特急あずさ、上り。

ここ10年ほど、いや10年以上。夏になる度、同じ湖に通っている。

大したことをしているわけではない。

ほとんど同じ面子が集まり、昼は湖畔のキャンプ場で肉を焼き、日が暮れる頃に温泉に入り、夜は安宿で酒を飲みバタバタと眠る。

1年に1回の行事とはいえ毎年行う効果か、様々な最適化がそこかしこに見える。現地までの道のり、買い出しの場所と準備する物品、会場の設営。誰かが「そろそろ撤収しようか」と言いだせば、レンタルした椅子や机、タープ等の返却、炭の後処理、ゴミの集約が迅速に行われる。そして20分後には車で出発している。遊びに来ているはずなのに、報酬ある仕事のような働きぶりである。

繰り返すことにより嫌が応にも学習が進む一方で、新たな取り組みも出てくる。ある者は自宅で下準備した「あとは焼くだけ」の食べ物を持ち込み、ある者は湯を沸かす道具を購入し暖かな珈琲を淹れる。毎年の変化は微々たるものだが、10年経つと満足度に違いが出てくる位になっている。

自己啓発に関してルーティーンなんて言葉を最近よく聞くのは、こういうことなのかもしれない。繰り返すことによる学習が単純なエラーを減少させ、浮いたエネルギーで行われる創意工夫により効率と成果が高まっていく、ということか。

もっとも、本当に好きなことでなければ、工夫はおろか、続けることなんて出来ないだろうけど。好きを仕事にしろというのは理に適っていると感じる。

では私が続けられている、毎年同じ湖で肉を焼く、それを仕事にするとはーーー

次は終点、新宿。

首都高6号線

正しくは首都高速6号向島線と言うらしい。隅田川の東をなぞる、都会のリバーサイドラインだ。

春先には川沿いの桜を遠目に拝むことができ、童謡が脳裏をよぎる。夜は高層ビルの無数の航空障害灯が赤い点滅を繰り返し、美しく見える時もあれば恐ろしく感じる時もある。スカイツリーは見るたびに違う色の明かりを灯しており、登ったことはないが悪くないランドマークに思える。

上り線であれば、駒形というパーキングエリアに立ち寄ることもできる。自販機とトイレしかない簡素な作りで、猫の額ほどのスペースしかない。この休憩エリアは道路と薄い壁を一枚隔てただけの場所にある。道を行く車、特にトラックの音と振動を間近に感じられてしまうような位置どりだ。狭い上に危険であり、もちろん快適でもない。だからこそと言うべきか、体育館の裏のような、理科準備室のような、薄暗い穏やかさがあり、日頃の雑事から遠ざかった心地になる。

進路を北に、あるいは西に向ければ本当に喧騒を離れられるのに、時間がないからなんて言い訳をしながら足を運んでしまう。きっとこれからも、恐らく何度も。