三兎を追うけれど、特に一兎に注力する。
二兎を追って三兎を得る。
自分の人生の走り方をそういうテーマにしているが、
さらに深く理解できてきた。
2つある。
一つは、
二兎を同時に並行して追うべきときもあれば、
一兎は泳がせておいて、もう一兎に集中すべきときもあるということだ。
まさに今年が、その注力バランスを偏らせるべきタイミングだと感じている。
同時並行的に追っていては、それこそ文字通り二兎を追うものは一兎も得ずになりかねない。
タイミングが重要だ。波を読み切る必要がある。
もう一つは、
二兎を追って三兎を得るということは、
実質的には「三兎を追って三兎を得る」ことと同義だということだ。
では具体的にその「三兎」が何なのか?
最近はそのことばかりを考えていた。
家庭。
事業家。
小説家。
このみっつだ。
考えてみれば簡単だった。このみっつなのだ。
やってみたいビジネスや興味のある学問は他にもたくさんあるけれど、
明日死んで後悔しないために必要なのはこのみっつ。
この3つを追う中で見つける四兎目、五兎目もあるかもしれないが、
それは後から考えるべきこと。
ではみっつのうち、今年は何に注力するのか?
それは「小説家」だ。
広義でいうとコンテンツクリエイターとでも言えばよいだろうか。
追記しておくと、
いまの稼ぎを得ている仕事はこのみっつには入らない。
「事業家」の意味は自ら事業を興すことであって、雇用されて働いている仕事は含まれない。
仕事は誰よりも全力で行うし、キャリアだって考えている。そこからきっと「事業家」に繋がる部分もあるだろうけれど、特段意識はしていない。
注力するとはいっても、
比率を表せるほど単純なものでもない。
つまり、
いまは他のビジネスの可能性を探ったり新しいプロジェクトに関わることよりも、
物語を描くことに精を出すことにするという、
一つの決意表明である。
いくつか手を出しかけていた案件があるけれど、
いったん全て整理する。
ネットワークを広げようと思えば、正直いまの僕ならどうとでもできる。
動き方なら知っている。
いまは闇雲に広げることよりも、
自らのつくりたいものをつくり切ることが大切だ。
いまはそういう波が来ている。
あらゆる野望において、
それを欲し続けている限り、”そのとき”は必ずやってくる。
”そのとき”を招き入れるために準備がいま必要なのだと感じている。
WIERDのブロックチェーン特集が思い出させてくれたこと。
WIREDというメディアをご存知だろうか。
テクノロジーにフォーカスした、未来を語るメディアである。
会社で働き始めた4月から8ヶ月経ち、僕は会社生活というものにも慣れてきて、職場の人間関係に驚くほど悩みもなく、たぶん日本においては非常に働きやすい方の職場で仕事ができている。
いまの仕事はそれなりに楽しい。とはいっても、まだまだ満足のいく仕事ぶりとは自分でも思っていないし、目の前の業務で僕にできることは数多くあって、もっとエキサイティングなものにできるとすら思っている。
ただ、毎日に何かが足りていないと、働き始めてからずっと思っていた。
いや、毎日非営利のプロジェクトばかりに没頭していた大学院時代の後半から、少しずつ感じ始めていた違和感かもしれない。
今日、偶々だけれども、WIREDのWEB記事を読むことがあって、気になったので雑誌を買ってみた。気になってはいたけれどあまり理解していなかった「ブロックチェーン」についての特集をやっていた。
これが久しぶりの、もしかしたらここ1年で一番の刺激と興奮を僕にもたらしてくれた。
テクノロジーってこんなに楽しかっただろうか。。。
最近アウトプットばかりで、面白いテクノロジーにわくわくするような時間を持てていなかった。不足していたのはこれだと感じた。僕はテクノロジーが好きなのだ。好きなことに時間を使えていなかったみたいだ。
テクノロジーが隆盛して最高に面白い21世紀初頭の日本に生まれたからには、未来についてワクワクする特権を全力を行使していきたいと思うものだ。
ふと、工学部時代を思い出した。
固体物理学とか量子力学とか面白かったなと。基礎基本の物性研究ばかりで飽きてしまったけれども、それ自体は面白かったし、もっと社会との接点を見いだせていたら僕はいまも学問の世界にいたのかもしれない。
「ブロックチェーン」に感じた可能性を少し話すと、もしかしたらこの技術は、僕たちの働き方を一変させるかもしれないということだ。
僕は常々、会社に囚われた働き方に疑問を持っている。理想は、プロジェクト単位で有志が集まり、問題を解決し、終わったら解散するチーム型の働き方だと思っている。
共有するのは企業文化でも帰属感でもなく、同じミッションに向かって走るということだけ。僕にはそれが最も個々人を大切にした合理的な働き方に思えているのだ。
一方で、いまの仕事でも、よりよい会社は何か?という問いを考えることが多い。
もちろん、これからの世界で、会社が消滅することはないだろう。一極集中的に大きくなるグローバル企業が国家に類似した機能を持つ可能性はあるけれども、それとは別に中小企業はしばらくの間機能し続けるはずだ。
だから、まずは会社のなかに、この「同じミッションに向かって走るプロジェクトチーム型の働き方」を導入できないかと思案してみたい。
部署を分けるのではなく、必要なプロジェクトのたびに、必要なメンバーがアサインされる組織。プロジェクトアサイン数が多いほどハードワークになるけれど、その分貢献度に応じた報酬を約束される。
この際に難題になるのが、「人事評価」の方法だ。貢献度を何によって計るのか?この問いに、給与テーブルを用いずに回答するのは非常に難しい。人々の貢献度は数値化できない類の指標も考慮しなければならないからだ。
そこで、僕は「ブロックチェーン」が活躍できるのではないかと考えている。
ブロックチェーンの詳細を要約できるほどの理解に至っていないので細かい説明は避けるが、例えば経営陣や人事といった「中央」が評価の妥当性を担保するのではなく、すべての評価をオープンにし、いわば市場原理的なかたちで評価できるのではないかという期待がある。
いわば、一つの台帳に記録していた人事評価を、分散型台帳に変えて記録することで、「中央」の担う役割は激減し、公正な仕組みが出来上がるのではないか?という可能性である。
もちろん、市場原理で成り立つ経済でインフレやデフレが起こるように、見えざる手に任せっきりの仕組みにはイレギュラーな揺れのリスクが伴う。インフレやデフレを是正するのが政府であるように、人事評価のイレギュラーな揺れを是正するのが経営陣の役割になるのではないだろうか。
ブロックチェーンに燃えるハッカー達は、しばしば自由主義的で反ナショナリズム的なところがあるようなので(つまり革命家に憧れる節があるってこと。まさに僕。)、中央集権を嫌うばかりのスタンスでは現実を語れないという現場プレイヤーとしての意識は保つは必要はあると思っているけれど、どうしてもワクワクしてしまうので仕方がない。
これから、ブロックチェーンについてはあまりに不勉強なので学びまくりたいと思っているし、ちょうど今、個人的な取り組みで働き方について新しい研究を始めたいと思っていたところだったので、何かとタイミングが重なった気がしている。
「プロジェクトベースの企業組織の可能性 〜ブロックチェーンを用いた人事評価の観点から〜」
堅いけれど、論文風のタイトルにするとこんな感じだろうか(笑)
個人的には、この議題から、クラウドソーシングやフリーランスといったいま盛り上がりつつある働き方についても言及できるのではと思っている。そこには、大学院で研究したクラウドファンディングの協働的価値の議論からも示唆を得られるだろう。
「テクノロジーを学び、そこから社会にどう還元できるかを考えること」
僕が最高に楽しいと思えるのはそんな時間のようだ。もう一度自分の原点に立ち返って、個人的なプロジェクトを進めていきたいと思う。
SEED好きはAmazonプライムに気をつけろ!
11月2日。僕の人生はAmazonプライムによって侵食され始めた。
あ、ガンダムSEEDがある!
西川貴教のOPが全身を震わせる。
ドンピシャ世代の僕は廃人になるしかない。寝不足の毎日の幕が、いま上がった。
インフルエンサーに必要な4つの指標 〜ネットワークからマーケティングを考える〜
最近よく耳にする、インフルエンサーマーケティング。
大学院時代にクラウドファンディング(CF)の考察をする際に避けては通れなかったテーマですが、これが体系的に整理するのが難しくて。。。
この記事でも取り上げているのでちょっと思考整理したくなりました。
それをプラットフォーム化した「door」というサービスが始まったと聞いて、今後どうなるのか気になってます。ただ好奇心だけで、ユーザーの利用データだけでも見てみたいなあと思ったり(笑)
CFの拡がり方を考えるときに一番参考にしたのは、ダンカン・ワッツ著「スモールワールドネットワーク」。最近中身を忘れてきたので一昨日文庫版を購入してみたところです。
スモールワールド・ネットワーク〔増補改訂版〕: 世界をつなぐ「6次」の科学 (ちくま学芸文庫)
- 作者: ダンカンワッツ,Duncan J. Watts,辻竜平,友知政樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2016/10/06
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
これは例えば、宮崎に住んでいる伊地知の知り合い、その知り合い、そしてその知り合い・・・とつなげていけば、誰であっても6回のつながりでつながる、という理論です。(多少乱暴な解釈ですが)
著名な芸能人であっても、日本の裏側のブラジルに住む誰かであっても、6次のつながりでつながるというのです。
この6次のつながりを更に縮める可能性を秘めているのが、インフルエンサーの存在。ネットワークが広く、また発信力・影響力の高い人物からつなげていくと、より少ない次数で相手に届くという話ですね。
インフルエンサーは有名人であったり、フォロワーの多いSNSユーザーだったりします。PPAPでギネスまで獲ったピコ太郎さんがあれだけブレイクしたのも、ジャスティンビーバーというインフルエンサーの影響が大きいでしょう。
ただ、インフルエンサーの力をマーケティングで恣意的に利用する際の注意点として、「売ろうする営業マンのようになってしまうこと」があると思っていて。
売ろう売ろうとする営業マンは全然成果が上がらないのと同じように、商い感の漂う投稿ばかりするSNSユーザーからはフォロワーは離れていくのはないか・・・?という心配ですね。
つまり、インフルエンサーを評価する指標としては、
①純粋なネットワーク数
②ネットワークのカテゴリ数(多様な分野に広げていること)
③個人の有名度、発信力
上記に加えて、
④信頼度
という、どうにも数値化できない要素が絡んでいるんじゃないか?と仮説を持っています。この信頼度をもう少し議論できないかな~とわちゃわちゃ考えていたり。
もっかいちゃんと勉強してみます。
友達であっても恋人であっても、どこまでいっても他人なんだよ。
僕はオンとオフしかできないから、誰に対しても100%謙虚に、最大の尊敬をもって臨むようにしてる。
それだけ敬意をもって付き合いをしてるから、くだらないことや気に入らないものにはNOをはっきり言えるんだと思う。
人には良し悪しじゃなくて相性ってのがある。
あなたは何も悪くない。何も悪いことをしてなくても、たまたま僕とは合わないんだ。そういうときだってあるだろう。
僕は基本的に誰も傷つけたくないし、僕も傷つきたくない。
そのために、誰よりも鋭利でいる必要があると思ってた。
そのために、誰よりも努力していた時期があった。
人間関係において、誰もが自分が傷つかないための抑止力を探している。
でもね、そういうネガティブな理由でがんばると身を削ることになるんだよね。
だから、傷つけても傷つけられてもお互いに笑って許せるような場をつくっていけたらと思う。
自分が傷つけれて許してばかりじゃだめ。
相手を傷つけないように傷つけないように気をつかう必要だってないんだ。
どこまで行っても他人は他人。本質的に分かり合うなんてできやしない。
分かり合えないという前提に立てれば、すごく気が楽になると思う。
生まれるときも死ぬときも、どうせ一人。分かり合えないから分かろうとするし、傷つけたら謝って、傷つけられたら許して。
友達であっても恋人であっても、どこまでいっても他人なんだよ。そう思えたらきっと、もっと人を大切にできると思う。