生い立ちに振り回されない人もいる

自分語りです

特に暴力などはありません

ただ親に捨てられただけの話です

生まれつきなのかどこでポジティブな性格になれたのか分からないけれど、生きづらさはほとんどない

周囲からはなんの苦労もなく大人になって子育てを

終えた人だと思われているが今でも人の気持ちは

あまり分からないから吐き出したい

自分の生い立ちに悩む人は非常に多い

普段は気にならないのに当たり前の家庭で

当たり前に育った人と一緒に働いていると

特に強く感じる事がある

でも感じるだけで羨ましいと思う感情は芽生えない

「仕方ない」

この一言に尽きる

大体どんな事も「仕方ない」で成り立っているし

何かのせいにするのが正直めんどくさくなってきて

〜だったら‥を手離したら生きづらくなくなった

母親は男がいないと生きていけない人種だった

しかも長続きする事はない

何人の異父兄弟がいるか分からないほどなのだから

母親は昔、幼い自分を連れ家出し新しい男の所を

転々としていたが3歳くらいの頃に妹が生まれて

新しい家族が出来た

継父の親である祖父母との暮らしが始まる

両親は夜の仕事をしていて顔を合わせる事はあまりなく

祖父母が親代わりの生活をしていたが

段々と2人ともあまり帰ってこなくなった

数年後から母親は1人で、または自分たちを連れて

出て行き別の男の所へ転がり込んだりしていたが

やがて1人で出て行ってしまったのだった

そして母親と継父は実は入籍していなかった事が

判明した

引き続き面倒を見てくれた祖父母には感謝しかない

妹はともかく血縁でもない子を高齢の祖父母が

育てるにあたり、施設に入れては?という意見が

かなりあったらしい

母親の両親である実の祖父母も施設が最善という

意見だったようだ

そうしてそのまま暮らせる事になったけど

高齢の祖父母に養子縁組なんかの知識が

なかったのか何も変わらないままの暮らしだった

結婚する時に知ったが住民票では同居人となっていた

継父はその後、その家で暮らす事はなく年に数回程度

顔を見せるだけだった

理由は「仕事が忙しい」つまり、母からも継父からも

捨てられたんだと幼いながらに理解していた

それでも「親」への憧れからか大好きだった

祖父は母親が大嫌いだったようだが寡黙なため

あまり母親の悪口も言わなかった

祖父は躾が厳しく耳が遠くて時々話すときは

大声で怖かったが祖母は裕福な育ちからか

優しさだけで出来ているような人で

すごく大好きだった

こんな歪な家族で生活をしていると近所からは

とてもじゃないけど良い顔はされない

幼稚園も行った事ないから友達もいない

ルールも善悪が分からずにハトを捕まえて羽を抜いたり

線路に石を並べたり公園で砂地にひたすら絵を書いたり

大体は1人で遊んでいた

そして出て行ったはずの母親が突然迎えに来て

オムツが外れたばっかりの妹も一緒に知らない所に

連れて行かれる

知らないおじさんを「パパと呼びなさい」だと

呼びたくないのでそれからほとんど口をきけなくなった

口をきかないことでかなり叱られていたがそれでも

喋らなくて病院に連れて行かれたりしていた

「パパ」が、何人か変わって母親は自分のアパートを

借りてきて3人暮らしにシフトした

これでまた喋れるようになった

「パパ」がいないから素直に嬉しいと思えたが

家からあまり出られない環境だった

母親は夜の仕事をしている

つまり夜は子どもだけの生活をしていた

ネコの鳴き声が不気味で眠れなかったので

母親が夜中に帰って来るまでテレビばかり見ていた

男を連れて帰って来る事も頻繁にあったが、翌日に

母親に聞かれても知らないと答えることにしていた

この頃ちょうど小学生になるタイミングだったが

行ってなかったし、小学校がどんな所かも知らなかった

身体が弱くしょっ中、病院に連れて行かれた記憶はある

身体が弱いから学校に行けないと言われていた

母親は昼間は寝ているのでいつも妹と2人で遊ぶ日々

別に仲が良い訳でもなく他に選択肢がなかったから

家の中で絵を描くか遊ぶか近くの公園に行く程度

ある時、いつもより遠い所に行ってしまい帰り道が

分からなくなって初めての迷子となった

この件で約2年の母親との暮らしはあっけなく終わりを

迎える事となる

5歳の時に祖父に教えられた家の住所や電話番号を

覚えていて交番で言えたからもの凄く褒められた

捜索願いが出されていてすぐに継父と祖父母が

迎えにきて元の暮らしに戻る事ができた

遅ればせながら小学校に行くことも出来るようになった

生まれて僅か数年で色んな事があり悲しいという感情が

失われたのか育たなかったからか良くも悪くも冷たい

感情を持つ性格になってしまったと思う

母親を恨む感情はとても薄く軽蔑の対象になっているが

性格が形成される年ごろに起こった為か

神経質で感情の乏しい変わった子と見なされていた

実際に友達との関係づくりはとても困難だった

繊細そうな見た目だった事もあり両親がいないことを

とても同情されるか思い切り見下されるかのどっちかで

家庭環境の良くない子とばかり気が合った

おかげで普通の家庭がどんなのかを見る機会も

聞く機会もとても少なかった

中学生になった時、懲りずに母親が突然「迎え」にきた

再婚したのでそちらで一緒に暮らさないかと言う

この時、既に再婚相手の子を2人産んでいた

「はぁ?」以外の言葉がなく、精一杯の軽蔑の眼差しを

向ける事しか出来なかったが冷遇されるとは微塵も

思っていなかった母親はとても狼狽えていた

自業自得だと思ったし話さずとも気持ちを形にできて

この時、初めて母親を捨てれた気がした

妹は母親に会えたことを喜んでいたので自然と

母親も妹に取り入り1週間くらい滞在していた

当時は反抗期で家に帰らず友達の家で過ごした

何度目かの突然の来訪に思春期の心を揺さぶられ

動揺してしまったのかも知れない

良くない素行がますます悪くなっていった

悪い友達もたくさんいて段々と家に帰らないし

警察沙汰になったりもして中学もろくに行ってないから

当然、高校にも行ってない

ここからはよく聞く様なありきたりな話で

20歳でデキ婚して子どもを産み何年かで浮気されて離婚

頼る親もなくあんなに嫌悪した母親と同様の夜の仕事を

したりして生活していたわけだけどどんな状況でも

「子どもを捨てる」という発想は全く浮かばなかった

たぶん、心から軽蔑している母親と

同じ事をしたくない

という意地だったと思う

結果としては手離したりしなかったけれど

親になるということは非常に難しい

嫌な事は見ない様にして生きてきた代償は大きく

自分の子どもの嫌なところも見たくなくて

お互いに苦しんだんだと思う

尊い親子の絆みたいなものは築く事が出来なかった

成人した子どもは独立してひとり暮らしをしていて

連絡を取ったり出かけたりしてはいるけれど

関係性は他所に比べると希薄なんじゃないかと思える

それでも大切だと言ってくれて理解しようとしてくれる

彼女に申し訳なくそして有り難く思ってる

今は40代で転々とした仕事も良いご縁があり

安定した生活がやっと出来るようになってきた

安定した仕事を手に入れるために努力を始めるのが

ずいぶん遅れた人生ではあるけれど職場で出会った

人から得たものがあまりに多い

おかげで今は何不自由なく大人になり自活してきた人と

周りには思われている

今も人の気持ちはあまり分からないけれど

思春期の頃のようにわざわざ表情には出さなくなった

普通というスタートラインに立てるようになるまで

普通の人らしく早起きして身だしなみを整えて

言葉づかいや所作に気をつけて人の悪い所に気づいても

口外しないようにしたら生きてこれた

妹は思春期の母親の襲来で拗れてしまったのか

他人と関係性を築けず誰に対しても攻撃的な日常を

過ごしている

一度結婚して子を授かったが男と一緒に消えて

子は保育園に何週間も放置し見捨てて施設行きになった

今は自活してはいるが異性にもお金にもだらしなく

相変わらず夜の仕事から抜けられない

気にかけた時期もあったがもう仕方ないと諦めている

妹を見ているとどうしても母親を思い出してしまう

もう継父も他界して頼る人もいないだろうけど

きっと「自業自得」と割り切って助けないだろうと思う