壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

the MADRAS BIOGRAPHY④(2017)

2017

1/15 セミコロン幡ヶ谷「the MADRAS New Years Party」(アコースティックセット ワンマン) 石垣さん体調不良
1/20 高円寺HIGH「フワリカ(心に茨を持つ少年)」
w/エガワヒロシ近藤智洋&橋本孝志、藤重政孝、岸上規男
1/26 下北沢CLUB Que「2017年です。なんか酔うかい!」
w/フリサト、ナショヲナル

2/5 セミコロン幡ヶ谷「like a stardust」(ソロ)
w/近藤智洋
2/11 大阪ポテトキッド「like a stardust」(ソロ)
w/近藤智洋
2/12 名古屋りとるびれっじ「like a stardust」(ソロ)
w/近藤智洋
2/18 高円寺HIGH「GIVE ME UP」
w/NUDGE’EM ALL、THE WATTER
2/24 下北沢 風知空知「like a stardust」(アコースティックセット)
w/近藤智洋

3/5 セミコロン幡ヶ谷「like a stardust」(ソロ)
w/近藤智洋、磯谷直史
3/18 下北沢CLUB Que「1st single daydreamer release party ~Blurry Orange~」
w/沖野俊太郎 & The F-A-Rs、46°halo、cruyff in the bedroom
3/18 1st single 「daydreamer」発売

4/2 下北沢CLUB251 「HARU/KOI 桜歌祭」
w/GONDA BAND、スキップカウズ、Hi-5
4/7 石垣さん 脱退を発表
4/9 下北沢 風知空知「like a stardust」(ソロ)
w/近藤智洋ハックルベリーフィン
4/16 代々木 Zher the ZOO
w/古明地洋哉、こもゆさ、LOOP LINE PASSENGER
4/28 下北沢Daisy Bar「YOU GOTTA MOVE!!」
w/近藤智洋、wilberry、町田直隆

5/4 下北沢 風知空知(アコースティックセット ワンマン) 石垣さん脱退
5/13 大阪天満 フラットフラミンゴ「like a stardust May」(ソロ)
w/近藤智洋
5/15 名古屋りとるびれっじ「like a stardust May」(ソロ)
w/近藤智洋
5/18 高円寺 MOON STOMP「like a stardust May」(ソロ)
w/近藤智洋
5/21 高円寺HIGH「ザンギなき戦い 第9章」(遊佐春菜さん キーボード)
w/BAZRA、シャク&リハビリーズ、BUGY CRAXONE、capsules、Drop’s、46°halo、井上仁志バンド、本棚のモヨコ、the terminal stage
5/28 吉祥寺シルバーエレファント「マタタビチョップ」
w/THE WATTER、ニーネ、シバノソウ

6/10 下北沢CLUB Que「GIVE ME UP」
w/NUDGE’EM ALL、wilberry
6/18 下北沢 風知空知「like a stardust June」(ソロ)
w/近藤智洋高橋徹也
6/23 札幌 のや「like a stardust June」(ソロ)
w/近藤智洋
6/24 小樽 CRU-Z「like a stardust June」(ソロ)
w/近藤智洋、MOCK
6/25 札幌スパイラルラウンジ「in the air
w/wash?、46°halo、4 points、あんびえんと、my bird warms a blanket for Colette

7/1 高円寺 MOON STOMP「like a stardust July」(ソロ)
w/近藤智洋
7/14 高円寺HIGH「フワリカ crescendo」
w/エガワヒロシwithミムラス、小林建樹、イシヅヤシン、橋本孝志with遊佐春菜(はしゆさ)

8/5 下北沢 lown「like a stardust August」(ソロ)
w/近藤智洋、ジョウミチオ
8/10 高円寺HIGH「踊のころ」
w/はしゆさ

9/3 セミコロン幌ケ谷「like a stardust Sept.」(ソロ)
w/近藤智洋、毒りんご(スキップカウズ イマヤス+エンドウ)
9/13 高円寺HIGH「like a stardust」
w/近藤智洋&ザ・バンディッツ・リベレーション、LOOP LINE PASSENGER
9/21 名古屋 猫と窓ガラス「like a stardust Sept.」(ソロ)
w/近藤智洋
9/22 大阪天満 フラットフラミンゴ「like a stardust Sept.」(ソロ)
w/近藤智洋
9/23 広島 ふらんす座「like a stardust Sept.」(ソロ)
w/近藤智洋
9/24 福岡親不孝 BAR UPRISING「like a stardust Sept.」(ソロ)
w/近藤智洋
9/26 高円寺 MOON STOMP「like a stardust Sept.」(ソロ)
w/近藤智洋

10/18 下北沢 lown「like a stardust Oct.」(ソロ)
w/近藤智洋町田直隆

11/5 下北沢 CLUB251「All is Calm,All is Bright レコ発」
w/Hi-5、HONDALADY、HIGH FLUX
11/12 高円寺 MOON STOMP「Happiness」
w/よしむらひろし、はしゆさ、小森清
11/23 RHAPSODY下北沢「like a stardust Nov.」(ソロ)
w/近藤智洋

12/10 下北沢 風知空知「like a stardust Dec.」(ソロ)
w/近藤智洋高橋徹也
12/23 代々木 Zher the ZOO「年末ハレチカ」
w/LOOP LINE PASSENGER、aeronauts、Poolside Hammock、Magical sixy liminal
12/30 下北沢 CLUB251「2017 251 ALL STARS」
w/ANFILMS、The nonnon、Earls Count、in state、高高、BARICANG、jimmyhat

the MADRAS BIOGRAPHY③(2016)

2016
1/17 下北沢MOSAIC 「fall vol.6」
w/ArtTheaterGuild、17歳とベルリンの壁、サーティーン、M.A.S、溶けない名前

2/17 高円寺HIGH 「we are the beautiful!」
w/wilberry、Pavel
2/17 下北沢CLUB Que「MARKING POINT」
w/f4-high、She's q
2/28 会場不明「Sunday Monday」

3/9 リリースに向けレコーディング開始(夏秋さんのスタジオでリズム録音)
3/18 下北沢CLUB Que「have fun」(アコースティックセット)
w/高畠俊太郎、NUDGE'EM ALL、yuichi abe
3/26 ゴーゴータイムス リハーサル
3/26 札幌スパイラルラウンジ
3/27 札幌 Counter Action
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3/27 スタンド(demo)配信
3/31代々木 Zher the ZOO「Better Day」
w/GONDA BAND、POP CHOCOLATE、メトロオンゲン

4/15 高円寺HIGH
w/Tenkiame、The Broken TV
4/22 ロスト(demo)配信
4/24 京都 伏見深草(ラフ初演?)
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5/4 新宿JAM(ライブ一区切り)
5/16 7時間のリハーサル、ミーティング

6/18 バンド名を「the MADRAS」に変更
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7/10 夏秋さんスタジオでレコーディング

8/6 代々木 Zher the ZOO「夏のハレチカ3 days!」
w/POP CHOCOLATE、PLASTIC GIRL IN CLOSET、NON'SHEEP、ariel makes gloomy
8/20 渋谷チェルシーホテル
8/26 高円寺 amp cafe「Sunday Monday」(アコースティックセット)
w/17歳とベルリンの壁

9/17 青山 月見ル君想フ「SILENT SUNRISE」
w/壊れかけのテープレコーダーズ、SuiseiNoboAz

10/8 代々木 Zher the ZOO「秋のハレチカ3 days!」
w/Apple Light、古明地洋哉、THE ANDS、ハイイロジェントルダイナソー
10/19 下北沢 風知空知「like a stardust」(アコースティックセット)
w/近藤智洋
10/28 高円寺HIGH「CARNIVAL OF LIGHT」
w/The Broken TV、Hi-5、wilberry、rucica

11/12 下北沢CLUB Que「have fun」
w/沖野俊太郎&The F-A-Rs、46°halo、cruyff in the bedroom
11/26 セミコロン幡ヶ谷(アコースティックセット ワンマン)
12/17 セミコロン幡ヶ谷(アコースティックセット ワンマン)
12/30 代々木 Zher the ZOO
w/SUSTINARS、JET THUNDERS、ariel makes   gloomy、THE VISION、trebolo、The Bloody Eyes

the MADRAS 12/16 新宿red cloth 備忘録

 好きなバンドがいつまでも活動してくれる、という期待が幻想であることを改めて突きつけられた年末。体調は依然良くならないが、またいつか、のいつかが来る保証はなく、マドラス3回目のワンマンに行くことにした。

 神田明神にお参りするため御茶ノ水へ。かつて常宿にしていたホテルがコロナ禍以降倍の値段になってしまい足が遠のいていた街。駅の改築は進み、また出口の場所が変わっていた。空は快晴、上着は必要ない気候だった。駅前では維新の会の政治家が朝から嘘八百を並べており気が滅入る。俯き加減のまま神田明神へ向かい、いくつかお守りを購入。
 これまで行ったことのない喫茶店に入りブレンドを注文。酸味が強くあまり口に合わず。近くの席に編集者と作家と思わしき2人が座っていた。やる気がある人は40ページを無償で書き下ろすよ、と嬉々として語る編集者の声が聞こえ、決定的に気分が悪くなる。どう考えても安い印税の話が終わり、そのテーブルは無言になった。どうか負けないで欲しい、と願いながら店を出た。
 先日September recordsで念願だったtheピーズ「Greatest Hits Vol.1」を購入し、正直もう欲しいレコードはほとんど残っていない。ただこんな気持ちのまま時間を潰す方法が思い浮かばず、フラフラとディスクユニオンへ。目的もなく棚の前をウロウロしていると、突然大好きな人の笑顔と目が合った。jonathan richmanの「I'M JUST BEGINNING TO LIVE」が面出しされていた。タイトルを小声で口に出す。なんて素敵な笑顔と曲名なのだろう、と涙が滲んだ。正直どうかしている値付けだし、これを買うことで次回更に値段が上がり世界がまた一つ悪くなることは分かっていた。それでも私は欲望に勝てず悪に加担した。ホテルに戻り、ずっとジャケットを眺めながら横になっていた。

 新宿のライブハウスというだけで怖くて仕方なかったが、大通り沿いに歩けばなんとか行ける場所にあることが分かり安堵した。散歩も兼ねてホテルから20数分、開演ギリギリにレッドクロスへ。50人程度の客入り。体調はいよいよ悪く、スペースもあるから最悪床にしゃがみ込んで見ようと思っていた。
 定時を10分程遅れてメンバーがステージに。数曲も経たないうちに、先の陰鬱な気分が嘘のようになくなり身体が軽くなる。ドラムに促され鼓動が早くなっていった。
 「カラーズ」「フェザー」「ベランダ」に顕著だが、2020年の初演に比べて橋本さんの歌が格段に上手くなっているように感じる。洗練に背を向け、拙さを心意気で押し通すのもバンドの美学の一つであると思うが、メロディーからはぐれないよう丁寧に音を紡ごうとする姿の方が私は好きだ。アレンジやギターの音色も毎回違うように思う。CDの再現ではない、その先を探し続けるバンドの誠実さを感じた。
 一方で不安と期待を纏った新曲の手探りさ、無防備さにも言葉に表せない良さがある。作詞としての作為性を全く感じさせない心情の吐露のような歌詞、そしてその歌詞と真逆の状態で言葉を絞り出す歌手。「センチメンタル」と題されたその曲はバンドの支配を離れ、形を掴ませようとはしなかった。完全さと不完全さの同居。バンドが転がるためには完成から遠ざかり続ける必要があり、そのために新曲は作られるのかもしれないと感じた。来年のバンドセットのライブ予定はまだ未定とのこと。楽しいだけで自然に続く程バンドは簡単ではないのだろう。終演後、ほぼDIYで制作されたというライブDVDとシャツを購入した。映像として記録が形に残ることは素晴らしい。

 もう好きなバンドのワンマンしか行くことはないだろう、と今回改めて感じた。精神状態の悪化もあるが、昔に比べてライブ中に不快を感じることが格段に増えてしまった。知らないバンドの知らない長く拙い曲を受け入れる余裕はなくなり、客から放たれる声援の形を取ったヤジを聞くたびに耳をふさいでしゃがみ込みたくなる。それが嫌ならライブに行かないという選択肢を取る他ない。音楽が好きなのではなく、好きなバンド以外はほとんど嫌いなのかもしれない、ということに気付いたコロナ禍の数年だった。だからこそ好きな音楽だけは大切に出来ればと思う。
 それと同時に、音楽が広がることの難しさも強く感じる。Twitterで次々と流れてくるおそらく良いであろう曲を聴くことは少なく、よほど好きな人のレコメンドでない限り重い腰は上がらない。この数年、高橋健太郎さん、松永良平さんとスカート澤部さん経由でしか知らない曲を聞こうとはしなかった。マドラスはとても良いバンドでもっと聴かれて欲しいと思うが、実際自分のような視聴態度の人が多いとすれば出会いは限られてしまうだろう。今回のワンマンもファンとしては適度なスペースがありとても良い環境ではあったが、いつも来ている人が今日も来ている、という比率が多いように感じた。自分が実践できていないことを願うのは身勝手だが、マドラスを好きな人が少しでも多くなって欲しい。
 そもそも論として何故そう願うのだろうか。自分が好きなものは他の人も好きだと信じきる程幼児性は残していない(と願いたい)し、自分の審美眼を示したいのであれば醜悪だ。良いものと商業的な成功がイコールでないのは自明で、広い会場はいくらでもありどれだけファンが増えてもゴールなどはないだろうが、それでも資本主義の枠から離れられない願いを持ち続けてしまう。マドラスのメンバーの笑顔が見たい、という理由は美化しすぎだろうか。とりとめないことを考えながら帰路についた。

 それにしても部屋が寒いホテルだった。さっきまでいた外より寒い。暖房もなかなか効かないし、閑静な商店街にしては結構な騒音もある。不思議だなと感じ一晩寝たが、チェックアウト前に窓から半分開いていることに気が付き愕然とした。浦安鉄筋家族の春巻と同じことをしているな、と力なく笑う他なかった。

サニーデイ・サービス 10/29 横浜ベイホール 備忘録

 去年のリキッドルーム以来丸1年ぶり、映画を見てからは初めてのサニーデイ。時間は本当にあっという間に、何も残さず過ぎていく。あの日も精神状態は良くなく、サニーデイのライブはこれで最後でいいかなと思った記憶があるが、その気持ちは今日まで変わらず、あまりライブを楽しむ心の準備は出来なかった。昨年と違うのは、今や私より曽我部さんが好きになった(ように見える)妻と一緒だということだ。流石にドタキャンする勇気も出ず、重い体を引きずって横浜にたどり着いた。空も青く深呼吸するにはもってこいの天気だったが、マスクを外す気にはなれなかった。中華街で限界まで腹を満たし、公園を散歩し、船を見学するなどし、開演ギリギリに横浜ベイホールに着いた。

 渋谷クアトロを彷彿とさせる柱がそびえ立つライブハウス。柱がステージに被らないギリギリの場所を探している間に客電が落ち、SEもなくメンバーがステージに上がる。

 ツアーは現在進行中で、何の曲が良かったなどのネタバレはいくらネットの隅と言っても本来すべきではないが、ここに書いておかないと記憶から完全に抹消され、自分の中で本当になかったことと同じになってしまうため、以下順不同の備忘録として。

 

 コードカッティングが途切れ、歪まないギターソロがリズムに乗った瞬間、あっという間にステージに空隙が生まれ、命綱が切れ漂う宇宙飛行士のような孤独を感じた。ドラムとベースのみの時にはそんなこと全く思わなかったため、理由は分からない。

「魔法」「夜のメロディ」という「LOVE ALBUM」期の曲を今の3人で演奏するとこんなに肉体的になるんだ、と感じた(当時のライブを見たことがある訳ではないが)。1度解散したことなどまるでなかったかのよう。ライブ中何回もメンバー紹介があったが、この3人であることは当たり前ではないんだな、ということを改めて。

 新譜ブロック、アコースティックブロック、懐かしの曲ブロックを経ての「TOKYO SUNSET」が沁みた。不必要に他人を傷つけ自分も無意味に傷ついたオリンピック前後の記憶が、曲が進むにつれて加速していくドラムに乗って蘇った。

 「DOKI DOKI」は1番好きなアルバムという訳ではないが、ライブで聴くとどの曲も良かった。「ロンリー・プラネット・フォーエバー」が最高だった。

 「春の風」の最後のジャーンの部分、大きい車の前に飛び出したような向こう見ずの衝撃と爽快感が凄かった。

 かみしめるように繰り返される「青春狂走曲」のサビ。今の所はまあそんな感じなんだ、という一節がいつも以上に響いた。どんな悪い状態でも、それは今の所は、なのだ。どの曲もそうだが、「青春狂走曲」は今生まれたばかりのような瑞々しさをいつも携えている。

 3人が向き合い、曽我部さんがギターをかき鳴らす度に妻が笑顔だった。アンコール最後の「セツナ」の時はずっと。周りを見渡すと皆笑みを浮かべていた。私の心が貧しいせいで、フェスなどでセッションが始まるとこの時間でもう1曲聴けたのになどと思ってしまうが、今日は心穏やかに見れた。どれだけ離れていても聴こえる、ドラムのリズムでかろうじて曲の形を保っているような爆音が、ステージの中央、とても狭い空間で生まれるのを眺めていた。

 大工原さんのドラムは本当にいい。物をあんなにも全力で引っ叩いていいんだ、という原始的な喜びがある。曽我部さんの声も大きい。

 「雨の土曜日」、皆嬉しそうだった。曽我部さんの笑顔は人を元気にさせる。私もライブが始まる前と比べて体調がかなり良くなった。

 考えれば、ライブの帰り道で感想を誰かと言い合うなんてことはこれまで全くと言っていいほどなかった。ライブの熱は誰にも話さず心の中で独り占めするものだと思っていたが、共有できるのも悪くはないな、と思った。妻は「海辺のレストラン」「花火」が良かったらしい。外の涼しさで身体が少しずつ日常に戻っていく。その後1本早い電車に間に合わせるべく全力疾走したため、ライブより汗をかくことになった。

 思い出せるのは今の所これくらい。多分33曲、3時間超えのライブ。妻と一緒ならまたサニーデイのライブを見に行きたいな、と思った。

深浦康市九段指導対局会 10/8 ねこまど将棋教室 備忘録

 5月の深浦・佐々木両先生、沼津・棋聖戦での青野先生に続き、今回3回目の指導対局を受ける機会を得た。

 将棋は小学生の頃に覚えたが、父と弟に全く勝てず辞めてしまって以降は見るだけの趣味だった。コンピューター相手の将棋すらめったに指さない私が20数年ぶりに一念発起して将棋の勉強を再開したのは、深浦先生の指導対局を受けたかったからだ。大盤解説などのイベントで面白いトークを聞くのも悪くないが、やはり先生と盤を挟んでみたいという思いを昔から持っていた。
 深浦・佐々木両先生の指導対局会がある事を知った時点で駒落ちの定跡すら覚えていないレベルだったため躊躇したが、今行動に移さないと一生将棋をしないという確信があったため意を決して予約ボタンを押した。この頃すでに精神状態が悪かったため、憧れの先生に会って元気をもらいたいという理由も大きかった。
 指導対局までの1ヶ月、腹を括って必死に勉強したと言えれば良かったのだが、結局6枚落ち定跡の暗記のみ、でも角は切りたくないなーレベルの勉強しかしなかった自分にはかなり失望した。

 初めての指導対局は、深浦先生が佐々木先生をいじったり和気藹々とした空気でとても楽しかったが、始まる前から緊張でガチガチ、やはり来るべきではなかったと後悔もした。深浦先生が自分の盤前に回って来られても恥ずかしくて前を見れなかったが、次第に次の手を考えるために盤から目を離せなくなった。端攻めの飛車は成れず、2回詰みを指摘され、最後は1手パスの手を指していただくなど如何ともしがたい盤面。こんな将棋ではどうしようもならんよなとは思ったが、1時間程将棋のことだけを考えている間の興奮、充足及び高揚はこれまでに感じたことがないものだった。指導対局が終わった後は足に力が入らず、脳が強烈に糖を欲していた。
 指導後に両先生に揮毫していただいた色紙は額に飾り毎朝見るようにしている。この時撮って貰った写真を妻に見せ指摘されるまで気がつかなかったのだが、佐々木先生と私の足の長さがあまりにも違うことに心底驚いた。おまけに私の靴の向きのせいで、UFOに連れ去られ浮いているようにしか見えなかった。

 その後駒落ち定跡の本を購入し勉強を始めたが、文章が脳を素通りして入ってこない。将棋の中継を見るだけで酷く疲れ、会社でもメールの内容が全く頭に入らないことが増えていった。その後は転がるように体調が悪くなり結局休職となったが、思えばこの段階で休むべきだった。

 薬が効いた実感もなく希死念慮は高まる一方。習慣にしようと頑張った朝の散歩にも次第に出られなくなって行った。ライブのチケットを取って無理やり仮の目標をつくっては結局行けずを繰り返す日々。「うつ病九段」をはじめ、先崎先生のエッセイだけは頭に入って来たので繰り返し読んでいた。
 休職期間の延長が決まった日、深浦先生の指導対局があることを知った。もちろん将棋の勉強などしておらず、指したい気持ちもなかったのだが、何も考えず予約してしまった。指導の枠を埋めてしまうにも関わらず、どうせ行けないんだからどうでもいいや、という身勝手な思考があったことは否めない。

 10月の頭、少し体が軽い時間があった。将棋しないと、という強迫観念にかられ、ぴよ将棋をインストール。駒落ち設定出来るんだな、と何とはなしに対局を始めた瞬間、何かのスイッチが入ったのが分かった。とてつもなく楽しい、初めての指導対局で感じたあの気持ち。時間を忘れ、文字通り朝から晩までひたすら6枚落ちを指し続けた。空腹も全く感じなかった。定跡を指しても私の棋力ではすぐ潰れる。玉を囲うため、美濃囲いを試す。少しずつ勝てるようになりぴよ将棋のレベルを上げる。また潰れるので高美濃や銀冠の組み方を調べ、また試す。ヒントを見たり待ったをしたり、少しずつ良さそうな攻め方が分かってくる(ような気になった)。指導対局直前ではあったが、将棋の、そして大げさではなく生きる喜びを思いだすことができた。この日から体調がかなり良くなり、そして深浦先生に会いたくなった。

 10月8日朝、体の怠さはあったが、これはうつ由来ではなく緊張のためであるような気がした。妻にホテルを予約してもらい四ツ谷に向かう。18時半スタートの回を予約した気になっていたが、実際は16時スタートであることに電車内で気がつき非常に焦った。何とか間に合う便に乗っていて良かった。普段からせっかちである気性が今回は良い方に転がった。

 指導対局開始を待つ時間は以前と同じくガチガチだったが、今回は水を持ち込み事前にチョコを食べるなど対策は講じてきた。
 定時になり、深浦先生が挨拶された後指導対局が始まった。佐々木先生がいた以前とは違い、厳かな雰囲気で身が縮こまった。四間飛車、高美濃で駒組を進めたが、位を取った銀を攻められた時に引いたのが破滅の始まりで(ぴよ将棋で同じ局面は何度もあったが、銀を切るよりも引いたほうが何とかなったためこの手を選んだが間違いだったようだ)、角も取られるのを恐れて逃げ回り機能せず、飛車は成ったものの攻めは細く、後は上から囲いを剥がされなすすべなし、といった対局だった。勉強した気にはなっていたが所詮は付け焼き刃。先生が自分の盤前にいる時は全く顔を見れなかったので、他盤の感想戦をしている姿を眺め、自玉の詰みを何度も確認し、水を飲んで姿勢を直し、対局終了時間ちょうどに投了した(というかもう1手詰めまで行ってしまった)。逃げ回った挙句の角が最後に玉の退路を塞いでいた。普通に悔しかったし、悔しさを感じている自分が可笑しかった。
 感想戦では、銀を攻められた時に引くのではなく歩を取って前に進んだ変化を教えていただいた。銀が死んでも角を切れば飛車があっさりと成りこめ、攻めが繋がることに驚いた。将棋は前に進めば何とかなるから、と深浦先生。失うのを恐れてジリ貧になるという、自分自身のような将棋を指していた。

 自分語りをすると、志望大学に落ちた後、外部の大学院に進むためずっと化学の勉強をしていた時、心の支えは深浦先生だった。大学3年の夏、図書室に篭って回答すら英語で書かれさっぱり分からないマクマリーを解いていた。同じテーブルにはイチャつくカップルがおり、いつまでもペーパーテストに囚われる自分が惨めになり涙してしまったことがある。ここで踏ん張らなければ道が閉ざされてしまう。深浦先生が盤に対峙する姿を思い出しながら、泣きながら必死にページをめくっていた日々を思い出すと今でも泣きそうになる。奨励会時代に深浦先生が負けた夜は将棋盤を抱いて泣いたというエピソードを後に知った時、私は深浦先生と同じだったのか、と感動した(全くレベルが違うが)。
 その後なんとか志望した研究室には入れたが、内部生の知識や研究センスは段違いだった。すり減りながらしがみつこうともがき続け、入社した会社も家賃が高く、思えば10年以上背伸びを続けたまま生きてきたかもしれない。次第に今持っているものを失いたくない、傷つきたくないが最優先になった。深浦先生の終盤の粘りは敗北を先延ばしするためではなく、その先の僅かな勝利の可能性を手繰り寄せるためであることを忘れ、前に進むという発想が削られ、受けにならない受けを続けている間に結局折れてしまった。その時その時でやれることはやったつもりだし、人生を何度やり直しても今以上は望めないように思う。そうなると、初手から、生まれてきたことが間違いだった、という結論に達してしまうし、実際そうだろうと思う。
 ただ、深浦先生と盤を挟むという長年の夢が叶えられた、その1点でこれまでの人生を肯定してもいいのではないかと昨日は本気で思うことができた。一時の高揚であったとしても、こんな気持ちを持てたこと自体がいつ以来か分からない。気の迷いでも、この気持ちを信じてみたい。

 この日の指導を忘れないため、先生にご無理を言って「前進」と揮毫していただいた。私はサインをもらう、という行為が非常に好きだ。楽しかった気持ちは忘れてしまうが、モノが残ることでそれがセーブポイントの役割を果たしてくれるような気がするからだ。ホテルに戻り色紙を眺める。墨が微かに香った。次回がいつになるかは分からないが、次回があれば次こそは駒を前に進める姿を深浦先生に見ていただきたいな、と思う。

進行方向別通行区分 9/9 新宿BLAZE 雑記

 

 1ヶ月前、私は新宿のライブハウスで、次が最後の曲とアナウンスされた後も延々と曲が続けられるステージを見ながら、脳裏に浮かんでしまった総理大臣の姿をかき消すために必死に踊っていた。

 

 相対性理論経由で進行方向別通行区分にドップリハマった時期があった。まずバンド名が最高であるし、音程を外しつつ意味不明な歌詞をオジサンが熱唱する楽曲群に夢中になった。と言っても地方在住の大学生であった私にとって、視聴方法はネットに上げられてはすぐ消える違法アップロード音源に限られ(かつてマイスペースSoundCloudで正規音源がアップされていたことをこの間知った、残念)、上京後もたまにディスクユニオンの棚に陳列された高額なCD-Rを眺めるしかできなかった。そして月日と共にこのバンドのことはすっかり忘れていた。
 先日、世間から周回遅れで「ちゅ、多様性」を聴いたことで進行熱が再燃。それと時期を同じくしてパスピエとの対バンがあることを知った。気にはなったが、当初は全く行ける気はしなかった。鬱で休職中の身、本当に体が1日中動かないこともある。その間、台風クラブやthe MADRAS、果てはピーズの野音すらチケットを取ったものの断念せざるを得なかった。加えて今回はどうも本当の解散ライブのようで、そこまで熱心なファンとは言えない自分が参加するのはどうも後ろめたさがあった。しかも夜の新宿をうろつくなんて想像もできない。諦める他はなかった。

 9月8日、体調、精神状態共に最悪だった。明日の予定を、生きる希望を無理やりにでも作らないとこの夜を越せないような気がした。最終的にライブに行くことを決めたのは、DJを担当する澤部さんの存在だった。澤部さんの笑顔が見られたら何とかなるかもしれない。プレイガイドにはまだチケットが残っていた。購入手続きを済ませ、薬を飲み、無理やり布団をかぶった。

 9月9日、身体は重いものの何とか歩くくらいはできそうだった。まず電車に乗ってみる、無理と判断したらすぐ帰ると決め、身支度もそこそこに家を出た。
 最近はあまり欲しいCDやレコードが無く、心のウォントリストに入れている品も値上がりの一途を辿っているため仮に見つけてもそうそう手は出ない。あてもなくフラフラとディスクユニオンを眺め、また頭が働かないためどこかの店でお茶をするという決断も出来ず、結局時間をかなり持て余し新宿BLAZEへ。会場への行き方だけは入念にシミュレーションし、間違っても歌舞伎町を突っ切ることのないよう、駅側の大通りから慎重に向かった。

 TOHOシネマズのゴジラと歌舞伎町タワーに挟まれた何もないタイル張りの広場で、御茶ノ水で買った羽生先生が表紙のBig Issueを眺める。墓石のような質感の歌舞伎町タワー、入り口の階段には何をするでもなく座る沢山の人、広場には奇声を発しながら異常に盛り上がる集団、ビジョンで延々と繰り返されるシティーハンターのCM。どん詰まり、地獄の街だ、と思った。こんな空虚な空間に来たのは初めてだった。目眩が酷くなり、諦めて帰ろうと思ったがいよいよ足が動かない。それから1時間程、私は地獄の一部と化し、立ち尽くしていた。

 ようやく開場、文字通り足を引きずるように階段を降りた。進行方向別通行区分の物販は会場内に及ぶ長蛇の列。パスピエの出番が迫っていたが、この日発売のアルバムに加え、かつて買うことの叶わなかった過去作も山のように積まれていたため最後尾に並ぶ。既に澤部さんのDJは始まっていた。ミラーボールに照らされ、自身が流す曲に身体を揺らしながらコーラを飲む澤部さんを見て、スッと心が楽になった。またアルバム9枚とライブDVDを買うことが出来、ほのかな達成感を感じた。ちょうどそのタイミングでSEが流れ始め、急いで会場に戻った。

 パスピエの曲は新曲含めある程度知っていたため、きちんとライブを楽しむことができホッとした。このメンバーがいれば何でも出来てしまうだろうな、という完璧なステージだった。いつか体調が良くなったら、ワンマンライブに行ってみたいと思う。またキーボードの方が楽しそうに体を動かしながら演奏しており、もしあれをただの仕事として仕方なくやるのであれば辛いだろうな、という意味の分からないことを考えていたのを覚えている。

 再度澤部さんのDJタイム。皆が前に詰め始めたため、スペースに余裕のある後方に下がる。流れる音楽は素敵だが、知識がなさ過ぎてどの曲もタイトルが全く分からない。一期一会だと思い直し、体を揺らしながら進行方向別通行区分を待つ。

 SEでトトロの「風の通り道」が流れ始め、歓声と笑いが同時に起きる。メンバーがそれぞれ持ち場につくが、この日初めて田中さんと真部さんの顔を知った。本当ににわかファンである。田中さんのギターチューニング音が綺麗なメロディーに被さり、それをかき消す。
 この日1番楽しかったのが、いきなり「アーケードテンプテーション」と「池袋崩壊」が聴けたことだった。意識するより先に腕が上がった。爽快さを感じたのは本当に久しぶりだった。そして私の記憶より格段に歌が上手い、演奏がカッコいい。後ろを振り返れば澤部さんもマスクの向こうで「池袋崩壊」を口ずさんでいる。来てよかった。
 その後は、語弊があるが何を聴いても一緒だった。どの曲も楽しく、かっこよく、意味が分からない。田中さんのジャキジャキストロークで曲が始まり、鉄壁のリズム隊の上で真部さんのギターがポップさを担保しながら跳ねる。1曲の中で使われる歌詞のブロックは多くなく、それもリフのように機能している。ラモーンズのライブもこんな風(に楽しいん)だろうな、と感じた。ラモーンズを熱心に聴くわけでもないので、何故そう感じたのかは分からない。
 それにしても歌詞が凄い。上手く言えないが、言葉の不完全さと言うか、言葉にする事で何かその事象を分かった気になっていただけと言うか、言葉で同じ意味を共有できるなんて幻想なんだな、とつくづく感じた。知っているつもりだった言葉が、目の前で次々と溶けてへしゃげて形を変えていく。そんな曲ばかりが矢継ぎ早に繰り出されると、もう訳がわからなくなる。「一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎 名前が同じ」と叫ぶ田中さん。同じ、ってどういう意味だったかだろうか。確かだと思っている前提が崩れる不安と、全てがひっくり返される爽快感が同時に襲ってくる。そしてたまに理解できる言葉があるとやたら耳にスッと入ってくる。「名古屋は誰かが建てた街」とか。これではまるでカルト宗教とかマルチ商法の集会ではないか。
 またこの日のライブは3ブロックに分かれていたが、出て来るたびにSEを流していた。3回目(アンコール)に「風の通り道」を聴いた時に涙が溢れた。終わってしまう、という寂しさではない。こんなに笑いながらこの曲を聴いたことがなく、曲の印象を上書きされた、新たな価値観を提示されたことに感動してしまったためだ、と思う。

 冒頭に書いたのは、次が最後の曲、という言葉が軽々と反故にされるのを見て、首相が「聞く力」「丁寧な説明を続けていく」というふざけた言葉を空虚に繰り返しているのを思い出してしまったためである。進行方向別通行区分はふざけているが、あのステージがふざけているだけで成り立つ訳がない。本気でふざける、というのも何か違う。ふざけていて、ふざけていない、揺らぎのような状態だろうか(風の通り道繋がりだと、夢だけど夢じゃなかった、のような)。芸術が(私の心の中で)醜い現実に侵食されそうなことに酷く腹が立った。同時に、絶対に負けないぞ、という強い想いで踊り続けた。
 一方で、「言葉」がない瞬間、メンバー4人がそれぞれ一心不乱に演奏する姿が強く心に残った。黒いシャツを汗でベショベショにしながらギターを掲げてかき鳴らす田中さんは最高だった。どの部分がカッコ悪くてどの部分がカッコよかったのかはもう区分できない。オジサンが必死にギターを弾く姿が反転してカッコいいと言う訳ではないし、ギターを掲げる、ある意味紋切り型のパフォーマンスがカッコ悪い訳ではないし。とにかくカッコよくてカッコ悪かった。もう何を書いているのか分からなくなってきた。
 どの曲であったかは忘れたが、曲中に田中さんが1度ギターを置き、再度抱え直したシーンがあった。その時の田中さんが何とも言えない、人生の深みを感じるとてもいい表情をしていたように見えた。散々MCで3階から落ちてくるホタテについて語っていた田中さんは、最後は黙って深々と礼をしてステージを去って行った。その姿はとても美しかった。後、あんなに演奏が凄いにも関わらず、軽音部の先輩を見ているような気にさせられるのは何故なんだろうか。曲中に田中さんがアンプをいじりに行くたびに楽しい気持ちになった。

 終演後はボーッとしてしまったが(周りの誰も帰ろうとしていなかった)、澤部さんがこんな曲が地球に存在するのか、という曲を流し始めて我に帰る。走ればギリギリ終電に間に合いそうな時間。ただ、もし走って新宿の怖い人にぶつかったら事だと思い、競歩のような状態で新宿駅を目指した。1分前ギリギリに電車に乗り込むことができたが、汗だくになっており、周りの人に申し訳なくなった。

 最初で最後の進行方向別通行区分のライブ。普段のライブとの差異や、長くバンドを追っている人の感慨などは私には分からないが、このライブに行くことが出来て本当に良かった。しかし心の底に穴が空いているため、この日の楽しさを次の日に持ち越すことは出来ず残念だった。ライブ後も辛い日々が続いているが、我が家には進行方向別通行区分のCDが9枚ある。この手焼きのようなCD-Rが、あの日私が確かに生きていたことを思い出させてくれる。夢のように記憶は薄れていくが、夢ではなかった。サツキとメイがトトロからもらったドングリの様に、これらは私の宝物だ。そして新譜の「スティーブンせがれ」は最高にいい曲だ。解散という言葉が再度反故にされる日を、ゆっくり待ちたいと思う。

 

2023 8/25 日記

 休職4日目、6時20分起床。午前4時頃に早朝覚醒、ベットでじっとしているとこの時間になっていた。猛烈なダルさはあるが、両足はなんとか動きそうだったので炊飯器をセットしてから散歩に出る。時折サッと雨が降るような空模様だったが、散歩はうつに効くはずという強迫観念に押され何とかドアを開けた。
 これから出勤するであろう車の進路方向とは逆に歩いて行くうちに気分はどんよりしてくる。橋から見下ろす川面は嫌いではないが、頭から行けば確実だろうな、という思考に支配されがちなためなるべく見ないよう、歩くことに集中する。橋を降り、川沿いを歩いているうちに雲間から陽が差し込み、一瞬ではあるが気分が良くなる。
 約40分の散歩を終え帰宅、シャワーを浴びる。流石に汗を流した後のシャワーは快適だが、蛇口を止めた瞬間、身体が重力を思い出したかのように重くなる。妻が起きるまでソファーに沈む。何故かふるさと納税のことを考えていたが、休職に伴いボーナスも減額されることを思い出したため急ぎ思考を打ち切る。
 8時30分過ぎ、妻と朝食。食欲はないため卵かけご飯をかき込む。妻の出社を見届けてから私も準備。週に1回、副作用だけは一人前に出る抗うつ剤を貰うための心療内科通い。

 9時25分頃出発。35分頃、坂道を下り信号待ちをするためスピードを落とすと突然のエンスト。後続車はなく、急ぎハザードを出し路肩に止める。エンジンをかけ直すとあっさり動いたため、何とか安全な場所に移動しようと車を動かす。40分頃、二車線道路を走行中再びエンスト。何故もっと早くどこかで停まらなかったのかとは思うが、慣れない道でさっとコンビニを探すことは私には出来なかった。ここでも赤信号を確認し減速中に起きた。何とか中央分離帯に車を寄せる。追突事故を誘発しなくて良かったと思うほかない。
 JAFを呼ぶが1時間程かかるとのこと。先に警察に連絡するよう指示があり、歩道に出てから電話をかけ直す。110番はパン屋の駐車場で停車中の隣の車のサイドミラーを擦ってしまった時以来だ。居場所を伝えるために近くの眼鏡屋の名前を伝えるが、信号の名前を聞かれ狼狽える。そして今日初めて信号にぶら下がった案内板に書かれている名前が信号の名称であることを認識した。

 心療内科に予約を午後に変更してもらう電話をしているうちにパトカーが到着した。最近アプリでハコヅメという警察の漫画を読んでいるため、くだらない事で連絡して仕事を増やし申し訳なくなる。交通整理をしてもらっている間に、もう1人の方に近くのコンビニの駐車場まで車を押してもらうことになる。この時は普通にエンジンがかかり、車への殺意と警察の方への申し訳なさが加速する。
 駐車場で警察官に平謝りする。側から見れば捕まっているようにしか見えなかっただろう。口が渇ききっていたためコンビニでポカリを購入。レジで串揚げを勧められたが喉を通るはずもなく苦笑いで断る。

 JAFを待ちながら駐車場で我が愛車を眺め、空を見上げる。空は青く雲は白い。時折私を慰めるように風が頬から身体へ抜けていき、灰皿の風下にいたため湿った吸殻の匂いに包まれる。34才の夏休み、神聖かまってちゃんも歌ってくれない年齢になったな、とふと思う。駐車場に車は1台、私だけ。トンボが2羽、クルクル回っている。真夏のピークは去ったことを感じた。
 健康そうな少年が自転車でコンビニへやって来た。生気なく壁にもたれる、不審者そのものである私を避けながら店内に入っていく。しばらくしてニコニコ顔の少年が、紙に包まれた串揚げであろうものを持って出てきた。今度は私も彼の視界に入らないように場所を変える。串揚げを自転車カゴに入れ、彼は夏休みの中に立ち漕ぎで戻っていった。私が彼の年齢の頃、こんな未来を想像しただろうかと思ったが、昔から悲観的だったためなるようになった現在なのかもしれない。

 10時50分頃、JAFのレッカー車が到着。整備の方の前では当たり前のようにエンジンがかかる。エンジンが止まる所を見たいので車道に出てくれないかと言われるも固辞、いつも行く車両整備の店までレッカーしてもらった。
 11時20分頃、整備場到着。ペットボトルのお茶をいただき、人の優しさに触れる。普段車に乗らないわりに(乗らないせいかもしれないが)不思議な故障に見舞われるため、今回もし修理代が嵩むようであれば廃車、乗り換えも検討してもいいかもね、と奥様とお話しする。とにかく運転が苦手で、人の車で事故を起こすプレッシャーに耐えられないためいつも代車は借りられない。午後の病院へはタクシーで行くよりない。

 このまま帰宅するとうつと情けなさで動けなくなるのは明白だったため、散歩がてら遠回りし昼食をとることにした。早朝とは違い太陽は昇りきり汗は滴り落ちるが、キラキラ光る川面は綺麗だった。20分程歩き、気になっていた蕎麦屋に入る。冷房がかかった空間で腰を落ち着けるやいなや、汗が滝のように流れ出した。これは滝のようと形容するに相応しいなと思いながら、みるみる湿っていくシャツを眺める。自分の匂いが気になり、人のいないテーブル席に移動させてもらう。
 蕎麦はあまり口に合わなかったがミニカツ丼は美味しかった。何より最後にアイスコーヒーが出たのがとても嬉しかった。店からすれば普段から行っているサービスなのだろうが、疲れ切った心にはアイスコーヒーが声援のように感じられた。この時、午後の通院をタクシーではなく電車で行くことに決めた。私はどこかに電話することに異常に苦手意識があり、またタクシーに乗るのがかなり苦痛になる(理由はよく分からない)。電車だと一度市内に出て乗り換えするため、車で行けばいくらかかっても30分のところ90分かかってしまうが、気持ちは随分軽くなる。私は今日から藤井聡太先生のような乗り鉄になる、乗りたいから乗るのだと自己暗示をかけながら、急ぎ帰宅し本日2回目のシャワーを浴びた。そして今日のことを日記につけておこうと決めた。

 朝履いて出たジーンズは汗を吸えるだけ吸っていたため別のズボンを探す。昔は服など全く気にしなかったが、結婚後に教育的指導を受け続けた今、服装がおかしくないか妻に確認しないと服ひとつ選べなくなった。涼しそうな短パンを履きたかったがこれが正しいのか分からず、やむなく別のよそ行き用のジーンズを履いた。
 また汗だくになりながら時刻ギリギリに最寄駅に辿り着く。周りは若者ばかりで、自分が不審者でないと証明できるのは左手の結婚指輪だけであるような気になってくる。周りはまだかなりの割合でマスクをしているため、私もそれに倣った。駅に着き、初めての路線に乗り換える。券売機で切符を買い、駅員さんに切ってもらう。イノシシのヒズメのような跡が切符に付く。たまにこの路線でラッピングされた車両が走っている見かけるが、ホームに停まっているのは通常のもののようだ。今日から乗り鉄なので、車体の番号など確認してみる。クモハ705と書いてあった。座席は深く沈む。走り始めると直射日光が当たる場所であることが分かり閉口した。
 30分程で目的地に到着。数駅前に降りる方が車掌さんに切符を渡していたのを見たのでそれに倣ったが、駅で渡して下さいと言われ恥ずかしかった。先の停車駅はどうやら無人駅だったようだ。徒歩数分で病院へ到着。診療開始時間まではまだ時間があり、近所のドラッグストアへ。グミを買おうとしたが、突如レジに持っていくのが怖くなり断念。情けなくなる。15時の10分前に病院が空き、待合室で一息つく。
 最初に診療室に通され、この1週間の症状を先生に話す。薬の比率を変えて様子を見ようと言われたので、様子を見ることにしようと思う。高速診療の甲斐あって、1時間に1本の帰りの電車に乗ることができた。帰りの切符には、行きとは違い四角い跡の切れ目が入れられた。

 家に帰っても辛くなるだけなので、喫茶店に寄ろうと決めた。どんな時でも喫茶店にいる時は心が安らぐ。電車から降り、影を伝って街を歩く。ガラス張りの店には気後れして入れず、Googleマップに出てこない気になっていたお店は閉まっていた。たまに店の前を通りかかっていたお店に入る。マスターとお客さんが1人、楽しそうに話していたが、異物が空間に混ざったことを察知し会話が止まった。身を縮めながら空けてもらった席に座りブレンドを注文する。私は山川直人さんの「コーヒーもう一杯」に強く影響を受けており、初めてのお店では必ずブレンドを頼む。と言うよりも今だにどの豆がどういう味か分かっておらず、メニューに深煎りの説明書きがない場合ブレンドを頼む他術がない。私は苦味の強いコーヒーが好きだが、このお店のブレンドは酸味が強くフルーティーだった。ちなみに私はコーヒーの味を説明する語句をこの3つしか持ち合わせていない。壁に豆の種類や特徴が書いてあったが、せっかく日記をつけるのにもう何を書いていたか覚えていない、残念だ。元々長居できないタチだが、あまりに所在なく早々に店を出た。

 このままでは帰れないが、目的なく歩くのはかなり精神状態がいい時にしかできない。以前行ったことのある本屋に向かい、その時は現金の手持ちがなく断念した「死ぬまで生きる日記」という本を買った。いつか読むべき本だと思っていたが、そのいつかを今日にすることに決めた。その本を小脇に、向かいの民宿のような喫茶店のような居酒屋のような、昭和の住居をそのまま残したお店に入る。前回は立ち飲み席だったが、今回はカウンターに上がらせてもらう。コーヒーとカタラーナというデザートを注文。これは忘れたくなかったのでしっかりメモをしておいた。
 扇風機の風が優しく、とても居心地がいい。厨房が丸見えの席から、下戸な私がこれからずっと飲むことがないであろう色とりどりの酒瓶が並んでいるのを眺めていた。近所の常連さんが集まり始め、楽しい空気が充満する。皆笑顔だ。私は元々この店に置いてあったカップのように、自然にその空間にいることができた。コーヒーも美味しくおかわりし、本をめくっているといつの間にか時間が過ぎていた。また来たいと思う。次回は品切れだったチーズケーキを頼みたい。

 妻に連絡し、駅まで来てもらうようお願いした。朝日を浴びるためいつも散歩は早朝だったが、夜の散歩も心地よい。ふと祭り囃子が聞こえた。足を止め角を覗くとお神輿の明かりも見える。周りの皆のように楽しめないため祭りに参加するのは苦手だが、どこかで祭りが開かれているのはなんだか嬉しい。明日は花火大会があるようだ。街中に吊るされた提灯を眺めながら待ち合わせ場所まで歩いた。
 夕食はラーメン屋に行くことになった。美味しいがあまりに味が濃く量も多いため、以前食べた時は1週間胃が荒れてどうしようもなかった。今日は妻が大盛りを頼み、それを少し分けてもらうことで対策をとった。別にキクラゲのたまご炒めも注文。大学院生の頃、これも異常に大盛りの店で唯一完食できた思い出深いメニューだ。店内にはYOASOBIの「アイドル」が流れている。小鉢に分けられたラーメンで私の胃袋は十全に満たされた。たまご炒めも味が濃く、小ライスを更に少なくしたものを注文した。注文したと書くと嘘があり、注文もライスの量の交渉も妻にしてもらった。ひとりでは何もできない子供のような状態だ。それでも何とか今日を終えることができた。スマホに記録された歩数を見ると17714歩とのことだった。良く歩いたと、わずかな達成感を得られた。これでグッスリ眠れるといいのだが。

 8/26 4時30分。悪夢にうなされ早朝覚醒も防げなかったことを記録し、日記を終える。