日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 3/26 「紙一重」

病棟日誌 悲喜交々 3/26 「紙一重
 この日は検査日で、治療後に心エコー、下肢の血圧を測定した。後者は要するに動脈硬化の進行を見るものだ。
 検査室の前の長椅子に座ると、検査技師が来て、「急患が入ったので少し遅くなってもいいですか?」と確認する。
 良いも悪いもなく、既に始まっているので、そのままそこで待った。

 すると、その急患の家族親族らしい人たちが次々にやって来た。
 患者が救急車で運ばれ、検査室の向かいの救急処置室に搬入された。そこで家族に連絡が行ったが、親戚も呼んだのは、かなり深刻な病状だからということ。
 おそらく昼過ぎに発症して運び込まれたが、三時には親族が集まっている。
 内心で「コイツはヤバそうだな」と思う。
 救急搬送の患者なら検査室の前が処置室だから、この長椅子でよく見るので、看護師らの表情で病状が分かる。
 ここで座る位置を移動して、長椅子の端に座った。自分が雑音にならぬためだし、あまり話を聞きたくない。

 だが、火急の時には声が大きくなりがちなので、全部聞こえてしまう。
 患者は五十一歳の女性だった。
 仕事中に倒れ、救急搬送されたが、心臓の病気らしい。
 「前にも一度あった」とお姉さんらしき女性が言う。
 なら今は心電図を見ている。

 ここで疑問に思うのは、「心臓の疾患で救急搬送された」なら、「何故この病院にいるのか?」ということだ。
 この病院では、心臓の外科手術が出来ぬから、治療が必要な患者は一キロ離れたところにある循環器専門病院に搬送される。
 ここで検査をして、病状を確かめても、結局、別の病院で外科治療を受けることになる。
 当方もかつて、夜中に具合が悪くなり最初にこの病院の救急窓口に来たが、そこで検査を受け「心筋梗塞」と分かったので、改めて循環器専門病院に行った。そこでまた最初から検査を受けることになるから、下手をすればその間に病状が変わってしまう。

 だがすぐに事態に気付く。
 「なるほど。救急車は当然循環器の病院に運ぼうとしたが、塞がっていたわけだ」
 病院にいる医師の数は限られる。
 三月なら日に何件も救急搬送が来るのは当たり前で、この日はたまたまそれが四件五件重なったわけだ。そっちはかなり大きな病院だが、手術室が五つはないし、担当できる医師もそこまでいない。
 当面の救命措置と検査のために、この病院に運び込まれた。

 「こういうのはまさに運だよな」
 心不全なら発症後四十分以内に処置をする必要があるが、救急車がすぐに来られなかったり、出払っていたりすると、到着が遅れてしまう。ここでの十五分の違いが生死を分けることがある。
 「五十一歳じゃ、まだ若い」
 子どもたちもまだ小さいだろ。
 だが、美空ひばりさんも石原裕次郎さんも五十三歳で死んだ。
 ごく普通に起こりうる事態のひとつ。
 「俺だって、心筋梗塞で入院したのは五十歳の時だったわ」
 それから幾度となく入院しているし。
 「生き死に」に早いも遅いもなし。

 急患の女性がベッドで運ばれ、次に当方が呼ばれた。
 検査技師に名前と生年月日を言う。
 すると、技師が年齢を確認した。
 それを聞いて、「えええ」と驚く。
 それって、当方のこと? 

 一体誰の話だよ。オヤジジイもいいとこな齢だろ。

 最初に若手の技師がエコーで調べ始めたが、程なくオバサン技師を呼んだ。
 「なんか、肝臓がどこにあるんだか、よく分かりません」
 オイオイ。
 次に来た技師のオバサンは、頭の中のことを口に出して言う癖らしく、何かぶつぶつ言っていた。
 「あれ本当だ。おかしいな」
 体勢を幾度か変えて、ようやく「あったあった」。
 心臓の検査の後は下肢血管だったが、前回より数値が良くなっていたらしい。
 「前はこの数値だったのね」
 前よりだいぶ良くなっているわけだな。
 そりゃそうだ。
 半年前と今が決定的に違うのは、「俺にはお稚児さまがついている」ってこった。
 信じる者には結果がついて来る。私的には当たり前の事態だ。

 いつも思うが、「信じる」ことは「願う」こととは違う。
 後者は欲望に関係しているので、幾ら願ってもそれ(欲望)が邪魔をする。欲を切り離して「信じる」コツを覚えると、目に見える変化が起きる。
 私は実際にはボロボロの状態だが、しかしすぐには死なんだろうと思う。
 いつ何時、お迎えが来るかは分からんが、日々を味わって生きようと思った。

 ま、この感じでは九月頃までは大丈夫だろ。   

◎今日のご供養(能仁寺3/25)

今日のご供養(能仁寺3/25) 
 たまたま家人のSNSを見ると、小鹿荘前での画像が出ていた。私の後ろ姿が写っている。率直な感想は「頭頂部が薄くなったなあ」。短髪にしていると目立ちにくいが、それでもハゲは禿げ(残念)。

 だが、冷静に見直すと、左肩付近に煙が出ている。
 長椅子の隣や背後にも影が見える。
 とりあえず翌日の朝ご供養に行くことにした。

 月曜は生憎の雨で遠出はし難い。
 このため、飯能の能仁寺に参詣することにした。
 いつも通りの手順で、お焼香をし、境内の隅にあるあづまやで慰めた。
 直感と想像・妄想は明確な区別がつかないわけだが、無理やり線引きを考えるより、「あることを前提として対処する」方が簡便だ。間違いや判断ミスが起きない。

 それが幽霊の影響なのか、あるいは想像や妄想だけの存在なのかを線引きするのは、好奇心の範囲の話だ。あるいは第三者的なものの考え方で、現場に立つ者はそんな悠長な眺め方をしていると、対応が間に合わなくなる。

 車の運転をしている時に、「何か」が前に飛び出て来たら、「それが人なのか、動物なのか、朽木なのか」を考えているうちに撥ねてしまう。この場合に優先することは、「まずはブレーキを踏んで車を停める」ということ。それが何だったかを確認するのは、衝突の危険が去った後で良い。

 この理屈が分からない人の方がはるかに多い。


 この場合は、自分の傍に「その人がいる」ことを前提に対話をはかるということになる。
 まずは自分にとって最も大切な人たち、要は父母に感謝した。
 次は、夢に出て来た女性を想定して、対話を図った。
 どんな女性だったのかは知りようがないので、親の立場から娘がどう見えているか、どれほど大切に思っているかを話した。
 次女は失恋の痛手から回復していないようで、今もほとんど口を開かない。
 「直接に伝えたりしないが、父親だけに娘のことを案じている。これはあなたの親族も同じだ」
 亡くなった娘・妻・母親のことを想い、きっと今も手を合わせている。その想いに応える最善の選択は「先に進むこと」だ。
 今の感情に執着せず、先に進む。これは般若心経の示す通りだ。

 お不動さまに女性をお願いした後、次は自分のセルフチェックに向かった。
 家人の画像を見て気付いたことは、「ガラス窓に映る景色に歪みが少ない」ことだ。
 私が撮影すると、TPOの違いはあるが、ガラス窓の景色が著しく歪む。このことを私は「誰にでも起きること」と見なして来たが、実際には「ごく一部のひとに起きること」なのかもしれん。
 神社の窓ガラスに自分を映すと、遠近や位置関係が著しく崩れる。
 九枚目の画像では、右端に参拝客の若い女子が見えるが、この子がいるのは空中だ。体も大きく歪んでいるから、「この子は生きた人間なのか?」と思うほどだ。
 ま、景色がデフォルメされた変化だと思う。

 私自身については、さしたる異変は起きておらず、煙玉が少々見える程度。髪の毛がやたら増え、女性のようだが、これくらいは普通に起きる。
 腕が四本五本に増える時もあるので、むしろ「異変が少ない」方だと言える。
 遠目だと、私の姿はまるで女性のようだが、この日の経緯を考えれば、それも当たり前だと思う。
 私があの女性なら、自分に理解を示してくれる者(私)の傍にいる方が心地よい。

 それなら気が静まり、落ち着くまで別にいても構わないと思う。執着される関係ではないから私に影響はなし。

 ところで、能仁寺の駐車場に居る時に、傍で掃除中の「寺男風の女性」に挨拶をしたら、そこからあれこれと対話になった。
 ちなみに、お寺の下働きをする人のことを「寺男」と言うが、女性の場合は何というのだろう。「寺女」という言い方はないので、やっぱり「寺男の女性」なのか。
 実際には、お寺の関係者というわけではなく、近所の人がご奉仕で掃除をしていたらしい。
 この女性は誰かに「今のホ―ジョーさんと前の人との違い」を訴えたかったらしく、かなり長く語り、私は雨の中で話を聞いた(寒い)。
 車に乗ってから、「ところで『ホージョーさん』って何?」と疑問に思ったが、後で調べると、「方丈さん」は、曹洞宗などで「住職」のことを指す言葉なそうだ。

◎霊界通信 「道に立っていた」

◎霊界通信 「道に立っていた」
 今朝方、夢とも想像ともつかぬ状態で、ある光景が思い浮かんだ。
 自分は道端に立っている。特に何をしているわけではなく、ただぼんやりと立っていた。何かを考えているわけでもない。
 ぼおっとして、取り留めのない断片的な思い出を反芻している。
 すると、その自分の前を人が通り掛かった。
 男だ。
 その男の人は、自分の前に来ると、「あれ?」と小首を傾げたが、そのまま先に進んで行った。
 そこで、何となくその男の後をついて行った。
 特に理由はない。その男のひとが私を見たから。
 この辺で、これを考えているのが「私」だと気付く。つい先ほどまでは「私」という意識が無かった。
 そこで改めて、前を進む男を確かめると、その男は「私」だった。こりゃ一体どういうこと?
 待て待て。私は私だが、あの男も私だ。
 で、その男は「男」だが、私は「女」だった。
 ここで声に出して言う。
 「おいおい。それじゃあ、本物の私はあっちの男の方だぞ」

 ここで我に返る。
 道端に立っていたのは「女」の私で、すなわち普段の私ではない。私はオヤジジイで、それが本来の私の筈だ。
 ということは、「さっきぼんやりとものを思っていたのは私ではなく別の誰か」ということだ。
 こんな風に自意識が混濁する状態は、「別のヤツが頭に入り込んでいる」ということだ。

 そこですぐに最近の画像を点検して見た。
 思い当たるのは、小鹿荘の玄関の写真だ。
 私自身の姿は映らなかったが、子どもたちの気配は分った。
 「だが、前回(一月)の子どもたちは俺の右後ろにいた」
 左側の「手」は誰のもの?

 ここで前回開かなかった次の画像を開いた。
 すると、石臼のところにいたのは、女児ではなく大人の女性だった。前回の画像では、前に女児がいたが、その後ろにこの女性が立っていたのだった。

 ここで、ここに来る前の観音院のことを思い出した。
 太陽を背にして撮影したのに、逆光の時に生じる光のハレーションが出た画像があった。その時に「何となくそこに女性がいるように感じる」と書いたが、やはりその時には近くに女性がいたらしい。
 そこに来る前から、たぶん、私の後ろを歩いていた。
 要するに、道端に立っていた「私」とは、その女性のことで、その女性の眼を通して私を見ていたわけだ。
 普段とは逆の展開なので、少しく慌てさせられた。
 
 女性は三十歳くらい。たぶん前厄の頃に亡くなった。
 小さい子どもがいて、その子のことが心残り。だが、かつての詳細については殆ど思い出せなくなっている。
 ぼんやりと立っていたところに、灯台みたいな者(比喩だ)がやって来たので、何となくそれについて来た。

 この女性の判断は正解だった。私は女性に気付き、ご供養を施してあげられる。
 いつも記す通り、これが総て妄想なら、その方が有難い。こういうケースの中には、時々駄々をこねる者や性質の悪い者がいて、関わった者(私)に苦痛を与える。
 妄想癖ほどすばらしいものはない。それは「今後も何も起きない」ということだから。

 TPOが合致していれば、女性の姿が鮮明に見えたと思う。
 精度が上がっているので、いずれその機会は来る。

追記)「お稚児さま」に会ってから、迷いが無くなっていたのに、昨日今日と心中がもやもやしていた。「女性の私」の夢もしくは妄想を観て、その理由が分かった。
 早速、お焼香を始め、今も慰めている。

訂正)女性の頭にあるのは、小さい子どもの顔で、これはこの女性が執着することで実体化したものだと思う。子どもが泣いているのではと案じている。繰り返しそれを思い描くので、それが実体化した。あの世が「主観的に構成される」というのは、すなわちこういうことだ。思い描いたことがかたちになって現れる。

◎今日のこの人 「通訳が博打に6億」

今日のこの人 「通訳が博打に6億」
 ギャンブルでやってはいけないことの代表は「借金で打つこと」「(負け分を)勝って返そうと思うこと」だ。
 用意したタネ銭の範囲で打つ分には、負けてもゼロまでで、マイナスにはならない。 

 これを自前のタネ銭を用意せず、ノミ屋を利用したり、掛け(後払い)で打ったりすると、必ず行き詰まる。
 バクチは打てば打つほど負けるもので、「勝ちは一瞬」だけだ。
 年収が7千万貰える通訳は、たぶん、水原氏だけだったと思うが、「契約がある内に一生懸命働こう」とは思わぬのがひとの心だ。「今のうちに大きく稼ごう」とタネ銭を増やし博打につぎ込む。負けるとそれを取り返すためにまた大きく張る。
 ギャンブルは「負けた時に脳内で快感物質が分泌する」ので、負ければ負けるほど嵌って行くそうだ。

 歌手のFK子さんは、若い頃には「月給を段ボールで貰う」ほど売れていたが、金銭感覚が麻痺したのかギャンブルにのめり込んだ。結果的に金があればカジノに行って総てを遣うようになった。

 娘が稼いだ金も遣い、最後はその娘から「手切れ金」としてて三億渡され縁を切られた。その金をカジノで遣い果たし、最後はマネージャーの部屋に居候し、そこで亡くなった。
 こうなると、薬物中毒と同じ病気だから、もしギャンブル中毒に入り込んだら、入院して、禁断症状が出ぬようになるまで断つ必要がある。
 だが、覚せい剤と同じで、一度経験すれば、なかなか抜け出せない。 

 ちなみに少し脱線するが、ベビーメタルに「ギミチョコ」という曲がある。歌詞は「チョコをくれ」と繰り返すだけ。
 「くれくれくれくれ・・・寄こせこの野郎」、と言う曲だ。
 この場合、「チョコ」というのは、ヘロインの隠語で、麻薬に嵌り「とにかくくれ」と叫ぶほど「墜ちて行く様子」を歌っているという解釈がある。
 少女たちが「麻薬をくれ」と歌うので、欧州、特にドイツで受けた。

 追記)大谷選手は、今も「月の小遣いが十万円」だ。
 金に無頓着な男だから、本人が博打にのめり込んだわけではないと思う。ま、メディア的には大谷選手も釣り上げて、大スキャンダルにしたい話だろう。
 だが、博打は金を儲けるためにするもので、この場合、大谷選手は鉄火場でなくグランウドに金が落ちている。ギャンブルに手を出す必然性がない。

◎病棟日誌 悲喜交々3/23「サプリのリスク」

病棟日誌 悲喜交々3/23「サプリのリスク」
 この日の計量はユキコさん。
 「三沢あけみです」
 すると、周囲にいた五十台オヤジ・オバサン看護師が一斉に「知ってる知ってる」と叫んだ。
 この人の印象が強かったわけだ。
 三沢さんは八十台くらいだと思うがお元気なのだろうか。

 ここに介護士のバーサンが介入。
 「あれ。あれ誰だっけ?『枯れすすき』の」
 「それってどの『枯れすすき』のこと?『昭和』?」
 ここで周囲が固まる。
 「『昭和枯れすすき』なら、さくらと一郎」
 こんなのは最近のことだよな(違うか)。

 ネットニュースを観ていると、「サプリで腎不全」の報道があった。数十人が腎機能不全を発症したらしい。
 ステロイドも怖いが、サプリ系も怖い。
 肝臓腎臓は血液が集まるところなので、劇物は必ずそこを通過する。肝臓は割合丈夫だが、腎臓は悪影響を受けることがある。
 腎不全患者の多くは、薬物(普通の治療薬)や健康食品を経由してそうなった。市販薬が合わなかったり、特殊なサプリを摂取することで、一発で腎機能が壊れる。一度壊れると、腎組織は再生しないから、腎不全に。七十パーセント損傷くらいなら人工透析で生きられるが、100%損傷ならもって数日の命だ。
 腎臓は血液を濾すだけでなく、生存に必要なホルモンを出す。
 よって名前を知らぬ薬草なんかのサプリを飲んではならない。
 亜鉛が欲しかったら、サプリではなく牡蠣を食え。
 腎不全は「すぐそこにある危機」のひとつで、癌や心疾患で死なない場合は、必ず肺か腎臓で死ぬ。四十歳台までは「自分とは遠い話」のように聞こえるが、五十台以降は「明日自分に起こるかもしれん病」「いずれ必ず通る道」だ。

 帰路のエレベーターで、最近転院して来たバーサン患者と一緒になった。アラ八十のようだが、きちんと挨拶が出来る。しっかりしているから七十台半ばかもしれん。
 いずれにせよ「周りに眼を配れる」うちはまだ大丈夫だ。
 バーサンに「あなたは何年ですか?」と訊かれ、「七年です」と答えた。当方もえれーベテランだ。五年を超える者は数人だわ。
 「わたしは十四年です」とのこと。
 思わず、「そりゃスゴイ。長いですね」と口走ってしまった。
 冷静に考えると、「よくそこまで生きていられらあ」と言う意味だ。本来、とっくの昔に死んでるはずなのに。
 実際、この三月でだいぶいなくなったぞ。
 やはり生き残るのは、若いうちにピンポイントで腎臓が悪くなった者だけ。
 このバーサン患者も六十台の頃には腎臓を壊している。
 元気そうだから、心臓病経由ではないようだ。

 「たぶん、俺の方がこのバーサンよりも先だ」と思った。
 欧米のポータブル透析機を認可してくれれば、患者は自分で出来るし、無用に長生きさせられることもない。早く認可しろ。
 もちろん、死亡率が上がるはずだが、人生の時間を治療で食いつぶすよりはるかにましだ。それに、活動範囲が広くなれば、この世のテキトー人種をやっつけに回れる。

 この日も「ほぼ末期」の患者が呻いていたが、「延命治療」優先ではなく「苦痛軽減」の選択も認めてやればよい。本人が望む場合はモルヒネを。
 国民医療費が減るだろ。
 年寄りや障害者は社会に必要のない人間だ。
 (もちろん、意図的にブラフを混ぜ込んでいる。それに他人事ではなく、当事者本人の言うことだぞ。)

 さて、それじゃあ、その「社会に必要な人間」とは誰のこと?
 基準は何で、誰がそれを決める?
 裏金政治家か? 
 と来て、「あ、政策を決めてるのはその政治家だ」と気付く。

◎週に二度目の秩父観音院

◎週に二度目の秩父観音院
 月曜に参詣したばかりだったが、金曜が休みの家人が「私も行きたい」と言うので、再び参詣することにした。
 この辺、既に私は「余生」を送っており、かつての誓いの通り、この後は「家人最優先」の日々を送ることになっている。
 三十台から五十台は勝手気ままに生きたから、もう充分。これからは罪滅ぼしに。

 このお寺で他の参詣客に会ったことが無いのだが、それもその筈で、周囲は総て杉の山だ。二月三月はここに立ち入ろうとするには、ひとによって覚悟がいる。
 ま、ここで参詣するなら、坂下で観音蕎麦を食べ、温泉で汗と花粉を流すところまでがワンセットだと思う。そのまま帰ったら、家じゅうスギ花粉だらけになってしまう。

 私については、このお寺を訪れる度に、心も体も「良くなっている」という実感がある。さすがお不動さまで、我が家の守護神だ。
 少し気になる点があったので、また来月にはここに参詣しようと思う。

 

追記)最後のひとつ前の画像では、何となく女性が背中を向けているような気がする。
 だが、何も聞こえぬので、今のところは「気のせい」の域だ。そこにいて、こちらに自分を見せているなら、必ず何かを語る。
 ま、実際は直感の通りなのかもしれんが、こういうのは気がついてはならない部類だ。気が付くと、そのことを悟ってついて来る。

 女性は三十くらい。
 子どもがいた。
 周りに三つも四つも寄り憑いている。
 みたいに、どんどん変な情報が沸いて来る。
 声が聞こえ始めて、「触られる」感覚が出るようになると、もはや妄想ではなく本物で、対処が必要になる。
 ただの妄想ほど有難いことはない。それは「何も起きず、背負うものが無い」と言う意味だ。

◎霊界通信 「お稚児さま」に会いに行く

◎霊界通信 「お稚児さま」に会いに行く

 家人に「秩父にお不動さまを祀った良いお寺があって」と話すと、「じゃあ、私も連れてって」と言う。

 そこで金曜日に連れて行くことにした。

 しかし、車で出発し、五分ほど経つと、家人が「お寺はまだなの?」。

 ええええ。オメーは近所だと思っていたのか?

 「観音院は秩父にあるんだよ。ちゃんとそう言ったでしょ。行くのには一時間以上かかる」

 「あらそうなの」

 相変わらずの天然妻だ。ダンナは命懸けだったりするのに、まったく気にしない。

 

 前回と全く同じコースで、観音院に参詣した後、観音蕎麦を食べ、小鹿荘で汗を流して帰ることにした。

 (各々は別途記録。)

 

 私にとって重要な目的は、またあの「お稚児さま」に会うことだ。あの子が居てくれるだけで、心が明るくなる。

 小鹿荘では、庭石の傍にジュ-スを供えた。

 たぶん、ジュースの類は飲んだことが無かろう。そういう時代の子どもだ。

 ちなみに、こういう場合は「蓋を開けて一二分備えた後、飲んでみせる」という段取りになる。たまに封をしたまま置きっぱなしにしてある供えものを見るが、口を開けなくては香りさえ届かぬしわけだし、手に取って飲むことが出来ぬのだから、代わりに飲んで 味を伝える必要がある。それが済んだら、きちんと片付けて帰る。

 置きっぱなしにすれば、だれか他の人の手が必要になる。その人は恐らく縁も所縁もない人で、迷惑をかけることになる。そこで手を合わせるのは、拝む者の自己都合でしかない。なら片付けて帰るのが当たり前の所為だ。

 

 残念だが、この季節は太陽の角度が撮影に適さず、午後二時頃でも60度くらいの傾斜角で、日差しが当たらない。

 子どもたちの姿を見せられるのは、来月以降になるようだ。

 ちなみに、「お稚児さま」の他に、「白い着物の女児(十歳前後)」と「少年」の三人は確実にいると思っていたが、この日の感覚ではもっと沢山いるようだ。

 傍に来ると、必ず私の体に手を置くので、その肌感覚で分かる。これは「稲荷眷属」の時の置き土産で、1グラムほどの「蜘蛛の糸」の感触が分かるようになったことによる。今は視覚聴覚よりもこの肌感覚の方を重視するようになっている。

 

 目視はほとんど出来ぬが、一人がちゃんと挨拶をしてくれているようで、手を上げている。指が見えるのでそれと分かるが、室内外にそれと見紛うものはない。

 ちなみに、一月に撮影した左側の女の子ではなく、別の子だ。

 四月の中旬以降になれば、太陽の角度が上がり、日光を浴びられ、ガラス窓に映るようになると思う。その時に五人(もしくはそれ以上)の子どもたちを出して見せられるかもしれん。もちろん、「見えぬ者を見て、聞こえぬ声を聴く」という行為なので、簡単ではない。