人って絶望して生きていくんだなあ。

絶望して強くなっていくんだなあ。

ぜんぶ 自分の弱さで 甘えで わかってても

それを理解してほしいっていうのは

それもまた甘えで、

そこで絶望から学ぶ

だいじょうぶだよ、今度はわかったから

求めないよ 笑顔でいる

涙は意味がない

今は、カナダのトロントに滞在していて 緊張したり、飽きてちょっときらいになったり、やっぱり好きだなと思ったり 日々少しずつ変化がある。会社員みたいな週休二日九時五時勤務だとかきっちり決まった時間で働いてないから、平日の昼間に散歩したりもする。最近好きなのは、夕方、日が落ちる前の時間に家を出て 徒歩20分で大通りまで出る。駅のある通りなので、たくさんのカフェや雑貨屋、スーパーマーケットがある。このあたりはグリークタウンと呼ばれていて、ギリシャ料理のお店が沢山あるし、住んでいるのもギリシャ人が多い。人が多すぎず、かといって過疎ってもいなくてちょうどいい。八百屋さんで果物や野菜が安くなっていれば買って、オーガニックスーパーマーケットをうろうろする。ついでに薬局SHOPPPERSで化粧品見たり、お菓子を買ったりする。昔っからふらふらしてやたらと買い物に時間がかかるタイプだ。気づいたら1時間はゆうに経っているので、また引き返す。話がそれたけれど、つまり 私は今住んでいるこのご近所さんがとても好きだな、とこうやって散歩するたびにしみじみと思う。大通りに出るまでの住宅街を歩いてるとき、家々を眺めるのも好きだ。昼間でもない夕方でもない時間の太陽の色が好きだ。寒すぎるとつらいけど、積もった雪が黄色く太陽に照らされてキラキラしてる色とか、影が水色で海みたいに見える景色とか、何度見ても美しいなと思う。丸裸で寂しそうな木々も、真っ青な空とのコントラストがうつくしい。ここで、たくさんの 冬のうつくしいものを目にした。自然の美しさにかなうものはないと、改めて実感する。

秘密基地

いつものようにインスタグラムのタイムラインをすらすらと眺めていた。「ジィジの力作」という文字が目に入り何だろうと複数枚ある写真をスワイプしていくと、それは、ジィジが孫のためにカラフルな色で塗り、段ボールを組み合わせて作られた秘密基地のことだった。ふと思い出した、わたしが秘密基地ごっこが大好きだったことを。幼いときは覚えてないが、少なくとも小学生2年生くらいまでは家の中で毛布や椅子を駆使し、テントをつくって、その中で友達と過ごす。そんな遊びをしていた。秘密基地の中で何をしていただろう、多分、「伊東家の食卓」の本を読んだり、心理テストの本で遊んだり、ただ、そのちいさな空間の中で 静かに過ごしていたと思う。自分の家でもしたし、長い夏休みや冬休みに祖父母の家に帰れば、いとこたちと一緒に秘密基地を作ってその空間の中で過ごしていた。部屋の中で秘密基地をつくることはよくあったけれど、屋外で作ったことはあまりなかった気がする。あ、でも、あったかも…公園か幼稚園の敷地内かどこか…ディズニー映画に出てきそうな いい感じのくぼみのある木だとか…どうにも記憶が戻ってこない。久しぶりに、幼少期の記憶を辿った気がした。今は、今のことだとか 将来のことだとかを 考えることでいっぱいいっぱいだ。過去に目を向けることは、あまりしなくなった。それでも、こうやって 今 の中にもたくさん過去を連れてくる景色やものやにおいや音がたくさんあるのだ。そのときは少し立ち止まって、記憶を連れ出していこう。

夢の中で

ジョンヒョンに会った。

久しぶり、あえてうれしかった。

夢の中で なにか夢のようなものだとわかっていて

目が覚めたら、お別れになることもわかっていた

君はしゃべらなかった

ずっと不安そうな顔をしていた

わたしはなだめるように寄り添っていた

夢だとしても、あえてよかった

夢だとしても、あたらしい君に会えた

ほんとうにうれしかった

手をつなげてよかった。

ほんとうにお別れになる前に

目が覚めてしまった

愛しているよジョンヒョン いつもそばにいるよ

また夢の中でいいから会いたいよ、よろしくね

また会おうね。

海外にいるからこそ気づいた母国の良さや、こうなったらいいのいなってこととか、どっちかというとネガティブなほうが多く考えちゃうけど。母国を良くしたいって気持ちはすごくある。でもどうしたらいいんだろう分からないなあ。自分の生まれた国が一番すてきであるのがいちばんうれしいでしょ