ジャニーズアンチがジャニオタになるまで①
幼稚園から社会人1年目まで、ハロオタだった。
私の世代は、幼少期、みんなモーニング娘。をはじめ、ミニモニ。とか大好きだったはず。
ただ、周りはどんどん興味が薄れていくなか、ずっと好きだったというだけ。
めちゃくちゃ推し変はしていたけども。
そんな私も今では完全なジャニオタ。
その変遷について、今回は語らせてください。
小学生の頃の私は、NEWSがデビューしたら、内くんかっこいいなって思ってたし、ごくせんが始まれば、友達と亀派か仁派かで盛り上がる日々。
圧倒的に仁派だった、顔が良い。
まだジャニーズに対して好感を持っていた。
とはいえ、「ジャニーズ」として認識してたわけじゃなかった。
周りの友達にも、所謂ジャニーズオタクはいなかった。
中学生から大学3回生まで、ジャニーズアンチというか、ジャニオタアンチだったのですが、その話の前に…
今の私の担当は、Hey!Say!JUMPの八乙女光くんです。
わりかし重めの愛を捧げています。
そして、私がアンチになったきっかけもHey!Say!JUMPでした。
中学1年生のとき、Hey!Say!JUMPがデビューしました。
当時、ドラマにも出たり、かなりの話題でしたよね。
中島裕翔くん顔がいいなって思ってました。
今でも、裕翔くんの顔が一番好き。
が、Hey!Say!JUMPの人気に比例して、周りに溢れてくるヤバイオタクたち。
というか、これまで普通の人だった友達が、Hey!Say!JUMPに出会い、どんどんヤバくなっていった。
当時の過激なオタク達に影響されてか、中学生の幼さも手伝って、非常識な行動が目に余った。
ジャニーズは、恋は、人を狂わせる。
狂った方向が少し良くない方向だったのかなと、今は思える。
でも、中学生当時は受け付けられなかった。
友達とは距離を置くようになってしまった。
そうして、なんとなーーーくジャニオタに苦手意識を持つようになりました。
それとともに、男で化粧してキラキラした衣装、甘い恋愛ソングを歌って踊るジャニーズのことも、少し斜に構えて見てしまうように。
もっといえば、某℃-uteメンのこともあり、ジャニーズは悪の組織かと思っていた。
ていうか、中学生の頃は思春期こじらせて、男が苦手だったのもあるのかな。
佐藤健めちゃくちゃ好きだったけど。
そして、そのまま大学4年の6月まで、それが続くのです。
文章書くの苦手すぎてやばい。
伝えたいこと、分かりやすくテンポ良く書けない。
工藤遥のための6年③
どぅーの卒業発表から、2年半弱経ちました。
当時は絶望しかなくて、4月に就職したばかりだったこともあり、頭の中から工藤遥を排除するようにしていました。
そういえば、こんなん書きかけてたことを思い出したので、続きを書きます。
今だから思えるのですが、やっぱり工藤遥めちゃくちゃ好き!!
もう顔が最高、二重幅が天才!!
中身はツッコミどころも多いけど、自己肯定感が高めで人に優しいところが大好きです。
さて、話を2年前に戻しまして…
実は、どぅーの卒業が発表された京都公演のとき、私は別の現場にいた。
エビ中も好きなので、大阪公演に行ってた。
ハロ現場にも一緒に行く友達と参戦して、そのあとご飯行った。
ライブも楽しかったし、めちゃくちゃ喋って、携帯を全く見てなかった。
友達とバイバイして電車に乗ると、その子から、大丈夫?ってLINEがきた。
は?何が?と思いながら、twitterを見ると、卒業発表を知り、頭がフリーズして涙も出ず。
家に着いて、やっと涙が溢れました。
良いように言ったけど、めちゃくちゃ汚い泣き方だった。
ウォンウォン泣いた。
結局一睡もせずに、コンサートDVDを見ながら、どぅーのブログを読み直し、これまでのコンサートの半券を並べ…
なんで、なんで、なんでってそればかり。
大学の時はハロオタどぅー推しをオープンにしてたので、非オタの友達が何人かLINEもくれたけど、返信もせず。
だって、工藤遥はこれからだって思ってた。
先輩たちがどんどん抜けていって、歌割りも増えてきた。
ズッキとWセンターしたり、セクキャでも、ふくさくと並んでネコちゃんして、後輩に慕われる、私の大好きな大好きな推し。
娘。リーダー工藤遥に近付いてきてる気がして、めちゃくちゃ楽しみにしてた。
お芝居が好きだ、やりたいやりたい言ってたけど、それは娘。の舞台で満たされてると思ってた。
どぅーはアイドルであることが楽しくて、アイデンティティで、少なくともあと5年は娘。にいると思ってた。
もしかして、わたしはどぅーのことをちゃんと見れてなかったのかな。
ファンがアイドルのことをわかっていると思うのは傲慢だと思うけど、悔しくて仕方なかった。
あらゆることにやる気をなくし、時間が忘れさせてくれるのを待つことにした。
ちなみに、ハロ曲をMIXで流して、「好きすぎてバカみたい」とか失恋曲流れたら、どぅーが好きすぎてバカみたいに泣いてた。
どぅーの声が聞こえる曲も聴けなかった。
そんなこんなで、半年ほど経っても、悲しい気持ちは少しも和らがなかった。
結局卒コンにも行かなかった。
これまで推しの卒業を見送ったことがなかったので、耐えられる気がしなかった。
多分姿を見れないし、コンサート後に家にたどり着ける気もしない。
同じ時間に家で昔のDVD見るっていう、現実逃避。
これについては少し後悔もしているけど、アイドルとしての最後の姿なんて見たくなかった。
実はジャニオタもしているので、そっちに全力投球。
twitterでは、ハロについて触れないし、ジャニーズのことばかり。
でもやっぱり、たまーーーに深夜に工藤遥が卒業してしまった悲しみをつぶやいていた。
かなり荒ぶって。
工藤遥は生きてるし、引き続き表に立つ活動をしてくれるし、娘。を抜けただけで、そんな悲観しなくていいのでは?!
目標に向かって旅立つ推しを全力で応援してこそ、ファンなのでは?!
そんなことはどうか言わないでください…
幼稚園の頃からハロオタだったんです。
ハロー!プロジェクトのメンバーであることに固執してしまうんです。
当時はルパパトも決まってなかったし、卒業したあと全くお仕事がないんじゃないかと心配もしていました。
どうしてモーニング娘。の工藤遥でいてくれないの?という考えに囚われて、大好きなどぅーのことを応援できない。
そんな自分のことが何より嫌で。
さて、そんな私を払拭してくれることがわりとすぐに起きました。
工藤遥が戦隊モノにヒロインとして出演決定!!!!!
そう、それだけです。
その話だけで、私はもう救われて、今度は嬉し涙を流せました。
ゲンキンなやつですよね。
でも、戦隊モノといえば、以前どぅーが出たいって言ってたじゃないですか。
そのとき、女優として歩み始めた工藤遥を、やっと応援できるようになりました。
心から。
結局ルパパトは見たり見なかったりでしたが(笑)
ほかのみんなのことも好きだったのに、薄情なファンです。
大学4回生でジャニオタ兼業になったのですが、工藤遥卒業後はジャニオタ一本です。
めちゃくちゃ楽しいけど、また歌って踊るどぅーに会いたい気持ちは変わりません。
でもそれ以上に、目標を叶えて欲しいし、何より笑っていてほしい。
ありがとう、どぅー。
大好き。
工藤遥のための6年②
全く更新せずに、2年経ちました。
当時は本当に辛くて、もうブログなんて書いてる場合じゃねえわって感じで放置してました。
以下は書きかけだった下書きです。
①に引き続き、どぅーについて語ります。
愛ちゃん、ガキさん、愛佳が卒業していき、私は高校3年生、どぅーは中学1年生になりました。
どぅーという沼につかり、まーどぅーという広すぎる宇宙を遊泳する毎日。
受験勉強よりもどぅーを見ている時間の方が、正直長かった。
さゆリーダー、エースれいな(鞘師もいたけど)、れいなが卒業するまでの短い期間だったけど、最高に楽しかった。
以前はえり推しだったので悔しさもあったけども。
特にカラフルキャラクターは、セトリも好きで、一生このままがいいとすら思ってた。
そのとき同時に、いつかどぅーリーダー、まーエースの未来を思い浮かべた。
さて、そのあと小田さくらちゃんが加入するわけですが、まーどぅーから時代がまーさくに移っていくようでめちゃくちゃ嫌だった。
今思えば、まーどぅーも相変わらずあるから大したことではないとわかる。
でも、当時は本当にまーどぅーが好きすぎて小田ちゃんを良く思ってなかった。
歪んだ考えでした。
そして受験も失敗して、滑り止めの私立大学へと進みました。
しかし、そこでハロオタの友達ができました。
もう連絡を取ってないけど、その子のおかげで周りにハロオタであることを公言するようになったのです。
アイドルに興味のない友達にすら、どぅーがね、どぅーがねって、どぅーの話ばっかりしてた。
今でも思うけど、みんなよく私と友達でいるよなあ。
毎日、どぅーが中心でした。
さて、いきなり飛びますが、2015年末、鞘師里保ちゃんが卒業しました。
鞘師ロスもあったけど、ぶっちゃけ、これでどぅーの時代来るやろ!って思ってました。
クソなんです。
2016年春から、私は就活の時期になるのですが、The Visionをテーマソングにして、日々頑張りました。
(エビ中のスーパーヒーローもテーマソング)
ズッキが卒業して、次は9期かはるなんかな?早くまーどぅーの時代来いよ〜って思ってました。
クソなんです。
工藤遥のための6年①
昨日、モーニング娘。'17の工藤遥ちゃんが卒業を発表しました。
2011年9月29日にどぅーが加入して、6年間ずーっと推してきました。
大好きな大好きな女の子です。
これまでの私の気持ち、今の私の気持ち、この2つを忘れたくなくてブログを始めてみました。
チンタラ長くてつまらない記事です( ꒪◡꒪)
私は幼稚園生の頃から、モーニング娘。のファンです。
でも、わりと推しはコロコロ変わってしまうし、ハロの他のグループにもよく浮気をしました。
最近ではエビ中にもハマってました。
細かい推し変はもっとありました。
しかし、この浮気性のおかげで、「推しの卒業」の経験がないので、私としては楽な性格です。
2011年9月29日、10期の加入が発表されました。
娘。から離れていたのに、一瞬で戻りました。
エッグの中で一番可愛いと思っていた工藤遥ちゃんのデビュー。
娘。の中での推しにしようと思いました。
その時はまだ愛理推しでした。
私は愛理世代で、ずっと同年代以上を応援してきました。
年下の女の子を推すなんて…と思っていたのです。
そんな私が完全に推し変をしたのは12月頃、℃-uteのメンバー主演の舞台。
「1974」
工藤遥は、小さくて可愛いだけじゃなかった。
健気な藤子、切実な女の子。
心を奪われました。
推し変しようと思ったわけではなかったけど、自然と工藤遥が1推し、モーニング娘。が主現場になりました。
そこからはもう、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
デビュー曲を除けば、梨沙子や愛理のように歌割は多くなくて、むしろほぼない。
立ち位置は後ろ、はしっこ。
ダンスは踊っているというか、ジタバタしてるという感じ。
でも、いつだって一生懸命で必死などぅーがいた。
汗でびしょびしょになって、前髪もなくなって、満点の笑顔を浮かべるどぅー。
あなたが幸せそうなだけで、私は幸せだった。
これが私が推し変するまでの流れです。
まだまだ続きます………