私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

★はじめに★

ご訪問いただき、ありがとうございます。
こちらには2015年、2016年と3回の流産を経て
体と心の回復が感じられるようになった2019年の秋頃から
これまでの流れを追いながら経験した事、感じた事を綴っています。
もしお時間ある時には目次より記事の初めから読み返していただけると嬉しいです。
どうかこの文章が共感、また新しい発見、など
沢山の方々の、そしてたった一人でも誰かの心の救いになれますように・・・。

 

95、「情けない」をしない

久しぶりに少し暗闇君と濃密な時間を過ごした感がある。

前々から決めていた親と息子犬との小旅行を終えたのだが、ある意味でいい形でその旅を終わらせることができなかった。

森の中にあるある意味『療養的』に過ごせるだろう場所に本来なら7日ほど滞在する予定が、私の精神的不安定さのせいで4日で帰ってくることとなってしまった。

 

親に気を遣わせ、私も親に気を遣い、それが悲しくて、普通にできていたことができなくてどんどん自分にまた『✖️』をつけていってしまう悪循環だ。

 

其の私の精神状況と少しだけイラッとしていた父との間で最悪の空気を構築してしまい、とにかく家に帰りたくて、旦那に会いたくて仕方がなかった。

 

私は本当にわがままだ。

親、そして旦那をとても大切に感じながら自分の精神状況で遠ざけたり急に寂しくなって寄り添いたくなる。

猫だ。私は猫みたいな奴だと自覚している。

一言でまとめてしまえば『気まぐれ』って奴なのかもしれない。

 

其の旅の三日目にようやく自分の今の状況と気持ちをゆっくり吐露することができた。親の方も同じだ。

先の友人とのLINE事件で久々に食らってしまい、母の電話で過呼吸になってしまった理由を。

ただ「それはひどいね」と味方になって欲しかっただけかもしれない。と告げた。

 

しかし、旦那や友人とは違う思いや願いがあるのが『親』というものなのだろう。

同じを求めるのはおかと違いだ。それはこの4年間に散々と学習してきたことなのに暗闇君が隣にいるとやっぱり目が曇って今までメモしてきたことが見えなくなるのだ。

 

私を思ってこその言葉だったこと。

親だって完璧じゃない。一人の人間であること。

そしていい意味で私はもう其の親とは違う家庭で生きているのだということ。

 

それを腑に落として少しまた呼吸ができるようになった。

そしてきちんと「ありがとう」と「ごめんね」を伝えて旦那のいる自分の家に帰った時、何だかこの二週間抱えていた闇がリセットされた気がしたのだ。

 

小旅行へ行った何日かは『何でこんな時にきてしまったのか』と考えてばかりだったが、結果、とてもいいリセットボタンになり、『クヨクヨ』が去っていった。

 

元々旅が好きだ。鬱のもっと真っ只中にいた時はどこかへ行きたくて環境を変えたくて仕方がなかった。

そしてコロナで外出自粛という予想だにしない規制をくらい、最後に私なりのノンマタニティーハラスメントを受け、ため込んでギリギリを保っていた具合悪さが爆発してしまった。

 

旅の良さは環境を変えて自分の状態や気持ちや周りを俯瞰して見れるようになる事

そして其の旅が楽しかろうが楽しくなかったろうが

 

『やっぱり家が一番!』

と再実感出来ることにあると思う。

 

あるべくしてあった、今回の計画だったと今は思う。

ありがたいです。

 

そして、

「情けない」を自分にしてしまうと、一番悲しむのは親だということ。それをまざまざと痛感した。

94、ほどけない

なんとも言えない気持ちになって久しぶりに意図的に抗うつ剤を飲むことにした。

もうほぼほぼあまり作用しない程度の減薬にたどり着いていたのでどこか悔しい気持ちだったが、暗闇くんとの親密度が上がるのは今現在は特にごめんだ、と思いちょうど飲んでもいい日数が経ってもいたので投与。

おかげでちゃんと(ドーピングしてだけど)寝る事はできた。これだけで心を保つ体力維持には助かるのだ。

 

よく寝れたこともあって前日に久しぶりに一頻り大泣きした割には心はマシだった。

 

上手に起きた事を受け流そうと思った。自分を責めずに悲観せずに今日1日過ごそうと決めていつも通りのルーティンで家事をこなし、息子犬の散歩を終えた時。母から電話がきた。

 

昨日、一人でまた心が塞がっていく感情を味わった時。これではまずいと母に電話した。

いい年こいて母親にこんな事で連絡するのは心の底から憚られるのだが、話せる相手がいない為に一瞬でも吐き出さないとマズい方向にいく、と経験済みなので母には了解をとって時々電話をかけるようにしていた。

 

起きた事、久しぶりにとても傷ついた事を伝えて電話を切った前日だったので心配で次の日の昼前にまたかけてきた。

『なんて親不孝なんだ』とこう言う時に毎回思う。

 

母は私の心が荒んだり、人を恨めしく感じたりそうなっていく事が一番よくないと言った。

その子たちは悪くない。理解されないのは仕方ないことだと言った。とにかく仕方ないと。

だから私にはやはり新しい生き方、新しい人間関係を築いていって欲しいとも言った。

 

何も間違っていない。

全部わかってる。

誰も悪くない。

 

それを繰り返し言われている時に過呼吸に襲われた。死にそうだった。

そこに息子犬が寄ってきて首を傾げた。

また息子犬に助けられてしまった。

ごめんね、ママがいつも泣き虫で。と抱きしめて過呼吸は少し治っていった。

情けない。

 

だけど、こう言う時、私は両親の言葉が結構キツく、最終パンチをくらう事が多い。

割と前向きに行こうと推してくれる二人。ありがたい時にはとても助かる。

 

ただ、流産の経験もした事がある人にしかわからないように『鬱病』の苦しさも絶対に経験した人にしかわからないと思う。

 

自分が暗闇に行く事を必死に抑えようとしている時。性格上、いい子でいなきゃと、頑張って元気にならなきゃと踏ん張りすぎて糸が切れた自分としてはやはり一番きつい言葉として受け取ってしまうのだ。

 

もちろん私を思って言ってくれてるのは重も承知だ。

けれどわがままかもしれないけど、こう言う時には味方でいて欲しい。

「そうか、それはひどいね。辛かったね」

とい言って欲しかっただけなのだ。きっと。

 

誰も悪くないことなんてもうこの4、5年で心中に折込済みなんだから。

 

親子の関係も色々ある。そして難しい。

親も一人の人間だ。色々経験すればするほどそう思う。

いい意味で距離を取るのも今の私には必要なことなのだと思う。そして心療内科の先生もそういっていた。

 

子も親もお互いを思いすぎると、他の人間関係と同じでこんがらがって解けなくなる。

私自身は親側にはなれていないが、一番の理解者になるのはもしかしたら一番難しい存在なのかもしれない。

これはいい意味で。

93、理解できない

久しぶりに過呼吸になった。

何日か前から兆しはあった。

産休に入ったと言う友人が「子供が生まれたら沢山絵本を読ませたい。」

とSNSで発信していて、もちろん初めは「うっ」と思ったわけだが気持ちがその時少し落ち着いていたこともあり、素直に『羨ましい』と感じる方が強かった。

 

私も結婚をして生まれてくるであろう子供を夢に見て、元々好きだった絵本を『これは読ませたい』『これはちょっと違う』と整理をして置いたままになっていた。

明るい未来しか見えなくて楽しみでワクワクしながら仕分けした思い出がある。

 

だから絵本の話はとってもとっても羨ましいと思った。

 

そして既に覚悟している出産報告、妊娠報告の第二波第三波より先に違う事故にいきなり巻き込まれた。

ちょっと久しぶりに集まりませんか?的なグループラインが発生し私も招待された。

そっか~、集まるのはいいけどまだ時期的にどうかしら、彼女らには子供もいるわけだし・・・・なんて普通の事を思い、どう返信しようか考えながら眺めているとその中の現在『妊娠後期真っ只中の子』と現在『お子様産まれてもうすぐ一歳育児って大変だわ』の子の話がそれはまぁ止まらない。

ピロンピロン。

 

こんな時期だから当たり前のように妊娠中の子を気遣い、そして育児中の様子を逆に訪ねては気遣い、そこから今度は洋服のおさがりいる?やら、アカチャンホンポがなんとやら、女の子かぁ~やら、もう私にしてみれば

 

『ピーーーーーー』

の放送禁止用語羅列でボッコボコにされてる感じだった。

この二人にも、私はきちんと私の状況・私の体の事は話してあるのにだ。

 

「あのー、私もここに呼ばれて絶賛参加中ですよー」

と思いながらももう返信する気もなくなるくらいの内容になった。

原因もわからず、それでも身体の問題で、ある意味「障害」を抱えてる人がいる前でわざわざ話さなくても・・・・となんだか苛めにあってる気持ちになってしまい心が塞がってくのを感じた。

物凄く悔しくて、そして長い付き合いの友人だったからこそもの凄く残念で、なんとも言えないモヤモヤの中一頻り泣いた。

またこうして友人を無くしていくのだなぁと切なくも感じた。それは私自身の問題なのも重々承知なのだが・・・。

 

その中にいた、唯一全てを知っていていつも一緒に泣いてくれてた親友はどうやらすぐに気付き、途中で個人的にメッセージをくれた。

それに救われた。

持ち前の『気遣い屋』を捨ててここはすっぱり脱退しようと思った。

一言書き添えてそのグループから退出した。それで彼女らが気付こうが気付かまいが、しばらくこの人たちとは距離を置こうと決めたのだ。

 

女って本当にめんどくさい。

こう「自分の環境や感情で急に態勢を変えるからなかなか女性の社会進出が難しくなっちゃう」と旦那は言う。

確かにそれは一理ある気がする。

よくも悪くもすぐに変われる。豹変し、今までとは真逆の人に謙る事だって結構容易だったりする生き物だ。環境の変化に順応しやすい。別れた相手の事は男性よりも割とある日いきなりコロッと忘れて大嫌いにまで変化する。

恐ろしいものだ。

男性が『女はわからん』と言ってるのがよくわかる。

男性の方がとてもわかりやすい。これもまた、良くも悪くも単純だからだ。

 

夜、気持ちを切り替えようとゆっくり呼吸をしてベッドに入った。

楽しい事を考えようと下らない映像を見て脳みそに消しゴムを使用した。

 

過呼吸になったのは次の日だ。それはまた別に書こうと思う。

92、密になれない

久しぶりに美容室に行った。もちろん大手を振って行ったわけではないが、移してしまっては困る、と感じる家族が普通に稼働し始めたからだ。

私は私自身より、家族に及ぶのが怖くて自粛をしてきた所が強い。

そんな家族が割と普通に動き始め日常を少しづつでも取り戻して行かなけてはならない方面にシフトしたからだ。

 

伸ばし途中の髪を少々整え、割とお気に入りのカラーリングを前回、緊急事態宣言前ギリギリに行けた時と同じにしてもらった。

距離が近いのでもちろんどこか緊張をする。心の中で

『本当に嫌な世の中になってしまったなぁ』

と思った。人と会う時に、どんなに気のおける、信用に足りる人でも必ず心の中でどこか警戒心を持ってしまうのだから。それはもちろんお互い様だ。

こんなに悲しいことはない。

 

仲間と何も考えずに席を囲み、大笑いしながら酒を酌み交わすなんてきっとまだ年単位でできないのであろう。

 

美容室を出た後、外の空気を擦った瞬間いつも気持ちが軽くなってすっきりとした心もちになる。心なしか世界さえキラキラ見えるくらい気持ちが上がるものだ。

今回は特に、嫌なものを全て切り落とした気持ちになった。

そしていつも通り、世界が少しキラキラ見える気がした。

 

この2ヶ月、外へ出ないのだから化粧ももちろんほとんどしなかった。

旦那に申しわけないな、と思うくらい髪の毛もボサボサでメイクなしのメガネ姿が当たり前の生活だった。

大好きな洋服も買ったって意味ないし、とネットでも雑誌でも見なかった。

 

よくない。本当によくない。

特に、女性は見た目を気にしなくなるとものすごく心が荒む。

 

人に見られる職業の人はやはりとてもいつでもきれいにしていて、自分を律し、そして『見られている』と言う意識が高まれば高まるほどどんどんきれいになっていくのがわかる。

『誰も見てないし』とか『別に家できれいにしてても意味がない』と少しでも考え始めるととことん自分をサボる様になる。

 

家族が大切なのは当たり前だが、だからこそ家族以外の人間にも会わないとどんどん見た目と共に心も荒んでいく。

 

リモートワークが普通になっていき学校もオンライン、飲み会も直接会うことがどんどん減ってしまったら世の中には何も気にしないデブやブスが増えるのかもしれない。

実際に私もこの2ヶ月ビックリするほどのブスだった(笑)

人に会わない社会なんてやっぱり危険だ。そんなのはどうか映画の世界だけにしていて欲しい。

 

そんな矢先、少し前に自分を元気付けるために通っていたゴルフ教室の先生にばったり会った。

 

「お~お久しぶりです!」

とお互いになんとなく嬉しく笑顔で会話する中。

やはりこれもお互いに距離をとっていた。無意識に。

いいことなんだけど、やっぱり悲しい。

人が密になれないなら、それはもう人じゃなくなっちゃう気さえする。

 

『本当に嫌な世の中になってしまったなぁ』

と再び思った朝だった。

91、悪いことではない

ふとCSチャンネルを見ていると子供の頃大好きで何度も見ていたアニメをやっていた。

『うる星やつら 完結編』と言う、うる星やつらの劇場版だ。

 

この漫画自体世代は自分よりも少し上で単行本を読んでいたわけでもなく、どちらかといえば『らんま1/2』の方がガッツリ読んでいた方なのだが、なぜかこの『完結編』のアニメだけは自分の中でも思い出の一本に入ってるくらいの作品だ。

きっと当時のVHSレンタル時代の中、何かと一緒に父が借りてきたか何かだと思う。

それをどうにかして手に入れて持っていたはずなのだがそれはもちろんVHS。もうかなり遠のいてしまった自分の思い出のものだった。

 

久々に見ていると、わかっていたことだがそれはもう声優陣の豪華なこと。

そして、やっぱりラムちゃんのかわいいこと。

 

まだ何も知らない小さな女の子であった私はこのラムちゃんに憧れたものだった。

見た目の可愛さはもちろん、気の強さや、色使いやスタイル、そしてなんといってもその声と喋り口調。

だっちゃだっちゃ。可愛さが溢れてる。

 

大好きな相手に猪突猛進な『女子』にそれはもう憧れて、恋ってどんな感じだろうと想像し、ラムとあたるの関係性に「いつか自分もこんなふうに大人になるのだろうか」と未来を夢見たものである。

 

勉強ばかりしていた中学時代はさておき、高校時代にはそれなりに恋愛たるものに夢中になり、悩みといえば大方その類の事。友人との手紙のやり取りも95%は

「あの人が、あの先輩と・・・」

そんな感じだった。

 

以前にも書いたが、こう言う昔の淡い思い出はとても大切だと最近とにかく実感する。

今、私の頭の中にはこれからどうしようかしまいか・・・

『自分の妊娠・出産・母になる』

と言うことで95%稼働している。

自分でもそれをどうにか変えたいのだが何をどうしても、うまく行かない続きだとそのパーセンテージはなかなか減らすことが容易ではないのだ。

 

だからこそ以前自分の大半を占めていた事をたまに思い出して、今の自分の凝り固まった思考をほぐすことがとても重要だと知った。

こんな昔の淡い思い出もそうだが、なんとか歌い手として売れたいと邁進していた頃のことも同じだ。

 

過去を振り返るな、とよく言う。

でも何かに行き詰まった時は過去を、自分の歴史の本を振り返って読み返すのはとてもいい療法だと思う。

もちろんずっとそこにいてはいけないし、いるわけにもいかない。

でも過去の自分が培って得たその気持ちや思考は『止まらせる』だけではなく脳みそに足りないセロトニンを出してリラックスさせてくれる。

良かった記憶はきっと

『心のヨガ』

的なものになり得ると思うのだ。

 

変な意味ではない。と先に述べておこう。

 

『恋がしたい』

 

そう思う。私の世界を和らげてくれる様な何かに。

90、『ペット』ではない

6月に入り、すっかり世の流れ的には普通になりつつもあるけれど、やはりどこか人も警戒の中そして街も閑散としている場所はしている。

 

ただ一つ面白いなぁと思ったのは俗に『中毒性』のあるものと言われてるものには店内だろうが続々と人が入っていて活気を取り戻してる感があった。

特に。。。。

『ラーメン』。我が家の近所のラーメン屋は緊急事態宣言が全面的に解除された最初の週末、軒並み満員になっていた。

ラーメンは非常に中毒性があると思う。私自身も今異常に食べたい。

自粛期間中の最中には袋麺がめちゃめちゃ売り切れまくっていた。

中国のことは正直、思うところ多すぎて私自身は好いていないが現在の日本のラーメンは日本独自に作り上げた文化になってるのでこれはもうよしとしよう(笑)

ただ、私はまだまだあのカウンターを囲んでうまうまのしずるを目一杯飛ばしながらいただく環境に突っ込む勇気はやっぱりない。

みなさん、いろんな意味ですごいな・・・と思う今日このごろ。

 

それはさておき、まだこの『コロナ』を振り返るほど過ぎ去った問題でもなく、むしろこれからが本番だと思うのだが思う様に外に出れず、人にも会えず、良くも悪くも生真面目な私は親にも、いや、ほとんどどこにも行かなかった。

絶賛『うつ病闘病中』の自分にとって危機感を感じる日が何日もあったが、なんとか乗り切った気がする。

そんな私の救いはやっぱり、息子犬でした。

もしお暇な時があったらご覧になってみてください。

 

お尻はまだ悪化中です(笑)

 


【黒パグ】大切な息子へ感謝を込めて。(尻は死ぬほど痛いけどw)🐶pug

 

今日も1日、心が平穏のまま眠りにつく時間にホッとできます様に・・・・。

89、同じではいれない

「いい季節」と言う時になかなか思う様外には出れないご時世だったので気づけばもう梅雨が目前の6月手前だ。

 

噂のアベノマスクは我が家には割と早く投函されていたのだが、謎の一枚だけ少々黄ばんでいる状態のものだったのでそのままにしている。どこかに寄付をするにもこれではどうかな?と思いそのままになっている。

給付金についても旦那のマイナンバーのパスワード問題で引っかかり書類を待っている状態だが未だに音沙汰もない。

夏さえも過ぎ去っていくのではないかと思ってしまう。

 

自粛生活中に周りに推し進められた「鬼滅の刃」にはものの見事にハマってしまい、映画など待てないすっかり大人な自分たちは単行本をゲットしてしまった。

 

その他に旦那が自宅にいる時間が長かった時に一緒に楽しめる何かを模索したのだがなかなかに見つからなかった。

旦那には刺さるものが私にはきつかったり、私が見たいと思ったものが旦那にはイマイチ刺さらず携帯をいじり出したらそれはもう「自分、これはちょっと」のサインだ。

 

先に述べた様に『音楽好き』と言う共通点は間違い無いのだが、そのジャンルというか好みはだいぶ違う。これも一緒に生活する様になってから気付いたことだ。

 

世界の音にとても興味があって日々探し回ってる様な旦那がお付き合い当時は

「すごいなぁ」

と思っていたものだ。それは今も変わらずすごいなぁとは思うのだが生じっか、お互いが音を流す事が好きで自分流の音を流したい所があるので結構それがぶつかる瞬間がある。

自分が朝に家事をしながら心地よく流していたものをミュートしていきなりお好みのレコードを流してきたときは流石にイラッとした(笑)

「こっち聞いてもいい?」

くらい言えよと(笑)

 

お付き合いをしている男女と、夫婦ではこう言った小さなことから変化が訪れる。当たり前だ。恋人じゃなくて家族だから。

 

以前、私の友人が結婚して間も無くたった頃旦那が盲腸か何かの手術をした際に身内だと言うことで術後にその摘出した内臓を見せられて

「はぁ・・・・」

としか言えなかった。と言う話をしていた。こう言うのが家族になるってことなのね、と思った、とも言っていた。

その気持ちがよくわかる。

好きで会いたくて連絡をとってドキドキしたりしていた相手の内臓を見て「はぁ・・・」と答える様になるのが家族になると言うこと・・・・と言っても過言では無い。白馬の王子様は当たり前の様に王子様ではなく『隣のおじさま』になるのだ。

 

そこを愛しく感じる様になれば一丁前では無いかとも思う。そしてそれはお互い様にだ。

向こう側だって

「前みたいに小綺麗にしなくなった」

とか色々ご不満はあるに違いない。

 

さて、そんな中でお互いに刺さったものの一つにこれもまたジャンプの漫画になってしまったのだが『約束のネバーランド』がある。

アニメーションはまだ、序章といった部分しか公開されていないのでまずそこから入ってみたのだが、この世界もまた新しい。

初めはカズオイシグロ的だな、思っていたのだがどんどんこの世界は急展開を見せてホームドラマから急激にホラーになったりミステリーになったり冒険ものになったりをくるくる行ったり来たりする。

そしてまたまた先が気になる私たち我慢のできない大人は単行本を一気買いしてしまい、現在は「鬼滅」と「約ネバ」を交互に、時間のある時に堪能している。

実際なかなか読んでる時間がないのが実情なのだが・・・・

 

この自粛期間があったからこそ出会った世界も少なからずある。漫画にハマるだなんてもう20年以上ぶりだ。良い事だと思っている。

『ハマるもの』

それがあるのとないのとでは、やっぱり日々の時間の感じ方は全く違うのだ。

 

絶賛おハマり中の人たちのライブには当分行けそうもないから、これを機会に何かまた自分の手にとってハマるものを更に模索していけたら良いなと感じている。

そしてそれはとても恵まれてる事だと言うことも重々承知だ。

 

『約束のネバーランド』

おすすめです。頑張って生きて行こうって、なんか思う作品です。