計画と人生
日付を見る限り、このブログに最後に記事を書いたのは4年ほど前だったらしい。その時から今まで、どうやら僕の悩みは変わっていない。
環境が変わり、頭の中でこねていたスタンスや悩みが、現実上の困りごととして浮上した、ただそれだけのことだ。
計画と人生。
多少大げさだが、そんなタイトルをつけてみた。
だが正確には、計画を実行できないことと人生、というべきなのかもしれない。
大学院や会社での勤務、そして在野での研究活動等さまざまな失敗を経て、この問題に対してどう向き合うかという極めて実践的なことが、目の前に浮上しているのである。
これも、どこか皮肉なことだ。
なぜなら、過去に書かれた文章を見る限り、そのような人格に対してある種の一貫性を求めるような態度に対する反発こそ、僕の学術的関心の背後にあったものではないかと思うからだ。
自己というテーマに関心を持ったのも、自分の中に、どうやら世間で求められているような自己像をつくりあげられないことに気づいたからだ。
しかし翻って思うと、そもそもそんな一貫した自己性など、どこでも求められていないのかもしれない。いや、正確に言えば、求められているのは「行動」であって、その奥に仮構される「自己」なるものは、案外みな仮構であることに気づいている。気づいていて、でもその仮構をもとに、ひとまずある程度安定した行動を生み出すことができている、そういうものなのではないか。
そして僕はそれを生み出せずにいる。
反発し、それをモチベーションに学び・書こうとし、そして書くためには反発の源となっているものをどうにかする必要があることに気づいた。
とすれば、これは結構大きな問題である。
さてどうしよう。
考えるのは、嫌いではないはずだ。
でなければ、大学院に行こうなど思うわけもない。
しかしここ数年間、そうしたものからどんどんと離れていたかもしれない。
先行研究が抑えるべき「前提」となり、
「対話相手」とならなかったのがもっとも不幸だったのかもしれない。
僕は常に、前提を抑えていないことに対して怯えていて、ゆえに文献と対話をしてこなかった。そもそも対話相手など、いたのだろうか。
「難しいですねえ」
「〇〇が議論していたように思います」
「もっと勉強してみますね」
みたいなことしか言っていなかったのではないか。
目の前のことについて、なんらかの未来診断的なことを述べるのには禁欲的になるべきであり、より深くそれに迫ろうとする立場に僕は与したいと思う。だが、何かを述べようとする態度との均衡の中にこそ、それはあるべきではないか。
またべき論を語ってしまった。
不毛である。
1000文字書いたので、今日はおしまい。
1日1000文字書く
突然だが、1日1000字書くことにした。
一年くらいまえに2000字書くといって挫折した記憶があるから、その反省を踏まえている。反省を活かすことができれば成長したということになるのだろうが、それは今後の結果次第である。今回はさしずめ、目の前に迫った課題について少しずつ考えてみたい。なお、参考文献などは考えない(もしかしたらあとから追加するかもしれない)。書くことが重要なので。
研究のテーマは演劇である。
そう言いはじめたのがいつだったのか覚えていないが、それが「とりあえず」の部類に収まっていたことはよく覚えている。何も決まらないまま卒論が近づいてきて、なにはともあれ決めておかないと何も始まらないぞと、あとで変わってもいいからとりあえずスタート地点を作ろうということで確か決めたのである。そしてそのままずるずると大学院まで来てしまった。
ここ最近、遅れてきた5月病で、どうも自分はこのテーマをどう掘り下げていってよいのかわからなくなってきている。少なくとも問いも明確でなければ、対象も明確ではない。方法だけ人類学でやりたいと思ってここまできたが、人類学の方法といってもそれなりに多様でありまた排他的なものは現在ほとんど存在しない。さて、自分はなにをしにここまでやってきたのだろうか。典型的な5月病である。せっかくなったのだから、ここでしばらく考えてみたい。
演劇、嫌いではない。こういう表現になるのは、どうも演劇をいつも見に行きたいと思うほど演劇ファンではないからかもしれない。どんな演劇が好みかと言われると少し難しいのだけれど、最近仕入れ来てきた僅かな知識では、おそらく新劇系のなんだか重厚そうなテーマを扱ったようなやつが好きなのだろう。コメディも好きだけれど、大学とかそこらで観る演劇は大抵内輪感があって好きではない。
それでも演劇というもの興味を持ってきたのは、おそらく自分がかつて演劇をやった経験があるからである。決して好きでやったのではない。授業でやったのである。それも一年をかけて。
その時の経験は、いまだに言葉に上手くできないものとして残っている。楽しかったわけではない。至上の価値を見いだしているわけでもなければ、文句を言いたいわけでもない。つまり対して言いたいことがあるわけでもないのだが、なぜだかこの経験はずっしりと自分のなかに残っていて、どうにかこれを消化しろと呼びかけてくるのである。
このようなわけだから、演劇ということに向いている僕の興味はおそらく僕自身に向けたものであって、決して他人に向けられたものではない。つまり、他者を問おうとする人類学という学問フィールドで問うべきものではない、ということになる。もちろん演劇それ自体は十分に問うべきものであろう。しかし、どうも自分にとって演劇の問いはどうやらそこで終わってしまう。どうしたものか。
こうしたことから目をそらすために、ここのところ「他者を演じる」という行為を中心に興味を向けてきたことにしていた。つまり演劇をさらに役者の行為というところに焦点を絞った上で、そこで行われている行為を「他者」を身体を用いて「演じている」と考えるということである。しかしそうなると「他者」という言葉の定義が問題になる。
まず他者について考えてみよう。
哲学でいうところのレヴィナス的な「他者」をイメージするなら、それは決して演じられるべきものではない。なにはともあれ、これをレベル①としておこう。
一方民俗芸能の文脈で考えると、それは神とか精霊とかの人間ではない人間には理解し得ない存在としての「他者」である。これがレベル②である。
また日本の現代演劇を考えてみると(非常に幅広い実践ではあるが)、そこにいるのはおそらく自分とは異なる文化的な背景を背負ったという意味での「他者」である。ここでいう文化的背景とは国レベルのものから階級レベル地域レベルなどいろいろなケースが想定できるが、つまりこれがレベル③である。
さて、演劇や芸能においてなんらかの形での「他者」が存在し、役者はそれらと稽古や本番を通じて関係をつくってきたのだとしよう。しかしそれを「演じる」ということはどういうことなのだろうか。
まず我々が注意すべきなのは、演じられる対象である「他者」は演劇の過程を通じて変化しつづけるものであるということである。それがもっとも顕著であるのは、おそらく現代演劇かもしれない。現代演劇はその他の伝統芸能と違いある固定的な役というものがほとんど存在しない。役者は公演ごとに異なる役に参入するのであり、それはおおよその場合はあるスクリプトとして存在しているものである。
パフォーマンス研究者のリチャード・シェクナーは演劇から儀礼までさまざまな行為を「パフォーマンス」として捉え、それらの特徴を「行動の再現」として一括した。それは儀礼や演劇、芸能を過程的に見ようという宣言であり、徹底した構築主義の宣言でもである。例えば演劇一つをとってもそれは決して静的に分析可能なものではない。それはある行動の再現(それはリハーサルを通じて一日前の自分の行動の再現が行われるというミクロな次元をも含む)でしかないのであり、少しずつ変わっていくことをその内に含んでいる。そしてそうした再現の過程は、最終的な本番において一つの新しい起源と本物という次元へと固定されるのである。
唐突だが、ここで終わりとする。何も整理していないし見返してもいないが、いつのまにか2000字を超えていた。書くことさえ決めていないし、少し前の文章と接続させる気もない無茶苦茶なものができあがったが、とりあえずここで一旦筆を置くこととしたい。
※ここまで書いてふと気づいたが、一つ前、つまりおよそ8ヶ月ほど前の投稿を見てみるとどうやら同じようなことを考えているらしいことがわかる。人間そんなに変わりはしない。そのうち、前回の記事の後の顛末についても自分でまとめがてら書いてみたいところである
恋と覚悟
ここのところ、一つの問題にずっと頭を悩ませている。
それは、自分の中にある構築主義的側面と、本質主義的側面のぶつかり合いと表現できるかもしれない。
恋とはいったいなになのか、付き合うとはいったいどういうことなのか、これまで観客として眺めてきたその問題を、あまりにも問われすぎていまさら問うことすら恥ずかしくなってしまうような事柄をいまさら考えているのである。
「覚悟」という言葉がその中で浮遊している。もし恋愛が他者と向かい合うことなのだと、柄谷行人が言うように一つの崖を飛び越える賭けのようなものなのだとすれば、その賭けの結果を引き受ける態度はどのようにあるべきなのだろうか。
少し遠回りになってしまうが、自分自身のことからはじめたい。なぜなら、わたしが、あなたと付き合う、というとき「あなた」がどのような人なのかということと同時に「わたし」とはなにかという問題が同時に提起されるからである。このことを無視することはできないし、無視できないからこそ、こんなにも悶々としているわけである。
さて、自分は大学に入ってからこれまで、一貫した自己というものに対して否定的であったように思う。とはいえ、その態度自体はそんなに古いものではない。小さい頃にはそんなことを考えたことすらなかった。自己という自覚が、しかも反省的なものとして自分の中で問題に成り始めるのは、おそらく中学も後半になってからであったように思う。
高校時代、この一貫性は他者に対する反発と自らへの規制として存在していた。彼らとは違って自分はこうする、ああするといった一つひとつの実践が、自分の同一性を担保していたように思う。しかし、その一貫性のもつ息苦しさから少しずつ変わろうとしはじめたとき、それは同時に、一貫した自己というものがある日々の反復という実感によってしか支えられていないのだということが明確に自覚される。
今思えば、この「実践」は非常に深い意味を持つ。押井守の代表作Ghost in the Shellの中で、主人公の草薙素子は次のように言う。
人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには、驚くほど多くのものが必要なのよ。他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、未来の予感・・・それだけじゃないわ。私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり、それら全てが<私>の一部であり、<私>という意識そのものを生み出し・・・そして、同時に<私>をある限界に制約しつづける――。
こうした様々な部品は、日々の実践の中で反復されながら、違和感なく動く身体という観念をつくりあげていくのである。しかし、考えてみれば、身体とは我々にとってままならないものなはずである。例えば病気の時のような異常な体験に加え、日常的にも寝起きや酒を飲んだ時など、身体が自己の思念の外側にあることを自覚する機会は、数え上げれば限りがない。にもかかわらず、なぜ我々はこんなにも「自己」というものを信じることができるのだろうか。
別の見方をすれば、この「自己」とは他者との関係の中で暫定的に生じる限りのものであるとすること考えることもできる。この前提となっているのは、人間はカオス(無秩序)に耐えられず常にその中にコスモス(秩序)を見出そうとするのだという、古代ギリシア以降続く人間観であるが、上記のような考え方によれば「自己」とは、他者との関係を形作る際に共同でつくりあげた「変化しない仮面」であると言える。我々はこの「自己=仮面」を足がかりとしてある程度その人がどのような人であるかという仮定を行うことができるからこそ、コミュニケーションを円滑に行えるわけであり、毎回相手が流動的な存在であることを想定などしていられない。それは特に日本においてはわかりやすいかもしれない。
さらに話はずれるが、仮面劇について面白い見解を読んだことがある。ポーラ・セミナーズの『演じる』という論集だったと記憶しているが、その中で仮面劇を実践している方が仮面をつけることによっていきなり開放感を味わうという人が多いという話をしていた。それはどうやら「顔」に関係しているらしく、つまり先程から問題にしている「自己=仮面」を具体的に表すものはまさに「顔」なのである。
中田基昭という現象学者が『表情の感受性』という著作の中で自己の捉えがたさについて、「いま、ここ」にある自己を自分は決して捉えられないということを述べていたが、「顔」というものはまさにその象徴である。「顔」は私という仮面の典型として他者に訴えかけているが、一方で私はわたしの「顔」を見ることは基本的にできない。もちろん鏡を使えば見ることはできるのだが、それはコミュニケーションをしているところの「いま、ここ」における私ではない。
このように自らの「顔」とは、他者との共同作業を通じてつくられる「仮面」のまさに象徴的なものであり、その特徴として他者を通じてしか把握できないという意味において、わたしの表情を一番気にかけているのは他者ではなくむしろ自分なのだと言うことができる。そしてそのことが日々において無限に反復していくことによって、「自己=仮面」は徐々に内面化されていき、構築されたコスモスとしてカオスである自己を拘束する、コミュニケーション可能なものへと置き換えていくのである。
仮面劇における「仮面」というのは、こうした「自己=仮面」の作用を一度中断させる効果を持つ。我々が無意識的に演じている役割を、より意図的な役割によって上書きすることにより、その内面を一旦カオスの状態へと戻すことができるようになるのである。
おどろくほど話がずれてしまった。しかしこのまま暴走してみたい。『現代思想』誌における2017年の特集で「コミュ障の時代」というものがあった。そのなかの対談で、國分功一郎と千葉雅也という哲学者が、すべてを明らかにしようとする、ということに対して違和感を表明している。彼らは現代を「コミュニケーション過剰」な時代だと呼び、自称コミュ障たちをそうした風潮への抵抗としても捉えているが、その中で「心の闇」を以下に保つかということへの言及がある。千葉は次のように言う。
現代的なコミュニケーションの主要な問題は、何でも明確に表に出して言うということの規範化だと思います。明るみの規範化。本当はそこまで言いたくない、黙っていたい、もうちょっと静かにしていたいというような 気持ちを尊重してくれない。おそらくそういうタイプの一部の人たちは、自分を「 コミュ障的」と自認したり、さらには「 コミュ障的」であることに何らかの抵抗的な意義を込めたりするのだと思います。明るみに晒さ れすぎることに対する抵抗ですね。
平田オリザ; 國分功一郎; 千葉雅也. 現代思想2017年8月号 特集=「コミュ障」の時代 (Kindle の位置No.1113-1118). 青土社. Kindle 版.
演劇家平田オリザが『わかりあえないことから』のなかで展開した「仮面」といかに付き合っていくのかという議論もまた、ここと重なり合うだろう。
中途半端な議論を展開しているが、仮面論に関しては哲学、人類学、芸術学など問わず非常に多くの蓄積が存在している。以前、アフリカにおける仮面舞踊等の研究をずっと続けてこられた人類学者の吉田憲司さんが書かれた本や、インドネシアにおける仮面芝居などの研究をされている福岡まどかさんの論文などを見ていくと、人類学の内部だけでもいかに深い議論がかわされてきたのかがよく分かる。自分はここまで「自己」と「仮面」という話をしてきたが、ここには当然「仮面」というもののもつ「もの性」に関する考察が抜け落ちている。近年の人類学の議論によれば、ある行為主体性を持つのは人間だけではない。「仮面」には「仮面」の文脈があるのであって、そのことを無視しては深い洞察は得られないということになる。
なるほど、非常に面白いが、さすがに本題に戻ろう。こうしたことを日々考えてきたわけだから「覚悟」といったことなどに対して、自分が非常に懐疑的なわけである。人間が何かを決めるということはできるのか。その責任を引き受けるとはいったいどういうことなのか。毎朝起きるたびに感覚が変わってしまうような人間にとって、そうした「一貫性」を前提とした「覚悟」はどのように引き出すことができるのか。そのことが、今回の件において重くのしかかっていたわけである。
ずいぶんと長くなった上にほとんど関係ない話題になってしまった。
最後に整理だけしておくならば、付き合うということを巡る「覚悟」の問題について、それが自己の一貫性を前提にしているということを確認しておきたかったのである。そしてそのことを自明だと思いこんでいた自分が、しかしいざ恋愛の現場に立った瞬間「覚悟」が必要だというところを出発点にして一週間も悩んでしまったという事実に、自分のことながら驚いたということになる。そのことは次回、詳しく書くことができたらと思う。
眠りと意欲
自慢ではないが、何時間でも眠ることができるのが特技である。
休学していたとき、人間はいつくらいまで寝続けることができるのだろうかと試したことがあった。さすがに3日間なにもせずに寝ていたら我慢ができなくなって何かを始めるだろうと期待していたのに、そんなことは微塵もなく、いつまででも寝つづけて気づけば一週間以上が経っていたのを思い出す。
寝すぎるとそれだけでまた眠くなるから、結局また寝ることになるそれを繰り返していれば時間はいくらでも溶けていく。寝ていればお金がかかることもないので非常にコスパも良い。
とはいえ、妙な罪悪感だけは残っているので、質が良いわけではない。寝てはいけない、寝てはいけないと思いつつ、眠いから寝てからにしようと思ってまた眠る。そういう循環である。
のび太の眠りはそういう点で非常に羨ましい。なんて気持ちよさそうに眠るんだろうか。もしいつまでだって寝ていられるなら、あんな風に寝てみたいと思う。
書く
前回の記事からずいぶんと時間が空いてしまった。
あれだけ一日2000字書くと息巻いておいて、3日で息切れしているのだから世話はない。情けないのでブログ名だけでも戻したが、しかし、それだけではどうもだめだろうと思い、今年に入って何度目かのTwitter垢消しを実行した。
Twitterは猫である。
という説はかつて唱えていた。
両者とも、聴いているようで聴いていないと思ったら聴いていてくれたりする、そんな存在。その相手が不特定多数か、一匹の猫か、それだけの違いなのだと。
けれどやっぱり違う。
誰に読んでもらいたいと思って、あんなにいろんなことをつぶやいているのだろう。どうせ流れていくTLに日々の色々を入れ込んで、そうすることでなにを保っておこうとしているのだろうか。
TwitterのTLの奥に潜む期待はやっぱり猫とは違うのだ。
その期待から一度自分を解き放つ必要がある。
最近、京都に帰りたいと思うことが増えた。
道を歩くだけで過去のたくさんの物語が蘇ってくるあの街へ、帰りたい。いや、むしろ物語が次々と溢れてきたあの時代に戻りたいだけなのかもしれない。
物語ついでに書いておこう。
あまりにも無為に過ぎた週末を終えて、月曜日も一日ずっと寝ていた。何をしていたわけでもない。部屋の外からはカエルの声が聞こえ始めていたし、つい先日麦の刈り入れが終わった田んぼでは残った株と藁屑が焼かれていて、部屋に差し込んだ西日がいつだったかもらったまま出しっぱなしのミラーボールにあたって天井にいくつもの光の斑点を映し出したりしていた。そんなのをぼーっと見つめながらTwitterを眺めたり、漫画を読んだりしていた。
夜、帰ってくるシェアメイトに会うのが嫌で部屋を出て、大盛りがすごいというラーメン屋に行った。久しぶりに外の店での食事だったのだが、肝心のチキンカツを頼むつもりが隣のテーブルに運ばれてきた唐揚げ定食につられてついそちらを頼んでしまった。自分の意思の弱さがこういう場面でぽろっと出てきて、どうも気が滅入る。
しかしそんなことを吹き飛ばしてしまうくらいには唐揚げは美味しくて、お椀の二倍くらいの高さはあるのではないかと思うくらいに盛られたご飯も普通に平らげてしまった。そのままネカフェに向かった。
「恋は雨上がりのように」を読んだ。
雨宿りをしていた二人が、雨上がりの世界へと歩いていく話だった。店長はおそらく何度も雨宿りをしてきたに違いない。それでも、雨上がりの空に恋する少女に出会ったことは、きっと、また雨がやんだあとの世界を歩く勇気へとつながったに違いないと思う。
いつだったか、雨の日を魅力的に描ける作品を書きたいと思ったことがある。天候というのは自分が思っている以上に心を左右するものだ。「雨の名前」という本がかつて父の本棚にあって、それを繰り返し読んだのを思い出す。同じ雨でもまるで違う。同じ晴れの日がこないのと同じように。
雨の日を楽しめる人間でありたいと思う。
何も成し遂げなくても良い。
日々の小さな変化を、それだけで楽しめるような人間でありたい。
家の近くにホタルが出るのを知ったのはつい最近のことである。
スマホなのできれいには取れなかったけれど、きれいだった。梅も収穫して漬け込んだ。梅雨入りが宣言されたというのにまだ蒸し暑くもならないけれど、なんだか夏が来たような気分になった。
音楽と退屈
高校の頃、部活を終えて家に帰ると、いつも狭い居間で姉がチェロを弾いていた。バッハ、無伴奏チェロ組曲。僕が唯一知っているチェロのソロ曲であり、いまだに口ずさむことができる曲である。ミッシャ・マイスキー、ヨーヨー・マらチェリストの名前はこのときに知った。特にそこから広げていないからチェロに詳しいわけではないけれど、たまにYoutubeでミッシャ・マイスキーの無伴奏チェロ組曲を流すと、その頃のことが蘇ってくる。
チェロ一本で奏でられる旋律。
激しく揺れながら上下するメロディー。激しくなったかと思えばたっぷりと低音を響かせてくる感覚は、どこか身体の中にリズムとして刻み込まれている気がする。あの頃は本当に毎晩、ずっとこの曲を聞いていたのだ。
部屋にある大きな姿見も、確かその頃買ったものだ。弾き方を確認するためだといって誕生日だったかにやってきたのを覚えている。いまでは居間の端に追いやられているけれど、あの頃はいつも出しっぱなしでたまに猫がその前に座り込んだりしていたものだった。
通っていた学校には、やけに音楽を習っている人が多かった。特殊なカリキュラムの関係で楽器に触れることも多く、僕自身は音楽を習っているわけではないけれど、バイオリン、バス・リコーダー、ティンパニー、クラリネットあたりは授業で何度も扱った記憶がある。
もう6年以上前のことなのですっかり遠くなってしまったけれど、今となって思えば、なぜあの頃音楽を習わなかったのだろうか、ということが悔やまれる。しかし、あの頃の自分は周りがやっていることは絶対にやりたくなかったし、特に音楽だけは決してしないとなぜか心に決めていたのだ。なぜだろう。
なぜ、こんなことを話し始めたのかといえば、それは「響け!ユーフォニアム」を見たからに他ならない。吹奏楽部のアニメである。スポ根である。見ながらいいなあ、チューバとかやってみたいなあと思ってしまうのは、かつてほんの一端かもしれないが音を合わせることの楽しさを味わったからかもしれない。
決して音楽が嫌いだったわけではないはずである。コーラスは好きだったし、いつだったかクラスでオーケストラをしたときに扱ったティンパニーは本当に楽しかった。まったくの勘違いかもしれないし、やたらと反響がよかった音楽室のおかげかもしれないけれど、その時、確かに音が響き合ったのを感じたのだ。叩き方に合わせてティンパニーがまるで違う響き方をするのが楽しくて、何度も練習した。なぜあのとき音楽をしたいと言わなかったのだろう。
うちの家はかなり貧乏だったけれど、子どもに音楽を習わせることに関してはお金を惜しまなかった。当然限度はあったかもしれないが、でも、未来への貯蓄とかいうもはすべて後回しにして、そうしたところへお金を回すような人たちだったのだ。姉はチェロを、弟はバイオリンをやっていた。
そうだった。ティンパニーの件があった頃にはもう野球とバレーボールを始めていて、身体を動かすことに夢中だったのだ。だから音楽の価値は相対的に低くなっていて、家に帰ってもラジオばかり聞いていてクラシックなんて聞こうとも思わなかったのだ。
いま、大学4年目を迎えて、運動不足も極まり、決して太ると思っていなかった高校に比べて20キロ以上増えたことを諦めとともに受け入れるようになってようやく、ああ、音楽ができたら楽しいのだろうなぁと思うようになった。ピアノもいいけれど、やっぱり合奏がしたい。となると吹奏楽だろうか。ううむ、と考えてはいつも今から始めるのは遅いだとうか、と思ったりしている。
暇と退屈の倫理学、という本がある。
まだ若手の國分功一郎という哲学者の本で、たくさんの哲学者を扱いながらも読みやすい。一般向けと言ってもいいかもしれない。かなり売れた本だったと記憶している。
この本の主題は、我々はどのように「退屈」と向き合って生きていくべきか、ということである。少なくとも先進国は豊かになったといえる時代において、我々は「生きていく」ことについてであれば遥かに、過去の人々よりも手がかからなくなっている。多くの「暇」を手に入れているはずなのだ。しかし、著者は問う。我々はこの手に入れた「暇」をやりたかったことのために使えているだろうか。そもそもやりたかったことなどあったのだろうか。
暇には必ず退屈がつきものである。我々はこの退屈と向き合う方法を考えなければならない。
響け!ユーフォニアムを見て、それに憧れるとき、僕が憧れているのは音楽ではなく「没頭すること」なのかもしれない。そのことに意味があるのかないのか、そうしたことをどこか斜め上から考察しつづけるような退屈さではなく、まるで自分の時間のすべてがそのためにあるかのような、そうした没頭感。そうしたものを渇望しているのだ。
ここまで書いて気づいた。僕は退屈しているのである。退屈は嫌だから何かに没頭したいし、一方で退屈できるようなポジションにいたい、とも思う。没頭することは、どこか特権的だ。ある範囲の中にあってこそ成り立つものかもしれない。その範疇を忘れて没頭をのみ渇望することは、どこかテロリズム的な恐ろしさへの接続も感じる。けれど、その環状は確かに、僕の中にあるのだ。
だからこそ、ISISに参加しようと思って海を渡った少年たちの気持ちを、理解できないと切り捨てることは非常に危険である。むしろその気分はあらゆるところに蔓延していると考えるべきだ。現実感の欠如、操作感、自分が自分でない感じ、生きている意味の浮遊感、サブカルはその全てを覆いきれていない。
もともとは、音楽と退屈について書こうと思ったのだけれど、もう少し発展しそうなところへとやってきたので、また次に続けたいと思う。
自己を物語ることについて
先日より、研究に関連するかもしれないというので、いくつかの本を借りてきては積み上げている。実際読み終わったわけではないのできちんとした紹介はできないのだけれど、いずれも主題にされているのは「物語ること」である。
そういえば、書き忘れていた。
専攻は教育哲学、ということになっている。なっているというのはごく単純で、所属している研究室は教育哲学だけれど、自分がやっていることが果たして教育哲学なのか自分にはさっぱり自信がないということだ。そもそも教育哲学が何なのか、ということも非常に説明が難しいのだけれど、無理矢理いくつかに分類してみたとしてもやはり自分がその中にいるのかよくわからない。始めてまだ半年にも満たない、中途半端な立ち位置である。
さて、そんな中でもとからずっと気になっていたのが「演じる」ということで、これはパフォーマンス・スタディーズと重なりつつもどこかずれるような内容である。どうにも以前から、なにか全く違う役を演じる、という体験に興味がある。
同時にそれと重なりつつ気になっていたのが「物語る」ことである。なぜ作家はまるで違う人格を描くことができるのか。それがファンタジーであれ、現実を舞台にしたものであれ、自分とは違う存在を描くことができるということが常に気になって仕方がなかった。
技術としての「演じる」「物語る」ということ以外にも、それを人間のあり方と重ね合わせて考えることも面白い。
「演じること」と「語ること」。
どちらもどこかマイナスなニュアンスも併せ持つ、不思議な言葉だ。真実と虚構の狭間に生きている人間を表現する上でこんなにもぐっとくる言葉があるだろうか。本物なんてものはないと頭のどこかでは思いつつも、僕たちは日常を疑いもしない「自分」として生きていたりする。意味をめぐるこの自覚と無自覚。その揺れ動きこそが面白いのだと思う。
話がずれてしまった。
そう、自己を物語ることについての話だ。
物語的自己同一性、という話が「物語」と「教育」を扱う本にはやけに多く登場する。つまり私たちは「私たち自身」を理解するとき、あるはじまりとおわりをもった「物語」としてのみ理解できるのだということである。
物語とはつまり、はじまりとあいだ、そして終わりをもつストーリーの形式であり、我々の頭は世界を解釈する時にそのようなものとして理解する傾向がある。誤解を恐れずに言えば、物語の枠組みを世界に当てはめることをもってのみ我々は世界を、自分を、他者を意味をもったまとまりとして理解できるのである。
納得できるような出来ないような話である。
「自分」というものを意味を持ったまとまりとして捉えようとするとき、確かに物語の形式を用いていることは確かである。しかし、そうではない時に「自分」はないのだろうか。物語論が捉えているのはあくまで「物語的自己」でしかなく、それはすべての「自己」ではないのではないか。
あたりまえではあるが、物語、という図式を用いて理解できることには一定の留保が必要である。そこから当然のように身体の次元はこぼれ落ちているし、そこで想定されているある統一性を持った自己という観念自体がある種特殊近代のものだとも指摘できるかもしれない。
そうした事柄はすでに多くの論者が自覚している。その上で、「物語」という形式を用いて理解することの効用を説いている。
そのようなことを勉強している、のだと思う。
なぜこんなことに興味を持ったのだろうか。どうにも、僕には自分自身を語ることに対して、いささかの躊躇がある。いや、むしろ後悔が多い。その場その場でいろんな語りかたはできるのだけれど、毎回変わってしまう。変わってしまうことを毎回後悔する。
自分というものは、果たして一貫性なんてないのだろうか。
物語は毎回語り直されることによってかろうじて同一性を保っているにしても、これでは語り直すどころの騒ぎではない。なんだか別人格のようだ。今日大切にしようと思ったことも明日の自分には通用しないし、あさっての自分が覚えているかどうかもわからない。
こんな状態だから、いまだに本当にたくさんの不義理を犯してきたし、いまだに決着がついていないものも本当に多くある。過去の自分を今の自分とつながったものであると言う風にいつも感じることができないから、いつでも目の前のことを優先してしまいあらゆることが後回しになる。
強い物語を欲している。
小説や、アニメや、映画や、漫画を見て、その中で描かれるストーリーに浸りながら、ようやく自分の人生を一つの物語として語れるような気持ちになる。
ナラティブは誰もがしていることだけれど、どうにも難しい。
そうした難しさを探り当てたいのかもしれない。
かなり支離滅裂になってしまった。
当初は勉強していることをまとめようと思ったのだけれど、一度時間をあけたところいろんな感情が混ざり合ってしまった。ちょうど文字数もいいところなので、このあたりで終わりにしたい。あとで一度見直して書き直すことになるとは思うが、今日は今日の記録ということで。
リズと青い鳥
余談
昨日大学で勉強していて、夕方にふとコンビニへ出かけた間に扉びロックがかかってしまった。いつもなら学生証で開くのだけれど、その日に限って家に忘れてきていて、なお悪いことに原付のヘルメットは教室の中に置きっぱなしだった。
とりあえず勉強道具もすべて教室の中なので、あきらめてバイクを押しながら家に帰って眠りについた。
今日朝起きたときにはすっかりそのことを忘れていて、ちょっと憂鬱になった。なにせ、うちの家は長い坂道の下なのである。諦めて坂道を原付を押してあがっていると、ずいぶんと先に追い抜いたカブのおじさんが先で待っていた。車体の横や前、そして後ろには大きなかごをのせていていろんな荷物がぎゅうぎゅうと押し込められている。
「故障?」
と聞かれたので、ヘルメットを忘れたんですと答えたら、さっきからパトカーをいくつか見かけるから気をつけるように、と言った。
50代くらいだろうか。積み込まれている荷物はよく見ると修理道具のようにも見えるし、なにかの仕事道具のようにも見える。よく走っている農家のおじさんとは少し出で立ちが違う。
「もし故障なら、いくつか道具あるから直せるかと思って」
なるほど。僕もカブなので、いろいろ同じなのかもしれない。
お礼を言って分かれたけれど、結局誰だったのかは分からずじまいだった。
今日から、一日2000字以上を目標に文章を書いて行きたいと思う。内容はとくに決まっていない。ちょっとした練習のようなものである。
リズと青い小鳥
<第二週目の特典>
そう、今日はこのことについて書こうと思っていた。
見に行ったのは3日前。一年生以来の長い付き合いの友達があまりにもお勧めするので、二回目の鑑賞についていった。
福岡でやっているのは博多だけだったので、久しぶりに都会の方に出た。いつもは田舎のキャンパスと都心から少し外れたキャンパスを行き来するだけの日々なので、あんなにも服装に気合いの入った人たちがたくさん居る場所を見ると、少々気後れする。
映画を見るのも、かなり久しぶりだった。
前に映画館で映画を見たのは確か、この世界の片隅にだったので、おそらく1年以上映画館で見ていない。映画が嫌いというわけではないけれど、どうも、人がたくさんいるところに出て行くのには少し気合いがいる。
原作となった「響け!ユーフォニアム」は、知ってはいたが見たことはなかった。
実家の近くである宇治が舞台だというから一度見てみようとは思っていたし、そもそも京アニという時点で興味は持っていたけれど、2期と劇場版まであるのを見ると、なんだか見るのに時間がかかりそうでいつかまたにしようと思っていたのだ。
リズと青い小鳥を見ることになってから必死で一期を見た。
次の日に自主ゼミの発表があったので、監獄の誕生を読みながら、交互に一期を見た。なかなか不思議な心持ちだった。
リズと青い小鳥。
一言でいえば、本当に丁寧な作品だった。いろんな感動があったけれど、僕の中では、こんなささやかなテーマ一つで映画が成り立ってしまうのだということが一番感慨深かった。
舞台はほとんどずっと学校の中で、転換もあまりなくて台詞も少ない。
ちょっとした仕草の連続で場面がずっとつながれていく。
その一つ一つが、とても丁寧だった。
画面も、音楽も美しいけれど、やはり芝居の細やかさを僕は押したい。ちょっとした視線の変化、足の動き、手、指先。そうしたいつもなら見逃してしまうくらいに細やかなそうした動作が、あらゆる場面を彩っている。それを見るだけでも、十分に価値のある映画だと思う。
いろんな、本当にいろんな考察が可能なのだけれど、少しぼーっとして見ていた自分にはおそらくその資格はない。
ただ、最後の最後、どちらがリズでどちらが小鳥だったのだろう、とそれだけは少し考えた。
アニメの頃からずっと見せられてきた二人の密接な関係性。けれど、映画の中でのそれは少しずつすれ違いを見せて行き、最後にはあるはっきりとした断絶がみえる。二人はきっとこれからもすれ違い続けることをどこかで悟っているし、それでも足音が重なることは時折あるのかもしれない。けれどそれはどこか悲しいし、どこか美しい。
先走って結論を言おう。
リズはきっと監督であり、脚本家であり、そして視聴者だったのだと思う。
二人をずっと鳥かごの中に閉じ込めて大切に眺めておきたかったのは、僕たち自身なのだ。
映画を見終わった今、羽ばたいていく彼女たちの姿の美しさを、痛々しさを、後ろから眺める権利を僕たちは手に入れたのかもしれない。
とても感想が難しい映画だった。
そもそも言葉の少ないこの映画を、言葉を尽くして説明しようとすること自体が無謀なのかもしれない。