結局、男女間の友情とか蜃気楼ってことでOK?
タイトルの通り、25年現時点で出した答えがそれだ。
異性間、もっと言うと、肉体的な性の対象となる相手との100パーセントの友情はあり得ないと言うのが人生を掛けてだした結論だ。
巷で目にする
「おめー、ホントに可愛くねーな。そんなんじゃ彼氏いつまで経っても出来ないZE☆」
「んもー!マジムカつくー笑、絶対りょーがビックリするようなイイオトコつかまえてやるもん!プンスカ!」
などは、友情と呼ぶには片腹痛すぎてのけぞるレベル。
それはもはや、ただの肉欲の土俵入りの行為に過ぎず、『現時点では』2人はただの友達だよ!
と、いうことを周囲に、世界に、そして、自らに思わせようとしているだけである。
力士が塩まいて、四股踏んでいるようなもので、肉欲の行司の「ハッケヨイ!!」
の掛け声で、押しつ押されつのがっぷりよつを行う事はお互いに織り込み済なのである。
「増田童貞が鼻息を荒げているな」と思われても仕方ない文章だと思うが、今日私は糾弾するためではなく、警告するために、はてぶへログインをしたのだ。もう少し聞いてほしい。
この、『性の対象者における友情否定論』に関して
「今更何を言っているん?童貞なん?」と言う人
「そういう記事、やりにくくなるからやめてほしい、童貞なん?」
という人はスルーしてくれても構わない。気にせず己の修羅道を突き進んで欲しい。
自分が警告を発したいのは「そんな事は無い!」と憤怒に顔を歪めている、あなたへだ。
もしも、経験、背景が違ったとして、あなたが、親友と呼べる異性(性の対象者)がいるとして、その関係がいかに親友と呼べるものかどうかに関して議論をする気も余地も毛頭無い。
なぜなら、あなたの親友(笑)があなたを肯定、否定する時、そこには性が入っているからである。
あなたのなんのオチもない話を辛抱強く聞くのは、それが肉欲相撲の土俵入りの儀式だからだ。
失恋に悲しむあなたを、優しく慰めてくれるのも、行司がいつか「ハッケヨイ」してくれるからだ。
そして、あなたはあなたという人間性と、あなたの性を合わせてチヤホヤされているということに気づいているはずだ。
そしてそれに味を占めているだろう。すごく危険だ。
あなたを肯定、否定する際に性が入っていたらそれはもはや土俵の上だ。分かりながら相撲に興じているならそれでいい。
そういう関係にある人がいたとしても、同性(性的対象ではない)の友人がたくさんいる人は問題ない。
しかし、性的対象者(ストレート女性であれば、男友達)しか親友と言える人がいないあなたは注意を払うべきだ。
土俵入りしているにも関わらずそれに気付きもしないで、土俵際の相手を親友と信じ込んでいるあなたに警告を発したい。
一度、土俵を降りるべきだ。
何も、早急にその親友との繫がりを切れと言っているわけではない。お相撲する可能性のない同性の友人を見つけるべきだと言っている。
自分を性ありきで肯定してくれる力士友達だけではなく、安心してお互いをけなしあえる大場所の客同士を友人と呼ぶべきだ。
「今回の初場所をどう見る?」と座布団の上でお菓子でもつまみながら話して欲しい。
でないと、相撲友達が構ってくれないとき、また新たな相撲友達を探すなんて事をすることになる。
おそらくすぐに見つかるだろう。
あなたは魅力的なのだろうから。(ヤれそうやし。)
しかし、それを続けていれば、あなたはいつまでも無限に続くスモウレスラーの修羅道をひた走ることになるだろう。
(ワンチャンありきの)親友にチヤホヤされているだけでは、いつまでたっても心の安息は得られない。それは極めて肉体的なギブアンドテイクの関係なのだから。
まあ、べつにええけど。
あの日の君の涙が、今日の僕を作ってるんだ。
全ての水は循環していいる。らしい。
海水が蒸発して、雲になり、雲は山にぶつかって、しとしと雨を降らせる。
雨が、森に染み込んで湧き出て、川を下って海に出る。
水道から飲んだ今日の水も、ローソンで買ったジンジャエールも、汗や涙として体外に流れ出て
排水されて、海に行くなり蒸発して雲になる。
また雲ができて山にぶつかって雨を降らし、以下同文。
地球にある水の総量はずっと一定らしい。
因果の小車、輪廻転生、諸行無常、食は万里を越える。
全ての言葉が意味しているように、全ては周り回り続ける。
そう考えると、今日僕の喉を潤してくれた一杯の水には、君があの日に流した涙が溶け込んでいるのかもしれない。
君が明日ローソンで買うジンジャエールは、僕が8年前に田んぼにした小便なのかもしれない。
まぁ、そんなことより君が8年前に食べた米は僕の小便ですくすく育った米かも知らんけどなっ!!
ヒィヤァ!!!