サテュロス、パーン、牧神、牧羊神、半獣神、ほか

サテュロスやパーンの事典のようなブログにしたいと思っています

ラーオ博士のサーカス

チャールズ・G・フィニーによる小説『ラーオ博士のサーカス』(C.G.フィニー著、中西秀夫訳、筑摩書房、1989)をご紹介いたします。

 

原著"The Circus of Dr. Lao"は1935年の作。

内容はアリゾナ州アバローニにやってきた不思議なサーカスのおはなし……おはなしというよりも、不思議だらけのサーカスをぐるっとひと巡りするような本です。突如現れる興行の予告、なぜか引き寄せられてゆく住民たち、やたらショボいパレード、そしてショーのはじまりへ。

レイ・ブラッドベリのお気に入り小説だったそうですが、さもありなん。ラーオ博士を読んだ後にブラッドベリの「最後のサーカス」なんか読んだらボロ泣き必至です。

 

で、こちらのラーオ博士のふしぎなサーカス、サテュロスの登場する演し物が2つもあります。ありがたいことこの上なし!!

 

ひとつ目はサイドショーのテントのひとつ。

立ち並ぶ無数のサイドショーは、どれもその見世物をシャドウとするような人を引き寄せます。よってサテュロスのテントに入ってしまうのは「しっかり者の知的女性」を自負する高校教師、アグネス・バードソングさん。なんだそのかわいい苗字は。

サテュロスははじめテントの中でぶどうの蔓の上に横たわっていましたが、アグネス先生をみとめると大喜びで求愛をはじめます。笛を吹きながら踊るのなんの。角のうしろにあるにおい袋(そんなのあんの?)からもいやらしい匂いが漂います。

そして「しっかり者の知的女性」が耐えきれずついに陥落……したところでショーはおしまい。ここからが本番では!?と思ってしまうんですが、このテントは全年齢向けなのでいたしかたありません。アグネス先生はヘロヘロになっていますがそこでラーオ博士が登場し、このサテュロスに関する解説をしてくれます。

初っ端から「サテュロス古代ギリシャの多神論的神話の中でもっとも魅力的」なんて言ってくれます。ありがとう。私もそう思う。

こちらのサイドショーサテュロスは、中国北部の滝のそばで捕えられたとのこと。どうしてそんなところにいるのかはわからねど、おそらく古代ギリシャ時代からずーっと生きていて、年齢は2300歳超。言葉を発してくれたらきっと、ギリシャの山から散り散りになっていった仲間たちの運命について語ってくれることでしょう……ここでは語ってくれないのか……語っておくれよ……

ちなみに中国の女の子たちは纒足なのでいっしょに踊ってくれず、サテュロスはがっかりしてしまったそうです。

また、その生態についても多少触れられており、血筋としてはたぶんギリシャの牧人たちと雌羊の間の子、たべものは草食性(でも玉ねぎとにんにくの種は嫌い)とのことです。

約5ページに渡って描かれるこのサテュロスのくだり、最初から最後までありがとうの気持ちでいっぱいです。

なおサテュロスに誘惑されるアグネス先生のシーンは挿絵がついています。ボリス・アルツィバシェフによるアールデコ的なイラストで、妖しく美しくすばらしい。

 

ふたつ目のサテュロスは男性限定のピープ・ショー(覗き穴から見て楽しむスケベなテント)。複数人のニンフたちにからかわれ、たじたじになっているファウヌスの情景が見えます。こちらもここからというところで諸事情により強制終了。もう!

何らかの「半獣神の午後」か、ブーグローの「サテュロスとニンフ」あたりがモチーフになっていそうですが、特に言及されてないのでよくわかりませんでした。

Nymphs and Satyr (William-Adolphe Bouguereau, 1873)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nymphs_and_Satyr,_by_William-Adolphe_Bouguereau.jpg

イメージ。

 

本文中に登場するのは以上ですが、本自体の巻末に作者フィニーによる用語解説がついていて、我らが牧神パンについてもちょこっと記述がありました。

曰く、「身体は神々のうち最大。ひきいる部下はレミュリー、エジパン、バサ・リド、バカンテ、マエナス、ファウナス、およびシルバン。いずれもパンを熱愛する。」とのこと。

エジパン(アイギパーン)、ファウナス(ファウヌス・フォーン)、シルバン(シルヴァヌス)は聞き覚えのある半獣の名前、バカンテ(バッカイ)、マエナス(マイナデス)は聞き覚えのあるディオニュソスの信女の名前です。レミュリーはローマ神話の死霊のレムレスのことでしょうか。バサ・リドだけどうにもヒントが少なくわかりませんでした。(やはりディオニュソスの信女であるようなことを言ってるページがちょろ〜っとだけ出てきましたが)

 

決して長くはないものの、予想を上回る濃厚な牧神情報を得ることができ、非常に満足いたしました。

ちなみにこちらの作品は"7 Faces of Dr. Lao"のタイトルで1964年に映画化されています。残念ながら日本で気軽に観る手段が無くわたくしは未視聴ですが、パン(たぶん原作のサイドショーサテュロス)はラーオ博士役でもあるトニー・ランドールが演じていたようです。