晴れた日は布団に入って

漫画を読むか寝るかしています。睡眠の感想は書けないので漫画の感想とかを書きます。

男として、女として、そして人として――『キズモノオトメ』が良かったという話

先日発売されたりょう先生によるエロ漫画『キズモノオトメ』が自分の性癖というか性格というか、とにかく心の奥深いところに刺さってしまったのでこうして筆を執っているわけだが、どうしてだろうかこの漫画は「この漫画がひどい!2017オトナ編第1位」などというさながらイロモノ枠のような扱いを受けているのが腑に落ちない。あとはてなのアマゾン商品紹介にも引っかからないのも腑に落ちない。ということでもっとこの作品を周りに知ってもらいたいがために俺はこうして無い頭を捻ってキーボードをバチバチ叩いている。

 

さてこの『キズモノオトメ』がどういう話かというと、平たく言うとめちゃセックスするラブコメである。大学生になって家賃をサービスしてもらう代わりにアパートの管理人になった主人公の鷹(ヨウ)(童貞)が道に迷っていたところをヒロインでかつそのアパートに暮らす幼馴染のつぐみに発見される、というテンプレ冒頭から始まるラブコメ。ヒロインはそそっかしくてアパートの住人はヤンチャだったりおとなしかったり、小さな子供なんかも住んでいたりして、ただ一点エロ漫画であるという部分を除けば至って普通の漫画である(俺は『ちょこッとSister』がめちゃ好きなんだけど、あれにかなり近い感じ)。

この作品がエロ漫画である所以はそう、そのアパートが妓楼(ぎろう、すごくわかりやすく言うとマンション風俗)であるとうことだ。幼馴染も、住んでいる○学生も、OLっぽい人も、男の子も、全員まとめて風俗嬢。普通のアパートだと思っていた鷹はうっかりつぐみの「仕事」を見てしまいリアルにゲロを吐いてしまい、その後このアパートが「そういう場所」であろことを知る……というのが第1話と2話のあらすじである。

 

エロ漫画といったらやっぱり貞操観念が吹き飛んでる女の子が好き勝手セックスする、みたいな話が多いのだけれど(そういうのばっか読んでるから)、どうしてかこの作品からはそうでない、どこか違った雰囲気を感じた。確かに登場する女の子たちのセックスに対する恥じらいみたいなのは一切無いのだけれど、何と言えばいいか、プライド。そう、彼女たちは人として、女性としてのプライドを持っているのだ。

例えばメインヒロインのつぐみちゃんは娼婦として何百ものセックスを経験しながらも10年前に憧れた鷹の姿を記憶に留めていたし、ガチ処女のもずちゃんなんかは処女をあげる人は自分で決めると言って譲らない。セックス大好きでも全員が人としてブレない軸をしっかり持っている。他にそういう作品あったらかなり好きなので識者は教えてください。

 

著者のりょう氏を知ったのは数年前に出してた『奈都塚さんの秘密。』というふたなり同人誌なんだけど、これもまあセックスを通じたラブコメとか人間ドラマとでも言えばいいのか、要するに「愛情表現として用いるセックス」の描写が非常に上手い。人が持ちうる最大の愛情表現であるところのセックス描写を使えるというのは恋愛漫画として最強の武器なので、つまり成人指定マークは恋愛漫画における恋愛部分の完成度を5億%引き出すための究極のアイテムなのだと改めて認識させられる。まあ鷹とつぐみちゃんは作中でセックスしないんだけど。同人誌でなんとか……なりませんかね……。

 

 

 

肝心のエロ漫画としての描写だけど、これは人によって好みが分かれるのであんまり言わなくていいかなあと思ったけどこの記事を読んでこの作品を読みたくなる人が一人でも増えてほしいので自分の好きなとこを改行なしで書くことにする。まず外せないのは何と言ってもペニス(このブログR-18じゃないんだけどBANとかされたりしない?)に対する情熱。著者がふたなり周りの作家であることからわかる通り、とにかくペニス描写が素晴らしい(俺は紙魚丸のペニスが好きなんだけど(語弊がある)伝わってくれれば幸いです)。もちろん俺自身も長年ふたなりでシコり続けてきたのでミニマム包茎こどもペニスから極太ロングペニス(作中では「皇帝(エンペラー)」と表記される)に至るまでありとあらゆるペニスが登場する本作はそれを持つ者がたとえ男性であろうとも眼福極まりないのである。自分が漫画読んでて感情移入するのはエロ漫画の竿役だけなのだ。次に女の子のセックスへの態度が真剣なところがいい。登場する女の子たちが全員女としてのプライドを持っている、というのは先に言った通りだけど、彼女たちは当然セックスに対してもそれ相応のプライドを持っているのだ(あと一応仕事だし)。その最たるものとして鷹が”仕事中”のつぐみと話している時に(これはこれで不思議な状況ではあるのだが)つぐみが「ごめんなさい今イクのでちょっと待っててください」と言って自らの絶頂と快楽に全神経を集中させるシーン。我々男性が自らのオナニーを何者にも邪魔されたくないように、彼女たちも自身の快楽に対する本能だけは絶対に邪魔されたくないという強い意志を持っているのである。そう考えると恋人同士のセックスってすごいよね、リアルに「誰も触(さわ)れない二人だけの国」状態じゃん。やっぱり草野マサムネってすげーわ あとは最終話の終盤にあるとあるモノローグがかなり気に入ってるんだけど、それに対して何か言ったらフェミニストあたりが飛んできそうなのでやめておくことにする。

 

とにかく、童貞も非童貞も処女も非処女もこの作品だけは読んでおいて損はない。セックスがしたくなる良い漫画です。おわり。

『不滅のあなたへ』はいったい何者なのか

4巻が出て1ヶ月ちょい経って今更3巻とまとめて読んだんだけど、ちょっと想像以上に強烈な漫画なのでブログで書くけどそんなに長くならないかもしれない。

 

 

 

ひとまずこれがどんな漫画かというのを軽く説明すると、なんだかよくわからない組織(個人?)に作られた「存在」である主人公があてもなくさまよって、そこで出会った人の何かを吸収して成長するという話。

その成長の過程でこれもなんだかわけのわからん主人公を取り込もうとすると敵が出てきたりするんだけど、これは4巻時点で正体がつかめない(俺がアホだからなのかもしれない)。とにかく死なない主人公が死ぬ人間とアレコレする。

 

まあなんで一年ぶりにブログに書き始めたかというと、自分がたまに考えては思考を停止させている「人は何のために生きて、死んだらどうなるのか」という限界問答にこの漫画が直接切り込んで来やがったからです。

 

衝撃的だったのは4巻の終盤。これはもう完全にネタバレなんだけど、自分と関わって死んでいった人の姿や身体能力をコピーできる主人公(「フシ」と呼ばれているけどあえて名前を呼ばない)が敵と戦った後にコピー能力が使えなくなるシーンがあるのね。その上主人公はその人の存在すらも忘れてしまうのだけど、人が死ぬというのはこういう生きている人すべてに忘れられることなのかもなあということに気付かされる感じが最高に重く、のしかかってくるようで苦しくなった。「亡くなる」と「死ぬ」は似て非なる言葉なのかなあという考えも浮かんだ。動物園の人気者のこといつまでも覚えてる人ってあんまいないし。その辺競走馬ってすげーよ。

 

あれ何が言いたいんだっけ、とにかく大今良時は青年誌でやるべき物語レベルを少年誌の枠に落とし込んで描くのが非常にうまい作家だなあという感想を抱きつつこれも10巻以内で終わったりしたらそれこそレジェンドになりうる作品だなあと思った次第です。

 

 

 

……きちんと体裁整えて書くブログは俺には向いてないと思ったので今後は気が向いたらこういう感じで漫画のこと書ければいいなあと思います 正直もっと漫画の話したいし なんかコメントとかくれたらめっちゃ気が向くと思います うん

漫画を読み続けるということ、あるいは歳を重ねながら読む漫画の面白さについて

初めて読んだ漫画は覚えていないけれど、初めて母親に買ってもらった漫画雑誌が99年の別冊コロコロ2月号だったことだけは覚えている(さっき調べた)。今年が2015年だから、自分はかれこれ(キリが悪いけど)17年も漫画を読み続けていることになる。

周りの友達が少しずつ漫画から距離を置くようになって久しいが、自分は相も変わらず日々雑誌で単行本で(ここ数年ではウェブや同人誌で)漫画を追い続けている。そのおかげで自分が寝床にしている部屋は紙の束で溢れている。

 

森山中教習所』(真造圭伍)をしばらくぶりに読んだ。だいたい年一回くらいで読み返してるんだけど、何度読んでもしんみりした気持ちにさせられる。

これを初めて読んだのが4年前で、自分は当時18歳だった。主人公の清高は作中の大部分で20歳という設定で、高校生だった自分は(実際はどうだったか覚えていないけど)単純に良い漫画だなあ、という感想を抱いた。

あれから4年、自分はちょうど22歳になった。清高の年齢を通りすぎて「漫画のキャラクターよりも年上になってしまう」という状態をストレート過ぎるほどに受けている。漫画に限った話ではなく、小説でも映画でも、長年何かしらの「物語」を好きでいる人は何度となく経験していることだろう。自分はこの感覚にハマった時の少しやるせない気持ちになる瞬間がこの上なく好きだ。

十何年も漫画を読み続けていると、本棚に見えるそのタイトルがまるで日記帳のように読んだ当時の気持ちを強く、あるいはうっすらと思い出させる。


ところで、漫画が(映画、アニメ、小説とか)他の媒体と大きく区別される部分はどこだろうか。自分が思うに漫画の最大の特徴はその鑑賞スピードの多様性にあると考えている。

小学生の頃に『MAJOR』(満田拓也)の中学生編を一気に読んだんだけど、1冊10分くらいで読んで「やたら早く読んだなあ」と思ったことをなぜか覚えている。何も作品の内容が薄いというわけではない(夢島編の方が好きだけど)。大抵の小学生は漫画をイラストとセリフで読み飛ばすものだと思う。

それから10年近く経って、漫画を読むのが遅くなったように感じる。急いで読む必要がないということと、一度読んだ漫画の内容をそれほど覚えていない自分がいることに気づいたからだ。最近は1冊読むのに20〜30分ほどかかる。ただその場で大まかなストーリーを追うだけなら5分もあれば十分なんだけど、時間をかけて読むことで噛み締めながら読んでいるような気になれる(あくまで気分だけ、自分はアホなので)。

これは小説でもできるのかもしれないけど、小説は漫画の背景やキャラクター描写にあたる地の文にこそ価値があると思うので急いで読めない。


森山中教習所』と同じ2011年ごろに『ストロボライト』(青山景)を読んだ。主人公の正の童貞感がちょっと前の自分にちょっと似てて吐きそうになった……というのはいいとして、それ以外はリアリティのない、映画のような話なので『森山中』のように自分と比較するという話でもないし、決して「いい話」ではないよなあ、と思う。面白い漫画だとは思っていたけど、当時高校生だった自分には正直難しい作品で、具体的な感想は出てこなかった気がする(むしろこの作品を語れる高校生がいたらムカつく)。

『ストロボライト』及び青山景の作品を読んだことがある人なら今更なことだけど、この作者は2011年に自殺している。自分がこの漫画を読んだのも、そのニュースを受けてのことだ。

昨日改めて『ストロボライト』を読み返したんだけど、2009年の刊行であるにもかかわらず、どうしても作品そのものではない「作者の自殺」という背景が見えてしまう。この先の漫画史(という言い方は大げさだけど)の中で、これ以上「青山景の生前に氏の作品を読む」という体験ができる人間は増えないのだ(知らずに読む人はいるだろうけど)。自分もその一人だけど、そういう読書体験ができなかったことを強く悔やんでいる。歳のせいだから仕方ないんだけど。


少なくとも自分が生きているうちは漫画は小説、映画ほど歴史的な文学にはならないだろう。「コミックは未だ黎明期である」というのは去年休刊したIKKIのキャッチフレーズだけど、自分はこのフレーズが好きで仕方がない。漫画はずっと黎明期であってほしいと思う。


たまたま久しぶりに読んだ2冊が自分に刺さった上にちょうど誕生日前日だったので日記代わりに。


森山中教習所 (ビッグコミックス)

森山中教習所 (ビッグコミックス)

ストロボライト

ストロボライト


僕達はどうしてゲームセンターに通うのだろうか。『FLIP-FLAP』

3月17日に、2008年に発売されたとよ田みのる先生の名作『FLIP-FLAP』が自費出版という形でKindleからリリースされた。

主人公が高校の卒業式の日に片思いをしていた女の子に告白すると、「あるピンボール台のハイスコアを塗り替えることができたら付き合うことを認める」という返事が返ってくる。そうして主人公は本来の目的とは別にピンボールの魅力に引きずり込まれ、そしてゲームセンターという場所が持つ磁力に吸い寄せられていく……というあらすじは、改めて説明することでもないだろう(読んだことない音ゲーマーは読みましょう)。

確か高2の頃だったかな、初めてこの漫画を読んだ時の衝撃は当時ほとんど毎日ゲーセンに通ってIIDXをプレーしていた自分にとってはあまりにも大きすぎて、文字通り「魂が震えた」と表現して良いものだった。ゲームは違えどスコアを伸ばすため、上達するために毎日繰り返しゲーセンに足を運んで(それこそ雨の日も風の日も)筐体と格闘し続けていた日々は本当に楽しくて、それはゲーセンに通い始めて10年ほど経った今でも変わっていない。

いや、正確には変わってしまった。不況やコンシューマーゲームの台頭によって、この『FLIP-FLAP』に登場するような良く言えばアットホームな、悪く言えば常連ばっかりのゲームセンターはひとつ、またひとつと確実に減り続けている。自分が中学・高校時代のほぼ全てを費やしてきたゲーセンも、ちょうど3年前に急に潰れてしまった。告知もなく、あまりにも急な閉店だったために涙も出なければ寂しさを感じる隙すら与えられなかったように思う。

小さなゲームセンターは確かに減っているけれど、それでもアーケードゲーマーはみんな新しい住処を求めるように別々のゲーセンに散っていく。彼ら(自分も含め)にとってゲームセンターは戦いの場であるとともに、憩いの場でもあるのだ。この場所の居心地の良さを知った僕達はきっと知らず知らずに帰巣本能を身に付けてしまっているのかもしれない。

 

自分は今までゲーセンでは音ゲーばっかりやってたけれど、最近はcojやらwlwに手を出している。カードゲームがやりたければカードショップに行けばいい、 MOBA系ゲームがやりたければPCを起動すればいいはずなのに、どうして僕達はゲームセンターに居場所を求めるのだろう。

たぶんその答えはきっと「ゲーセンが好きだから」の一言に尽きると思う。『FLIP-FLAP』は、いつ読んでもそのことを思い出させてくれるアルバムのような漫画だろう。

そんなことを考えた。

 

 

FLIP-FLAP (アフタヌーンKC)

FLIP-FLAP (アフタヌーンKC)

 
FLIP-FLAP
 

 

ついでに最近出たので。

ピコピコ少年SUPER

ピコピコ少年SUPER