしシャワーOKおかゆも摂取出来たのでそこからみるみる元気になってしまって、そしたらそれはそれで入院生活が地獄で。子供と離ればなれになるのがこんなに辛いなんて看護師のみなさんに励まされまくっちゃったよ。

 

今はもう腫れは治って、首の穴は縫いました。目立つ所に跡が残っちゃうけどって何度も先生に言われたけど、そんなの気にする歳でもないし。穴が自然に塞がるまで入院するケースもあるらしいけど、そんなの待ってられないので縫ってって懇願しました。

 

ちなみに保育園入園は延期、私の復職も当面延期です。。急な入院で色んな人に迷惑かけちゃったな。自分の死を身近に感じた事はなかったので色々と考えさせられました。健康との向き合い方。子供・家族との向き合い方。健康で家族と過ごせる毎日はなんて幸せな事だろうって。そしてあんなに自慢だった「滅多に病気しないウルトラハイパー健康体さやんちゃん」はもうどこにもいないのだということも。。

我は孤高の吉幾三である

服がない。

お腹が出てた妊娠時以上に、着れる服がない。今。

服だけじゃない、靴もない。バッグもない。アウターもない。手持ちのデイリーユースのものが、ことごとく使えなくなってしまった。

 

ツイッターに「抱っこ紐の摩擦で手持ちのニットが全部モケモケになった」って書いたけど、今まで持ってたもの、お気に入りのやつ、何万もするやつもいとも簡単にモケモケになるし一瞬でヨダレでろでろになる。高くて肌触りの良いものは赤ちゃんも好きなんだな。。

 

アラフォーの味方、鎖骨見せVネックは引っ張られてヨレヨレになるし、うつむいた時両手塞がってる事が多いからブラチラ防げない。(子育てしてると両手塞がって前傾姿勢になる機会がめちゃくちゃ多い)

抱っこ紐で邪魔だからマフラー出来ない、首寒い。アウターはサッと脱ぎ着出来て前を閉めなくてもヘンじゃないものが必要。コートを急いで脱ぎ着しないといけない場面ってめちゃくちゃ多いんだこれがまた。。

 

バッグも同じ。手持ちのリュックじゃ使えない、小さいしポッケが少ない。リュックはリュックでもただ大容量なだけじゃダメで、カバンの中をがさごそする機会がめちゃくちゃ多いので、ポッケがたくさんついてるやつ、もっと言うならマグをすぐ出せるようにサイドにペットボトル用ポッケが付いてれば最高だな。。

 

お財布とちょこ持ちバッグは夏に早々に揃えたんですよ。今サコッシュ流行っててよかったな。いちいちリュックから長財布取り出してがさごそするのめんどいなって、三つ折りのカワイイちょこ財布買って(最初はサブ財布のつもりだったけどすぐにメイン財布になった)、あとカワイイ折り畳み日傘買って。(日傘は折り畳み否定派だったけどそんな事言ってられなくなった)

 

それで、冬になったら上記の理由で持ってる服が一気に使えなくなった。元々カッチリ系の服とか胸元大きく空いた服が好きだったから余計にかもしれない。コートもスッキリしたシルエットのものしか持ってなくて。妊娠中はチェスターコート前開きでしのいでたけど、チェスターは舐めやすい場所に襟があるからダメだ。あとはボタンを閉めないと成り立たないデザインのコートしか持ってない。。

 

じゃあ機能優先で、すぐダメになっても良くて、40代でも着られるもの、そんなに選択肢ない。世のママたちはこうしてユニクローやしまむらーになっていくのだな。。という訳で今は毎日GUのパーカーを着ています・・。毎日のおさんぽ用にGUのショートダッフルも買って、これは可愛いから抱っこ紐じゃない時も着れるかな!と目論んでたけどもうだいぶモケモケになってGU感がぱない。

 

妊娠中にヒールの靴とかよそいきの服ごっそり処分して、必要最低限のものだけ残したつもりだったけど、まださらにいらないものが出てくるとはね。一人で遊びに行く時とか幼児期終了したらまた着ればいいじゃん!って一瞬思うけど、年に何回あるかわからない一人でオサレして遊びに行く機会のためだけの服はもはや必要ないし、幼児期終わったら着れる服って5年後?5年間も着ない服を家に保管しておくのがもういやだ。私は使わないものが家にあるのが大嫌いなんだ。服、靴、バッグ、財布、ここにきて一気にアップデートしたったわ。メルカリが捗るよーわっはっは!

ノンアルコール・デイズ

お酒を飲まなくなって丸1年が経ちました。

さやんが飲まなくて平気なのかよって周りの方が戸惑うばかりで、本人はケロリとしています。どうも毎日我慢して過ごしてると思われてるみたいで、飲みたくならないの?平気なの?って10億回くらい聞かれるけど、飲みたくならないです。どうして平気なのか、伝えるの難しいな

 

そもそもまだ妊娠に気づかない時期に、「なんかビールまずいな」が始まりだった。その後どんな食物も匂いも受け付けず吐きまくる壮絶なつわりが始まり、お酒どころではなくなった。

よくお酒好きの妊婦さんで、飲みたくなっちゃって辛かったって人もいるみたいだけど、わたしは幸か不幸か、つわり終わっても全然飲みたくならなかった。わたしはお酒が大好きなので、もし飲みたくなっちゃうと地獄の苦しみと葛藤が待っていたと思われるので、子を守るため神様がそういう体質にしてくれたんかなーと思ってる。

 

だから周りの人が気遣ってノンアル買ってきてくれたり美味しいの教えてくれたりしたけど、要らないんです。ジュースでいいんです。わたし炭酸大好き、ファンタ、コーラ大好き。

元々の飲酒スタイルが「普通の食事+酒」なので、飲み物がジュースに取って代わっただけで食生活も変わらない。あとお酒のつまみっぽい食べ物、油っこい食べ物、揚げ物、味の濃い物好きなので、お酒のつまみ+コーラで全然いける。

誰かと外食する時はみんな気遣って「どうする?ごはん屋さんとかにする?」って言われたけど、居酒屋でいいです!てかごはん屋さんてなに?飲まない人と外食する時どこ行っていいかわかんなくなる気持ちわかるよ、遠慮なく居酒屋へGOだよ!

妊娠中にいろんな人に会っとこうと思って「飲み行こうよ!」って誘い方してたんだけど、少なからずの人に「え、飲んで大丈夫なの?」って言わたのは結構ショックだったな。いや飲まないです!自分は飲まないけど飲み屋行こうよって意味。そんなに飲みそうに見えるのか。

 

出産したら授乳が始まるので引き続き飲めないんだけど、やっぱり全然飲みたくならないですね。ホルモン下がって普通の身体に戻ってるから飲みたくなってもおかしくないんだけど、平気です。なんでだろ。飲まない生活に慣れちゃったのかな?

 

しかしここにきて初めて「ノンアルコールビール」が登場します。

授乳中って、めちゃくちゃ喉乾くんですよ。「ゴクゴク、プハー!」が欲しくなる。で、前述した通り炭酸ジュース大好きだから全然それでいいんだけど、授乳中は糖分取りすぎもよろしくないと。じゃあどうせだからと食事の時はノンアルビール飲んでる。知ってた?今ノンアルビールってすっごい美味しいんですよ。数々の受難の時期を経て、とにかく味に特化して進化してる。そしてビールとの最大の違いは、ぬるくなっても美味しいんですよ。凄くない?そして、昼から飲んでも罪悪感がない。もしかしてこれ、最強の飲み物なのではありませんか?もうこれでよくない?

 

そもそもビールって雰囲気ものじゃん。チンッチンに冷えて、ゴクゴク、プハー!できればいいじゃん。(味を求めてる人いたらすいません)そしたらチンッチンに冷えてしかも美味しいノンアルビールをプハー出来たら、もう全然これでいいなって。今までノンアルビールってなんのためにあるんだろう、飲めないんだったらジュースでよくね?と思ってたけど、これはアリだ。

こないだ缶のノンアルハイボールを飲ませてもらったんだけど、完全にハイボールだった。すごい!ノンアル業界完全に来てる。ただわたしはハイボールが飲みたい訳ではないので、ここまで近づけたものは今は別にいらないかな。

 

という生活を送っているので、もうお酒のある生活に戻れる気がしない。酔っ払ってた自分を思い出せない。ウェ~イ!ってしてたの、あれ誰?本当にわたし?

うちの母(酒豪)なんかは、子育て時期は全然飲まなくて、子供が自立したらどんどん酒量上がって今では元に戻ってめちゃくちゃ飲むから、私もそうなるような気がしてる。

マイケル・キスクが好き過ぎる件

【登場人物】

マイケル・キスク:ハロウィンの元ボーカル。通称ミッヒ

カイ・ハンセン:ハロウィンの元ギター。後のキスクの盟友

わたし:こじらせたメタラー

 

行ってきました、HELLOWEEN来日公演。

チケ発売は去年の8月、子は2カ月。行けるのか?諦めるか?

今回の公演は脱退したマイケル・キスクカイ・ハンセンを今回だけ呼び戻して当時の曲を演奏するという、スペシャルな内容のリユニオンツアー。仲違いで去ったキスクがハロウィンで再び歌うのをこの目で見る事は私の悲願中の悲願であり、この機を逃したら一生観れないかも!散々迷ったけど、母と夫に頼み込み観に行って来ました。

 

時は私の高校時代にさかのぼります。メタルの中にも細かくジャンル分けがあるんだけど、北欧メタルほど大仰でなく、NWOBHM(イギリスのメタル)ほど湿っぽくもなく、程よく速い、程よくメロディアスなジャーマンメタルにハマった私は、ハロウィンの名盤「守護神伝Ⅰ」「守護神伝Ⅱ」を穴があくほど聴いていました。キスクの伸びやかで艶のあるハイトーンボイスがドコドコツーバスとピロピロギターに乗っかって、脂の乗りきった本当に良いアルバム。

 

ただ私はハロウィン絶世期はオンタイムではなくて、私がメタル心付いた頃にはカイ・ハンセンはもう居なくて、替わってキスクが主導権を握りその音楽性を大きく変え問題作と言われた「PINK BUBBLES GO APE」「cameleon」の頃。それまでのハロウィンの持ち味を捨てたその2枚は世間では非難轟々、だけど私はなによりキスクのボーカルに魅力を感じていたので、その2枚とも割と気に入ってよく聴いてたんだよね。

 

しかし狂った歯車はもう真っ直ぐには進まない。失敗作と呼ばれるようなアルバムを作ったキスクはなんとハロウィンをクビに。まじか!そしてスタイルの全く違うボーカリスト、アンディ・デリスをボーカルに。まじか!!

全然違うんだよ、ダミ声でポップなアンディ、艶のあるハイトーンのキスク。もちろん音域も違う。歌えるの?アンディに。いやアンディがダメとかそういうんじゃなくて、いいのそれで!?次のアルバムで音楽性も元に戻して、世間的にはあーよかった万々歳な雰囲気だったけど、私の不信感は爆発寸前。

 

そして決まった仙台公演(それまで運悪く来日しても仙台公演が無かった)。あの時のショック今でも忘れられない、なんとアンディはキメ曲の「eagle fly free」を1音下げで歌うではないか!一言で言うなら「ズッコケ~!」ですよ。あの曲は自在に伸びるハイトーンボーカルが魅力の曲、それを音程変えて歌うなんて

 

ちなみに誰も見ないと思うけどこれがオリジナルの「eagle fly free」です。


Eagle Fly Free - Helloween (Michael Kiske)

 

私は新生ハロウィンに大いに失望し、納得出来ない気持ちを便箋4枚くらいにビッシリ綴って当時仙台放送で深夜にやってたメタル番組宛に手紙を書いた程

ちなみにその手紙は番組で特に読まれるでもなく、後日仙台放送のタオルがポンと送られて来ました読んだ人引いただろうな

 

一方マイケルキスクはというと、俺メタル嫌い宣言をしてメタルを離れ、よくわからんつまんないアコースティックな方向へ。いやいや、それミッヒがやらなくてもいいじゃん。ミッヒの声はメタルが一番合うんだよ。ああ、頭の堅い偏屈メタラーと罵って頂いて構わない。私だって好きな服と似合う服が全然違うけど、そこ割り切って似合う服着るじゃん、それが誰しもが幸せになれる道じゃん。。

 

メタルを離れたキスクの活動はみるみる先細りし、ああ、これでもうミッヒが日本に来る事は無い、ミッヒの歌声を生で聴く事は一生無い。私も大学入学でちょうど東京へ行く時期だったし、ハロウィンの事もマイケルキスクの事も忘れ、平穏な日々へ。。

 

そして十数年後。マイケルキスクが「アヴァンタジア」というメタルユニット(ドイツ版渋さ知らズみたいな)へ参加しているというではないの。え?ミッヒが?あんなにメタルが嫌いと言っていたのになぜ?「アヴァンタジア」を立ち上げたトビアス・サメットという若者がミッヒの大ファンで、強烈なラブコールで実現したんだとか。ナイス!その活動でメタル心に火が着いたのか、ミッヒは「UNISONIC」というバンドをカイハンセンと共に結成。やった!すごい!

来日公演で2人で肩組んで演奏する姿にじーんときたよね。アンコールではハロウィンの曲もやって私の切望は果たされた。叶わないと思っていた夢がその時叶ったの

 

そして話は戻ってハロウィンですよ。ケンカ別れしたキスクと、黄金期のメンバーだったカイが戻る、奇跡のような出来事が現実に

そういえば私が高校生だった頃ボーカルが脱退したバンド、ジューダス、モトリー、ハロウィン、メイデン、全部今はボーカル戻ってるんだな。すごい事だな。

 

ハイトーンのボーカリストは歳取ると声が出なくなってライブで幻滅させられるパターンがよくあるけど、ミッヒは活動にブランクがあったおかげで全く劣化がない、なんという皮肉。。原曲キーの「eagle fly free」が遂に生で聴けるなんて

今じゃなければ多分ドイツまで遠征してたな。もう心残りはありませんが今は死ねないのでつつましやかに暮らします。去年からずっと家でハロウィンばっかり聴いてるけど、TV局へしみったれた手紙を書くようなメタラーが育ちませんように・・。

さやんは健康体を取り戻した

出産から2ヶ月経ちました。

出産の記憶が強烈過ぎて、入院中の1週間はフワフワ夢のようだった。その後都内のばあちゃん家に親を呼んで擬似里帰りして、1ヶ月家に閉じこもって家事もせず子供の世話だけしてまるで天国、つまり1ヶ月と1週間は別な世界に居た気分で、家に帰ってやっと現実に戻ってきた気がします。

 

思えば妊娠中は本当に辛かった。最初から最後まで、総じて具合が悪かったよ。地獄のようなつわり、それが終わったら貧血、お腹が大きくなるにつれどんどん胃が上がって胃痛と胸焼け、めまい、全身のだるさ、足の付け根痛は日に日に増して歩くのも辛い。 

そんな日々に比べたら、産みさえすればこっちのもの。それまでお腹を気遣って食生活や重いもの持たなかったり気を付けてたけど、私単体であればそんなの必要ないんです。そもそもがウルトラスーパー健康体なので、産んだらウソのように身体がスッキリして、主治医にも「回復早いですね」と言われ、そしたらちょっとやそっと寝不足や疲れが溜まったくらいでメンタルもやられない。病院も行政も、出産したお母さんのメンタルをものすごく心配してくるけど、自分は全然平気です。

 

しかし私の身体はすっかり元気なのに、赤ちゃん抱いてると妊娠中と同じように階段の手すりにつかまりたいし、歩くのはゆっくりだし、優先席に座る権利を有するし、席を譲ってもらえる。というか皆あからさまに道を空けてくれたり、電車乗った瞬間飛び跳ねるように席を譲ってくれるし、スーパーでは品物を台まで運んでくれるどころか袋に詰めるのまでやってくれるではないか

おい~!!そんなの、妊娠中もしてもらった事無いぞ!どうせ優しくしてくれるなら、体調の悪い妊娠中にして欲しかったよ私は今は元気なんよお腹出てても全然席譲られなくて「都会は冷たい」なんて思ってたのにさ。

 

あと、産む前に「赤ちゃん服、淡い色しかないの辛い」と思って私好みのドギツイ色や柄の赤ちゃん服を必死にこさえていたけど

産んで分かった事:赤ちゃんにはドギツイ色や柄は似合わない

淡い色しかないのは理由があった、単純に、似合うからなんだな。産むまで全然気づかなかった。あんなに「くまとかうさぎとかいらんわ~」と思ってたけど、今では「くまちゃんかわいい!うさぎちゃんかわいい!」って喜んで着せてる。んで作った服はお蔵入りと化しているもうちょっと大きくなったら着せてみようかな。

 

あと、私は元々子供が苦手だけど自分の子供はもちろん別格、なのできっと「うちの子がイチバンカワイイ!ふんぬ!」ってなるのかと思ってたら、子供産んだらよその子供もメッチャカワイイし、愛おしく思える。不思議

経験した事しか理解出来ない人にはなりたくないけど、経験したら分かった事が山のようにある。新しく分かることや覚えることがどんどん増える毎日はとても楽しいです。

【2017年12月の日記】迫る、X-DAY。

いつもいつも、人と同じは嫌だ。型にハマる人生なんてまっぴらごめんだ。などと中二みたいな事言いながら生きてきたけど。(今は大人になったのでそこまでは思わないけど、自分の根底にそういう考えはある)その日は刻々と迫っている訳で。

やってるよ、日々。母親学級行ったり。保育園情報集めたり。マタニティヨガ行ったり。その度に、「ああ、わたしレールに乗ったフツーの人生歩んでいる」と愕然とするんだけど。この先の事、ママ友とか、保活とか、そういうの考えると鳥肌が立つんだけど…
出来るの?わたしに?ほんとうに?
 
そしてもう一つ避けて通れない道。
そう、西松屋です。
 
つわり終わったくらいにまず下見でためしに行ってみたんですよ。何売ってるのかなーって。
そしたら…
あまりにも異世界過ぎて…
わたしは本当に子供を産むのか、このホワホワの世界でやっていけるのか、わたしはなぜ、こんなところにいるのか…。めまいがして、手足がガクガク震え、大して何も見ずに逃げるように帰って来た。
いやマジで。
 
逃げてないでもうベビー用品揃えないといけないので、何度か足を運んでるんだけど。やっぱり慣れないね。あの雰囲気。
あと赤ちゃん用のものって総じて淡い色なの、なんで?原色や蛍光色はダメなの?何かそういう決まりごとでもあるの?赤ちゃんなんだから、派手なもの着せてよくない?赤ちゃんこそ、志茂田景樹とか昔の篠原ともえみたいなカッコさせていいんじゃないの?ダメなの?
 
元々かわいらしいものって好きじゃないし、売ってるベビー用品の色と柄、とにかくキツイ。色の選択肢がピンクか水色の二択しかないのも辛いし、くまちゃん!うさぎさん!あとひよこちゃん!以上!みたいな。。
せっかくなんだから私の気に入ったもの着せたいのに、総じて気にいるものがない。全然ない。じゃあせめて、せめて無地で頼むよ…そのダセエワンポイント刺繍要らないよ…。
なのでいつもの「無いなら自作する」精神でセッセとこさえている。

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自分で言うけどかわいくない??攻め柄赤ちゃんグッズ。
 
ちなみに、これは高身長あるあるらしいんだけど、お腹全然出ない。身体全体の比率からすると、ってことですよね。人ごみで妊婦だって全然気付かれない。危険。臨月なのに妊婦感出ないこのさりげなさ!少しは労られたかったよ。。

【2017年9月の日記】キャリアが分断されるということ

なんだかんだで産休まで会社休むことになりました。

結局体調がなかなか安定しないので、復帰しても急に休んだり早退したり…ってのが続くなら自分的にも業務的にもよろしくないねってことで。
 
つわり終わったら復帰する気満々だったけど、結局つわりは2ヶ月近く続き、安定期差し掛かっても体調は一進一退。休みが長引けば長引くほど焦る気持ちは大きくなるばかり。毎夜リアルな仕事の夢を見るようになって。このままだと流石の私もメンタルやばい、、いつ仕事戻れるかなあとやきもきしていた所で、このまま休むというのは青天の霹靂。
おそらく自分の性格上、この後体調が良くなったら「元気なのに仕事休んでる自分」に物凄く自己嫌悪するのではないか。周りの人に相談したり上司にも何回も連絡して今の気持ちを伝えたけど…悩んだ所で、何が一番大切かを考えたら答えは一つしかない訳で。
なので、会社がせっかく休んでいいよって言ってくれてるんだからありがたくお言葉に甘える事にしました。
 
育休と合わせると1年半近く休む事になる。そんなに…風化せずにいられるの…わたし!
それで、毎日家に居るんだけど、仕事してないと社会との接点が無くなる感がすごい。
社会との接点がテレビしかなくなる。怖い!FB見ると皆飲んだりイベント行ったりウェイ〜!してる写真が次々上がる。前はわたしもこの中に居たのに…取り残されている。
 
異動して初めて持った私の仕事も、引き継ぎなく突然手放すことになって…
これは筆舌に尽くしがたい辛さですよ。本部長が異動して初だからって、わりと大きいのを持たせてくれたんですよ。このチャンスを生かさずに手放すなんて…
じゃあその後一年半もブランク明けて、復帰したからって、そこからは育児と同時進行だし、築き上げてきたもの取り戻せるのかな。復帰してもまずは時短だし、熱出したとかなんやらで急に帰らないといけなくなったりするんでしょ?そんな人に上司も大きい仕事任せられなくなるんじゃないの?それを凌駕する倍の努力が、はたして育児と両立して出来るのか?
 
ウアーーーー!!!
ウアアアーーーーーー!!!!!
 
結婚した時に社会との関わり方を大いに考えさせられたけど、妊娠も同じくですね。。わたし仕事好きだし、頑張って働いてたら、いきなり別な役割をポンと渡されたようで…
 
何かしらの形でどうにか社会にジョインしないと精神的にやばいので、じゃあ家で英語の勉強しようとか、積んどいた本読もうとか思うんだけど、体調が毎日良い訳じゃないのでなんとも…単発の仕事とか在宅ワークも一瞬考えたけど、働いちゃうとお休み頂いた意味がないのでナシ。
 
精神衛生上よろしくないので今は仕事からは徹底的に距離を置くようにしている。
とは言っても完全に遮断する事は出来ないし、毎日SNSをチェックしてると自分が休むまで手掛けてたやつと、異動前に担当してたメッチャ大変なやつは、秋〜年末にかけて大いに稼働するので、うっかり関連ニュースを目にしちゃって「これ!わたし〜!わたしがやってたの〜!!」と身が引きちぎられそうな気分に…。
 
でも、幸か不幸か分からないけど、飲み会とかライブとかワイワイした場所には、行きたいという気持ち自体が何故かなくなった。このわたしが…!安定期だし全然行っていいんだけど、ちょっと出歩くだけで驚異的に疲れるのと、すぐ貧血起こしてしまうので、何も無ければいいけど何かあった時に対処できない。この「何かあったら」という発想が、今まで自分の中には無かったのでビックリしてる。今までは無茶しても何とかなってきた人生だったナァ。。身体の本能がそうさせているのか。
 
それで「自分の身体が変わっている」って実感が湧いて、焦る気持ちもだんだん小さくなってきてはいる。
これ、ずっと最初の気持ちのままだったら精神崩壊するだろうな。。人間の身体は良く出来てるなって思ってます。このまま母の気持ちにシフトチェンジ出来るのか…まったく予想つかないけど、もう少し様子を見てみます。