ライプニッツ・ノート①:自己立法的な、自由な存在としての神
これから数回に分けて、ライプニッツ哲学の基本思想について論じたい。ライプニッツといえば、17世紀をドイツに生きた哲学者であり、しばし「万能の天才」とされる人物である。その理論の射程は哲学(形而上学という意味で)のみならず、物理学・数学・政治学・経済学などあらゆる学問に達し、政治家としても活躍した。
その判定方法は不明瞭だが、以下のサイトでIQ205などとされている。まぁ何はともあれ、人類史に輝く天才である事は間違いない。
歴史上の天才たちのIQはいくつだったのか…世界の知能指数ランキング10:らばQ
近代科学の発展に大きく貢献した人物でありながら、同時に彼は、独自の形而上学的世界認識もまた確立した。それが彼の「モナド的世界認識」である。
まず本記事では、彼が描いた「神(第一原因)」について考えたい。これは、現在精読しているカント批判哲学の理解という観点から見ても、非常に重要なものである。
ライプニッツ哲学における充足理由律
様々な分野を横断して展開されるライプニッツ思想だが、領域を横断して通底する基本原理が存在する。それは、「充足理由律」である。
この原理によって、我々は、「事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかという事に十分な理由がない限り、いかなる事実も真である事あるいは存在することができず、またいかなる命題も真である事はできない」と考えるのである。(『モナドロジー』)
平たく言うならば、「全てには理由がある」。世界はいま我々に現前するようにできているが、このようなあり方をしているのには理由がある。ライプニッツはこう考えるのである。
そして、ある存在が「こうある」という理由について説明する際に、その説明は全宇宙とその歴史を全て含む。例えば、いまこのように生きている私について完全な説明を試みようとすれば、それは私の人生だけで完結するものではない。私の生まれた家庭の話や所属している宗教団体の話、進学した学校や、就職した会社の話もしなければならない。それはさらに、母国である日本や世界の歴史、さらに太陽系、宇宙の起源と、空間的・時間的にどんどん拡張されねばならない。
この世界の必然性
ライプニッツは「神」を「事物の第一の理由」であるとする。先ほど、充足理由律について説明したが、あらゆる存在の第一の理由を供給する存在—それが神なのである。
ここでライプニッツがその神論について論じた『弁神論』から、重要箇所を引用する。
さらに、この「原因」なるものは、知的なものでなければならない。なぜなら、現に存在しているこの世界は偶然的なものであり、他の無数の世界と同じように可能であって、いわば存在する事に対してこの世界と同等の要求を行っているのだから、世界の「原因」なるものは、そうした無数の世界から1つの世界を絞り込むために、それらすべての可能的世界を考慮すなわち参照したはずだからである。(『弁神論』)
これはライプニッツにおける「世界の共可能性」という考え方を反映している。すなわち、世界はほかのあり方で存在することもできたが、神は現にこうしてある世界のあり様を選んだというものである。我々が「どうして神は世界をかく創ったのか」という考える時、それはこうした共可能性を前提としている。少なくとも我々は、「他の世界のあり方も可能であった」と想定することができ、そのような他の世界のあり方の観念を持つことができる。
この考え方の特異点は、スピノザ哲学と対比する時明らかになる。スピノザは『エティカ』において、存在するすべての事物は必然性によって存在するとした。世界に偶然はなく、公理から定理が自動的(論理的)に帰結する様に、様々な現実存在が規定される。存在しない事物は不可能であり、神は存在できる事物をすべて創造した。それはいわば、「幾何学的必然性」である。
ライプニッツは世界のあり方を、「この世界はこうあらねばならない」という必然的なものであるとする。しかし彼は、スピノザと異なり、それは幾何学の公理系の様に自動的に決まるものではない。神は、複数の世界のあり方を観念として持ち、その力能の可能性としてはどの世界も創造することができる。
神の創造の恣意性
しかし上述の「共可能性」を認める時、幾つかの難問が浮かぶ。様々な世界のあり方が可能でありながら、神はなぜこのように世界を創造したのか、という事である。ライプニッツは述べている。
ここに3つのドグマがある。①正義の本性は恣意的である。②正義の本性は確固としているが、神がそれを遵守するかどうかは確実ではない。③我々が知っている正義は神が遵守する正義ではない。(『弁神論』)
これは、「神の恣意性」をめぐる主な見解をまとめたものである。これは「世界における悪の問題」と深く関係しているが、それについては後述する。とりあえずここで問題とされているのは、「あらゆる世界を創造する自由を有する神が、どのようにして現実化したこの世界を選んだのか」という事である。
この問題の前提となっている命題は、「神は善である」ということであろう。神が善である以上、その創造行為において神は「正義」に従うように思われる。しかし、その思考は新たな難問を生む。それは、「正義」が絶対の存在者である神を拘束するということに対する疑義である。
こうした疑義に答えたのが上述の3つの意見だ。①の立場では、神の本性は「善」であるが、何が善であるかは神が恣意的に決めるものだ、というものである。②の立場は、神は正義に従属するものではないとする。そして③の立場は、神は善であるが、それは人間の考える「善」と異なるというものである。
こうした見解すべてに、ライプニッツは異議を唱える。
いずれも、我々に安息をもたらすはずの神への信頼を破壊し、我々を幸福にするはずの神の愛を破壊する点では同じである。(『弁神論』)
まず、①の回答に対するライプニッツの反論を見てみよう。もし「神が欲したものは何でも善」であると考えてみる。すると、殺人や強姦、拷問といった所業が「悪」である理由は、ただ「神が悪と決めたから」というものになる。原理的に考えれば、ホロコーストが神の恣意によって「善」とされるような世界も想定できる。これは、神の善性を揺るがす見解として、ライプニッツは退ける。
②の回答については、神が「正義」に従属するものではない以上、「善」でも「悪」でもあり得ることになる。③の立場は、人間的立場からの「正義」の希求の意味を無にしてしまうものである。
ライプニッツにとっての「神」
上述の世界における「絶対的必然性」と「恣意性」に対して、ライプニッツはどのように応答したのか。
一方では神の独立性と被造物の依存性を支持し、他方では神の正義と善をを支持する、というのが適切なやり方である。そして神が正義にして善なる存在であるならば、神は自らにーすなわち神の意思は自らの知性と知恵にー依存することとなる。(『弁神論』)
つまりこういう事になる。
善なる神は、「正義」に従って世界を創造する必然性を持つ。しかしその「正義」は神の善なる意志に基づくものであり、この主張は完全な実在性を有する神を、神以外の存在に服属させることにはならないのである。
これは、世界には複数のあり方が可能であるという「共可能性」においてスピノザ的絶対必然論を拒否している。さらに、神は知性において複数の可能な世界の観念を持つことができながらも、この所与の世界のあり方は必然的である。なぜならそれは、神自らから発した「正義」によって自らを規定するという必然性に基づくからだ。さらにそれは神の本性である善意志に理由を持つものである以上、神の「自由」を制限するものではない。
この「自らを規定する神の自由」という考え方は、カントの道徳論を考察する際にも重要となる。
『純粋理性批判』を読む Vol.3 「質・量のカテゴリーにおける背進的総合」
(本記事は、「『純粋理性批判』を読む」という連載の第3回目に当たります。過去記事一覧は、以下。)
前回記事において、以下の2点が明らかになりました。
●超越論的な理念は、理性が知性にその概念を無限に過去へ遡行させる事を要求する事によって成立する。
●知性のカテゴリーから超越論的理念を考察する事ができるが、すべてのカテゴリーが利用できるわけではなく、選別が必要となる。
本記事では、超越論的理念の足場となるカテゴリーの分別作業を概観します。
範囲:『純粋理性批判』5巻 29頁〜32頁(中山訳)
空間における無限の遡行
第一のカテゴリーは、「量」です。これは単一性、数多性、総体性から成立しますが、要は「一」を単位として、それを積み重ねていくことによって得られる量の外延量であり、時間と空間がこれに当たります。
前回記事において、時間における背進的進行について考察しました。そこでは、〈条件づけられたもの〉から〈条件づけるもの〉へと、つまり現在から過去へと遡行していくプロセスと、理念の要求によるカテゴリーの超越論的理念化の設定を見る事ができました。
しかし、これは「空間」においてはどのように考えればいいのでしょう?「時間」における変化する事物ならば、それは継起的に存在するため、時間軸に沿って背進を進めていけばいい。
しかし空間については、前進と背進の区別はない。空間のさまざまな部分は、同時に存在するのであり、空間は部分的な空間の集合であって、系列ではないからである。(中略)空間の部分は互いに他の部分に従属するものではなく、並列的な関係として存在するものであるから、一つの部分が他の部分を可能にするための条件となる事はない。空間は時間と違って、それ自体で系列を作り出すものではない。
カントのこの文章は、空間が時間とは異なり、〈条件づけられたもの〉から〈条件づけるもの〉へと進行することのできるような、系列ではないと言っています(少なくとも、それ自体では)。時間の場合は、いまにおける出来事mの条件は、時系列的にその前にあるlに遡れば事足りました。しかし、空間において、例えば任意の空間aを切り出しても、それは空間の一部分を成す部分に過ぎません。空間とは、そうした部分によって成立した集合に過ぎない。それは、時間が過去が現在を条件づけるという系列であった事とは、大きく異なるのです。
この空間について、どのように考えるべきか。カントの答えは以下の通りです。
わたしたちが空間を把握するときには、空間の多様な部分を総合するのであり、そのときにはこの把握は継起的であり、時間の中で起こるために、一つの系列を含むものとなる。この場合には、与えられた空間の部分から一つの系列が始まるが、これによって生まれた系列は、集められた部分的な空間の集合で構成される(たとえば、1ルーテの長さに含まれる1フィートの長さの空間の集合)。
この系列においては、一つの空間に頭の中で考えた別の空間を加えてゆくのであり、この別の空間が前の空間の限界の条件となるものであるから、ある空間を測定するという行為は、与えられた〈条件づけられたもの〉にたいする〈条件づけるもの〉の系列を総合する行為として考える必要がある。
長い引用となってしまいましたが、要約すると以下でしょう。
我々は空間を把握する際に、それ全体を一気に把握できません。空間の中の「部分」を切り出して、まずそれを認識する(この部分を仮にR1とします)。それよりも大きな空間を把握しようとするとき、我々は新たに把握した空間(R2とします)を最初に把握したR1と総合するのです。
これは時間の内部で起こるので、一つの系列を成します。つまり、最初に測定された空間(R1)は、続いて把握された空間(R2)によって条件づけられている。
総合された後の空間を見れば、そこにR1、R2という区別は無く、ただ等質な空間が広がっているだけです。しかしそれを人間が総合して行く過程として見るとき、与えられた部分に新しい部分を総合して行く過程、つまり〈条件づけられたもの〉から〈条件づけるもの〉への背進的進行とみなすことができるというのです。
ただし〈条件づけるもの〉の側が、その後に付け加えられるはずの〈条件づけられたもの〉を含む側とはそれ自体では区別されないために、空間のうちでは背進と前進とが同じ方向に進むように見えるのである。
この文章の意味は、以下のようなものだと思います。
時間における遡行は、L➡M➡Nというように時系列に沿っているため、その順番がわかりやすいものでした。しかし空間においては、同質な空間の異なる部分を総合して成立するため、それだけ見ても〈条件づけるもの〉と〈条件づけられるもの〉の関係を見出すことができない(背進的か、前進的かわからない)。しかし、人間がそれを把握・総合して行くプロセスとして見たときには、それを同質な全体としてではなく、継起的な総合の結果と見ることができるのです。
「背進的総合」の意味
かくしてカントは、以下のように結論します。
このように限界を設定するものという観点から考えると、空間における進行も背進的なものであり、〈条件づけるもの〉の系列の総合の絶対的な全体性という超越論的な理念は、空間にも妥当する事となる。そこでわたしは過ぎ去った時間における絶対的な全体性という理念と同じように、空間についても現象の絶対的な全体性を問題にすることができるわけである。
しかし、一つの疑問が湧きます。
与えられた空間から始めて、それに別の空間を足して、足して、足して・・・という総合は、未来にベクトルを向けて成されるものです。これは、時間における背進的総合が過去に向かっていたのとは逆です。それが「未来」に向かうならば、「背進」的総合ではなく、「前進」的総合ではないのでしょうか?
再度、「背進的総合」の定義を見てみましょう。
わたしは、〈条件づけるもの〉を遡る系列、すなわち与えられた現象から始めてそのもっとも近い条件を求め、次々に遠い条件にまで遡って行く系列の総合を背進的な総合と呼ぶことにしよう。
これで疑問が氷解しました。
つまり、前進的/背進的の区別を決めるのは、それが向かう方向が未来/過去であるかではない。それがたとえ未来に「前進」するものであったとしても、〈条件づけられたもの〉から〈条件づけるもの〉へと進行する限り、それは「背進的総合」なのです。空間の総合においては、それは「未来」へと空間の部分を無限に総合して行くものでしたが、それはあくまでも〈条件づけるもの〉への進行です。ですからこれは、「背進的総合」なのです。
物質の分割においても求められる「絶対的な完全性」
続いてカントは、これまで見てきた「空間の総合」の逆方向の議論を始めます。それは、「空間の分割」です。これは、第二のカテゴリーである「質」と関連しています。質のカテゴリーでは、「コーヒーは苦い」などの主語の性質を表す判断が対象となりますが、この性質はその物質の内的な条件によって規定されています。
第二に、空間における実在的なもの、すなわち物質は〈条件づけられたもの〉であり、その内的な条件は空間の部分であり、その部分のうちの部分が、さらに〈遠い〉条件を構成している。だからここにも背進的な総合が成立しているわけであり、理性はこの総合にも絶対的な全体性を要求する。この絶対的な全体性が成立するのは、物質が完全に分割されて、ついに物質の実在性が消滅して無だけが残るか、もはや物質ではないもの、すなわち〈単純なもの〉だけが残るかのいずれかの状態に到達したときだけである。
これまで見てきた空間の総合における「背進的な総合」とは真逆であり、ここでは物質をどんどん分割していきます。それにもかかわらず、これもまた「背進的な総合」である。その理由は、より小さな部分が、大きな部分を条件づけているからであり、後者から前者への進行は、その意味で「背進的な総合」であるからです。
次回は、残り2つの「関係」と「様相」のカテゴリーについて考察します。
『純粋理性批判』を読む Vol.2 「背進的な総合」
(本記事は、「カント『純粋理性批判』を読む」の第2回目の記事です。記事一覧は、下記をご覧ください。)
前回記事にて、二律背反における「超越論的理念」とは、経験可能な現象を足かがりにして成立するものであることがわかった。それを踏まえた上で本記事では、どのように超越論的な概念が作り出されるのかを考察する。
キーワードは、「条件づけるもの」と「背進」である。
知性を解放する存在としての理性
カントは、超越論的理念について、2点の注意点を挙げている。
第一に、純粋で超越論的な概念を作り出すことができるのは、知性だけであること、そして理性はそもそもいかなる概念も作り出さないということである。理性は単に、可能的な経験につきものの制約から知性の概念を解放するだけなのである。理性は、経験的なものの限界を超えでるために、知性の概念を拡張しようと試みるのである(ただし理性はつねに知性の概念を経験的なものと結びつけたままにしておこうとする)。
このカントの記述によれば、理性は超越論的な概念を作り出すのではない。それは知性によって作り出される。
この「作り出さない」という断言は、微妙な感じがする。他の箇所で、果たしてカントが「理性が概念を作り出す」と言っていないのか、改めて注視してみたいけれど、要は「純粋理性の理想」と「純粋理性の二律背反」の違いを明らかにするために、このような記述をしているのだろうと考えられる(前者は、経験一般と関わりのない可能的なもの一般に関わる)。
取り敢えずこの記述に従うならば、理性は「知性の概念を解放・拡張する」だけであり、そのことによって超越論的な概念は成立する。この知性とは、感性によって与えられたものを概念化する能力であり、その形式は12項目のカテゴリーである。
【量】
単一性、数多性、総体性
【質】
実在性、否定性、制限性
【関係】
実体性、因果性、相互作用性
【様相】
可能性、現実性、必然性
絶対的な全体性を所有する総合
そのために理性は、与えられた〈条件づけられたもの〉にたいして〈条件づけるもの〉が絶対的な全体性を所有するものであることを要求する。知性はこうした〈条件づけるもの〉のもとで、すべての現象に総合的な統一をもたらすのである。これによって理性はカテゴリーを、超越論的な理念にまで仕立て上げる。
超越論的な概念が作り出されるにあたっての、理性の役割が少し明らかになってきた。上述のカントの記述内における知性と理性の役割を整理すると、以下のようになる。
●理性は、〈条件づけるもの〉が絶対的な全体性を所有することを要求する。
●その要求に応えて、知性は絶対的な全体性を所有した〈条件づけるもの〉のもとで、現象を統一する➡カテゴリーが超越論的な理念になる
確かにこれを読むと、理性は超越論的な理念を作り出していない。ただ知性に〈条件づけるもの〉が絶対的な全体性を所有することを「要求」しているだけである。
この点は、以下の文章を読むとさらに明瞭である。
理性はこのことを次の原則の元で、すなわち「(条件づけられたもの)が存在する限り、(条件づけるもの)の全体、すなわち絶対に無条件的なものも与えられているのであり、(条件づけられたもの)を可能にしたのは、この絶対に無条件的なものだけである」という原則のもとで要求する。ところで第一に、超越論的な理念とは、無条件的なものにまで拡張されたカテゴリーに他ならない。
かなり知性・理性の役割や超越論的理念の性質がわかってきた。
つまり、理性は、超越論的理念を作り出すのではない(ゼロからイチにcreationしない)。それは、知性にアプリオリに備わったカテゴリーを材料に、それを拡張させて作り上げられる。理性は知性(カテゴリー)に対して、経験によって与えられた〈条件づけられたもの〉は、絶対的な全体性を所有する〈条件づけるもの〉によって可能になることを要求する。
この要求の結果、カテゴリーは無条件的なものにまで拡張され、それが超越論的理念となる。
使えるカテゴリーと、使えないカテゴリー
これまでの読解によって、超越論的な理念は、知性のカテゴリーが拡張されることによって成立するものであることが明らかになった。
そうなると、カテゴリーを足場に、超越論的理念を考察することは自然であるが、カント曰く、この考察に当たってすべてのカテゴリーが役立つわけではないという(これが第2の注意点となる)。
第二に、そのためにすべてのカテゴリーが役立つわけではないのであり、ある系列のもとに、総合されたものを配列するカテゴリーだけがその目的に役立つ。すなわち、〈条件づけられたもの〉を〈条件づけるもの〉のもとに配列するカテゴリー、ただし並列させるのではなく互いに従属した条件の系列に配列するカテゴリーだけが役立つのである。
ここでは、「役立つカテゴリー」の条件が記載されている。それによれば、「条件づけたもの➡条件づけられたもの」というような形式に、認識したものを概念化するカテゴリーだけが、超越論的理念の考察に役に立つ。その理由は、理性が要求するものが「条件づけられたものを可能にした、絶対的に無条件的なもの」であり、これに合致するカテゴリーが上述の形式だからであろう。
未来は問題にならない
しかし問題となるのは、「条件づけられたもの」から「条件づけるもの」への遡行、つまり過去に遡ることであり、その逆は問題にならない。与えられた系列を、未来に向かって進行することは問題にならないのである。
ある帰結からその帰結への進行によって、すなわち与えられた〈条件づけるもの〉から〈条件づけられたもの〉に下降する系列が集結するかどうかは、ここでは問題とはならない。この系列に全体性があることを、理性は前提にしていないのである。だから私たちは必然的に、与えられた瞬間にいたるまでに経過したすべての時間を、与えられたものとみなすものである。しかし未来の時間については、未来は現在の瞬間に到達するための条件ではないのだから、現在を把握するために未来の時間をどう扱おうとも、まったく構わない。どこで終結させようとも、無限に継続させようとも、問題ではないのである。
乱暴に言ってしまえば、未来などここではどうでもいい。問題は、現在とそれを与えた過去だけである。
しかし、ここで疑問が生じるかもしれない。理性が要求するのは、経験の系列の「絶対的な全体性」ではなかったのか、と。全体性というからには、その系列には始まりがあり、また終わりもあるような気がする。「この系列に全体性があることを、理性は前提にしていないのである」という文章も、これまでの記述と矛盾しているように思われる。
しかし、先述の「理性の原則」再度引用してみると、カントは慎重に記述していることがわかる。
「(条件づけられたもの)が存在する限り、(条件づけるもの)の全体、すなわち絶対に無条件的なものも与えられているのであり、(条件づけられたもの)を可能にしたのは、この絶対に無条件的なものだけである」
つまり、「全体」が必要なのは、あくまで〈条件づけるもの〉だけであり、それを希求するには過去へと背進するだけで十分なのである。ここで言う「全体性」を完成させるために必要なのは、「無条件的なもの」だけである。
「この系列に全体性があることを、理性は前提にしていないのである」という文章は、一見矛盾しているように思われた。しかしこの「全体性」という言葉は、〈条件づけるもの〉の全体性ではない。恐らく、「世界の終わり」のような〈条件づけられたもの〉の終着点に位置するような理念が与えられることによって成立するような「全体性」を、理性要求していないということなのだろう。
これは誤っているかもしれないが、以下のような仮説を立ててみよう。
カントが言う「全体性」の成立のためには、「始まり」と「終わり」が必要となる。その「始まり」を定立するためには、経験の系列を無限に遡行して得られるような超越論的な理念が必要となる。しかし、「終わり」に関しては、すでに「いま」という形で与えられている。超越論的理念が、〈いま〉という帰結からそれを無限に過去へと進行し、「無条件的なもの」にまで到達することによって確立する概念である以上、その「全体性」の終着点は、「いま」で問題はない。即ち、未来へと進行して、その果てを求める必要はない。
背進的な総合
カントが問題とするのは、与えられた〈条件づけられたもの〉から、それを帰結させた〈条件づけるもの〉へと進行することであることが明らかになった。カントはそれを、「前進的な総合」と「背進的な総合」という語を使って整理している。
わたしは〈条件づけるもの〉を遡る系列、すなわち与えられた現象から始めて、そのもっとも近い条件を求め、次々に遠い条件にまで遡って行く系列の総合を背進的な総合と呼ぶことにしよう。そして〈条件づけられたもの〉から下降する系列、すなわちそのもっとも近い帰結を求め、次々に遠い帰結にまで下降して行く系列の総合を、前進的な総合と呼ぶことにしよう。
もはや新しい記述はなく、ただ〈条件づけられたもの〉から〈条件づけるもの〉への進行を「背進的な総合」と呼び、その逆を「前進的な総合」と呼んでいるだけである。
そして、この「背進的な総合」こそが、カントの考察の対象となるのである。
次回以降、この「背進的な総合」に適うカテゴリーを選別していく作業に移る。
『純粋理性批判』を読む vol.1「世界概念とは何か」
(本記事は、複数回にわたって連載中の「『純粋理性批判』を読む」の一部です。記事一覧は、下記をご覧ください)
範囲:19頁〜23頁(中山訳)
純粋理性批判の構成と二律背反
『純粋理性批判』における第二編・第二章「純粋理性の二律背反」を読み始める前に、同章の本全体の中での位置付けを確認しておく。
『純粋理性批判』はその構造からかなりややこしいが、アウトラインを以下のように示すことができる。
第一部 超越論的原理論
第一部門 超越論的感性論
第一章 空間について
第二章 時間について
第二部門 超越論的論理学
第一章 超越論的分析論
第二章 超越論的弁証論
第二部 超越論的方法論
このうちの強調部「第二章 超越論的弁証論」は、さらに以下の三章に区分することができる。
第二部門 超越論的論理学
第二章 超越論的弁証論
第一篇 純粋理性の誤謬推理について
第二篇 純粋理性の二律背反
第三篇 純粋理性の理想
この第二編の「純粋理性の二律背反」こそが、「二律背反」について論じた当該箇所である。
超越論的弁証論における3種類の推論
この超越論的な弁証論の序のところで、純粋理性のすべての超越論的仮象は、弁証論的な推論によって生まれるものであることを示した。カテゴリーがその論理的な図式を、すべての判断を四つの機能から示したのと同じように、論理学は、この弁証論的な推論の図式を、理性推論一般の三つの形式として示したのである。
第1種の詭弁的な推論は、主体または心の全ての〈像・観念〉一般の主観的な条件の無条件的な統一に関わるものであり、理性推論においては、断言的な理性推論に対応するものである。
第2種の弁証論的な論証は、仮言的な理性推論との類比において、現象における客観的な条件の無条件的な統一に関わるものとなるだろう[この第二章ではこの問題を考察する]
第3種の弁証論的な推論は、次の第三章で考察するものであり、対象一般の可能性の客観的な条件の無条件的な統一に関わるものである。(20頁〜21頁)
いきなり硬い文章だが、これは先述の「超越論的な弁証論」のアウトラインに対応している。同章は、「誤謬推理」「二律背反」「理想」の3本立てだが、ここでは第2の「仮言的な理性推論」を扱うという事を述べている。
「仮言的理性推論」の意味は、例えば以下のような命題に基づいた判断である。
大前提:もしAがBであるならば、QはRである
小前提:AはBである。
結論:QはRである。
即ち、後件(QはRである)は、前件(AはBである)に条件づけられている。
これは、「定言的判断」が「SはPである」「SはPではない」という、他の条件の条件づけなしに成立する事と、対照的である。
この「条件づけ」こそが、二律背反の鍵となる。
その後、「唯心論」と「唯物論」についての説明が続くが、これは第1篇「純粋理性の誤謬推理」に関する話のようなので、飛ばしておく。
世界概念」について
続いてカントは、「世界概念」という言葉を持ち出しているので、考えてみたい。
絶対的な全体性を主張する超越論的な理念が、現象の総合にかかわるものである場合には、これをすべて世界概念となづけたいと思う。(22頁〜23頁)
「絶対的な全体性」とは、理性が作り出す「超越論的な理念」だろう。この理念が現象の総合にかかわる場合には、カントは、「世界概念」と名付けている。その理由がこのあと続くが、他にもっとわかりやすい箇所がある。
ここで検討している理念をすでに、宇宙論的な理念と名付けておいた。その第一の理由は、「世界」という語によって、すべての現象の総体が考えられているからであり、この理念は現象のうちにおける無条件的なものをだけを目指しているからである。第二の理由は、この〈世界〉という語によって、超越論的な意味では、実在するものの総体の絶対的な全体性が考えられているからである。(43頁)
これは、二律背反における理念を「宇宙論的な理念」と名付けた理由として記述されている。しかし、「これらの理念は全て超越的なものであることから判断して、それらをすべて世界概念と名付けるのがふさわしい」(43頁)とすぐ後に述べられていることと、理由づけの中で「世界」という言葉が使われていることから、カントは「宇宙論的理念」を「世界概念」と同義的に用いていると考えられる。
この理由説明に準拠すると、カントは二律背反における理念は、「世界」という語を指すことによって、「現象の総体」を指している。またそれは、超越的な事物ではなく、実在する経験可能な総合だけに関係する。
これと対比的なのは、「純粋理性の理想」である。これは第3章で扱われるようだが、それは「世界概念とはまったく異なる性質のもの」(23頁)であるという。なぜならそれは、「可能なもの一般の総合」に関わるものであり、現象一般に関わる世界概念とは、大きく異なるからである。
「世界概念」、つまり本性において扱われる理念は、現象とは不可分である。このことは、非常に重要である。
なぜ「超越的理念」と呼ばないのか?
さらに本件と関係する記述を読む中で私が感じた疑問に対する仮説を、提示しておきたい。
まず、世界概念が「超越論的理念」と呼ばれていることである。世界概念は、経験可能な世界を超えた条件づけられないものを設定するのだから、世界から超越したという意味で「超越的理念」と名付けてもいいように思う。
カントが「超越的」としない理由は、以下の文によく表れていると私は思っている。
これらの理念(筆者註:宇宙論的理念)はすべて超越的なものであることから判断して、それらをすべて世界概念と名付けるのがふさわしいとわたしは考える。ただしここで〈超越的〉といっても、それはこれらの理念がその客体を、すなわち諸現象をその存在の方法において超越するという意味ではない。これらの理念は叡知的な存在〈ヌーメノン〉とかかわるのではなく、感性界だけにかかわるものの、この総合を推し進めるあまり、すべての可能な経験を超え出てしまうのである。(43頁〜44頁)
つまり、二律背反を生み出す宇宙論的理念を「超越的理念」と呼んでも問題はない。現にカントは、「超越的な自然概念」という言葉も用いている。しかし、カントが「超越論的」という言葉を多く用いたのは、「超越的」という言葉が、ミスリーディングだったからだと考えられる。
二律背反における理念は、あくまで「経験可能な現象」にかかわる。しかし、その現象を過度に総合しようとした結果、超越的な理念を持ち出してしまうのである。つまり世界概念とは、「現象」という内在的な契機と、「理念」という超越的な契機の両方を持つ。「超越的理念」と呼んでも間違いではないが、それでは理念の一側面しか表現していないのである。
「宇宙論的理念」と「世界概念」とは、そもそも緊張関係にある異なる概念が結びついてできた言葉である。前者においては、「宇宙」という現実世界と、「理念」という超越的事物である。後者においても、同様の関係が見られる。
問題は、「超越論的理念」という言葉の解釈であるが、これは「宇宙論的理念」「世界概念」の上位概念だろうと私は考えている。
絶対的な全体性を主張する超越論的な理念が、現象の総合にかかわるものである場合には、これをすべて世界概念となづけたいと思う。(22頁〜23頁)
この「二律背反」で検討するのは、この「超越論的理念」が「現象の総合に関わる場合」だけである。その限りにおいて、カントはそれを「世界概念」と呼ぶ。そして、「超越論的理念」が「すべての可能なもの一般の条件の総合」にかかわる場合には、それは「神/純粋理性の理想」と呼ばれるのである。
また、この場合の「超越論的理念」の「超越論的」の持つ意味だが、「人間がアプリオリに持つ理性が不可避的に生み出す」ではないかと私は思う。「超越論的」とは、また定義が難しく、カントは多義的に用いている。包括的にそれを定義するならば、「人間の認識の仕方に関する」くらいになるだろうが、これは先述の用い方を包含すると思っている。
近代的思考への批判としてのシンボル的形態
人間とは、どういう存在なのか?他の動物と何が違うのか?
メルロ・ポンティが考えた「シンボル的形態」を見ながら、これについて考えましょう。
近代的思考
まず、メルロ・ポンティが批判した「近代的思考」について、まず概観します。
デカルトの意図はどうあれ(デカルトはそんなに単純に考えていなかったのでは)、彼の「我思う、ゆえに我あり」の命題に現れている「思う我」は、近代において絶対的な地位を与えられました。
即ち、「思う我」が認識した限りにおいて、「世界」は存在する。その「世界」は、「思う我」の数量的に規定された理性的認識によって把握できるものである。
この近代的な思考は、「観念論」と「唯物論」という相反するものが、「思う我」の絶対性への信仰の上に合成されている。つまり、「思う我」が認識する限りにおいて「世界」は存在するのだという点において、観念論的です。また、「思う我」が認識した「世界」は、数量化可能な空間ですから、この意味において唯物論的なのです。
この「思う我」への絶対的信仰は、自然科学的探求にとどまらず、歴史や社会的変革においても継承されました。それは、ヘーゲル的な「理性的なものの現実化」という観念論的歴史観にその極致を見る事ができる。マルクス主義的な革命理論もそうでしょう。
ゲシタルト心理学
しかし、この「近代的思考」は、様々な欠陥を露呈します。それは、非ユークリッド幾何学の発見やゲーデルの不完全性定理の提唱による「数学の危機」や、不確定性原理や相対性理論の発見による「物理学の危機」に端的に見られます(これについては、また別記事で考察)。
そして、この近代的思考に基づいた心理学も、限界を迎えます。
初期心理学は、物理学的方法に学び、人間の行動や心理現象を物理的過程としてとらえようとしました。即ち、測定可能な物理的刺激と単純な反射行動を一対一で対応するものと考え、その単純な行動の複合によって、人間の複雑な心理活動や行動を説明しようとしたのです。
しかし、この方法の限界を指摘したのがゲシュタルト心理学者たちでした。彼らによれば、初期心理学者たちは以下の点で間違っている。
●「恒常仮定」:外界からの一定の刺激に対して、生物が必ず一定の反応をするという仮定
●「要素主義」:人間の行動は、どんなに複雑なものであっても、単純な「要素」に分割可能であり、その「要素」の複合として説明が可能である。
ゲシタルト心理学者たちが重視したのは、「関係」と「意味」です。
「関係」を例を挙げて説明しましょう。ケーラーが鶏を使って行った実験があります。それは、鶏に「普通の餌」と「薄い餌」の2種類を与え、「薄い餌」だけを食べるように訓練する。訓練の結果、鶏は「薄い餌」を食べるようになった。
そこで、3種類目の「濃い餌」を与えます。すると鶏たちは、それを食べるように躾けられた「普通の餌」よりも、新たに与えられた「濃い餌」を多く食べたというのです。
つまり彼らは、餌の色を物理的な色調としての色ではなく、異なる色調の「関係」として捉えていたのです。
さらに彼らは、「意味」を重視する。生物にとっての「世界」とは、定量化可能な「中性的」な世界ではない。その認識主体がもつ内的規定と環境という外的規定とによって決定される、その主体にとっての「意味」によって大きく変わるものだとしたのです。
これはフッサールによって本格展開される。近代的思考が対象とする客観的世界は、「思う我」への信仰に基づいた相対的・二次的なものに過ぎない。それは、それよりも本源的・原初的な世界を覆い隠してしまっている。その隠された世界こそフッサールの「生活世界」なのです。理念化された客観的世界を反省して、我々に直接的に与えられる生活世界を記述すること。そのために、「現象学的還元」が必要になるとフッサールは提唱したのです。
フッサールとハイデッガーの現象学についてはまた別記事で考察するとして、続いてメルロ・ポンティについて考えましょう。
「シンボル的形態」
これまで、生物の行動や心理現象を客観的に考察することの限界を見てきました。
新たに必要となる方法は、生物の行動や反応、心理現象を「主体的」に考察すること。即ち、生物を単に環境的に規定されたものと見るのではない。所与の物理的環境の中に生きる存在として見ながらも、それを主観的「意味」を通じて認識して自らのあり方を変え、さらに環境をも変えるような存在として考えることです。
メルロ・ポンティは、生物の行動を3つのカテゴリーに分けています。それは低次から高次に分化され、低次なものから並列すると、①癒合的形態、②可換的形態、③シンボル的形態となる、
① 癒合的形態
これは、下等な動物において支配的に見られる行動の構造です。これは、所与の物理的環境に対して単純に反応するだけの「本能的」とも言える行動です。こうした低次の構造に基づいた行動は、単に状況に自らを癒合させるだけのものです。
② 可換的形態
より高次なのが可換的形態。これは、環境の変化に対して自らの行動を柔軟に変える、つまり学習が可能であるという意味で「可換的」です。この段階になると、主体である生物は、環境の質量的側面を離れて、「意味」を媒介して外界を認識し行動できることになる。例えば先述のケーラーによる鶏の実験。鶏たちは、「餌の濃さ」という質量からは自由に、異なる濃さの餌を全体の配置の中で理解し選択していました。これではまだ「意味」を見出しているとは考えづらいかもしれない。しかしこの「意味」理解の度合いが深まると、生物は道具を使うことができるようになる。
道具を使うために必要な思考は、自ら「目的」や「目標」を認識して、それの達成のために手段を選択する事でしょう。これは主観的な目標や意味を媒介せず、単に外的な物理的刺激に反応するだけの癒合的形態とは大きく異なっています。
わかりやすい例は、チンパンジー。人間に近い彼らは、餌をとるために竹竿をつないだり、踏み台となる箱を積み重ねたりします。
③ シンボル的形態
そして、シンボル的形態です。
これをわかり易くするために、上述のチンパンジーの行動の限界について考えてみます。
道具を使い、目標に到達する。こうしたかなり高次の行動ができるようになったチンパンジーですが、彼らには出来ないことがある。それは、異なるパースペクティブから物事を見ることです。
コの字型の枠の内部に餌を置き、チンパンジーがその入口とは真逆に位置しているとしましょう。それを上から眺めるチンパンジーが(手は届かない)、対象を手に入れるためにとれる方策は、2つです。1つは、自らが迂回して、入口に向かって餌を入手すること。そしてもう1つは、棒を使って目標を迂回させ、自らの元に引き寄せること。どういう実験方法かわかりませんが、チンパンジーには「目標を迂回させる」事は、かなり難しいようです。
よく考えてみると、この「目標を迂回させる」とは、かなり高度な行動です。それに必要な思考は、まずその目標という異なる地点から見た世界(パースペクティブ)を想像し、もし自分がその目標の地点にあった場合にとるべき動きを考えた後、現実的な自分のパースペクティブに立ち返り、対象を移動させるというものです。
この高次元に必要な行動には、「自分と異なるパースペクティブから環境を見る」事が必要になります。
つまり動物は、外在的に規定された所与の状況を超越する事ができない。せいぜい出来ることは、その時々に与えられた状況に意味や目標を付与して、自分の行動を変えることです。
しかし人間は、違う。
彼らは与えられた状況・環境に縛られるだけではない。環境に規定されながらも、その所与の外的世界とは異なった世界を見ることが出来るのです。人間は意識という次元においては、所与の環境とは異なる世界を「創造」することが出来る。
これはどのようにして可能になるのか。メルロ・ポンティは、「シンボル」を通じて可能になるといいます。実はこの「シンボル」の解釈が難しいのですが、私なりの考察を書いてみたい。
つまりそれは、具体的存在の抽象度を高める「一般的原理」だと思います。例えばチンパンジーは、使いなれた「木の椅子」を踏み台にして餌をとることができても、新しく与えられた「プラスチックの机」を使用することができないことがあるという。
これは我々人間には容易なことですが、それが可能なのは、目の前に与えられた「プラスチックの机」を「踏み台になり得るもの」という一般的意味に解釈することが出来るからでしょう。「踏み台になり得るもの」という一般的意味を媒介して、「プラスチックの机」は「木の椅子」と等置させ、同じように道具として使用できる。
しかしチンパンジーには、外的物質に一般的意味を付与する「一般的原理」がない。ただ与えられたものは、見慣れない「プラスチックの机」であり、それが「木の椅子」と同じ意味を持つ踏み台として認識されないのです。彼らはやはりまだ所与の環境に支配されていると言えます。
先述のコの字型の枠の例で言えば、我々人間が餌を迂回させることが出来るのは、それが我々と同じ空間に位置する「物」であると抽象的に理解するからではないでしょうか。「物」という一般的概念を媒介することによって、餌と自分たちを「同じ空間に位置するもの」として認識することが出来る。だからこそ、その餌の視点に立って、異なるパースペクティブから物事を見ることが出来る。
我々が他者の気持ちを想像するのも、このような一般的原理によって他者と自分を同じ「感情を持つ人間」だと考えてその気持ちを類推しようとすることによって成立しているのではないでしょうか。
このシンボルのわかりやすい形態が、言語でしょう。思い出されるのは、ヴィトゲンシュタインです。彼は、言語によって人間は現実化している世界の別のあり方の可能性を考察できるとしました。
人間も身体を持つ物理的・生物的存在ですから、環境からの規定を逃れることは出来ない。しかし、その環境に縛られることなく、別の世界を構想することが出来るのです。
竹内好における「革命」と「他者」
「主人となって一切の他人をドレイとするものは、主人を持てば自分がドレイに甘んずる」
これは魯迅の言葉である。戦後日本における代表的な思想家の竹内好は、魯迅を頼りとしながら、日本は主体性を有しない「ドレイ」である事を論じた。
私の現今の関心は、「人間革命」という言葉である。この言葉は、(恐らく)南原繁が一番はじめに使用したものである。また、その言葉を使っていなくとも、「個人の変革による国家改造」的な思想は、戦後日本において数多く見られる。私は、丸山眞男や大塚久雄、荒正人、小田切秀雄などの思想も、「人間革命」と類似性があるのではないかと思っている。
本記事では、戦後知識人の代表格の1人である竹内好「中国の近代と日本の近代」について、考えてみたい。同氏は、「人間革命」という語を使っていない。しかし、中国におけるヨーロッパに対する抵抗を通じながら、「革命」について論じている。そしてそれは、単に事象化した抵抗運動ではなく、「精神」や「人間の意識」と連続的なものである。
竹内は述べている。
歴史の法則と個人の法則とはちがうだろうが、そのあいだにある関係はあるだろうから(どういう関係かよくわからぬが)、歴史に発展がないことと個人に発展がないことは、やはり関係するだろう。(25頁)
竹内は、歴史の法則と個人の法則に関係があると述べている。その両者の関係の仕方については言葉を濁しているが、この関係性を前提として、竹内は論を展開している。つまり、精神を実在的なものとして、その発展として歴史を捉えるヘーゲル的な世界観に基づいて、ヨーロッパ・東洋・日本というアクターが働く世界史を論じている(とはいえ竹内は、ヘーゲル的な観念論には立っていなかっただろうと思う、ただ「精神」や「観念」という次元で日本について論じたかったのだ)。
彼にとって、「政治」と「文学」は二分されていたものではなく、「文学」という個人の内面の探求と変革は、「政治」の認識と変革と不可分であった。よって彼の言う「革命」を政治や社会に顕在化した運動としてではなく、人間の内面を場とした精神的運動として読むことは、自然であると考えている。
さらに私は、キェルケゴール哲学を頼りに、竹内思想を再構成する事も試みたい。詳細は後述するが、私の考えでは、キェルケゴール的モチーフは竹内の著作の中で根幹的役割を果たしている。竹内の文章を、キェルケゴール的用語によって再構成することで、新しい視座から竹内を解釈できるのではないかと期待している。
ヨーロッパ、中国、そして日本
竹内は「中国の近代と日本の近代」において、ヨーロッパの進出を受ける東洋の姿を描いている。この東洋には、日本も中国も含まれるが、両者は対立的なものとして描かれている。まずはこの竹内が描出している3つのモデルについて概観したい。
●ヨーロッパ
まず竹内が言う「ヨーロッパ」とは、「不断の自己更新の緊張によって(中略)辛うじて自己を保持している」(13頁)ものであると規定している。ヨーロッパは、東洋という外部に進出し、そこの自らの政治・経済システムや文化を拡張しようとする。しかしそれは、単に自らの観念をそのまま他者に移植しようというものではない。異質なる他者(東洋)と出会った以上、自己(ヨーロッパ)は何らかの影響を受け、変容を迫られる。ヨーロッパはその時に、「自己更新」を図ることによって、「自己を保持」するのである。
それの歴史的評価としての妥当性はどうあれ、竹内はヨーロッパを「自らを更新させながら発展・前進・拡張する主体」と位置付けている。これは、後に日本について語る際に重要になる。
●東洋=中国
中国は、自己拡張するヨーロッパから挑戦を受ける「東洋」の一部である。ここで中国と東洋を等置しているのは、竹内が中国における魯迅の思想に、「東洋の一般的性質」を見出しているからである。
東洋とは、ヨーロッパに包摂されようとした事によって生じた概念である。そもそも「ヨーロッパ」という他者と出会わない限り、自らをヨーロッパではない「東洋」であると認識する事はできない。ヨーロッパと東洋の関係は、前者が後者に侵入するという非対称的なものである。ヨーロッパは、「近代」への「進歩」を東洋に強制しようとする。
その際に東洋に起きたのは、「抵抗」である。つまり東洋が自己を自覚し、自己を保持しようした運動である。そこでは「伝統」が意識されるに至り、ヨーロッパを跳ね除け、それと同化して自己を喪失する事を拒否しようとする。しかし、東洋は「敗北」する。即ち、ヨーロッパによる強制の結果、ヨーロッパ的近代化を迫られることとなる。
しかしそれでも「抵抗」は続く。もはや「抵抗」しても近代化は避けられないが、それはヨーロッパ的変動を迫られながらも、同時に「伝統」を保全せんとする矛盾した運動となる。その葛藤を、竹内は魯迅の「絶望」に見出している。
「かれは自己であるであることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する」。
●日本
日本もまた、ヨーロッパの挑戦を受けた「東洋」の一員であるが、それは「東洋諸国の中でもっとも東洋的ではない」(27頁)。
日本は、外部からの挑戦に対して、自己を保持しようとしない。つまり、主体性がないのである。自己を保持しようとしないから、学問や文化などの人間の精神活動の産物を、内面に求めることなく外界に希求する。そこには、異質な他者に対する「抵抗」はない。主体性がないのだから、自己を保持しようとする運動が起きるわけがないのである。
さらに、自らが保持している観念が現実と不調和をきたした時、日本は自らの観念を発展させて現実に合わせようとしない。ただ、新しい現実と整合的な観念を外部に探し出し、それを新たに導入するだけである。
これは、ヨーロッパとも東洋とも異なる。東洋は「抵抗」を通じて、自己を保持しようとする。東洋に外圧を加えるヨーロッパも、単に自己の観念を植え付けようとするのではない。ヨーロッパは、「相手を変革し、同時に自己が変革される運動」(27頁)をする。つまり、相手に働きかけることによって、自分も働きかけられ、自己を更新する。それは自己を喪失する危険を孕んでいるが、ヨーロッパにおける進歩とは、それでも自己更新を繰り返しながら行われるものなのである。
竹内における「革命」
以上、竹内が論じた世界史における3つの主体について論じたが、それらの性質は大きく異なっていた。これをそのまま歴史認識として受容するのは、困難であろう。私にはヨーロッパのアジア進出が積極的な自己変革を伴っていたか疑問であるし、それと日本のアジア進出に類似性を感じている。また、中国が美化されすぎであるし、「内面的変革の中国と、表層的受容の日本」のような安直な歴史理解は、今日では凡庸に思われる。
しかし問題にしたいのは、竹内が論じた人間の精神における「革命」である。竹内は、「転向」と「回心」、「革命」の違いについて、以下のように述べている。少々長いが、引用したい。
転向は、抵抗のないところに起こる現象である。つまり、自己自身であろうとする欲求の欠如からおこる。自己を固執するものは、方向を変えることができない。我が道を歩くしかない。しかし、歩くことは自己が変わることである。自己を固執することで自己は変わる。(変わらないものは自己ではない)。私は私であって私ではない。もし私がたんなる私であるなら、それは私であることですらないだろう。私が私であるためには、私は私以外のものにならなければならぬ時機というものは、かならずあるだろう。それは古いものが新しくなる時機でもあるし、反キリスト者がキリスト者になる時機でもあるだろう。それが個人にあらわれれば回心であり、歴史にあらわれれば革命である。
回心は、見かけは転向に似ているが、方向は逆である。転向が外へ向かう動きなら、回心は内へ向かう動きである。回心は自己を保持することによってあらわれ、転向は自己を放棄することからおこる。回心は抵抗に媒介され、転向は無媒介である。
この文章では、「転向」と「回心」の違いが述べられている。前者は、自己に固執することなく、他者になろうとする運動である。つまり、変化の必要に迫られた際に、自己によって自己自身を変革しようとするのではなく、外界の事物を自らに移植することによって自己自身を変容させようとする。
それに対して、「回心」とは、「私が私でありながら、私以外のものになる」運動、つまり自己自身を保持しながらも、それまでの自己を否定し、新しい自己になろうとする内発的な運動である。それは個人においては「回心」であり、歴史においては「革命」であるという(先述の通り、竹内は個人の精神と歴史の発展の法則を連続的に捉えているので、「回心・革命」と記す)。
私は、この竹内の「回心・革命」議論の中に、着目すべき点が3つあると考えている。
第一に、それが「他者」との出会いを前提としていることである。竹内の「回心・革命」は、異質な他者に対する「抵抗」がきっかけとなる。その他者とは、世界史における東洋にとってはヨーロッパであった。そしてこの「ヨーロッパ」という他者は、単に「非東洋」という意味ではない。ヨーロッパと非ヨーロッパの両方を包括し、その両者を客体視する視点すら持った、世界を支配するような存在である。これについては後述する。
第二に、それが「自分を内部から否定する終わりのない運動」である事である。竹内はこの事を、辛亥革命ならびに文学革命に言及しながら論じている。これら運動は、それまでの自己(伝統)を否定しながら、乗り越えていくものであった。これは、日本における明治維新や言文一致運動と区別される。日本における「革命」(竹内にとっては「転向」)は、外部の制度や文化を輸入する事によって、完成されるものだった。しかし、前者は、絶え間ない自己否定によって継続する、終わりのない運動である。
最後に、竹内が「回心」や「キリスト者」など、キリスト教的な用語を用いていることである。一見、外在的な宗教的教義を受容する事によって「回心」は起きるように思われるが、竹内はこれを異なるように捉えている。それは、他者との出会いをきっかけにした「自己否定かつ自己保持」をする主体的運動なのである。
さらに竹内は、魯迅が直面した「苦痛」について、以下のように書いている。
かれは自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する。それが魯迅においてある、そして魯迅そのものを成立せしめる、絶望の意味である。絶望は、道のない道を行く抵抗においてあらわれ、抵抗は絶望の行動化として現れる。それは状態としてみれば絶望であり、運動としてみれば抵抗である。そこにヒューマニズムの入り込む余地はない。
この「絶望」と「自己」という二概念から、キェルケゴールを想起する人物は、決して少なくないのではないだろうか。さらにそれは、上述の「他者」や「自己否定」、「キリスト教的用語法」という竹内の「回心・革命」論の特徴を見るとき、キェルケゴールとの関連を予期させる。
本来であれば史料に基づいて、当時の日本におけるキェルケゴール受容を考察したり、竹内の他の文章を精査してキェルケゴールへの言及がないか調査すべきだろう(そのようなけんきゅうはあるのだろうか?)。しかし、時間・資料的制約を鑑みるに私には、それは不可能である。
そこで、私が試みたいことは、キェルケゴール思想を補助線に、竹内好を「信仰」論として読むことである。それを「ヨーロッパに抵抗した中国と転向した日本」などのように世界史的に読むのではない。個人的な精神史としてそれを読み、キェルケゴール的用語によって、それを再構成することを目指す。
中途半端な試みにならざるを得ないが、どうかしがない一ブログでの戯れであるならば、何の問題もないだろう。