生命体エナジー浄化の会ブログ

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御神島紀行 その3

《 御神島紀行 その3 》

雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社

岡太神社・大瀧神社

 

 つぎに、我々は福井県越前市にある「岡太(おかもと)神社・大瀧神社」に行きました。

ここが入口の「鳥居」です。

 

 

 

ここから境内に入ります。

シーンと鎮まった感があり、通常の場合は何も感じないと思われますが、意識を高め、ますと、高い波動を感知してきます。

 

大瀧神社は、加賀の白山、福井の平泉寺に次ぐ「修験道霊場」でした。

 

明治元年まで、「小白山大瀧六所権現児御前」と称えられ、神領70余町、村落48カ村を氏子とする国内有数の大社でした。

 

鎌倉時代には、僧が600から700名もいたといいます。

 

本殿入口の左側には、馬の像があります。

 

この階段を昇ると、「拝殿」「本殿」があります。

 

ここは、正式には「大瀧神社」ですが、「岡太神社」も併設されています。

というのは―――

 

ここは下宮(里宮)であり、この地の山頂に上宮(奥の院)があります。

その上宮(奥の院)では、「大瀧神社」と「岡太神社」の本殿がありますが、

 

ここ下宮(里宮)では、本殿・拝殿が両神社の共有となっていて、2つの神社の名称が併記されてるのです。

(国の重要文化財の指定名称は「大瀧神社」です)

 

伝承によると、養老3年(719年)に泰澄が創建したと伝わります。

泰澄とは、白山を開いた鎮護国家法師です。

 

霊山として仰がれていた大峰山(大徳山)に登り、参籠して祈願をした後に、

地主神として祀られていた「紙祖神岡太神社」を御前立として、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神として、

 

十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建して、大瀧兒(おおちご)権現を建立したといいます。

 

後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となったといいます。

 

一方、岡太(おかもと)神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れて、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされています。

 

この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社なのです。

 

その後、足利の兵火で社殿焼失して、織田信長一向一揆の攻略で、またも焼失しました。

 

その後の再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになったのですが、

大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に『川上御前』の分霊が奉祀され、岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となったのです。

 

神社の格としては大瀧神社の方が上なのですが、住民達が崇拝してきたのは『川上御前』であったため、「大瀧神社・岡太神社」と並記していると考えられています。

 

 

立派な狛犬ですが、生きてはいません。

 

こちらの狛犬も、生きてはいません。

 

まず、正面に「拝殿」があります。

その後方に「本殿」があります。

 

 

「拝殿」は、高波動です。

 

 

 

この「拝殿」には、美しい彫刻が刻まれていて、目を見張ります。

 

この柱の彫刻も素晴らしいものです。

 

「拝殿」の背後には、「本殿」があります。

「拝殿」(入母屋造妻入)と「本殿」(大型の一間社流造)が一体となった複合社殿です。

 

複雑な曲面を持つ積層の屋根となっています。

 

この「本殿」の造りも見事です。

見事な彫刻がなされています。

 

建物全体に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻は、精緻かつ華麗な秀作とされて、昭和59年(1984)に国指定の重要文化財に指定されています。

 

 

かなりの高波動で、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の主祭神は感知しませんが、「十一面観世音菩薩」の波動は感知しました。

 

「オン・ロケイジンバラ・キリク・ソワカ」のご真言に反応します。

 

「本殿」の背後に回ると―――

和紙の神様・紙祖神(しそじん)の「川上御前」のエナジーも感知されました。

 

何とも精逸なエリアです。

 

ここもまた、次元を変えると―――

白山を開き、国家鎮護法師である泰澄のエナジーが浮き上がってきました。

 

「本殿」を回り込んで、左側から映したものです。

 

 

 

「岡太神社・王滝神社」の扁額があります。

 

「岡太神社」は、大正12年(1923年)に、大蔵省印刷局抄紙部に「川上御前」の御分霊が奉祀されて、名実ともに全国紙業界の「総鎮守」となっています。

 

本殿の横のエリアに、小さな祠がいくつか並んでいます。

 

改修中のようですが、詳しくは判りません。

波動は平凡です。

 

こちらの祠も、波動は平凡です。

 

拝殿から、その後方にある「本殿」をみます。

複雑に入り組んだ曲面を持つ屋根が見えます。

 

中庭にある磐座なのでしょうか。

高波動です。

 

その上に、石灯籠が置かれています。

注連縄が巻かれていますので、御神体として祀られているようです。

 

この磐座には、苔で覆われていますが、水の溜まっている箇所があります。

 

不思議なのですが、その少し汚れたような「水」のエナジー波動が高く、

イメージで人の体内に入れると、身体が整います。

 

石灯籠が置かれていて、この中を歩いていくだけで、身体が整うように思われます。

 

こうして、この後で今回の旅の目的である「御神島(おんがみじま)」に渡るために、船を出してくれる民宿に行きました。

 

                つづく

 

             2024年4月30日記

 

 

御神島紀行 その2

《 御神島紀行 その2 》

雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社

平泉寺白山神社

 

 「平泉寺白山神社へいせんじはくさんじんじゃ)」は、福井県勝山市平泉寺町に鎮座しています。

 

ここは「白山信仰」の越前国側の拠点でした。

白山は、泰澄により717年に開山されましたが、天台宗比叡山延暦寺系の寺でした。

 

明治時代になって、神仏分離までは仏教寺院の「霊応山平泉寺」でした。

その後は、白山神社として「平泉寺白山神社」となって今日に至ります。

 

しかしながら―――平泉寺の歴史には、数多くのドラマがありました。

 

泰澄によって「白山」が開山されて、平安時代以降は比叡山延暦寺の勢力下に入り、「白山信仰」の越前側の「禅定道」の拠点として、山伏、僧兵が数多く集まりました。

 

その後、源平合戦のときには、『平家物語』によると、木曽義仲と平家の争いの時に平泉寺は平家側についたことが書かれています(僧兵の集団がいたことになります)。

 

そして、木曽義仲が勝つと、平泉寺の僧兵たちを抑えた木曽義仲は、平泉寺に寄進しています。

 

鎌倉時代に、源頼朝に追われた源義経主従は、奥州藤原氏のもとへ落ち延びる途中で、平泉寺に立ち寄ったという伝説も残ります。

 

その後、南北朝時代になると、平泉寺は南朝後醍醐天皇に味方して、越前は

南朝の有力な地域となっていました。が―――

 

北朝側から「寺領を安堵する」と云われて、南朝を裏切ります。

それで、南朝軍と合戦となり、そのとき南朝新田義貞は戦死しています。

 

室町時代になると、最盛期には全山石垣が積まれて要害となり、東西1.2キロ、南北1キロの中に、南谷3600坊、北谷2400坊、48社、36堂、6000坊の院坊を備え、僧兵8000人を抱える巨大な宗教都市を形成していました。

 

特に、泰澄が住していたゆかりの地であり、清僧が住する北谷と違い、妻帯僧が住する南谷は、直線的な石畳道路を始めとして計画的に開発された区画で構成されていました。

 

また、寺だけではなく街並みがあった証拠として徳市、安ヶ市、鬼ヶ市という地名が残っています。

 

戦国時代になると、長年に渡って加賀の「白山比咩神社」と白山山頂の管理権や入山料の徴収などの利権を巡って争いになっていました。これは江戸時代まで続きます。

 

戦国時代では、越前の国主である朝倉氏と肩を並べるほどの一大勢力となっていました。

 

有力な坊舎が軒を連ねていて、僧兵の出自も朝倉氏の家臣団一族から入室していることもあり、朝倉氏とは極めて近しい関係であったといいます。

その後、朝倉義景が北近江の大名浅井長政と手を組み、織田信長を裏切って、浅井長政によってあわや討ち死にの危機に陥ります。

後日、恨み骨髄の織田信長に攻めれれて降伏しています(信長の支配下に入ります)。

 

また、天正2年(1574年)には、小田信長に味方をしていたことから、「一向一揆」のために放火されて、全山が灰塵に帰したといいます。

こうした経緯があり、豊臣秀吉の崇敬を受けるようになり、復興しました。

 

江戸時代になると、福井藩、越前勝山藩から寄進を受け、規模は6坊2か寺、寺領は330石であったといいます。

 

寛保3年(1743年)、いさかいが絶えなかった平泉寺と加賀の白山比咩神社の利権争いがようやく江戸幕府によって―――

 

御前峰・大汝峰の山頂は平泉寺、別山山頂は白山比咩神社が管理すると決められ、平泉寺が白山頂上本社の祭祀権を獲得しました。

 

明治時代に入ると、神仏分離令により、寺号を捨て神社として生きていくこととなり]、寺院関係の建物は解体されたといいます。

しかし、明治5年、江戸時代の決定とは逆の裁定が行われ、白山各山頂と主要な禅定道が白山比咩神社の所有となりました。

 

このように「平泉寺・白山神社」の歴史には、数々のドラマが秘められいます。

 

白山神社」とある参道に入ります。

 

入口に「白山平泉寺散策マップ」があります。

その中に、「東尋坊」についての名前の由来がありました。

東尋坊という白山平泉寺の僧であった東尋坊という乱暴者がいて、

彼を憎む僧たちが宴を催し、酒に酔わせて崖から突き落としたことから「東尋坊」となった」との伝説が示されています。

 

参道には、何とも言えない高い波動が漂っています。

 

歴史を振り返れば、ここで数々の歴史ドラマが展開されていたことになりますが、

現在では、ひっそりとして、静逸な雰囲気が残ります。

 

ここにも案内看板があります。

この中に―――

 

白山を開山した泰澄大師は、白山登拝の途中で、ここの「御手洗池」で白山の神の宣託を受けて、ここが聖地であることを知り、社を建てて白山の神を奉斎されたのに始まる―――とあります。

 

杉並木の参道が延々と続きます。

気持ちのいい参道です。

 

手水舎の龍神から流れ落ちる「水」は、良好な波動です。

この「平泉寺白山神社」の波動の高さを物語ります。

 

八幡神社」です。

それほどの波動ではありません。

 

池から流れ込むところです。

特に拝むような波動ではありません。

 

泰澄大師お手植えの御神木です。

いまから1200年以上前のものです。

 

ここが「御手洗池(みたらしいけ)」です。

池中にある「影向岩(ようごういわ)」に、「白山大神出現」とあります。

 

ここが「平泉寺白山神社」の創建に関わる「地」となります。

 

この池には「鳥居」があります。

 

「御手洗池(みたらしいけ)」の案内看板です。

この中に、「神泉は今もって絶えることなく湧き出ている」とあります。

 

これは「二之鳥居」です。

いい感じの雰囲気があります。

 

「末摂社」の一つです。

 

高波動です。

修験道系のエナジーが反応します。

 

この修験道系のエナジーを、ブレスレットを置いて吸引しました。

 

境内は、「苔」に覆われています。

「平泉寺・白山神社」は、「苔寺」としても有名です。

 

小説家の司馬遼太郎は、『街道をゆく(越前諸道)』の中で、

白山神社の苔の規模・質に比べれば、京都の「苔寺」は笑止!」

と、ここ「平泉寺・白山神社」を絶賛しています。

 

末摂社の「貴船神社」です。

 

これも末摂社の一つです。

 

ここに―――

平泉寺・白山神社の「由緒」があり、ここには

 

「当鎮守宮は 明治初年神仏分離政令発布までは、平泉寺四十八社の一社で

字中谷二十二番地にあった御宮である・・・天正二年一向一揆で廃塵に帰したが・・・・」

とあります。

 

赤鳥居の先にも「末摂社」があります。

とにかく、ここには多くの「末摂社」があります。

 

参道の奥には、「拝殿」が見えてきました。

 

 

これが「拝殿」です。

 

江戸末期に造営されたもので、その当時はかなり巨大な建造物(大拝殿)であったようです。

「四十五間左右の礎石がそれを示す」とあります。

 

中宮 平泉寺」の扁額があります。

 

階段を昇ると、「御本社」があります。

 

「御本社」です。

補修されていますが、見事な彫刻が浮いています。

 

ここに―――

 

「御本社」は、寛政七年(1795年)の造営です。

御祭神は 「伊弉尊(いざなみのみこと)」です。

 

現在の社殿は、越前藩主松平重富公による再建です。

総檜の入母屋造りで、「昇り龍」「降り龍」の丸彫り、壁面の浮彫など素晴らしい彫刻が刻まれています。

 

この「御本社」を中心に、左右に「別山社」「越南知社」を配するのは、白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからです。

 

現在はありませんが、中世から近世にかけては五社が整然と建ち並んでいたといいます。

 

このような案内文があります。

 

「御本社」の「浮彫」は圧巻です。

 

 

これは御本社の右側にある「越南知社」です。

白山山頂の三山の一つを、ここで御祭りしています。

 

「大己貴尊(大国主命)」を祀ります。

 

見事な「苔」の床床が広がります。

 

司馬遼太郎が、

「京都の苔寺など、笑止!」

としたことが、判るような気がします。

 

これは御本社の左側にある「別山社」です。

御祭神は、「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)」です。

 

波動の高い参道を進みます。

 

スギ林の参道を進みます。

 

全員の波動は、整っていて、かなり良好な状態になっています。

「平泉寺白山神社」の波動と調和していますので、その高さが解ります。

 

楠木正成公墓塔」です。

 

南北朝時代には、最初に「南朝」についたので、南朝の忠臣である「楠木正成の墓」があることは理解できます。

しかし、その後裏切って、北朝に味方した歴史がありました。

 

なぜ、この地に「楠木正成」の墓」なのかーーー

 

ここに「三之宮 明治22年の改築」があります。

 

楠木正成公墓塔 延元年間(約650年前)建立」とあり、

その中に―――

 

後醍醐天皇建武の中興における忠臣大楠公楠木正成)の甥が、この平泉寺の衆徒であり、ある時 大楠公が騎馬姿で夢に出てきて、湊川の合戦で討ち死にしたことを知ります。

 

それで五重の石塔を建てて菩提を弔った」

このようなことが書かれています。

 

奥まったところに「三ノ宮」があります。

 

ここには「三ノ宮 安産の神」とあります。

栲幡千々比賣尊(たくはたちぢひめのみこと)が祀られています。

 

それほどの波動ではありません。

 

「開山社 御開祖泰澄大師を祀る」とあります。

 

ここに、わずかですが「泰澄大師のエナジー」を感知することができます。

 

白山を開山した泰澄大師によって、修験者が白山に登拝するようになりましたが、

その後、庶民も白山登拝するようになります。

 

白山登拝には、越前、加賀、美濃の三国から山頂を目指す三本のルートがあります。

その越前からのルートの起点が、白山平泉寺です。

 

その最も奥まったところである「三ノ宮」から、白山への登拝道である「越前禅定道」が始まります。

 

その「越前禅定道」は、「歴史の道100選」にも選ばれています。

 

ここは・・・何なのか・・・よく判りません・・・・。

 

 

苔寺」の異名を持つのが、よく判ります。

 

帰路、参道を振り返り、「平泉寺白山神社」に深々と頭を下げて、

「我々をここに導いてくれた」ことに、全員で感謝の思いを捧げました。

 

                  つづく

 

            2024年4月23日記

 

 

御神島紀行 その1

《 御神島紀行 その1 》

雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社

雄島

 

 我々は、「丹生川上神社下社の登拝」を終えて(本ブログ2024年3月5記)、それに連なるレイラインの起点である「御神島」に行かなくてはならない―――と、心に決めていました。

 

そして、2022年8月21日から2泊3日で福井県に行きました。

この地は、アジャリンコと2023年に入籍したコジャリンコの地元です。

 

雄島とは、福井県の越前海岸にある島です。

周囲2キロの島で、近くにある「東尋坊」のように柱状節理の外に、板状節理の海岸もある島です。

 

これが「雄島」です。

 

この橋を渡ると「雄島」に渡ることができます。

 

 

橋を渡ると、「鳥居」があります。

 

「雄島」の案内図があります。

ここに―――右上から、左へ

〇 ヤブニッケイの純林

〇 磁石岩―方位磁石を近づけると方針が狂う不思議な岩

〇 流紋岩の流理構造―美しい縞模様が見られる流紋岩。雄島の地盤は全てこの流紋岩で成り立っています。

〇 瓜割(うりわり)の水―湧き水は夏でも冷たく、その中に瓜を入れると割れる・・・・

〇 柱状節理の断面

このように書かれています。

 

これが案内板にあった「ヤブニッケイの純林」と思われます。

 

純林の中をさらに進んでいきます。

すると―――

海岸線が見えてきました。

 

「磁石岩」とあります。

 

これが「磁石岩」です。

スマホの「羅針盤」をセットして視ますと・・・・・

 

確かに方針が狂います。

この岩には、磁力線が発生しているようです。

 

こちらの岩場も、磁力線を感知します。

 

磁界となっているのは、ここがいく度も雷に打たれたからだ・・・・とも云われています。

 

「瓜割(うりわり)の水」の案内看板です。

 

藤原重永(しげなが)という戦国時代の城主で、京都の北野天満宮(藤原道真を祀る)を再建した人物の書には、

「水が湧き出でて、旱魃(かんばつ)でも水は枯れることなし」

と記されていたといいます。

 

雄島に降った雨が地中に浸透して、それが地下水となって岩の割れ目に湧き出したもの。

今では枯れることもありますが、雄島の小鳥たちにとっては貴重の水飲み場となっているようです。

 

「瓜割(うりわり)の水」が、どこなのか―――探しました。

この時は8月の盛夏の時期ですから、枯渇しているのか―――とも思いましたが・・・・・

 

ここに僅かですが、「瓜割(うりわり)の水」と思われるところがありました。

これは、塩気のない「真水」です。

 

 

「大湊神社」の「拝殿」です。。

「本殿」は、この後方にあります

 

このとき、扉は閉まっていましたが、隙間から中を覗くことができました。

 

1370年前に創建された神社です。

「航海」「漁業」の守護神として崇敬されています。

 

この樹木に、心が惹かれました。

 

大地に根ざした大きなパワーを感じ取ることができます。

肉体と霊体が分離してしまうような方が、時々います。

 

そのように、肉体から霊体が少しズレてしまっているような方は、この木の根元に入りますと、肉体と霊体がピッタリと重なって、正常な状態に戻すことができると思われます。

 

そして、この樹木に寄り添いますと、大地にしっかりと身体が繋がり、地球のエナジーを感じ取れるようになると思います。

 

「拝殿」から中を覗くと、その奥に「本殿」が見えます。

それほど高い波動ではありません。

 

これが「拝殿」の奥にある「本殿」です。

やはり・・・・波動は高くはありません。

 

重要文化財 大湊神社」の案内板です。

 

源義経が、東北の地に落ち延びる際に立ち寄って、家臣の兜を奉納した社と伝わります。

朝倉義景の後援を受けていたので、その因縁のある明智光秀が訪れて漢詩を詠んだという話もあるようです。

 

かっての社殿は、織田信長の兵によって焼き払われており、現在の社は棟札によると、元和7年(1621年)に造立されたものです。

本殿・拝殿ともに福井県文化財に指定されていいます。

 

ここに「水瓶」があります。

この「水」は、良好な波動です。

 

この「水」に持参のブレスレットを漬けて、高波動のエナジーを吸引させました。

 

「雄島」からみる「東尋坊」です。

 

東尋坊」は、一大観光地で柱状節理の切り立った崖が海岸で有名です。

今回も昼飯のときに立ち寄りましたが、観光地としての画像は1枚もありません。

 

いく度も行っていますので、特に感動するところは皆無でした。

 

これが「大湊神社」へ入るときの鳥居です。

「結界」はありません。

 

これは、二つの樹木の間を潜らせる「結界」となっています。

「雄島」への橋を渡り、入口の鳥居から2方向に分かれますが、

我々が来た方向とは逆のコースでは、この「大湊神社」を通って島に入ります。

 

「雄島」は、地元の方々は「神の島」と呼ぶそうですが、そのような気配は感知しませんでした。

 

それほどのパワースポットではありませんでしたが、次に行くことになる白山神社に期待が」かかりました。

 

                  つづく

 

            2024年4月16日記

 

 

三峰神社奥之宮登拝 その3

《 三峰神社奥之宮登拝 その3 》

 三峯神社の「奥之宮」に登拝して、三峰神社の参拝をしました。

 

詳しくは―――2019年4月の本ブログ「秩父三峰神社参拝の旅」をご覧ください。

以下、簡単にご案内いたします。

 

三峰神社の入口には、全国でも珍しい「三ツ鳥居」です。

この鳥居は、金箔の模様が施されています。

 

三峯神社正参道」とあります。

 

三峰神社」なのか「三峯神社」なのか、正確には「三峯」なのだと思います。

ここでは、一般的な「三峰」としておきます。

 

参道の途中には、多くの記念碑が建てられています。

 

山門である「隋神門」が見えてきます。

 

この「山門」の前には―――

狼(山犬)が狛犬の代わりに、守護をしています。

この狼(山犬)が眷属神となって、「三峰神社」の守護をしています。

 

この狼(山犬)は生きていませんが―――

左側の狼(山犬)は生きています。

参拝者への睨みをきかせています。

 

このような参道を下ります。

すると―――

また、「狼(山犬)」の像があり、「結界」を敷いています。

ここを通過する方は、一時的に体軸が歪みます。

それは、身体が浄化されるからです。

 

三峯神社」の扁額が掛かった鳥居があります。

この「扁額」は、高波動です。

 

この階段を昇ると、「拝殿」があります。

 

「拝殿」の中です。

さらに、この「拝殿」の後方に「本殿」があります。

 

三峯神社の由緒は古いものです。

 

大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。

景行天皇の命により、東国平定に遣わされた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向かう途中三峯山に登ったと伝わります。

 

そのときに、山川が清く美しい様をご覧になり、国をお生みになられた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)の仮宮を建てお祀りして、この国が永遠に平和であることを祈られたと伝わります。

 

この時、道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされたのが、三峰神社の眷属神である「狼(山犬)」なのです。

 

 

拝殿の後方にあるのが「本殿」です。

 

主祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)ですが、このエナジーは反応しませんし、「狼(山犬)」のエナジーも反応しません。

 

ここの配祀神は、造化三神である「天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)」と

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」と「神産巣日神(かみむすひのかみ)」

さらに「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。

 

この配祀神が、この本殿にはそのエナジーを感知します。

これは―――前回訪れたときと同じです。

 

「三峯山代々祖霊之里」とあります。

ここは―――

「祖霊社」です。

 

ここに―――

主祭神である「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉册尊(いざなみのみこと)」のエナジーが反応します。

 

本ブログの2019年4月に「秩父三峰神社参拝の旅」の「その2,3」の中で紹介しましたが、三峰神社の名を世間に広めた大きな要因の一つに、「白いお守り(氣守)」があります。

 

あまりにも高い効験のために、毎月1日に配布していたのが、あまりにもそれを求めてくる方が多く、過剰な渋滞が起こったために、販売を中止せざるを得なかったものです。

 

「白いお守り(氣守)」には、「狼(山犬)」の眷属神のエナジーが封印されていると云われています。

 

もう少し詳しく述べると―――

 

三峯信仰の中心は、御眷属(山犬)信仰です。

『社記』によると、日光法印が享保12年に山上の庵室に静座していると、山中から狼が群がって来て、境内に充ちたといいます。

 

法印はこれを神託と感じて、「猪鹿・火盗除け」として「山犬の神札」を貸し出したところ、高い霊験があったといいます。

 

この「山犬の神札」は、1疋で50戸まで守護すると云われていて、文政8年には貸し出された「山犬の神札」は5000疋となったと伝わります。

 

明治の文豪・幸田露伴は、三峰の神使は「狼」であるとして、祀っていたと云います。

 

その「狼(山犬)」の眷属神のエナジーが反応するところが―――

「国常立神社」(摂社)です。

 

ここに、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざでなみのみこと)のエナジーと共に、三峰神社の眷属神である「狼(山犬)」が共に祀られています。

 

ですから―――ここの波動が本殿よりも、私は好きなのです。

残念ながら、扉は固く閉じられていました。

 

2019年の本ブログの「秩父三峰神社参拝の旅」時には、この中に入りました。

その中の扉は閉じられいましたが、十分なエナジーを吸引することができました。

 

楽殿です。

それほどの波動ではありません。

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)神社」です。

 

かなり高波動です。

何か「修験道系」のエナジーが反応します。

 

三峰山の中心は「雲取山」で、熊野の修験道が深く関わっていました。

中世以降は、日光系の修験道場となっていました。

その後、天台宗修験道の関東総本山となっています。

 

ここには「三峯大権現」が祀られてるようで―――

この「日本武尊(やまとたけるのみこと)神社」には、「三峰大権現」の修験道系のエナジーが反応します。

 

「三峯大権現」であれば、「奥之宮の祠」のエナジーと同じように思います。

 

なぜか「伊勢神宮」も存在します。

それは、主祭神の他に、配祀神として「天照大神」が祀られているからかもしれません。

 

残念ながら、今回は「天照大神」様のエナジーは感知しませんでした。

 

また、

それ以外に、多数の「摂社」「末社」があります。

 

多くの「末社」がありますが、これといって特筆すべきものはありません。

 

東照宮」です。

 

ここには―――

徳川家康の「東照大権現」様が反応します。

 

徳川家康とは、私の子供時代には「タヌキおやじ」の異名があり、今と違って日本人には人気がありませんでした。

 

それが山岡荘八の長編小説「徳川家康」によって、辛抱・忍耐の人として描かれてました。

 

その遺訓に―――

 

「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という有名なものがあります。

 

この遺訓は、さらに

 

「急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。

こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。


勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

最後には、 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている―――という意味です。

 

現代の我々にも、自戒を促すことになる遺訓のように思います。

 

                        了

 

               2024年4月9日記

 

三峰神社奥之宮登拝 その2

《 三峰神社奥之宮登拝 その2 》

 妙法ヶ岳(奥宮)に到着しました。

山頂からは、素晴らしい景観が広がっていました。

 

これは、雲取山(2017M)でしょうか。

定かではありませんが、奥秩父の山々が見渡せます。

 

 まず、「奥宮本殿」に参拝します。

 

ここが「奥之宮本殿(祠)」となります。

 

さすがに高波動です。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)エナジーを感知します。

 

また、それに付き従った狼(山犬)のエナジーも感知します。

 

最後の難関の「クサリ場」です。

クサリを持たないと、よじ登ることができません。

 

ここまで来られてことに感謝して、深々とゾネスとタッキーがお辞儀をしています。

アジャリンコは「我関せず」と、マイペースでいます。

 

「奥之宮本殿(祠)」には、祠の屋根の上から反時計回りでエナジーの渦が巻きあがっていました。

 

三峰神社の「狛犬」は、「狼(おおかみ):山犬」です。

したがって、ここでは「狼(おおかみ):山犬」が左右に控えています。

 

これは何なのでしょうか・・・・。

よく判りません。

波動もそれほどのものでもないです。

 

秩父宮殿下御登山記念碑」です。

 

秩父宮殿下とは、昭和天皇の弟様で、スポーツへの造詣が深く、我が国のスポーツ界発展のために多くの尽力をした方でした。

 

山頂まで登り切ったことと、我々をここまで導いてくれたことに感謝の意を捧げていました。

 

 

奥宮の「祠」です。

ここに、「奥之宮神」と書かれています。

 

どうやら―――「三峯大権現」様がここに鎮座するように思います。

良好な波動です。

 

この「奥宮の祠」に、持参のブレスレットを置いて、そのエナジーを吸引しました。

私の「汗の沁み込んだ帽子」も、ついでに置かせて頂きました。

 

私は、「奥宮本殿(祠)」よりも、その横にある こちらに惹かれていました。

 

山頂の周囲は、このようになっています。

 

三峰神社だけあって、奥宮のこの何かの碑(?)は、周囲を「狼」で囲まれています。

 

世間には、キツネ系の霊体が多くの方に憑依しています。

これらの狐靈は、狼(山犬)を嫌いますので―――

 

昔から狐靈が常に憑いているフカ〇ョンなどは、ここの奥宮に登らせようとしても、足が動かずに、徹底的に拒絶されるように思われます。

 

そこで、イメージで無理やり奥宮に登らせて、ここに連れてきました。

どの画像も、身体が常にブレていて、マイナス波動が浮き上がっています。

 

そして―――この中に投入すると、明らかに変化しました。

狐靈で周囲を覆われていたものが、完全にクリヤーになり、その美しさが際立っています。

恐らく・・・・このような例は、周囲には数多くみられるのではないかと思われます。

 

そのような、元々は美しく、綺麗なのに、なぜかパッとしない方が、周囲を見渡せば一人や二人はいると思います。

 

そのような方の多くは、背後に狐靈(キツネ系)が憑依しているのかもしれません。

試しに、この「奥宮」のこの「碑」の中に入れておくだけで、「狼(山犬)」の働きで狐靈(キツネ系)を引き離してくれるかもしれません。

 

その後方に―――

同じように、「狼(山犬)」の狛犬で囲まれている「碑」があります。

 

この「碑」は、周囲を完全に「狼(山犬)」の狛犬で囲まれています。

この―――左の「狼(山犬)の狛犬」は、生きています。

 

背後にも「狼(山犬)の狛犬」です。

この手前の「狼(山犬)の狛犬」は、生きています。

 

これだけ狐系の天敵である「狼(山犬)」に囲まれていては、狐靈(キツネ系)は退散するしかありません。

 

ですから―――「奥之宮の祠」よりも、より直接的に「狼(山犬)」に囲まれているこの「碑」の方が、私的には惹かれていました。

 

山頂からの展望

 

山頂からの展望

 

山頂は、360度の展望ではありませんが、居心地は すこぶるいいところです。

三峰神社」に御参りするときには、約1時間で登攀できますので、一度は「奥宮」に参拝することをお薦めします。

 

帰りは急斜面を下ります。

 

私のようにサンダルで登ってきた方は、雨天になると下りは危険です。

転倒必至の場所が幾つもありますので、注意してください。

 

その後、山を下って、三峰神社を参拝しました。

 

               つづく

 

           2024年4月2日記

 

 

三峰神社奥之宮登拝 その1

《 三峰神社奥之宮登拝 その1 》

 以前に「三峰神社」には参拝していましたが、一度はその「奥之宮」に行かなくてはならない―――との反応がありました。

 

「奥之宮」は、妙法ヶ岳(奥宮)の山頂にあります。

およそ1時間で山頂まで辿り着けるということで、いつものように私はサンダルでOKだろう・・・・と、勝手に解釈していました。

 

そして・・・・話がまとまり、2022年8月12日に急遽行くことが決まりました。

 

ゾネスとタッキーの3人で私のクルマで奥秩父に向かい、もう一人のアジャリンコは自宅から三峯神社に向かいました。

 

ところが・・・・噂どおり、駐車場に入るのに延々とクルマの渋滞が続いています。

1時間後にようやく駐車場の中に入ることができて、ようやく出発することができました。

 

クルマで行く方は、この渋滞を覚悟した方がいいかもしれません。

 

まずは、平坦な道を進みます。

 

このような なだらかな途が続きます。

 

「一之鳥居」です。

この鳥居を潜って、いよいよ登山道に入ります。

 

妙法ヶ岳(奥宮)とあります。

同じ方面に、雲取山があります。

 

雲取山とは、東京・埼玉・山梨の境界にある2017Mの東京都の最高峰です。

日本百名山」の一つで、妙法ヶ岳、白岩山とともに、三峰山の三山の一つです。

 

高校時代に、雲取山の集中登山を行ったことがあります。

 

我々は、青梅線の終点(奥多摩駅)で下車して、そこから「雲取山」を目指して登山を開始しました。

山頂で他の別ルートから来た計4組が山頂で合体しました。

 

高校生だったので、それほどの疲労感を覚えずに登り切ったことが思い出されます。

 

今は、高齢者となり、この1時間で行ける「奥宮」程度までしか登ろうという気が起きません。

時代の変遷を感じる「標識」となりました。

 

少し登山道のような雰囲気になってきます。

 

山道に入ってきました。

 

 

尾根伝いに道が続いています。

時折、幹の折れた木が目に入ります。

 

登山道らしくなってきました。

 

途中の雰囲気は良好です。

 

標識があります。

右 雲取山

左 奥の宮

 

ここで、雲取山に向かうルートとは別れます。

ここから雲取山に向かうルートは、かなりの距離を歩くことになりますので、一体どんな方が行くのか想像もできませんでした。

 

「奥宮」の山門です。

これが、「二之鳥居」です。

 

 

「妙法ヶ岳1、4km  三峰神社1.1 雲取山9.4km」

 

残り1.4kmですが、上り坂の斜面での1.4kmですから、ここからが少々きつくなります。

 

途中に、このような石で積んだケルンのようなものがありました。

何の目的があって石を積んだのかは、解りません。

 

幹の折れた倒木も目につきます。

 

中間地点まで来ました。

あと1.2キロあります。

 

そろそろ傾斜がきつくなってきます。

 

木の根が縦横に走る途を進みます。

少々歩きづらいです。

 

「雷のつめ跡」

 

奥の院の大鳥居から妙法ヶ岳までの尾根には、幹の先が割れたり折れたりした大木が目につきます。

これは落雷によりものです。」

 

このように書かれています。

途中で、幹などが折れたものが目に留まりましたが、どうやら落雷によりものの影響のようです。

 

この辺りは、落雷が多く発生するようですから、雨天のときには要注意です。

 

のこり600Mの地点まで来ました。

若い方なら、この参道はほとんど苦も無く登れると思います。

 

私のような高齢者には、「後600Mか・・・・」「まだ、600Mもあるのか・・・・」と思いました。

 

 

「三之鳥居」です。

 

この先は―――

いく度かアップダウンを繰り返す途が続きます。

 

参道は、それほど急な斜面は少なくて、高齢者でも安全に上れるルートが続きます。

 

 

なにやら「磐座(いわくら)」がありました。

波動は良好です。

 

私も何時ものように、シューズを履かずにサンダルで登っていましたが、この女性のようにスカートで登る方もいます。

 

しかし、もしも天気が急変して、雷雨にでもなれば、スリップして歩行が困難になります。

 

同行者には、常に「シューズを履きなさい!」と注意されますが、頑なにサンダル愛用者を通しています。

 

そのために、出羽三山の登拝のときには、サンダルが滑って歩行が困難となり、時間の関係で登頂を諦めたことがありました。嫌な思い出です。

 

この妙法ヶ岳(奥宮)の登山者には、「サンダルでの登山はお止めください」との注意書きがありました。

 

「四之鳥居」です。

 

「四之鳥居」の横に、このような「磐座(いわくら)」があります。

高波動です。

 

かなりの高波動です。

 

しばらく この「磐座(いわくら)」に見入っていました。

 

「階段・クサリ場は」とあります。

 

ここまで来ると、山頂は近いですが、斜度は急激に上がり、険しい途が続きます。

そのために、登山道には安全のために階段が設けられています。

 

鉄製の階段を昇ります。

 

尾根上の途なので、迂回が出来ないので、このような階段を設置したものと思われます。

 

下りも階段で降りられます。

 

もしも、このような階段が設置されていなければ、非常に危険なルートになります。

雨天であれば、転倒必須なルートになります。

 

ここの岩に良好な波動を生み出すエリアがありました。

 

慎重に階段を下ります。

 

さらに階段が続き、尾根を迂回していきます。

 

さらに急な階段を昇りますと―――山頂は近いです。

 

そして、次に現れてのは―――

クサリ場です。

 

ここは―――

鉄柵があるので安心ですが、かなりの急斜面で、クサリを掴んで昇ります。

ここまでくると、多くの高齢者には薦められるルートではないかもしれません。

 

この最後の難関を昇りきると―――

秩父雄大な景観に浸ることができます。

雲取山もこの景観のなかにあるのでしょうが、どれかは判りません。

 

こうして、妙法ヶ岳山頂の「奥宮」に到着しました。

標高は1329Mです。

 

ここは―――素晴らしいところでした。

 

                つづく

 

            2024年3月26日記

 

将来、要介護・自立生活困難にならないために 2

《 将来、要介護・自立生活困難にならないために 2 》

 前回は、「要介護」「認知症」のリスクについて、その実態と、かって私が大きく携わっていた講座の内容などに触れて、「健康寿命」と実際には、10年間も余命があり、非健康寿命の状態で生活する方が、ケタ外れに増えている実態に触れました。

 

では―――「要介護」の状態で、10年に及ぶ非健康寿命の状態で生活することを防ぐには、どうすべきなのか?

 

また、そのチェックは、どうするのか、また、それを防ぐにはどうすべきなのか―――ということを、今回は考えていきます。

 

まず―――「要介護」の可能性の有無をチェックします。

 

次のテストを行います。

 

椅子に座り、片足の膝を伸ばします。

 

これは、大腿四頭筋の筋力レベルが正常か否かのチェックです。

年と共に筋肉が衰えます。

 

筋肉の衰えの顕著なのは、「大腿四頭筋」です。

大腿部の前にある「大腿四頭筋」は、全身の筋肉が衰えを健著に示す指標となります。

 

通常、30才過ぎると、年に1%ずつ筋肉が減少していきます。

10年で10%も減少するのです。

 

20年では、つまり50歳では20%も筋肉量が低下していることになります。

いや、筋肉量の衰えは、年と共に加速度的に拡大していきますから、もっと大きく筋肉の減少はあるものと思った方がいいようです。

 

前回、「フレイル」(虚弱で筋肉が落ちて、認知機能が低下して、要介護の予備軍の状態)と、その前段階である「サルコベニア」の指標として、「握力」が云々とありましたが、

 

これは普段から物を持ったり、「手」を使いますので、「握力」はそれほど顕著に筋力が低下することはありませ。ここでは「大腿四頭筋」を使います。

 

要介護を受けるのか否か、自立した生活ができるのか否か―――これには、大腿部の筋力が十分にあるのか否か、が大きく関わるのです。

 

この姿勢をしっかりと保てる。

さらに言えば、脚は「平行」か「平行よりも上」、できれば5センチから10センチ上げます。

 

「平行よりも上」、できれば5センチから10センチ上げる

 

この状態を保持できることが必要です。

 

ブルブル震えたり、直に足が下がってしまう方は不合格です。

このとき―――

 

正しく背中は立てます。

背中が丸まってもダメです。

 

大腿前部の大腿四頭筋が、つったりしないか。

大腿後部のハムストリングスが、「痛い」「つらい」と感じることはないか。

 

「つらい」と感じるのであれば―――

 

今現在は40歳であっても、30年後には要介護の可能性があり、

自立した生活を送れない可能性があります。

 

虚弱を示す「フレイル」の前段階である「サルコベニア」(運動不足で筋肉の喪失を招き、身体機能が低下している状態)は、30代になると多くに方に見られてきます。

 

そして、40歳を超えると、実に4人に一人に、その兆候が始まるとされています。

 

そして―――40代で虚弱な「フレイル」の状態に入り、

気が付くと、「要介護」「認知症」予備軍となり、晩年のおよそ10年間は健康寿命を全うできずに、介護施設に入るか、「ここは、どこ?」「私は、誰?」の認知症状態になってしまうかもしれないのです。

 

このような「要介護」「認知症」予備軍の方が、我が国では爆破的に増えているようです。

 

実際に「要介護」「認知症」の状態になると、それをカバーするための「介護者」が必要となり、これだけでも我が国の国家予算を圧迫する莫大な「医療費」が必要とされています。

 

そのために、国民一人一人が真剣に向き合わなくてならない事態が切迫しています。

では、どうすべきなのか―――

 

それには、「クスリ」の服用で解決することはありえません。

本質的に、「クスリ」で健康を買えるものは存在しません。

 

「クスリ」は「症状を抑えるだけ」であり、「症状を治す」ものは、ほとんどありません。

いや、それよりも―――

 

「クスリ」を3種類から5種類以上も服用されていますと、

自己治癒力(自然治癒力)が働かなくなります。

 

「免疫系機能」がダメージを受けて、様々な症状を示すようになります。

 

「免疫系機能」とは、脳下垂体、視床下部甲状腺、胸腺、副腎、脾臓、左右精巣・卵巣です。

これに、膵臓、肝臓、腎臓さらに言えば小腸なども関連します。

 

多種のクスリを服用することで、「免疫系機能」が低下します。

それに輪をかけるのが、携帯・スマホの電磁波です。

 

ほぼ全ての人は、電磁波の悪影響下にあります。

携帯・スマホを所持しているだけで、腰椎5番、3番が歪み、左側頭骨に過度なストレスがかかります。

 

今後は5G電磁波の強烈なストレスを受けることになりますので、事態は深刻になっていくのは必定です。

 

「若返り神気」「脳発達認知症」または「脳若返りCD」で作成した「波動水」を、携帯・スマホあるいはパソコンなどに週1回スプレーしている方なら問題はありませんが、

 

ほぼ例外なく、電磁波の悪影響で身体が歪んでいます。

 

仙台の電磁波の権威である〇山医師のところで購入した電磁波防御グッズも、私の治療を受けた二人の患者様が所持していましたが、効いていませんでした(効果がありませんでした)。

 

このようなことから―――若い方は「電磁波」、また高齢者になるほど「薬害」の悪影響で、身体がストレスを受け続けていますので、常に身体が歪んだ状態で生活しています。

 

そのために、まず行うべきことは―――

 

「薬害」と「電磁波の悪影響」を避けるために、「クスリに過度に依存しない」ことと、

携帯・スマホあるいはパソコンなどに、若返り神気を週1回スプレーすることが大切です。

 

今まで多くの電磁波防御グッズを見てきましたが、有効なものは「ほとんどありません」でした。

 

では、本題の身体の筋肉を刺激して、それ相応の筋量を確保するためには、どうしたらよいのか―――

 

簡単に言えば、フィットネスクラブに行って、マシーンでもよいから、筋トレをすることをお薦めします。

 

自宅で、通販などで購入した運動器具が多くありますが、自宅では大多数の方は運動を継続できずに、ただのガラクタと化しているのが実情です。

 

それでも、最低限は自分で鍛えていきたい方は、ここで簡単に行えるエクササイズをご紹介します。

 

全てのエクササイズは、8回から12回できるようにします。

個人差がありますので、軽ければ両手にダンベルを持って行うなど、自分で負荷を増やしてください。

 

1セットから開始して、徐々に2セット、3セットと増やします。

 

1,ウォール・スクワット

壁に両手をついて、バランスをとり、膝の屈伸を行うスクワットです。

 

これで、下半身の多くの筋肉が連動します。

マシーンで、スクワットと同等の効果を示すには、12種類のマシーンを行う必要があることが示されています。

 

多くの高齢芸能人は、必ず行っているエクササイズです。

 

2 ワンレッグド・スクワット

 

1ランクアップのスクワットです。

片足を台の上に載せて、片足で膝の屈曲・伸展を行います。

 

これにより、大腿前部(大腿四頭筋)だけでなく、大腿後部のハムストリングスも殿筋群も鍛えます。

 

3 片足挙上してヒップ・リフト

仰臥位で、片足を挙上して、臀部を持ち挙げて、「イーチ、ニーイ、サーン・・・」とゆっくりと数えて、ゆっくりと臀部を元に戻していき、再び臀部を持ち挙げていきます。

 

これをゆっくりと繰り返していきます。

 

負荷を強めるには、足のかかとの位置をより遠くにします。

負荷を小さくするには、足のかかとの位置を近くにして、両足を付いたままで行います。

 

年と共に衰えの目立つ「殿筋群」と「ハムストリングス」、「背筋群」を鍛えます。

 

4 シッシー・スクワット

下半身の体軸をとるために、大腿四頭筋の中の「大腿直筋」(唯一の2関節筋で、膝と骨盤に付着します)。

 

少し、「きつい」と感じる方は、無理して行う必要はありません。

これは、通常の大腿部のエクササイズでは、直接鍛えることのないもので、正しく行えば、骨盤のバランスを整えることができます。

 

鍛錬者は、胸の前にプレートなどの負荷を持って行います。

 

以上は、全てが主に大腿部―臀部などを鍛えるエクササイズです。

 

以下、もう少し「上半身」「腹筋」などの主要なエクササイズも紹介しておきます。

 

このようなバーの下に身体を置いて、両足の膝を曲げます。

両手でバーを掴んで、腕を曲げて、身体を上方に引き上げます。

 

背中のエクササイズです。

 

多くの方は、背中を鍛えることを怠ります。

腕立て伏せ(プッシュアップ)などは簡単にできますので、誰でもできますが、背中を鍛えることはあまりやらない傾向にあります。

 

そのために、立った時に、シャキッと正しい姿勢を取れない方が多くいます。

背中が丸まった、見るからに不健康そうな方は、硬くなった背中を防ぐためにも、取り入れておきたいエクササイズです。

 

 

これは、「胸」「肩」「腕(上腕三頭筋)」を鍛えるエクササイズです。

 

普通の「腕立て伏せ」(プッシュアップ)と違うのは、腕を曲げたときに片側の「手の上」に顎を付けます。

 

これは―――少しきついので、両膝を床に付けたままで行います。

 

 

腹筋下部を鍛えるエクササイズです。

 

両ひざを曲げて、そのまま腰を持ち挙げます。

これをゆっくりと行います。

 

腹筋のエクササイズというと、仰向け姿勢で足首を固定行うことが多いですが、

これだと、腹筋の上部繊維を刺激しますが、メインは「腸腰筋」のエクササイズとなります。

 

腰痛の方は、さらに腰痛が悪化する可能性があります。

ですが―――

 

このエクササイズなら、腰痛の方でも問題なく行うことができます。

 


 

腹筋エクサイズで、特に腹筋の強度をアップさせたものです。

パートナーに足首を保持してもらい、そのまま上方に腰を持ち挙げて、

ゆっくりと、背中から降ろしていき、骨盤が床につくまで降ろします。

 

これを繰り返します。

 

高齢者になると、「尿漏れ」の問題が深刻になります。

 

「尿漏れ」の問題に悩んでいる方は、次の点をチェックしたください。

 

〇 膀胱に神経切断があるか否か

 ※私の調整ルームで、この「神経切断」が多くみられます。

  その影響で、「尿漏れ」を起こします。

  残念ながら、神経切断は医療施設では、画像に映らないので見つかりません。

 

〇 尿道括約筋の神経切断があるか否か

 ※尿が出るのを我慢できないケースの場合には、これを疑います。

 

〇 骨盤底筋群の神経切断があるか否か

 ※骨盤の底には、左右の「筋群」があって、支えています。

   この筋群に、時々神経切断のある方が見つかります。

   この場合にも、尿を我慢できずに漏らしてしまう可能性が高まります。

 

このように、「尿漏れ」の多くのケースで「神経切断」が介在しますが、医療機関では見つからないことが多く、「おむつ」をして耐えている方が多くいます。

 

その多くが、肝臓に毒素が溜まり、肝臓の「尾状葉」というエリアに、水銀、鉛、ヒ素などが溜まり、その影響で神経内を走っている「血管」が脆くなり、切れてしまうケースを数多くみてきました。

 

それよりもます、「尿漏れ」を心配して悩んでいる方は、

 

〇 腹筋が弱い(腹筋力の低下)

 

これが、背後に必ず潜んでいます。

つまり―――

 

「尿漏れ」を心配して、その可能性を怖がるのであれば、

まず、腹筋を鍛えて、そうならないように鍛えるしかありません。

 

「腹筋は、鍛えないと弱化します」

「背筋は、鍛えないと硬くなります」

 

これらのことを深く胸に刻んで、将来「要介護」「認知症」にならないために、今から備えていただけたら・・・・と思います。

 

※「認知症」については、今の医学では治せません。

進行を止めるのが精一杯です。

これについては、その時期がきた時に開設する予定です。

 

             了

 

         2024年3月19日記