男性不妊blog 〜現代版失われた時を求めて〜

奇形精子で不妊に悩んだブログ主が取り組む治療やサプリを紹介。費用や原因考察も

明確な答えはない、だけど現代生殖医療に賭けるしかない ジェイという男の物語を通して2

  日本が誇る女子プロテニスプレーヤーの伊達公子さんの言葉がずっと心に残っている。「テニスでは、努力したことは失敗してもその後必ず結果が出た。でも、妊娠についてはなかなかそうならなかった」。どうしようもなく先の見えないトンネルの中では、常に選択することを求められた。やるか、やらないか。進むべきか、撤退すべきか。答えはない。正解もない。今も分からない。

  結果、僕はジェイという男を始め、村上春樹さんの小説に出てくる登場人物の名前を借りて自分の置かれた状況を整理してみることにした(ちょうど新刊の発売日が近かったこともあった)。同じ悩みに苦しむ人にどうしろというアドバイスをすることはできない。何が原因でそうなって、何をやったらどうなるのかなんて分からないからだ。クズみたいな文章を載せて何をやってんだと自分でも思うけれども、まぁ何せ正解はないから少しだけやってみようと思う。

 

「たぶん、ジェイさんたち世代の考える当たり前と、私たちの考える当たり前は違ってる。効率化だけを最優先するなら、誰かを好きになる必要もない。キスもいらない。子孫を残したいのなら卵子精子があればいい。だけどそんな世界は私は嫌だ」

親子ほど年の離れた彼女は言った。

「それで?」

「わたしはいわゆる『試験管ベイビー』よ。わたしは聞いてしまったの。だから父は私を溺愛していた。百万単位のお金をかけて私ができた。だけど、あまりにも私が言うことを聞かないから、あの人はうっかり言ってしまった。何度も何度も失敗して、お金をかけてわたしが誕生して嬉しかったってことを。あの人はあなたに親近感を抱いているのは、自分も似たような境遇だったから」

「彼がそう言ったのか?」

「直接私が聞いた話。ショックだった。だから私は考える時間が欲しくてNZへ逃げたってわけ。そのおかげであなたと出会えた」

「わたし存在自体が実験なの。だから、わたしはわたしの思うことをやる。あなたは言ったわ。ノーをイエスに、イエスをノーにって。小説を書く? 馬鹿げていると思っていた。だけどだからやる意味がある」

「だって我々は人工知能と戦っていかなければならない。人口減に抗っていかなければならない。無限に立ち向かっていかなければならない。ジェイさんが子どもができないことで悩む必要なんてない。現代医療が追いつくわ。それに賭けるしか方法はない。不老不死が先に実現するかもしれない。サイボーグ化する自分を認めていかなければならないかもしれない。あなたにも私にも、可能性はある。そこが現状認識の違うところ。それを伝えたかった」

「私は試験管ベイビーとして生まれたから、自分が当たり前に子孫を残せるなんて思っていない。だけど、わたしはずっとあなたに触れてほしかった。多分このバーで目を合わせた瞬間からずっと。NZでもずっとあなたのことしか考えていなかった。初めてちゃんと話せて嬉しかった。ここにまた再び来ることができて嬉しかった」

 ジェイは根負けする。彼女とまた会う約束だけをして店を出た。

 

なんぞこれ?

 

男性不妊とは何か ジェイという男の物語を通して

 

「ねえ見て」
妻が見せてきた診断書にはくっきりとした太い線で「男性因子」に丸が付いていた。まさか自分がという気分だった。気付いた時には失われていたのだ。万策尽きた。不妊治療がステップアップし、改めていろいろな検査をした。精子数や運動率といった数値が軒並み大幅に悪化していた。加齢と共に精子数が減ることがあることは知っていたが、ジェイにはまだ時間があると思い込んでいた。

「あなたの精子は少なく奇形がほとんどだ。分離してわずかに残った精子で顕微授精を試してみるが、難しいかもしれない」と医師は言った。「どうすればいいんですか」とジェイは聞いたが「根本的な治療方法はない。精子がいないわけじゃない。生活を改善して顕微授精をし続けるしかない」と答えた。自分に原因があるということを認めたくなかった。一方で、心の中では(お前が人並みの人生を送れると思ったのか)という声が聞こえていた。人並みの幸せを得られるほどに人並みな人生ではなかったのは事実だ。太宰治ではないが恥の多い生涯を送ってきた。恥の多さをバネにここまで来た。ビジネスを立ち上げ、軌道に乗せるプレッシャーは大きかった。寝る暇なく働いて必死だった。そして子どもが欲しいと思い始めた頃には失われていた。

5年に及ぶ不妊治療は期待と失望の繰り返しだった。治療は人工授精から一足飛びに顕微授精へとステップアップした。検査の結果、体外受精に足りうる精子量がなくて顕微授精を告げられた時は本当に落ち込んだ。顕微授精を行うか意思判断を求められたが、承諾するしかなかった。妻は全身麻酔を打って激痛に耐えて既に卵子を採取していた。やめますとは言えなかった。でも一向に希望は見えなかった。毎回、期待はするまいと思いつつも、「今度こそは」とどこか期待する気持ちがあって、それを妻が行う妊娠検査薬の陰性反応で打ち砕かれるという繰り返しだった。がっかりすることにも慣れすぎて、普通の感情は麻痺していた。身体的な負担は妻にかかり続けたが、妻は基本的にはジェイを責めるようなことはなかった。ただ、二人の間に生まれた溝は広がっていく一方だった。

大学の同期たちはとうの昔に父親になっていった。妻の周りでもどんどんと出産ラッシュが続き、周囲は当然のようにジェイたち夫婦にも期待した。普通の人が当たり前にできることができないこと、を突きつけられ二人は孤独だった。「子どもは? もう結婚して何年だっけ」。悪意がなくてもその言葉は胸をえぐった。「まだ仕事に打ち込んでいたいから、今はいらないかな」とジェイは嘘をついた。「あの人出張であちこち飛び回っているからなかなかタイミングが合わなくて」。妻も嘘をついた。自分たちを守るために。

「まだ仕事に打ち込んでいたい」という自分の嘘を現実にするかのように、ジェイは仕事に打ち込み、出張先では夜の街に足を伸ばした。夜の街で働く女性には素直に子どもができないことを打ち明けられることもあった。彼女たちは大概もっとハードな人生を送ってきていたから「結婚できてるだけでもいいじゃん」と励まされることもあった。そう思えないから悩ましかった。妻とは顕微授精を始めて以降、夜の営みは一切なかった。ジェイは容器に精子を採取し、指定された時間に病院に持っていくことが2人の「子作り」だった。妻には悪いと思いながらも、夜の街で自分の孤独を埋めなければまともな神経ではいられなかった。顕微授精が6回失敗に終わり、ジェイの住む自治体が行っている公的補助が終わったことを区切りとして妻と離婚することになった。妻にはまだ可能性があった。もう2人とも疲れ果てていた。ジェイはさらに仕事に没頭した。妻は離婚後程なく再婚し、子どもを立て続けに2人産んだことを人づてに聞いた。ジェイはそれを聞いて心底ほっとした。本当に、心底ほっとしたのだった。