イエローナイフは朝

それが人生

二歩進んで一歩下がる

久しく何も書いていなかった。

自分はいつもこうで、何かを続けようとしてもすぐ辞めてしまう。紙媒体の日記もそうだ。今年はやるぞと意気込んで良い日記を買っても、結局一週間くらいで部屋の隅に追いやられている。そもそも、日記というのは大体が12月始まりでも1月始まりで、その頃は葬儀屋として繁忙期の真っ只中で息をつく暇もないわけで、日記をつけてる暇もない。

それでも、こうして文を書きたいと思う時は、大抵が母のことを思い出す時である。

 

最近、家の中を片付けている。

少し前までは、母のものは何も捨てられなかった。亡くなってすぐは、「少しずつやらなくちゃだね」と言いながら、父と二人で大量の服の整理などを始めたが、どれもこれも母の面影が強すぎて長時間続けることは出来なかった。そのうち、元々あって困るものでもないし、と言って片付けることをやめてしまった。やはり亡くなってすぐに物を片付けるというのは心理的に非常に抵抗があったし、母の物を置いておくだけで、母がいた時の生活からあまり変わらずにいられるような気もした。

今年の秋はスニーカーを買った。靴箱に収納しようとした時に、自分がしばらく履いていない靴が何足か陣取っていたので、少し捨てることにした。古くなったパンプスやサンダルを捨てているうちに、いっそのこと雑多に詰められている靴箱を全部整理しようと思い至った。そして手始めに何が入ってるか分からない箱を開けてみたら、母の靴が出てきたのだ。

その後も、箱を開ければ母の靴が出てくる出てくる。母はヒールやお洒落なサンダルは履かなかった。代わりに、皮の柔らかい婦人用の靴を好んで履いていた。恐らく5、6足くらいは出てきた気がする。

私は悩んだ。捨てるのは忍びない。しかし、もう誰もこの靴を履くことはない。このまま靴箱の肥やしにしていても……。私は決心して、母の靴を全て処分することにした。

父に、「お母さんの靴が沢山あるんだけど、そろそろ捨てても良いかな」と聞くと、「いいんじゃないかな。誰も履かないし」と言った。「私一人で整理して良いの?」と言うと、「整理するのも大変だから、やってくれると助かるよ」と父は言った。案外淡々とした物言いで、少しほっとした。

金属が付いてるものと付いていないもので分類し、靴が収納されていた箱は分解して燃えるゴミへ。自分の靴と合わせて、4袋ほどのゴミが出た。

母がいなくなった直後は廃人のようになりかけていたのに、今の私は母の身につけていた物を淡々とゴミ袋に放り込んでいる。私は冷酷な人間かもしれないと思いながら、黙々とゴミ袋を縛った。

その次の休みは、洗面所や洗濯機などの水回りを片付けた。母が使っていたヘアーセット用のスプレー缶やボディクリームを捨てて、用途の分からない化粧品も捨てた。貰い物なのか、普段使わない洗濯機用の洗剤も捨てた(父と二人になった今でも、生前母が買っていたものを使い続けている)。水回りは、母のテリトリーだった。しかし、そこも今は私が一番使うようになっている。あれから2年は経った。今まで使わなかったものは、父と二人での今後の生活でも間違いなく使わない。ならば捨てるしかない。私は元来捨て魔の節がある。ここは母の血でもあると思う。

 

前は、「母の私物を捨てる」ということに強い抵抗があった。生活から母の痕跡を消したくなかったし、そうすることで母が亡くなった日から遠ざかるスピードを少しでも落とそうとしていた。それでも、月日は平等に、残酷に流れていく。自分がどんなに母と離れたくないと思っていても、1年、2年と簡単に過ぎていってしまう。

1年目はまだ良かった。「去年、母が亡くなって」と言えた。2年経った時は辛かった。自分は何も進歩していないのに母の三回忌がきてしまったという事実は、母を遠く感じさせるものだった。

どうやったって、母は離れてしまう。私だけが進んでしまう。ならば、物を残すのではなく、私なりに別の方法で、母のことを大事にしなくてはならない。そう考えていた。

だから、物に縋るのではなく、父と私の生活の為に、二人が住みよい家に変えていかなくてはならない。

二人の生活に決して慣れることはないが、二人の生活として新しい形を作っていかなければならない。

そう思っていた。そう思うことで、母が亡くなったという現実から、ほんの一歩だけど、前進できたのかもしれないと思っていた。ほんの数日前までは。

 

休日に、家でだらだらしていた時だった。掃除機でもかけながらDVDでも観ようかと思い、ディスクを入れた。そして再生ボタンを押したら、ディスクではなく、内臓されたHDDに録画されたビデオが映し出された。

そこに、母が映っていた。

数年前に撮ったホームビデオだった。確か、ビデオカメラで録画したものをテレビに移す方法が分かったとかで、父がテレビにデータを保存していたものだった。その中には、病気の影もなく、孫達の面倒を見ながら台所に立ち、家事をする母の姿があった。

母が亡くなってから、生きて、動いて、言葉を話す母を見るのはこれが初めてだった。衝撃だった。「おかあさん」と、震える声が出た。遺影写真は毎日見ている。帰ってきたら必ず「ただいま」と声をかけるし、母の顔を見ない日はない。それでも、母の声を聞いたのは、実に2年9ヶ月ぶりだった。

父がビデオを回している。何気ない朝の食事風景だった。まだ1歳に満たない甥っ子が座り、台所のタイマーをいじっている。ボタンを長押しして、ピピピピと大きな音が連続している。「なんの音?」と声がする。母だ。「タイマーだよ」と父が答える。「すごい音だからびっくりした」と言いながら、トースターから焼けたパンを出している。元気な母だ。

画面が切り替わって、朝食を作り終えた母が席についている。孫の隣に座り、顔を覗き込んで笑顔になっている。その向かい側で、兄夫婦は安心してゆっくりと何か話している。母が笑っている。

私は泣いていた。涙が止まらなかった。

ずっと母の声を聞いていなかったから、母の声を忘れてしまっていた。あんなに毎日一緒にいたのに、声が思い出せないと思っていた。何年も前に会わなくなった友人の声は思い出せるのに、ほんの少し前まで一緒にいた母の声が思い出せなかった。なぜだかはわからない。母の元気な声が、病気の進行によってどんどん弱く小さくなり、最後には呟くことしかできなくなっていったからだろうか。それを認めるのが怖くて、最近は考えないようにしていた。

ビデオの中にいる母は、こちらを見て笑いかけていた。私は嗚咽し、「もうやめて」と呻いた。やっとの思いでリモコンを取り、再生を止めた。しばらく涙が止まらず、胸を押さえてうずくまりながら泣き続けた。

私が何より辛かったのは、この映像を父が見ていたのだということだった。一体どんな思いで見ていたのか。怖くてとても聞けなかった。父は、生きて動く母を見て何を思ったのか。私にしてみれば、ふと寂しくなって見るにしてはあまりに辛すぎるホームビデオだった。私は父に見てしまったことを悟られたくなくて、再生が始まったところまで巻き戻しをして、DVDも見ずにテレビを消した。

私が母の物を捨てすぎたことが起因していたら、という考えが頭をよぎった。私があまりにも無情に母の物を捨てるから、父が虚しさを覚えたのかもしれない。それなら私の責任か。父の気持ちは分からないし、それを聞く勇気も、覚悟もなかった。それを受け止めるには、あと何年もかかる。

 

結局、私は何も進歩していないし、母の幻影を色濃く背負っている。しかし、人生の薄暗い部分を母のせいにはしたくない。

今でも数日に一回は母が夢に出てくるし、夜中に起きて泣くこともある。それでも、闘病中に散々見ていた夢のように、母が体が痛がって泣いていたり、車椅子に乗っていたりすることはなく、明るく元気な母として夢に出てくるようになっただけで、私は救われた気持ちになっている。

 

日記

ここ最近仕事が立て込んでいる。

やたらと大きな葬儀が入って、連日準備のために遅くまで残業している。その準備のために他の業務も遅れており、簡単にいうと軽い地獄のような有様になっている。

世の中は三連休らしく、三連休の友人からやたらLINEが届くのだが、返事をしていない。そもそも「解放された、三連休だ〜!」とメールがきて(厳密にはLINEなのだがどうしてもメールと言ってしまう)、「こっちは仕事だ」と言った後に「へへーん、頑張れ」と言うやつに打つ言葉はない。そもそも別に友人でもないし会ったこともない人間なのでもう面倒になった。

人付き合いをしたいのかしたくないのかよくわからない。一人だと寂しい気もして誰か隣にいてほしいと思うけど、その労力を割けない。そもそも葬儀屋は友人を失くす業界であって、急な仕事しか存在しないので、次の日急遽出勤というのもザラにある。約束は常にドタキャンの可能性を秘めてるし、土日休みは存在しない。年末年始もゴールデンウィークもお盆もない。365日24時間電話対応。困った時はいつでもお電話お待ちしております。

人生に疲れてるような気もする。それでも、新しい服を買えば気分は明るくなるし、美味しいものを食べに行きたくなるし、ゆっくり旅行もしたい。その時間は作ろうと思えば作れるのかもしれない。ただ、服を買っても着る機会は仕事で潰れていくことが多いし、美味しいものを食べに行くよりも家で簡単に済ませて寝たいし、旅行に行くためにシフトを調節するのがしんどい。こうして全て仕事のせいにしている自分も虚しい。

それに、こんなことを言っていても結局仕事は好きだし、辞めたいことはあっても結局葬儀に携わりたいのだから、何も変わらない。変えようとしていないのだし。

来年は、自分の時間を大切にしたい。本を読んで、映画を見たい。日記をつけて、その内容を書き留めてみたい。自分の糧になるようなことをしたい。それが、今年も自分を酷使した自分へのご褒美だと思う。

深夜の散歩

眠れないということがほとんどない。

大抵は仕事で疲れて、ご飯を作って、お風呂に入ったらそのままベッドに倒れ込む。

休みの日でも、本を読んだり映画を見てだらだらと過ごしても夜は眠くなるし、たまに友人と飲んで帰りが遅くなれば、酒の力でたちまち眠くなる。

だけど、もしいつか、眠れないなんてことがあったら、深夜に散歩に行ってみたい。

今なら寒くなってきたから、コートを着て、歩きやすい靴を履いて、そっと扉を開ける。音を立てないように鍵を閉めて、息が白いことに驚くかもしれない。

静まり返った住宅街の中に立っている電灯がジリジリ音を立ててるのを聞きながら、昔よく遊んだ公園まで歩く。ものの数分もかからない。真っ暗な公園の真ん中に街灯があって、そこの周りだけ明るい。

数少ない遊具の一つ、ブランコに乗ってみる。自分の背が伸びたから小さく感じる。漕ぎ出したら、きっとギィギィ音がすると思う。もうあの公園の遊具は古いから。あとは滑りの悪い滑り台と、曲がった鉄棒と、小さな砂場しかない。

ブランコに飽きたら、公園を出る。住宅街を出て、大通りに出る。車道を照らす濃いオレンジ色の街灯を見る。信号機は深夜だからきっと点滅を繰り返している。

しばらく歩いたら、歩道橋がある。小学生の頃に登下校のルートだった歩道橋だ。昔より体力が落ちたから、登ったら息が切れるかもしれない。それとも、意外に短いことに気付くかもしれない。上に着いたら、車が通らない真っ暗な車道を見下ろす。柵に寄りかかりながら煙草を吸うのも良いかもしれない。母が病気になった時にやめたけど、時々吸うと美味しく感じる。

煙草の煙を吐きながら、空を見る。星が出ているか、曇っているか。曇っていてほしいと思う。天気の中で一番曇りが好きだから。

煙草を吸い終わったらまた歩き出す。歩道橋を降りて、車道沿いに歩きながら、また住宅街の中へ戻るルートに向かう。そっちの道は街灯が少なくて真っ暗の場所があるので、ゆっくり歩く。その頃になったら体が大分冷えてるかもしれない。

そうしてまた少し歩けば、家が見えてくる。きっと全部で20分もかからない。鍵をそっと開けて、音が立たないように玄関を閉める。冷たい体のままベッドに入って、あたたまるまでじっと待つ。そうしてる間に瞼を閉じて、何も考えずに睡魔が襲ってくるのを待つ。

そんな散歩をしたいと、ずっと考えている。

宇多田ヒカルがまたよく分からないことを言ってる

自分が知らないうちに宇多田ヒカルが二曲も新曲を出していた。最近がっつりネットサーフィンもしないからこんなビッグニュースを見逃していたことにショックを受けた。それはそれとして、宇多田が精力的に活動しているようで本当に嬉しい。

一曲目は、「大空で抱きしめて」。

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サントリー天然水のCM曲らしい。マジかよ……道と同じじゃん……CMとかやってたの宇多田……テレビ付けないから知らないんだよ……勘弁して……

ポップ調だけど穏やかな曲で、自然の中をバックパック姿で歩く宇多田がすごくマッチしてる。サントリー天然水最高じゃん。一生サントリー天然水買います。

歌詞は、少し夢見がちな女の子が好きな人へ思いを馳せているような内容。可愛い。明るくテンポよく進んでいくけど、時々寂しさを感じさせる。 恋に夢中な女の子が喋っているような歌詞だけど、メロディは大人を感じさせる。好き。

 

もう一曲は、「Forevermore」。

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ていうか宇多田、ドラマの主題歌とか歌ってたの……マジで聞いてない……毎週宇多田の曲がOPで聴けるならそのドラマ見てたよ……早く言ってよ……視聴率どれぐらいだったか知らないけど宇多田が主題歌だから視聴率50%は固かったんじゃないですかね。見てないけど。

MVは、宇多田がたった一人で踊り続けている、というもの。Forevermoreの歌詞を体全体で表現している。途中で部屋の中心にあるステージに上がり、狭い円の上で激しく体をうねらせて、寝転んで、感情を爆発させている。青い照明に照らされて、宇多田の肌が陶器のような色に見えて、人間味を失って一種の芸術のように見える。

ていうか宇多田マジですごいな、黒のタンクトップとダンサーみたいな黒パンツで、よくわかんない円柱みたいなとこで踊ってるだけでハチャメチャ格好良い。すごすぎる。今何歳?え?34歳?むしろ若返ってない?

曲調は、先程の「大空で抱きしめて」とは違って、シックでシリアスな雰囲気。ヴァイオリンの前奏から入って、後ろで控えめなドラムが鳴るだけで、全体的に宇多田の声を引き立たせるためだけに演奏が存在している感じ。最近の宇多田は歌を大事にしていて、演奏は控えめというものが多いように感じるけど、これもそんな感じに聞こえる。(※全てド素人の感想です)

歌詞も本当に良いことを言っていて、特に「一人きりが似合う私を今日も会えず泣かせるのはあなただけよ」とかはすごく素敵だった。分かる分かる、そう思う相手っているよね、と思わず共感してしまった。その相手は結局サイコパスで倫理観に欠けていたのでズタボロにされて終わったんだけど。

でも、一節だけ、理解できない歌詞の部分があった。

 

友達は入れ替わり服は流行り廃る

私を私たらしめるのは

染み付いた価値観や

身に付いた趣味嗜好なんかじゃないと

教えてくれた

え、自分を自分たらしめるものって、価値観とか趣味嗜好じゃないの?

ここは聴いていて、ん?と考えた。どうやら宇多田は、人生の中で自分たらしめるものが他にあるということを見つけたらしい。私はまだ見つけられていないようで、この部分を今すぐ理解することは出来なかった。

私は今まで、自分の価値観というものを大事にしてきたし、多趣味であるが故に色々なものを吸収し、それが性格、生き方に反映されているのだと思っていた。そして、それらによって人格は形成されていくものだと思っていた。

でも宇多田ヒカルは自分たらしめるものは他にある、と言っている。他とは何なんだろう。今までの過去?自分でも意識していない部分での自分らしさ?それとも、他人から見た「私」が私だ、ということなんだろうか。深すぎる。分からない。

思えば、宇多田ヒカルの曲を聴いて、すぐに理解出来ない歌詞は山ほどあった。

「Stay Gold」の「就職も決まって遊んでばかりいらんないね 大人の常識や知恵身に付けるのも良い」なんて、自分がその歳になるまで実感が湧かなかったし、「For You」の「誰かの為にじゃなく自分の為にだけ優しくなれたらいいのに」とかは、人間関係に疲れた時に聴いたらはっとさせられた。「嵐の女神」は言わずもがなで、母と過ごした時間が頭に広がって、涙なしでは聞くことが出来ない。

もしかしたら、また私が年を取って、何かを経験した時にForevermoreを聴いたら、その時初めてこの歌詞の意味が分かるのかもしれない。他の人がこの歌詞を聴いて、「すごくわかる」と思う人も沢山いるのかもしれない。

宇多田は、いつも自分のずっとずっと先を歩いていて、何年も経った後にその意味を教えてくれる。だから宇多田ヒカルが好きだし、自分にとってただのアーティストじゃない。人生の先輩のような、恩師のような、そんな存在だ。

 

 

自分の声を聞くために来年は日記を付けようと思う

2018年のほぼ日手帳を買った。

来年の手帳のことがネットでポロポロと話題になってるのを見て、そういえば大分前にほぼ日手帳を買って全く埋めることが出来なくて、結局二ヶ月くらいで引き出しの奥で眠らせたことがあったなーなんてことをふと思い出した。

元々机にずっと向かうタイプでもないし、マメな性格とは程遠いし、日記なんてものが続いた試しがなかった。それでも大学生時代にほぼ日手帳のことをネットで知って、「こんなオシャレなものがあったなんて!毎日日記書きたい!使いこなしたい!」という気持ちを爆発させて買った結果、学生時代の私には生活が平坦すぎて何も書くことがなく、白紙のページが増えていくのを眺めて無理だな、と諦めた。

 

でも今年は久しぶりにまた買いたくなった。

出かける暇がなさそうなのでほぼ日ストアでさっさと注文を済ませてしまったので、手元にまだ届いていない。

今回頼んだのはこれ。

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前回もオリジナルにしたので、今回もオリジナルにした。

ロイヤルブルーも魅力的だったんだけど、中のクリーム色が汚れやすいかな、と思ってこちらを選択。

今は持ち歩くこともないだろうしきっと日記形式で使うと思うけど、カズンはさすがにでかすぎるしそこまで書くことはないと思ってやめた。

 

元々日記を続ける持久力もないのに買おうと思った大きな理由は、年齢を重ねるにつれて人生に向き合う時間が増えた、という点から。

学生時代は大学の合間にアルバイトをして、バイト代を全て同人誌即売会に費やし、友達と遊び、予定のない日は昼まで寝て家でダラダラする、と正に死ぬほど高い大学の学費を食い潰すだけの典型的大学生で、自由気ままなストレスフリーの生活をしていたために日記を必要としていなかった。

でも今は、母が亡くなって父と二人の生活になったり、駄目弊社のどうしようもない上司に振り回されたり、仕事上のストレスで白髪が急激に増えたり、それでも仕事は好きで毎日ささやかなやり甲斐を感じながらも転職をした方が良いのか考えたり、偶然出会って付き合った人がサイコパスで身も心も擦り減って胃痛持ちになったり、かと思ったら次に出会った人がバツイチ子持ちでメンヘラ気質だったり、もうとにかく色々ありすぎて人生のスピードについていけない。学生時代はサイクリングぐらいののんびりとした速度だったのに社会人になってから突然150キロは出てるんじゃないかっていう速度。驚きの連続。波しかない。正直休息が欲しい。

そんな速度で勝手に車輪が回るもんだから、とにかく自分がどういう状況に置かれてるかを客観的に判断する必要があって、そういう時に何か紙に書いて整理できたらな〜と以前から考えていた。ほぼ日手帳を買う前も、適当なノートに書き殴ってみたりしていて、文字で一つ一つ出来事を書き連ねていくと「こんな状況だったのか」と改めて驚くことも多い。頭の中で浮かんでる言葉は消えてしまうけど、文字に起こすと消えないから、いくつも羅列していくと「こんなに問題を抱えてるのか」「ならここはこう改善できるな」「これが複合されると危険だから逃げた方が良いな」といったように多面的に物事を見ることが出来る。

 

使えるようになるのは2018年の1月からだから、それまでに手帳をカスタマイズするのも楽しそうだなーとぼんやり考えてる。どうやらカバーの上に付けるクリアカバーが付いてくるらしいので、表紙には大好きなフランシスベーコンの絵でも挟もうか、それともルーヴル展で買ったポストカードを挟もうか、とか色々妄想してる。そうやって好きなものを挟むというのもアリだと分かったので、自分が手に取りたくなるような表紙にすれば続けたくなるかもしれないし、開きたくなる手帳にするのも楽しいかもしれない。

上手く使ってる人はInstagramにアップしたりしてるみたいだけど、きっと私はアップなんかとても出来ないような内容を書くんだろうし、日によってはぐっちゃぐちゃに書くかもしれないし、綺麗にまとめることもできないと思う。それでも良いし、後々になって見返して「この時の自分は辛かったけど、今はそこそこに幸せだぞ~」と言う自分がいることを信じて書いてみたい。

 

なんだかほぼ日手帳の販促みたいになってしまったけど、ただモノが実際良いので、使いこなしてみたいな~と思ってるだけの日記でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ニーアオートマタはアクションゲーではなく散歩ゲー

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ニーアレプリカント神ゲーだったので、ずっと発売を待ってたんだけど、バタバタしてたらプレイが今になってしまった。

トーリー、音楽、戦闘システム、そこらへんは色んな人が評価してるし全て最高なので、とにかく世界観の美しさを伝えたい。

ニーアオートマタは、機械生命体に地球を侵略された後の地球が舞台なので、全体が廃墟化している。なので、廃墟フェチは絶対にやった方が良い

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メインの廃墟都市。

スクショの撮り方が下手なのでもっと綺麗なところがあるのに伝えられないのが申し訳ない。

 

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集合住宅地廃墟。通称マンモス団地。

砂漠の中で風化している感じが出てて、個人的に一番好き。

小さいブランコやすべり台もあって、すごく物悲しい。

 

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水没都市

ここも非常に雰囲気があって素晴らしい。建物の中から水が出てる感じが最高。地盤沈下で未だに沈み続けてるという設定らしい。

 

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遊園地廃墟。

ディズニーオタクの友人が感動してぼーっと打ち上がってる花火を眺めてたらしい。

他にも色んな場所があるので、是非自分の足で歩いてみてほしい。

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トーリーは終わったので、次はハードでやりながらスクショを撮る旅にでも出ようかと思う。

トーリーも進めたいしサブクエも充実してるからそっちもやりたい、武器も沢山あるから集めたい、でも流れる音楽も良いからすぐに進みたくない、そして綺麗な場所があるとスクショを撮るのに忙しい……

最近のゲームはすぐに終わってしまうとか聞いたけど、ニーアオートマタはやりたいことが多すぎて全く終わらない。ストーリーも文句なし、スタイリッシュ戦闘システム、音楽は前作に引き続きニーアの世界観を見事に引き出してる。

こんな最高なゲームがありますか?いや、ない。

皆ニーアオートマタやりましょう。ダイレクトマーケティングでした。

 

シリアルキラー展Ⅱ前期・後期に行ってきた

www.vanilla-gallery.com

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2016年に初めてヴァニラ画廊で展覧会が開催されてから、もう一度行きたくてたまらない展示会だった。また今年も開催される、しかも前期と後期で作品を分けて開かれると聞いて、どちらも絶対行こうと決めていた。

2016年の時は、Twitterシリアルキラー展の情報を知った。その前にエドワード・ゴーリーの展覧会にも行っていたので、元々ヴァニラ画廊のことは知っていた。その後に開かれたラブドール展も最高だった。ヴァニラ画廊はこういったアブノーマルな展覧会ばかりを開いていて、それが私の性癖と非常にマッチしているのでありがたい限りである。いつもありがとうございます。

 

シリアルキラー展は、実在する殺人鬼達が残した絵や葉書、手紙、当時の新聞記事、中には下着までもが展示されている。その異空間にある種のエネルギーを持っているそれらが壁いっぱいに飾られていて、広いとは言えない二つの展示室を回るだけで一時間ほどかかる。

去年行ってはいたけど、今年は新しく見る作品も多くあった。特に一番印象に残ったのがウェイン・ローだった。

シリアルキラ-は、家庭環境が不遇である場合が非常に多い。両親がドラッグやアルコール依存症なのは当たり前、虐待、離婚、貧困、そういった問題を抱えていたシリアルキラーが多い中で、ウェイン・ローはそういった問題が見当たらなかった。父親は空軍戦闘機のパイロット、母親はバイオリンの指導者、ウェイン・ローも7歳でバイオリニストとしてデビュー、その後バスケットチームにも所属、成績優秀。経歴だけ見ていると何の問題もないように見える。

そんな彼も銃乱射事件を起こして二名死亡、四名の重症者を出す事件を起こしたが、彼の作品として展示されているのはかなり奇妙な写真だった。海をバックに佇む女性や、道の真ん中で楽しそうにジャンプする女性などの写真など、その顔の部分が糸で刺繍して見えなくなっている。他にも女性が座っている写真では、顔や手など肌が露出している部分が全て黄色で塗りつぶされていたり、かなり異質だ。見た時に狂気を感じて思わず鳥肌が立ってしまった。実際に見てみないと伝わりづらいとは思うけど、公式ホームページで一点だけウェイン・ローの写真が載っていたので是非見て欲しい。

ウェイン・ローが殺人に至ったのは、神や悪魔の影響ではなく、自らの怒りの産物だと語ったらしい。刑務所内でのインタビューに答える際に、若い人達に何か伝えることはあるかと問われた時に、

「あなたが愛しているものが奪われたくないのであれば、他の人の愛を奪わないことです。――もう誰も私の話など聞かないと思いますが。」

と答えたという。最後の自虐的な言い方が気になって仕方がない。ウェイン・ローはどんな人だったんだろう。何を思って人を殺したのか。ウェイン・ローは何かを奪われたんだろうか。

 

今回、シリアルキラー展二回目ということで、どうしてももう一度見たいものがあった。エドワード・ゲインの署名入りの聖書。手の平サイズの本当に小さな聖書で、長年ずっと肌身離さず持っていたようにボロボロになっている。エド・ゲインは、狂信的なキリスト信者だった母親の元で育って、性的なことは汚らわしいと言われ続け、他の人と交流することも許されなかった。そうして歪んで成長してしまったエド・ゲインの人格の破片がこのボロボロの聖書にあるんじゃないかと思うと、目が離せなくなってしまった。それが今回も展示されていて、もう一度会えた喜びでずーっとショウケースの前で眺めていた。

元々「羊たちの沈黙」の映画を見てエド・ゲインのことを知って、展示会で彼の名前があるのを見て心躍った。エド・ゲインが実在していた証が見られる。非常にドキドキしながら展覧会に行ったら、なんとエド・ゲインの墓拓があった。墓の拓ってなんだ。魚拓でもあるまいし、墓の拓なんて取るのか。新しすぎる。今回も後期にしっかり飾ってあった。ちなみに、他のシリアルキラーでは遺髪とか書いて飾ってあるのもあって、なんというか、H.N氏のコレクター魂には脱帽という感じだった。

 

今回は後期も含めると三回目というのもあって、後半になってくるといくつか見たことのある作品もあった。H.N氏がシリアルキラーの内面に触れられるような作品を意識して展示していると語っていたので、新しく見に来る人達のために同じものも飾っていたのだと思う。日常的に見るものではないので、同じ作品が飾られていても何度でも見たい。

展覧会を開いたコレクターのH.N氏は、パンフレットの前書きで、シリアルキラーにまつわるものをコレクションする複雑な心境を語っていた。誰に見せるわけでもないコレクションが1000点も超えて、一体何をやっているのだろうと漠然とした感情に襲われるという。彼らの物語に踏み込み過ぎないように、普段はコレクションを自宅の一番奥の部屋に閉じ込めているらしい。シリアルキラー達も気になるが、H.N氏自身のことも気になってしまう。どんな気持ちでコレクションしているのか、どんな人なのか。あんなに力を持っている作品たちと一緒にいて、自分が壊れないんだろうか。きっと自分をコントロールするのが上手な人なのだと思う。私がもし「エド・ゲインの聖書をあげるよ」と言われてもきっと受け取れないと思う。30分でも3時間でも眺めていられるけど、ずっと一緒にいられる自信はない。エド・ゲインの見えない力みたいなものが強すぎて、きっと自分が不安定になってしまう。

私も、シリアルキラー達が遺したものに何故心惹かれるのかはわからない。興味本位、怖いもの見たさ、どちらもある。でも一番は、シリアルキラー達が同じ人間であったことを感じたいと思っている。同じように息をして、ものを食べて、誰かを好きになった人もいたのに、どこか根本的に何かが違ったのか、それとも少し何かが変れば自分も同じような道を歩むのか、それを作品たちを通じて感じ取りたい。

シリアルキラー展に展示されている作品はどれも強いエネルギーを持っているから、対峙しているだけで相当の体力を使う。出た時はいつもへとへとになっていて、必ず帰り道に喫茶店に寄ってしばらく体と心を休ませなければいけない。

きっとまたシリアルキラー展があったら、懲りずにせっせと足を運ぶんだろう。そして、シリアルキラー達の内面に触れたいような、触れたくないような、自分でもよくわからない気持ちを持て余して、見終わった後には清々しいようなもやもやしたような感情になるんだろう。それが気持ち良いので、結局どうしようもないのだ。