猫が好きな人間とは
唐突ではありますが、
猫はお好きですか??
私は大好きなんて可愛らしい言葉では足りないほど、どっぷりと深く複雑な感情で愛しています。いや、愛すことを止められない。
といったところで、なんとなく私の猫に対する愛情をお伝えすることが出来たでしょうか。
猫が好き。適当に理由を考える。
①凛とした佇まいが美しい
→猫背なんて言葉に猫という文字を含んで欲しくないほどに
②顔の表情が2パターンくらいしかないところ→表情がコロコロ変わるような喜怒哀楽が激しい生命体があまり好きではないから、猫のこの表情のシンプルさがたまらなく好き
③飼い主にしか開かぬ心
→大抵、知らない人間に対する警戒心が強く、内弁慶な感じが可愛くてすき
④常に清潔、よだれを出さない
→むしろ人間のことを汚いと思っているであろう、猫の神経質さも愛おしい
⑤気まぐれで、食べ物をねだる時のあからさまな態度の違いが潔くてすき。
⑥犬に比べると、低脳なところ
→怒る気にもならない。猫に対しては怒りという感情が湧かない。
⑦あまり鳴かないのでうるさくない
→朝、動物の都合で起こされることがない。
細かいところをあげると、きりがないのでこんなものにしておこう。
猫が好きな人間はきっと、猫が懐いから好きというより、その気まぐれな性質が好きなのではないだろうか。
つまり、猫好きな人間は、距離感を大事にして生きている人が多いのではないかと考える。
こんなこと猫の魅力を羅列して考えるほどのものではないけれど、きっと大雑把に捉えるとそういうことなんだろう。
私は猫好きな人間に圧倒的な信頼を置いている。おそらく距離感を理解してくれる人が多いだろうから。
それでも残念なことに私のまわりには犬派が多い。そして、やはり距離感が近い人間が多い。
そこがその人たちの魅力ではあるけれど。
…
私は猫を愛している。
宗教である。
猫という、自分を裏切りもしない、完全に受け入れもしない、新しい神。
その神には毎日祈りを捧げる必要もないし、その神は、愛する者のそばにいる。
そんな身近でお手頃な宗教が普及したのには、人付き合いの変容という社会的な背景があるだろう。
さて香ばしい匂いのする神に餌でもやろう。
ピエロ
人間は大きく分類されて二種類。
男と女、なぜこうも違う物体なのだ
女は消費される。
男は女を消費する。
そんな世の中で、男を純粋に愛すのは難しい。わたしはそれを知っている。
それでも「女は純粋」
これはある程度求められる要素で、それを知っているから純粋なふりもする。
それでもそんなことにも疲れてしまう。
わたしは恋人がいる。
とても大切にされていると感じる。
それでも相手を信じることができない。男は女を支配したがる生き物で、いつでも対等なんかじゃないから。
好きだけど、心底憎たらしい。
それでも求められるものは大きい。
わたしの小さな器には到底乗せきれないものばかりを要求される。
なので、女も浮気をする。
男という毒を消し去りたい一心で、男という薬を求める。
女にとって良薬だと思ったそれは、飲み込むとまた胃を痛めつけるだけで、結局なにも治さなかった。
自分を騙して、男に飲み込まれまいと男を飲み込む。それには大きな代償もある。
わたしは心底女という生き物が嫌いだ。
自分がその女であるという事実。
女は嫌い。男に食われるだけだから。
でもその真理を知っているわたしは男をいくらでも傷つけることができる。
世の中の女の死を無駄にはしない。
フェミニスト。ある意味わたしという女は、女が大好きなのかもしれない。
……
っていう考えはわたしの脳みその一部であり、ややフィクションです。
それでもたまにうんざりします女に。
恋人に傷をつけられることもあるけど、痛みは愛。生きてることは苦しみを伴う。そんなことを思いながら、恋人と闘っていくのだ。
世の中の女たち、どうかヤケクソにならないで。だれかを信じられなくなるということは自分を愛せなくなるということ。
どうか強く生きてほしい。
誰かを信じることは辛いことだけど、幸せになるための最も充実した手段だと思う。