Lo-Dのぼちぼちブログ

ヤフーブログから本格移転。昔の病気のせいで記憶がごっそり抜け落ちたのを自覚。記憶の整理と忘備録を兼ねて。

二歳児行方不明の報道を見て(同じ歳頃に似た経験あり)

二歳児が家から出てしまい、行方不明になった件。
自分自身の記憶には全くないのだが、私自身約二歳(正確には一歳十か月)の時勝手に家から出て行方不明になった経験がある。
祖父が無くなりお通夜の後葬式の準備中、昼過ぎに居なくなったとのこと。当時は冠婚葬祭は自宅(正確には母の実家)でするのが普通だったから。
日中だったので村の有線放送でも流してもらったが、見つからず「神隠しでは?」なんて言われていた。
数時間後(確か夕方)警察署から電話があり、お宅の関係者かとの。
道を泣きながら歩いていたのを中年の男性が最寄りの交番まで連れていってくれたとのこと。(苗字が三文字で結構珍しい苗字だったらしい。)
両親が慌てて迎えに行くと、警察署で飴をもらってご機嫌な私が居たと。
見つかったのは直線だと一キロほどだが、当時は国鉄線路アンダーパスの県道地下道を通り抜けないと行けない場所だったので、三キロほどはあったと思う。一人では歩いた経験のない場所だったのだ。
あの時村中が探してくれていたのとは違う予想外の方向と距離で見つかった。村人は北側に線路があって直接行けないと思って東西と南方向で探していた。実際には北側で線路も越え、大人の脚でも三十分は掛かるらへん。幼児の脚で一、二時間でどうやって?
(今はネットで当時の航空写真が簡単に見る事が出来るので、自分でもどうやって行った?と思う。でもトラウマになったのだと思う。その後アンダーパスを歩くのは非常に苦手だった。一人では絶対歩かないほどに)
今では国鉄線はJRの高架線になり、アンダーパスは埋められて地上道となったので痕跡は何処にもない。アンダーパスまでには川もあり欄干の無い木橋も渡っていた。今考えても無事だったのは何かの奇跡と偶然の賜物と思う。


行方不明児の無事を祈ります。一歩間違えれば私も同じだったかもしれないので。

阪神大震災から25年 当時の記憶(1)

 あの時何故か5時45分に目覚めた。

ラジオのスイッチを入れると、何時もの「榎さんのお早うさん」が流れてくる。
と、次の瞬間ズン!と真下からの突き上げが!

咄嗟に横を向くと嫁さんも目を覚まし、「地震?」と聞いてくる。
そのあとは話なんてできないほど激しく水平方向に揺れる。この時は南北方向と感じた。紫檀製の重いタンスも揺れる揺れる。
タンス上部の耐震用ツッパリ棒なんて全く効いておらずきれいに吹っ飛ぶ。タンスの下に挟み込んでいた楔が一番効いたようだ。この時揺れが東西方向だったら倒れていたのではないかと思う。
 ズン!の垂直からからユサユサの水平までの時間が短ったので震源は近いと判断するが・・・
元々耐震対策を色々していたおかげで、買ったばかりのPCが倒れた以外被害らしい被害は無し。
台所の食器棚も対策の効果で扉も開かず、倒れ無かったので食器も割れずホッとしたが、ご近所さんは何か割れる音がしていたので、結構な被害だったと思う。
 何故耐震対策をしていたかって?昔1970年代終わりごろ、ラジオの番組サタデーバチョンで浜村淳さんが近畿では平安時代以降大きな地震がありません。丹波地震が唯一といっていいぐらいです。よっていつ地震が来るかわかりませんから対策をっと言っていたのを覚えていて、賃貸で借りる物件も成るべく耐震性が良さそうな奴にするとか、本棚とか金具で固定しても良い物件に限定していたのだった。

 大阪東部なので停電にもならず、ラジオからは暢気に歌謡曲が掛かっていた所から震源は関東ではないと判断。テレビをつけたいが、余震もあり寝室から動けない。でそのうちラジオから関西で地震があったようですとのアナウンス。関東ネットの番組ではらちが明かないと選局しなおす。確かMBSやABCはローカル番組だったかなと思い出しながらOBCから近いMBSに選局して情報収集に努める。
仕舞っていたアマ無線のリグを引っ張り出して緊急周波数をワッチすると、多数の助けを求める声が・・・。これは大阪ではないが近くで大きな地震とは分かったが、それがどこかとは、ましては神戸とは全く気付いていなかった。なんせ当時の私は六甲山系は地震とは無縁と思っていたので。余震もあり自宅から一歩も出られないでもあり素人の自分では役に立たないと、無線の電源を切って先ずはラジオに集中した。
 そして朝6時45分のMBS大阪ローカル番組川村龍一さんが、局に向かう途中で地震に合い、自らの携帯から音声を中継で流したのが現場からの第一報だったと聞いている。タクシーで放送局への出勤途上に地震に遭遇し、崩壊した阪神高速道路の状態を泣きながら中継されていました。

喫煙と疾病

 先日昔の会社の方が亡くなりました。

仕事中名刺交換の際に、胸に鋭い痛みを感じたそうですがそのまま仕事を続け、帰宅してからも我慢して我慢して、どうしようもなく痛みが収まらないとのことで救急車を呼んだそうです。
 結果は即入院、即心臓緊急手術でその場は助かったのですが、ヘビースモーカー、特にチェーンスモーカーだったのも影響していたのか、肺機能が絶望的に悪化しており手術で助かった心臓よりも問題となって亡くなったそうです。

 母方の祖父もヘビースモーカーで肺がんで亡くなったのやら、昔の会社の方がやはりヘビースモーカーで喉頭癌になったりしているのを見ているので、煙草と肺疾患は関係があるというしかないと思いますね。

驚いた

昨日ブログのダッシュボードを見て驚いた。
いきなりアクセス数増えてる! いつの間にかまとめブログに入っていたのですね。
折角訪れてくださったのに「共電社」ネタでなくて申し訳ないです。
お詫びにたまたま仕事で訪れた日が「共電社」最終日でしたので写メ撮りました。

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店舗閉店の告知

2015年9月27日の午後のことでした。
ここでは色んな物を購入させていただきました。その話はまた別の機会に。

リワークというもの(2)

リワークと云うもの(1)からの続き

 作業内容は毎回変わるが、手直しの中枢部分は技術部が担当していたことが多かったが、作業内容によってはラインから来ていた作業者にお願いしてやってもらう事もあった。

特に半田付けとか。
 当時新人の私は使えるスキルなんてものは無く、もっぱら肉体労働が多かった。

 リワークの内容多岐にわたるが、主なものとしては付属品の員数が合わないため抜けや重複が無いか対象ロットを総て確認、外装の汚れが抜き取り検査で発覚し、これも対象ロットは総て確認とか、新たに確認された問題を回路修正で補修するとかだった。

 

悪意ある報道?

今日はちょっと違う内容というか愚痴?

 平日の朝は6chおはよう朝日を時計代わりに見ながら朝の用意をするのが1985年からの習慣になっています。
関西一円ではよく知られた番組で、「起きた君」「目覚めちゃん」のウサギの着ぐるみでも有名です。
でも今朝は残念な報道がありました。

悪意ある報道といわれても否定できないですね。
7:04に大阪市大阪府のダブル選挙の報道で、元大阪府副知事だった小西氏の画像が出た際、テロップに「反維新」何某と表示が出ました。これは本人の弁でもありますから問題は全くありません。
ところが続いて元大阪市長の吉村氏になったにも関わらず、テロップは本人の弁ではない小西氏の時のまま、結局吉村氏の画像が出ている間吉村氏の発言内容のテロップは出ませんでした。音声では流れていますが、騒音や聴覚に頼れない状況の人にとっては吉村氏の主張を全く報道していないわけですから、明らかに不公正な報道でした。
公平公正な報道からは遥かに遠ざかっている残念な報道でした。
これでは朝日放送は「反維新」との立場を表明したと思われてしまいます。
咄嗟のことで動画を撮れなかったのが残念です。

 昔の話ですが、某放送局の方と家族ぐるみで仲が良かったです。
もう亡くなってしまった方ですが、私が中学生のころ、何かの話から報道とは?と尋ねた事がありました。するとこう答えてくれました。

報道とは「事実を出来るだけ簡潔に分かりやすく客観的に一切の色付けをしないで伝える事に尽きる」と言っていました。
「写真一枚でもキャプションをつけると主観的になる場合がある。報道ではそれは許されない事だ。」とも。

ですから某社の「KY」自作自演報道の時は怒り心頭でありました。
報道カメラマンになりたかったとのことなので、写真好きだった私にも印象深かった記憶があります。

今も手元に残る故人の名刺を見る度に思い出します。まだ子供だった私が初めて個人的に頂いた名刺でもありましたから。
故人とはいえ身バレしたら申し訳ないのでこれ以上は記載できません。
かの故人が存命なら今の偏向報道を見て嘆いたことでしょう。

かの方の

「事実は一つ、真実は一人なら一つだが、二人いれば二つになってしまう。

 そこには主観が入るから。なら報道は常に私情を混じえず客観的で無くてはならない。」

を思い出します。

yahooブログから本格移転しました

ユーザーには告知されていましたが、ヤフーブログが本年サービス終了となるようです。

すでに個人ホームページサービスも終わっていますから、縮小なのでしょうね。

せめてプレミアム会員だけでも維持してほしかったなぁ。

やりかけていた千里の思い出をこっちへ持ってくることにします。