夏の終わり
さて、ナツいアツが終わり、季節は秋へと移ろうとしています。
みなさんは夏を満喫されましたか?
私は全くしておりません。
というのも、"金欠"。この一言に尽きます。
今のご時世、お金がなくてはなにもできません。
学生という身分である以上これは"宿命"とも言えますが、この言葉で表現できるほど単純なことであるかと言うと、そうではありません。
この問題には私の明確な意思が介在しております。
私自身浪費癖というものはなく、わりと倹約家と呼べる方だと自負しております。
では何故このような緊急事態に陥ったかというと、それは"大きな浪費"をしでかしてしまったからです。
先ほども言ったように浪費癖はないですが、一度で大きな額を消費してしまうようなことがあれば当然お金はなくなります。
包み隠さず話すとその浪費というのは、あるソシャゲへの課金です。
ソシャゲへの課金というものは恐ろしいですね。一瞬で金が吹き飛びました。
課金額は伏せますが、月何十万も課金するやつは正直馬鹿だと思います。
馬鹿だとは言いましたが、ほどほどなら別にいいと思います。
私もかれこれ5、6年以上ソシャゲをプレイしている身ですから、これでしか得られない充足感、優越感があるのは認めます。
しかし、この感覚は残念ながら無課金ではほとんど得ることはできません。
これにはソシャゲの真髄とも呼べるある要素が絡んできます。
そう、それはまさに悪魔の所業、邪悪な課金システム"ガチャ"です。
プレイヤーはリアルマネーを突っ込み、その見返りとしてキャラクターや武器を得ます。
キャラクターや武器はそのレアリティに応じて排出確率が設定されており、当然レアリティが高いものほど出にくくなっているのです。
このシステムは宝くじによく似ていますが、あちらと違うのは"最高レアリティの排出確率"でしょう。
ソシャゲのそれは最高レアリティの中で特定のキャラクターを狙うとしても精々0.1%程度。
対して一般的な宝くじのそれは1000万分の一程度(0.0000001%)です。
で、これを比較して何が言いたいかと言うとガチャの方がまだ現実的だということ。
よくツイッターで"100回まわしても○○出ない"とか喚いている輩がいますが、気合いが足りてないだけです。もう少し頑張ればでます。
さて、先ほどソシャゲの最高レアリティの排出確率は特定のキャラクターを狙うとして"0.1%"程度と言いましたが、この"0.1%"という値がまた絶妙なんですよね。
簡単ではないけれども現実的な範囲であるということ。
そして簡単ではないが故に出たときの喜びは何物にも代え難いものであるということ。
この二つを満たしているからこそ人は何万も注ぎ込んでしまうんでしょうね。
まあ、この喜びが得られるのは飽くまで"当たり"を引けたときだけなんですけどね、初見さん。
当たりを引けば当然"浪費"にはならないわけです。
で、私の課金した結果はどうだったのか…
言わなくてもわかると思います。
(なんでYO!…4万も課金したのに何ひとつ当たらないんだよコンチクショオオオオオオオ↑↑↑オオオオオオオオオ↓↓↓)
ソシャゲへ課金することは当分なさそうです。
ガイジかな、あれ
今日ここで綴っていくことは障害者に対して非常に差別的なものであり、万人ウケするものではない。苦手な方や不快に思った方はすぐにブラウザの戻るボタンないしは×ボタンを押されたし。
・・・さて、まじうざい偽善者共が立ち去ったところで話を進めていくとしよう。
改めて、今日私がここで綴っていくことは先天的な知的障害者(以下"ガイジ"とする)についてである。
まず、ガイジが望まれぬ子なのはいうまでもない。ガイジの親にはおかしな人が多いが、彼らとて最初からおかしかったワケではない。健やかな身体で生まれてくることを"望んで"いたからこそ、未知のものに対する本能的恐怖を捨ててまで自分の子が"普通"であるという幻覚に囚われてしまっているのだ。
それ故に彼らの一部は自らの子を"天使"と呼ぶ。我々にとっては怪物のようなものとしか受け取れないが。
ホラーや猟奇好きならリョウメンスクナというものを聞いたことがある人も多いだろう。2つの顔を持つ赤子の様な姿をした、人間として生まれられなかったなにか。(その姿については諸説ある故比較的一般的な説に基づくものを記す。)
今でこそ生まれたら即刻殺処分不可避だが、昔はそういった未知のモノに対して超自然的なスピリチュアリズムを感じる人が多かったという。もしかしたらガイジの親というのは、 自らの子を不幸な処遇を救う一縷の望みとして神と重ね合わせて見ているのかもしれない。
ここまで読んだだけでは「かわいそうな親だ」くらいにしか思わないだろう。ここからはガイジの親の害悪性について語っていく。
ガイジの害悪性については言うまでもないだろう。
電車内でブツブツと独り言を言ったり、急に大声を上げたり、突然殴りかかってきたり、、、
その行動は多種多様予測不可能であり、天災にさえ匹敵すると私は考えている。
ここで、私がこの前実際に遭遇した天災にさえ匹敵するレベルのガイジの話をしよう。
大学から帰る途中のこと、私はいつも通り改札を通り、ホームで帰りの電車を待っていた。
電車に乗るときはまず扉の前に並び、扉が開いてもすぐには乗らず、車内の降りる人が全員降り切ってから乗る。
文章にすると長ったらしく感じるが、この一連の流れは老若男女問わず、余程のやべーやつじゃない限りは守るだろうし、容易いことだ。
だが、このとき遭遇したガイジはあろうことか列に並ぶこともせず、扉が開くのと同時に車内に侵入したのである。その様相は恐ろしいもので、火傷を負ったような肌に醜い顔(心なしかsyamu_gameに似ていた気がする)で、千鳥足のような動作で近づいて来たかと思えば開扉の動きに合わせて障子を開けるように手を動かし乗っていった。
その空間だけまるでこの世ではないような、そんな異質な感覚に包まれていた。
…我に帰ると周囲の人間が悪態をついているのが聞こえた。無理もないだろう。日々の疲れに打ちひしがられる我々を差し置いて、電車の席を取っていたのだから。
そいつの方の席は空いていたが、私は座るのはやめた。
さて、これは私が実体験した紛れも無い事実であるが、一体誰が悪いのだろうか。こう問われれば、ガイジが悪いと答える人が多いかもしれない。しかし、責任があるのは誰だ、と問われれば答えが変わってくるだろう。
…そう、悪いのはガイジの親である。罪状を付けるとするならば、"危険動物の放し飼い"であろう。
この世に生まれるべきではなかったガイジを社会に放出した以上、親には監督責任が生まれ、それが犯した罪については親が責任を取ることになっている。だが、その責任とは非常に些細なもので、精々罰金程度だろう。
当の本人に関しては"責任能力の欠如"によって大幅に減刑される。(私は、これによって酒飲みや薬物中毒者が減刑されるのを良しとしない人間であるが、それについて語るのはまたの機会とする。)
あまりにも理不尽ではないだろうか。私はガイジのことを人間だと思っていない。というのも、人間を人間たらしめるのに必要な理性が欠如しているからである。ガイジは動物に等しい、それも人間に害を及ぼす危険な…。
人間未満の存在でありながら、犯した罪は軽くなる。私が体験したことはまだ生易しいどころか犯罪とすら認められていないが、これは殺人や性犯罪に関しても同様だ。"責任能力の欠如"とは便利な言葉だ。
私は、ガイジを我々が生きる社会に放つべきではないと考えている。その後のリスクが大きすぎる。
まず、親の被るリスクだ。彼らの老後の生活はどうなるのか。年金が少なくなるどころか支払われるかどうかもわからない今、誰に養ってもらうというのか。自分の子供だろう。だが、ガイジが稼げる金なんてたかが知れてる。そもそも、彼らが作ったものなんて使いたいと思わないし、食べたいと思わない。不衛生極まりない。他人の握ったおにぎりを食べることができない私にとってはハードルが高すぎる(サランラップを使っているなら可)。そして、大学には行かないといってもその後施設で身分を管理し、色々とやり繰りしてもらうのにも金がかかりすぎる。
次に、ガイジを見る周囲の目だ。あの家にガイジがいるとかあのガイジはヤバいとかいうのはすぐに広まる。 噂とは恐ろしい。偽善からくる憐れみから表では近所付き合いの体で接してくれるかもしれないが、完全に心を開いてくれることは金輪際なくなるだろう。
そして、ガイジが起こす犯罪。これは親が被るリスクではなく、社会の人間が無差別に被るリスクだ。通り魔やハイジャック、テロに合うリスクと同様に、いつ起こるかわからずその規模も予測できない。ガイジが社会に出るということは、少なからず我々の身体が危険に晒される確率が上がるということだ。
これらの解決策として最も効果的なものとして挙げられるのは、ガイジと判明したその瞬間に人権を剥奪することだ。これが一番手っ取り早いが、残念ながら今の平和希求社会では認められていない。
しかし、今や世界は21世紀最大の危機的状況に瀕していると言える。資源枯渇、食糧不足、北朝鮮の黒電話…
不穏要素が蔓延するこのご時世、彼らにやるものなど何一つないのだ。
いつか害ある世界の穀潰しが社会に出てこない未来が訪れることを切に望む。
しまつなそとは。
しまつなそ?しまなっそ?しまなそ?しまなつ?
なんか変な名前してるやつだなと思ったそこのあなた、今日はしまつなそとは何なのか徹底的に解説しちゃうぞ。
まず、しまつなそは漢字で"縞綱麻"と書きます。ブログの名前にも使われていますね。
さっそくググったせっかちなホモや博識な紳士はお気づきかもしれませんが、これは野菜の名前です。
では、何の野菜なのでしょうか。
ヒントは緑色でネバネバしたアレです。オクラじゃないです。もっと葉っぱみたいなやつです。
・・・そう!正解はモロヘイヤ!聞いたことありますよね?
生だとこんな感じ。
縞綱麻(しまつなそ)とはモロヘイヤの和名なのでした!
じゃあモロヘイヤは何語なのって話ですが、これ実はエジプト語なんです。
パンとかカッパとかポルトガル語発祥の言葉はいくつかありますが、エジプト語発祥というのはあまり聞きませんね。
遠く離れた日本までもがエジプト語を使っているということは、エジプトで流行り、アジアの国々を経由して日本に伝わってきたということになります。
では、なぜエジプトで流行ったのか。
おもしろい話があります。
遡ること2000年前。
エジプト王がどんな薬を飲んでも治らない重病にかかったことがありました。
何をしてもダメで、もう後は死を待つばかり。
諦めかけていたその時、モロヘイヤのスープを飲んだところたちまち病気が治ったのです!
それからモロヘイヤは"王家の野菜"として親しまれることになったのです・・・
あのクレオパトラも愛していたというこの野菜、その栄養価の高さから"野菜の王様"なんて呼ばれたりもしています。
カラダの抵抗力を高めるβ-カロテン、疲労回復に役立つビタミンB1、B2などを豊富に含み、ネバネバのもとであるムチンは胃壁を保護し、食欲不振や消化不良を改善してくれます。
これから暑くなるこの季節、夏バテ対策として食べるといいですよ!
オーソドックスにおひたしでもいいですし、スープにしたら王家気分が味わえるかも笑
ということでね、長くなりましたがこの変で失礼させていただきます。
最後まで読んでくれてありがとーーーーフラッーーーーーーシュ!!!!
ブログ始めました・。・
前々から始めようと思ってたブログを遂に始めるときがきたよ。
気が向いたときに更新するからよろしくね・。^