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スターバックスのショーケースにキッシュが並んでいると安心する、という話。

 

小学校6年の時、私は不登校とまではいかないけれど、月に一回は腹痛で休んでいた。

もちろん本当に腹痛持ちではあるんだけど、学校に行きたくなくてなんとなくお腹が痛い気になって来る、という日も今になって考えたらあったと思う。

 

そんなふうに腹痛で休んだある平日、祖母に連れられて病院で腹痛を診てもらった帰りにお昼を食べに寄ったのがスタバだった。

母がスタバ好きなこともあってスタバに行くことはよくあったけれどお茶する時間にしか行ったことはなかった。

 

いつもと違う、人の少ない落ち着いた店内。席取りをしなくともソファ席に一人で座れる。(いつも行く時は一人がけソファに妹と二人で窮屈に座っていた)

 

そんな日に祖母と食べたのが、スタバのキッシュだった。

 

人生で初めて食べたキッシュは、学校を休んだ日のお昼ご飯ということもあってか、すごく美味しくて驚いた記憶がある。

当時、コーヒーも甘いものも苦手だった私は、母に連れられてスタバに来てもカゴメのパックジュース(ちゃんとスタバのメニューにあったやつ)しか飲んでなかったから、スタバにこんなに好みの物があったのか!と思った。

 

祖母と何を話したのかはあまり覚えていないけど、キッシュが美味しいから一口勧めて、祖母が食べていた何かを私が二口くらいもらったような気がする。

穏やかな気持ちと少しの背徳感。

 

こんなに感動したのに私は「キッシュ」という名前をすっかり忘れてしまって、なぜかその日以降しばらくスタバのショーケース内にも見かけなくて、キッシュは私の幻の食べ物になる。あの時食べたパイみたいなものはなんだったのだろう、と。

 

そうこうしていたら小学校を卒業し腹痛もいつのまにか消えて、スタバで飲めるものも増えた。

そしてまたショーケースにキッシュが並ぶようになる。

 

でも、あの平日の昼の祖母と食べたキッシュしか、スタバのキッシュを食べた記憶はない。きっともう一回くらい食べてるんだろうけど、思い出せない。

もちろんキッシュが好きなのは変わらないから他の店で食べたり作ったりしたこともあるけど。スタバでおかず系のものを食べる機会があまりないんだよね。

だけど、スタバに行くとショーケースの中にキッシュを探してしまうし、あったら頼まないけど安心する。

あの日の祖母とのゆるやかな空気。

 

学生の頃の平日の記憶

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昨日

約二ヶ月ぶりに神戸に戻った。

神戸に「行く」という表現が正しいんだろうけど行くたびに、帰りの電車の中で感じる言葉では言い表せない寂しさや安心感は帰省の帰りの気持ちと似ていて、ただ「行く」場所ではない。

神戸に住んだ四年間は確実に大きいものなんだと毎回思う。

 

慣れた美容室で慣れた美容師に髪を切ってもらって、また来てね、と言ってもらえたり、毎回立ち寄ってしまう喫茶店でお昼を食べたり。

昨日は夜は大学の後輩と美味しいものを食べたし。

神戸には好きなもの、好きな人が多くて毎回誰かしら知ってる人と話が出来て幸せな気持ちになる。立ち去りたくないと思う。

 

最近京都でもいくつか好きな場所を見つけ始めていて、いつか京都も神戸のような場所になるのかな。

でも今は、神戸への思いが強い。当たり前か。

またいつか神戸に住みたい。

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社会人になって約二ヶ月が経った。

がむしゃらに頑張っていた、というほどでもないけど、気付いたらもう二ヶ月も経っていることにびっくりしている。

 

今住んでいる場所は、中学生の頃の修学旅行で迷子になった場所だと最近思い出した。

まさか自分が住む場所になるなんてその時は思いもしなかったと思うと同時に縁を感じて住む場所をここに決めて良かったのかもしれないと嬉しくなった。

 

一方で、前の家のポストのナンバーを割とすぐに忘れていることに気付き、日常だったものがもう日常ではなくなって新しい日常に慣れつつあることが無性に悲しかった。

 

3月までなら声をかけたらすぐに集まっていたメンバーが全国散り散りになって7月の集まりには半分の人数しか集まらないこととか、深夜に今から行こうかなと言って15分歩けば会えていた恋人と一ヶ月以上前から予定を合わせないと会えないこととか、実家の家族に夏休み長くは帰れないと電話したら「家は逃げないからね、いつでも待ってるからね」と言われたこととか、切なくなる瞬間はまだまだたくさんある。

わたしの選択はあっていたのかなと不安になることもたくさんある。

 

二ヶ月じゃまだ何もわからない。

慣れたようで少しも慣れない新生活と折り合いがついてくるのはいつになるのだろう。

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6日間のパリの旅が終わった。

 

初めての海外旅行にパリだなんて危険だ、と数多くの人に言われたけれど、何事もなく無事に帰国。

わたし自身は初めてがパリでよかった、という気持ちが出国前から旅行中、帰国後も変わっていない。

 

色々な経験をした。

本当に一言も英語が通じないデパートのお姉さんだ、と思えば他はほとんどみんな英語が達者だったり。

満員のメトロに押し込まれて降りる駅でも真ん中まで人に押されて降りれなくなっていたら「Pardon.」と他の人に言って道を開けてくれたすごく綺麗なお姉さん。

スーパーで500mlの水だけを買うのに50€札を出しても受け取ってくれたお姉さん(すごく嫌そうだったけど)。

いっぱい日本語を話してくれて冗談まで言っていたシャンゼリゼ通りのロクシタンのお姉さん。

バレンタインだからどうぞ、と美味しいグミをくれたマレ地区にあるセレクトショップのお姉さん。

(ここまで書いてお姉さんの話ばかりだと気付いた)

ある店の入り口がわからずにふらふらしていたらここだよ、と自分は入らないのに重たいドアを開けてくれたおじさん。

教会で見たキリスト教信者の人たちの祈る姿。

雨でも傘をささないパリジャンたち。

美術館で、街角で、絵を書く人たち。

ルーブル美術館の入り口でバイオリンを弾く人。

空港行きの路線バスでキャリーケースを持ち上げるのを手伝ってくれた一見怖いお兄さん。

ターミナルの場所を聞いて降りるバス停で叫んでくれた運転手のお兄さん(本当はもう一つ次のバス停で降りたかったけど降りないといけない雰囲気になった)。

 

数え切れないほどたくさんの人と旅行中に関わっていてこんな旅は初めてだった。

パリにいる人はスマートで快くて、優しさの程度がお節介までいかない、私にはよく合っていた。

 

見たものの感想はまた今度。

今日は人の思い出の記録。

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古本屋で買った本に挟まっていた透ける紙

 

ギャリコの雪のひとひらに挟まっていた、雪の結晶が描かれた色とりどりの紙、前の持主があえていれたまま売ったのかたまたま挟まっていたのかわからないけど、たぶん、この本のための紙。

 

SNSとの距離がわからなくなって、アプリをアンインストールしたりTwitterのアカウントを一つ増やしたりブログを始めてみたり、試行錯誤しながら自分に合った使い方を探してる。

 

どうも情報がたくさん入ってくることが苦手らしく、知り合いの出来事ややりとりが入ってくるのがストレス(言い方が悪いかもしれないけれどいい言葉が浮かばない)になる。

今は距離を置きながら、でも必要な情報は得られるように、知り合いをフォローしないアカウントをよく使ってる。

 

来週からフランスを旅するのだけど、友人がInstagramで素敵なお店や食べ物を探してくれて、やっぱりSNSはうまく使うととてもいいなあと思った。

インターネットの検索エンジンや本からは見つけられないものも知ることができるんだなって。

でもなんだか難しいんだよなあ。

今の距離はまだベストではないな、と思ったのでまた試行錯誤しなくては。

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この街に住むのももうあと3週間。

だけど、来週も再来週も旅行があるから、実際に街で過ごすのはあとわずか。

 

今の部屋に住み始めるときは

ここは通過点で永住するわけじゃないから、簡単に移動できる荷物の量にしよう

と決めていたのだけど、四年間は思っていたより長くて、愛着のある時間で、置いて行けないモノがたくさん増えた。

物理的にも、非物理的にも。

 

ここ数ヶ月で、自分が四年間でこの街を予想以上に好きになっていることに気付かされることが多々あった。

店主が顔を覚えてくれた喫茶店、アルバイト先の人達、いつも服を買う古着屋、バイト中喋りに来てくれる隣のギャラリーのおじさん、やっと見つけた信頼できる美容師さん

四年間で、世代の違う人達とたくさん会って、好きな人が多くなった。

 

離れるのが惜しくて、寂しくて、すぐまた遊びに来てしまいそうだけれど、とりあえず月末まで、この街を楽しまなくては。

好きなものが多い街。

帰る場所がある街。

 

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おとといの健康診断明けの喫茶ごはん

 

ケチャップとマスタードのハムサンドは意外と食べたことない味で、紅茶はここ最近飲んだ紅茶の中でいちばん美味しかった。

こんな風に淹れれるようになりたくて毎日温度変えてみたり茶葉の量変えたり試行錯誤してるけどなかなかうまくいかないものだなあ。

 

関西弁が飛び交う店内で、サン=テグジュペリの夜間飛行を読んだ。

 

最近海外文庫にハマっていくつか読んでいるけど、サン=テグジュペリは情景描写と心理描写の重なりがわかりやすいのか、読んでいてスッとその世界に入れる気がする。

そもそも文化圏の違う人の書いた本だからわたしには想像がつきにくい行動や情景がたくさんあるのに、描かれた感情がわたしにも身近であることが多々あって海外文庫は楽しいな、と思う。

そして同じような理由で日本の近代文学も好き。

 

ただ、内容もそうだけれどそれ以上に言葉の美しさに心惹かれる私にとって、作家の書いたそのままの文章を読むことができないことは勿体無いなと感じる。

外国語ができればよかったのだけど、辛うじて英語が雰囲気で読める程度の私にはまだ原本を読む勇気がない。

今年で学生が終わるけど、まだ勉強が必要になりそうだ。