上野駅公園口と東京国立博物館の間にある林の整備工事が終わり、遊歩道ができました。
これからの暑い日は日差しをやわらげ、雨の日もぬかるみに足を取られず歩けるでしょう。私は、勝手に「逍遥の小道」と名付けました。もっとも、私を見た人は徘徊しているようにしか見えないかもしれませんが・・・。世界のいろいろな美術館を見てきましたが、上野の山全体として捉えると、上野公園はどこにも負けない美しい文化ゾーンです。
醍醐天皇が天台宗の僧円珍に、僧侶として最高の位である「法印大和尚」と、「智証大師」という尊号を贈った時の命令(勅)を伝える文書だそうです。右端にその通り書いてあるのが読めます。小野道風は平安中期の最高の書家三人、すなわち「三蹟」の一人といわれました。彼らは、それまでの中国の書の模倣(唐様)から脱して、日本風の書(和様)を完成させたといわれています。なるほど、この書も豪放な中にまろやかさが感じられますね。ところで、三蹟の最後のひとり藤原行成を、大河ドラマ「光る君へ」では渡辺大知という俳優が演じています。あのドラマでは、『和漢朗詠集』の撰者藤原公任(町田啓太)とか、古文の教科書に載っている人が沢山出て来ておもしろいですね。
特別1室では、特別展「法然と極楽浄土」にリンクして「阿弥陀如来のすがた」(5/21~7/7)という展示をしていました。絵画や座像等もありましたが、6体並んだ立像が印象出来でした。どれも前傾して立っており、阿弥陀仏の方から私たちの方へ迎えに来てくださるということを表現しているのでしょう。とてもありがたいのですが、もう少し待っていただくこととして3室に向かいました。
3室のやまと絵のコーナーでは、土佐光信の『清水寺縁起絵巻』を観ました。
坂上田村麻呂が氏寺である京都・清水寺に東国平定の報告を行い、同寺を改築する場面が展示されていました。「清水の舞台」も観光客でにぎあう今とは違い、人もまばらでのどかな風景が広がっています。「京都もコロナの頃は人が少なくゆとりをもって楽しめた」などと思ってはいけませんね。それにしても、オーバーツーリズムは何とかしてほしいです。
8室には私の好きな呉春(ごしゅん)の屏風が展示されていました。
朦朧とした山々と点描で描かれた木々の葉が、観るものを別世界に誘います。呉春は最初大西酔月という画家について絵を学びますが、後に俳句の師であった蕪村の弟子となります。蕪村の死後は応挙に教えを乞い、自分のスタイルを探し求めましたが、晩年大成し四条派の祖となりました。この絵もやや蕪村風です。私は呉春の描く人物が好きなのですが、この絵の左隅を歩く二人の山人はおおらかで味わいがあります。
特にあらぬ方向を見上げている左の若者は、なかなか最近はみられない素朴さがあります。他の作品ですが、呉春の描く子供は醜いけれどかわいい不思議な表情をしています。7室に今展示されている、師匠蕪村の『山野行楽図屏風』の人物はさすがに飄逸ですごいのですが、呉春の人物を見るとなぜかほっとします。
9室では、能「善知鳥(うとう)」に見る面・装束を展示していました。この能面は主人公(シテ)が後半で亡霊となって出てくる場面で用いるものです。
題名の「善知鳥(うとう)」は鴛鴦に似た海鳥のことだそうで、能では親鳥は「うとう」と鳴き、子鳥は「やすかた」と鳴くとされています。主人公の猟師はこの鳴き声をまねて、善知鳥を獲る猟をしていました。残酷なやり方でたくさんの殺生をしたことから、地獄に落ちました。地獄では、善知鳥は亡者を責め立てる怪鳥となり、自分は雉となって犬や鷹に攻め立てられます。この能面は亡霊となった猟師が旅の僧の前に現れ、助けを求めつつ消えていく哀れな場面で使われます。家族を養うためとはいえ殺生をする人は悪人として地獄に堕ち、自分の手を汚さない貴族は極楽に行けると思われていた時代です。「悪人でも念仏すれば浄土に行ける」と唱えた親鸞の教えが、貧しい人たちに受け入れられていったのはもっともなことです。この悲しい顔をした能面を見ていてそんなことを考えました。
10室では、多色刷りの浮世絵版画「錦絵」が登場する以前の、初期浮世絵が展示されていました。次の作品は鳥居派の祖、鳥居清信の美人画で、墨一色のため「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれます。
1760年代に錦絵が登場すると、墨摺絵は作られなくなってしまうのですが、現代でも海外を含め多くのコレクターがいます。何といっても、墨摺絵の美しさは線にあります。この絵でも太い線、細い線が生き物のように描かれています。色が使えない分、絵師も摺師も線にこだわったのでしょう。
最後に、特別2室で行われている「親と子のギャラリー」(5/14~6/16)で素敵な人形を見つけました。
作者は人形師としてはじめて人間国宝になったひとで、繊細で洗練された木目込み人形を作った人だそうです。確かに、親子の情愛と朝の静けさが感じられました。
帰りも、逍遥の小道を通って上野駅に向かいました。