危機一髪だった話

ブログ内で時々終活について言及していますが、事故や事件に巻き込まれて即死という事態になった場合はその場で即人生終了ですから、それに比べると終活出来る状態というのはある意味幸運であると言えます。もう10年近く前の話ですが、初夏の土曜日の昼頃、自宅からかなり離れた商店街で買い物をした後、帰宅の為にバスに乗車しました。乗車地点から自宅の最寄りの停留所まで大通りを通る路線で、沿道には観光名所が幾つかあります。バスが観光名所の近くにさしかかった頃に1台のバイクがクラクションを鳴らしながら近付いて来て、バスに幅寄せして来て運転手に向かって何か大声で叫び始めました。私は車内の前の方の座席に座っていたのですが、バイクに乗った中年男性が繰り返し運転手に何事か怒鳴っているので「バスに絡むなんてガラが悪いなぁ」と思ってその様子を見ていましたが、やがて運転手が停留所の少し手前でバスを停め、バスの外に出てバイクの男性と何事か話しながらバスの車体前方を確認している様でした。「接触したとかで因縁つけられてるのかな」などと思っているとバスの運転手が車内に戻って来て乗客を見回しながら「燃料が漏れてます。燃料が外に漏れて・・すぐに降りて下さい!!」 乗客は十数人いましたが「(;゜ロ゜)ハァ!?」という感じで「ガソリンが漏れてるんだって!!」「早く早く!!」とー斉にドアに殺到してバスから飛び出しました。私も半分腰を抜かしながらバスから脱出しました。外に出てバスの車体を見ると前輪右側の付近からポタポタと燃料(おそらく軽油)が漏れてタイヤと路面を濡らし、油溜まりが出来ています。どうやらバイクの男性が燃料漏れに気付いてバスの運転手に知らせてくれたようです。私より後にバスに乗車し後方の座席にいた乗客達が「バスに乗る時にガソリン臭がしていた」と話していて、おそらく数十分間に渡り燃料漏れが続いていた様です。バスの運転手はバイクの男性に繰り返しお礼を言いながら携帯で緊急通報。5分もしない内に緊急対応車両が大音量のサイレンを鳴らし周辺の車を蹴散らしながら猛スピードで近付いてきました。そこに何も知らない後続のバスが到着。一刻も早く現場から避難しようと乗客達は私も含め後続のバスに乗り込みました。バイクの男性にお礼を言えれば良かったのですが緊急時でそんな余裕も無く・・。バスなので燃料は軽油だと思われますが、軽油は引火温度が50℃前後でガソリンに較べると引火しにくいと言われていますが、アスファルトの路面温度は夏場では50℃を超える事もあるし、その日は初夏とはいえ日差しが強くて暑い日でした。静電気やタイヤの摩擦熱、火が付いたタバコの吸い殻等で引火し爆発という可能性も十分あったと思います。車体は燃料漏れ等が起きないように設計されているのですが、部品の不具合や車体の経年劣化、点検時の故障箇所の見落とし等が原因で燃料漏れが発生する場合があるようです。ハリウッド映画「スピード」でバスが爆発して炎上するシーンが頭に浮かびました。もしあの時バイクの男性が燃料漏れを知らせてくれず、バスがそのまま走行していたら私は既に死んでいて七回忌も既に済んでいたかもしれません。本当に人生一寸先は闇だなと思いましたね。もしもあの時・・そう思うと今生きている事がボーナスのようにも思えるので、たとえ病気や怪我に見舞われても生きていればこそ、と前向きな気持ちになれそうな気がします。 ちなみにその件についての報道は私が知る限り無かったようです。第三者のアシストで火災を未然に防げたから良かったようなものの、状況次第では多数の死傷者を出す大惨事になっていた可能性もありますので当然バス会社も管理体制を見直して再発防止に務めたであろうとは思いますが。

 

年金改革 3号年金を廃止すべき

現在、厚生年金に加入している配偶者に扶養されている人は第3号年金と種別される年金に加入しています。3号年金は本人が年金保険料を支払わなくても国民年金の保険料を支払ったものと見なして納付実績として加算されて行くシステムで、本人が支払っていない保険料を厚生年金加入者全体で負担するという形になっています。3号年金は昭和時代に作られた制度で、その当時は女性が働く環境が整備されておらず就業している女性が今よりも少なかった為に厚生年金加入者の男性の妻の国民年金保険料を厚生年金加入者全体で全額負担するという制度が作られました。とはいえ夫である厚生年金加入者の保険料は独身者と同じ保険料率であり、妻帯者がより多く負担している訳ではない。3号年金加入者として年金保険料を納めていないにも関わらず納付済み扱いとして貰っている主婦や主夫の中には元々資産家で多額の貯蓄がある人もいますが、そうした人々も全て含めて保険料支払い免除となっているわけです。妻が働き始めて厚生年金に加入出来る条件を満たせば3号年金から外れて厚生年金に加入し、自分で保険料を納める事になります。独身者や共働きで夫婦揃って高額の厚生年金保険料を払っている家庭から見ると、なぜ自分達が他の家庭の主婦の保険料まで負担しなければならないのか、女性が安定的に働く為の環境はもう十分に整備されているのに。3号制度に甘えて働かない、あるいは働き控えをしているのではないか。それならせめて夫の保険料に妻の国民年金保険料を上乗せして払うべきだろうに夫は自分の分の保険料しか払っていない、といった不満や不平等なシステムに対する怒りが増大しているのは当然です。いずれ厚生年金は国民年金と一元化されると見られていますが、そうなれば国民年金加入者も黙ってはいないでしょう。現在は病気や障害があれば年金を免除する制度がありますし、妊娠中・出産前後の納付免除制度もあります(個人的には現在の出産による免除適用期間約4ヶ月を妊娠確定診断時から出産後1年くらいまでに拡大すべきだと思っていますが)。何より女性が働き易くなるようにと労働環境の改善や賃金格差の是正も行われてきていますので、やはり国民年金の保険料くらいは自分で払うべきではないかと思いますね。欧米・アジアの主要国でも年金制度においてそうした極端な女性優遇措置を設けている国はありませんし。3号年金が廃止された場合、働いていない主婦は月々約17000円を夫に負担させる事に後ろめたさを感じるでしょうし、夫からすれば今まで免除されていた妻の保険料を負担する事に怒りを覚えるでしょう。ちょっとした特典・特権ほど手放すのが惜しいという心理はよく解ります。そう感じる人が政治家や官僚の中に特に多いということも、3号年金廃止が中々進捗しない理由の1つかもしれません。が、不公平な制度を維持する事は政治や官僚組織に対する国民の不信や怒りを増大させ、他のあらゆる制度に対する不信や不安を招く結果になります。3号年金制度は早急に廃止すべきだと思いますね。

老後の健康と住環境

以前、知人と話した際に高齢の母親が目の病気に罹ったので、それをきっかけに老後のプランを見直したという話を聞きました。母親の目の病気は遺伝する可能性もわずかながらあるので、万一母親と同じ病気に罹っても通院し易いように総合病院の近くに転居したそうです。定期検査や発病のリスクを下げる予防策などについても医師のアドバイスを受けているとのことで、夫婦で計画していた山荘での老後生活を断念し、市街地のマンションに移ったそうです。私より少し上の世代のご夫婦の話ですが、やはり年齢と健康のリスクを考えると当然ながら老後の生活設計には様々な制約が課される事になります。万一失明したら、癌になったら、骨折したら、糖尿病が悪化して透析が必要になったら、心肺機能の低下等で頻繁に通院しなければならなくなったら?・・1つ歳を取る毎にあらゆるリスクが上昇するので日常生活を維持するだけで精一杯という状態になるでしょう。配偶者や子供や孫がいても迷惑を掛けたくないからあまり頼れないと考える人が多く、身内がいない場合は更に孤立化し易い。そうした現実を考えると、やはり医療・介護サービスにアクセスし易い居住環境がベストだろうなと思いますね。なので以前から考えていた南紀への移住という選択肢はほぼ無くなりました。無論、南紀にも充実した医療施設は色々あるのですが絶対数が少なく、また医療施設の近隣で手頃な土地家屋物件を見つける事は難しい。やはり交通アクセスの利便性を考えると・・という感じです。過疎化によって医療施設そのものが閉鎖となる可能性もあります。和歌山行きは断念し、老後の住まいについては白紙に戻してプランを立て直そうと思っています。

老後の生活設計といえば遺産相続や遺言書等の問題が付き物です。現在、相続した実家の土地家屋を売却、あるいは相続放棄や国庫に返還するケースが日本中で激増しています。殆どの人は身軽になって気楽な老後生活を送りつつ終活の準備をしたいと考えています。昭和時代なら先祖代々の土地を捨てるわけにはいかないとの義務感から無理をしてでも死ぬまで所有している人が多かった様ですが、勿論今もそういった考え方の人もいますが、少子化が進む中、維持管理にかかる費用や労力を考えて処分に踏み切る人が激増している状態です。とはいえ、売却したくても直ぐに買い手が見つかるとは限りません。家屋を解体して更地にすれば殆どの場合買い手が付きますが解体には数百万単位の費用が掛かります。その為経済的に余裕が無いからと解体も管理もしないまま放置して廃墟状態となり近隣に迷惑をかけるケースが急増しています。所有者が行方不明、あるいは長期間相続手続きを怠っていた為に相続人の数が多数に上り土地の売却手続きが中々出来ない場合も多いようです。

 

 

 

 

引きこもる中高年世代

30~60代の生産稼働世代の人々が仕事をせずに自宅等に長期間引き籠もっているケースが全国で増加しており、「中高年の引き籠もり」として世間一般から問題視されているようです。ただ、引き籠もりとされる人々の多くは仕事はしないものの簡単な家事や買い物など自身の身の回りの世話は自分でしており高齢の父母の介護をしている事も多いようです。そうなると生活状態としては専業主婦(主夫)とあまり変わらないのではという気がします。ただ専業主婦は経済的に余裕が無くなれば仕事に就く意志と能力があると思われますし子供からの支援も期待出来ますが、引き籠もりの人の場合は配偶者や子供がいないので扶養してくれる親が亡くなった場合は支援してくれる人も無く、仕事に就かない、就けずに困窮して餓死や自殺に至ってしまうリスクが高く、その多くは福祉機関の支援を得て生活保護に移行します。行政から見た場合、同じ様な無職の生活スタイルでも引き籠もりの人々の方が問題があるとされてしまうのは仕方の無い事だと思います。ただ専業主婦(主夫)に対する行政・世間の認識も厳しくなってきており、専業主婦を優遇した形の年金3号制度の廃止や各種の配偶者控除が間もなく廃止される見込みとなっています。また遺族年金制度も将来的に大幅な減額や廃止となる可能性が高く、そうなると厚生年金に加入していなかった主婦(主夫)は配偶者の死後は少額の国民年金のみか、あるいは国民年金に僅かに上乗せしただけの受給額となり、生活に困窮して生活保護に頼らざるを得ないというケースが増えるでしょう。無職期間が長かった為に年金が少ない人は老後に税金で養わなければならないという場合が多いので働かない人々、特に中高年の引き籠もりに対する国民の危機感、問題意識は年々高まっています。

個人的に、引き籠もっている人々については、特に老父母と同居して扶養して貰っている中年男女については同世代でもあるので色々と同情してしまう部分もありますが、もういいトシですから他人が色々言わなくても本人が一番自己分析して現状を理解していると思います。精神障害発達障害が原因の場合も多いと思いますが、職種や勤務形態が多様化した現代において自分の適性や性格に合った仕事が見つけられない筈は無いとも思います。少なくとも短時間のアルバイトくらいは出来るのではないかと思いますが、しかし働く事が辛いというのであれば無理に働く必要は無いのではないかと思います。労働を強制する事は精神的な売春を強要する事に等しいと思うからです。就労は自発的に自分で選んだ仕事に就くという過程を経るべきだと思いますね。ただ、もし自分の家族に引き籠もり状態の子供や兄弟姉妹がいたとしたら扶養してくれる老親の死去後の生活手段や生活保護制度の支援範囲が縮小された場合にどう自活して行くのかという事について自己責任として考えておいて欲しいと思いますね。出来れば親が生きている間に、あるいは手厚い生活保護制度が実施されている今の内に自身が病気になった場合や死後の後始末、終活について考えて準備して欲しいと思います。「死んだら終了なんだから死後の後始末の事なんて考える必要はない。行政が適当に片付けてくれるんだし」という意見もネットでよく見かけますが、終活をする事で心に余裕と安心感が生まれてより豊かな余生を送れるのではないかと個人的には思いますね。

 

長岡京廃都

本日は2月4日で立春ですが、季節が移り変わる時期が昔とは異なる現在では2月はまだ肌寒い晩冬という感じがします。3月に入れば春の気配が漂ってくると思いますが。 ブログは休止中だったのですが、歴史に関する記事をちょっと書いてみようかなと思い更新しました。 私は京都出身ではありませんが、数十年前に京都の長岡京の史跡を訪れた際に長岡京の歴史や遺跡発掘の経緯に興味を持ち当時の歴史を色々と調べていた時期がありました。今も途切れ途切れに勉強してはいるのですが。長岡京を題材にした脚本を書いてコンクールに応募した事もありました。長岡京桓武天皇が784年に奈良(大和国)の平城京から現在の京都(山城国)に初めて移した首都で、現在の向日市及び長岡京市の地に築かれました。が、種々の政治的・地政学的要因や地形や河川による自然災害等によって10年ほどで廃都が決定し、長岡京から程近い葛野の地に再遷都が行われました。桓武天皇はその新都を平安京と名付けました。それが現在の京都です。長岡京が廃された理由については政治的・心情的・地理的といった多様な視点から多くの説が唱えられており、歴史学の専門家の意見を集約すると「地形的に高低差が大きく築都に向いておらず、洪水等の被害が甚大であった為」「長岡京において桓武天皇の同母弟の早良親王が謀叛の罪を問われた末に急死し、それによる祟りを怖れた桓武天皇が心機一転を図って新しい都を造ろうとした為」という2点の理由に絞られるようです。(桓武天皇の当時の側近の藤原種継が暗殺され、その首謀者として天皇の同母弟の早良親王が捕らえられ天皇に対する謀叛の疑いをかけられました。早良親王は無実を訴えて断食し流刑地に護送される途中で死去) 

当時の様子を伝える史料や伝聞・伝承が乏しい為、長岡京廃都の理由・経緯については上記の2つの定説以外にも様々な角度から多くの仮説や推論を展開出来る余地があり、そこに魅力を感じる歴史ファンも多いようです。

長岡京は10年という短い期間の都だった為にその正確な位置が分からず遺跡・出土品といった物証も殆ど無かったのですが、1950年代に地元の歴史研究家である中山修一氏の発掘調査によって初めて当時の遺構や遺跡が確認され、実在する都であった事が立証されました。向日市の辺りに都があったらしいという事は古代から伝わっており歴史書にも記載されています。しかし歴史学の体系的な研究・検証といった活動は近代に入ってから本格化したものなので、長岡京は近代以前は「幻の都」と呼ばれ、その実在が確認される事も無く半ば忘れ去られようとしていました。長岡京市には中山氏の記念会館があり、長岡京の遺跡発掘と長年にわたる調査研究の功績を伝える展示品 を見学する事が出来ます。中山氏の業績が無ければ長岡京の遺跡も土中に埋没したまま忘れ去られ、世間が長岡京の存在を認知する事も無かったでしょう。遺跡発掘調査は場所によっては実施する事が困難である場合が多いのですが、長岡京の遺跡も向日市長岡京市の繁華街の中にあったので遺跡発掘調査は土地の所有者や不動産開発業者との交渉・調整が大変で難航した様ですし、遺跡調査域と私鉄の線路が重なる部分等もあり、その点でも様々な困難が生じていた様です。向日市の文化資料館には長岡京の遺跡発掘の調査記録や出土品のレプリカ、朝堂院や大極殿の復元模型、当時の人々の衣食住を再現した品々が展示されています。庶民の質素な低カロリー過ぎる食膳や現代の一般庶民の献立に近い感じの役人の食膳、貴族の豪華すぎる食膳なども食品サンプルで再現展示されています。ただ、資料館はいつ行ってもほぼ無人で貸し切り状態であり、関心を持つ人が少ない事が窺える点が少し残念でした。立派な造りの資料館で展示物も中々見応えがあるのに・・歴史好きの方には是非一度立ち寄って頂きたいと思いますね。また、向日市長岡京市京都市長岡京平安京の違いについても調べてみると色々と興味深い点があると思うので、是非その辺りにも注目して頂けたらと思います。

ブログ休止について

暫くの間ブログを休止致しします                              仕事や趣味の執筆活動で忙しく、ブログを書く時間が中々確保出来ない為です。        数ヶ月休止した後に再開したいと思っています。

4月頃までは寒暖差が大きく体調を崩しやすい時期ですので、皆様もどうか健康に留意なさってお過ごし下さい。

賀正 2024年

明けましておめでとうございます。

本年が皆様にとって良い年となりますようお祈り申し上げます。昨年は当ブログを御覧頂き誠に有り難うございました。

本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

昨年の元日は北朝鮮日本海に向けてミサイルを発射するなど不穏な空気の中で1年がスタートしましたが、今年は元日の夕方4時過ぎに北陸の石川県能登震度7を超える地震が発生し、北陸地域の広い範囲で家屋の倒壊・火災、停電、道路の陥没等の被害が出ている様です。元日という事で多くの家庭で帰省した家族が滞在中だった為、人数が多く避難しづらい場合もあるようです。国や自治体は被災した住民の避難所の確保や今後の生活支援について速やかに対応して欲しいと思います。火災で焼け落ちてゆく住宅街の映像を見ると、とにかく家を失った人達に早く住居を、と思います。被害状況の詳細と国の対応についての続報を待ちたいと思います。