「青木さん家の奥さん」の歪んだ笑い
「リチャの体がレイシストの笑いに使われている」
「衣装の意図を聞かれたら何と答えるつもりだったのか」
「リチャの身体的特徴への『イジり』は、彼の魅力、能力、積み上げた努力に対する侮辱だと思った」
「差別であり、暴力的である」
「『ウケる人にはウケる』『流してよいこと』という認識では甘すぎる」
2020年1月22日に東京グローブ座にて開幕された「青木さん家の奥さん」。
関西ジャニーズJr.の4人(なにわ男子の藤原丈一郎くん、大橋和也くん、Aぇ!groupの草間リチャード敬太くん、末澤誠也くん)が出演し、関ジャニ∞の横山裕さんが演出を手掛けたことで話題になりました。
最近の関西Jr.のめざましい活動によって、(特に丈橋が務める「あすかな」…バーチャルジャニーズプロジェクトの海堂飛鳥と苺谷星空のコンビ名…の活動)関ジュを応援するファンの方々の層がぐっと広がりました。
この舞台はこれまでと違った客層であったと言えます。その結果、初めに書いたような批判の声を目にしました。
これまでの客層、つまり観客全員が関西のジャニーズの空気に染まった人々であったなら、おそらくここまで批判の声は出なかったでしょう。
推しのために、推しの未来のために、そして私たちのために苦言を呈された方々の文章を読んで愕然としました。
私は心当たりすらも浮かばなかった人間でしたから。
思ったこと、感じたこと、わかったことを、率直に書くことにします。
わからないことについても書きたい。そして、教えてほしいです。自らの無知を晒す見苦しい文章になってしまうと思いますが、どうかお許しください。
最大限の配慮を持って書き進めていきます。どうぞ最後までよろしくお願い致します。
リチャの民族衣装。
正直、何が問題なのか全く分からなかった。
「横山さんのエール」だと認識していたから。
末にホスト風の衣装を着せたのと何ら変わらないことだと思っていたからです。
「最も目立つ個性、最も使いやすい個性を強調する衣装」を着せることが「面白いこと」をする上で助けになると思ったのだろう。数ある強みの中でその個性を「売り」にして、強調して、お客さんをいっぱい楽しませてほしい。
横山さんはそう思ったのだろうと推測します。
例えば斗亜くんにヒラヒラした優雅なかわいい衣装をあてがうのと同じ、斗亜がその衣装で「Lil Miracle」を歌って踊ることであの子自身のかわいさが強調されるのと同じ、同じような考え。同じように考えた。私はリチャの肌の色を同じように考えていた。きっと横山さんも。その問題に初めて気がついた。
私は関ジャニ∞のファンでした。
青春時代を関ジャニ∞と共に送ったからなのか、そうでないのかはわかりませんが、横山さんの感覚が普通だと思っていた。
使えるものは使ったほうがいい。
笑ってもらってナンボ。
関ジャニ∞の笑いの根幹はこれです。
彼らはこれまでロケをたくさんしてきたのだけど、「人気のケーキ屋さんに行って食レポをする」みたいなものは少なかった。それなりの出来を確約されたものがあらかじめ用意されるロケは少なかった。一流の芸人さんやタレントの方が必ず隣にいるわけではなかった。自分たちだけで、何の変哲もない商店街や市場に繰り出した。だから見た目からは想像つかないようなギャップを探す。対話して、目で見て。変哲を見つける。一見すると普通のオバちゃんやオジちゃんも見逃さない。お姉さんもお兄さんも子どもも。
「古本屋の店主(76)が実は世界射撃選手権で優勝したことがある」とか、そういうの欲しがります。表彰メダル、当時の写真、ご家族は何て言うてはったの…お話聞けますか…って広げていく。ギャップを探して殊更に強調させるお笑いが得意です。その場にいない人の名前だって使うし、おちょくったりサゲたりもする。自分のことも躊躇なく使う、だから「誰かが傷つくかもしれないことは言うな、するな」という忠告にピンとこない。なぜなら自分は気にしてないから。気にしていられないと思ってるから。自分のことが嫌いとか相手のことが嫌いとか、そういう思いで言っていないから。こう言うほうが面白くなるだろう、盛り上がるだろう、見てる人が楽しい気持ちになってくれるだろうという思いだけで言っているから。
でもそれは「面白ければ何でもいい」というひどく時代遅れな態度だと言えるのかもしれない。
「『ずれているとされること』を馬鹿にして笑う」邪悪なお笑いだと言えるのかもしれない。
「私の『面白いこと』は誰かを傷つけるもの」という事実に驚愕しました。
何の違和感もなく受け入れてしまえていた自分。問題がないか立ち止まって考えることのなかった自分。考えなくてはならないと気づくことすらできなかった自分。心底恥じています。
けれども、
けれども、まだピンときていないのも本当です。
リチャのことが大好き。
きっと横山さんもリチャのことが大好き。
だから「侮辱」になるだなんて思わなかった。
「侮辱」と受け取られることを想像できなかった。
「侮辱」と受け取られる行為だと分からなかった。
だけれども現実問題として私はリチャを侮辱していた。
そんなことってあるのか。
「リチャだけが起こせる爆笑」というものが存在します。
「黒い肌のリチャが、口開いたらめっちゃ関西弁」
「黒い肌のリチャが、『嫌いな食べ物はハンバーガー、好きな食べ物は千枚漬け』『英語しゃべれない』『出身は京都』などと言う」
(「黒い肌だけど日本人のリチャが、ネイティブっぽく英単語を言う」もある。)
何回でも私たちはそのギャップにお腹がよじれるほど笑うし、Jr.のみんなも盛り上がる。「それズルいわー!」って言いながら。「こんなん絶対おもろいもん!」って。私も「これができるリチャ強すぎるわ!」と思ってた。
みんなが「目立つ個性」「使いやすい個性」を探して、磨いて、MCや先輩にアピールして、触れてもらって、なんとか印象に残ろうとしている。そんな中で話の巧さに加えてそんな強烈なギャップがあるリチャは無敵だ、と。ご存知のように関西のジャニーズは「笑い」もパフォーマンスのひとつで、歌、ダンス、表現力、華、観客を巻き込む力、通る声などと肩を並べて評価の対象になりがちです。私たちにとって、リチャの容姿は大きな大きなアドバンテージでした。
丈が作るコントでもリチャの存在は必要不可欠で、なぜなら話の巧さや間の取り方が丈と龍太と絶妙にマッチしていることに加えてリチャにしかできない役があるから。例えば片言の留学生役は日本語を聞き間違えることで物語をとんでもない方向へ展開させたり、日本語を言い間違えたように見せかけた悪口は暴力的にならずむしろマイルドになる、ツッコミやすく笑いやすい。しかも何回でも天丼できる。
そう思っていた。私は。「リチャ自身が売りにしている」とまで思っていたのだ。
番組の抱負を聞かれて「やっぱアメリカを変えていきたいと思いますね」と言って爆笑をさらったことがありました。それすごく笑ったんですよ私。「トランプさんとオバマさんを足したみたいな」(当時金髪)と続けるから、このネタは練ったやつだ…!と手を叩いて笑いました。すかさず丈が「よっ!プレジデント!」と合いの手を入れて場が落ち着く。ほんまおもろいなあ。
と思った。
流星の「勢いは西から、愛は大西から」のような完成度の高いキャッチフレーズでなくとも、リチャは「秋刀魚の開き上手に食べれます」「散歩が趣味です」「京都生まれ京都育ちです」何でも成り立つ。日本人らしさを誇張するだけで連続した笑いを何度でも起こせる。優馬コンで「何を言ってもギャップが生まれる」と褒められていた。そうだ、私はそれを褒め言葉だと思った。
リチャの容姿と内面とのギャップが笑いになることは「普通」で「何の問題もないこと」と思っていました。
むしろ容姿が彼の強みのひとつだと思っていた。
リチャがめっちゃ日本人なのも、パフォーマーとして全ての面で素晴らしいことも、私たちは理解していた。理解していることがリチャに伝わっているとも思っていた。リチャや世の中の当事者の方々が嫌な思いをするかもしれないことが想像できなかった。
私たちオタクとJr.にはリチャの容姿に対してマイナスな気持ちが全くないから、侮辱と受け取られる可能性など思いもよらなかった。だからこそためらいなくイジった。笑った。求めた。
(マイナスな気持ち=貶す気持ち、馬鹿にする気持ち、除け者にする気持ち、自分と違うものをおかしいとする気持ちなど。差は意識していた。でも不利益な扱いや不平等な扱いをしようという「差別」の気持ちは微塵もなかった。リチャは肌が黒い、と言葉にして浮かべたことがなかったのだこのブログを書くまでは。あの批判を目にするまでは。リチャを見れば「リチャ」と思う。「この見た目で〇〇」と散々擦ってはきたが、なんか…なんて言ったらいいの…私は157センチ、私は4人家族、それと同じことだった、リチャの肌が黒いのは。…何が言いたいかというと、リチャの扱いを批判する人こそが、リチャを見た時に「肌が黒い」と思っているのではないのか?とまで思った。)
「ハンバーガー嫌いは嘘。
爆ウケするからやめられなかった。」
きっとあの言葉こそが本当なんだ。
「この見た目で〇〇」を話すことが間違っていた。
容姿に触れることが間違っていた。
容姿と内面にギャップはある。それは事実だと思う。だってリチャを見ていきなり日本語で話しかけない。様子を窺う。英語?フランス語?ドイツ語?イタリア語?スペイン語?ポルトガル語?ロシア語?…日本語だとは思わない。それは事実だと思う。
でもギャップにわざわざ触れる必要はなかった。
「わざわざ触れる」とも思ったことのないこの認識が甘かった。
容姿の話題に触れる必要などなかった。
「容姿を意識すること」が既にいけなかった。
いや。
まさか、容姿と内面との「ギャップ」を感じること自体が間違っているのか?
それを口にすることが悪であるのか。
ここまで来てしまうともう「人種」に限った話ではないだろう。「センシティブな問題」についてはどれもそうなのだろう。それは知っている。容姿や性別や…そういったものは扱いに注意が必要だと。その括りのなかで「普通とされていること」と「ずれている」と言うのは悪だと。「当事者である誰かが傷つくかもしれないから」だと、私は聞いた。そもそも「普通」を人に当てはめる思考が間違っていて、「〜らしい」「〜っぽい」という褒め方、例えば女の子らしいとか女の子っぽいとかそういう言葉はおかしいのだと。
その時はその通りだと思った。
でも、今はわからなくなった。
「普通か普通じゃないか」という観点で評価するのは理不尽だから悪。その考えに賛成だ。「普通は〇〇」という言葉を使うのはそういった配慮に欠ける人。その考えにも賛成、だった。でももう分からない。大好きな人を知らないうちに侮辱していたことを知って混乱している。
だったら「関西人なのに」とか「関西人らしい」という言葉も悪ではないのか。「関西人」は「センシティブな問題」ではないから関係ないのか?「関西人とは」というイメージと「ずれている」意味で使っていることは同じだが。それとも「当事者である誰かが傷つくかもしれないから言うべきでない」のか。「ほんま京都人やわそういうとこ(笑)」とよく言う。「京都人やからあんたら大阪人とは違いますねんで感」を出す人に言う。けれどもそれを聞いた別の京都人の誰かが傷つくかもしれないから、言うべきでないのか。思うべきでないのか。侮辱の意味を持って言っていなくても。侮辱の意味を持って言おうが持たずに言おうが、侮辱だと受け取られる危険性を孕んだ言葉だから言ってはならない、のか。
お隣の芸術一家のA家の長男坊が物理学者になったので「A家の異端児だ」と言う。これはどうか。異端児という言葉自体は褒め言葉だがマイナスな意味の時もあり、ずれていることを表すために使っているから言うべきでないのか。「『すごいね』で十分だ」と非難されるのか。
「巨漢の方がめっちゃ高い声で話す」「ご高齢の方が50メートルを8秒台で走った」そういったことを面白いと思うのはどうか。侮辱の意味を持って笑っておらず、むしろその人のことを大好きになって笑っている。なんと強烈な愛らしさなんだろうと実のところ羨望して笑っている。でも相手や周囲が否定的に受け取る可能性があるから面白いと思うべきでないのか。侮辱する気持ちがないといえどその危険性を孕んでいるから「高い声が聞き取りやすいですね」「足が速いですね」と当たり障りなく褒めるべきなのか。
私が言いたいことは、
触れていいことと触れてはいけないこと、同じ「ギャップ」だけど「面白い」としていいことと「面白い」としてはならないことがある。その難しさだ。
今書き連ねたようなこと(人の些細な言葉や意識を正すこと)をしたら「そこまでやらなくても…」と言われるだろう。でも、そこってどこ。誰が決めた。敏感な人はどこまで気にしているのか言ってくれ。どこまでを問題視するのだ。それは誰かが決めたものに乗っかってるだけじゃないのか。そう問い詰めたい。これが正直な今の気持ちだ。
「センシティブな問題」。
センシティブって、どこから?
誰も傷つけない笑いって、何?
私には分かりません。
私とあなた、私とあの子、あなたとあの子、あの子とあの子…全員が友達で理解し合っていようが「その言葉は適切じゃない」「その問題に触れるべきじゃない」とどこかの誰かは言うのではないか。「意識の低さ」が問題だから、と絶対的に正しそうな顔で言うのだ。
分かっている。今回のことはそんな小さな世界で起こったことではない。民族衣装に関しては長い歴史やさまざまな国が関わっている、迂闊だった。それは理解した。今書いたのは態度の話だ。
話せることがなくなっていくと思った。
もう何も話せる気がしない。
言葉に気を使ってきたつもりでした。相手や周囲に誤解を生まないよう、話す前にきちんと考えられる人間だと思っていた。
でもその考え自体が間違った基準のもと行われていると知って、話せなくなった。
だって、いつも笑ってたじゃないか…だって、だって、楽しそうだったじゃないか、リチャ。
でも違った。あれらは全て不快なものだったんだ。疑いようのないことだ。間違っていたのだ。リチャだって内心嫌だったに違いないのだろう。私はずっとずっとずっとずっとずっとリチャを侮辱していたのだから。
分からない。いや、分かっている。理解できたと思う。でもやっぱり分からない。
私はリチャが大好きだ。
話の巧さも、オシャレでかっこいいダンスも、丈と龍太との漫才も、おしとやかな笑い方も、単純に顔がかわいいのも、好き嫌いがはっきりしてるのも、隠れツンデレなのも、目の下のほくろも、長い睫毛も、大きな目も、もこもこの羊のような髪も、黒い肌も大好きだぞ。おいしそうだとすら思う。斗亜のもちもちほっぺと何ら変わらずそう思っている。
でも、そうか。
私は侮辱していたのだ。
どうしようもなく無知だから。
この話は自覚から始まる。
改めようと思った。
でも、どうしたらいいんだろう。