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映画『この世界の片隅に』考察 私たちは代替不可能な居場所になれるのか

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※このブログはネタバレを含みます。
 
これは「死に落ち」映画ではない。
 
血まみれの兵士も、悲惨な戦場も出てこない。ほんわりとしたタッチで描き出されるのは、戦争があった時代に生きた「普通」の人たちだ。
 
戦争という非常事態を「日常」として生活していた当時の人々の姿が、主人公すずの視点から語られる。 戦争映画といっても、まったくシリアスではない。
 
「ぼーっとした」性格のすずやその家族が起こす珍事件の数々に、劇場は笑いが絶えなかった。しかし、同時に鋭い痛みも残った。
 

「日常」に食い込む戦争

舞台は1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)の呉。すずは、不器用で絵を描くことが得意な女性だ。のんびりと幼少期を過ごし、親に言われるまま、ほぼ初対面の北条周作へと嫁ぐ。北条家でも周囲の言われるまま、受動的に日常を過ごす。
 
ご飯の支度や買い物、洗濯といった、生活するための仕事をこなすことに熱中するあまり、自分がストレスでハゲになっていることにすら気付かない。
 
外出先でよく道に迷うことや、絵をいったん描きだすと夢中になって時間を忘れてしまうことからもわかるように、彼女の世界は家族、配給先、畑といった、身の周りの環境のみで完結している。
 
食料は配給制、義父や夫は軍務め。鳴りやまない空襲警報。国は戦争状態であるものの、すずの日常は壊れないため、彼女はある意味戦争に無関心だ。
 
しかし、戦争は否が応でもすずを巻き込んでいく。姪の晴美と病院から帰る途中、不発弾の爆発をうけて左手を握っていた晴美とすずの右手が吹き飛ぶ。義姉から「人殺し」と罵られ、唯一の表現方法であった絵も描けなくなるすず。彼女は、自分が当事者となって初めて戦争の絶望を知る。
 
今度は失った右腕や戦争のことばかりに関心が向くようになる。北条家に疎外感を感じ「広島に帰る」ことで、周作たちと縁を切ろうとする。
 

当たり前の崩壊が起こったとき

すずがそれでも呉に居残ることを決意した理由は、すずに残された「日常が」北条家だけだったからだ。
 
戦争に無関心でいられたころのすずには、大切な人や大好きな風景がたくさんあった。そして、それはいままであまりにも当たり前に、彼女の身の回りに存在していた。そこが彼女の居場所だった。
 
しかし、その日常は食い込んでくる戦争によって崩壊した。すずにとって「日常」を表す最後の砦は家族だ。彼女に戦争を終わらせる力はない。できるのは空襲によって家に落とされた火を消すこと、避難時に安全の確認をすることくらいだ。だが、晴美と右腕を無くしてからのすずは、人が変わったように家族や家を守ろうとする。今までひた隠しにしてきた自分の気持ちを口に出すようになる。
 
だから、玉音放送を聞いた後、すずは叫ぶ。
 
「最後の一人になるまでたたかうはずじゃなかったのですか」
 
兄弟を犠牲にし、大切な自分の日常が壊され、自分の居場所をことごとく奪っていった戦争。そんな理不尽を押し付けてきたのは「敵」であるはずだ。「軍」はそれから自分たちを守るために戦ってきたはずだ。
 
だから、すずは日常が崩壊しても、大切な人たちが奪われようと我慢して、生きてきた。なのになぜ、どうして「負けた」というのか。 放送を聞いた時のすずは、自分の存在や数々の犠牲を全否定されたように感じたのだと思う。
 
戦争はこうやって、幾人もの人に理不尽な生を強いてきた。非合理な世界の中で生きることは、時として死よりもつらいことだ。
 

すずは「つまらんくらい」普通の人

戦時中に必死で家族を守ろうとしたすずは、当時の人と比べ、心が別段強かったわけでも特別だったわけでもない。
 
「すずはええなあ。当たり前のことで怒って、当たり前のことで泣く」
 
すずの級友、水原が言うように、すずは本当に平均的な「普通」の女性だった。
 
周作との結婚も、義姉径子のように恋心があってしたことではない。嫁ぎ、初夜を迎え、一緒に暮らしていくうちになんとなく好きになっていく。すずの結婚は、当時の「結婚」の反復だった。嫁いで生活する先が自分の「居場所」になるのだ。
 
時代のせいもあるのかもしれないが、その点、すずは結婚後すぐに「北条家」が自分の家族だと腹をくくっているように見える。逆に、結婚に負い目を感じているのは周作のほうだ。
 
この世界の片隅に、私を見つけてくれてありがとう」
 
この言葉が、すずと周作の関係性をすべて表していると思う。はじめは小さなきっかけだったのかもしれない。ただ、周作や北条家だけが、「すず」を見つけ、必要だと言い、居場所を作ったのだ。
 
だから、白木リンと周作との過去も許す。水原の誘いは断る。右手を失っても「ここにいさせてください」と望む。
 
すずは、誰でもどこでもいいから居場所が欲しかったわけではない。周作だから、北条家だから一緒に暮らしたかったのだ。彼女にとって「当たり前のことで怒って、当たり前のことで泣く」ことができる環境は呉にしかない。
 
だから、彼らとの日常を守るため、彼女なりのやり方で戦争に立ち向かい、傷つき、どうにもならない状況に悔し涙を流した。「普通」の女性が当時の常識に沿って決断した結果だ。
 

私たちは「代替不可能」な存在になれるだろうか

この作品がこんなにも心に刺さるわけは、「普通の女性」すずが、せっかく得て大切にしてきた居場所が、理不尽に奪われていくからだ。無くしたら二度と戻らない、代替不可能な世界が、戦争という「実体のないもの」によって、あっけなく失われてしまうからだ。
 
私たちは戦争の結末を知っている。だからこそ、描かれる風景や、すずと家族のなんてことのない会話が愛おしい。
 
終戦後、すずは焼け野原となった広島で様々な人に見間違えられる。彼女も家族を探す。人が知り合いを探す理由。それは、自分の居場所の回復を望むからだ。ほかでもない「あの人」と自分の感じた痛みや苦しみ、希望を分かち合いたいからだ。
 
戦争によって、懐かしい風景は失われる。だが、人との会話によって風景は補完できる。だが、人を失ってしまったら取り返しはつかない。自分がその人の中に見出していた居場所は、誰にも代替することはできない。
 
私たちはみな誰かを探している。ほかでもない「あなた」を探している。それはすずの時代も現代も変わらない。戦争はそのかけがえのない人を奪う。その事実が、私たちの心をえぐるのだ。
 

おまけ

余談だが、今の私たちは「代替不可能な」居場所になれるのだろうか。戦争があったにせよ、昔は家族や見合い相手をはじめとする「大切になりえる人」の選択肢が狭かった。しかし今は違う。
 
誰かに頼らなくても生きていけるようになった。誰とでも同じような関係性を作ることが可能になり、自分を犠牲にしても離したくない「居場所」の必要性が消滅した。また、誰かを選ぶ時の選択肢が多くなりすぎたせいで、「ほかでもないあなた」を見つけることが難しくなった。
 
今、私たちの周りは代替可能な関係性であふれているように感じる。宅配便の配達員は、配達さえしてくれれば誰でも関係ないのと同じように、友人関係や恋人関係といった「濃い」と呼ばれていた関係性ですら薄くなってしまっている。
 
「誰でも良い」と人を選ばない態度を貫くことは、同時に誰からも選ばれないということである。その関係性の先に実りはあるのか。代替可能な関係性の結末は、居場所の欠落とそれに伴う虚無感ではないだろうか。

 

この世界の片隅に』を観終わった後だから思う。すずは、代替不可能な関係性から得られる「居場所」があったから生き抜いてこられた。あれから71年。私たちはまだ「居場所」なしに生きていけるほど強くはない。ともに生きる何か、誰か、が必要なのだと思う。
 
 
 
※わたしのFB(EN Mami)より転載

村上隆の五百羅漢図展で圧倒されてきた。

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                 ▲五百羅漢図『青龍』

森美術館で開催中の村上隆五百羅漢図展に行ってきました。

村上隆の作品を生で見るのは初めてだったので、日本における現代美術の祖とさえ言われる人の作品はどんな迫力なんだろうと、わくわくしながら会場に足を踏み入れました。日本の展覧会にしては珍しく、写真撮影もし放題なので、サイケデリックな色合いが大好きな私としてはもう気合入りまくり、どきどきしまくりでした。

 

展示自体は4つのセクションに分かれており、おなじみのパンダちゃんやDOP君の作品、円相や抽象を表した作品、達磨やその弟子慧可をモチーフにした作品、そして今回のメインである、青龍、白虎、朱雀、玄武4体の神獣をモチーフにした、五百羅漢図という構成です。

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                ▲人と比べてもこの大きさ!

展示作品にも圧倒されましたが、私が一番興味を掻き立てられたのは、五百羅漢図の製作過程でした。展示室の一角には、村上氏が作品を完成させるまでの過程の映像や資料、スタッフへの指示書などがあり、ひとつの大作が完成されるまでの気の遠くなるような工程が展示されていました。中には「ちゃんと指示書読んだのかバカヤロウ(うろ覚え)!!」のような、見ているだけで恐れおののいてしまうような村上氏のコメントもありました。おっちょこちょいの私が村上氏のスタッフだったら確実にぶっ殺されていたんだろうな……。

 

村上氏は五百羅漢図の制作を通し、現代美術における徒弟制度を確立したかったといいます。これから現代美術をけん引していくアーティストを育てるためには、従来の学校教育による指導ではなく、師匠や顧客による技術伝達や評価がアーティストたちの修行となり、芸術分野で生き残るための覚悟を育むという、村上氏の教育者としてのスタンスが、この作品を通して体現化したのではないでしょうか。

芸術家の徒弟制度は中世から行われてきたことですし、その時代の芸術家たちは、師匠の技を真近で盗むことで自分技を深めていました。それが現代になって薄まったことで、確かに、芸術家が芸術家として自分自身の力を鍛錬する場が少なくなってしまったのかもしれません。村上氏は、そんな現代におけるアーティストたちの修行の場を再構築しようとしているのだと感じました。

 

あと、五百羅漢図展を見終わったあと、美術館から見えた夜景はとてもきれいでした。展示期間も残り3週間、夜に行くのもおすすめです。

 

ルーブル展で必要以上に爆笑してきた。

只今絶賛期末試験地獄です。

翌々日にはテストと1200字のレポート。その次の日には4000字のレポート2本が待っている……そんなことはわかっていました。でも、それでもあえて行ってきましたよ、ルーブル展。最初からチケットには記載されていたのですが、ペアチケットの有効期限が開催初日から1週間なんて聞いてないぜ……

 

 六本木の新国立美術館で、今月の21日から開催されているルーブル美術館展。ヨハネス・フェルメールの「天文学者」が初来日したことで話題になっていますね。

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       ▲ ルーブル美術館展のパンフレット 「天文学者」が目印

金曜平日だったので、大きな展示にしてはそこまで人が多くなく、天文学者もあまり並ばずに見ることができました。本物の作品では、筆のタッチや色の違いまで鑑賞することができるので、資料の写真からは分からない細かな点によく気づきます。新しくニスを塗ったのか、作品の表面がテカテカし、絵の一部が照明に反射して見え辛いところもありましたが、いつか見ようと思っていた「天文学者」を間近で鑑賞できたので、とても満足でした。

 

あ、それと意外におもしろかった作品が、トーマス・ゲインズバラ作『庭園での会話』です。作品のキャプションには、この作品は貴族階級の男女2人が庭園で語り合う愛の場面が描かれていると書かれているのですが、人物の表情に注目して見てみると、とてもそうは思えません。

熱心に何かを話す男性は、愛を語っているのか自慢話をしているのかは分かりませんが、こちら側をうんざりしたような眼差しで見つめる女性は、男性に何の興味も示していない様子。2人の周りには花や木がファンタジックに描かれ、一見ふんわりとした印象の作品ですが、よくよく見ると2人の温度差が違い過ぎて、思わず笑ってしまいました。

 

この展示には他にも、一度は歴史の教科書で見たことがあるであろう『愛を売る女』や、よくフェルメールと比較展示されるピーテル・デ・ホーホの『酒を飲む女』など大御所が勢ぞろいしています。 

ルーブル展は6月まで開催しているので、手軽にルーブルを味わいたい方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。