服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

これからも当然に、新聞は読み続けるべきではないだろうか。

 転職、兼業、副業及びフリーランス等々の話題がこれまでになく持て囃されるようになってきた。こうした中で、これまでは「社会人として当然に」行うべきこととされてきたいくつかの習慣が見直され、そして改められているような傾向がある。

 例えば、「新聞を読むこと」がその最たる例ではないだろうか。これまでの社会人は、当然に毎朝に新聞を、恐らくその多くが日本経済新聞を読んで出社し、あるいは読みながら出社し、前日までのニュースを頭に入れておくことが必須であった。勿論、今でも多くの社会人はそれが日本経済新聞であるかどうかに関わらず、毎朝に新聞を読み終えることを習慣にしているものだと思う。少なくとも、下名はそうである。

 いつからか、「新聞を読むこと」という行為自体に、「そもそもそれって必要なのか」という視点が設けられた。新聞が斯様な状況下に晒されるようになった理由はいくつか考えられる。朝日新聞等に代表されるファクトフルでない報道の蓄積に対して、市民がメディアへの不信感を募らせつつあること。インターネットサービスが充実したことにより、代替性のあるメディアが多数存在していること(例えばヤフーニュースやNewspicksなど、無料で購読可能なものが多数存在している。)。そして、既存の構造に「それってそれでいいの」と、とりあえず疑問を向けてみる、なんちゃってゼロベース思考の蔓延である。最後のひとつについては、半ば強引な視点かも知れないが、少なからず同様の認識をお持ちの方もいらっしゃるのではないか。

 さて、理由の如何についてはさておき、実のところ、新聞を読むことについては次のような手段と目的の構造があったはずである。

手段:「新聞を読む」

目的:「最新ニュースのキャッチアップ」、「自身の意見をまとめることによる自己理解の深化」

 然し乍ら、何も疑うことなしに「新聞を読む」という行為、すなわち手段が先行し、市民権を得てきた影響で、「新聞を読む」という行為自体が目的となった。つまるところ、新聞は読んでさえいればいいと見做されるようになったということである。疑義を避けるために付言すれば、「見做されるようになった」というよりは、「見做すことをよしとした」という主観的な意識が芽生えたというほうが正確である。この点でいうと、そうした主観的な意識を良しとする環境が存在するわけであり、そうした環境が醸成されてきたという点においては「見做されるようになった」という受動的な表現でも問題ないように思える。但し、本質的なところは新聞を読む個人の意識であると思う。

 こうして、手段の目的化が進んだ「新聞を読む」という行為は、先述のいくつかの理由に後押しされる形で、見直されるべき習慣のひとつとなったようである。

 そうであるからこそ、今は声を大にして「新聞を読め」と言いたい。無責任に新聞を読めとだけ言い放っておいておくことは優しくないため、幾つかのヒントを授けることする。具体的には、6つのヒントとなる。

1.軸をもって読むこと

 軸というのは、自分自身の信念であるとかそういった意味でのものではない。ここで言う軸とは、「分野」のことであり、「何のニュース」を主体的に見るかである。簡単に言えば「アンテナ」であり、それは「中東情勢」、「ユニコーン」、「再生可能エネルギー」、「復興」など、何でもよい。恐らく、多くの方がいくつかの軸を持つことになると思う。例えば、広告代理店に勤務し、畜産系の副業を行っている方であれば、「広告」、「担当企業の業種」、「畜産」、「副業」など、いくつかの軸を持つはずである。

 少なくとも、自分自身が主体的にニュースを集めるための、あるいは反射的に反応するためのアンテナをはっておくことが重要であるということである。すべてのニュースを時系列に沿ってキャッチあぷすることはなかなかに難しい。特定の分野については完璧にキャッチアップできている状態であることが望ましいように思う。

2.初見あるいは理解に不足する単語は調べること

 新聞を読んでいると、初めて目につく単語などが出てくると思う。そうした単語は見落さないで調べると良い。自身が身を置いている業界に関連するにも関わらず、いままで知らなかった単語などが出てくることも少なくない。特に、学生時代に専門としていなかった分野については、こうした単語が意外と多い。例えば、学生時代は文学部の心理学科に在籍していたものの、どういうわけか証券会社に勤めてしまった方などについては、「合成の誤謬」が出てきてもよくわからないと思う(実際、合成の誤謬がどれほど証券会社で働いている人々に浸透しているかはわかりかねるが。)。

 分からない単語はまず、自分で調べて意味を理解する。その後、後述する6にも繋がるが、蜘蛛の巣のように自分の語彙力と理解力を、それは蜘蛛が自分の巣を編むように、向上させていくことが望ましい。

3.関連するニュースを検索すること

 「新聞に掲載されているニュースを読んで終わり。」で済んでしまえば、それは同様にして新聞を読んでいるその他大勢の人々と何ら変わりが無い。気になったり、深堀できるニュースについては他のメディアでも調べてみよう。TV、ネットニュースは勿論のこと、他紙でも良い。特に政治的な話については一社の意見に固執せずに、各社の主張をフラットに見ることで、偏りを低減することが出来る。

 また、新聞に書いてあることにプラスアルファで補足情報を添えることが出来れば、情報の価値が少し大きくなる。日本の消費税率が他の先進国と比べて低水準に留まっているといったニュースがあれば、実際にその他の先進国の税率はいくつなのか、軽減税率の有無は、政府における年間の消費税収入を国民あるいはGDP対比でみるとどのような関係になるのか、など。付加できる情報は想像以上に多く、そのひと手間でニュースに対する理解も深まる。

4.ニュースへの意見を持つこと

 あるニュースがあり、それを見て、「はい、そうですか。」で終わるのは望ましくない。新聞を読むからには、ニュースがあることあるいはあったことを認識することは最低限に求められている。一歩前に出て、「そして、自分はどう思うか。」を言語化してみよう。

 自分の意見を持つためには、ニュースという物事を時間的に小さく切り取った破片に対して、これまでの経緯を把握すること及びこれからの展望を予想することという2つの追加的なアクションが必要になる。自身が認識するすべてのニュースに対して意見を持つことが望ましいが、まずは1日ひとつのニュースに対して、自分の意見を持つように練習しよう。

5.周囲の人々と議論すること

 前述の通り、ニュースに対する意見を持ったら、周囲の人と議論してみよう。自分の意見を第三者へ発信する過程で、そのニュースに対する理解が深まるし、運がよければ第三者から一歩進んだ知識やフィードバックがもらえる可能性がある。また、他人の意見を聞き、議論をすることによって、自身の視点を再確認することにも繋がる。万が一、自分の意見が偏っているようであれば、他人の意見や他人からの指摘によってその事実に気が付くことが出来るかもしれないし、逆もまた然りである。

 なお、周囲の人々は家族、兄弟、同僚、先輩あるいはSNSでFF関係にある人ない人、誰でもいいと思う。但し、下手にセンシティブな内容を含む議論(例えばフェミニズムなど)についてはクローズされたコミュニティでの議論に留めるほうが安全かも知れない。

6.類語を検索すること

 最後は個人的なアドバイスである。余力があれば気になる単語の「類語」を検索しよう。スマートフォンでもPCでも、ブックマークに類語辞典を登録して、いつでもアクセスできるようにしておくと良い。

 類語検索を癖にしておくと、語彙力の幅が大きく広がる。同時に、日本語の表現力の豊かさにも触れることが出来る。「これってこういう言い換えが出来るんだ!」という気づきから、「これ、使ってみよう」という好奇心へと変わり、最後には覚えたての類語を使いたいがために「自分の意見をまとめる」という何とも不思議なサイクルに陥ることが出来る。

 

 以上、上記6つのヒントを意識するだけでも、単に新聞を読んでいる人に差をつけることが出来る。これは間違いない。特に入社前から入社後数年程度の若手は気を付けていただければと思う。