【報告】はてなブログからワードプレスに移転します!
はてなブログからワードプレスに移転します
お久しぶりです。
今回がはてなブログ最後の更新になります。というのも、はてなブログからワードプレスへの移転を決めたからです。
その久しぶりの更新がブログの移転の話とは・・・。すみません。
でも、一応これにはぼくなりの理由があるんです。それほど立派な理由ではないけれど・・・。
理由その1 ブログを一から自作してみたかったから
ニュージーランドへのリハビリの旅から帰ってきてから、これからどうしようか考えてみたときに思い浮かんだのは、手に職をつけることでした・・・。プログラミングやWEBデザイナーの勉強をしてみるべきなんじゃないかと思い、手始めにワードプレスで自作のブログを作るところから始めようと思っていました。
それで先日、そのブログが完成しました。
零細クソブログであっても、更新が苔の生えたミドリガメ並みでも、読んでくれる人がいる以上、ここに発表します。
ブログを新しく作ったどー!!
はい。細工は流々仕上げをご覧じろってことで、良ければ、ぼくの作ったブログ見に来てください。
大したことねえから!!
理由その2 ブログを整理するべきだと思ったから
そもそも、このブログをはじめた頃って、職場環境とか日本の環境がめちゃくちゃ辛くて、苦悩を腹に溜めていた頃だったんですよね。それで苦悩のマタニティボーイの尻から出産されたのが、このクソブログ。
まあ、今も苦悩だらけなんですけど・・・。
何が言いたいのかと言うと、インターネット上で愚痴を呟き、せめてもの慰めを得ようとしてはじめたにすぎないので、ブログの設計とかイメージ図なんて特になかったんです。だから、ブログに統一性もなければ、先行きも見えない・・・。「あまのじゃくのきまぐれ」だなんてブログ名も適当だったし、ライター名の「センチメンタルな猿」だなんて、長ったらしくて自己愛の臭気が漂ってくる・・・。
自分のことをセンチメンタルとか言っちゃうのってどうなの?それってキモくねえ?とブログを更新する度に感じていたことをここに告白します。
あまのじゃくのきまぐれというブログ名にしたって、俺って人間はこんなにもひねくれちゃってかわいそうなんだぜ?って感じの自我の臭気にむせ返りそうです。
そんなわけでブログ名も「ものどりよ、俺を笑え」に変更します。チャールズ・ブコウスキーの「モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え」という詩集をリスペクトして拝借しました。
ライター名は「ヤケクソ」に変更です。書いて字のごとくヤケクソ。自分に名前をつけるなんてことは好きではないのです。ヤケクソに生きているからヤケクソ。センチメンタルよりはマシでしょう。
まあ、元のブログの方がいいのか、刷新予定のブログの方がいいのか、それは読者が判断するべきかも知れないけれど、どうもこのブログにアクセスするのも居心地が良くないのです。自分で自分のブログにアクセスしたくないと言っちゃ、もうこれはおしまいなんですけど。
少し自分の混乱を整理させておきたいのです。
一応、自分でもいいと思った記事は新ブログの方に移動させておくつもりです。納得できない記事は消すつもりです。
まあ、あとはアクセス数なんてどうでもいい唾を吐きながらも、記事を投稿する以上はなんだかんだでアクセスは集まって欲しいんですよね。はてなブログよりもワードプレスの方がアクセスも集まりやすいと聞いたから、それもあってブログを変えてみるけど、ぼくは基本的にアクセス稼ぎよりも自己表現重視です。
本当に金儲けしたいんだったら、ユーチューブでするし。
うだうだと色々抜かしましたが、これが正真正銘、はてなブログでの最後の記事です。
感慨はあるような、ないような。
はてなブログのサービス自体は使いやすかったけど、収益化を視野に入れると維持費が高い!!これも理由の一つ。
では最後の挨拶。
うーーーーー・・・・・・。
・・・・・・。
うーーーーー・・・・・・。
・・・・・・。
ブログ刷新!!
デュアッ!!!(宇宙に帰る)
ニュージーランドでの放浪から東京のリアルに帰ってきて、もう一ヶ月が経った
一年半ぶりに日本に帰ってきた
ついにニュージーランドから東京に帰ってきた。といっても、それも一ヶ月前のことである。
南半球から北半球へ。田舎から都会へ。冬から夏へ。この帰国には色んな理由があったが、一言でまとめればニュージーランドでやりたいことはやりつくした。その日暮らしも楽しいものだが、地盤をかためたくなった。海外での放浪は有意義な時間の使い方だと思ったが、自分の現実に対しては何の約束もしてくれない。
日本からの亡命と称して旅立ったニュージーランドへのワーキングホリデーだったが、結局日本に蜻蛉返りすることになる。そんなことくらい初めから分かっている。
海外で初めて自立してみて、自分の出身国である日本に対して感じたのは、複雑な感情だった。やや空回りした言い方をするならば、愛憎溢れると言ったところ。自分の故郷であり、思い出もある。それに劣らぬ日本社会への憎しみもあり、海外での生活は日本の生活で病んだ心を晴らしてくれた。だが、その一方で日本の文化や生活水準が恋しくもなる。外国人に日本のことを褒めてもらえると誇らしくなる。かといって、いざ日本社会に戻ることを考えると胆汁の味が口いっぱいに広がる。
この感覚を詳しく説明して失敗するような、不器用な真似はしたくない。多くの海外在住者は同じアンビバレンツを抱いているのではないか?違うのか?
結局、自分はその日暮らし的な感覚で、人生を生きていこうとは思えなかった。ニュージーランドでの遊牧民生活は刺激的だったが、毎日がアドベンチャーなんてことはありえなかった。遊牧民生活にも遊牧民生活としての現実があり、飴玉のように刺激的な毎日は惰性に溶けていくような感覚があった。飴玉が口の中から消え去った後には、日本社会での苦悩とは別の苦悩があると、直感した。いわゆる、アプリオリというやつ。
それもまたニュージーランドの生活の中で掴んだ大切な経験の一つだ。ぼくはぼくであることから逃れられない。
実際、ニュージーランドへのワーホリを決断できて、本当に良かったと思う。
ぼくの場合は、日本社会への適応障害で引きこもり寸前だった。心の病と呼ばれていたものも環境を変えると、すぐにそれどころではなくなった。自分から動かないと、何も変化しないし、本当の意味で誰も助けてくれない。
だから、一年半ものリハビリ放浪生活を送ったのち、日本に帰ることにしたのだ。
いささか早足すぎる、差し迫ったリアルの足音
二週間もの隔離生活は実家で過ごした。実際のところ、あまり帰国したという感覚がない。コロナ禍であろうがなんであろうが、実家に身を置いて、勉強をするつもりだったので、想像していたほどのストレスは感じなかった。
やはり日本食が美味かった。運送技術が向上し世界が小さくなったとはいえ、枝豆に鰹のたたきなんてニュージーランドにはない。白米も味が違う。食文化に関しては、日本とニュージーランドとでは天と地ほどの差がある。風呂に浸かったのも実に久しぶりだ。日本にあるものは何かにつけて気が利いていた。
ただ久しぶりに帰った東京はめちゃくちゃ窮屈に感じられた。物や建物で溢れかえっている。情報に溢れかえり、地平すら見えない。空もくすんでいるし、猫の額のように狭い。
隔離期間をあけて、近所を散歩してみた。
日本人しか歩いていない。いくつかの店が潰れ、代わりにマスク直売店が街角に点在していてまるでSFだなと思った。人口密度が高すぎる。梅雨明けの炎天下は過酷だった。マスクの中はアマゾン川さながらだった。自分が余所者に感じられた。
だが、それも一瞬のことだった。
ニュージーランドにいた時は東京が夢のようであったのと同じように、東京にいるとニュージーランドにいた時のことは夢のように感じられた。一年半そこに置き去りにしたはずの東京での問題は消えることなく残っていた。
混乱や苦悩はどこに行っても消えることはないのであろうが、結局ニュージーランドにいたときとやることは同じだ。
遠い未来のことを考えるよりも、まず目先のことを一つ一つこなしていくだけだ。
それにしても、このブログの更新頻度はどうにかしなくてはならないが・・・。
一年六ヶ月の楽しかったニュージーランド生活。わざわざストレスフリーのニュージーランドから日本に帰ることにした理由
一年六ヶ月のニュージーランド生活
ニュージーランドに来てから、一年六ヶ月。
ぼくはニュージーランドでの生活にひとまず区切りをつけて、日本に帰ることにした。共にニュージーランドをラウンドした中古車のIsisも先日、友達に売ってきた。さよなら我が愛車。何度も何度もメカニックのお世話になったオンボロ車。一年三ヶ月でタイヤも八本変えた。ちょっとばかし感慨深かった。
長いようで短かったニュージーランドでの生活も、あと一週間で終える。ニュージーランドにいながら、ニュージーランドにまた行きたいと思っている自分がいる。
わざわざニュージーランドを離れる理由
ニュージーランドに来る前は日本の会社で正社員をやっていたものの心を病み、半ば亡命するような形でニュージーランドでの生活をはじめた。我ながら英断だったと思う。環境を強引に変えてしまうことで、心のバランスを取り戻せた。徒手空拳の海外生活を経て、本当の意味で自立することができたと思う。失うものもなかったから得るものしかなかった。英語は未だに自分にとって難しいものではあるけれど・・・。
ニュージーランドで生活することも考えてもみた。だけど、それはなんか違う気がした。ニュージーランドではやっぱり外国人にすぎず、日本のあの閉鎖的な空気感やシステムを蛇蝎の如く嫌っていようと、自分の母国は日本だということも分かった。それに日本の文化的な豊さにも気がついた。ニュージーランドは素晴らしい国だけれども、自分の一生の舞台ではないと思った。
新型コロナとオリンピックでパニクってる日本にわざわざどうしてこのタイミングで帰るの?と他の国のワーホリにも言われることも多い。だけど、もうニュージーランドで学べることは自分が充分と思えるほどには吸収し尽くしたと思うし、これ以上ニュージーランドに長くいても、気怠いままにすぎていくだけだと思った。リハビリは終わり、日本での生活を立て直す段階に入った気がする。いかに日本社会が新型コロナとオリンピックで混乱していようと、ニュージーランドに居残り続ける理由にはならない。自分の人生の駒を進めるためには日本に帰らないとはじまらない。これは極めて個人的な話。
やっぱり自分は日本人なのだと思った。
ワーホリ生活の中で個人的に感じた、ニュージーランドのいいところとよくないところを忌憚なく書いてみよう
ニュージーランド滞在歴 1年2ヶ月
また更新が途絶えてしまった。
つくづく思うが、バックパッカーというのはほとんどホームレスのようなものだ。短期間働いたり、あちこち移動して回って、どこの国ともしれない人間と寝床をともにする。そんな生活を一年二ヶ月続けてきた。
大自然の中キャンプをしたり、絶景を楽しんだりするのはいいものだけど、安定しない生活もなかなか疲れてきた。
一年以上ニュージーランドにいると、いいところだけでなく嫌なところも見えてくる。
今回はできる限りフラットな視点から個人的に感じたニュージーランドのいいところ、悪いところを真面目なトーンで書いていきたいと思う。
この1年2ヶ月をどう生活してきたか
まず自分がどのようにしてニュージーランドで生活してきたのか簡単に紹介してみよう。
2019年12月 ニュージーランド ロトルア到着
2020年1月〜2月 ロトルアでブルーベリーピッキング
2020年2月〜3月 オークランド滞在、南島へ一週間短期旅行
2020年3月〜6月 自動車購入
北島タウランガにてキウイフルーツピックハウスで働く
2020年6月〜8月 北島ノースランド地方、タラナキ地方旅行
2020年8月〜10月 北島オハクニにて、にんじんパックハウスで仕事
2020年10月〜12月 南島旅行
2020年12月〜1月 南島クロムウェルでチェリーパッキング
2020年1月〜2月 ワイン農園でネット張りの仕事、南島旅行、ムール貝の仕事
だいぶ落ち着かない生活をしている。
海外生活と一言で言っても、ぼくはずっと一つのところに定住していたわけではなく、車でニュージーランドを転々と回り、カントリーライフをエンジョイしている。都市部でレストランジョブをしたりホワイトカラーの生活をしているわけではないから、バックパッカー生活から見たニュージーランドという視点でしかないけれど、ニュージーランドがどんな国なのか手触りだけでも知りたい人にしてみれば、ある程度参考にはなるはずだ。
ニュージーランドの個人的にいいところ
雄大な自然
ニュージーランドで絶景を見ることのできないところに行くことの方が難しい。
日本も地方に行けば自然豊かだが、ニュージーランドの自然とは規模感が違う。
日本の自然には日本の自然のいいところがあるが、雄大な自然にただただ圧倒される感覚はニュージーランドに来ないと体感できないと思う。
フィヨルドや氷河、原始的な森、エメラルドブルーの海岸線などなど・・・。
ニュージーランドの自然は努力によるものだ。
国としても大々的に保全活動に取り組んでいるし、キウイ(ニュージーランド人のこと)も自然保護の意識が非常に高い。ニュージーランドの国土の三分の一が国立公園である。
ニュージーランドへの入国の時の荷物チェックは本当に厳しい。少しでも他の土地の泥が靴底についていたら持ち込み禁止、食べ物も果物や豚エキスの入っているものは没収される。神経質すぎない?と思うこともあるが、それくらいのことをしてようやく自然を完全な姿で保全することができるということなのだと思う。
確かに、この大自然を体感すれば、リスペクトを当たり前のこととして抱いてしまうのも、うなづける。
治安がいい
ニュージーランドはやっぱり、のどかで牧歌的な国だ。
東京で生活していた頃とは時間の流れ方も全く違う。ワークビザの日本人が、ニュージーランドののどかさは沖縄とよく似ていると言っていたけど、なるほどと思った。切羽詰まった感じがまるでない。
ニュージーランドは世界的にもかなり治安がいい。治安の良さを示すGlobal Peace Indexでは、2020年版でも世界第2位。過去10年間、トップ3以内をキープし続けている。ちなみに日本は世界第9位。
日本が地球上で一番治安が良くて海外は治安が悪いというイメージはあると思うが、上には上がいるものである。
・・・データの上ではニュージーランドの方が日本より治安はいいと出ているが、一個人の体感ではニュージーランドの治安はどう感じるか。
そのことはニュージーランドの悪いところで述べようと思う。
人が親切
ぼくのイメージでは、キウイは親切で気さく、それでいてシャイというイメージがある。困っている人をみればすぐに助けてくれる人が多い。
車が故障して動かなくなったらレッカー車を呼んでくれたり、泥にはまって車が動かなくなった時もなんの躊躇いもなく車を押して助けてくれた。自分はニュージーランドじゃ外国人で英語も満足に話せないので、困った時に助けてくれると、本当にありがたいいと感じる。
キウイは学校を卒業すると数年間海外で生活をする人が多いらしく、その経験があるからなのか困っている人を見ると人種を問わず助けてくれるのかも知れない。体感では、日本に行ったことがニュージーランド人は多いので、話も合うし日本を褒めてくれることも多い。
ニュージーランドであからさまな人種差別を受けることも少ない。移民を受け入れないと労働力が足りないという事情もあるのかも知れないけれど、他の民族とも助け合う精神が根付いているのだと思う。
ヨーロッパやアメリカに行くと、どこか戦闘モードで街を歩かなければならないことが多く、緊張で気疲れしてしまうが、ニュージーランドは日本の街を歩くような感覚でマイペースに生活することができる。
国の機動力の高さ
新型コロナウイルスのパンデミックへの素早い対応で、特に印象に残ったのだが、ニュージーランドは国としての機動力が本当に高い。
最初にロックダウンが決まった時はあまりに急なことで軽くパニックになるくらい決断が早かったが、今になって考えると、あの決断のスピードは国内で新型コロナウイルス感染者数を0にするためには必要なことだったはずだ。未曾有の事態に対して、あのスピード感で対応できるのは、半端な決断力ではできないと思う。
直近でもオークランドで感染者が出たら、数日以内に即ロックダウン。感染者がトレースできたら、すぐにロックダウン解除。日本では想像もつかないくらい早い対応力である。
日本とニュージーランドは人口密度も全然違うし、簡単に比較してはいけないと思うのだが、それにしても日本もちっとはこの状況への対応力を見習って欲しい。ニュージーランドはちゃんとしている。
野生的なグルメが豊富
ニュージーランドには日本では見れない動物、果物がたくさんある。
キウイフルーツや林檎、レモン、フィジョアという果物があったり、海に行けば簡単に鯛は釣れるし、アワビや伊勢海老、ホタテも規定のサイズ、数量を守れば、漁師でなくても取りに行くことができる。
北島テプケの近くの村の牧場にファームステイさせてもらっていた時は、レモンもオレンジもフィジョア、キウイフルーツも取り放題だったし、近くの海に釣りに行けば鯛も入れ食いだった。ご近所付き合いで鮑や伊勢海老をくれる人がいたり、苺やトマトなど家庭菜園している家がほとんどだ。
さすが食料自給率400パーセントの国。東京のスーパーやコンビニでしか食料を調達できなかったぼくにとって、身近に美味しいグルメがあるのは新鮮な感覚だった。
新進気鋭の気質
ニュージーランドは実験的でけっこうとんがっている国でもある。
今でこそ当たり前である、労働者の最低賃金や8時間労働を最初に導入したのもニュージーランド。基本的に労働党の国なので、労働法に反するような職場もほとんどない。
世界で一番起業がしやすい国とも言われていて、政府からのサポートも手厚い。
実はニュージーランドは決済システムがとても進んでいる国で、現金がほとんどいらない。エフトポスと呼ばれる、銀行のキャッシュカードがデビットカードの役割も兼ねており、すべてカード一枚で決済可能である。現金至上主義の国から来た人間にとって、エフトポスカードむちゃくちゃ便利なのである。クレジットと違って銀行手数料もかからない。エフトポスという仕組みが導入されたのは1984年ということを考えると、かなり進んでいることが分かる。
口座間のお金の移動もスマートフォンの銀行アプリでできる。
新型コロナへの対応の早さも、この新進気鋭な気質があったからこそ実現できたのではないかと思う。
自然を楽しむための設備、エンターテイメントが充実している
ぼくは東京出身のもやしっ子だけど、今やキャンプ生活、車中泊にトレッキング、釣り、ダイビングと自然の中で野生児のように生きている。この生活を強いられているわけでもないし、無理な努力をして適応したわけではない。ただ普通の感覚で、ニュージーランドで生活しようと思ったら、自然の中で生きた方が満足度が高いと思って、今のような生活になっている。最初の一歩さえ踏み出せば、なんてことはなかった。トラブルに見舞われても誰か助けてくれるだろうという安心感もある。(それでもリスク管理は必要だけど)
都会っ子のぼくが自然にアウトドアな生活に適応できたのは、ニュージーランドがアウトドアな生活がしやすい環境だからだと思う。情報の行き届いた管理された自然の中だからこそ、安心して生活できる。
大自然の中に町があるようなものだし、山を歩くにしたってほとんどが国が管理している保全地域で、地面も歩きやすいし案内板もわかりやすいところに立っている。キャンプ場やホリデーパークに行って、少しのお金を払えば車中泊、テント泊することもできる。セルフコンテインと呼ばれる車内にキッチンやベッドなどを内蔵した改造車(というとイメージ悪いけど)を買えば、どこでも寝泊まりできる。ラフティングやスカイダイビングなど自然のアクティビティももちろんたくさんある。
アドベンチャーを楽しみたければ、ニュージーランドの雄大な自然の中で、気軽に楽しむことができるのだ。
ニュージーランドの個人的に生活しづらいところ
コネクションが何よりも大切
ここからはニュージーランドのネガティブポイントを述べていくわけだけど、むしろ田舎共通のネガティブポイントと共通する点が多いと思う。ぼくにとってはネガティブに感じられるけれど、必ずしも万人にとってのネガティブではないので悪しからず。
ニュージーランドの人口はたったの400万人。これは横浜市の人口よりも少し多いくらいだ。日本と同じくらいの国土に400万人しかいないのである。羊の数の方が多いなんて言われるけれど、これはドライブしていると実感することだ。牧草地には羊や牛だらけで、時折羊が道路を横切る。
人口が少ない上に人が集まるスポットも少ないので、知り合いとばったりと出くわすことも多い。キウイフルーツで一緒に仕事をしていたヨーロピアンのワーホリが別の村のキャロットのパックハウスで働いていたり、北島のオークランドで会ったバックパッカーと数日後に南島のダニーデンでばったり会ったこともある。
とにかくそんなお国柄なので、人と人の結びつきがとても強い。ビジネスをするのにも友人付き合いするのにも、とにかくコネクションがもっとも大事なのである。ご近所付き合いが得意な人には有利かも知れないけれど、その集団の中でうまく溶け込むことができないと厳しいものがあるのかも知れない。オークランド、ウェイリントン、クライストチャーチのような都市部に行けば、また違うのだろうけれど、ニュージーランドの基幹産業は農業や牧畜になる。
バックパッカーとして回っている分には問題ないのだけど、ニュージーランドの中で暮らすとなると、ご近所付き合いのしがらみがあるのかも知れない。ニュージーランドで永住権を持って生活をしたことがないので、詳しいところは分からない。しがらみを感じずに生活している人もいるのかも知れないけれど、東京での生活に馴染んでいる変わり者にはちょっと難しいかなと思ったのが正直なところである。
鬱病率、自殺率が高い
これは意外かも知れないけれど、子どもの精神的幸福度ランキングワースト1位はなんとニュージーランドである。
牧歌的でのどかな国という印象のあるニュージーランドだけど、実は鬱病やいじめの経験のある人は割合で見れば、日本よりも多かったりする。
実際、ぼくがロトルアでブルーベリー農園で働いていた時も、一緒に働いていたニュージーランドのおっちゃんの息子さんがオークランドで首をくくったという連絡を受けて、大急ぎでオークランドに向かって行った。
要因は色々あるんだと思う。ソーシャルメディアを使ったいじめが問題になっていたり、貧富の差が大きいという背景があるそうだ。これはぼくの想像ではあるけれど、ニュージーランドはスモールコミュニティの国であるため、いざという時に逃避できる場所が少ないのも要因としてあるのではないかと思う。だからこそ、数年海外生活を送った経験のあるキウイが多いのではないのかとも思う。
プライベートの確保が難しい
ニュージーランドではプライベートを確保するのが難しい。
というのも、ニュージーランドにはアパートメントがほとんど存在しない。一軒家を持つとかオークランドやウェリントンに行って部屋を借りるとかしないと、自由気ままな一人暮らしは難しい。フラットやシェアハウスに泊まって、ハウスオーナーや異国の同じような人たちと生活を共にするのがワーキングホリデー生活の基本になると思う。ぼくの場合は特にプライベートをしっかり確保しておきたいタイプの人間なので、なるべく一人部屋のあるところを探すが、それでもやはり何かと気を遣うし、個人的生活をこっそり見られているようなストレスもある。
スーパーに売っているのも、一人では使いきれないサイズ感のものが多く、独身生活には向かないのだ。
バックパッカー生活にあるまじきことを言うが、基本的にシェアルームが好きではないので、バックパッカーズなんかは好きではない。これはあくまで個人の感想なので、人付き合いが好きな人や、見知らぬ他人に対しても初めからオープンな態度で接することのできる人にとっては長所になるのかも知れない。
また、これは日本の地方と共通している点でもあると思うが、スモールコミュニティなので噂の伝導率が高いらしい。なんにしてもニュージーランドでは人付き合いが大切なのだ。
もちろん村や町によって雰囲気も全然違う。合わない町でストレスを抱えるくらいなら、さっさと違う町に引っ越した方がいいだろう。同じニュージーランドでも場所によって排他的な地域もあれば外国人に対してフレンドリーな地域もある。
実際のところ人種差別はあるの?日本に比べて治安は?
ニュージーランドの長所のところで、世界的に見てもニュージーランドはかなり治安が良く、データでも日本以上と出ていると述べた。では実際のところはどうだろうか。
ぶっちゃけて言うと、日本の方が暮らしやすい。
これは当然のことなのかも知れない。なぜならニュージーランドにいる日本人はただの外国人だから。日本のようにコンビニがあったり、配達が早いわけではない。公共交通機関なんてないようなものだ。最初のブルーベリーの職場にしたって、アジア人ばかりに募集をかけて最低賃金以下で働かされたり、外国人だと舐められることは多い。
人種差別だってある。正直言わせてもらうと、ぼく自身何度も不快な目にあっているし、特に今のご時世コロナ禍だから、アジア人に対するヘイトが露骨に出る。
道歩いているだけでクラクションを鳴らされて中指立てられたり、コロナウイルスなんて言われたり、一部のキウイはかなり失礼である。(多くの人は親切だけど)
結束力の強そうなキウイ同士でも、マオリに対する差別だってあるくらいだ。
一番酷いのは、友達の韓国人にあった出来事で、キウイのフラットメイトに持ち物全て盗まれたので警察に報告したら「嫌なら自分の国に帰りなよ」と言われて取り合ってもらえなかったらしい。人によっても全然経験も違うものだ。
自分の経験まで書き始めると止まらなくなるのでそれ以上詳しくは書かないけれど、どんなにニュージーランドが治安がいいにしたって、自分は外国人なのだ。どこかで不愉快な目にあうことはあると思うし、戦うにしても逃げるにしても、海外で生活する限り、ある程度の心構えと警戒は必要になる。
マイノリティの立場に回ることも貴重な経験ではあるとは思うけど、誰一人として差別をしない国だと思ったら大間違いである。
肥満率の高さ、ニュージーランド飯は・・・
ニュージーランドの肥満率は驚くことなかれ、世界第二位である。
おお・・・、体を動かすところなんていくらでもあるのにどうしてそうなってしまうのだろうか・・・。
もともとが太りやすいDNAを持っているなんてことが言われるけれど、まあ食生活はアイスクリームに、シュガーたっぷりのデザート、フライドチキンにフィッシュアンドチップスとジャンキーな食べ物が多い。
どうして美味しいものがたくさん眠っているのに、それをうまく活用しないのであろうと思うほど、食に関しては微妙である。フィッシュアンドチップス美味しいけど、ムール貝やサーモン美味しいんだから、もっと工夫すればいいのにと思う毎日である。
今はただただ日本食が恋しい。
まとめ
忌憚なく色々書いたが、清濁合わせてニュージーランドはいい国だというのが結論である。日本と似ているようで異なる文化観。ダイナミックな自然に魅了されること間違いなしだ。
ニュージーランドに来てから一年経った近況とブログのあれこれについて
ブログってむずくね?
このブログも二ヶ月ぶりの更新となる。
ニュージーランドにワーホリとして来てから一年経つ身として言い訳をさせてもらえるならば、ニュージーランドで定住を持たずに移動しながら生きるというのはキリギリスになるようなものなので、怠け癖がつく。あるいは移り変わる環境の変化に対応するのに精一杯でブログを更新している暇がない。
所詮言い訳にすぎないので、どちらの言い訳を使ってもさほど変わりはないし、二つ合わせたところでやはり言い訳以上のものにはならない。
そうなのだ。もう二ヶ月も更新していないのだ。
時間とは早いものである。
それに加えて、ブログとは難しいものである。
ニュージーランドに来てからの日誌や旅行記のようなものをせっせと書き続けていたわけであるが、ぼくは誰に対して書いているのだろうと疑問に思っていた。
そもそもニュージーランドに興味がある人にしかニュージーランドの記事にアクセスする機会はないわけで、ぼくが労力を尽くして日誌や旅行記を書いたところでニュージーランドに関心を持っている人たちはまず地球の歩き方なりを読んで実地体験をするはずなのだ。(現況のコロナ禍ではそれも難しいだろうけど・・・)
ぼくのこのネットの世界に埋もれたブログが読まれる機会があるとするならば、ニュージーランドで生活している日本人が気まぐれで検索するくらいではあるまいか?そうなると、このブログの読まれる可能性はほとんどノーチャンスである。
さらに言うなら旅行記をあげるのも実はけっこう面倒なのである。どこどこに行ったのかを思い出して、写真を整理する。ぼくは一眼レフで写真を撮るのだが、写真のデータサイズがデカいので、圧縮させる必要がある。そうしないとたとえこのブログにアクセスしようとする人がいたとしても、データの読み込みに時間がかかりすぎて、読まれる前にブラウザバックされてしまうからだ。この写真のデータ圧縮がめんどくさい。誰がこのブログを読むのだろうと考えはじめるともうやる気がなくなってしまう。というかニュージーランドはどこに行っても絶景である。そんなこと分かりきったことなのに、『どこそこに行けばこんな絶景が・・・』と書いているのもバカバカしく思えてくる今日この頃だ。無論、これもまた言い訳である。
考えてみれば最初から旅行記を書きたいと思って、このブログをはじめたわけではなかった。日本の社会人生活につまづいて、ただなんとなく自分の頭から捻り出した長文を発信する場所があってもいいのではないかと思っただけなのである。
だから気軽にやればいいはずなのだ。
ニュージーランドの生活について
昨年の十二月にニュージーランドに来て、一年ちょっと経つ。
最初の三ヶ月ばかりはブルーベリー農園のオーナーとバトルしたりオークランドの刑務所みたいなバックパッカーズで窮屈な思いをしたりペーパードライバーなのに車を購入したりと、ニュージーランドの生活になれるのも大変だったが、まあ慣れてしまえばこっちのものである。
不愉快な思いもいくつかあったにせよ、ニュージーランドの自然に囲まれて、人間の喧騒のないところで肩甲骨を伸ばして昼寝をする生活は気楽で贅沢なものだ。ロックダウンで飲食店はダメージを受けたものの、ニュージーランド政府の素早い対応で新型コロナによるダメージも少なかった。今のタイミングでニュージーランドに来れて、けっこうラッキーしていると思う。
じゃあ、ニュージーランドに来て永住することがハッピーなことかどうかと言われると、これは人によると思う。こっちに来て、ニュージーランドのポジティブな面もネガティブな面も見ているので、個人の見解の枠を出ないが、参考になるくらいのものは出せるはずだ。これは次回の記事のネタにしよう。次に書くべきものを決めておかないと、またブログの更新をサボってしまうからだ。
ニュージーランド最北端にある秘境、ケープ・レインガとワイポウア・フォレストに行ってきた!!
ニュージーランド最北端の町 Kaitaia(カイタイア)へ!!
2020年7月にのんびりと北島のNorthland(ノースランド地方)を一ヶ月近く使ってのんびりと旅行していたが、この記事でようやくノースランド編終了である。(記事のストックは非常に溜まっているのであるが、なかなかペンが進まないのだ・・・)
さて、Paihia(パイヒア )に滞在した後はKaitaia(カイタイア)へと移動した。
本当はKerikeri(ケリケリ)という街にも滞在したかったのであるが、予約したバックパッカーズの予約が取れておらず、他のアコモデーションはどこも空いていなかったため、予定変更してKaitaia(カイタイア)まで北上した。
カイタイアは北島最北端の人口5000人ほどの小さな街である。
この街は、マオリ族とダルマチア(クロアチア西部の移民)の子孫が共存する街らしい。なぜクロアチアからの移民がニュージーランドの最北端に居つきはじめたのかきっかけは調べても分からなかった。日本の大手商社の木材だかパルプだかの事業で日本人が多いという話も聞いたが、日本人にも一人にも合わなかった。
これといって特に特徴のある街でもなかったので、ほとんど写真は撮っていないが、バックパッカーズが個人的に人もおらず居心地よかった。
バックパッカーズにいたジンジャーという猫がまあこれがかわいくて、何かあるにつけて膝の上に乗ってきた。
90マイルビーチ
ここカイタイアには、90マイルビーチとケープレインガという2つの見所がある。
90マイルビーチは文字通り、超長いビーチ。
実はこのビーチ自動車で走れる。
オフロードにも関わらず時速100キロで走ることができる。バスツアーなんかもやってる。
・・・なお、ここを自家用車で走る場合は、すべて自己責任である。
ぼくはファンガレイの草っ原で車をスタックさせている男である。ビーチなんてとてもとても・・・。実際にビーチにはスタックしたまま抜け出せなくなった車もあるみたいなので、90マイルビーチには行きもしなかった。
どう考えてもヤバいっしょ・・・。
ちなみに90マイル(約140キロ)という名前だが、実際には88キロ。四駆なら行けるだろうけど、普通車はちょっときついのではないかと思う。潮の満ち引きも計算しないと自動車も水没するみたいなので、走ってみたい人は気をつけて・・・。
ケープ・レインガ
北島ノースランド地方のメインスポットである、ニュージーランド最北端ケープレインガはカイタイアから1時間半ほど。これがなかなか遠い・・・。
ケープ・レインガはマオリにとって神聖な土地で、亡くなった魂がマオリ族の故郷ハワイキへと帰るための旅立ちの地とされているらしい。
実際に行ってみた。特に途中で立ち寄るようなところはなかった。
……
たどり着いてみると、濃霧…
ケープ・レインガ直前の坂道で突然霧が深くなった。行く途中の道で霧が出ていたら引き返していたのに…
行列のできるケーキ屋に1時間半並んでいたとはして直前で名物のモンブラン売り切れたら、やりきれないでしょ?…そんな気分。
ガソリン代もバカにならないので精神的ダメージが大きい。
ほとんどなーんにも見えない…
ぼや〜〜…
……
もちろん、リベンジした。
なんせ時間は腐るほどあるのだ。
濃霧の時とはまるで違う。
とはいえ、晴れていても突然雨が降り出したりするので、天気には要注意である。
ここ、ケープレインガは西側のタスマン海と東側の太平洋がぶつかりあうところでもある。潮の流れがぶつかり合っている。
海上にできた光の道が神々しい。
東京までは8475キロある。
ずいぶん遠くまで来たもんだ。
・・・ニュージーランドに来る前の東京での生活は悲惨だったな。
まあ、ともかく。
北島ノースランド地方のロードトリップの目標は一つ達成した感があった。
ニュージーランド北部、制覇!!
カイタイアに戻ってから、Mongonuiというところのフィッシュアンドチップス屋が有名らしいので、クエ(Hapuku)のフィッシュアンドチップスを買った。うまかった。
南下し、Hokianga(ホキアンガ)へ
さて、北側を北上してカイタイアまで来たので、次は西側を南下してHokianga(ホキアンガ)という地域に向かった。
道路が舗装されてないので、Kohukohu(コフコフ)まで来るのは少し大変だった。
誰もいない…
とりあえず、コフコフのバックパッカーズへ。
客はぼく一人。雰囲気のいいバックパッカーズだ。
ここにいる羊がブサかわいかった。
おとぼけ〜〜〜
フェリーに乗って対岸へ
ノースランド地方の名所、ワイポウアフォレストに向かった。
コフコフからワイポウアフォレストに向かうにあたり、一応陸路からでも行けるのではあるが、超遠回りになってしまうので、カーフェリーに乗ってホキアンガ湾を渡り、ラウェネに向かう。
カーフェリーは30分〜1時間に1本間隔でやってくる。
コフコフよりもラウェネの方が店も充実している。
というか、ラウェネに行かないとスーパーマーケットすらない。
さらにラウェネからドライブ。
途中のOpononi(オポノニ)の街はこんな感じ。
砂丘がとても綺麗だった。
オポノニの町の近くのルックアウトからの風景。
南島のOamaru近くにある、奇岩モエラキボルダーズはニュージーランドでは有名スポットだが、ここホキアンガにも似たような奇岩がある。オポノニの近く、koutu boulders と調べれば出てくるはずだ。
Hokianga周辺は、観光本にはなかなか載らない地域ではあるが、個人的にニュージーランド国内でも有数の絶景スポットであると思う。
ワイポウア・フォレスト
オポノニから20分ほどドライブすると、ワイポウアフォレストに到着する。
ワイポウアフォレストは、カウリの樹の群生地だ。
カウリはニュージーランド固有種で、さらにノースランド地方でしかみられない太古の樹である。
ワイポウア・フォレストの入り口からすでに太古の森という感じ。
このワイポウアフォレストにある、タネ・マフタ(マオリ語で森の神)は樹齢2500年の巨木。
高さ50m。胴回り16mもある。
現地の人の信仰を集め、大量伐採された歴史を持つことから、屋久島の屋久杉と姉妹樹同盟を結んでいるとかなんとか。
神秘的というかちょっと異様なデカさである。言うなれば、宇宙人みたいな?
カウリの木は根っこが地表に飛び出しているので、バランスが悪く倒れやすいらしい。
木肌も白く、胴長。普通の樹という感じがしない。
完全にもののけ姫の世界観だった。
タネ・マフタの近くに、テ・マツア・ヘレケ(森の父)という樹もある。確かにビックダディ感あるかも。
いやあ…すごかったね。圧巻。
次の日、whangareiまで戻り、一泊。その後、オークランドの下Hamiltonまで下って、北島ノースランド地方のロードトリップを終えた。
まさしく秘境巡りだった。
ここはいいところ。ニュージーランド北島の歴史ある街Paihia(パイヒア)でお勉強をしたり、だらだらとリゾート地を歩いたりするだけで楽しい
Bay of islandの観光地Paihia(パイヒア )
Whangareiよりさらに北上して、Bay of islandsと呼ばれる地域の中心地 Paiihia(パイヒア )に到着した。
Whangareiから車で1時間くらい。
paihia(パイヒア)という街の由来は、マオリ語のpai(いい)と英語のhere(ここ)が合わさって、paihiaになったそうな。
つまり、paihiaとは「ここはいいところ」という意味。なんてざっくりした地名・・・。
街の感じは完全にリゾート地。
かなり小さい街だけど、かなり整備されている。
ジェットボードやパラセーリングなどのアクティビティで海上も賑わっていた。カヌーで一日かけて島嶼(bay of islandsと呼ばれるだけあり無人島もたくさんある)を回るツアーやkingfish(ヒラマサやブリ)を狙いに行くフィッシングツアーなどお金のかかりそうなものがたくさんあった。
ちょっと街を外れたところには haruru fallsという滝もある。
確かに、Paihia(パイヒア)、いいところっぽいぞ。
宿泊先に選んだバックパッカーズのベッドにたくさんのベッドバグがいたらしく、むちゃくちゃ痒い思いをしたことを除けば・・・。(部屋の湿気が凄まじかった)
パラセーリングをやってみた
さて、パイヒアにはたくさんのアクティビティがあるわけだが、当然バックパッカーの貧乏旅。使えるお金も限られている。ましてやwhangareiでは300ドル以上かけてディスカバーダイビングもしているわけだし、あまり体力も使わないけどほどほどに楽しめるアクティビティがいいと思った。
ジェットボードも釣りもカヌーも金はかかるし、体力も使いそうだ・・・。そんなアクティビティの中でも目新しいパラセーリング。
・・・そう。パラセーリング。
・・・分かる?(謎の上から目線)
パラセーリングというのは、モーターボートが海上を走り回り、ボートにロープを通して繋がれたパラシュートで海上散歩をしようというマリンタウンならではの酔狂なお遊び。
ぶっちゃけ高所恐怖症なんだけど、後々にスカイダイビングとかするかも知れないと思って、その予行練習のつもりで100ドルかけて予約した。
・・・にも関わらず、いざ予約時間に集合場所に行ったら予約が取れておらず、悪いけど一時間半待ってくれと言われる。
出ました。
予約が取れてない。
予約が取れてないっ!!
(というか集合場所に行ったら、ぼく以外全員ファミリー連れで、「あれ?マジ?そんな感じのキッズ向けのアトラクション?」と思ってテンションは下がるし、俺の体重だと一人で乗れないらしく誰かペアを探さなきゃならないってんで受付で「なんでうちのところにぼっちで来てんだよっ!!」って目で見られるし、もうなんかいいか。金もかかるしと思ったけど、一時間半ビーチで石を投げたりして時間を潰してボートに乗り込んだ自分はまさしく勇者。ちなみに自分が乗った回のボートはほとんどがカップル連ればかりだった。ここだけの話、ちょっと居づらかったぞ・・・)
自分の回が回ってくるまでけっこう時間がかかる。
goproを持って上空からの景色を撮りたかったのだが、「ダメだ。写真が欲しければこのパラシュートに取り付けてある方のgoproで撮るから30ドルで買え」と言われ、じゃあいいやと思い、ノーカメラで上空へ。
ちなみにロープの長さは120m。
かなり上空まで上がるし、風が強いし、ロープはぎしぎし音を立てるしけっこう震えた。
景色はすごい良かったけどね。
フェリーにてNZ初の首都Russell(ラッセル)へ
Paihiaの対岸にRussell(ラッセル)という街がある。
ラッセルは最初のヨーロピアン入植者の町として栄えて、1840年にはニュージーランド建国初めての首都になったらしい。捕鯨船や貨物船の寄港地として栄えたものの、当時のニュージーランドは無法地帯だったらしく、『Hell Hole of the Pacific』なんて呼ばれていたらしい。
つまりは、太平洋の地獄。
ちなみにたった9ヶ月で首都ではなくなったそう。
PaihiaからRussellへの行き方は、自動車で行くか、フェリーに乗るかの二つ。
自動車で行くと、半島を遠回りしなければならないので1時間ほどかかる。フェリーだと10分ほど。
ラッセルの町自体はとても小さく車で回るほどの大きさでもないので、フェリーに乗ってしまうのが基本なんではないかなと思う。
フェリーは往復13ドルほど。
フェリーというほどの大きさではない。ぽんぽん汽船って感じ。
乗船時間は10分くらいだったと思う。
ヨットやボートがたくさん浮かべてあった。
ラッセルに着いた。
太平洋の地獄と言われていたとは思えない、綺麗な町。あとむちゃくちゃ小さい。
ちなみに上の写真はニュージーランドで初めて建てられたホテル。
ここで昼飯も食べた。ちょっと奮発。
ニュージーランド初の教会。まあ、いうても普通の教会という感じ。
高台に登った。
高台に登る最中にkiwi birdのような鳥がいた。
おそらくウェカという鳥。ちょろちょろこっちを見てきてかわいかった。
高台からのラッセルの町。
だいたい2時間くらいいれば歩き回れる感じのこじんまりした雰囲気のいいところだった。
NZ建国の地ワイタンギ
paihiaのすぐ隣のワイタンギというところがある。ここワイタンギで、イギリスとマオリ族の間で主権と土地の所有の明確化を目的とした、ニュージーランドで初めての条約が締結された。今のニュージーランドがあるのは、このワイタンギ条約抜きでは語れない。いわばワイタンギはニュージーランドの建国の土地なのである。これはwikipediaの受け売りだ。
ニュージーランドに来たからには歴史のお勉強も必要だろうということで、ワイタンギ博物館に行ってきた。
入館料は40ドル。まあまあいい値段取られる。
マオリ族はいわばポリネシアンである。ポリネシアとは、ハワイ・ニュージーランド・イースター島を頂点とする三角形の海域のことだ。おおよそ現在から1000年ほど前にマオリ族の探検家クぺがニュージーランドに初めて上陸したらしい。先住民であるマオリがニュージーランドに到達したのが日本でいうところの平安時代なのだから、そもそもニュージーランドは人類が到達してから日の浅い土地なのだ。マオリはニュージーランド(アオテアロア)でモアという巨大鳥を狩って暮らしていたらしい。
この船はワカというマオリ族の船。戦闘民族って感じがする。
これはマラエというマオリ族の集会所の内部。
舞台でハカを舞うんだろうな。
ワイタンギ条約締結の地には旗竿が建てられている。ちなみにワイタンギ条約は実質的なイギリスの植民地化だったのでマオリ族の不満が溜まり、マオリ戦争という反乱も起きたらしい。
まあ、なんというか歴史あるお堅い場所であっても、やはり風光明媚なところだ。
さすがニュージーランド。
ちなみにpaihiaから少し離れたところの防波堤で釣りもした。
いいサイズのアジが入れ食いだった。
刺身となめろうにして食べた。
味はぶっちゃけ、東京湾の金アジの方が美味い。
次回、Kaitaia(カイタイア)に向かう。