近くて遠い

母はひとりで住んでいます。
顔をださなくちゃと思いつつも、私はたまにしか行ってません。

母は年齢のわりには元気なほうだと思いますが、
『もっとちょくちょく行って様子を見ないと駄目だな』と
つよく考えさせられる出来事がだんだんと増えてきました。

車で1時間ちょいの距離。
近いようで遠い距離。
でも家を出れば、そう大変なみちのりではありません。
実際の距離より気分的な距離が長いです。

きのこのもり

私がきのこを見に行くとしたらまずここ、という公園の森があります。
昨年の台風で木が何本も倒れてしまって、ずっと立入禁止のままでがっかりしていたのですが、倒木のかたずけが済んだようで、気づいたら最近また入れるようになっていました。

喜び勇んで森のなかをゆっくり見てまわったのですが、ぜんぜんきのこが生えていません。
以前はいろんなきのこが生えている森でした。
まるっとしたものやひょろっとしたもの、茶色だったり、白、黒いもの、みどり色など、ほんとうにいろんな種類のきのこが生えていて、多くの写真を撮ったものです。

思い起こすと、何年か前から、だんだんにきのこが少なくなっていました。
行ってきのこを探しても以前ほど生えていなくてがっかりすることが続いていたけれど、そのたびに『時期が悪かったかな?』と思いこんでいました。

森の中に遊歩道と森を区切る木の杭がずらっと打ってあって、その杭が古くなって崩れかけた根元に多くのきのこが生えていたのですが、新しい綺麗な杭に替わったら杭のまわりにきのこを見かけなくなりました。
なんとなく昔の森のほうがじめっとしていて、朽ちかけた枯れ葉や枝が多かったような気もします。

たぶん、なにかがきのこにとって優しくない環境になってしまったのでしょう。

今日、森で地面から生えてるきのこでひとつだけ見つけたツチグリ。

ハイクがなくなって

3月27日にハイクが終わってしまって、ちょうどひと月経ちました。

ハイクが無くなったら、きっと喪失感がすごいだろうと思っていました。
それが自分でも意外なのですが、あまり喪失感みたいなものは感じていません。

ハイクの無くなる悲しさをいちばん強く感じたのは、ハイクが終了する1時間前くらいに、はてなから「17時で終了します」のお知らせがあった直後です。
残り少ない時間、お祭りのようにみんなで書きこんでいる中、17時ぴったりに終了してびっくり。
「本当に17時ぴったり終わっちゃったね!」とハイクが終了した直後から、Twitterや有志のかたが開いてくれているハイク後継のサービスにそのままハイカーが移動して書きこんでいました。
なので場所さえ違うもののハイクがそのまま続いているよう気になってるんだと思います。

もちろんハイクが無くなって、ぜんぜん淋しくないわけではないし、
他のサービスを使っていて『ハイクのここがよかったんだよな・・・』と実感することもあるけれど、
今、使ってるサービスなりの良さもまた感じたりしています。
ただハイクをやっていた人たちがいくつかに別れてしまって、今まで交流のあった人たちと離れてしまったのはとても残念。

今までハイクで見かけてて、その後、見かけなくなってしまった人たちも、きっとどこかで元気に過ごしているんだろうな・・・